能登半島大震災が「原発震災」を免れることができたのは?
能登半島大震災が「原発震災」を免れることができたのは、(関西電力)珠洲原発が地元の根強い反対運動で、2003年に凍結に追い込まれ、(北陸電力)志賀原発が停止中だったからに他ならない。二度目の被災地を取材した感想だ。
動画 関西電力珠洲原発建設予定地だった珠洲市高屋町の高屋漁港 3月8日撮影
輪島市西部が、最大約4メートル隆起し、西へ最大約1メートル移動し、人知を超えた地震の破壊力の甚大さに改めて圧倒された。
最大約4メートル隆起したと専門家が調査で指摘した輪島市門前町鹿磯漁港と志賀原発の直線距離は25キロしかない。
動画 地盤が2mは隆起したため、漁港の機能を喪失した輪島市門前町黒島漁港 3月5日撮影
3月5日から8日まで、1月には回る時間がなかった内灘町と珠洲市を中心に取材した。7日には志賀原発のマスコミ公開があり、構内の震災による損傷ヵ所を見てきた。また、珠洲原発反対運動に尽力した関係者の案内で、珠洲原発建設予定地だった珠洲市高屋町の被害状況も見ることができた。高屋漁港は少なくとも2m隆起していることが顕著だった。関西電力が珠洲原発の計画を凍結したのは2003年12月。それから約4年後の3月25日に最大深度6強の「能登半島地震」が起きている。その4ヵ月後には、最大深度6強の中越沖地震が発生。大きな地震が新たな地震活動を呼びこむことは間違いない。
液状化の激しい内灘町 3月5日撮影
避難所となっている珠洲市正院小学校で、ジンギスカンの炊き出しを実施する浄土真宗のボランティアチーム。(3月6日)寺は全壊状態の地元の真宗僧侶がコーディネートし、遠くは北海道、兵庫県、福井県、七尾市などから参加したお坊さんたちだが、被災地支援に慣れているようで、手際よく調理し、炊き立てご飯と味噌汁、おかず一品付いた夕食が提供された。珠洲市の隣、能登町出身の真宗僧侶、長田浩昭さんが、早くに奥能登ボランティアセンターを、珠洲市まで30分以内で移動できる能登町の集会所を借り上げ、寝泊まりできる拠点を立ち上げたことにより、ボランティア活動が軌道に乗っている。
動画 珠洲市正院から北部の外浦にある高屋町までの山道の巨岩崩落現場 3月8日撮影
関西電力珠洲原発の建設が2003年に凍結された予定地。地盤が2mは隆起したと思われる珠洲市高屋町の高屋漁港。3月8日撮影
原発建設反対運動の拠点となった真宗の圓龍寺は全壊して見るも無残だった。反対運動の中心的役割を果たした住職の塚本真如(まこと)さんは、1月から二次避難していて不在。案内してくれたのは、能登町出身で20代の時から珠洲原発反対運動にのめりこみ、塚本住職と共に闘いづづけてきた長田浩昭(釋浩昭)さん(63)。
写真は圓龍寺本堂と、原発反対運動に奔走した長田さん。寺の壊れ方に言葉もなかった。
「10人から始まった若い集団、カバンも地盤も選挙カーもなかった」と振り返った長田さん。
原発反対の珠洲市長選や県議選では、選挙カーから候補者に代わってスピーチしたという。
石川県は浄土真宗王国。能登半島は集落も寺も門徒(檀家)も分断され、買収、脅し、無言電話など、あらゆる分断工作をはねのけて、塚本住職がぶれなかったのは、「真宗の坊さんは、強い者の味方をしたらアカン」との父から教えが根底にあったからだと塚本さんが長田さんに言っていたこどだという。
この日は原発反対運動を共に闘いぬいた井上商店を営む井上伸造さん(75)が一時帰宅していた。高屋地区での再会は震災後初めてだという。
井上さんは市長選や県議選の原発反対候補の運転手をずっと務め、最後までブレなかった反対派住民の一人だ。井上商店は圓龍寺と漁港の中間にある。長田さんの立つ写真の後ろ側の土手には反対派住民の監視小屋があり、関西電力の動きを把握していたという。背景の高台が原発建設予定地だった。その崖の一部は地震により崩落している。長田さんの奥さんは、炊き出しボランティア要員として、拠点の整理整頓などに休みなく身体を動かしていた。
入居が始まって間もない仮設住宅で一人暮らしの被災者に、炊き出しを届ける真宗大谷派の女性陣。
仮設での生活が始まったばかりの女性被災者は、震災でご主人を失っていた。写真とは別の80歳を前にする男性被災者は、仮設が当たったことを、宝くじが当たったより嬉しかったと喜んでいた。珠洲市の仮設は3月8日の段階で74戸が完成。
7日に志賀原発の現況をマスコミに公開したのでフリーランスとして私も参加した。約50名の報道陣が二班に分けられ、現場取材をした。
3点の写真は震災で損傷し使用不能となった2号機変圧器。3枚目は損傷した部分が見えるカット。2号機変圧器の故障が原因で、5系統ある外部電源のうち2系統が使えなくなったまま、2号機変圧器復旧の目途はたっていない。
4点目の写真は、1月16日の震度5弱の地震発生後に試運転したら自動停止した1号機HPCSディーゼル発電機。受電回路変更により修理済み。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下はNHKの報道。
志賀原発 能登半島地震の被害箇所 初公開 一部復旧めど立たず (3月7日)
「外部から電気を受ける際に使う2号機の変圧器は配管などが壊れておよそ1万9800リットルの油が漏れ出し、一部が海に流出~3系統5回線ある送電線のうち1系統2回線が今も使えなくなっています」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
終了後のぶら下がり取材の形で、原子力部部長(写真の左側)と土木建築部部長が記者会見に応じた。震災から二ヵ月後、報道陣に初めて公開したのは、今回の地震で志賀原発が壊れず、放射性物質を外に出していないことを担保できていると原子力部部長は自信を持って話すためだったといえる。問題は、二基の原発が「停止中」であるという前提条件に一言も触れなかったことだ。もしも、「稼働中」だったらどうなのか?50人余のテレビ新聞メディアの誰も聞かなかったので、ぶら下がり終了後に原子力部部長に直接尋ねてみた。
「稼働中だったらどうなのか?」と直接尋ねると、「たらればの質問ですが、稼働中でも同じだといえます」と言い切った。
福島事故の教訓は?人知を超える地震の怖さを十分に認識している?原発の幹部は安全神話の殻に閉じこもったままなのか?と愕然とした。
付け加えると、元旦地震で志賀町は震度7、発電所地下2階は震度5強、399.3 ガルを観測したことは公表済みだ。
今回の震災で1号機の観測値は公表されたが、2号機の観測値は今も公表はない。2007年の能登半島地震では、1号機239ガル、2号機264ガルだったことは明らかになっている。2号機は少なくとも400ガル超と思われる公開されないままだ。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////
追記:大震災から二ヵ月後の応急仮設住宅の現状は次の通り。
石川県のホームページからの抜粋。3月12日現在。
・建設計画は4345戸。完成戸数は447戸。
・輪島市76戸完成/1940戸
・珠洲市126戸完成/899戸
・穴水町33戸完成/422戸
・能登町66戸完成/380戸
・七尾市89戸完成/391戸
・志賀町32戸完成/194戸
・内灘町34戸完成/65戸
・羽咋市0戸/54戸
つまり、応急仮設は建設予定の1割ちょっとしかできていない。
入居予定の被災者の1割ちょっとしか入居できていないということだ。
死者は安否不明者含め248人。
住宅被害は76800棟。
輪島市だけでも全壊3461棟、半壊3292棟。
珠洲市だけでも全壊3173棟、半壊2486棟。
全壊半壊がわかっているだけでも、少なくとも22000棟。
自宅で生活したくてもできない被災者は膨大だ。
震災ガレキの片付けは、二ヵ月経っても、動画でもわかるように全く軌道に乗っていない。
断水は、石川県だけでも約18380戸。珠洲市はほぼ全域が断水のままだ。
震災からわずか二ヵ月半。被災者の現実に「見ざる聞かざる言わざる」の態度なのだろうか、北陸新幹線が金沢駅から延伸したことで、
テレビはお祝いムード。NHKニュースによると、北陸新幹線の石川県の金沢駅と福井県の敦賀駅を結ぶ約125キロの区間が16日、開業したとお祝いムード一色だ。「北陸応援割」が16日から始まり、首都圏と新たにつながった福井県や石川県の各地は、大勢の観光客でにぎわっていると報道している。大丈夫かこの国は。日本人はここまで自分勝手の民に成り下がったのか!