書籍・雑誌

2015年12月17日 (木)

2015年の最もPV(Page View)された拙ブログ記事順位

 2015年は安倍晋三(首相)と自民党・公明党(創価学会)の暴走、憲法無視、民意無視、戦前回帰路線の年だったと言い切ってもいい。戦後日本のターニングポイントとなったことは間違いないことに、近い将来、気づくことになるだろう。

(注:1000回をこえるページビューされたブログ記事を、PVが多い順番に並べました
これまでは、「RT」の数字が出たのですが、最近は数字は出ないシステムとなってしまいました。
よって、PVの多い順番に並べてみました。必ずしも、「RT」の多い順番とはならないようですが、
どんなテーマが読者に最も関心を持たれているのが一目瞭然
です。

「()」でくくった記事は今年の記事ではないことを示しています。

7gatu_15nichi戦争法案が衆議院で強行採決された日の国会前。

「自民党は死にましたね!」
「公明党は魂を売ったの?」


1:ゴーマンな安倍晋三(首相)による、民意無視、独裁と「違憲政党政治」の終わりの始まり(5,032PV  注:以下同)
7_gatu18_5

2:戦後70年、大本営の狂気を物語る戦争遺跡:松代地下壕大本営跡(4,861)
_8ds9062jpg
 

(鎮魂の読経~生きた仏教)(4,451)  

3:安倍政権は後藤さん、湯川さんの解放に本気だったのか?(4,250)

_8ds1033jpg渋谷ハチ公前で後藤さんと湯川さんの死を追悼する集まり。 

ビルマ(ミャンマー)の民主化のために闘うアウンサンスーチーさんのこと)(3,316)  

(獄死した尹東柱(ユン・ドンジュ) その詩と治安維持法)(2,638)  

4:福島県浪江町津島~原発から20キロ以遠の帰還困難区域と開拓入植者~Part1(2,451)
_8ds4069jpgjpgweb

(死線を彷徨い、生還した佐々井秀嶺師(インド・ムンバイにて))(2,084)  

5:シンポジウム「朝日新聞問題を通して考える「慰安婦」問題と日本社会・メディア」報告(2,079)
_8ds6274jpgjpgweb「私は慰安婦捏造記者ではない」と説得力ある説明をする植村隆さん。

6:追悼:反骨の報道写真家・福島菊次郎さんが亡くなった。私たちにいま問われているものは何か(1,895)
005

7:始まりました、京都での長期写真展。戦後70年平和企画 山本宗補写真展 「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」(1,878)

Photo_1

(原爆資料館(広島平和記念資料館)を見て考える) (1,878)  

(パパラギの里(石雲禅寺)) (1,838)

8:大熊町・双葉町・浪江町 帰還困難区域の現状とは?(1,822)
_aaa4601jpgjpgweb原発から7キロの距離にある大熊町の自宅に一時帰宅した木幡夫妻。

9:「戦争法案廃案!」「安倍政権退陣!」のコールが渦巻いた、小雨の中の10万人超国会前抗議フォトルポ.(1,580)
_aaa3657jpgsumijpgweb

10:SASPL(サスプル)からSEALDs(シールズ)へ。反安倍政権の協力な磁石(1,388)

Sep1818jpgweb9月19日、参議院で戦争法案が強行採決された夜中の国会前。

「凶行採決 亜米内閣」

11:2015年写真展「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」巡回途中経過・開催希望者募集中(1,266)
Dsc_0971jpgsumi姫路展から。

12:福島県浪江町津島~原発から20キロ以遠の帰還困難区域と開拓入植者~Part2(1,242)
_8ds0684jpgweb棄民再びの大内孝夫さん。


13:安倍政権にレッドカードを!さまざまな「赤」で7000人が国会大包囲!(1,101)

_8ds9534jpgsumi民意無視の象徴となった国会を包囲する「赤」。

(日本軍幹部の責任を肩代わりさせられたBC級戦犯裁判の不条理(韓国・朝鮮人元BC級戦犯と遺書)(1,001)

(中略)昨年までの記事は省略し、以下はPVの多い順の今年の記事

14:辺野古新基地反対国会ヒューマン・チェーンと増殖する「「I am not Abe !」の意思表示

_aaa1127jpg

15:世論を無視した安倍自民公明政権による「川内原発再稼動!」を阻止するためのゲート前座り込み(8月9~11日)フォトルポ
Sendai_npp_gate_7川内原発ゲート前の再稼動反対座り込み。
 

16:「安倍政権NO! 3・22大行動」フォトルポ
_8ds5272jpgweb_2_1

17:「経産省前テントひろば」仕事始め脱原発記者会見から
_8ds8600jpg

18:新刊(反核)、コラボ(反戦)、沖縄(反米軍基地・反原発)をまとめて紹介

_aaa3620jpgsumi_2窪島誠一郎さんとの新刊共著「「父・水上勉をあるく」(彩流社)

19:『カメラを武器として』報道写真家・福島菊次郎 上(信濃毎日新聞2007年掲載)
Photo

7ggatu_17_2_1安倍首相がポツダム宣言をよく読んでいないと、恥ずかしくもなく国会答弁した日の国会前抗議(7月17日)

「憲法をつまびらかに読んでみろよ!」

◯PS
参考までに、2014年の最も読まれた拙ブログ記事リツイート順位はここをクリックしてください


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2015年9月27日 (日)

大盛況だった福島菊次郎さんの講演会写真展(2008年9月と2010年8月、雑記帳から転載)

(菊次郎さんの死を追悼し、ブログ開始前の雑記帳での記事を転載します。内容は、2008年と2010年に府中市で菊次郎さんの講演会と写真展を開催した時の報告です)

2008年9月18日  大盛況だった福島菊次郎さんの講演会と写真展

_dsc4981jpg

 敬老の日に87歳になる福島菊次郎さんを「酷使」する講演会と写真展は大成功だった。
私の予想をはるかにこえる大入りで、府中の講演会は400人あまりの参加者があり、広くて天井の高い写真展会場は講演会直後は身動きできない空間となり、まるで近代美術館のゴッホ展のような大混雑ぶりだった。ピークの時間帯は福島さんの写真と写真説明をしっかりと観ていただくことができなかった入場者が多数いたことを想像すると、混雑もプラスばかりとはいえない。主催者の積極的なPR攻勢が実を結び、朝日と毎日に大きく講演会が福島さんの代表作とともに紹介され、ネット上での講演会告知も徹底していた。

 展示したのは「写真で見る戦争責任」パネル20数枚、「ある被爆者の記録」10枚、兵器産業など10枚だ。午前10時の開場から夜7時までの一日写真展だったが、入場者は600名を楽にこえてしまった。

Hukushimahuchuexhbitcatalogue2008この講演会写真展のために製作されたミニ写真集。

 今回のために印刷したA4版16ページのモノクロミニ写真集は、200~300部販売できれば上出来と予想していたが、印刷の良さと500円という格安さに、講演参加者数を上回る部数が販売された。何よりも写真の力強さであり、時代を反映する優れたドキュメンタリー写真だからで、全てが絶版となっている福島さんの写真集の中身の濃密さを彷彿とさせるからなのだろう。主催者の判断で印刷を重視したものにした甲斐があった。

 同様の印刷で72ページ、定価2000円の本格的写真集を制作し販売することも十分採算が取れると思えるほど良い仕上がりだ。

 敬老の日の翌日は、疲労困憊しているはずの福島さんを連れだし、お茶の水にあるJVJAの事務所で私も含めて12名の現役フォトジャーナリスト、ビデオジャーナリスト、映画監督、新聞記者、テレビ番組制作会社経営者などと福島さんとの交流会をもった。

_dsc5015jpg「がらんどう」さん一家のみなさんと。

 交流会の前に、神田の古本やアンティーク雑貨店「がらんどう」さんに立ち寄る。オーナーが福島さんの大ファンで、昨年は瀬戸内離島物語の写真パネルを展示したお店だ。福島さんの希望で急遽、友人知人に声をかけた内輪の会だった。私のリード役の不手際で、福島節は出たものの、出席者の遠慮からか活発な質疑応答までにいたらずにお開きの時間となった。体重が35キロに落ちた福島さんの疲労度からしてもそれ以上続けるのは健康的にまずいと判断した。福島さんがあと2~3年若かったら、二次会で議論が盛り上がったはずなのだが。

_dsc5038jpgJVJA事務所での交流会。

 「天皇を(そのまま)残したのが諸悪の根源だった」という一言が、福島さんの交流会での総括だった。福島さんが昭和天皇に対する怒り、天皇の戦争責任を追求する私的怨念を抱くきっかけの最たるものが、60年代の天皇の記者会見での回答を聞いた時だったと話された(注:正確には1975年の天皇記者会見)。中国新聞記者の「広島の原爆に対してどう思うか」という質問に対し、「戦争だから仕方がなかった」と答え、英国の通信社記者の「戦争責任についての考えは」との質問に対し、「そのような言葉の文に対する文学方面の研究はしていないのでわからない」と返答した会見をテレビに釘づけになって見ていたそうだ。翌日の新聞は会見の内容を伝えはしたが、全く論評しない扱いに、天皇に対する恨みがこみ上げてきたと話された。

 電車を乗り継ぎ、府中のホテルまで送り、駅前のラーメン点で二人で遅い夕食を食べた。さすがに福島さんも空腹だったとみえ、おいしそうにラーメンを食べていた。

 翌日、福島さんは親友で、上関原発反対運動の写真集「中電さん、さようなら -山口県祝島原発とたたかう島人の記録」(創史社)を出した那須圭子さんとともに柳井に帰っていった。この本には福島さんが撮影した戦後まもない祝島漁民の生活と、原発反対運動の写真も収録されている合作本でもある。

 福島菊次郎さん、たいへんお疲れさまでした。「写らなかった戦後」シリーズ第三弾の執筆が早く校了し、書店に並ぶことを願っています。

元の雑記帳はこちら

2010年8月24日  『遺言 Part3』 福島菊次郎最終講演会in府中

Kikujiro5august2010

 府中での福島菊次郎最終講演会&写真展は盛況のうちに幕を閉じた。私にとっての今夏のメインイベントは終わった。主催者は私を含め、2年前の講演会と同じ顔ぶれの実行委員会。5ヶ月前に執筆中の「写らなかった戦後3 殺すな、殺されるな」の出版が講演会に間に合うことを確認し、会場を仮押さえしたことで準備正式開始となった。
Kikujiro3august2010著書にサインを求める人人。

 同じホールでの講演会は前回を下回るがまずまずの入り。客層は予想した中高年よりも若い世代、とりわけ女性層が多かった印象

Kikujiro9kamanakaaugust2010鎌仲ひとみ映画監督と。
 
(中略)

 写真展は今回3日間開催した。前回は講演日だけでギュウギュウ詰めとなり、じっくりと写真を観てもらうことができなかった反省を踏まえた。会場の広さと至便さで、胃ガン手術後の福島さんが命を削ってまで制作に没頭した写真パネルを70数枚展示できた。写真点数にして350点をこえる。前回の倍近いパネル数となった。最長1時間程度で見終えるには丁度いい分量だったかもしれない。

Kikujiro4august2010

 続きは雑記帳でごらんください

Kikujiro11august2010「写らなかった戦後」シリーズを刊行する現代人文社の成澤社長と。

以下はブログ以前の雑記帳の菊次郎さんに関しての記事

2003年8月6日  報道写真家、福島菊次郎著「ヒロシマの嘘」のススメ
2005年7月6日  福島菊次郎さんの緊急講演会が決まる
・2005年7月20日 「戦後60年 戦争が始まる」福島菊次郎講演会が大盛況だった
2007年6月25日  福島菊次郎講演会の終了、山本宗補写真展の開始
・2008年9月18日  大盛況だった福島菊次郎さんの講演会と写真展
2010年3月25日  松江、柳井、光、祝島、大久野島
・2010年8月24日  『遺言 Part3』 福島菊次郎最終講演会in府中
                    

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2015年9月26日 (土)

『カメラを武器として』報道写真家・福島菊次郎 上(信濃毎日新聞2007年掲載) 人生方向づけた「戦争」

福島菊次郎さんを追悼し、信濃毎日新聞2007年3月5日に掲載した記事を再録します。
交友が続いていた菊次郎さんの人生について、戦争体験者の取材を覚悟を決めて初めて書いた記事でした。

『カメラを武器として』報道写真家・福島菊次郎 上

人生方向づけた「戦争」
                  山本宗補
Photo

 江戸時代の白壁の商家が残る山口県柳井市。中心街から離れ、寂れた歓楽街の一角にあるアパートの一室で、八五歳の独居老人がワープロに向かっている。胃ガンの摘出や胆のうの手術などで満身創痍の老人は、体重三七㌔。視力は落ち、耳も遠い。だが、小泉首相、安倍首相と続く政治の流れが、老人の反骨心の残り火を燃え立たせる。六畳間の片隅では、愛犬のロクが寝そべり、部屋の隅には、周防大島で暮らした時期に自作した棺桶が置かれている。

 報道写真家、福島菊次郎。一九六〇年代初頭から二〇年間、フォトジャーナリズムの第一線で活躍し、学生運動、あさま山荘事件、三里塚闘争、被爆者、公害問題、若者の風俗など多岐に渡るテーマをルポ。「文芸春秋」「現代の眼」などの月刊総合誌を中心に、一時は年間一五〇ページ以上発表した。これまでに刊行した写真集は一二冊に上る。

 その反骨精神を物語るエピソードの最たるものは、六〇年代後半、防衛庁広報課を欺いて、自衛隊と兵器産業の実態を撮影し、雑誌に発表したことだろう。「国家権力を相手に、取材にモラル云々をいっていたら、権力に都合のいい写真しか撮れない」と福島さんはいう。暴漢に襲われて重傷を負い、不審火で家が焼けたが、屈しなかった。

 写真集『原爆と人間の記録』を出版した七八年、テレビ番組「徹子の部屋」に出演した際には、「『天皇制批判はしないで』と釘を刺されたので、『終戦』という言葉を使ったらその場で席を立つことを約束させた」という。 

 その福島さんはここ何年か、写真で表現できなかったことを文章で補完しようと、自分史を追うように取材現場の記憶をたぐり、一人称で書き残している。『写らなかった戦後 ヒロシマの嘘』(現代人文社、二〇〇三年)には、多くの被爆者が見捨てられ、死んでいった〝平和都市広島〟の暗部を、『写らなかった戦後2 菊次郎の海』(同、二〇〇五年)では、六二歳で東京を捨て、郷里に近い瀬戸内海の島に移り住んでからの生活を中心に綴った。

 「『菊次郎の海」』のあとがきには、こう書かれている。
「靖国神社こそは若者を死地にかりたて、ボロ布のように使い捨てた軍国主義の大量殺人装置以外の何ものでもなかったのだ。ボクも何度か靖国の生け贄になりそうになった」。

 その戦争体験が、福島さんの戦後の生き方を方向づけた。

 福島さんは一九二一(大正十)年、周防灘に面する山口県下松市の漁村の網元の家に生まれた。小学校の遠足で隣接する光市の伊藤博文の家を見学した後、一九二三年の虎ノ門事件(摂政時代の昭和天皇の暗殺未遂事件)で処刑された難波大助の家を回り、「国家に背くと死刑になる」という教師の説明に震え上がったそうだ。

 四四(唱和十九)年四月に召集され、広島西部第一〇部隊輜重(しちょう)部隊に入隊した福島さんは、馬に蹴られ骨折し、そのおかげで死を免れる。入院中に沖縄へ向かった所属部隊の輸送船は、米軍の攻撃を受けて沈んだ。沖縄戦終結後の二度目の召集では、原爆が投下される六日前、広島から貨物列車で宮崎の海岸に送られた。グラマンの空襲に脅えながら、米軍上陸に備え、爆雷を抱えて戦車に飛び込む自爆訓練に明け暮れていたとき、広島に原爆が落とされ、原隊は全滅した。わずか「六日」が生死の運命を分けた。

「同級生の半分近くが戦死した。命は天皇陛下からいただいたものだから、天皇陛下にお返ししなければいけないという固定観念があった。戦争で死ぬことと、敵を殺すしか考えなかった狂気の青年時代だった」と福島さんは振り返る。

 小学生のとき、中国人五〇人は殺さないと、と思っていたという。「仲の良かった同級生は上海戦、南京戦を戦い残虐行為をやった。もし戦争に行っていたら、僕も相当悪いことをしただろう。戦争に行けば死ぬのはわかっていたから。戦後は、ほおかむりして反戦平和を唱えたと思う」

 復員後、福島さんは郷里で時計店を営みながら広島に通い、行政に見捨てられた被爆者の苦しみを撮り続けた。最初の写真集『ピカドン』を出版したのは六一年のことだった。

(中、下に続く)


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2015年9月25日 (金)

追悼:反骨の報道写真家・福島菊次郎さんが亡くなった。私たちにいま問われているものは何か?

(写真はクリックすると拡大します)

 (注:編集中なので後で追記したり、書き直す予定です)

「現代の市民運動に問われているのは、勝てなくても抵抗して未来のために一粒の種でもいいから蒔こうとするのか、逃げて再び同じ過ちを繰り返すのかの二者択一だけである」

 これは福島菊次郎さんが主権者として、ジャーナリストとして残した有名な一言である。

000180(2001年撮影)

 福島菊次郎さんが9月24日に息を引き取ったと、ご家族から聞いた。体重は30キロちょっとしかなかったようなので老衰のようだ。心からご冥福をお祈りするばかりだ。

 ご家族だけで火葬し、葬式はやらないという。

 菊次郎さんが常々怖れていた安倍自民公明政権が、違憲立法である「戦争法案」の強行採決という独裁的手法に及んでまもない時期の訃報は、今日一日降り続く雨のように、気持ちを暗澹とさせ、心を重くする。

 ちょうど2年前、ある一件によって26年間続いた交友関係がこわれ、菊次郎さんとは疎遠になっていた。だが、そんな個人的な一件とは無関係に、菊次郎さんの戦後の生き様を畏敬する気持ちには何ら変わりがない。

 立命館大学国際平和ミュージアムで二ヶ月間の写真展「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」を開催したが、その時のポスターとチラシには福島県南相馬市の大津波被災地を私がご案内したときに撮影した写真を使用した。ポスターは菊次郎さんに送ったところ、アパートに貼ってあるということを人づてに聞いていた。

Photo_1

 ちょうど、二年前に刊行された、朝日新聞社発行の「Journalism 2013.9」誌には、「反骨の報道写真家・福島菊次郎から、フォトジャーナリスト魂を学ぶ」と題した8ページの長文を寄稿した。自分自身がフォトジャーナリズムの世界に入り、ここまでやってくる経緯に、菊次郎さんとの交友関係をからめての記事だ。

 このブログ記事では、福島菊次郎さんのご冥福を念じ、「Journalism」誌掲載前の荒原稿に少し手をいれた文章を追悼の代わりに掲載したい。写真は誌面で使用したものと使用していないものも少し加えたい。(Journalism誌をお持ちの方はもう一度読んでいただけると嬉しい)

 1986年の菊次郎さんとの始めての出会いなどについても触れている。

005(2005年撮影)


反骨の報道写真家・福島菊次郎からフォトジャーナリスト魂を学ぶ

 敗戦から68年の夏。国内外の戦争体験者70人の証言をまとめたA4版のモノクロ写真集「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」(彩流社)を出版できた。掲載したうち、18人がすでに鬼籍に入られてしまった。もっと早く出版にこぎ着けたかったが、東日本大震災と原発事故が起きたので、後回しにせざるをえなかった。2011年3月12日から福島県に入り取材を開始し、一年半の継続取材をまとめた全カラーのフォトルポルタージュ「鎮魂と抗い~3・11後の人びと~」(彩流社)を昨年9月に出版。そして民主党の自滅で自民公明連立政権が再登場し、安倍晋三首相の復活となった。危機感を募らせた私は、この写真集を敗戦記念日前の出版にこぎつけようと急いだ。

 写真集のあとがきで触れたが、私が戦争体験者の聞き取りを本格的に開始したのは、2005年夏。日本最南端の八重山諸島が舞台となった「戦争マラリア」を取材したところからだ。それまで沖縄戦のことさえも取材していなかった自分が取り組むには、理由付けが必要だった。
 
その理由を遡ると、約30年前から東南アジアの国々の内戦や貧困などの社会問題を取材しはじめたことに行き着く。取材中に熱帯特有のマラリアやアメーバ赤痢などに何度も罹り、マラリアの症状に関しては熟知していたという自負もあった。日本にもマラリアがあることが本当なのか現地で確かめてみたいとも思った。「戦争マラリア」についての詳細は、拙写真集を手にとっていただくことにして、本題のフォトジャーナリストとしての仕事と、昨年公開された映画「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳」で、その存在と生き様が全国的に知られることになった福島菊次郎さんとの関わりについて書いてみたい。ちなみに、「戦後はまだ・・・」に掲載した一人が、92歳で現役報道写真家の福島菊次郎さんだ。

人生の目標を失い米国で写真を学ぶ

 若い頃は社会の問題やジャーナリズムの世界とは無縁だった私が、フォトジャーナリズムの世界に踏み込むようになった経緯を簡単に記しておきたい。福島菊次郎さんとの縁の偶然性がより浮かび上がるからだ。長野県の田舎町で生まれ育った私は、都内の大学の夜間学部に滑り込んだものの、勉強が嫌いで長続きせずに自主退学。早々に自分の人生も見限り、家出をし、自己嫌悪が増幅し自殺願望にとりつかれた。ただ、自殺するほどの勇気がなく、人生の目標もないまま日本で生きるよりも、物理的に生活環境を変えてしまえば真剣に生きる気持ちになるかもしれないとアメリカに渡った。1978年、25歳だった。カリフォルニア州南端のメキシコ国境の町サンディエゴで生活した。観光ビザから学生ビザに現地で変更できるといわれていたが、ビザ変更ができないまま、サンディエゴ市のコミュニティーカレッジで写真の基本を二年間学んだ。写真を選んだのは、他に興味が湧く職業訓練的な科目がなかったからだ。

14(2011年撮影、福島県南相馬市)

  私が報道写真の世界に魅かれるようになったのは、図書館などで借りたロバート・キャパとかユージン・スミス、LIFE誌やマグナムなどの社会派的写真をたくさん見てからだ。英文写真集のためか、日本人写真家の作品に触れることは稀だった。知った名前はローマ字名で、EIKO HOSOE(細江英公)、HIROSI HAMAYA(濱谷浩)くらいだった。土門拳の名前も本も知らないまま過ごした3年半の滞米生活で身に付いたものは、写真撮影の基礎と日常生活をこなす英会話能力程度だった。自分にとって特筆すべきは、自殺志向を招いた自己嫌悪というネガティブな思考から、アメリカ人特有のポジティブな思考に自分を変えることができるようになったことだろう。

  帰国後、英語も写真も使わなければ無駄になると思い、東南アジアに行き始めたが、社会問題とか歴史を学ぶ姿勢のないまま写真を撮っただけだった。有り難かったのは、撮影の仕事で来日するマグナムなどの世界的に著名なカメラマンの荷物持ち兼通訳としてのアルバイトが時折できたことだ。そうした経験が社会派的な写真に関心を引き寄せる役割を果たしたと思う。

 転機となったのがマルコス政権晩年の85年。飢餓が伝えられたフィリピン中部のネグロス島に入り、地主階級の私兵が労働者に無差別に発砲し、20人以上が殺害された虐殺事件の被害者を取材した。死体も、銃弾による負傷者も、武装した私兵も、私にとっては全てが始めての取材となった。週刊誌などに売り込んだが掲載に至らなかった。取材が不十分で、マルコス政権とは何か、独裁政権末期の虐殺事件をどうとらえるべきか、日本とフィリピンの関係とは何か。私が編集者に説明し説得できるほど状況を把握できていなかった。英字紙にだけは掲載できたものの、取材しても発表できなければ取材したことにならないことを思い知らされた。その後の大統領選挙、無血クーデターなどとフィリピンの政変がテレビ中継で日本のお茶の間にも報道される展開となり、私自身もフィリピン取材にのめりこんで行った。

 今振り返ると、日本との関わりの深いフィリピンは駆け出しのフォトジャーナリストに取材の基礎を学ばせてくれた。貧困、飢餓、内戦、天災、日本人人質事件、日本のODA、日本企業の関わり、日本人中年と若きフィリピナの見合い結婚、日本軍の戦争の傷跡など。英語能力の向上にもつながり、その後のビルマ(ミャンマー)取材や、インドや中東などでの取材にも生かされることになった。日本の大学を卒業し、メディアで記者修行したわけでも、労働組合や市民運動をやってきたわけでもない私の思考や思想形成は、内外の取材現場で培われたものだ
 
報道写真家・福島菊次郎との出会い

20119(2009年撮影。さようなら原発大集会)

 私が福島菊次郎さんに初めてお会いしたのは86年秋。菊次郎さんが瀬戸内海の周防大島で野菜を有機的に作り、果樹も栽培し、自給自足の生活をされている時だった。菊次郎さんは漁師の子どもだったから魚は海に行けば手に入った。当時65歳。その後に破局を迎える若い女性と同居していた。

 チェルノブイリ原発事故が春先に起きた年でもあった。その原発事故の深刻さを十分に認識していなかった私だが、ポーランドの撮影で、放射能の影響を深刻に受け止める話を聞き、多少は身近に感じ始めていた。帰国後、雑誌の仕事で周防大島と橋で結ばれた沖家室島の、高齢でも元気に生きるお年寄りを撮影する仕事で沖家室島に滞在した。人口200数十人の孤島の唯一の寺の住職が、「同業者なら福島菊次郎さんのことは知っているでしょう」と、周防大島に住む菊次郎さんの家に案内してくれた。団塊の世代の住職は大学時代にゲバ棒を手に学生運動に身を投じたことがある世代だった。

 私はフォトジャーナリストと名乗ってはいたが、30歳を過ぎてもまだ駆け出し同然で、自分自身の取材テーマを持たなかった。実際、菊次郎さんにお会いするのは荷が重すぎた。小柄だが、厳しい顔つきの菊次郎さんとほんの少しだけことばを交わしたくらいで、写真を数枚だけ撮らせてもらったが、他には何も覚えていない。その後も縁が続くとは全く思わなかった。その時だったか、ミカン畑の真ん中にある借家の回りの畑に人糞を肥料にしてイチゴを育てていたところを見たような気がする。田舎の長野県で母親の畑仕事をできるだけ手伝い、作物を作る苦労を身近なものと感じることができるようになったのは、菊次郎さんの自給自足の生き方に影響を受けていた。

  初対面のその時まで、菊次郎さんと私の接点がゼロだったわけでもない。実は、アメリカから帰国後、小さな古本屋で手にしたのが菊次郎さんが78年に出版した『原爆と人間の記録』(78年、社会評論社)だ。土門拳などの名前や作品さえまだ知らない私が、福島菊次郎という並外れた存在を偶然のきっかけで知ったのがこの時だ。あとがきを立ち読みして感動したことは忘れられない。日本にも戦争でなくとも命を張って取材し報道するカメラマンが存在することに敬服した。あの本を古本屋で手にしていなければ、私は福島菊次郎という報道写真家の存在を知ることが無かったような気がする。

菊次郎さんの仕事と生き様を広く伝える

  99年からは「老いの風景」をテーマに、同郷で同い年のジャーナリスト、須田治さんとペンと写真のコンビを組み、全国で「老い」をテーマに取材開始した。「老いの風景」の取材を始めるまでの私はといえば、フィリピンとビルマ(ミャンマー)の取材をそれぞれフォトルポルタージュとして出版するのがやっとだった。視線は国外にだけ向かっていたのだが、海外で長期取材しても掲載できる雑誌がほとんど無くなり、私自身も海外報道から国内問題への転換を迫られていた。その最初の取材で、沖家室島を13年ぶりに訪れ、小さな島の世代交代した島民の老いてもなお元気に一人暮らし続ける姿を撮った。取材後に周防大島の菊次郎さん宅に立ち寄ったところが、私にとっては菊次郎さんの命懸けの仕事と向き合い始めるきっかけとなった。沖家室島の取材に出かける度に、菊次郎さんの借家に泊まらせてもらい、深夜まで菊次郎さんが現役で取材していたころのいろんな話を聞くことが始まった。

 2002年。菊次郎さんが周防大島で自ら制作した膨大な写真パネルを展示する写真展を企画し、さいたま市浦和の知人が経営する日本喫茶ギャラリーで開催した。数年後、菊次郎さんの写真パネルの管理を依頼されることになるのだが、私が初めて関わった写真展だった。二週間を二部構成とし、「瀬戸内離島物語」と「日本の戦後を考える戦争責任展」を展示。「瀬戸内」の時には菊次郎さんの彫金作品も同時に展示販売した。彫金は菊次郎さんの器用さを象徴するもので、彫金作家ベストテンになったこともあるほどの実力だ。写真パネル制作費を稼ぎ出したのも彫金作品だという。菊次郎さんは毎夏、敗戦記念日を初日とする彫金展を都内青山のギャラリーで開催。私は夫婦でギャラリーに挨拶に出かけ、作品を見る程度のおつきあいが長く続いた。蔵を改造したギャラリーの畳部屋で菊次郎さんの講演会も実現した。

200222002年、ギャラリー楽風での写真展

 イラク戦争開戦とほぼ同じ頃、筆のたつ須田さんが49歳の若さで急逝してしまった。菊次郎さんのインタビューを人気の高い月刊誌「サライ」に売り込み掲載するなど、須田さんの筆力に写真を撮る者として頼っていたことを反省し、自分なりの「老いの風景」を取材し続けた。菊次郎さんの生活の場は、この頃までには周防大島から柳井市に移っていた。大島の借家を引き払い、99年には下関市で写真館を一時運営し、翌年には常設写真展会場を柳井駅前に見つけたのを機に柳井市のアパートで独居生活となった。根っからの犬好きの菊次郎さんに同居の犬も欠かせなかった。

  写真集「また、あした 日本列島老いの風景」のタイトルで出版したのは2006年。「老い」にまつわる総論的な構成で、第1章は「大往生の島」と題して沖家室島を取り上げ、第4章は「記憶を撮る」と題して戦争体験者の肖像写真とその体験の一部を紹介する形だ。一人目が、私が自慢したい01年に撮影した菊次郎さんの横顔だ。キャプションの代わりに菊次郎さん特有の表現を掲載した。「靖国神社こそは若者を死地に駆り立て、ボロ布のように使い捨てた軍国主義の『大量殺人装置』以外の何ものでもなかったのだ。僕も何度か靖国の生贄にされそうになった」

Dsc_01352006年撮影

  狭いアパート生活で菊次郎さんは、写真だけでは伝えきれなかった現場のやりとりを活字にまとめる執筆に集中した。「写らなかった戦後」(現代人文社)シリーズとなり、第一段は「写らなかった戦後 ヒロシマの嘘」と題されて2003年7月に刊行された。シリーズ第二弾の「菊次郎の海」出版に合わせた講演会を、2005年に都内で開催した。この時から菊次郎さんの講演の進行役を自ら務めるようにした。話始めたら途切れることのない菊次郎さんの話を、時間内に引き出すためのブレーキ役と舵取りに過ぎないが。

  講演の締めくくりに84歳の菊次郎さんは言った。

「戦後、ジャーナリストも国民も言ったことだが、ああいう馬鹿
な戦争をやったのは、ジャーナリズムがペンを折ったから。こういう事態が再び来たのはジャーナリズムと個々のジャーナリストがその志を放棄したから。戦前と同じで大政翼賛化し、戦後をきちんと照らして導いていくべきジャーナリズムの怠慢が作ったんだ。僕もジャーナリストの一人として、そういう内省をし、今日も田舎から出てきてジャーナリストとしての役目をちゃんとやろうとしている」

 小泉政権下でアメリカのイラク戦争に加担し、靖国問題で日中関係が一気に悪化していった時期だ。

  信濃毎日新聞紙上で、「『カメラを武器として』報道写真家・福島菊次郎」と題した福島菊次郎論を三回に分けて掲載したのは2007年だ。菊次郎さんのすさまじい生き様を少しでも伝えたかった。昭和天皇の下血報道に際し、「このままとんずらされてたまるか。絶対に奴より先に死なんぞ」と決意し、退院を早めて「戦争責任展」と題した写真パネルを自費制作し、無償で全国巡回させたことを読者に伝えた。昭和天皇の下血報道は菊次郎さんが67歳で、胃がん摘出手術を終えて入院中の時だった。爆弾を抱えて自爆攻撃をさせられる訓練中に戦争が終わった福島菊次郎元二等兵の、最高責任者に対する責任の問いかけだった。

112(2011年9月撮影、さようなら原発デモ)

福島菊次郎講演会と写真展開催
  2007年6月に御茶ノ水の明治大学の教室を会場に、「戦争がはじまる」福島菊次郎「遺言」講演会を開催した。講演会は会場に入りきれない50人ほどにあきらめてもらうほど大盛況だった。私も所属するフリーランス仲間の集まりであるJVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会。02年に広河隆一さんを代表として結成。その後、DAYS JAPANを発行した広河さんは退会し、現在の会員は16名で共同代表制)主催で開催したが、菊次郎さんの名前も仕事も知らない若い世代を中心に、14歳の中学生から70代の高齢者まで、幅広い参加者が集まった。企画した私が司会進行役をし、菊次郎さんが撮影した主要作品をスクリーンに上映して紹介した。講演会のアンケートが反響の大きさと重みを物語っている。

  「自衛隊や三里塚闘争などの、戦後の問題を示した写真の迫力がすごいと感じました。また、それ以上に天皇問題や日本の将来に対し語られる福島先生のすごさにも圧倒されてしまいました。(男性・44歳)」「初めて話を聴くが、すごい人だと感じ入る。「戦場体験」「戦争体験」「裕仁の戦争犯罪」「大本営発表」「権力のウソ」「ジャーナリズムの堕落」「被害者立場のみ主張」「加害者意識の欠如」(男性・74歳)」

 「戦争責任というのは戦場責任のことのみを指すのではない。戦争とは戦前―開戦―戦中―終戦―時には戦後までのすべての局面を言うのであって、すべての局面に責任は生ずるとのメッセージが印象に残りました。既に「戦前」の局面に入っていると思われる現在、主権者たる我々一人一人の「戦争責任」が既に問われ始めているのですね。(男性・34歳)」

 「先日20歳になったばかりで、まだまだ子どもつもりでいましたが、もう自分も責任を負う人間なのだと思いました。自分の子どもや孫の世代に胸を張って生きて欲しい、戦争のある世界を残したくない。今の自分にできること、しなければならないことを考え、行動に移していきたいと思います。(女性・20歳)」

 「日本は戦争を終えると同時に再び新たな戦争へと歩んで来たような気がした。この国がいかに表面的な国であり、いかに危険な状態であるかわかった。いままでは、「国が悪い」という意識で何かと批判してきたが、その責任の源流が国民にあったのだということを思い知らされるような講義だった。このまま恐ろしい未来が訪れるのをただじっと待っているだけというのも非常にむなしいことだと思うが、正直な気持ちとしては、未来は変えられない気がした。(男性・18歳)」

 「誰かがなんとかしてくれるだろう、という考えでは(憲法改正までの)時間は権力者のいいように利用されるだけ」との言葉にギクリとさせられました。福島さんが言うとおり、今、多くの人が、主権者としての能力を失いつつある、というよりその事実自体に無自覚になっているにかもしれません。講演会パート2を是非やってください。(男性・24歳)」

  6年前の講演のアンケート内容だが、まるで昨日今日開催した講演に対する反応のようで、戦中派の体験を持つ菊次郎さんが時代の行く先を読み取っていることがわかる。

20002000年撮影
  
  2008年と2010年には、国立市の市民グループが立ち上げた実行委員会が主催し、府中市のサポーターの力も借りて府中市駅前の広い講演会場で、「遺言」講演会Part2、Part3と開催。2010年は、「写らなかった戦後3 殺すな、殺されるな」の出版に合わせ、本格的な写真展を三日間開催。福島さんが命を削ってまで制作に没頭した一辺90㎝の写真パネルを70数枚展示できた。写真点数にして400点ほどだ。幅広い世代に大きな反響を呼んだ。

 この時の福島さんの「遺言」講演のポイントを紹介しておきたい。

 「日本はポツダム宣言受諾の通告を受けても無条件降伏を即座に受け入れなかった。広島と長崎の原爆は天皇制を救うための代償となった」「日本人は戦争を語る場合には被害しか語らなかった。それでは日本の侵略の対象となったアジアの人々は納得しないだけでなく不信を募らせるだけ。強盗に押し入って殺人した者が、自分が受けた傷を強調しても誰も認めないのと同じこと。日本の平和運動は世界の平和運動に貢献しなかったのは、被害者自身もやられたことばかり言ってきたため。足を踏んだ人は忘れても、踏まれた人は絶対忘れられない」

 「日本は急激に体制翼賛化するでしょう。9条の破棄、国民主権を変える、天皇批判が不敬罪となった戦前の天皇の地位と権力を思わせるような法律も出てくると思う。憲法改正問題も含め、我々自身の良心と尊厳を問われる大事な問題に直面している。どうか矛盾することをやらないように考えてください」「国民の半数以上が憲法を護る投票の結果が出たならば、断固として自衛隊の存続に反対します。私の立場は写真でも明らかなように再軍備反対ですから当然です。お前はどうするかと問われたならば、前回の集会で話したように、自衛隊がなおも存続するならば、そのような大間違いの国でこれ以上生きることを拒否します」 

 まるで参議院選後の今を先取りして警告する内容だ。

原発事故と脱原発運動の取材

 冒頭で触れたが、大震災と大津波の発生、福島第一原発の未曾有の過酷事故直後から、私はJVJAの有志と福島県で取材を始め、3月13日午前10時には、広河隆一さんを含む合計6人で、原発から3.5㎞の双葉町役場と双葉厚生病院に着き、三台の放射線量計で測定した。測定値は1ミリシーベルトを越え、平常時の2万倍の異常さだった。詳細は拙著「鎮魂と抗い~」に書いたが、私の「3・11」取材はそうして一気に高まった。大震災と原発事故は、JVJAがオンラインマガジン「fotgazet」を創刊して一月後だった。合同取材による放射線量や写真はfotgazetニュースで発信し、本体のfotgazetでも定期的にまとめて刊行した。菊次郎さんの広島の被爆者をテーマにした写真も、10数ページに渡ってfotgazet本体に掲載させていただいた。「3・11」後はブログを開始し、取材した記事と写真を逐次発信してきた。

  原発事故の初期報道で不思議だったのは、事件事故天災の発生となれば、先を争って現場に駆けつけるテレビ局や新聞社通信社などの大手メディアに現場で出会わなかったことだ。ジャーナリズムとは、報道機関とは何のために存在するのかを考える上でしつこく指摘しておきたい。住民の安全のために、原発に近づこうとする車輌を止め検問体制を敷くことが職務の警察の姿もなかった。後になり、テレビ新聞各社の取材の自己規制は政府が指示したのではないことにさらに驚いた。住民が自宅に残り、または決死の思いで原発に近い自宅に貴重品を取りに向かっているにも関わらず、記者が現場に入ることを止めたことは驚きだ。
   
 政府や東電に頼らず、自分たちで放射線量を計測する機材と人材を確保し、現場のデータを視聴者や読者に提供できたはずでもある。SPEEDYよりも実測データが貴重な情報源となったはずだ。ジャーナリズムとは何か?菊次郎さんとの対比で指摘すればこういうことだ。70年代に菊次郎さんは、「自衛隊は憲法違反」という信念から、防衛庁(当時)をうまく欺き、政府が国民の目から隠す自衛隊と軍需産業に入り込んで撮影した。国民の知る権利の行使でもある。菊次郎さんは自衛隊広報課の圧力をはねのけ、雑誌媒体で次々と報道した。暴漢に襲われて重傷を負い、不審火で自宅を焼け出されてもひるむことはなかった。

 2011年9月、私は菊次郎さんを福島県内を二日間案内し、三日目は東京の脱原発大集会とデモの現場に立てるように日程を組んだ。菊次郎さんの体調を考慮し、誰から頼まれたわけでもなく、三日間だけの日程で案内したところを映画製作班は撮影したものが「ニッポンの嘘」に生かされた。

 福島県の現場に入る前から菊次郎さんが注目したのは、広島の被爆者が国や行政に見捨てられたままに再建された「平和都市広島の虚構」の構図を見抜こうとした。結論を下すには時期尚早なのかもしれないが。

 報道写真家・福島菊次郎のぶれない生き様と、大手メディアで報道されることの少なかった写真群から、私はジャーナリストの果たすべき役割を学んできた。
 2013年9月、上京した菊次郎さんに新著「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」(2013年、彩流社)の感想を聞いてみた。「今度の本が一番いいね」と言われ、嬉しくなったことを思い出す。菊次郎さんとの出会いが縁で、フォトジャーナリスト魂を学んできた一人として、ようやく使命のいくらかを果たせた気がした思いだった。

9(2009年撮影。写真展を終え、東京から山口県柳井市のアパートに向かう電車内には、菊次郎さんの唯一の弟子である那須さんが同行)

 菊次郎さんが、『戦争がはじまる―福島菊次郎全仕事集』 (社会評論社)を出版したのは1987年。およそ30年前にさかのぼる。かつて跋扈した東南アジアの独裁政権と化しつつある安倍自民公明政権が、「戦争法案」を参議院で強行採決したのは先週のことだ。菊次郎さんは、広島の原爆を6日間の違いで免れた戦争体験と、戦後の報道写真家としての生き様から、日本が平和憲法をないがしろにすることのないように、自衛隊の海外派兵がないようにと警告を発し続けてくれた。

 体重30キロ余の94歳の老いた肉体に、ようやく休息のときがやってきたことを思うと、「菊次郎さん、お疲れさまでした。向こうの世界に渡ったら、どうか私たちの社会が、安倍晋三とその取り巻きがのぞむ戦前に回帰することを世代をこえた協力で、踏みとどまる力を発揮できるように見守っていてください。後は私たちにまかせて、どうかゆっくりお休みください」と話しかけたい気持ちになる。

合掌                                   2015年9月25日  山本宗補

◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
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00180-1-572729

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2015年9月10日 (木)

2015年写真展「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」巡回途中経過・開催希望者募集中

(写真はクリックすると拡大します) 

 昨年は、全国各地10ヶ所以上で開催できた写真展「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」。今年の開催日程と途中経過を報告し、昨年同様に、開催の希望を募集します。昨年の巡回展の詳細な内容は以下のブログ記事をクリックしてください。

2014年8月20日:更新・写真展巡回途中経過報告 「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」 開催希望者募集中

◯姫路市真宗山陽教区同朋会館での写真展(9月4日~6日)
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 姫路市での写真展は今回で二度目。昨年8月に市民会館で開催していただいた。好評だったこともあり、兵庫県内の真宗住職や門徒のみなさんの尽力で、新築されて間もない同朋会館の講堂で開催された。

 102歳の河野さんも車イスで来られた。戦争中に赤紙が来た夫を送り出したという。召集令状の赤紙は「汚い色だった」という記憶が忘れられないようだ。

_8ds1918jpgsumijpgweb新作5点(手前のテーブル)も展示した。展示枚数は70点をこえた。元々は展示室として作られていない広い部屋だが、70歳を過ぎた門徒さんたちが大勢手伝ってくれたので、一見、理想的な写真展空間となっている。


Dsc_0942jpgsumijpgweb手前の新築部分が山陽教区同朋会館。

Dsc_0830jpgsumijpgweb元々は姫路船場別院本徳寺の広い境内の一角に建てられているのが同朋会館。

Dsc_0945jpgsumijpgweb9月6日の日曜日は、本徳寺境内で開催される恒例の楽市楽座。雨天だが、多数の市民が参加し、廊下一つでつながる写真展会場にも足を運んでくれた。

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 写真展期間中、二度スライドトークを開催した。初日はよくない出来だったが、二日目はまずまずの内容になったと思う。私と同年齢の男性数名と戦中に子どもだった女性から親の戦争体験にまつわる話を聞くことができたのが大きな収穫となった

 ・姫路の部隊から中国戦線に送られ、陸軍戦車部隊で南支から内蒙古まで、広い大陸各地で父親が戦闘した体験をかなり詳細に聞いている男性、父親が海軍主計科に属し、戦艦大和に乗り込む予定だったが急きょ乗り込まずに生き残った男性、姫路空襲で赤ちゃんを背負っていた母が気づいた時には、赤ちゃんの頭が破片でざっくりとザクロのように割れていたが、赤ちゃんのおかげで母は死なずに済んだと話す女性など。

 両親の戦争体験を直接間接的に聞いている世代は、戦争の残酷さは自分のことのようにわかっているのではないかと感じる良い機会となった。 

◯立命館大学国際平和ミュージアム展(5月3日~7月4日)7月7日追記
 二ヶ月間という長期の写真展は、主催者によると入場者数約9700人で、ここ数年で一番入った展示となったとのことでした。写真集も期間中に40冊売れたとのことでした。
 何よりも嬉しいのは、立命館大生などの学生や若い世代がたくさん見にきてくれ、70年前の戦争のことを真剣に考える機会となったことでした。

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 講演会後のギャラリートークを含め、期間中、3度のギャラリートークを実施し、一人でも多くの参加者に直接解説しました。

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55_2京都新聞に掲載された記事(5月5日)

 写真展期間中の詳細な報告などはこちらのブログ記事をごらんください。
「始まりました、京都での長期写真展。戦後70年平和企画 山本宗補写真展 「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」

◯京都市東本願寺展(3月27日~4月27日、参拝接待所ギャラリー1階・地下1階)7月7日追記
 真宗大谷派のギャラリーでの写真展は、会期を前後に分け、70点のうち、35点づつを入れ替えて展示することで70点全点の展示となりました。

_aaa0539jpgjpgweb今回の写真展のためのパンフレット。真宗大谷派が戦後50年に出した「不戦決議」いらい、専門部署を設け、展示や出版活動に取り組んできたこともわかる充実した内容。

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 丸木位里・俊作の「原爆の図」はレプリカだが、同時展示という懲りようだ。

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◯都内三鷹展(2015年1月23日~25日)三鷹市武蔵野芸術劇場にて開催。40点展示。
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_aaa0778jpgjpgweb三鷹駅前の便利で広い会場。

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・私の講演は24日に開催し、夕方には鳥居靖さん(人骨問題を究明する会事務局長)の「人骨問題と陸軍軍医学校」をテーマにした講演もあった。25日は、竹見智恵子監督の、フィリピンで性奴隷被害者とさせられたロラたちを描いた『カタロゥガン!ロラたちに正義を!』の上映会も開催された。

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_aaa1043jpgjpgweb主催した三多摩ロラネットの山田久仁子さんが手にするのは、ソウルの日本大使館前に設置された少女像のミニチュア像。抱いてみると存在感を感じるという。

_aaa1032jpgjpgwebフィリピン地図と性奴隷被害者となったロラたちの顔写真が配置された「慰安所」マップ。長辺は約2mの特大サイズ。


_aaa1024jpgjpgwebソウルの日本大使館前での水曜デモ1000回開催を記念して集められたキルトの余りで作られたキルト。

朝鮮新報の記事(1月29日掲載
 「戦争の生き証人がいなくなる時代に、それでも私たちは愚かな戦争の実相を未来の世代に継承していかなければならない。未清算の戦後を終わらせ、自らの加害者としての役割に歯止めをかける時が来ている」。写真展の入口に書かれた山本さんの言葉だ。

 日本軍「慰安婦」をはじめとする日本軍によって蹂躙された国々の被害者の証言の横には、日本軍将兵の加害者としての証言や連合軍捕虜の証言、東京大空襲や原爆を経験した人々の証言が並ぶ。被害と加害の歴史を記録し、伝えたいものは何なのか。

 「30数年前、東南アジアの取材を行う過程で現地の人々から日本軍がそこでどんなことを行ったかという証言を聞いた」。そのことをきっかけに、戦争体験の取材に取りくみ始めた山本さん。その根底には「両親の世代の戦争というのは私たちも当事者だ」という認識があった。

 (中略)

 そして「戦争の記憶を次世代にしっかりと伝えなかったために日本社会における70年前の戦争の捉え方が『私たちは被害者だ』という風に、脆くも反対にひっくり返っている。この数々の写真をみていただければ、日本がいかに加害者だったかということがわかる。そこからスタートして被害者になる。両方です。むごい話だ」と戦後日本の歴史認識の欠如を鋭く指摘する」
  
 以下はWebで読めます。会場写真も数点掲載され、長い記事です。クリックしてください

_8ds0085jpgjpgweb写真展最終日のボランティアのみなさんの意志表示


今後の開催日程(7月時点の日程)
佐久アースデイ(4月25日、20点展示予定、モンゴル式ゲル内部)
京都市東本願寺展(3月27日~4月27日、35点展示、参拝接待所ギャラリー1階・地下1階)終了しました
立命館大学京都国際平和ミュージアム展(5月3日~7月4日、70点全点展示、初日に講演あり)

注:5月以降、写真パネルは立命大国際平和ミュージアム展からは2セットに増やしますので、5月以降も貸し出しできます

(・熊本県水俣市にて原発事故に関する写真展開催(5月29日~6月4日

トーク:福岡市内(2月24日) 終了
トーク:千葉市美浜区 cafeどんぐりの木にて(3月1日)13:30~。原発事故取材のミニ写真展も開催(2月27日から3月10日まで)
講演会:岡山市にて(5月28日)
スライドトーク:早稲田奉仕園(7月11日)
熊本県八代市、やつしろハーモニーホール二階で原発事故取材の写真展開催(8月7日~9日)(8月追記)
姫路「戦後はまだ・・・」展(9月4日~6日)。会場は真宗大谷派山陽教区同朋会館ホール

講演会:千葉県曹洞宗施設にて(11月5日)
・写真展と対談:鎌倉で12月12日、13日。原発事故に関する写真展と吉澤正巳希望の牧場代表との対談。


◯以下は昨年2014年に開催した写真展概要
 講演をした東京母親大会では、一日写真展を開催(12月7日、調布グリーンホール)
_8ds5866jpgjpgweb写真は女性弁護士さんの講演

_8ds5870jpgjpgweb写真展会場。約30点展示


函館展(9月19日~21日、70点全展。会場は函館市まちづくりセンター)
 主催は函館YWCA・ピースプラニング委員会。講演は20日午後開催。広くて使い易い理想的なすばらしい会場だった。

・朝日新聞函館版9月18日:「国内外の戦争体験者らの取材を続けるフォトジャーナリスト、山本宗補さんの写真展「戦後はまだ…刻まれた加害と被害の記憶」が19~21日、函館市末広町の地域交流まちづくりセンターで開かれる。戦争体験者の肖像写真と証言を通して、加害と被害が複雑に絡み合う戦争の実像に迫る写真展だ」

_8ds7849jpgjpgseb写真展会場の函館市地域交流まちづくりセンターは、元は丸井今井デパートだったという。市電の便も最高のロケーション。

_aaa3839jpgjpgweb長時間、くいいるように解説文を読むみなさん。


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_aaa3710jpgjpgweb会場の右手のスペースには、「鎮魂と抗い」とその後の原発事故取材の写真を20点展示した。

大阪府高槻市展(8月29日~31日、70点全点、高槻現代劇場2F展示室)
 主催は写真展実行委員会。ちなみに、会場の隣はマニラで没したキリシタン大名高山右近記念聖堂
 講演会は30日午後に開催。

_8ds5819jpgjpgwebモダンで立派な高槻現代劇場。


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兵庫県姫路展(8月22日・23日、70点全点、姫路市民会館展示室
 主催は山本宗補「戦後はまだ・・・」写真展実行委員会。実行委員会の後藤由美子さん(脱原発はりまアクション)がまとめてくれた写真展開催の総括ブログ(syaku-yuiren)。会場で二度講演。写真集20冊、ほぼ完売。

_8ds5605jpg昨年10月以来、久しぶりに70点全部が展示された空間。たくさんのボランティアさんの協力で、広くて見やすい会場となった。

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・姫路空襲の体験を語る黒田権大さん(85歳)、総合工作芸術家「だるま森+えりこ」さんによる、トークの合間の演奏、山田悦子さんの、「国家無答責」についての講演も会場で開催された。

さいたま市浦和区ギャラリー楽風展(8月1日~10日、50点展示)
 楽風さんとは10数年来のおつきあいがある。写真集を出版するたびに写真展を開催していただく。明治以来の倉の土壁や梁の空間は、どんなテーマの写真を展示しても似合う。
・会場で一式戦闘機「隼」操縦士だった関利雄さん(90)と対談。最終日には緊急事態でインド取材へ。

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_8ds3267jpgjpgweb本人と会場写真。

東京新聞埼玉版に掲載された記事。以下が記事本文。

 「東京都東久留米市のフォトジャーナリスト山本宗補(むねすけ)さん(61)が九年をかけて取材した戦争体験者の顔と声が紹介されている。山本さんは二〇〇五年から戦争犠牲者の遺族らのほか、旧日本軍の元兵士を取材。昨年、全七十人の記録を本にまとめ出版した。

 今回の写真展では、上官に命令され「捕虜を刺殺した」と語る元兵士や、「日本軍に家族を殺され、孤児になった」と話すマレーシア人など五十三人の写真と証言を展示した。
 中国で生体解剖をしたという日本人の元軍医が「生きたまま人を切ると聞いたら、とんでもないことをと思うでしょう。でも、その時の私はひどいという気持ちにはならなかった」と話す生々しい言葉も伝えている。山本さんは「戦争には加害者としての側面があることを、まず知ってほしい」と話す。


「平和のための奈良市戦争展」(7月24日~27日、43点展示)
 会場は奈良市生涯学習センターロビーギャラリースペースにて。
_8ds2837jpgjpgweb奈良市生涯学習センター

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・講演は26日の午後、会場二階の学習室で開催し、写真集5冊完売。

平塚市「平和のかたち展」(第12回「平和を語りつぐ」)、7月16日~20日、40数点展示)
 会場は平塚市中央公民館2F市民ギャラリー。講演日は7月19日(土)に開催

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長野県佐久市アースデイin佐久展(4月11日、11点展示)
_aaa5494webゲルの外見。

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ゲル(モンゴル式)の中での写真展。モノクロパネルは11点のみの展示。
 
ゲルでの写真展は初めてではないが、こうした屋外の自然な空間で、一度は全70点を展示してみたいと思ったほど素敵な空間となった。

山梨県山梨市・街の駅やまなし展(3月25日~29日、45点展示)
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・「戦争写真から平和説く 山梨市で山本宗補さん作品展」(山梨日日新聞掲載記事転載・3月28日(金))
 市内の護憲団体「山梨市9条の会」が企画した。山本さんが、太平洋戦争を体験した国内外70人に取材した写真集「戦後はまだ…刻まれた加害と被害の記憶」から45点を紹介。同写真集は第19回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞している。

 戦争体験者の証言では、中国人を生体解剖したという東京生まれの元軍医の男性の告白を紹介。「生きている人を切ると聞いたら、とんでもないことだと思う。でも、その時はそうは思わなかった」として、「私のような愚かな人間はつくらないように」とつづられている。

 山本さんは「憲法9条改正の議論や秘密保護法が成立するなど、戦争が忘れられつつあると感じられる今だからこそ、写真を通じて、平和の意義を考えてほしい」と話している。

長野県御代田町エコールみよた展(2014年1月29日~2月11日、50点展示)
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・信濃毎日新聞記事(1月31日)
 御代田町出身のフォトジャーナリスト山本宗補さん(60)=東京都東久留米市=が取材した日中戦争や太平洋戦争体験者の写真展が30日、同町エコールみよたで始まった。憲法9条を守ろうと町内の有志を中心に運動する「御代田9条の会」が主催。安倍政権下で集団的自衛権の行使容認への検討がされており、「(行使容認の是非を)現実の歴史を知った上でみんなに考えてほしい」と企画した。2月11日まで。

 ~~旧ソ連によるシベリア抑留の体験者は、飢えや重労働で「毎日誰かが死んだ」と語り、長崎で被爆した男性はやけどで溶けて腐った皮膚を「アリが引っ張ってゆく」と振り返る。

 日本側の加害も伝える。ある元日本兵は、中国で仲間の古参兵が、村の女性を強姦しようとし、抵抗されて井戸に投げ込んだ―と証言。シンガポールの華僑の男性は、日本の軍人に「何をしたいのですか」と尋ねただけのいとこなど家族や親族21人を殺されたと話す。

 山本さんは「若い政治家の間で『あれは侵略戦争ではなかった』という声がまかり通っている。日本人は単なる戦争の被害者ではなかったことも認識し、愚かな戦争をしてはいけないと若い人にも思ってほしい」と話している。

キッド・アイラック・アート・ホール展(2013年10月18日~27日開催)
 写真集刊行を記念した最初の写真展となったキッド展では、二階、三階、四階の各フロアを使って、70点のパネル全部と畳一畳分に近い特大の3点も展示した

ブログでご覧ください
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終了した写真展日程(古い方から下へ)
・長野県御代田町展(1月29日~2月11日)
・山梨県山梨市展(3月25日~29日)
・長野県佐久市展(4月11日)
・山梨県富士吉田市(6月22日) 講演と同時開催
・神奈川県平塚展(7月16日~20日) 
・奈良県奈良市展(7月24日~27日)
・東京杉並ピースフォーラム展(8月1日~3日) パネル貸出のみ
・埼玉県さいたま市浦和区展(8月1日~10日
・兵庫県姫路市展(8月22日、23日)
・大阪府高槻市展(8月29日~31日)
・函館展(9月19日~21日)
・東京母親大会展(12月7日) 講演と同時開催
・三鷹市展(2015年1月23日~25日) 会場は武蔵野芸能劇場


「戦後はまだ…」の写真展 開催希望者を募集中
・開催条件はニ案あります。

1:モノクロ写真70点を全部展示
貸出料金は6万円。1日でも三日でも1週間でも料金は同じです。輸送費は主催者負担。
写真パネルのサイズは一点が長辺56cm×短辺42cm。縦写真は高さ56cmで横42cmと なります。
軽装です。縦写真が44点、横写真が26点です。

写真集本文を約半分程度にまとめたものが解説文(大きさはA3とA4)として各写真に付きます。
70点全部展示するには、かなり広いスペースが必要です。

2:モノクロ写真35点展示
貸出料金は3万円。他は上記と同じです。
こちらの点数の方が、一般的な展示スペースに合うかもしれません。

講演も写真展開催するしないに関係なくお引き受けいたします。

・以下のサイトに詳細がありますのでご覧ください。

フォトジャーナリスト 山本宗補 巡回写真展 開催希望者 募集
あなたの手で、「終わらない記憶」を伝えてゆきませんか

写真集の新聞紹介記事や書評はこちらをクリックしてください(東京新聞、毎日新聞、朝日新聞、琉球新報、信濃毎日新聞など)

私からのお願い
 国内外の途方もない死者と、国土の焦土化という、最も愚かで無謀な侵略戦争を深く反省し、二度とふたたび同じ道を歩まぬことを誓って成立した日本国憲法。
せん
 その憲法さえも勝手に解釈し、海外に自衛隊という軍隊を派兵することができるように、戦前に回帰しようとする安倍政権の人の道にはずれたことを再認識できる写真展です。

 各地の9条の会などが主催者となって写真展は開催されました。どうか若い世代に約70年前の戦争のほんとうの姿を知ってもらう機会をつくってください。


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。

・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729

・銀行振込
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店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130


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2015年7月23日 (木)

新刊(反核)、コラボ(反戦)、沖縄(反米軍基地・反原発)をまとめて紹介

(写真はクリックすると拡大します)

新刊共著「父・水上勉をあるく」
 作家で「無言館・信濃デッサン館」館長の窪島さんとの共著が発売された。
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 「父・水上勉をあるく」(彩流社)は、窪島さんが30歳を過ぎ、自らの出生の秘密を捜し求めた結果、本当の父親は著名作家の水上勉であることを探し当てたことが、読者の共通認識であることから始まるといって良いだろう。実際のところ、窪島さんと水上さんは親子だと知らない人は、文学好きでも多いようだから。

 この写真集は、父の水上さんが文学で表現した故郷や全国各地を、窪島さんがめぐり歩き、父親についての複雑な思いを記したもので、海や田畑などの風景写真も入っている。本の装丁は渡辺将史さん、編集は出口綾子さん。私が彩流社から出版した二冊の本「鎮魂と抗い~3・11後の人びと」、「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」と同じ顔ぶれなので、この写真集で三冊連続となる。

 窪島さんの撮影を始めたのは2007年ころから。2010年8月10日の雑記帳にはこう記している。
               ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 作家の窪島誠一郎さんに同行し、先週の23日と24日の二日間、京都を回ってきた。その時の写真を少し紹介したい。

 窪島さんといえば、作家としての顔よりも、おそらく、長野県上田市郊外の信濃デッサン館と無言館の館主として、より広く知られているのではないだろうか。近年では、戦没画学生らの絵画や彫刻などを常設展示する無言館の知名度は全国的なものとなっている。とりわけ、夏の間は、全国各地から自動車でかけつける訪問者がとても多いのだ。また、都内では、京王線明大前の駅近くに、キッド・アイラック・アート・ホールという5階建ての小劇場とギャラリー、カフェを運営してもいる。

 通称「キッド」は、JVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)が、毎年の秋に写真展やビデオ上映、トークショーを開催させてもらっている会場で、JVJAにとっては我々の活動をサポートしてくれるパトロンのような存在でもある。

 窪島さんは68歳。実父は故水上勉さん。戦争中に結核を患っていたために、幼い窪島さんを、知人に託して養子に出してしまう。窪島さんが自らの出生の秘密を捜し求めて、親子が再会したのは1977年。窪島さんの父親探しは、『父への手紙』として刊行されている。二人は邂逅し、窪島さんは水上さんを信州で看取っている。水上さんが亡くなってから出した本が『雁と雁の子 - 父・水上勉との日々』(2005年)。

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 京都といえば、若狭湾の寒村で生まれ育った水上さんが、9歳で相国寺の瑞春院に入り、得度して青春時代を過ごした街。かくいう私は、窪島さんにお会いする前に、水上さんの「般若心経」を読むとか、「濁世の仏教中村元対談」とか、「一休を歩く」とか「良寛を歩く」などの仏教関係の本を好んで読んでいた。窪島さんも、仕事柄、京都と古くからのつながりがあり、今では、立命館大国際平和ミュージアムには無言館別館がどんとある。立命館大での講演の機会も多いという。窪島さんとは、2002年から始まった「キッド」とのご縁で、また、私自身が信州の出身ということもあり、このような同行する機会につながったのだと思っている。縁というものは不思議だ。
つづきはクリックしてください。2007年、2008年の窪島さん撮影に関する雑記もごらんになれます)
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 実はこの写真集には隠されたメッセージがある。それは、生まれ故郷が原発銀座となってしまったことを嘆き、チェルノブイリ原発事故後に、日本でも同じような人災が起きることを憂いた水上さんの原発に反対する思いと、窪島さんの核や原発に反対する共通の思いを、二人の連名で石碑として建立することを広く知ってもらうことだ。

 その石碑に刻まれる予定の文言は決まっている。建立場所は本書を手にしてみてください

「核」を絵筆で塗りつぶせ ペンで書きあらためよ

「われ問う」:沢知恵さんとのコラボがYoutubeに
 とにかく一度聴いてもらえばわかる。沢さんのピアノ弾き語り。現代の治安維持法となる「秘密保護法」が国会を通過してしまうことに危機感を抱いた沢さんが作った歌に、私の写真集「戦後はまだ・・・」に収録した70人の戦争体験者の肖像写真から30人を組み合わせた5分30秒の動画。映像編集は菅井康博さん。

沢 知恵「われ問う」×山本宗補「戦後はまだ…」

沢 知恵 アルバム〈われ問う〉(コスモスレコーズ、2015年)
うたとピアノ 沢 知恵
公式サイト
http://www.comoesta.co.jp/index.html

Waretou

われ問う
沢 知恵:詞/曲

大好きなおじいちゃん どうしてこの国は戦争したの?
おじいちゃんほどの人が どうして戦争を止められなかったの?
大好きなおじいちゃん ほんとうのこと教えてよ
どうすれば同じあやまちを くり返さなくてすむの

ここまでなら大丈夫と だまって見ているうちに
気づいたら 何ひとつ自由に ものを言えなくなっていた

大好きなお父さん どうしてあの人たちを見捨てたの?
お父さんほどの人が どうして見て見ぬふりをしたの?
大好きなお父さん ほんとうのこと教えてよ
もしかしたら私いま だれかのことを 見て見ぬふりしているの

私なりにかかわり せいいっぱいやったつもりでも
時代の重さとはやさに 押しつぶされて流された

愛する子どもたち 私はあなたを守りたい
はじける笑顔 いついつまでも消えないでほしいから
愛する子どもたち おろかなおとなに語っておくれ
正義と愛とまことと 夢と希望と未来を

いまどうしてだまっているの?
いま何を迷っているの?
だれと生きていきたいの?


 沢さんと知り合ったのは、ビルマ市民フォーラム(PFB)が2008年のスーパーサイクロン「ナルギス」被災者を支援するためのチャリティー・コンサートを開催した際だ。PFBの運営委員をしていた私が、アウンサンスーチーさんの写真を、沢さんといとうせいこうさんの即興演奏と詩の朗読による、「ミャンマー軍事政権に抗議するポエトリー・リーディング」CD用のジャケットに提供した。
_dsc6308jpgsumi沢さんといとうせいこうさんの即興コラボ。2008年


_dsc6360jpgsumiチャリティーコンサート後のサイン会の沢さん。2008年

719lebyqg3l_sl1175_jpgweb「ミャンマー軍事政権に抗議するポエトリー・リーディング QUIET」CDジャケット。写真のアウンサンスーチーさんは1995年に撮影したもの。6年間の自宅軟禁解除直後だった。20年も前だから、スーチーさんも若かった。

Disc01_369_2「谷川俊太郎をうたう」(2014年)

61pdaka13kl_sl1067_jpgweb私の好きなCD。「満月の夕」が最高。


吉沢正巳さんの反原発沖縄行脚に同行(6月22日~25日)
 福島県浪江町の「希望の牧場」代表である吉沢正巳さんの沖縄行脚に同行し、吉沢さんの辺野古新基地反対闘争への連帯と、彫刻家・金城実さんとの「反米軍基地・反原発」コラボの現場を共有してきた。琉球新報には、二回に分けてルポ記事(7月15日と16日)を書かせていただいた。「自然と人間」誌8月号にも長文の寄稿をしたが、せっかくなので写真で少し紹介しておきたい。

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街宣車とベコトラで沖縄上陸後、さっそく米軍キャンプ・シュワブゲート前に駆けつけ、「原発も米軍基地もいらない」と連帯のスピーチ。


Jpgwebベコトラとは、「望郷の牛」を載せた牽引車両。


_8ds7666jpgsumi希少サンゴが群生し、ジュゴンのエサ場ともなっている大浦湾埋立のためのボーリング調査が始まっている。

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_aaa1187jpgsumi米海兵隊キャンプ・シュワブゲート前で、基地建設反対の抗議行動を行う座り込み参加者。

 昨年8月から那覇市から座り込みに駆けつけている70代の女性の言葉を紹介したい。
「参加者が増えるきっかけは翁長知事が誕生してからと思いますよ」。
「沖縄ではアベノミークスといっているんですよ。ミークスって意味わかりますか。安倍の目くそなんかに負けられるか、という意味ですよ」

_aaa1233jpgsumiゲート前の座り込み行動は今日までに380日を超えた。
                    ・・・・・・・・・・

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「慰霊の日」の、安倍首相訪沖に抗議する人々。(県主催の追悼式典が開催される平和祈念公園入り口)


_aaa0275jpgsumi読谷村にある金城実さんのアトリエを訪ね、庭に雑然と置かれている彫刻作品に圧倒された吉沢さん。


_8ds6230jpgweb金城さんは、「慰霊の日」に「魂魄の塔」の脇で開催された反戦集会に、安倍首相に対する抗議行動として、二体の塑像と、辺野古反対闘争の道半ばで亡くなった同志10数名の頭像を持ち込み展示した。

 高さ2mをこえる二体の塑像作品は、辺野古の神を意味する「漁夫マカリー」と、怒りで太鼓を叩き死者を呼び覚ます妊娠中の女性を具象化し鬼の面をつけた「鬼神」。金城さんの真骨頂が鬼気迫る気迫となっている。

_8ds5936jpgsumi二体の塑像と、「望郷の牛」を背景に、この時しか撮れない金城実さんと吉沢さんとのツーショット。

「絶望は、抵抗することでしか希望が見えてこないと魯迅は言ったが、あんたがそうだ」と金城さんは、吉沢さんの抵抗を高く評価した。

 「(原発事故で)避難しながら、沖縄のみなさんの長い苦しみについて理解できるようになりました。だからぼくは沖縄に宣伝カーできた。つながりましょう、福島の苦しみ。沖縄の苦しみ。根っこはつながっています。深い僕たちの連帯と国民の実力で、どうしようもない安倍政権の政治をぶち壊し乗り越えていくしかないでしょう。みんなの人生テーマとして死ぬまで闘おう」(吉沢さんの反戦集会でのスピーチから)


◯雑記帳後記
 京都での長期写真展、佐々井秀嶺師一時帰国、戦争法案反対集会デモなどで、5月からは今までにないくらいあわただしかった。ブログの更新ができなかったのはそのためだ。そこで、新刊紹介と、タイムリーな沢知恵さんとのコラボの紹介を兼ね、吉沢さんの沖縄行脚もまとめてみた。一見、毛色の違った印象があるかもしれないが、実はそんなこともないとわかっていただけると思う。

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2015年5月 7日 (木)

始まりました、京都での長期写真展。戦後70年平和企画 山本宗補写真展 「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」

(写真はクリックすると拡大します)

Photo写真展とポスターの画像。福島県南相馬市の津波の被害を撮影中の福島菊次郎さん(この時90歳)。原発事故が起きた年の秋に、私が被災地を案内した時の写真。

 立命館大学国際平和ミュージアムでの二ヶ月の写真展が3日から始まった。
武力による国際紛争の解決を否定した9条を持つ平和憲法が68歳の誕生日を迎えた記念すべき日だ。

 講演会とギャラリートークも企画されていて、50人ほどが参加してくれた。普段の講演会では中高年がほとんどなのだが、今回は私よりも若い世代も目立つほどで、励みになった。何といっても若い世代にこそ知ってほしいからだ。

 写真展の広報記事は地元の京都新聞が大きく掲載してくれていた。記事を書いてくれたのは編集委員の永澄さん。以下は記事のコピー。
                          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 山本宗補さん(61)=東京都東久留米市=はアジアを主なフィールドとするフォトジャーナリスト。2005年から8年間かけて本土だけでなく沖縄、中国、東南アジアなどで、戦争体験者70人に取材し、その肖像写真と証言をまとめた写真集「戦後はまだ…刻まれた加害と被害の記憶」を13年に出版した。

 今回は、写真集に収められた韓国在住の元慰安婦や、家族と親族21人を旧日本軍に殺されたシンガポールの華僑、中国人を生体解剖した元軍医、シベリア抑留者ら70人のモノクロ写真を展示するとともに、山本さんが聞き取りした証言を紹介。加害と被害が複雑に絡み合う戦争の実態に迫る

 山本さんによると、70人のうち24人がすでに亡くなったといい、戦争体験をどう次世代に伝えていくかが大きな課題だ。「せっかくの大学施設での開催。若い人にも多く来てもらい、日本の戦争加害について考えるきっかけになれば」と山本さんは話している

 7月4日まで(午前9時半~午後4時半、月曜休館、ただし4日は開館)。3日には山本さんの講演とギャラリートーク。大人400円、中・高生300円、小学生200円。問い合わせは同平和ミュージアムTEL075(465)8151。
                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・
◯韓国から李玉善ハルモニが来館(6月28日追記)
 韓国のテレビ局の取材で、李玉善ハルモニ(88歳)がナヌムの家のスタッフ付き添いで来館した。

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李ハルモニの写真の前で、日中戦争を戦い、シベリア抑留となった元日本兵の安田優三さんとの対話が収録された。

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まったく予想外の取材の進行となったが、「こうして一人一人はわかりあえるのに」というハルモニの言葉と、「日本軍慰安婦にさせられた方のお話を直接聞くと、ほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいです」との安田さんの心からのいたわりの言葉に救われる思いをした日となった

_8ds7770jpg李ハルモニと写真の前で記念写真。


_8ds7741jpg大阪の高校生が写真展を観るために来館したら、たまたま李ハルモニの生の声を聞く幸運にめぐり合った。感激していた。高校生は展示されている一人一人の実体験から、戦争の実像をとらえる感性を持っている。

 旧日本軍慰安婦問題解決に、日本政府による本心からの公式な謝罪と補償が欠かせないことはいうまでもない。残念だが、「慰安婦」(=性奴隷被害者)問題は、女性に対する重大な人権侵害との国際社会の視点に目をつむり、侵略戦争さえも認めず、自らの言葉で謝罪することを拒否する安倍自公政権下では、無理な話なのかもしれない。

インド仏教最高指導者の佐々井秀嶺師が来館・ギャラリートーク(6月18日追記)
 11年前から密着取材をしている佐々井師が、高野山での講演などを終え、16日に来館されたので、公開ギャラリートークを開催した。(高野山大学での佐々井師の講演を取材後、私は一足先に京都入りしていた)

 たまたま来館中の参加者も含め、およそ30人ほどにぶっつけトークをさせてもらった。45分で切り上げる予定だったが、1時間をこえてしまったようだ。

 ちなみに、在インド50年余となる佐々井師は、これまでに何度か死を向き合う破天荒な生き様を送ってきたが、昨年8月は危篤状態から復活した。まだまだインドでの使命が完了していないということかもしれない。奇跡的回復の様子は、昨年8月のブログでご覧ください。

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・赤旗掲載記事(6月11日)
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◯林博史先生の講演会(5月30日) (6月1日追記)
_8ds1244jpgsumi写真展会場入り口で林先生の記念写真を撮らせていただいた。


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_8ds1240jpgsumi私のギャラリートークに参加していただいたみなさん。トークは30分のつもりが、40分になってしまった。

 写真集の売れ行きは予想外に好調だと事務局の方から聞いた。


講演会とギャラリートーク(5月3日)
Img_0847jpgjpgweb講演会(韓国人ジャーナリスト・安海龍さん撮影)

Rimg0389jpgweb講演会

Mainichi盛況の出だしとなったのは、毎日新聞近畿版に大きく掲載されたことも大きいようだ。5月2日夕刊に大きく掲載された、大阪本社の山口朋辰記者による記事。

 大見出しは「被害者・加害者70人取材の写真家」「戦争の痛み 伝え続ける」「あす憲法記念日 京都で展覧会」 記事の一部を以下にコピー。

「1985年ごろからフィリピンやミャンマーなどに通い、少数民族の姿や民主化運動を撮影してきた。2005年、「戦後60年」を機に自国の戦争の歴史に向き合おうと考え、戦争体験者の取材を本格的に始めた」
「数々の体験を聞く中で、戦後の憲法が多くの犠牲や反省の上に成り立っていることを実感した」

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

11210514_10205556488285550_20346821ギャラリートーク(韓国人の友人ジャーナリスト・安海龍さんの撮影)


Rimg0398jpgsumijpgwebギャラリートーク

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 尼崎市から参加していただいた日中戦争とシベリア抑留経験者の安田優三さん(94歳)。8年前に安田さんの取材はしているが、残念ながら写真集には収録できていなかった。それでも、安田さんは写真集の刊行と写真展巡回を喜んでくれていた。
 「戦争体験者の声を私たちに代わってしっかりと伝えてくれている」と激励してくれた。ありがたかった。

 この場で、安田さんの日本軍「慰安婦」問題についての持論が、ご自分の経験を踏まえて披露された。中支の日本軍最前線でも、軍隊が兵隊の士気を鼓舞するために慰安所を設営するのに直接関与していたと話された。
これまで頻繁に朝日新聞に戦争体験を投稿し、掲載してもらったことの多い安田さんは、そうした内容を朝日新聞に投稿したが、没になったことも話された。私には、没原稿のコピーを資料に渡してくれた。

ここで紹介しておきたいのは、8年前の取材のとき、安田さんが初年兵教育で捕虜の刺殺も証言していたが、その当時にとても危惧していた思いだ。

「軍部が独走し、天皇を生きる神と利用した侵略戦争だった。いままた戦前に復帰する考えで天皇制が強化される心配がある。きれいな伝統と戦前に回帰する考えを混同したらあかん」

 まるで、安倍政権下の現状を見越していたかのようだ。

_8ds8086jpgsummijpgweb安田さんご夫妻との記念写真。

Rimg0465jpgsumijpgweb_2会場入口で安海龍さんのインタビューを受ける。

55_2写真展初日を取材していただいた京都新聞、森敏之記者による記事。(記事画像はツイッターのフォロアーさんのツイートを借用)
                    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

_aaa3144jpgsumijpgweb2こちらは毎日新聞京都支局の鵜塚健記者による記事。(5月9日追加)


_8ds8070jpgsumijpgweb立命大国際平和ミュージアム入り口。


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_8ds8061jpgsumijpgwebロビーの東西の壁面は手塚治虫さんの火の鳥のレリーフ。中野記念ホール入口の壁は、「未来」を表す西壁

_8ds8077jpgjpgweb火の鳥東壁面。「過去」を表す
東西の壁の間の広いロビー空間は、「現在」を考える場となっているとのこと。

◯展示の様子
_8ds8063jpgsumijpgweb写真展会場の中野記念ホール入口

 入口の特大プリントは福島菊次郎さん。知る人ぞ知る「ニッポンの嘘」の主人公の報道写真家である。輜重兵だった菊次郎さんは、広島城内にある本隊から、原発が投下される6日前に、貨物列車で夜の間に移送され、海岸で蛸壺を掘り、米軍上陸を想定した自爆攻撃の訓練に明け暮れた。敗戦後にわかることだが、九州の日南海岸辺りで敗戦を迎えた。もちろん、広島市内の本隊は壊滅した。

 アマチュア写真家として広島の被爆者一家の凄惨で想像を絶するような貧困生活の一部始終を撮影し、国から見捨てられた被爆者の戦後を写真展、写真集で世に問うた。

 「若いころは国の言うことを鵜呑みにした。同級生の半分近くが戦死した。ボクも軍国主義に追従し、侵略戦争に加担した」

 「靖国神社は若者を死地に駆り立て、ボロ布のように使い捨てた軍国主義の大量殺人装置以外の何物でもなかった。ボクも何度かその生贄になりそうになった」との言葉は、菊次郎さんの侵略戦争を総括する一言だ。

 会場には、写真集で収録した70人の肖像写真と、読みやすく横書きで用意された大きな解説文が付く。天井と壁面には、特大プリント9点も展示されている。


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_8ds8036jpgsumijpgweb西部ニューギニア戦線で、米軍爆撃と飢餓を大怪我に打ち克ち、運よく生還した三橋国民さん。同僚のほとんどが戦没した。


_8ds8052jpgsumijpgweb奥の壁にかかる写真はフィリピンのナルシサ・クラベリアさん。日本軍により両親と小さな弟妹を殺害され、自らは駐屯地に連行され、監禁され、毎日強姦された性奴隷被害者。


_8ds8031jpgsumijpgweb召集される前に英語の能力を生かしたいと陸軍に志願入隊した永瀬隆さん。泰緬鉄道建設でタイ・カンチャナブリの憲兵隊で連合軍捕虜の拷問の通訳をしたことなどを懺悔する。敗戦後に、連合軍の捕虜収容所の遺体捜索に通訳として加わり、1万名以上の捕虜の死を確認した。戦後は一貫して贖罪を形にした生き方をした。


_8ds8095jpgsumijpgweb今回の写真展を企画運営してくれている国際平和ミュージアムの副館長さんやスタッフのみなさん。


_8ds8075jpgwebちなみに、立命大国際平和ミュージアムは、1900年に「自由と清新」の建学精神で創立された立命館大学の、教学理念「平和と民主主義」を推進する素晴らしいミュージアムとなっている。

_aaa6175jpgwebjpg2_2大阪読売新聞5月27日朝刊掲載記事。(6月2日追加)


◯かつての戦争と現代の戦争で変わったのは武器。だが、犠牲者は?

 私が70年前の戦争を身近に感じるのは、内戦などの取材を若干してきたから。1985年から2003年までの東南アジアや中東取材の写真を提示しておきたい。弱者が犠牲となることが変わることはない。使い棄てとなる兵隊も同様だ。

 かつて、「満蒙は日本の生命線」と国民は洗脳されて信じた。「ホルムズ海峡は日本の生命線」と洗脳される時代が到来しつつある。恐ろしいことだ。

1_2フィリピン、1985年

009フィリピン、1985年

Milfフィリピン、2003年

Photoパレスチナ、2001年

Photo_2パレスチナ、2001年

Palestinecryingdeathofneicecemetaryパレスチナ、2001年

96イラク北部、1991年


3イラク北部、1991年

11jpgwebイラク、1991年

22ビルマ、1988年


018ビルマ、1993年


017ビルマ、1992年

12アフガニスタン、2001年


Photo_3アフガニスタン、2001年


Photo_4東ティモール、1999年

Photo_5東ティモール、1999年

◯お願い
写真展は7月4日まで開催しています。ぜひ、戦争を知らない戦後生まれの世代、とくに20歳前後の若者に、70年前の戦争中に、20歳前後の青春時代をすっかり戦争に奪われた体験者の言葉をかみしめてもらいたいと願っています。

憲法さえも勝手に解釈し、海外に自衛隊という軍隊をどこにも派兵することができるように、戦前に回帰しようとする安倍政権の人の道にはずれたことを再認識できる写真展です

・「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」写真展開催希望を募っています。昨年から今年にかけて、10数ヵ所で、市民グループなどの主催で写真展と講演会が開催されました。以下のブログ記事で各会場の様子をご覧いただけます。
「2015年写真展「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」巡回途中経過・開催希望者募集中」
 貸し出し条件などの詳細も明記してありますので、ご検討ください。写真パネルは二セット用意してありますので、立命大国際平和ミュージアム展開催中でも、貸し出し可能です。


◯取材活動支援のお願い
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2015年4月13日 (月)

シンポジウム「朝日新聞問題を通して考える「慰安婦」問題と日本社会・メディア」報告

(写真はクリックすると拡大します)
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 「慰安婦」問題を考える前に、まずこの写真群を見つめてほしい。写真はアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)の入口の壁を埋め尽くした、旧日本軍により「慰安婦」とさせられた性奴隷被害者だ。研究者や市民活動家、写真家などにより、戦争中の性奴隷被害体験を名乗り出た女性たちの顔写真。彼女たちの国籍や居住地は中国、韓国、フィリピン、台湾、インドネシア、東ティモール、オランダ、日本など広範囲にわたる。この女性たちは、氷山の一角に過ぎないということも想像する必要もあるだろう。

  拙著「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」に4人の元「慰安婦」=性奴隷被害者を収録しているが、旧日本軍「慰安婦」の実態は性奴隷だったということは否定のしようがない。「慰安婦」問題は、戦時中の重大な人権侵害であり、朝日新聞が削除した吉田清治証言の否定に左右されることもない。日本の植民地支配、侵略戦争による占領政策が生んだ人間無視であり、日本軍将兵も国民も使い捨てた戦争指導者による犠牲を負わされた女性たちということだ。

日本軍「慰安婦」被害者の記憶をつなぐ写真展と映画上映会
 シンポジウムの本題に入る前に、旧日本軍「慰安婦」被害者の記憶をつなぐ写真展と映画上映会が、なかのゼロで開催された(3月19日~25日)。展示された多数の写真を紹介するところから始めたい。

_8ds5040jpgweb中国の性奴隷被害者コーナー


_8ds5003jpgweb海南島の性奴隷被害者コーナー

 主催は写真展&上映会実行委員会、後援は戦時性暴力問題連絡協議会。会場の壁面は、主催者の女性たちが、これまでに韓国、中国、海南島、台湾、フィリピンなどの現地で、日本軍により性奴隷被害者とさせられた女性たちをインタビューした時の写真などで埋められた。◎

_8ds5014jpgweb各国で女性たちに会い、証言を集め、撮影した主催者、スタッフのみなさん


_8ds5005jpgjpgwebフィリピンの性奴隷被害者のコーナー


_8ds5766jpgweb韓国のハルモニ、姜徳景(カン・ドッキョン)さんが、「慰安婦」とさせられたトラウマを癒す一環で描いた、体験を元にした作品(コピー)も展示された。オリジナルは、90年代に、東京YWCAで展示公開された時に見たことがある。日本軍将兵、桜の木、裸の女性に見事に「慰安婦」問題の本質が描かれている。

 韓国済州島の女性を強制連行したとする「吉田清治証言」が全否定されても、「慰安婦」問題全体を否定するものではない、という最低限の合理的な判断が、常識的にできる写真展だった。数名の性奴隷被害者の体験の一部を読むだけでも、旧日本軍「慰安婦」問題の醜い本質がどこにあるのかを、認識できていなかった人にも実感できる場となっていた。主催者の20年以上にわたる、地道な活動の成果は否定のしようもない。

 映画は別会場で日替わりで上映された。私が見たのは、中国山西省の性奴隷被害者を訪ねてインタビューした「ガイサンシーとその姉妹たち」(班忠義監督)と、在日朝鮮人の宋神道さんの、政府に公式な謝罪を要求して提訴する10年間の裁判闘争を描いた「オレの心は負けない」(安海龍監督)の二本。どちらも「慰安婦」問題のの奥深さ、底なしさを見る者に考えさせる素晴らしいドキュメンタリー映画だった。他に9本が上映されたが、私は一日しか見ることができなかったのが残念だった。「ガイサンシーとその姉妹たち」は、班監督が丁寧な現地取材を克明に活字にした340ページをこえる著書を読んでいたので、とりわけ強い説得力で迫ってきた。
_dsc8149jpg宋神道さん。(2008年11月の第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議にて、山本宗補撮影)

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シンポジウム「朝日新聞問題を通して考える「慰安婦」問題と日本社会・メディア」
 ここから本題。4月5日、東京外国語大のプロメテウスホールで、慰安婦報道問題で激しい朝日バッシングが起きたが、「慰安婦」問題の本質についてのシンポジウムが開催された。500席の会場は立ち見が出るほど。予想された妨害もないまま、桜が散り始めた季節の会場は熱気に満ちた。

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主催 呼びかけ人(50音順):内海愛子(恵泉女学園大学名誉教授)・大森典子(弁護士)・川上詩朗(弁護士)・金富子(東京外国語大学教授)・坂元ひろ子(一橋大学特任教授)・田中宏(一橋大学名誉教授)・中野敏男(東京外国語大学教授)・林博史(関東学院大学教授)

 今回のシンポジウム開催の経緯は、その朝日新聞報道がきっかけだ。主催者がこう記している。

          ・・・・・・・・・・・・・
 「昨年8月、朝日新聞に検証記事「慰安婦問題を考える」が掲載されて以来、常軌を逸した朝日バッシング、理不尽きわまる「慰安婦」問題バッシングが繰り広げられています。
 私たち呼びかけ人は、朝日新聞社が10月に立ち上げた第三者委員会のメンバー構成に問題があるとして同社に申し入れをおこない、またその報告書が出されたのを受けて、今年1月22日にも申し入れをおこなってきました。第三者委員会の報告書や朝日新聞社の対応、さらには日本社会の状況にはきわめて憂慮すべきものがあります。
 そうした取り組みの中で、この問題は朝日新聞だけの問題に留まらず、日本社会とメディア全体に関わる問題であることを確認し、広く各界に呼びかけて、歴史学研究者、法律家、メディア関係者の立場から共同でシンポジウムを開催し、社会にアピールしたいと考えました」
        ・・・・・・・・・・・・

 朝日新聞バッシングと、元朝日記者の植村さん攻撃を憂慮したメディア関係者によるシンポは、昨年秋に続けて開催された。10月15日に開催されたシンポ「朝日バッシングとジャーナリズムの危機」(主催は「創」編集部、アジアプレスインターナショナル、アジア記者クラブ、週刊金曜日編集部ほか。司会進行は篠田博之「創」編集長)も500人以上が集まり盛況だったことは、すでにブログにお伝えした。10人をこえる登壇者の発言も詳しく報じた。この報告と合わせてご覧ください。

 今回は、慰安婦問題や日本の戦争加害の問題を長年研究してきた研究者、それに週刊誌報道やネトウヨによる個人攻撃により、内定していた神戸の大学教授のポストが白紙になるなどの批判の矢面に立たされた植村隆さんも登場する、注目される重要なイベントとなった。

 このブログで紹介する各登壇者の発言などの文責は、山本個人にあることをまずお断りしておきたい。登壇者順にポイントを紹介していきます。

司会進行:中野敏男、金富子(二人とも東京外国語大学教授)
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1:基調報告:林博史(呼びかけ人、関東学院大教授・現代史)
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 林先生は呼びかけ人代表として、安倍政権が登場してからの慰安婦問題の動きについて説明し、昨年、朝日新聞が検証記事を出し、慰安婦問題の専門家が一人も含まれない第三者委員会設置されたことを危惧し、研究者・弁護士の要望書を10月9日に提出したこと、そして第三者委員会の報告書発表を受け、呼びかけ人として朝日新聞に申し入れを行ったことを説明した。詳細な申し入れ内容は配布資料で配られた。

 また、林先生らが、「日本軍「慰安婦」問題の解決をめざし、日本軍「慰安婦」制度に関する歴史的な事実関係と責任の所在を、資料や証言など明確な出典・根拠をもって、提供する」ことを目的で開始した、「Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任」のホームページ上に公開されている。

 この時の要望者のポイント1:1990年代から積み上げられてきた日本軍「慰安婦」問題に関する研究は、吉田清治証言に依拠しない。よって、朝日の吉田証言取り消し記事によってまったく揺るがない。2:朝日の特集記事を根拠に、河野談話の見直しする理由はない
3:第三者委員会の委員に、学術的成果を挙げてきた研究者f一人もいない。女性に対する重大な人権侵害問題なのに、7人の委員中、女性が一人だけのバランスを欠いた構成

・「朝日新聞の慰安婦報道について検証する第三者委員会」への要望者
「朝日新聞の慰安婦報道について検証する第三者委員会」についての研究者・弁護士の要望書を10月9日に提出しました。同日午前中に、呼びかけ人のうち5人で朝日新聞社を訪問し、第三者委員会事務局長と朝日新聞社広報部長代理らに対して、要望書を渡しながら約1時間にわたって、質問をすると同時に要望を伝えました。この時点で、204名のみなさんの署名も渡してきました(その後寄せられた方を合わせて、計237名)。さらに 同日午後2時からは、衆議院議員会館にて記者会見をおこないました。27人のメディア関係者が集まりました。

「慰安婦」報道に関する朝日新聞社第三者委員会報告書と朝日新聞社の「改革の取り組み」に対する申し入れ(2015年1月22日)のご報告
 「朝日新聞への申し入れには、内海、大森、金、田中、中野、林の6人が参加しました。また同時に、歴史学研究会から委員長の久保亨さんが参加されました。~中身のある議論をしたいと考え、編集局長あるいはそれに代わる編集局の方の出席を求めましたが、残念ながら広報部長代理を含め広報部の方しか出てきませんでした」

 この問題は朝日新聞だけではなくメディア全般に関わる問題であり、元朝日新聞記者への脅迫はメディアの問題のみならず大学の学問教育の自由にも関わる問題です。そこで開催されたのがこの日のシンポジウムだった

林博史氏がレジュメにした朝日新聞に渡した申入れ書のポイント。
1:慰安婦問題の本質そのものを否定し、第三者委員会の記事検証という役割から逸脱。
2:女性の人権の視点が欠落。この論点が取り上げられなかった。
3:国際社会に与えた影響についての報告書の結論が間違っている。林香里委員による定量的、客観的な調査の結果が結論として採用されるべきだったが、他の2本の主観的な報告を採用。
4:個別意見の問題点として、北岡委員と波多野委員が、朝日慰安婦報道によって日韓関係がこじれ、和解を困難にしたとする政治的見解を取り入れている事などが、客観的な記事検証といえない。
5:報告書を受けた朝日新聞渡辺雅隆社長の対応は、8月5日、6日の特集内容と比べて大きく後退。

朝日新聞に申し入れた文書はクリックしてご覧ください。

2:歴史学研究者の立場から:松原宏之(『「慰安婦」問題を/から考える』編者、立教大教授)
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「慰安婦制度、あるいは慰安婦は存在しなかったという論点は、公文書など確認できる歴史学研究の観点からは成り立たないことは断言できる」

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・松原氏のポイントの一つは、日常にまで進行する植民地支配の影響抜きに、朝鮮人女性が「慰安婦」にさせられていった構造的背景を理解することは無理がある。戦時の話として限定しまうのではなく、はるか以前からそういう状況が作られていった。さらに、戦後に冷戦構造が終わるまで、「慰安婦」とさせられた女性たちの発言が許されないような社会状況があったことも考える必要があると指摘。
71lkkwexttl松原氏が薦める本

3:法律家の立場から:伊藤和子(弁護士、ヒューマンライツ・ナウ事務局長)
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・韓国の一つの島での「強制連行」に関する一人の日本兵の証言が否定されたことで、朝鮮半島から一人の女性も「強制連行」されなかったといえるのだろうか?
・一つの島での否定により、なぜ強制連行を主張する慰安婦とされた女性たちの証言全てが虚偽だと評価できるのだろうか?
・仮に「強制連行」が否定されたとしても、「甘言、強圧」などの意に反する徴用という実態を否定できるのだろうか?
・[リクルート⇒移送⇒慰安所]での生活という全てのプロセスにおける人権侵害としての実態を否定できるのだろうか?

_aaa9541jpgjpgwen法廷で認定された強制連行=スマラン事件

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_aaa9543jpg国際社会の慰安婦問題に関する評価:クマラスワミ報告とマクドゥーガル報告

_aaa9552jpg国連拷問禁止委員会の日本政府に対する勧告
・締約国による条約上の義務のさらなる違反を防止する手段として、この問題について公衆を教育し、あらゆる歴史教科書にこれらの事件を記載すること。←←伊藤弁護士は国際社会の流れに沿う当然の勧告だが、日本政府は無視し続けていることを指摘。


伊藤弁護士のまとめ:「ウソも100回言えば、真実となるのが今の状況。日本が全体主義に近づいている状況にある。正しいことは正しいと言い続ける必要がある」


4:メディア関係者の立場から:ジャーナリスト 青木理(『抵抗の拠点からー朝日新聞「慰安婦」報道の核心』
著者)
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「誤解を恐れずにいうと、時間との戦いのメディアに誤報はつきもの。オレは誤報などしたことがないと言いきれる人はよほどのうそつきか、仕事をしていないかのどちらか。私にもほおかむりしたい誤報が何本かある。日本に限らないことだと思う。ただし、誤報は訂正し謝罪しなくていはいけないのが大原則。朝日が吉田証言を訂正し、取り消したことが遅きに失したならば批判されて当然」

「朝日新聞という特性もある。日本を代表するメディアがどこかといわれたら、部数では読売かもしれないが、朝日だと思うでしょう。朝日の記者は偉そうな人も多い。実際に紙面に影響力も持っているし、給料も待遇も良いし、取材力もトップクラス。自他ともに認める日本を代表するメディア。朝日がミスを犯した場合、他の新聞よりもことさら批判されるのも止むをえない」


「ただ今回、週刊誌メディアが「売国奴」「国賊」「反日」などという言葉で朝日バッシングをした。「国益を損ねた」と一部の新聞が論評した。ジャーナリズムがメディアを批判するのは構わないが、「売国奴」「国賊」「反日」などとは絶対に使ってはならないというのが最低限の矜持だったはず。それが今回は「国賊」「反日」が平然と飛び交ってしまった」

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「たとえば、イラク戦争で大量破壊兵器があるとして侵略戦争を繰り広げた。しかし、そんなものはなかった。米国の一部メディアがある程度検証し批判したが、日本のメディアは米高官や欧米メディアを喧伝するような形で、山のように大量破壊兵器があるという記事を書いたのに、検証したり訂正したことなど一つもない」

「問題の本質は何か。今回、これだけ朝日新聞がパッシングされたのは、朝日新聞だから、慰安婦問題だから。だからこそこれだけの批判を浴びた」

「知識人の転向はジャーナリズムの転向から始まる」と丸山真男さんは言ったことを引用し、朝日バッシング、植村さんバッシングは、「この国のメディアとジャーナリズムが総転向に入りつつあるという、歴史的事件ではないか」と青木さんは提起した。


5:研究者の立場から:林香里(東京大学大学院教授、朝日新聞第三者委員会委員)
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_aaa9560jpgsumijpgweb_3欧米主要メディアで慰安婦報道を約600本チェックした、その内訳表。

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 林氏は国内メディアも同様にチェック。「国際報道でも国内報道でも、2007年の第一次安倍政権と2012年12月以降の第二次安倍政権以降で報道量が明らかに上がっている。慰安婦報道とは吉田清治氏のことかと思っていたところが、実は安倍晋三氏についての報道なのだとわかった」

_aaa9561jpgjpgweb2007年と2013年のピークぶりから、安倍首相の登場により慰安婦問題が国内、海外での報道が異常に急増していることが明白。

_8ds6135jpgjpgwebjpgweb_3慰安婦に関する記事で引用された公人発言では、安倍首相が圧倒的に多い。第二位が橋下大阪市長。第三位が村山元首相。安倍首相の発言が圧倒的に注目を集めていることがいえる。

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「慰安婦問題は日韓関係が問題だと思っていたところ、必ずしも欧米の報道では、韓国以外の中国、台湾、フィリピン、インドネシア、オランダなどの慰安婦だった人が割と頻繁に引用されていることがわかった。」

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「性奴隷(Sex Slave)という言葉は焦点になった。欧米では慰安婦はSex Slaveと言葉が使われ、定着していることがわかる。昨年11月に読売新聞が突然に「性奴隷」という表現を不適切な表現として撤回すると報じたにも関わらず、大きなニュースにはならなかったことに驚いたことを指摘。

・林香里氏のまとめ:「慰安婦報道について、国内議論と国際議論には大きな違いがあることがわかった。なぜこれほどの違いがあるのかは議論され検証される必要があると思った」

◯6:特別発言:植村隆(元朝日新聞記者、北星学園大非常勤講師、名誉毀損裁判原告)
 20分で私の苦悩と日本社会の抱える問題を話すのは厳しい、と笑いを取ってから開始。身振り手振りも豊かに、壇上を行ったり来たりしてのジェスチャー交えた話しぶり。普段から大学生を飽きさせない講義の工夫を彷彿とさせる印象を強く受けた。
_8ds6294jpgjpgweb植村さんを標的にする一例として、あるヘイトスピーチ本が植村さんをモンスター扱いにし、大学に抗議することを指示する内容の漫画をスクリーンで紹介。「植村隆は万死に値する」とか、犯罪を誘発するような内容だと批判。韓国の日本軍「慰安婦」名乗りで第1号となった金学順(キム・ハクスン)さんに関する署名記事を書いたことの経緯や、朝日以外の同業他紙も同様に金さんの記事を熱心に書いた事実を指摘した。

・植村さんの話のポイントは、1:故吉田清治証言の記事は1本も書いていない。2:旧日本軍「慰安婦」に関する記事は、韓国で元従軍「慰安婦」を名乗り出た最初の金学順(キム・ハクスン)さんについての署名記事を2本書いただけ。3:当時の韓国では、「挺身隊」は「従軍慰安婦」を指した。4:植村さんの朝日の記事の後に、産経も読売も金学順さんを直接取材し、同様の内容の「慰安婦」報道をした。北海道新聞も同様の記事を書いた。5:キーセンと書かなかったのは、キーセンは元々は芸者になるための学校で、「売春婦」ではないからと解説した。

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「産経新聞も91年に金学順さんを取材して、北京に強制連行されたと書いている。被害者に寄り添った記事なんです。読売新聞も同様に「挺身隊」を使った記事を書いている。キーセンとは80年代は韓国の売春観光を指したのですが、元来、キーセンとは韓国の芸者さんのことで、金学順さんは学校に行っていただけ。

 産経も読売も私をバッシングしている代表的新聞ですが、90年代は被害者を取材して被害者に寄り添った記事を書いている。共通しているのは、金さんが意に反して日本軍の性の相手をさせられたということ。90年代はそういう時代でした。金学順さんというカミングアウト第1号が登場し、勇気ある声が世界に伝わった。北海道新聞の記者も「女子挺身隊」の美名の元にと書いた。

 にもかかわらず、私が「挺身隊」ということばを使ったからと標的にされている。これはフェアではない。ジャーナリズムではない。当時のことを今の記者は全く省みないで私を標的にしている。天に唾をはくようなものです」

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 私が朝日記者で署名記事で書いたが、吉田証言は私は一本も書いていません。朝日のリベラリズムへの嫌悪。朝日新聞は戦後は侵略戦争に反対し、アジアとの和解、共存を大きな言論の柱にしたのは事実です。それが好きで私は朝日に入った。

「確かに朝日は恵まれた大きな組織だが、私に関する報道はフェアではない。家族、大学にまで不当で激しい攻撃。私をバッシングするということは、金学順さんをバッシングするということです。被害者の彼女たちの証言が信用できないとか、きちんと聞こうとしない。こうした異常な報道で、世界の常識とかけ離れた大きな報道をしている。慰安婦問題の解決の大きな障害になっていることに気づかないといけない」

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「みなさん、私は捏造記者ではありません。不当なバッシングには決して屈しません」
(会場から大きな拍手)

_aaa0074jpgsumi植村さんを応援する資料集。編集発行は植村応援隊。500円。
 植村さんが朝日紙上に書いた日本の金学順さんの記事から始まり、週刊誌や新聞報道による植村バッシングの内容、北星学園大学への脅迫の内容と経緯などが網羅されている。
 今年初め、植村さんが西岡力氏と週刊文春を名誉毀損で告訴した訴状、櫻井よしこ氏と新潮社などを名誉毀損で訴えた訴状も付いている。
 
 植村さんの書いた2本の署名記事を徹底的に攻撃し、植村バッシングすることで朝日新聞自体を総攻撃する、極端に政治的な動きの中での、植村さんバッシングであることがよくわかった発言だった。


◯7:質疑応答(一部のみ)
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・林博史氏:日本のメディア、知識人とか研究者のあり方を考えるとき、「パク・ユハ現象(筆者注は質疑応答の末尾に)」をどう考えるのかは重大な問題。戦後、革新勢力、護憲派を含め、植民地主義の問題を理解してこなかったという致命的欠点が、彼女の議論が受け入れられてしまうのというのが今の日本の状況だという問題意識を持っている。「慰安婦」の平均年齢は25歳などという、根拠のないデータを出してまで、なぜ彼女は日本を弁護するのだろうか。

 20年の取り組みの中で韓国の運動も変わってきている。日本に対して主張するだけではない普遍的な女性の人権問題という視点を持ってきている。安倍政権が20年来の研究成果、見つかった公文書などをまったく無視してしていることと同じだ。日本人が植民地主義の問題を明らかに理解していないことが、否定派の攻撃が容認されてしまうことにつながっている。

・青木氏:「政権がこれほど公然と露骨にメディア介入したことは戦後初めてだ」「メディアの人間は震え上がったのではないか。これほど徹底的にやられるのかと」「メディアが政権とファイティングポーズを取ろうとする当たり前の姿勢だが、安全運転をしているところは何も言われない。さらに萎縮や自粛が進行する」

・植村氏:「どこの新聞社にも慰安婦問題に飛び込もうとする記者がいたのです。被害者を直接取材した産経の記者も読売の記者も署名記事じゃないから、私のようにどこまでも追いかけられない」
               ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・(筆者注)パク・ユハ現象とは?
 パク・ユハ氏(朴裕河)氏が2014年に朝日新聞社から「帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い」を出版し、日本の知識人が高く評価していること。朝日紙上でも特集された。
 パク・ユハ氏(朴裕河 @parkyuha) のプロフィール(アマゾンから引用)
 1957年、ソウル生まれ。現在、世宗大学校日本文学科教授。慶應義塾大学文学部を卒業後、早稲田大学大学院で日本近代文学を専攻、博士号取得。韓国に帰国後、夏目漱石、大江健三郎、柄谷行人の翻訳など、日本近現代の文学・思想を紹介。『和解のために―教科書・慰安婦・靖国・独島』で第7回(2007年度)大佛次郎論壇賞を受賞)
 本人のfacebookへの投稿<帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い>要約からの矛盾極まる部分を引用しておきたい。いったい彼女は朝鮮半島の「慰安婦」とさせられた女性たちの証言を否定しようとしているのか、何なのか?「日本軍は詐欺や誘拐によって連れてこられた場合返したり、別の就職先を斡旋するように業者に指示したケースがあり、軍として詐欺や誘拐を組織として容認したとは言いがたい。それでも、日本が宗主国として、植民地の女性を差別と強姦と搾取の対象にしたのは間違いない」
              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◯7:大森典子弁護士閉会のことば
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「今の日本社会の現状が浮き彫りになったと思います。日本社会が世界から孤立し、孤立していこうと向かう先は非常に危険なかつての戦争ではないかと。これにどう闘うか、次のステップにしたい。ありがとうございます」
_aaa1330jpgsumijpgweb大森弁護士の著書「司法が認定した日本軍「慰安婦」」(かもがわブックレット、600円)手軽な資料になります。

◯まとめの代わりに、集会の最後にアピールとして会場に呼びかけた、「植村応援隊事務局長・今川かおる」さんの訴えが、安倍政権登場後の日本社会の危機的状況を的確に言い当てているので、今川さんの訴えを以下に引用したい。

「植村さんに関わる理由が二つあります。植村さんに起こっている非難、攻撃は根拠のない言いがかりだからです。私は怒っています。一人の市民としてこの植村問題を見過ごすことができませんでした。いまあちこちの自治体が、憲法をテーマにした集会の名義後援を断るようになりました。原発震災の被害者がいないかのように政府は再稼動に舵を切りました。沖縄で日々起きていることもそうです。
 すべての根っ子は同じだと思います。ここで押し返さなければ、やがて私たちも植村さんと同じように理不尽な闘いを強いられることになると思います。専門家だけに任せていてはいけないと思います」


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。

・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729

・銀行振込
城南信用金庫
店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130


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2014年12月 8日 (月)

投票前の参考に。「日本国憲法を考えるために」寄稿文(現代用語の基礎知識2014年度版)

(写真はクリックすると拡大します)

_8ds6243jpgjpgweb12月10日追加写真。

 秘密法(秘密保護とは名ばかりの情報隠し法なので、今後はこの名前を使用)に反対する学生らSASPLの呼びかけで行われた首相官邸前抗議の一枚。
安倍自民公明党連立与党が、民意に聞く耳を持たない一例に過ぎないのが「秘密法」だ。民主主義を否定する政府の横暴に見て見ぬふりをしていていいのだろうか。

有権者の無関心は、必ず若者たち、未来の子どもたちにはねかえってくる。


_8ds4919web2014年6月

アベノミクス失政誤魔化し選挙
 3年続けて国政選挙がある。しかも大震災・原発事故後の三年間だ。
とりわけの今回の700億円近い費用を使った衆議院の解散総選挙は国民を愚弄した話だ。
2年前の年末総選挙の投票率が低いことと、自民党に有利な小選挙区制が温存されたまま、1票の格差も違憲状態のままだ。

 安倍自民公明政権は、アベノミクスの失政のために、年越し後の景気悪化と支持率低下を想定し、駆け込み解散総選挙を実施したのだろう。すべて計算づくでこれほど卑怯なやり方はない。

 今日発表された内閣府の7〜9月期国内総生産(GDP、季節調整済み)の改定値が、年率で1.9%減となったことでも景気の悪化は明らかだ。

「生活実感に近いとされる名目GDPも0.9%減、年率で3.5%減と、速報値(0.8%減、年率3.0%減)から下方修正された」(毎日新聞web2014年12月8日)

「円安を原因とした企業倒産は13年が130件、今年が11月までで301件と急増」
「足元の円安による関連倒産は年明け以降、本格的に出てきそうだ」
(ロイター通信社web 12月9日)

 つまり、1ドル120円をこえる円安の加速に伴い輸入価格の上昇で、さまざまな製品の値上げが目白押し。来年の景気はさらに悪化し、厳しく批判される前に総選挙で議席を維持しようという狙いだ。政治資金の不透明な使い方で女性大臣がドミノ辞任したこともリセットできる。原発再稼動に対する批判も誤魔化せる。秘密保護法批判もかわせる。集団的自衛権行使容認批判もかわせる。原発輸出批判も武器輸出批判も、ことごとくチャラにすることを狙った年末総選挙だ。
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_aaa6532jpgjpgweb女性活用を宣伝文句にうたう安倍内閣の女性大臣ドミノ辞任(テレビ画像から)
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アベノミクス失政をごまかすため、リセットする(=二年間のすべての暴走を御破算にする)総選挙以外の何物でもない。

12月14日が衆議院選挙投票日、自民党、公明党には投票しない投票日だ

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 安倍政権の菅官房長官が、「争点は政権が決める」などと、民主主義を馬鹿にしたことを平然と言ってのけた。
争点は有権者が決めるに決まっているではないか。安倍首相に追随する大手メディアが決めることでもない。
少しでも政治に関心を持ってきた有権者ならば、安倍首相の暴走2年間を断罪する。
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 ここでは、安倍自民公明政権下での、憲法改悪の動きを非難する小文を掲載しておきたい。
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◯現代用語の基礎知識
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 12月8日は日本軍海軍が真珠湾を奇襲攻撃し、同時に陸軍がマレー半島に上陸し、米英の連合軍を敵に回すアジア太平洋戦争が開戦した日が。敗戦後に誕生した日本国憲法を考える上で相応しい日でもある。民主的な憲法を解釈改憲し、戦前回帰する安倍自公政権の過ちを考えるのにももってこいだ。

 現代用語の基礎知識2015年度版が編集者から送られてきた。あの分厚い辞書のような本だ。たまたま二年続けて写真を提供したり、拙文を寄稿したりしたためのご配慮のようだ。
 実は2014年度版の巻頭特集が「憲法のこと、どう考えてますか?」という識者48人のアンケートが掲載されている。そこに、私のアンケート回答文も掲載されているので、転載したい。
(「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」を出版したのが、アンケートを問われた理由だと思っている)
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 ちなみに、48人の識者とは、内田樹氏、中村桂子氏、鶴見俊輔氏、鈴木邦男氏、田勢康弘氏、小林節氏、香山リカ氏、宮台真司氏などだ。

 設問が6つあり、私は4の「自由民主党が掲げる改憲草案が話題となっています。どのような評価をなさいますか」に対して以下のコメントをした。
(ちなみに、憲法学者で弁護士の小林節慶応大教授は、「喧嘩の助っ人のような海外派兵は慎むべきである」と結んでいる)

山本宗補のアンケート回答
 「自民党憲法改正草案は、民主主義とその政治体制の根幹となる「主権在民」思想を意図的に否定しようとしていることに尽きる。国=政府が国民を監視し指示を出す体制への布石だ。いま改憲を優先する発想は、大震災と原発事故により何が失われたかを理解しない無神経で無責任な政治姿勢に他ならない。

_aaa3351_482014年2月撮影

_aaa3579jpgweb_8同2月撮影

 自民党政権が原子力発電を長年推進し続け、再生可能エネルギーの推進に逆行する「原発ルネサンス」を狙っていた責任を回避し、国民の怒りの矛先を変えるために出してきたともいえる。大震災と未曽有の原発事故により、どれほどの国民が家も財産も失い、狭い仮設での生活を余儀なくされていることか。除染効果の見えない放射能汚染により、故郷が、自治体が丸ごと奪われ、国土の一部を喪失したに等しい国家危機に対し、政府が優先すべきなのは憲法改正なのだろうか原発事故の収束を図り、国際社会の信頼を取り戻すことと、避難住民の定住と生活再建、国の経済再建とが最重要課題ではないだろうか。
Plc13042720530012p1産経新聞webから

自民党改憲草案は、侵略戦争という認識をごまかし、加害者としての反省の意思がない「歴史修正主義」の産物だ。現憲法の第9条は国権の発動たる戦争を否定し、武力行使で国際紛争を解決することも否定した。日中戦争からアジア太平洋戦争中に失われた310万人の日本人犠牲者と、2000万人に及ぶとされるアジア各地の人々の犠牲に対する深い謝罪と反省の気持ちが生かされている。現憲法前文を変え、政治を司ることのない「象徴」である天皇を「元首」にし、第9条第二項を削除し国防軍を保持するという改憲草案は、戦前への回帰そのものだ。戦後民主主義を全否定することと変わらない。

 為政者の都合に応じた改憲を容易にするために第96条改正を狙う発想は、低投票率で誕生した保守系世襲議員がばっこする国会を、歯止めのない多数決で何でも決まってしまう伏魔殿にする。傲慢で民主主義を自ら否定する恥知らずな行為だ

12月14日が衆議院選挙投票日、自民党、公明党には投票しない投票日だ。投票率が低ければ自公政権批判派が負ける。
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2013年12月

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2013年12月16日 (月)

第19回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞授賞しました!Won a Peace & Coorperative Journalist Fund of Japan Award's Encouragement Award.

(写真はクリックすると拡大します)

おかげさまで、写真集「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」(彩流社)が、第19回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞しました。12月14日には授賞式がありました。
121423(レイバーネットTVさんから借用)

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 以下は「平和・協同ジャーナリスト基金」からの発表内容と作品の概評。受賞スピーチのポイントと私が撮影した写真を組み合わせました。
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大賞に東京新聞憲法取材班の「憲法に関する一連の連載企画」

第19回平和・協同ジャーナリスト基金賞を発表
  平和・協同ジャーナリスト基金(PCJF)は12月3日、2013年度第19回平和・協同ジャーナリスト基金賞を発表しました。選考にあたっては、推薦、応募合わせて74点(活字部門39点、映像部門35点)が寄せられましたが、鎌倉悦男(プロデューサー・ディレクター)、佐藤博昭(日本大学芸術学部映画学科講師)、清水浩之(映画祭コーディネーター)、高原孝生(明治学院大学教授)、前田哲男(軍事ジャーナリスト)、森田邦彦(翻訳家)、由井晶子(元沖縄タイムス編集局長)の7氏からなる選考委員会で審査の結果、8点が入賞となりました。

基金賞=大賞(1点)
  東京新聞憲法取材班の「憲法に関する一連の連載企画」

奨励賞(6点)
  ★朝日新聞オピニオン編集部、磯村健太郎・山口栄二両記者の「原発と裁判官 なぜ司法は『メルトダウン』を許したのか」(朝日新聞出版)

  ★沖縄タイムス社「基地で働く」取材班の連載「基地で働く 軍作業員の戦後」

  ★長崎放送の「静かな声」(2013・5・30放映)

  ★共同通信社記者、舟越美夏さんの「人はなぜ人を殺したのか」(毎日新聞社)

  ★フォトジャーナリスト、山本宗補さんの写真集「戦後はまだ…刻まれた加害と被害の記憶」(彩流社)

  ★労働者と市民のためのメディア「レイバーネットTV」

◆特別賞・持続する志賞(1点)
  熊本日日新聞社のキャンペーン「水俣病は終わっていない」

 候補作品は推薦、応募合わせて74点にのぼりましたが、これは前年度より5点も多かった。しかも活字、映像部門とも大作や力作が多く、入賞作をしぼってゆくのに時間がかかりました。

■大賞にあたる基金賞には、東京新聞憲法取材班の「憲法に関する一連の連載企画」がが全員一致で選ばれました。
 2012年暮れに発足した安倍政権は、日本国憲法改定に並々ならぬ意欲を燃やし、そのための準備を着々と進めています。新聞の中には、これに強い危機感を覚え、改定反対・憲法擁護の論陣を張るところが出始めましたが、中でも東京新聞のキャンペーンが際だっています。とくに「検証・自民党改憲草案――その先に見えるもの」「憲法と、」といった連続的な連載が審査委員の関心を集めました。そして、「これらの連載をみると、東京新聞がいかに頑張っているがよく分かる」「圧倒された」「紙面にみなぎる熱気に感銘を受けた」「他紙をやめて東京新聞を購読しようかと思った」といった賛辞が相次ぎました。
_8ds4449受賞スピーチは早川由紀美さん。

「去年の前半は脱原発の大きなうねりの中にいました。しかし、結果として自民党が大勝し、原発再稼働へと舵を切った。参議院選までに憲法をきちんと伝えたいことではないか。自民党の改憲草案が実現すれば、3・11の痛みだけでなく、戦争の痛みまでもなきものにされてしまうのではないかと思うようになりました。憲法と向き合うとは、この国のいびつさとか限界と向き合うことだと思ってきました」

「当たり前に思っていた民主主義の土台がゆらいでいます。志のある人たちが自らの人生を賭して守ってきた社会を簡単に諦めるわけにはいきません。これからも硬い岩盤に一滴一滴水をたらすように私たちも一本一本の記事を発信し続けるしかないと思っています。この賞が大きな励みになります。ありがとうございました」

奨励賞には6点が選ばれました。活字部門で4点、映像部門で2点です
 まず、朝日新聞オピニオン編集部、磯村健太郎・山口栄二両記者の「原発と裁判官 なぜ司法は『メルトダウン』を許したのか」は、これまで原発訴訟を担当してきた裁判官にインタビューし、司法が原発にどうかかわってきたかを明らかにしたものです。裁判官は、これまで自らが担当した原発訴訟を語ることはほとんどありませんでした。それだけに、選考委員会では「ガードの堅い裁判官に語らせようという両記者の執念は特筆に値する」「現在行われている原発訴訟の裁判官、原告、弁護士に多くの示唆を与える内容だ」といった声があがりました。
_8ds4454スピーチは磯村健太郎さんと奥の山口栄二さんが交代で話した。

「この賞は取材に協力してくれた元裁判官に与えられた賞でもあります。司法の世界には裁判官は語らずという掟がありますが、タブーを破って語ったくれた裁判官がいます。私たちは原発訴訟の全体像を描きたいと考えました。何十の裁判が行われた中で、住民側勝訴は二件しかありません。高裁で逆転住民勝訴判決がありましたが最高裁でひっくり返されました。司法は原発を裁けるのかと考えました。司法は国策の原発を追認し、加担したと言ってもいいかもしれません」「最高裁はここぞというときには、圧力に弱い組織です。」

 沖縄タイムス社「基地で働く取材班の連載「基地で働く 軍作業員の戦後」は、米軍基地で働いてきた人たちに、その経験を語らせた重量感ある企画です。基地での労働を通じて沖縄の人たちが米軍から受けてきた差別や人権侵害、基地労働がもたらす危険が余すところなく明らかにされており、選考委員会では「沖縄戦後史の空白を埋める貴重な証言集」とされました。
_8ds4461スピーチは磯野直さん。

「2012年4月から139回連載。基地作業員がどんな仕事をしてきたのか。ベトナム戦争で使われる砲弾を充填してきた女性が実名で話してくれたこともあるが、取材がOKとなっていて自宅に伺ったら、土下座して語らなくなった人もいた。印刷直線に公表は止めてくれと連絡してきた人もいる。権力が植え付けた記憶は、まだ安心して語れる環境になっていない」

 共同通信社記者、舟越美夏さんの「人はなぜ人を殺したのか」は、著者が2001年から02年までカンボジアのプノンペン支局に勤務した際、ポル・ポト派元幹部のほとんどに会い、インタビューした記録です。ボル・ポトを除く最高幹部への長時間インタビューに成功した外国人記者は他にはいない、とされていますが、舟越さんはインタビューを通じて彼等になぜあれほどの大虐殺を行ったかを鋭く迫ります。読後感はまことに重く、読者は、戦争とは何か、大国と小国の関係といった問題について深く考えさせられます。選考委員会では「取材力と表現力に優れており、大賞に値する」という感想が述べられました。
_8ds4477舟越美夏さん。

「遠い南の国の話なんだけれども、人間の業とか普遍的なものを孕んでいたテーマ。人間のもろさ、危うさ、残酷さ、生き残るとはどういうことか、秘密主義の行き着く社会とは、集団の恐ろしさ、異なる意見を赦さない社会とは、正しいと信じることのために人を殺すとはどういうことか、純粋すぎることの恐ろしさ。大国のエゴとは。数々のテーマに魅惑されました。カンボジアのことよりも普遍的なテーマを書きたかった」


 フォトジャーナリスト、山本宗補さんの写真集「戦後はまだ…刻まれた加害と被害の記憶は、8年の歳月をかけて取材した、国内外の戦争体験者70人の肖像写真と証言を収録したものです。原爆被爆者、シベリア抑留者、戦争孤児、中国残留婦人、特攻隊員、抗日ゲリラ、従軍慰安婦、BC級戦犯……。その証言は生々しく、「敗戦から68年を迎えたが、戦争はまだ終わっていない」という思いを強くします。選考委員会では「写真に訴える力がある」「戦争の記憶が薄れつつある今、こうした記録は極めて貴重」とされました。
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「東南アジアの取材から初めて、超高齢化社会を前にしたお年寄りの取材をする中で、戦争体験をしっかりと聞き取らないといけないと思うようになりました。本格的に取材を始めたのは小泉政権、安倍政権の時です。戦争体験者にとっては、私が息子と同じ世代なので、聞き取るにははまり役だったかもしれません。
 昨年の今ごろ、安倍政権が復活したので、ジャーナリストの一人としてやれることをやらないといけないと思い、できるだけ早く戦争体験者の取材をまとめようとしました。参議院選までに間に合わせたいと思ったのですが、間に合わず、何とか夏までに出版できました。

 先週の国会周辺は、安倍政権に怒り市民がものすごく集まってきました。怒りの声は「ファシスト失せろ」に象徴されたほどです。今後は、写真展を全国で開催し、侵略戦争だったこと、戦争指導者が無謀は戦争を延々と長引かせたことが事実であることを伝えていきたい。戦前に回帰しようとする政府や権力者にジャーナリストとして抗って行きたい」

 このほか、活字部門では、森宣雄・鳥山淳編著「『島ぐるみ闘争』はどう準備されたか」(不二出版)、前泊博盛さんの「本当は憲法より大切な『日米地位協定入門』」(創元社)、塩田武史さんの「水俣な人」(未来社)が最終選考まで残りました。


■映像部門では、政治や経済などさまざまな面で日本の「空気」が大きく変わり、前途多難が予想される時代になったことを踏まえて、これから「求められる」であろう映像表現を予感させた2作が奨励賞に選ばれました。

 まず、長崎放送制作のドキュメンタリー「静かな声」(ディレクター・岩本彩さん)は、長年、被爆体験の語り部を務めてきた松添博さんを主人公に、戦争当時の記憶を次の世代にどう継承できるかを改めて考えさせる秀作でした。80歳を過ぎた松添さんは咽頭がんのため声を失った後も人工咽頭を使って子どもたちに語り続けようと、懸命に発声練習を続ける。その姿を、松添さんの孫の世代にあたる作者が静かに見つめ、やがて伴走するかのように「68年後の世界」を映像で発見していく展開が素晴らしい、とされました。
_8ds4469岩本彩さん
「長年、核問題を報道してきた先輩記者から、声を失った松添さんから私自身が何を学ぶかを期待したいといわれました。長崎でも原爆のニュースは視聴率を取れない日の当たらないところになりつつあります。松添さんが声を失っても原爆の体験をこんなに伝えようとしているのに、自分は気づかずに日常を過ごしていたことに気づかされました。その感覚を番組を通じて伝えることができればと考えました。筆談で松添さんとコミュニケーションを取るため、なかなか心を開いていただけず、苦労しました。ただ、松添さんの変わりつつある表情を捉えたカメラマンの映像の力に助けられました。放送はスポンサーが付かず、深夜3時頃の放送となりました」

  「レイバーネットTV」(製作・レイバーネットTVは、労働者と市民のためのテレビ番組です。2010年5月にスタート、毎月2回の生放送。各回の特集コーナーではゲストを招き、労働問題をはじめ政治、経済、外交、教育など、幅広いテーマで討論を行っている。既存のテレビ局では奥歯にモノのはさまったようなコメントしかしない話題を、あえて積極的に討論してゆく面白さが評価されました。選考委では、今後、視聴者が増え、番組内容もさらに充実すれば、テレビ局にも刺激を与える存在になるのでは、と期待する声がありました。
_8ds4483松元ちえさん。
「放送を始めたころのスローガンは、労働者の労働者による労働者のためのメディアでした。労働者の権利とか、労働組合の重要性を知ってもらおうと始めた。なぜインターネットかというと、既存のテレビではスポンサーがあるために、労働者が闘っている企業の名前がだせないとか、報道できないことがあるため。大震災の後からは、大手メディアのできない報道を、スポンサーのついてない私たちだからできる報道がありました」

「手弁当でやっているインターネットTVのニーズが広がってきた。批判しあうよりも、大手メディアと刺激し刺激されるような関係になっていきたい。スタッフは13人いて、交通費は出ますが、一人を除いて全員がボランティアでやっています。二年半続けてこられたのは、仲間や市民のみなさんからこういうものを取材してほしいという声が届くようになり、一緒になって番組を作るようになったことも大きい」


熊本日日新聞社のキャンペーン「水俣病は終わっていないには特別賞の「持続する志賞」を贈ることにしました。「公害の原点」とされる水俣病が公式に確認されてから57年が経過しましたが、その被害の全容はまだ明らかにされず、今なお救済されない被害者が多数いるとされています。同社は、キャンペーンを通じてこうした実態を訴え続けており、選考委では「地元紙として長期にわたって水俣病問題を粘り強くフォローし続けていることに敬意を表したい」「地元住民の視点で問題を見ているのも称賛に値する」と評価されました。
_8ds4487岩瀬茂美さん。

「14部続けていますが、連載はまだ終わっていません。最高裁は今年、国の基準よりも広く水俣病と認める判断をしました。水俣病の長い事件史を振り返ると、国や原因企業が被害を小さく抑えこみ、水俣病を早く終わらせようとする動きが繰り返されてきました。水俣病発生当初、経済成長優先の考え方が水俣病の被害を拡大させたと思っています。その姿勢はいまでも何か変わったのかと。国や原因企業は被害の実態に真摯に向き合っているのかと思います。同じような構造が福島の原発事故にも重なります。国と原因企業だけが情報独占しています。地域は環境が破壊され、風評被害に悩まされ 人間関係が引き裂かれていきます」

「被害者の小さな声に耳を傾け、一人一人の命の重さを訴えることが私たち責任ではないか。「『見てしまった責任がある』と原田先生はいつも言ってました。。私たちは地元紙として、『見てしまった責任があり、これを伝え続ける責任がある』と思っています。今後も息長く水俣報道を続けていきます」


■荒井なみ子賞は該当作がなく、本年も見送りとなりました。

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 以下はこれまでの受賞作の一例です。詳細は平和・協同ジャーナリスト基金(PCJF)のホームページをごらんください。

・第18回平和・協同ジャーナリスト基金賞(2012年)
◆基金賞=大賞(1点)
ジャーナリスト 布施祐仁さんの「ルポ イチエフ~福島第一原発レベル7の現場」(岩波書店)

◆奨励賞(7点)
★阿武野勝彦・片本武志共同監督の「長良川ド根性」(東海テレビ)
★河勝重美・ヒロシマ「原爆地獄」を世界に弘める会代表(奈良市)編の「ヒロシマ原爆地獄 日英二カ国語版」(自費出版)
★上丸洋一・朝日新聞編集委員の「原発とメディア」(朝日新聞出版)
★ジャーナリスト・生協研究家、西村一郎さんの「協同っていいかも?」(合同出版)
★ハイロアクション福島原発40年実行委員・武藤類子さん(福島県田村市)とフォトジャーナリスト・森住卓さんの「福島から あなたへ」(大月書店)
★琉球朝日放送制作の「標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~」
★琉球新報社の「米海兵隊のオスプレイ配備に抗う一連の報道」


・第17回平和・協同ジャーナリスト基金賞(2011年)
◆基金賞=大賞 (1点)
報道写真家・樋口健二氏の写真集「原発崩壊」(合同出版)

◆奨励賞 (5点)
★石山永一郎・共同通信編集委員の「ケビン・メア米国務省前日本部長の沖縄に関する  発言報道」
★長崎放送製作の「封印された核~元兵士が語る在日米軍の真実~」
★ジャーナリスト・向井嘉之、翻訳家・森岡斗志尚両氏(富山市)の「イタイイタイ病  報道史公害ジャーナリズムの原点」(桂書房)
★琉球新報取材班の連載「ひずみの構造――基地と沖縄経済」
★大石光伸・常総生活協同組合副理事長(茨城県)の活動
★石田優子監督作品「はだしのゲンが見たヒロシマ」(製作シグロ、トモコーポレーション)
★テレビ朝日、東京サウンドプロダクション製作の「誰も知らない『玉音放送』~“日本のいちばん長い日”の真実~」


・第11回平和・協同ジャーナリスト基金賞(2005年)
基金賞(2点)
◆沖縄タイムス社と神奈川新聞社の共同企画「米軍再編を追う 安保の現場から」
◆毎日新聞社の「特集『戦後60年の原点』シリーズ」

奨励賞(6点)
◆女優・斉藤とも子さん(神奈川県)の「きのこ雲の下から、明日へ」(ゆいぽおと)
◆信濃毎日新聞社報道部取材班の連載「日中を生きる」
◆フォトジャーナリスト・鈴木賢士氏(東京都)の
「父母の国よ――中国残留孤児たちはいま」(大月書店)
◆NPO法人太平洋戦史館(岩手県衣川村)の
「太平洋戦史館―LEST WE FORGET―」
◆長崎放送制作の「銃後の村」
◆福井テレビジョン放送制作の
「有沙と私 それぞれの壁~日本に嫁いだ中国人妻を追って~」

・第5回平和・協同ジャーナリスト基金賞(1999年)             
基金賞(1点)
◆ フォトジャーナリスト、広河隆一氏(東京都)の「写真記録 チェルノブイリ消えた458の村」

奨励賞(6点)
◆ 朝日新聞原爆投下取材班「原爆投下55年目の真実」(朝日新聞)
◆ 朝日放送、株式会社才SAI(東京都)制作の驚きももの木20世紀スペシャル「シベリアの奇跡--『妻よ!』『子供たちよ!』収容所から届いた遺書」
◆ 諏訪中央病院院長、鎌田實氏(長野県茅野市)の「鎌田實がたずねる地域医療の先達 若月俊一・早川一光・増田進」(医歯薬出版株式会社「月刊総合ケア」99年8月号)
◆ 北日本放送(富山市)制作の「鍋割月の女たち~米騒動から80年~」
◆ テレビ東京、クリエイティブ21(東京都)制作のドキュメンタリー劇場「みすてられてなるものか」
◆ フォトジャーナリスト、森住卓氏(東京都)の「セミパラチンスク」(高文研)

・第1回平和・協同ジャーナリスト基金賞(1995年)
基金賞(2点)
◆ フォトジャーナリスト、豊崎博光氏の「アトミック・エイジ」(築地書館)
◆ NHK長崎放送局とNHK福岡放送局共同制作の「長崎 映像の証言~よみがえる115枚のネガ~」

奨励賞(6点)
◆写真家、石川真生さんの「沖縄と自衛隊」(高文研)
◆ 書家、作家、上原順子さんの反核・平和に関する短歌、小説など
◆ 栗原淑江さんの「自分史つうしん ヒバクシャ」
◆ 神戸医療生活協同組合の 「おまえらもはよ逃げてくれ-阪神大震災 神戸医療生協の記録」
◆ 中国新聞労働組合の「ヒロシマ新聞」
◆ ルポライター、西野留美子さんの「日本軍『慰安婦』を追って」(マスコミ情報センター)
                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

PS:筆者の取材活動のサポートはこちらをごらんください→フォトジャーナリスト山本宗補プロジェクト支援

・こちらは「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」写真展巡回展 開催希望者 募集Webです。
      「あなたの手で、「終わらない記憶」を伝えてゆきませんか」


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