日記・コラム・つぶやき

2024年5月31日 (金)

三度目の能登半島。棄民なのか?!大震災からまもなく5ヵ月なのに・・・

能登半島大震災被災地取材の三回目の報告をかいつまんでしたい。

ちょうど、希望の牧場・よしざわの吉沢正巳さんが、新潟県柏崎市と石川県羽咋市で講演をするというので、吉沢さんに同行し、次いでに吉沢さんを輪島市の被災現場に案内し、そこから南下し、志賀町の志賀原発の前を通り、羽咋市の講演会に向かう形となった。

東電柏崎刈羽原発原発→→→石川輪島市→→→志賀原発→→→羽咋市講演。

その後の三日間を輪島市→→→珠洲市→→→珠洲市寺家の中部電力原発建設予定地という流れで取材することができた。

〇希望の牧場の吉沢正巳さんの講演と被災者の視点から見える大震災被災地

_yyy4190suweb輪島市朝市の大規模火災跡に立つ吉沢正巳さん

_yyy4007suweb _yyy4037suweb東電柏崎刈羽原発と柏崎市で講演

吉沢さんは、講演では必ず、両親が新潟県からの満蒙開拓団だったことに触れる。父親がソ連参戦後に観念し、自ら母親と幼い子供を銃で手をかけたことを話す吉沢さん。「戦争の時代、原発の時代への逆戻りを絶対に許さない」との信念で、ぶれない活動を続ける所以だ。

輪島市朝市大規模火災跡にて(YouTube動画)

_yyy4336suweb_20240531172001 _yyy4327suweb_20240531172001 石川県羽咋市での講演。

_yyy4297suweb_20240531172201 _yyy4313suweb_20240531171901 羽咋市の講演前には、輪島市から志賀町を通り、北陸電力志賀原発のフェンス前で、吉沢さんは街宣車に立ち上ってスピーチした。(YouTube動画) 

〇震災から変わらぬ輪島市

吉沢さんと別れ、21日からの取材現場もどこへ行っても、輪島市も震災後まもないと思えるほど、震災ガレキの片付けや復旧工事が遅々として進んでいないことを強く感じさせた。

_yyy4484suwebDsc_4438suweb Dsc_4362suweb Dsc_4426suweb 4点はいずれも輪島市内。

能登半島で最も漁師の組合員の多い輪島漁港は、大地震により海底が約2m隆起し、液状化に被害も著しく漁業関連設備や漁師の倉庫などの建物も軒並み壊れ、漁師が海に出ることもできないままだった。100隻を軽く超える漁船が隙間もないほどに係留されたまま。

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漁港の浚渫工事の動きだけは確認できた。YouTube動画

〇炊き出しから「居酒屋」形式へ

22日夜は、珠洲市飯塚地区の旧飯塚保育所前で、真宗大谷派奥能登ボランティアセンターによる炊き出し改め「居酒屋」初回が開催された。経験豊富なボランティアの総勢10数名。この日は秋田県からのチーム主体のボランティア僧侶たち。ちなみに、ボラセンを開設した能登町出身の長田浩昭さんによると、能登半島の仏教寺院の約9割が浄土真宗大谷派なのだそうだ。珠洲市だけでも、真宗大谷派の寺は45カ寺か46カ寺あり、全壊した寺も実に多い

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屋台のプロのように手際のよい秋田県チームの提供するジュンサイ汁や焼き鳥は大人気だった(YouTube動画)。
秋田チームは東日本大震災後の三陸で、年20回ほどの炊き出しを定期的に実施してきたプロのようなチーム。笑顔、笑い声、ビールを積極的に注文する声、和やかな、楽しそうな一体感があふれる場となり、年配者も若者も隣り合って食事とアルコールと会話を楽しむ様子が、避難生活の辛抱の裏返しともいえた。当初の予想は20人ほど。開始予定は午後6時だったが前倒しとなり、若い世代や仕事現役世代もたくさん参加し、結局、参加者は約40人ほどに。避難所で寝泊まりするのは10数人となったが、仮設に当たることを希望しつつ、避難所を出て半壊や一部損壊の自宅に戻って生活する住民が多く、「居酒屋」は避難住民の再会の場の役割を果たしたようだ。

〇地震と津波による壊滅的被害が手つかずの珠洲市宝立町鵜飼地区

取材最終日の23日は地震と津波の両方の被害で壊滅的なままの珠洲市宝立町鵜飼地区を中心に歩いた。発災からまもなく5ヵ月経とうというのに、災害ガレキの片付けも復旧工事の作業者の姿もなく、もちろん住民の姿もない。思い出すのは東日本大震災の大津波被災地。発災から三ヵ月後には、岩手県宮古市から福島県南相馬市まで南下しながら、主要な津波被災地を撮影して回ったが、大半の場所では災害がれきの分別山積みなどが忙しく行われ、復興への意気込みを実感できた気がする。

しかし、残念なことに、能登半島大震災の現場はそうではなかった。1月と3月の取材でも同じことを痛感していた。今回はそれが確信に変わった。「棄民」。国や県の国民に対する裏切り行為が如実にあると

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定置網漁がメインの会社を持つ漁師の寺山一男さん(54)。津波で定置網は全部流され、一隻の漁船は新潟県まで流されたために解体。一隻はかろうじて助かったが、多額の借金は残り、自宅は全壊で、鵜飼漁港の修理再開の目途は全く立たず、引きこもり状態になると話す。自宅は地震で壊れ津波で浸水し、漁船が完成したときの大漁旗が一枚だけ残ったといった。隣近所の犠牲者は多いという。元旦の大震災の時は、二度目の揺れで道路の両側に住宅が倒れ込んでつぶれるのを目にし、咄嗟に家族と近くの緊急避難先となっている老人施設まで走って逃げたという。鵜飼漁港は小さいので、修理復旧は後回しになるしかないだろうという。「何も変わっとらんでしょう」


鵜飼地区を通り抜ける幹線道路を車で走って撮影した動画だけでも見てほしい。(YouTube動画)

ぜひ見てほしいもう一つの動画は海に面した家並みが津波の威力で壊滅した特徴だ。
津波による被害が顕著の珠洲市鵜飼地区の海に面した家々。(YouTube動画)

〇今回の取材のラストは奥能登最東北端の珠洲市三崎町寺家。

珠洲市三崎町寺家にある一泊10万円の「ランプの宿」と周辺地域は、中部電力の原発建設予定地だった場所。隆起は少なくとも1.4mとのこと。震災で電気水などのインフラは断たれた。「ランプの宿」のある駐車場から湾はいずれも方向も、隆起ぶりがわかりやすい。中部電力はこの地での原発立地計画をあきらめて「正しかった」ということだ。

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珠洲市三崎町寺家の寺家漁港のある集落には津波が被害をもたらしていた。

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〇破壊と再生

公費解体による災害ガレキの撤去は「破壊」のイメージと重なる。震災で遅れている田植えは「再生」のイメージだ。(写真は共に珠洲市)

しかし、震災後、災害後はどこでも災害ガレキの撤去(YouTube動画)がなければ、「再生」に向けての第一歩さえ踏み出せない

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2024年4月 9日 (火)

空師高橋渉さんの樹上の舞

空師とは、一般的に「特殊な木登り技術を駆使して木に登り、枝や幹を伐る、樹上作業の専門家」のことだという。
長野県安曇野市に住む空師の高橋渉さんは、チェーンソーでスパッと伐採もする。
樹上での舞のような熟練技を拝ませていただいた。ご覧ください。

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空師とは、「 まだビルのような木より高い建物がなかった時代、空に一番近い場所で作業する職業であったことが名前の由来」だという。
両足に付けた爪と一本の命綱だけで、登り降りは自在。チェーンソーは腰から下げるだけ。

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別荘の広い庭にある、ひょろひょろと伸びた、樹高約30mのアカマツやカラマツの林。
空師高橋さんは、ノコギリで枝を少しづつカットしながら登り、チェーンソーで天辺から少しずつ伐採。降りながら玉切りにしてゆく。一本の木が30~40分で切り倒される。チェーンソーの切れ味最高。動きは神業のように素早く、ムダがない。

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安曇野市に住む高橋さんは空師となって22年。生れ育ちは東京都立川市だという。小諸市の造園家和久井さんが管理する御代田町内の別荘の林を整備する一貫で、空師高橋さんが登場。和久井さんのお手伝いの私は、運よく熟練空師の技を拝むことができた。

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高橋さんの作業を見守る造園家和久井さん、

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植木の仕事から空師になったという高橋さんの話を聞き、驚きかつホッとしたのは、高橋さんが登ってみるかと言われるまま、最初に登った時、降りる段になったら、怖くて怖くて、深く呼吸して気持ちを落ち着かせることはできたが、足の震えが止まらなかったのだという原体験だ。

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何とも、すごい職業があり、それをいとも簡単にやり抜く人がいるものだ。

空師高橋さんは、造園家の和久井さんとは20歳以上の開きがある。二人が並ぶと、高橋さんの風貌は和久井さんと同い年くらいの仙人に見える。高橋さんは命を削って樹上で舞っているのではないか。

 

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2024年3月21日 (木)

能登半島大震災が「原発震災」を免れることができたのは?

能登半島大震災が「原発震災」を免れることができたのは、(関西電力)珠洲原発が地元の根強い反対運動で、2003年に凍結に追い込まれ、(北陸電力)志賀原発が停止中だったからに他ならない。二度目の被災地を取材した感想だ。

動画 関西電力珠洲原発建設予定地だった珠洲市高屋町の高屋漁港 3月8日撮影

輪島市西部が、最大約4メートル隆起し、西へ最大約1メートル移動し、人知を超えた地震の破壊力の甚大さに改めて圧倒された。
最大約4メートル隆起したと専門家が調査で指摘した輪島市門前町鹿磯漁港と志賀原発の直線距離は25キロしかない。

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動画 地盤が2mは隆起したため、漁港の機能を喪失した輪島市門前町黒島漁港 3月5日撮影

_yyy1687sumiweb1月11日撮影

3月5日から8日まで、1月には回る時間がなかった内灘町と珠洲市を中心に取材した。7日には志賀原発のマスコミ公開があり、構内の震災による損傷ヵ所を見てきた。また、珠洲原発反対運動に尽力した関係者の案内で、珠洲原発建設予定地だった珠洲市高屋町の被害状況も見ることができた。高屋漁港は少なくとも2m隆起していることが顕著だった。関西電力が珠洲原発の計画を凍結したのは2003年12月。それから約4年後の3月25日に最大深度6強の「能登半島地震」が起きている。その4ヵ月後には、最大深度6強の中越沖地震が発生。大きな地震が新たな地震活動を呼びこむことは間違いない。

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液状化の激しい内灘町 3月5日撮影          

動画  珠洲市正院の倒壊状況 

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避難所となっている珠洲市正院小学校で、ジンギスカンの炊き出しを実施する浄土真宗のボランティアチーム。(3月6日)寺は全壊状態の地元の真宗僧侶がコーディネートし、遠くは北海道、兵庫県、福井県、七尾市などから参加したお坊さんたちだが、被災地支援に慣れているようで、手際よく調理し、炊き立てご飯と味噌汁、おかず一品付いた夕食が提供された。珠洲市の隣、能登町出身の真宗僧侶、長田浩昭さんが、早くに奥能登ボランティアセンターを、珠洲市まで30分以内で移動できる能登町の集会所を借り上げ、寝泊まりできる拠点を立ち上げたことにより、ボランティア活動が軌道に乗っている。

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動画 珠洲市正院から北部の外浦にある高屋町までの山道の巨岩崩落現場 3月8日撮影 

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関西電力珠洲原発の建設が2003年に凍結された予定地。地盤が2mは隆起したと思われる珠洲市高屋町の高屋漁港。3月8日撮影

原発建設反対運動の拠点となった真宗の圓龍寺は全壊して見るも無残だった。反対運動の中心的役割を果たした住職の塚本真如(まこと)さんは、1月から二次避難していて不在。案内してくれたのは、能登町出身で20代の時から珠洲原発反対運動にのめりこみ、塚本住職と共に闘いづづけてきた長田浩昭(釋浩昭)さん(63)。

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写真は圓龍寺本堂と、原発反対運動に奔走した長田さん。寺の壊れ方に言葉もなかった。
「10人から始まった若い集団、カバンも地盤も選挙カーもなかった」と振り返った長田さん。
原発反対の珠洲市長選や県議選では、選挙カーから候補者に代わってスピーチしたという。

石川県は浄土真宗王国。能登半島は集落も寺も門徒(檀家)も分断され、買収、脅し、無言電話など、あらゆる分断工作をはねのけて、塚本住職がぶれなかったのは、「真宗の坊さんは、強い者の味方をしたらアカン」との父から教えが根底にあったからだと塚本さんが長田さんに言っていたこどだという。

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この日は原発反対運動を共に闘いぬいた井上商店を営む井上伸造さん(75)が一時帰宅していた。高屋地区での再会は震災後初めてだという。
井上さんは市長選や県議選の原発反対候補の運転手をずっと務め、最後までブレなかった反対派住民の一人だ。井上商店は圓龍寺と漁港の中間にある。長田さんの立つ写真の後ろ側の土手には反対派住民の監視小屋があり、関西電力の動きを把握していたという。背景の高台が原発建設予定地だった。その崖の一部は地震により崩落している。長田さんの奥さんは、炊き出しボランティア要員として、拠点の整理整頓などに休みなく身体を動かしていた。

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入居が始まって間もない仮設住宅で一人暮らしの被災者に、炊き出しを届ける真宗大谷派の女性陣。
仮設での生活が始まったばかりの女性被災者は、震災でご主人を失っていた。写真とは別の80歳を前にする男性被災者は、仮設が当たったことを、宝くじが当たったより嬉しかったと喜んでいた。珠洲市の仮設は3月8日の段階で74戸が完成。

動画  海岸から見える北陸電力志賀原発 1月11日撮影

7日に志賀原発の現況をマスコミに公開したのでフリーランスとして私も参加した。約50名の報道陣が二班に分けられ、現場取材をした。

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3点の写真は震災で損傷し使用不能となった2号機変圧器。3枚目は損傷した部分が見えるカット。2号機変圧器の故障が原因で、5系統ある外部電源のうち2系統が使えなくなったまま、2号機変圧器復旧の目途はたっていない。

4点目の写真は、1月16日の震度5弱の地震発生後に試運転したら自動停止した1号機HPCSディーゼル発電機。受電回路変更により修理済み。

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以下はNHKの報道。
志賀原発 能登半島地震の被害箇所 初公開 一部復旧めど立たず (3月7日)
「外部から電気を受ける際に使う2号機の変圧器は配管などが壊れておよそ1万9800リットルの油が漏れ出し、一部が海に流出~3系統5回線ある送電線のうち1系統2回線が今も使えなくなっています」

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終了後のぶら下がり取材の形で、原子力部部長(写真の左側)と土木建築部部長が記者会見に応じた。震災から二ヵ月後、報道陣に初めて公開したのは、今回の地震で志賀原発が壊れず、放射性物質を外に出していないことを担保できていると原子力部部長は自信を持って話すためだったといえる。問題は、二基の原発が「停止中」であるという前提条件に一言も触れなかったことだ。もしも、「稼働中」だったらどうなのか?50人余のテレビ新聞メディアの誰も聞かなかったので、ぶら下がり終了後に原子力部部長に直接尋ねてみた。

「稼働中だったらどうなのか?」と直接尋ねると、「たらればの質問ですが、稼働中でも同じだといえます」と言い切った。
福島事故の教訓は?人知を超える地震の怖さを十分に認識している?原発の幹部は安全神話の殻に閉じこもったままなのか?と愕然とした。

付け加えると、元旦地震で志賀町は震度7、発電所地下2階は震度5強、399.3 ガルを観測したことは公表済みだ。
今回の震災で1号機の観測値は公表されたが、2号機の観測値は今も公表はない。2007年の能登半島地震では、1号機239ガル、2号機264ガルだったことは明らかになっている。2号機は少なくとも400ガル超と思われる公開されないままだ。

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追記:大震災から二ヵ月後の応急仮設住宅の現状は次の通り。
石川県のホームページからの抜粋。3月12日現在。
・建設計画は4345戸。完成戸数は447戸。
・輪島市76戸完成/1940戸
・珠洲市126戸完成/899戸
・穴水町33戸完成/422戸
・能登町66戸完成/380戸
・七尾市89戸完成/391戸
・志賀町32戸完成/194戸
・内灘町34戸完成/65戸
・羽咋市0戸/54戸
つまり、応急仮設は建設予定の1割ちょっとしかできていない。
入居予定の被災者の1割ちょっとしか入居できていないということだ。

死者は安否不明者含め248人。
住宅被害は76800棟。
輪島市だけでも全壊3461棟、半壊3292棟。
珠洲市だけでも全壊3173棟、半壊2486棟。
全壊半壊がわかっているだけでも、少なくとも22000棟。
自宅で生活したくてもできない被災者は膨大だ。

震災ガレキの片付けは、二ヵ月経っても、動画でもわかるように全く軌道に乗っていない。
断水は、石川県だけでも約18380戸。珠洲市はほぼ全域が断水のままだ。

震災からわずか二ヵ月半。被災者の現実に「見ざる聞かざる言わざる」の態度なのだろうか、北陸新幹線が金沢駅から延伸したことで、
テレビはお祝いムード。NHKニュースによると、北陸新幹線の石川県の金沢駅と福井県の敦賀駅を結ぶ約125キロの区間が16日、開業したとお祝いムード一色だ。「北陸応援割」が16日から始まり、首都圏と新たにつながった福井県や石川県の各地は、大勢の観光客でにぎわっていると報道している。大丈夫かこの国は。日本人はここまで自分勝手の民に成り下がったのか!

 

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2023年10月 4日 (水)

李元栄(イ・ウオニョン)さんの浜松スピーチ。汚染水放出抗議する!

東電の汚染水海洋投棄問題は、時間とともに関心が下がることを見越して実施され続ける。
とりわけ、テレビ新聞などの大手メディアによる報道は極端に減る。
そうしたことを計算した上で、国と東電による汚染水海洋放出の二回目が10月5日に開始される。
そこで、先月の汚染水海洋放出反対の動きは、フェイスブックとX(Twitter)での投稿内容がSNSをやらない人たちでもわかるように、
ブログにも残しておきたい。

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聴いてみてください。わかりやすい字幕ついています。
韓国ソウルから1600キロを行進してきた李元栄(イ・ウオニョン)さんの浜松駅前でのスピーチ。思いが凝縮されています。
11日、午後7時からの李さんのお話を聞く会(日比谷図書館地下の日比谷コンベンションホール)で、司会進行する鍬野保雄さんの動画上映で教えてもらいました。

わかっているのに知らないふりをするのですか?黙っているのですか?勇気を出して向き合ってください。なぜ沈黙しているのですか。政府が嘘をつき国民を欺いているのに、なぜ日本国民は目を閉じているのかと腹が立ちます。これは日本国民の問題です
https://youtu.be/AOiI93QZes8

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李さんは、抗議活動の現場でこうも話していました。
日本の世論を引っ張る自信は最初はありませんでした。しかし、日本の反原発の思いを同じくする同志が各地で助けてくれたので、東京までこれました。みんなが一緒に闘えば汚染水の放出を中止することができる

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2023年9月 7日 (木)

東電福島第一原発事故による核燃料デブリ汚染水海洋放出反対の声

 岸田首相の指示によるイチエフ原発事故汚染水海洋放出の初日となった8月24日の浪江町請戸港。
ホッキ貝、シラス、ヒラメなどの水揚げで活気が漂っていた。
漁から戻った漁師さんたちは、取材に応じるなと上からクギをさされていた。

 

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とはいえ、若い漁師さん。
「東京で流せばいい」
ベテラン漁師さん。「反対しない者はいない」
「反対しても、政府は聞く耳を持たない。沖縄の基地問題と一緒」
全国での汚染水海洋放出反対については、「もっとやってもらいたい」と。
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浪江町請戸海岸での、汚染水の海洋放出に反対し続けてきた希望の牧場・よしざわの吉沢正巳さんの怒り。
「汚染水の海洋放出は、福島県の漁業を台無しにしてしまいます。汚染水放出は50年経っても延々に終わりません」

 

 吉沢さんを取材に来たのは、韓国、中国、香港のテレビ局だけだそうだ。日本国内のテレビも新聞社も、どこも汚染水海洋放出問題で取材に来なかったという。国内メディアの問題意識はどこにあるのか?自分自身の頭で考えないのか?!

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双葉町にある原子力災害伝承館と双葉産業交流センターの大きな建物には、復興予算が合わせて80億円以上注ぎ込まれている。
にもかかわらず、敷地に隣接する空き地は、大津波で流された墓石が雑草の海に飲み込まれたまま12年が経つ。

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 吉沢さんはカウゴジラを動かし汚染水放出反対の街宣ができない。カウゴジラを牽引する街宣車(軽自動車)のオイルタンクに穴が開き、エンジンの修理も必要。カウゴジラの車検も切れたためだ。取材に行って初めて知った。吉沢さんは自らツイッターで車の修理のカンパを呼び掛けていない。修理にかかる費用、請戸川河口で釣って魚を放射能検査に出す費用。大きな財布をお持ちの方、カウゴジラが活躍できない吉沢さんの活動にカンパを!!!

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2023年6月 6日 (火)

佐々井秀嶺師についての執筆記事一覧(2004年~2018年)

◇山本宗補HP:インド:佐々井秀嶺・アンベードカル・インド仏教◇2014年10月以降、少しづつ更新中

中国新聞に寄稿(2018年12月18日)「スマホを見ずに 人を見よ」

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「浪曲は人生の教師だ! 講談は人生の教師だ!」(2017年7月 facebook)

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佐々井秀嶺宮島講演「南天竜宮城と平家一門」(2017年6月 facebook)

・佐々井秀嶺師三鷹講演 お蔭様で大盛況でした(2016年7月 facebook)

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インド仏教の聖地ナグプール滞在記(2016年3月~4月、写真150点)facebook

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佐々井秀嶺師講演 in 高野山 (2015年6月14日)facebook

佐々井秀嶺大型写真集「日本行脚~44年ぶりの母国64日間の全記録~」がネット書店から購入できるようになりました。2010年発行、B4版170ページ、全カラーのハードカバーです。定価は税込10,800円(本体価格 10,000円)。Web_20230614222201

死線を彷徨い、生還した佐々井秀嶺師(インド・ムンバイにて)(2014年8月25日)

ナグプールの病院からムンバイの大病院へドクター飛行機で転院した佐々井秀嶺師のお見舞いに行き、1週間食事の世話をして帰国しました。奇跡的な回復振りを見せる佐々井師の動画をYoutubeにアップしました。(8月20日記す)

・入院中の佐々井師の容態がここ2~3日、日に日に回復傾向にあるとのナグプールに入った三旅さん情報です。昨日まで話しかけた言葉は理解していても、言葉にならなかった佐々井師でしたが、今日、4日は、「インドラ寺院に帰るぞ!」とヒンディー語で話したとの、インドラ寺院事務局長のアミット氏の話です。それを聞いて、ようやくほっとした気持ちです。(8月4日記す)

共同通信により佐々井秀嶺師の最新記事が全国地方紙に配信され、掲載されました。
 2014年5月に取材したものです。「戦う仏教 天竺で実戦」「在印47年の佐々井秀嶺師」写真撮影を担当しました。記事は石山永一郎編集委員。高知新聞掲載(2014年7月9日) 東京新聞掲載(7月10日)

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中国新聞に寄稿(2013年8月5日):「脱原発こそ本当の回向」

佐々井秀嶺師による原発周辺での人・動物供養(2013年7月2日のブログ)

フォトルポ「鎮魂と抗い~3・11後の人びと~」(彩流社、2012年9月発行)に佐々井師の被災地での読経行脚を8ページで収録。

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・fotgazet第3号(8月10日発行)に「佐々井秀嶺師と共に躍進するインド仏教徒」掲載

佐々井秀嶺師の東日本大震災被災地での読経(2011年6月13日~15日)写真
 (6月、極秘に6月末に極秘にインドへ帰国されました)

・「大法輪」3月号(2月10日発売)に龍樹菩薩大寺落慶の愉快な顛末を書きました。インドの仏教史に刻まれた歴史的なイベントだと思っています。大型書店で。

2011年1月末発売の月刊誌「一個人」3月号に佐々井師の写真が6ページで特集。
 佐々井ファン必読。ダライ・ラマ14世と美輪明宏も同時に特集されています。

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・「GRAPHICATION」誌(No.171)に佐々井師について本文とカラー写真で8ページ掲載。写真9点。A4版。「師弟関係」特集。書店販売はない広報誌です。

週刊朝日(11月26日発売号)のカラーグラビアに、龍樹菩薩大寺落慶法要の写真を掲載

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龍樹菩薩大寺の落慶法要などの取材記を雑記帳(2010年10月28日)に書きました。写真も多数掲載しています。ご覧ください。

・2010年10月10日から24日まで、インド取材。龍樹菩薩大寺の落慶法要などを無事取材し、10月27日に帰国しました。

・龍樹菩薩大寺の落慶法要が10月中旬に開催されます。大乗仏教の祖師、龍樹菩薩を顕彰する大寺院。(インド、ナグプール郊外)

佐々井秀嶺著「必生 闘う仏教」が集英社新書から10月15日刊行。帯用、トビラ用ほか写真数点提供しています。読みやすい本です。
 佐々井秀嶺師の活動、インド仏教を復興したアンベードカル博士を知るオススメ導入本。
 読了後に山際素男著「破天」、アンベードカル著「ブッダとそのダンマ」、「アンベードカルの生涯」を読むのを推奨

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・サンガジャパン Vol.2(7月2日発売)の巻頭に佐々井師の写真を掲載

・4月17日(土):信濃毎日新聞に佐々井師写真集『日本行脚』出版のインタビュー記事が掲載。

・4月14日(水):BS11デジタル午後22時42分~50分、インサイドASIAに出演し、『日本行脚』を紹介します。番組キャスターはジャーナリストの野中章弘氏。

・4月11日(日):多摩市で佐々井秀嶺師についてスライドトーク予定。小人数の集まり。
 場所:多摩市永山6-10-2 グリーンハイム尾根1F ナチュランド・シルフレイにて
 時間:午後1時~4時  問い合わせ:042-376-5065 野呂喜代子さん

・佐々井秀嶺師写真集出版を記念し、スライドトークします。写真集販売の開始です。
 会期:2010年3月10日(水):午後2j時15分~3時15分。
 スライドトークタイトル:「佐々井秀嶺師に密着して見えてきたものとは」
 会場・参加申し込み先:大日如来南天鉄塔記念協会事務局:祐照寺2階本堂
     大阪府大東市諸福7-2-35 祐照寺 入場無料、定員70名。申し込み要。
 主催:大日如来南天鉄塔記念協会
 このトークは写真集発行者の「第2回協会大会」のプログラムとして開催されます。事前申し込みが必要です。
 

・六大新報(2010年2月25日号。真言宗系の週刊新聞)に、『日本行脚』発行者の大日如来南天鉄塔記念協会幹部の瀬尾光昌師による、佐々井師写真集に関する告知記事が2ページで掲載されました。

月刊「宝島」4月号(2月下旬発売)に佐々井秀嶺師の写真が掲載されます。

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・中外日報(2010年1月30日)に掲載された佐々井師写真集刊行の告知記事。中外日報は仏教紙です。クリックしてご覧ください。

佐々井秀嶺師写真集『日本行脚』(撮影・編集:山本宗補),2010年3月10日刊行。1000部限定。B4版変形、168ページ全カラー、
 定価6000円(送料別)。 注:希少部数後の定価の変更ありです。約620点の写真、44年ぶりの母国64日間の全記録。200ヵ所に及ぶ全行脚行程リスト、インドの写真20点、佐々井師直筆あいさつ文、本音コメント多数収録、佐々井師略年表付き。資料価値の高い内容。
 写真集の一部をPDFファイルで観たい方はクリックしてください。(少し重いデータです)

ブッダガヤ大菩提寺解放闘争:デリー大行進(2009年12月10日)の報告:12月15日の雑記帳をクリックしてご覧ください。

・12月20日(日):「菜の花の会」で佐々井秀嶺師の活動をスライドトークします。
 会場:ひばりが丘公民館(tel:0424-24-3011)。最寄り駅は西武池袋線ひばりが丘。
 駅から歩いて7分。 お出かけください。連絡先:ヤドカリハウス(山田征さん)

・12月5日から佐々井秀嶺師の取材でインドに出かけてきます。帰国は13日の予定。デリーでの大菩提寺管理権奪還大行進・集会を取材し
 予定通り帰国しました。                        
                                        
・月刊「部落解放」12月号に、佐々井秀嶺師の全国行脚について、グラビア8ページと本文9ページで掲載しています。大型書店でご覧ください。

・11月8日(日)午後4時~ 山本宗補スライドトーク開催:「佐々井秀嶺師、インド仏教徒の最高指導者、44年ぶりの帰国」
 佐々井師の二ヶ月間全国行脚とインドでの「生きた仏教」実践者の活動を一気に紹介

 JVJA写真展2009:テーマは「世界187の顔」  例年恒例の写真展期間中のイベント。JVJA会員による約130点の写真を展示し、トークショーを日替わりで開催します。会期11月3日(火)~11月15日(日)  会場:キッド・アイラック・アート・ホール展示の入場無料、トークショーは有料です。定員40名、予約先着順です。詳細はJVJAのホームページへ。  チラシがダウンロードできます 表・裏 終了しました

・JVJAオープントーク:2009年9月16日(水)開催 午後6時半開場、7時開始~9時。 会場:JVJA事務所。
 「写真で観る佐々井秀嶺師」と題して、私がスライドトークを開催します。
 佐々井師のインドでの活動、インド仏教を復興したアンベードカル菩薩の足跡、佐々井師の44年ぶりの一時帰国と全国行脚の一部をスライドで紹介します。限定15名、参加費1000円。参加申し込みは先着順で締め切らせていただきます。
   

・「アエラ」9月7日号(8月31日発売)に佐々井秀嶺師のルポ記事を書きました。「闘う仏教」支える武道。カラー写真もあります。  

「自然と人間」誌9月号(9月1日発売)に、佐々井秀嶺師のフォトルポをカラー写真4ページで掲載。
「生きた仏教の実践者、44年ぶり母国に帰る」。大型書店でご覧ください。

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・月刊「大法輪」(2009年9月号)(8月10日発売)に、佐々井師全国行脚同行記を書きました。書店でご覧ください。

・中国新聞掲載(2009年6月1日):「佐々井秀嶺師 44年ぶり帰国の意味を考える」として原稿を掲載しました。
「ジャイビーム(アンベードカルに勝利を)!」が日本の伝統仏教の寺院で初めて叫ばれたことの歴史的意義について書きました。
 

・佐々井秀嶺師最終講演会開催:「よみがえる仏教 インド仏教の復興運動の今」6月7日(日)、午後3時~5時。会場:護国寺本堂。一般公開、無料(自由喜捨)。インドでの佐々井師の活動やアンベードカル菩薩に関し、私がスライドトークを10分間します。お出かけください。

・佐々井秀嶺師一時帰国:全国行脚道中密着取材記:以下をクリックしてをご覧ください。
 4月21日、4月25日、4月30日、5月9日、5月15日、5月20日、5月27日、6月4日、6月10日、6月15日、6月20日、6月23日、6月25日、6月30日、7月6日、7月14日、7月22日、7月30日、8月3日、8月12日(結願) 

・山際素男氏の葬儀について雑記帳に書きました。(2009年3月22日、4月14日)
 山際素男先生との最初の出会いについての雑記帳は2004年3月2日をご覧ください。

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・「dankai パンチ」誌2009年4月号に佐々井師の写真掲載(p102~p105)。

・信濃毎日新聞(2008年11月23日掲載)に「破天 インド仏教徒の頂点に立つ日本人」(山際素男著、光文社新書)の書評を書きました。

月刊PLAYBOY日本版12月号(2008年10月25日発売)に佐々井秀嶺師のインタビュー記事掲載(p160~p165)。
カラー写真も多く、ぜひご一読ください。

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・アエラ:世界の遺産(2007年6月25日号掲載):「カンヘリー石窟寺院群」(PDF)

・「インドで仏教徒急増」(共同通信社配信、山陽新聞掲載、2007年4月27日)

「カーランジー村仏教徒一家殺害事件」が意味するものとは?!(2006年12月)
 容疑者11名に対する判決出る:2008年9月24日、マハーラシュトラ州バンダーラ簡易(地方)裁判所:死刑6名、終身刑2名、無罪3名。
 階級差別による殺害は否定。高裁に控訴される可能性大。佐々井秀嶺師、2周忌の2008年9月29日に村で法要。

・写真で見る佐々井秀嶺師の大立ち回りダイジェスト(2006年9月-10月) 

アエラ:世界の遺産(2005年8月29日号掲載):「インド マンセル遺跡 乾燥した大地に姿を現した古代宗教の拠点」

月刊「ムー」(2005年7月号)掲載:「日本人僧が発掘した幻のインド仏教遺跡」
マンセル遺跡とシルプール遺跡のカラー写真を多数掲載:p1、p2~3、p4~5

アエラ:「現代の肖像」(2005年2月21日号)掲載:「佐々井秀嶺 一億人導くバンテージー」

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・琉球新報掲載(2005年3月1日):「改宗が生活の向上にインドの仏教徒 アンベードカル菩薩を敬愛」

共同通信社配信(2004年11月):インド仏教徒の信頼を集める日本人僧-佐々井秀嶺師

Dsc_0003sumiweb信濃毎日新聞掲載2004年12月

月刊「ムー」(2004年11月号)掲載:「こんな人がいた/第8回 佐々井秀嶺」

・月刊「部落解放」(2004年11月号)掲載:「ダリットと共に37年、日本人僧・佐々井秀嶺師」

・大法輪掲載(2004年8月号):「インド仏教復興への道:命を賭ける日本人僧・佐々井秀嶺師」

・週刊エコノミスト掲載(2004年8月31日号):「問答有用 インド仏教僧 佐々井秀嶺」

週刊朝日掲載(2004年6月25日号):「日本人が発掘した 古代仏教遺跡」マンセル遺跡のサイト1の頂上に立つ佐々井師(マハーラシュトラ州)。密教的要素の高い男女のレリーフ像。シルプール遺跡の仏教寺院ゲート壁面。(チャティシュガル州)
マンセル遺跡サイト2の複合的建造物。僧院、仏塔、宮殿跡などが混在するといわれる。

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信濃毎日新聞掲載(2004年4月20日):「いま世界で:インド 仏教に改宗 カースト制と闘う」
「大菩提寺を解放せよ」と叫びデモ行進する佐々井秀嶺師と信者たち。マハーラシュトラ州アコーラ郡(2004年4月)

 

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2020年6月16日 (火)

残照館(KAITA EPITAPH)として旧信濃デッサン館が復活

(写真はクリックすると拡大します)

_yyy6687sumiweb_20200613231601 残照館の名と共に生き返った旧信濃デッサン館の建物

Dsc_4164sumiweb_20200614225001 開館にはもってこいの季節。外出自粛の解除もあり、明るさ、希望を感じる。

_yyy7001sumiweb 坂田明さんと談笑する窪島さん。

2年前に一度死んだというか、役割を終えた旧信濃デッサン館が残照館(KAITA EPITAPH)として6月7日に復活した。
転んでもただでは起きない館長の窪島誠一郎さんの手腕はいろんな意味で流石だ。

旧信濃デッサン館は窪島誠一郎さん(現在78歳)が35歳の時に開館し、村山槐多、関根正二、靉光、松本俊介などの若くして夭折した画家たちの作品を長年にわたって常設していた稀有な美術館だった。しかし、2年前に経営難のためと戦没画学生慰霊の無言館の存続に集中するためにと閉館したことは広く知られている。

今回、窪島さんは手元に残しておいた村山槐多や木下晋、エゴン・シーレ、それに100歳の天寿を全うした浜田知明などの作品を展示し、原発事故で廃材の運命をたどることになっていた板材をテーブルに、館内4ヵ所に椅子とセットで用意するなど、入場者が気安く作品を鑑賞できる雰囲気に変えるなどの仕掛けも施した。

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エゴン・シーレの作品も惜し気もなく展示されています。

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木下晋作品の前に置かれたテーブルは南相馬市から運んできました。
テーブル材は南相馬市小高区の田中徳雲同慶寺住職が保管していてくれたもので、元は大熊町の檀家さんの倉庫に保管されていたもの。

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松本俊一などの作品さえ知っている小学生の男の子の入館に窪島さんビックリ。迷わず自著をプレゼント。


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残照館開館についての窪島館長のあいさつ文の一部を紹介したい。

「私は芸術がわかって絵をあつめた人間ではない。「何も誇れるもののない自分」を「画家がのこした絵の魂」のそばに置くことによって、一人前の人間になりたかったというのが動機だ」

「残照館とはいつの間にか日暮れのせまった道を歩く男の感傷から生まれた館名で、KAITA EPITAPHは、私が半生を賭けて愛した大正期の夭折画家村山槐多の「墓碑銘」を意味している」

 

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館内には漆黒の黒塗りされたテーブルが4基、椅子とセットで置かれている。座って鑑賞したり、隣接する喫茶店の飲み物を楽しむこともできるようにと、窪島さんが用意した。実はこれらのテーブルは、福島県大熊町の帰還困難区域の住民の方が倉庫に保管していた板材だ。住民の方は南相馬市小高区同慶寺の檀家さんという経緯から、県内の別の街に移住し、自宅を解体して更地にした際に、田中徳雲住職が檀家さんの許可を得て板材を運び出し保管してくれ、私がそれらを今年2月に南相馬市の倉庫から運びこんだ。当初は喫茶室のテーブルになると聞かされていたが、展示作品の展示台に利用されていたり、残照館の展示物と一体となっていたりで嬉しい驚きとなった。隠された窪島さんのメッセージといえるだろう。

_yyy6840sumiweb 吉岡憲の作品群


_yyy6844sumiweb 101歳まで生きた浜田知明さんの怖い彫刻作品など。


Dsc_4184sumiweb 椅子に腰掛けて作品観賞もできる。

 

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 館内には立原道造記念展示室が二ヵ所に設置されている。


Web_20200613232901 彫刻家舟越保武の作品。

残照館開館を祝い、窪島さんの古くからの友人の坂田明さんが前庭でサックスを演奏し、コロナ自粛から解放されたようなタイミングでのイベントが前庭で開催された。演奏前に先立ち、窪島さんの実にタイムリーなあいさつがあった。

「100年前のスペイン風邪で亡くなったのが村山槐多、関根正二、エゴン・シーレ。シーレは28歳。身籠っていた妻も亡くなった。芸術家だけでも数万人が亡くなった。700年前のペストの時代にはブリューゲル、カルバジオ、ボッカチオなどヨーロッパの名だたる芸術家の若い命が奪われた。疫病の時代にこそ素晴らしい絵画、音楽、文学が生まれた。

人間には苦境や自分では動かしがたい運命が来た時に、人に向かって美しいものを作り上げる力がある。芸術という力がある。いま末端で仕事をしているアーティストはみんな生活に困っている。そんな中で世の中を明るくし光を与える芸術が生まれる。残照館の力を通じ、いまの時代こそ若いアーティストに頑張ってほしい」

 

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坂田さんと窪島さんは東京の明大前駅近くに窪島さんが始めた小ライブハウス「キッド・アイラック」の頃からの長い付き合いという。
ガリ版刷りのライブ案内チラシをハチ公前で配ったがお客さんが全く来ないこともあったと坂田さんは話した。

 

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窪島さんが35歳の時に建てた旧信濃デッサン館の建物。開館日は喫茶室も営業。


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残照館の前庭で入場者が坂田さんの演奏に聞き入った。
坂田さんの演奏のラストはソフィア・ローレン主演映画「ひまわり」の主題歌。坂田さん曰く、チェルノブイリ原発が爆発する前の映像が映画に出てくるという、ドキッとする話がありました。

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残照館開館日は毎週土、日、月。午前11時から午後4時。受付には窪島誠一郎さんができるだけ座ることになるという。
どうか、無言館にお出かけの際は、残照館もご覧ください。

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2020年4月 1日 (水)

「命の行進2020 2020年3月10日」 南相馬市小高区から浪江町請戸海岸まで雨中15キロ 犠牲者追悼行進

(写真はクリックすると拡大します)
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ひたすら「南無妙法蓮華経」と唱え、団扇太鼓を叩きながら歩く15キロだった。冷たい雨降りの中、5時間の行程だった。

 

南相馬市小高区の同慶寺から、慰霊の行進の目的地は、180人をこえる犠牲者を出した浪江町請戸海岸まで。参加者は約20名。同慶寺住職の田中徳雲さんの写真を中心に紹介します。
最終目的地の荒れた海から押し寄せる波に向かい、「南無妙法蓮華経」と手書きされたお札を撒き、犠牲者を弔う田中徳雲同慶寺住職と、「命の行進 2020」の長い行程を歩いてきた日本山妙法寺の佐藤達馬上人(奥の人)。
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「南無妙法蓮華経」と手書きされたお札は、静岡県在住の日本山妙法寺の信者さんが5000枚手書きされたもの。
東日本大震災の大津波で海に流され、彷徨う魂が海を漂うお札をつかんだ瞬間に、時がどんなに経っても犠牲者のことを忘れないでいる人たちがいたことで魂が救われたという実話を元に、海に流す形が定着したという。

 

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翌日の3月11日は、同慶寺で東日本大震災追悼イベントとそれに先立ってのマンダラカフェのまとめが行われた。 あの日から丸9年が経過した節目の日の行事が終わってから、田中徳雲師にこの一年間を振り返っての気持ちを聞いた。 「この一年は良いことも悪いことも多かった。元気に活動していた人が亡くなったり、会を解散したり。みんな疲れていた。私も疲れていた。9年間を振り返って一番強く感じるのは、人とのつながり。忘れさせることはさせられない。仲間と呼べる人たちが、足を運んでくれる。声をかけてくれる。今日じゃなくても、顔を見に来てくれる。そういう人が大勢いる。あの震災がなければ、得られることはなかった、人とのつながり。失ったものはたくさんあるけれども、いただいたものも同じようにたくさんある」

今年の「命の行進、慰霊の行進」も、得られるものがたくさんあった。

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2020年3月30日 (月)

東京五輪の是非を8人と1頭から聞きました(取材は3月7日から16日まで)

(写真はクリックすると拡大します)


東京五輪についての意見を、8人とイノシシ一頭から聞きました。 (3月22日にFacebookに投稿した内容を転載します。なお、安倍政権が五輪開催をあきらめ、来年に延期することを正式に決めたのは3月24日)
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テレビ新聞は「復興五輪」のまやかしをまだ続け、安倍自公政権の悪政の共犯者となり続けるのだろうか!?
まるで「井の中の蛙大海を知らず」かのように、コロナ禍がここまで世界中も問題となっても、まだ五輪を開催しよういう安倍自公政権は、日本人だけが参加する国体を開催すれば良い。新型コロナウイルスが登場する前から、テレビ新聞などの大手メディアは視聴者・読者に伝える義務がある。「五輪には反対だ!」という、被災者の反対意見を。
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_yyy5260sumiweb 「安倍オリンピックが炎上して崩れていくんだ。安倍オリンピックを倒すタイミングが来た。3・11は終わっていない。原発事故はまた起きる。首都圏直下の地震も起きるだろう。そしてコロナがきっかけとなる。このまま行ったら国民もろとも玉砕の道をたどることになる。これまでの大きな筋書きは間違っていなかった。赤いボールは五輪を中止させるための時限爆弾だ(注:手にしているのは請戸海岸で拾った漁業用のブイ)。浪江町は4000棟が解体され更地になる。サヨウナラ浪江町だ。広大な帰還困難区域は荒廃する」(希望の牧場・ふくしまの吉沢正巳代表。浪江町


_yyy3733sumiweb 「アベさんは被災者福島県を利用して、五輪開催の意義があると訴えて招致した。中央の政治家が五輪を政治利用して「復興五輪」と表現するのはわかるが、地元の政治家や県全体までが福島の「復興五輪」だと盛り上げる感覚が解せないし、許せない。
原発事件の前と後。あの頃の故郷と今の故郷が同じだと思っている人は一人もいないだろう」(阿部光裕住職。福島市

_yyy3377sumiweb 「国は五輪開催することで福島の原発事故は解決しましたと世界に発信しているが、それは違う。多くの問題があるにも関わらず、五輪で日本は大丈夫と何事もなかったかのような偏ったイメージが広まる。住民はそうじゃないと思っている。いずれ自分のところに原発事故の被害が及ぶ。手放しで喜べる五輪ではない。五輪のために使う金は原発廃炉などに使うべきだったと思っている」(米野菜専業農家の中村喜代さん。郡山市

_yyy3655web 「首相があれほどウソこき恥こき言って誘致してる。言語道断だ。福島県人を愚弄している。人の命と五輪とどっちが大事だ。五輪はご破算だとIOCに直訴したい」(米野菜専業農家の故中村和夫さん。郡山市。2017年4月に急病により68歳で旅立った。五輪反対の意見は2014年にインタビューした時のもの

_yyy4339sumiweb 「五輪どころではないはずです。日本には真剣に向き合わなければいけない問題が山積みなのに。五輪にかけるお金も労力も時間もかけるどころではないと思っています。エネルギーをかけて大きなことをやった後のダメージは大きく、日本社会は疲弊します。五輪はやらなければ良いとずっと思っています」(田中徳雲住職。南相馬市

_yyy5070sumiweb_20200330221401 「イノシシのオレからも意見を聞きたいってかい!?9年前のあの原発事故による放射能汚染で大熊町は人間が一人もいない街になり、オレたちは食べ放題、荒らし放題の楽園になった。オレたちが獣のなかで一番放射能汚染されていることも知っているが、どうにもならないさ。駅と鉄道が再開されるようだが、常磐線界隈をねぐらとしていたオレだが、住民が戻って来れるわけではないので、あまり心配していないさ。五輪が開催されようとされまいと、オレたちの関心事は食い物が手に入るかどうかだよ」(大野駅前の駐車場を散歩していた雄イノシシ。大熊町

_yyy5727sumiweb 「元々、招致する際に、五輪やりたいのは山々ですが、今は辞退します、他所の国がお先にどうぞと譲るのが筋。オリンピックなんてお祭り騒ぎやっている時じゃないっぺ。「復興」、復興」って大金が動いているが、オリンピック終わったら一気に減速するって」
被ばく牛を生かす、元建設業で養蜂家でもあった松村直登さん。富岡町

_n613012sumiweb 「被災地復興が最優先なのに五輪をやろうとする。被災者や国民の視点ではない。経団連や一部のための政策だ。安倍は物事の道理を理解せず、好き勝手にやっている。その一つが五輪。国民は大きな力になびいていることに気づいてない。立ち止まって考える必要がある」
大津波で自宅1階が壊滅したが、リフォーム中の小野寺雅之さん。宮城県気仙沼市本吉町
(自宅下の線路はJR気仙沼線。まだ手付かずだ)


_yyy3649sumiweb「私がオリンピックに反対する理由は、「復興オリンピックと銘打って、避難者を切り捨てる政策を取っていることです。『福島県民はオリンピックどごでねえ!』」というのが正直な気持ちです。」
(子どもたちの保養キャンプ、佐渡へっついの家を主宰する関久雄さん。写真は郡山駅前にて)


 

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2020年3月29日 (日)

ようやく延期されたとはいえ、いつまで「復興五輪」に騙されているのか。

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2020114dsc_2569sumiweb_20200330202001Dsc_2568sumiweb_20200330202501 東京電力福島第一原発事故から丸9年。地元紙の福島民報によると、福島県民の県内外への避難者数は今でも41000を超し、県外への避難者数は31000人を超す。東北以外では、東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県の順で多い。この現実を前にしても、自民党公明党政府は、「復興五輪」を強行しようとした。

 

「復興五輪」がコロナウイルスによって蹴散らされた。当然至極すぎて驚かないが、安倍自公政権による「五輪ありき」政治により、新型コロナウイルス対策が手遅れになっているのではないかという心配が日本社会を覆い始めた。以下に紹介する写真群は、国民の命を軽視しても、今年7月に東京五輪を強行しようとしていた安倍「復興五輪」が、負のイメージを報道しようとしないテレビなど大手メディアを利用して、国民の目から隠そうとした東電原発事故から10年目の本当の姿だ。

誠実のかけらも、倫理感も道徳も持ち合わせず、口から出まかせ的な幼稚話法しか持ち合わせない安倍晋三(首相)が、「アンダーコントロール」と国際社会にウソ八百をついて、おそらく大金をちらつかせながら誘致した東京五輪。その始まりのうさん臭さから、今日の事態が来ることは筋書きができていたのではないだろうか。見えない神の手による懲らしめとして。

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双葉厚生病院の隣に建つ双葉郡医師会と双葉准看護学院の建物玄関。

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双葉町の双葉厚生病院真向かいに建つデイケアセンター裏口の下駄箱。9年前にスタッフが使っていた時のまま空気が止まっているようだ。大熊町にある小学校の教室のように。近くにある双葉町役場とこの厚生病院は、東電福島第一原発の北西約3.5キロの至近距離にある。

 

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9年前の3月13日午前10時半ごろ、緊急脱出の跡が残る双葉厚生病院玄関前に立ったことを思い出す。一度は除染されたと思われるいわくつきの病院だが、空間線量はいまだ高いままだ。何が問題かというと、この病院の敷地も近くの双葉町役場も、避難指示が解除された事実。3月14日に、常磐線が全線開通されるので、そのためだけに双葉駅とその周辺の除染も建物の解体更地化も進行途上の広範囲な一帯が、住民でも私のようなよそ者でも誰でも、歩き回ることが可能となったことだ。

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2011年3月13日午前10時半ごろの双葉厚生病院玄関前。空間線量が1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)を超えた場所だ。平常値の約2万倍を示す放射線量だ。
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安倍晋三率いる自公政権を政権与党に押し上げ、お上のいうことを素直に聞いている多くの愚かしい有権者と、五輪招致以来、短期間のお祭り騒ぎに便乗し、五輪バブルを積み上げることに熱心だったテレビ新聞などの国民への影響力が巨大な大手メディアが共犯し、「復興」の実態のない東京五輪を玄関口までたぐり寄せることに成功したのはまぎれもない事実だ。
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双葉厚生病院の隣にある双葉青年婦人会館の駐車場は、自動車が放置されたまま10年目に入っている。何度ここに立ち寄ってもシュールさを感じてしまう光景。建物から急に誰かが出てきて、止めてある車に乗り込むんじゃないだろうか、という感覚だ。

9年前の東日本大震災と福島原発事故直後から被災地の取材を不定期ながら続けてきたカメラマンとして、五輪開催に反対の旗印を鮮明にして取材を続けてきた。
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希望の牧場・ふくしまの吉澤正巳代表:「福島県の被災地を置き去りにした大都会東京のエゴだ。勝手にやればと思う。五輪の最中に関東大震災と東海の大津波、浜岡原発がどうなるかを現実の問題としてみなさんでシュミレーションをした方がいいのではないかと言いたい」(2013年)
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五輪招致は復興に役立つわけがない。逆に足を引っ張ると話す阿部光裕常円寺住職。(2014年、福島市山口)

現場に何度か出かけて、「復興」ということばの誤魔化しとまやかしに気が付かない取材者はいないのではないか。そんな思いを持ち続けながら、あれから9年後、10年目に入る原発事故被災地、3月に入って早々と避難指示が解除された常磐線双葉駅周辺の現状をお知らせしたい。以下の原稿は3月12日にFacebookに投稿した内容に加筆修正した。

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3月14日、双葉駅ホームで開通を祝う横断幕を掲げる人たち。

加えて、3月14日の常磐線全線開通のお祝い写真も追加した。避難指示の解除の実態にそぐわないにも関わらず、「復興五輪」のイメージアップ策として挙行されたからだ。
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◯「復興五輪」と簡単に騙されていいのか?


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2020年東日本大震災と福島原発事故10年目の取材から。
第一弾は常磐線全線開通のために避難指示解除された双葉町の双葉駅周辺など。撮影は3月9日。

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春になると桜並木が素晴らしいこの場所には、以前、原発推進アーケードが建っていたが、跡形もないので、今では知る人ぞしる場所となっていた。ところが、画面左下には、その原発推進標語を考案した大沼勇治さんが貼ったと思われるポスターが残されていた。

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2015年12月21日。大沼さんが小学生の時に考案し、双葉町に採用された標語看板「原子力 明るい 未来のエネルギー」が報道陣を前に撤去された。大沼さんと奥さんは防護服姿で、「撤去が復興?」「過去は消せず」と記されたプラカードを掲げて抗議した。

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原発推進標語アーケードの裏側は、「原子力 正しい理解で 豊かなくらし」とあった。この日、大沼さんたちの抗議も空しく、双葉町の予算を使って看板は撤去され、役場の倉庫に保管された。

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新しくなった双葉駅。駅前には駐車場スペースもあるが、この駅前広場を使い聖火リレーが予定されていたと思われる。26日には、「聖火」が臨時列車で大野駅から双葉駅に運ばれ、駅前の約500メートルでランナーが聖火リレーすることまで予定されていた。(注:3月24日夜にやっと、やっと五輪開催延期となり、聖火リレーは中止となった)

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駅舎に隣接する「ふたばコミュニティセンター」内は全くの手付かずにも見える。五輪招致が復興事業の足かせになってきたことを物語っているともいえるのではないか?常磐線双葉駅と大熊町の大野駅は3月14日に9年ぶりに営業再開し、全線開通となる。

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駅前商店街や隣接する地区は、住宅の解体更地化の真っ最中。9年経ってやっとここを痛感する。

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加えて、大地震により店内が足の踏み場もないほどに商品などが倒壊し、あの日のままの建物側は、平常値の20~30倍の1~2マイクロシーベルトまで一気に線量が上がる。

 

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地震で崩れたまま廃屋となった建物。

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電気屋さん。

また、今回の避難指示解除と同時に、双葉町役場と双葉厚生病院のある6号線海側も一部が避難指示解除された。役場も病院も9年前にフリーランスの仲間6人で3月13日朝にたどり着いた場所だ。三人が手にする三種類の線量計が振り切れ、1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)を超えたことを初めて知ったいわくつきの場所でもある。

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9年前の3月13日午前10時頃にこの場所に辿りついたが、その時のままに感じられる

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役場や厚生病院の裏手は縄一本で中間貯蔵施設地域と隣り合っていて、除染土を運び込むダンプカーが次々に入ってきていた。線量はなおさら高い。

今回の避難指示解除はインフラ整備はまだなため、住民に帰還してくださいという避難解除ではないというものの、「五輪招致」ありきで、現状を都合よく無視し、常磐線を開通させ、聖火リレーを大々的に実施して復興のイメージ作りというシナリオが出来ていた。あまりにも無責任ではないか。

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双葉海岸に近い一帯は、かさ上げや造成工事の真っただ中。大津波で流された墓地跡には、墓石が並べて置かれている光景も9年後の現実だということしっかりと見つめる必要があるだろう。

これらの写真群は、あなたが、私が生活し、底なしに劣化した国会議員や官僚たちも生活する日本の国土の一部で起きている現在進行形の出来事であることを忘れないでいたい。「復興五輪」の実態である。

 

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3月14日。双葉駅舎で開催された特急列車出迎え式でスピーチする内堀福島県知事。「五輪で常磐線が利用される予定だ」と祝辞を述べた。
原発事故までの利用客や地元住民には嬉しいことかもしれない。だが、線量が高いままの双葉駅周辺は解体更地化を待つ家屋が立ち並び、避難指示が解除されたといってもインフラ未整備のため、2022年3月の住民帰還を目指すのが実情。

 

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富岡町名物の桜並木、夜の森がある夜ノ森駅ホーム。

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3月12日、夜ノ森駅前通りは帰還困難区域のままなので、バリケードで封鎖されていた。

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大熊町の大野駅ホーム。

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3月12日、開通前の常磐線大野駅前駐車場は雄イノシシが一頭、のんびりと散歩していた。

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大野駅前商店街もバリケードで分断されている。

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3月14日、双葉駅に停車し、仙台へ向かう最初の特急列車。写真に写る建物は、ほとんどが解体待ちで誰一人住んでいない無人地帯。

逆説的だが、コロナウイルスにより、安倍「復興五輪」開催は、1年先延ばしされ、被災者の生活再建が軌道にのりはじめたというような本当の復興とは無縁の実態が、海外メディアを通じて国際社会にあぶり出される機会が少しだけ先送りされたということかもしれない。
来年3月は原発事故から丸10年の節目の年。県内外へ避難した住民の動きはさらに小さくなり、ゴーストタウンはより顕著になってるだろう。原発事故による放射能汚染は、住民から「帰還」の選択肢を奪った。

 

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