旅行・地域

2018年1月 3日 (水)

避難解除しても人影は?3月になればまる7年が経過するが・・・

(写真はクリックすると拡大します)

 _yyy7355jpgsumijpgweb避難指示が解除された浪江町の水田地帯に姿を現した壁。除染土を積み上げたフレコンバッグの仮置き場だが、中間貯蔵施設の役割をしばらくは果たすことになるのだろう

原発再稼働に積極的に賛成する人も消極的に賛成する人も、政府=経産省の原発再稼働路線に協力する政治家も官僚も、電力の問題に鈍感な人も、新たな年の初めに以下の写真群をどうか見てほしい。(写真撮影はすべて2017年12月)

_yyy6560jpgsumijpgweb大熊町の帰還困難区域にある民家の子ども部屋に残されたCD。この民家で家族が集う正月を迎えることは二度とないだろう。

原発事故は本当に収束し、廃炉作業が始まったといえるのだろうか?
避難指示が解除され住民の本来の日常生活が再開されているのだろうか?
3月が来れば原発事故で10数万人の福島県民が我が家を追われてからまる7年が経過する。
にも関わらず、まるで国土の一部を喪失したかのような事態がこの日本で継続していることをことを納得できるようにどう説明するのか。
地震や台風などの水害の被災地であれば、7年あれば人々は前を向き生活再建の道を着実に歩いているだろうが。


大熊町の熊町小学校(注:大熊町は町長の自宅のある一地域を除き帰還困難区域)
_yyy6672jpgsumijpgweb校門を入ると空間線量は平常値の100倍超小学校の熊町小学校。校舎の時計は地震の時刻のまま止まっている。


_yyy6661jpgsumijpgweb生徒たちが避難したままの教室。


_yyy6701jpgsumijpgwebサッカーのゴールポストを覆い隠す雑草が繁茂する校庭。

 

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・3月11日のままで時間が止まった大熊町の小学校の教室。
・園児たちの遊ぶ姿のない富岡町の保育園。
・フレコンバッグの積まれたピラミッド群に占領された浪江町や南相馬市の水田地帯。
・津波で全壊しそのまま残されている大熊町の住宅。
・地震に耐えながらも、度重なる泥棒などによって荒らされ放題の大熊町の民家。
・防潮堤はできても、雑草の生い茂る荒野と化したままの浪江町請戸。
・家屋の解体は進めど、住民の姿は見えない浪江町のかつての商店街などなど

安倍首相率いる自民党公明党政権が喧伝する「復興」はどこに隠れているのか。

_yyy7619jpgsumijpgweb富岡町の夜の森にある富岡保育園。


_yyy6772jpgsumijpgweb熊川近くの津波で全壊した住宅はいまも手付かずに残されたまま。
近くの水田には大破した乗用車が数台、撤去されずに草に覆われていた。

_yyy7664jpgsumijpgweb南相馬市小高区の除染土仮置き場。フェンスで囲われ、黒いフレコンバッグが見えないようにしてあるが。

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 ひとたび東電福島第一原発のような過酷事故が起きれば、貧富の差を問わず、私たちが失うものは何だろうか。


大熊町の帰還困難区域に自宅のある木幡ますみさんの一時帰宅
_yyy6464jpgsumijpgsweb原発の真西7キロの帰還困難区域に自宅のある木幡ますみさん。農業用倉庫と経営していた塾の間の軒下は手が付けられないほどに荒れてしまった。

_yyy6438jpgsumijpgweb原発事故年から毎年、定点観測のように撮影している場所での木幡さんの一時帰宅の写真。


_yyy6583jpgsumijpgweb原発事故が起きるまで、毎年、米を家族で手広く作っていた水田に目をやる木幡さん。農家が農業の再開ができ、収入の目途が立たなければ、仮に避難解除となっても帰還する意味があるのだろうか。


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_yyy6749jpgsumijpgweb大熊町熊川沿いのかつての水田地帯。中間貯蔵施設として整備されつつある。一時的に30年の間、ここに保管し、その後はどこか別の土地へ運び出すという腹積もりなのだろうか。それとも、住民があきらめて土地を恒久的に手放すことに同意するまで時間稼ぎをするつもりなのだろうか?

_yyy6851jpgsumijpgweb住民の同意を得たと思われる土地だけが、虫食いのように中間貯蔵施設の仮置き場に変貌しつつある。

大熊町復興拠点(渡辺町長の自宅のある大川原地区)
 ちなみに、大熊町が31億円といわれる税金を投入し、イチエフから約8キロ西で新規に町役場を建設しようとしている大川原地区復興拠点は着々と整備され、予定地の更地化が進行中。場所的には常磐高速の西側になる。
 予定地の一部は渡辺町長所有の不動産。大熊町町民の一割にも満たない住民が帰ってくるかどうかもわからないのが復興計画の前提になっているにもかかわらずだ。一年前のブログでも紹介したが、販売して収益を上げることが前提のイチゴ栽培も多額の予算がついて計画されている。

Jpgweb大川原地区復興拠点地区の土地利用計画図(大熊町役場ホームページより借用)

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◯大津波で多数の犠牲者を出した浪江町請戸地区
_yyy7231jpgsumijpgweb浪江町請戸。無数に偏在していた漁船は完全に撤去されたが、全壊した家屋がまだ数軒残されている。雑草が津波の痕跡を覆い隠そうとしている。
_yyy7224jpgsumijpgweb原発事故収束作業中のイチエフの排気塔が肉眼で見えるのが請戸港のある請戸海岸だ。ここで生計を立てられる漁業の再開が果たして可能なのだろうか?

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家屋解体の進む浪江町駅前商店街
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◯まとめ
 私たちが空気のように当たり前に思っている日々の生活、仕事、学校、祖先から代々受け継がれ守られてきた田畑も家々も伝統も文化も、原発事故による放射能汚染のために手の届かないところに行ってしまう。バラバラに分断された家族や集落共同体も取り返すことはできない。
 
 それが、国による強制的な避難が解除された福島県の浜通りの冷たい現実なのだということを、日本人の大半はまだ気づいていない。いや、そうした事実をうすうすは知っているが、現実として認識したくはないというのが本音ではないのか。


新年の蛇足
_yyy6644jpgsumijpgweb大熊町の帰還困難区域を走りまわる放射線量モニタリングカー。
「20キロで低速走行中」だそうです。

 地震、津波、火山噴火という天災が古代から連綿と続く日本列島。原発事故という人災が再び繰り返されれば、あなたの町でもこのような車が低速で走り回る事態が起きることだろう。日本人はもう少し賢い生き方を選択してきたのではなかったのか。

PS:参考までに、一年前のブログは以下をクリックしてご覧ください
「年越せば、まる6年となる福島県大熊町。富岡町の松村直登さんの近況も」

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2017年12月19日 (火)

郡山市の米農家、中村和夫さんの急逝を悼む

(写真はクリックすると拡大します)

Jpgweb(2011年9月の「第1回 さようなら原発」集会にて)

 反原発集会でのムシロの幟がシンボルだった米農家の中村和夫さん(68)が、今年4月下旬、脳溢血で突然旅立ってしまった。2014年に直接取材しはじめる前から偶然の積み重ねで、原発事故が起きた年から中村さんを何度か撮影し、その後に中村さんの本業の現場を度々取材した者として、中村さんの死を悼み、その人となりを知ってもらうためにもブログ記事として残しておきたい。

 中村さんの急逝を知るのが遅すぎたことを深く反省したい。


Jpgweb(同じく2011年「第1回さようなら原発」集会にて)

 以下に引用するのはWeb毎日スポニチTAP-iに掲載した記事です。3年前に書いた記事ですが、中村さんの人物像が浮かび上がると思うので再録しておきたい。
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風評被害に抗う米農家・中村和夫     写真・文 山本宗補

 日本中のメディアが東京五輪招致を歓迎する報道しかせず、福島県民の五輪反対の声は封殺されている。

 「首相があれほどウソこき恥こき言って誘致してる。言語道断だ。福島県人を愚弄している。人の命と五輪とどっちが大事だ。五輪はご破算だとIOCに直訴したい」

2jpgsumijpgweb(有機マ米用の田んぼの前で、オリンピック誘致に反対の意志表示、2014年5月)


4jpgweb(カリウム肥料を散布。2014年5月)


_aaa3625jpgjpgweb(後継者の息子さんと田植え、2015年5月)

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 福島第一原発から西に70キロ。郡山市逢瀬町の専業農家の中村和夫さん(66)は、歯に衣着せぬストレートさで政府とメディアを批判した。

「福島県人からすると、世の中この重大な事故を忘れているのではないか。1号機から3号機までのメルトダウンに手も足も出ない。除染しても根っ子を止めないと話にならない。不安だらけだ。再稼働なんてあったもんじゃない」

 中村さんが原発事故に対して抗議し始めたのは、事故年4月26日の東電本店前の抗議以来だという。同年9月、大江健三郎さんらが呼びかけた第一回の「さようなら原発」集会に参加した。その時は、畳大ほどのムシロに、「放射能汚染下での生活 もう我慢できね 原発のバカヤロー」と大書した。6万人の参加者の中で最も目立ったのが中村さんの幟だった。東電旧経営陣らを刑事告訴した福島原発告訴団の一員として、中村さんは告訴団の抗議行動に必ず参加し、叫び声を上げてきた。


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(東京地裁前の抗議行動に参加。2013年2月)


 逢瀬町は、東西10数㌔に及ぶ郡山盆地西端に位置し、奥羽山脈水系からの豊かな農業用水があり、緩やかな傾斜が広がる農村。「この辺は粘土質で米以外は向かない」と中村さんは言う。米は7ヘクタール、野菜作りも手広い。いつも甲斐甲斐しく働く奥さんの喜代さん(61)と、後継者となった長男直己さん(36)の3人の家族経営だ。農繁期は援農者もある。

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7jpgweb(直売所に出す野菜に値札をつける喜代さん、2014年7月)


 今年の米価は暴落した。しかし、中村さんは採算ギリギリの販売価格を変えることはしない。消費者と直に繋がっているのが強みだ。原発事故前から産直で米の全量を個人消費者や生協などに販売。農協を通さないのは、猫の目のようにくるくる変わる農政に対する憤りがある。国の減反政策に大冷害のあった1993年まで100%協力した。ところが、国は米不足対策で一時的に米を輸入したが、ミニマムアクセス米としてその後も輸入を続け、食糧管理法が廃止された。国は輸入米を買い続け、農民には生産調整を求めた。農協に協力してきた思いは裏切られ、信用できなくなったのだ。

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 農村と都市との交流を考え、逢瀬町と湖南町の農家11件で取り組む農家民宿を9年前に開始。農家3件で郡山環境保全農業研究会を立ち上げ、化学肥料や化学合成農薬を一切使用しない「JAS」認定を受けた有機米作りにも励む。野菜は20人の農家が共同出資した直売所「ポケットファームおおせ」で販売し、郡山市内のイトーヨーカ堂にも卸す。直売所にはとうもろこし、トマト、きゅーり、かぼちゃなど、多種多彩の野菜が並ぶ。

 放射能の影響は少なからずあった。事故後の水田の土壌調査では3000ベクレル/kgあった。セシウム流出防止剤のゼオライトの散布量は加減し、水田によっては深耕もした。事故年に8ベクレルあった米だが、昨年は1.5ベクレルに減少。セシウム吸収抑制剤としてカリウム肥料を散布。今年はさらに減った。検出限界値は20ベクレル/kgなので事故年からND(不検出)が続くが、風評被害は覆せない。首都圏から農家民宿の参加者はいなくなった。震災前からのつきあいのある都会での出張販売にも影を落とす。

_aaa4137jpgjpgweb玄米の全袋放射能検査のために運んできた中村さん、2015年10月)

12jpgweb(お茶の水のイベント会場で米や野菜の直売、2014年10月)

「風評被害は払拭できていない。県の全袋検査で安全が確認されても、直売所の米の販売は、事故後は半分以下となり今も低迷している。地元の人でも嫌っている」

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関西の大学生らが中村さんの話を聞きに訪ねてきた、2014年3月)
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 希望が見えるのは学生たちとの農業体験を通じた交流だ。原発事故前に始まった文京学院大(埼玉県ふじみ野市)の学生たちは逢瀬町に通っている。今年10月の大学祭に、中村さんが野菜をトラックで運び入れ、学生たちが販売協力した。

「親戚の家に行くような感じ。学生たちにとっては第二の故郷です」(何度となく中村さん宅に農業の手伝いで泊り込んだ卒業生の星野麗音(れおん)さん)。来年からは日本女子大の学生との交流も始まるという。

 中村さんの新米の袋には自筆の感謝のことばが添えられている。
「震災から3年余、今だに福島県の農産物を敬遠されている中、あえて私どものお米、野菜を食べていただき御礼と感謝申し上げます」
 
 そこには、都会の消費者に最も理解してほしいメッセージがある。

「単に安いか高いかの物指しばかりでなく、農家が農地を守ることによって生物を守り、自然環境を守っていることも考えてください」

(毎日スポニチTAP-i 連載第五回 2014年12月掲載)

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 ちなみに日本の農業を守り、食料安全保障の要ともなってきた「種子法」が安倍政権により来年3月で廃止されることに対し、和夫さんは「ダメだー、こりゃ!」と反対運動に参加する意思を見せていた。モンサントなどに代表される多国籍種子企業に日本農業が支配されるこ可能性が高まるからだ。良い種子の価格が不安定化し、農家の廃業に拍車がかかり、食料自給率が現在の37%から10%代にまで落ち込むことも懸念されている。

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 中村さんの米袋には、「中村さんちのお米」の文字とともに、大きな大きなオムスビを手に、いつも笑顔の和夫さんの似顔絵のイラストが印刷されている。

 中村さんが前兆もなく倒れたのは田植えを控える農繁期。種子法廃止反対の署名運動に動いたのは、突然の悲しみに向き合う余裕もなく農作業に追われた喜代さんだった。

 「お父さんがこれはやりたかっただろうということを、これからもやってあげられたらいいなあと思っている」

 その喜代さんによると、ある人が中村さんの突然の死に対し、「アクセルを踏みっぱなしで、ブレーキをかけ忘れたんじゃないか」とつぶやいたという。

 和夫さんの笑顔が印刷された米袋はこれからも使い続けていくと喜代さんは話した。中村和夫さんの急逝を悲しみ、中村和夫さんの実直な生き方が受け継がれ、花を咲かせ実を実らすことを念じて止みません。

                                           山本宗補  合掌

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2017年5月11日 (木)

熊本大震災から1年 生活再建、復興とは何かを考えよう

(写真はクリックすると拡大します)

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熊本大震災から1年後の被災地に、三度目の取材に入った。
壊滅的な被害を出した益城町中心部に添って流れる秋津川沿いは、例年よりも遅れた桜が満開の時期と重なった。一件の民家が解体中だった。壊れて住めなくなった家屋の解体と更地化の進行が、昨年7月の取材時からすると、すごいスピードで進んでいる印象を強く受けた。満開の桜を背景に解体される民家は、どこかシンボリックな光景だった。


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「仮住まい47725人」の大見出しが際立つ、熊本日日新聞4月14日朝刊紙面

一体、全国のどのくらいの市民が、これほどの深刻な事態を実感していただろうか?

このブログの読者には、原発事故後の福島県の浜通り、例えば浪江町で発災から5年~6年後にようやく始まり、軌道に乗った家屋の解体撤去、更地化の現在進行形の事実を想像しながら、熊本地震後の、家屋の解体更地化の進展を考えてほしい。
 
 このブログでは、最初の取材および昨年7月の取材時と、大地震から1年後の被災地の変化をわかり易く伝えるために、二枚の写真を合体させてみた。左側の写真が昨年の4月か7月に撮影したもので、右側が1年後の4月に撮影した写真です。壊滅的な被害を出した地区の更地化が顕著だが、被害がわかる写真がないと、現場に立つ機会のない人には、被害の規模さえも想像できないからだ

益城町
Photo益城町寺迫地区


Photo益城町惣領地区。


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益城町惣領地区


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益城町木山地区。死者が出た家の跡地に用意された献花台。


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更地化の進む木山地区。


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益城町木山地区。

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益城町木山地区


_n618909jpgsumijpgweb犠牲者の出た家の跡地に設けられた献花場所、

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益城町宮園、宮園公民館周辺

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壊滅的な被害を出した地区の更地化が顕著。
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様々な事情で解体の遅れている家屋も、もちろん、あちらこちらに点在する。

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西原村

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原木シイタケ専業農の家荒木一さん宅は、1月に解体され、更地になっていた(風当地区)
_n610573jpgsumijpgweb荒木さんについての琉球新報の記事(4月27日掲載)

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集落移転の話も検討された大切畑集落。


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風当地区に残る全壊家屋。


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Photo酪農家の大川充洋さん。今年二月半ばから、生乳の出荷を再開(星田地区)
_n610578jpgsumijpgweb大川さんについての記事(4月26日掲載)。


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「味の山一」料亭と仕出し屋を経営していた緒方登志一さんは、全壊した料亭を改造し、昨年10月から営業を再開した。(布田地区)

_yyy3472jpgsumijpgweb持ち込まれたマグロを解体する。

_n610576jpgsumijpgweb緒方さんについての琉球新報の記事(4月28日掲載)

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布田川断層マップには、大切畑ダムを縦断するような、新たな断層が見つかっている。(ピンク色の太い線が新たに見つかった断層。西原村の荒木さんの自宅の近くを布田川断層が走っている。

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布田地区の裏手は小高い山が連なっているが、大地震の前は小さな滝が流れていた場所が完全に崩落して、深いV字渓谷ができていた。その後の豪雨の度に崖が崩れ、谷間が広がりつつある。緒方さんはじめ、布田地区の住民は、地震よりも山崩れによる土石流の被害を現実視している。
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V字渓谷となった場所のわずか200~300ⅿ下流には、民家が立ち並び、地震により全壊し、更地となった空間も目立つ。この場所にあった民家が本震でつぶれ、年配の男性が圧迫死した

 隣に住み、地震後に隣人の救出にかけつけた森幹雄さん(60)は、解体され更地になった自宅跡で生活再建の厳しさを語った。「集団移転の話が出ている。目途が立たない。先が見えない。どうにもならない」
奥さんは自宅跡に住むのは怖くて嫌だと話しているという。
それでも、「東北の被災者や原発事故被災者よりも、ずうっとましだと思う」と話した。

南阿蘇村と阿蘇市
_yyy4318jpgsumijpgweb崩落した阿蘇大橋。

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東海大阿蘇キャンパス近くの倒壊し、学生の犠牲者の出たアパート。

_yyy4247jpgsumijpgweb1周忌の黙祷に音連れた学生たち。

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同じく、東海大阿蘇キャンパス近くの倒壊し、学生の犠牲者の出たアパート。


_yyy4331jpgsumijpgweb阿蘇キャンパスの入り口に建つ、全壊した建物と、崩落した土手。


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阿蘇市狩尾地区の大きな地割れはまだ手付かずだった。地割れは約2キロに及ぶため、広い水田地帯の耕作は、大規模は土地造成事業が必要なため、農業再開は来年まで延期されている


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断層と地割れが顕著な水田地帯。
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犠牲者を追悼する住民(4月14日、益城町木山地区)
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「被災者150人聞き取り調査 「元の場所戻りたい」8割」(熊本日日新聞4月16日掲載記事から)地元紙による被災者聞き取り調査が載っていたので、ポイントのみ書き出したい。


「地震前の居住地に戻りたいか」は63%(94人)。
「戻りたいけど戻れない」が19%(28人)

合わせて8割超が転居を希望しない。

「住まいの再建・確保」の「見通しが立たない」が50%(75人)
自宅の復旧や入居先の確保が被災後1年では困難。

現在の生活への不安や不満などが「ある」「どちらかといえばある」は57%(85人)。
その理由として48人が「住まい」

健康面では、35%の53人が「この1年間で体調不良があった」と回答。
3人に1人以上が今も不調を訴える。
24人が不眠や強いストレス、いらいらなど感じている。
10人が病気の発症・悪化。

就労に関しては「変化なし」が60%(90人)。
残る60人のうち農業や自営の計22人が「再開できない」「廃業した」などと回答

「行政への希望」では、復旧や家賃への補助関連が17人。
原則2年とされる仮設住宅の入居期間の延長を望む人が13人。

「将来への希望や不安」については、金銭面から住宅再建へ不安を感じる人が31%(47人)。
「地域が再生するのか心配」とする声が21人。

約2割の被災者が、元の居住地に戻りたくても戻れない、という点が、最大のポイントだと思う。

狭すぎる仮設住宅(西原村)
 夫婦二人で生活する二軒の被災者の仮設の広さ?を紹介する。

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西原村の大きな仮設住宅の朝。


_yyy4090jpgsumijpgweb荒木さん夫妻の仮設住宅は1K。居間兼寝室が6畳マイナス押入れ分の1畳
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_yyy4553jpgsumijpgweb緒方さん夫妻の仮設も1K。荒木さんと同じ間取り
「誰もが狭い仮設は一日でも早く出たいが、家を建てる金はない」と緒方さん
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_yyy4229jpgsumijpgweb仮設住宅の夜。

原発事故後の福島県との比較のための参考に
_n619700jpgsumijpgweb地震で倒壊寸前のままに残された神社と鳥居。除染は完了し、今年3月31日に避難解除となった地域にある。(浪江町、2017年3月撮影)

_n611245jpgsumijpgweb地震には耐えたが、原発事故により帰還困難区域に指定され、手付かずにされたままの大熊町の住宅街。2017年3月撮影。

取材後記
 壊れて住めなくなった家屋の解体、更地化は、生活再建の第一歩。解体撤去、更地化のスピードは速いものの、大震災と表現するに値する熊本の地震の被害から、被災者と被災地が立ち直ることは、決して楽なことではないことは、写真などから現場に立たなくてもわかると思う。

 地震という天災と、原発事故という人災による、生活再建、復興への道のりの極端な違いを想像してみてください。まして、原発事故による放射能汚染が深刻な地域の住民にとっての、生活再建とは、復興とは何か?

 以下は熊本大震災取材の記事です。参考にしてください。
熊本の地震は大震災ではないのか?熊本大震災フォトルポ(4月29日~5月2日)

熊本の地震は大震災ではないのか第2弾(7月13~15日取材)

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2017年4月 2日 (日)

浪江町と富岡町の「避難指示」は解除された。早6年。でもまだここ。

(写真はクリックすると拡大します)

(注:写真はすべて3月8日から12日の間に撮影。
原発事故から7年目に入ったといえる福島県の全体像の一部です)

_yyy1188jpgsumijpgweb浪江町の「痛い」除染。

 河北新報によると、大熊、双葉両町の全域と近隣5市町村の帰還困難区域を除き、福島県内の避難指示が、31日に浪江町と飯舘村、川俣町山木屋地区で、4月1日に富岡町で解除された。

 解除対象は約3万2000人浪江町が5841世帯1万5327人、飯舘村は1753世帯5859人、山木屋地区は548世帯1160人。富岡町は、3830世帯9578人
 
 「原発事故では、最大で11市町村の計約8万1000人が避難対象となった。これまでに田村市都路地区東部、川内村東部、楢葉町、帰還困難区域を除く葛尾村と南相馬市の一部などが解除された。新たな解除地域を加えると、面積で67.9%、当初人口との比較で約7割が居住可能となる。

 大熊、双葉両町の全域と帰還困難区域は4月以降も避難指示が継続され、約2万4200人の避難生活が続く政府は、帰還困難区域内に「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)を整備し、2022年をめどに避難指示を一部で解除する方針を示している」(河北新報3月30日web版)

 常磐線小高~浪江間が運転再開されたとか、富岡町に「さくらモールとみおか」が全面開店したとか、双葉署が6年ぶりに富岡に帰還した、などなど。新聞テレビなどの報道によると、避難解除により復興が一気に加速されたというような空気がたれ流されている。果たしてそうなのか?


Photo_2福島民報3月31日より


Photo_3福島民報4月1日より


写真群から様々な情報を汲み取ってほしい

避難指示が解除された浪江町の「希望の牧場・ふくしま」一帯。
_yyy2539jpgsumijpgweb希望の牧場・ふくしまの牛たち。放射能に汚染され、経済的価値はゼロとなったが、原発事故を生きのびた生き証人たちだ。


「除染して避難解除しても、さようなら浪江町なんだ!」と、以前から力説する吉澤正巳さんも、やっぱり悲しいんだ。
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ボランティア獣医の伊東先生
_yyy1355jpgsumijpgweb痩せ牛には、人間でいえば点滴が必要。

_yyy1400jpgsumijpgweb伊東先生が出版したばかりの、限りなく現実に近い寓話的フィクション、「福島ノラ牛物語」(彩流社)。主人公は野生化した雄牛。本能に従い、家畜として生きる道を捨て、自らの未来を選択する姿が感動を呼ぶ。
解説は私が書かせてもらいましたので、それも併せて読んでみてください。

_n616371jpgsumijpgweb牧場の除染後のフレコンバッグが、一角を占領するかのように置かれていた。5000袋とも1万袋ともいわれる分量だ。


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帰還困難区域として残された浪江町津島地区
1jpgweb浪江町の残された帰還困難区域となった津島地区。津島小学校は校舎だけはしっかりと残っているが・・・。


1jpgweb_2津島地区の水田は、ことごとく楊の木が群生し、水田だったとは思えない変貌を遂げつつある。


2jpgweb後10年もすれば、森になりそうな勢いだ。

二年ぶりに見る、イチエフから24キロにある関場さんの自宅と、大内さんの自宅と墓地
1jpgweb_3津島地区に自宅のある関場さんの一時帰宅に同行。二年ぶりの関場さんの家は、獣によりさらに足の踏み場もない状態。

_yyy2618jpgsumijpgweb富岡町の木田節子さんの自宅で見たもの同じだが、自治体が各家庭に配布した原発カレンダーが2011年3月のまま、架かっていた。
「原子力発電所で事故などが起こったときは、様々なほうほうで知らせてくれるよ」との文言が虚しい。浪江町の馬場町長は、国からも東電からも何の連絡も来なかったと非難するのが常だ。


_yyy2729jpgsumijpgweb_2裏山への登山道は熊笹に覆われた。

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_yyy2785jpgsumijpgweb家の周りはイノシシで荒らされているが、地震でびくともしなかった大内孝夫さんの自宅。二年ぶりの線量は、少しは下がったが、まだ2.7マイクロシーベルト。周辺の広大な森や山を除染しない限り、自宅の除染は無意味だろう。

_yyy2806jpgsumijpgweb大内家の墓のある墓地では、池田さん(57)が、1年前に病死した母親(88)の納骨に来ていた。

_yyy1499jpgsumijpgweb大内孝夫さん(84)は戦前は一家で満蒙開拓団として満州に移民した。しかし、母親を皮切りに、家族8人を失った。棄民の結果、福島県に生還できたのは弟と、シベリア抑留後に生還した父親だけだった。津島は戦後に開拓入植して切り開いた土地だった。

_n616586jpgsumijpgweb大内さんが避難生活を続ける杉内仮設は、ほとんどが空き部屋となり、残っているのは1割程度のようだ。大内さんも、復興公営住宅に入居待ちだ。

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浪江町請戸港
_n617220jpgsumijpgweb6年ぶりに漁師が試験操業の出漁に出る前日の請戸港。


_yyy2951jpgsumijpgweb500億円の予算で稼働する仮設焼却炉が請戸港を前にして建っている。


_yyy3003jpgsumijpgweb請戸地区には、まだ解体されずに残された家屋が10軒ほど残されている。


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避難解除された富岡町
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 除染しても農業の復活が見込めない農地40ヘクタールを利用した、「富岡復興メガソーラー・SAKURA」。出力30メガワット。発電開始は今年12月の予定。売電収入の一部が地域の復興に活用されるという。
_yyy2243jpgsumijpgweb富岡町のメガソーラー、「富岡復興メガソーラー・SAKURA」。


_yyy2155jpgsumijpgweb「富岡復興メガソーラー・SAKURA」を背景に立つ松村直登さん。

_n616793jpgsumijpgweb松村さんは牛23頭とポニーを生かし続けている。エサやり後の一服。


_yyy2278jpgsumijpgweb松村さんの取材にかけては、情熱を燃やし続ける共同通信社の原田さん。酒量はめっきり減ったようだ。


_yyy1922jpgsumijpgweb甲斐犬のイシマツ。イノシシも仕留める生まれつきの狩猟犬。母は純潔の甲斐犬、父は原発事故後に保護した白い大型犬の雑種。

3jpgweb避難指示が解除される前から夫婦で自宅に戻って生活する半谷信一さん(83)。松村さんは、原発事故翌年に半谷さんから頼まれ、ポニーを預かり牛たちと共に生かしている。

「水も水道も、トイレもあっぺし、電気も来てる。問題ねえ」と半谷さん。しかし、現実は、「みんな家壊してけえって来ねえな」

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南相馬市原町区の酪農家・滝沢昇司さん
_n616608jpgsumijpgweb本業は酪農家だが、原発事故後に脱原発の意思で発電事業に力を入れ、売電が順調な滝沢昇司さん。牛舎の屋根を皮切りに、母屋、牧草地、大型農業機械の駐車場の屋根などを活用。(南相馬市原町区馬場)


2_jpgweb酪農もエサの内容などの改善を経て安定してきたところだという。日々の出荷量は800kg。自宅の周辺は特定避難勧奨地点となり、避難指示対象から、運よく外れたが、事故後の三ヵ月は絞って捨てるしかなかった。

_yyy1789jpgaumijpgweb牛舎で生活する子ネコたち。


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黒いフレコンバッグでなければ問題ないのか。除染後の福島市内。
 東電と国と県による無責任の象徴がこれらのグリーンシートで覆われた除染廃棄物の山だ。
_yyy1482jpgsumijpgweb客商売の駐車場スペースに置かれたままの除染廃棄物。


_yyy1459jpgsumijpgweb福島市内。自宅前の駐車場スペースに置かれたままの除染廃棄物の山。除染は一昨年終わり、その後、いつ撤去されるかは、行政からの連絡はないと、住民の方。

_n616560jpgsumijpgweb民かと民家の隙間に置かれたままの除染廃棄物。


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詩人・関久雄さん(福島市内)
Dsc_4865jpgsumijpgweb福島市で、4月22日の佐久アースデイと前日21日の小諸での関さんトークの打ち合わせ。

Dsc_4940jpgsumijpgweb4月21日、小諸エコビレッジでのトークと詩の朗読会


4月21日(金)午後6時から、関さんの「原発いらない 命が大事」トークと詩の朗読。
佐渡へっついの家保養キャンプと福島のいまについて話してもらいます。
ゲストには内田ボブさんと詩人の長沢哲夫(ナーガ)さん。場所は小諸エコビレッジの常設ゲル。
参加費は1000円。

・4月22日(土)は佐久アースデイ会場の特設ゲルで、私のミニ写真展を開催しますが、その場で関さんに、トークと詩の朗読をやってもらいます。
2017佐久アースデイのポスター。


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「第6回原発いらない地球の集い」(主催:原発いらない福島の女たち)
(会場は福島市民会館)

Dsc_4969jpgsumijpgweb詩の横断幕「福島の不幸をみてください」


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_yyy2406jpgsumijpgweb3月11日午後2時46分、黙祷。


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「東京電力は責任をとれ!」
「福島の悲劇を繰り返すな!」
「福島事故は終わっていない」
「第二原発は廃炉にせよ!
「放射能拡散をやめよ」
「子どもたちを保養させよ!」
「住宅の無償提供を打ち切るな」
「全国の原発を再稼働するな」

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_yyy2304jpgsumijpgweb脆弱な日本列島。
仮想敵国から、核攻撃、ミサイル攻撃されなくとも自滅する原因があっちにもこっちにも。
事実、原発事故という人災により、国土の一部は喪失されたも同然。


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_yyy3041jpgsumijpgweb東京電力福島第一原発事故から7年目に入った3月12日。
浪江町請戸港の頭上に登った満月。解体されない民家が点在する。


取材後記
 「除染は終りましたので、どうぞご自宅に帰ってお住みください。これからの生活は、ご自分でお願いします」

 広い範囲の避難指示の解除。国と東京電力は、国の指示で避難した住民にそう言っているに等しい、というのが私の実感だ。では、なぜ?

 東京五輪開催の言い訳に過ぎない。原発事故から立ち直り、復興も始まり、五輪開催も心配ありませんよ、と国内外に喧伝するためだ

 除染も復興も中途半端で約束違反。もちろん、過酷事故の収束廃炉の目途が立ったわけでもない。政府の見え透いた狙いは明らかではないか。無責任にもほどがある
 
 誰しもが、できることならば帰りたい。だが、現実にはすでに6年経ち、生活基盤はすでに故郷にはない。
これから、我が家、我が故郷の町や村に帰還する住民は、果たしてどのくらいいるのだろうか。

 仮に避難解除対象人口の10%や20%ならば、合計で3200人から6400人に過ぎない。
それも、60歳以上で、高齢者がほとんどだろう。残念ながら、各自治体の存続は、
住民数からいっても、税収からしても、失われることになる。合併するしか、存続の道はないだろう。

 なお、今回の取材の詳報は、信濃毎日新聞文化欄で4月3日から4回連続で掲載されます。
信毎読者のみなさま、ご期待ください


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2016年12月22日 (木)

佐々井秀嶺師とアンベードカル博士生誕125周年(「大法輪」から転載)

(「大法輪2016年9月号掲載から記事は転載)
(写真はクリックすると拡大します)
(無断転載は著作権違反です。ご遠慮ください)

_n613130jpgsumijpgwebナグプールにて。


佐々井秀嶺師、一年ぶりの一時帰国
 インド仏教徒一億人の最高指導者となった佐々井秀嶺(インド名:アーリア・ナーガルジュナ・シューレイ・ササイ、80歳)が、今年も静養を兼ねて一時帰国し、七夕の日にインドへ帰っていった。高齢となった佐々井師だが、例によって精力的に西や北に行脚した。

 二年前、佐々井師は、本人曰く、「原因不明の病気で三途の川を渡って冥界を彷徨い、悪さを相談している者たちを見た」あげく、不死鳥のごとくに現世に舞い戻った。事実、佐々井師の存在を好ましくないと思っている勢力からは死亡説さえ流された。昨年の一時帰国後は三ヵ月にわたり食事もままならず激痩せした。結果的に糖尿病を克服したかのような精悍さを取り戻した風情で6月初めに母国に一時帰国した。

_yyy7802jpgsumijpgwebナグプール、インドラ寺院にて。

_n616010jpgsumijpgweb佐々井師の尽力で発掘された世界遺産級のマンセル遺跡。

 故郷岡山県新見市では、共生高校で青年時代の悩みについて講演し、京都産業大ではマンセル遺跡の更なる発掘研究を呼びかけ、本州ど真ん中の大地溝帯の中心に位置する長野県大鹿村では、自然環境を大切にした生き方を実践する子育て中の若い世代とゆったりした交流の時を過ごし、青森県では、昭和大仏で知られる青龍寺(高野山真言宗)で北海道や四国などからも遠路はるばると駆け付けた熱心な参加者を前に、50年あまりの布教人生で鍛えぬいた声量で講演した。

_yyy9119jpgsumijpgweb南相馬市小高区。


 一時帰国の度に必ず訪れる原発事故後の福島県浜通り。7月半ばに政府による避難指示が解除される南相馬市小高区同慶寺の田中徳雲住職の案内で、フレコンバッグのピラミッドを見つめ、原町区の海岸では津波で流されガレキとなった住宅の柱などを埋め盛土した森の防潮提を見学し、多数の死者行方不明者が出て復興とは無縁のままの浪江町請戸海岸で、供養のために般若心経を何度も唱えた。

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 福島県三春町の臨済宗福聚寺を訪ねて芥川賞作家として著名な玄侑宗久住職との異色な組み合わせの歓談も実現。玄侑師は妙心寺派管長の河野太通老師が佐々井師の長年の支援者でナグプールにも来ていることを佐々井師から聞き驚いていた。上座部仏教僧として著名で日本語が流暢なスマナサーラ長老とも初顔合わせの対談風トークの会もあった。佐々井師が話している時、下を向いたままの姿勢や、対談相手の話に関心がないというようなポーズをとるスマナサーラ長老の仕草が、話した内容よりも強く印象に残った。

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 都内三鷹市では、公共施設の会場が満席立ち見となるほどの熱気の中、インドで60年前に仏教を復興したB.R.アンベードカル博士について解説し、佐々井師に会うのが初めての参加者と交流した。私は大鹿村、青森青龍寺、三鷹の三ヵ所で、佐々井師講演の前座として、パワーポイントで佐々井師の活動紹介と生き様を参加者に伝えた

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 7月7日、佐々井師は35日間の一時滞在の行脚を終え、国籍取得して28年となるインドの大地に帰って行った。帰国前、佐々井師に滞在中の印象深い出来事を尋ねた。山梨県の日蓮宗内船寺で、大勢の信者さんが団扇太鼓で出迎えられたことと、講和後の講談師神田甲陽さんの創作講談「ヒロシマ・ナガサキ・アンド・ピース」には思わず涙したといわれた。ご住職の奥さんが佐々井師を送り出す際、自ら「ジャイビーム!ジャイビーム!ジャイビーム!」と甲高い声で発声し、信者さんたちの「ジャイビーム!」の唱和で送り出されたことに、とりわけ感動したと話された。

_yyy8949jpgsumijpgweb_2青森市青龍寺


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 ここで登場する「ジャイビーム!(アンベードカルに勝利を!の意味)は、インド人仏教徒のあいさつ代わりのフレーズで、佐々井師が2009年に44年ぶりの一時帰国を果たした時、真言宗や臨済宗の寺院、浄土真宗系大学など宗派の垣根を超え、初めて日本人のみなさんが右手の拳を高く上げながら唱和した新しい真言だ。今回も大鹿村で、青森青龍寺でにぎやかに唱和された。
_yyy8887jpgsumijpgweb_2大鹿村でのイベント。「ジャイビーム!(アンベードカルに勝利を!)」

アンベードカル博士生誕125周年を利用するインドの政党
_yyy0813jpgsumijpgwebアンベードカル博士大学(ナグプール)


_n616264jpgsumijpgweb地方での仏教式典で、アンベードカル博士像に献花する佐々井師。

 佐々井師の一時帰国に先立つ二ヵ月前、私は二年ぶりに佐々井師の活動拠点ナグプールにいた。インドが酷暑期に入って間もない4月14日が、インド憲法起草者となり、インド仏教の復興を果たしたアンベードカル博士の誕生日だからだ。1956年の集団改宗から二か月後に急逝してしまった博士の改宗した聖地ナグプールはもとより、この日はインド各地でアンベードカル博士生誕125周年が盛大に祝われた。

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 アンベードカル博士といえばマハトマ・ガンジーと同時代の政治家で、上位カースト出身のガンジーとは対立した才能豊かな人物。しかもカースト外で奴隷扱いされていたアンタッチャブル(不可触民)出身。博士が著した「ブッダとそのダンマ」は仏教徒のバイブルとして広く読み継がれている。今年が特別だったのは、与党も野党もアンベードカル博士を称賛し、有権者の関心を引き付け選挙で有利になるための計算高い動きが際立った点にある。

 ヒンドゥー原理主義団体・民族義勇団(RSS)を母体とし、ヒンドゥー至上主義で知られるインド人民党(BJP)政権のモディ首相は、マディヤプラデッシュ州のアンベードカル誕生の地を生誕日に訪問するパフォーマンスを演じた。それに遡る3月、インド人民党は全国幹部総会で、「イスラム教徒は荷物を担いで好きな国へ出ていけ」発言で知られる党創立者のシャヤマ・プラサド・ムカジー氏とアンベードカル博士を同格に扱うようにという通達を出したほどの節操のなさだ。カースト差別から抜け出そうとインド古来の仏教を選び、ヒンドゥー教を棄て仏教に改宗したアンベードカル博士を、ヒンドゥー教が世の中で最高であるとするBJP創始者と同格に扱うという、日本では考えられないウルトラC的発想だ。

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 実際、生誕祭1週間前、佐々井師のインドラ寺院でも、佐々井師を無視する出来事があった。10数名の若い僧侶が寺院に集合し、本尊を拝んで佐々井師には挨拶することもなくブッダガヤ大菩提寺奪還闘争のために車で出発しようとした。佐々井師に断りのない生誕祭直前の動きにRSSの陰謀を嗅ぎ取った佐々井師は、僧侶たちを怒鳴り喝を入れた。「インドラにはもう来るな」と。「ジャイビーム!という合言葉を、「そんな言い方は止めなさい」と別の僧侶をたしなめる中年の坊さんもいたほどだ。この僧侶は一人の仏教徒から「お前はRSSだ」と指さされていたほどだ。

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 一方、2年前の総選挙で惨敗した国民会議派(コングレス党)も、仏教徒や下層民衆票の巻き返しにアンベードカル生誕祭を利用した。生誕記念日数日前、ナグプール市内の広場を貸し切って開催されたコングレス党の全国集会では、10万人規模の会場を埋め尽くした女性参加者の一人一人にアンベードカル博士の肖像をデザインした帽子を配った。特設中央ステージには、ガンジーの肖像画と在野民衆指導者として名高いマハトマ・プーレーの肖像画の真ん中にアンベードカル博士の肖像画を掲げた。

交代に演説する党幹部の背景の巨大なスクリーンには、アンベードカル博士の偉業を写真で次々と上映する凝りよう。メインスピーカーのソニア・ガンジー総裁(暗殺されたラジブ・ガンジー首相未亡人)は、BJPとRSSがアンベードカル博士を称賛しながら、実際には博士が起草した憲法を台無しにしようとしていると非難したほどだ。

 東京のインド大使館も、在日インド人仏教徒などを多数招いて盛大な生誕祭を開催。出席したゲストには、「ビムラオ・アンベードカル博士の生涯と時代」と題された15ページにわたる文章が掲載された日本語の「インド展望」(2016年1~2月号)が配布された。

アンベードカル博士生誕125周年パレード
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 4月13日、夜8時すぎ、アンベードカル博士生誕125周年を盛大に祝うパレードが、佐々井師によるインドラ寺院前のアンベードカル像への顕花で始まった。「バガワン・ブッダ・キー・ジャイ(ブッダ万歳)」、「アンベードカル・キー・ジャイ(アンベードカル万歳!)」と佐々井師は叫んだ。寺院前に用意された馬車風の山車に佐々井師が乗り込み聖火を受け取ると、夜の大行進が出発。重いものが握れない佐々井師から、聖火は弟子のダンマボディ(60歳)さんに渡った。(ダンマボディさんについては後述)

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 市内大通りの片側車線が通行止めとなり、老若男女の行列が8キロ続く大行進。例年にない盛り上がりだという。佐々井師の馬車の後をブッダやアンベードカルを讃える山車が続々と続き、若者や家族連れがぞろぞろ歩いた。ろうそくを手に静かに行進する女性たちに加え、プロの太鼓隊も登場。普段はお寺に参拝しないような若者層がパレードの中心だ。行進は深夜12時を回っても続いた。

 「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」の阿波踊りを見ているようでもあった。折り返し地点は、アンベードカル像の建つ「憲法交差点」。群集で埋め尽くされ身動きができないほど。人々は熱気に身を任せ、博士を称賛しながら仏教旗を大きく振った。12時過ぎきっかりに佐々井師は、アンベードカル像に顕花し、生誕125年を祝うケーキカットを例年のように行った

弟子のダンマボディさんと「アンベードカルの生涯」  

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_yyy0234jpgaumijpgweb_2早朝のお寺のそうじ。

 パレードの先頭を進んだ馬車に乗り、佐々井師の代わりに聖火を持ち続けたダンマボディさんは、佐々井師が自ら得度させた僧侶の中でも、佐々井師も断言するほどにまじめで忠実な弟子だ。一人の人間として、お坊さんとして彼ほどインド社会の下層階級にまつわるエピソードに事欠かない者はいないだろう。お坊さんの生活ぶりを知る上でも貴重なので詳しく紹介したい。

 ダンマボディさんは妻と4人の子どもがいた1993年、夫婦親子の縁を断ち切り、マンセルのマンジュシュリー寺院で佐々井師によって得度。80人が一斉に集団得度したときの一人だった。「社会にお返しをしたい」というのが出家の漠然とした理由だという。
 1歳の時、妊娠中の母親が実の弟に殺害された。自身はコレラに罹って瀕死状態にあり、父親が「私の命に代わって救ってくれ」と祈ると、彼は助かったものの父親が死亡してしまった。彼と8歳上の兄は孤児となり、7歳の時には面倒をみてくれた兄が井戸に身を投げて自殺。その後は伯父伯母夫婦に育てられたが、小学校は満足に通うことなく20歳で結婚。役場の灌漑関係の仕事につき、37歳で夫婦親子の縁を自ら断ち切って出家した。
 得度後、師の言うことを聞かず一人で勝手に森や山を彷徨い、得度から三ヵ月後に佐々井師の前に現れた彼に対し、還俗しろと佐々井師は命じた。それを拒否したダンマボディさん。放浪中には、雨季で増水する川で溺れかけ、「ナモタサ~(仏さま~)」と必死に念じて助かったという。


 3年後、ナグプール市内のイスラム教徒居住区が隣り合い、仏教徒が30戸ほどのヤショーダラナガール(街)に住み付いた。きまじめに朝晩のお勤めし、仏教徒の信頼を得て、小さな仏像があっただけの地区に寄進で寺を建てアンベードカル像も建立。2008年には生まれ育った村にも10万ルピーの大金がかかったというアンベードカル像を佐々井師主導で落慶した。さらにダンマボディさんは大菩提寺奪還闘争にも必ず参加してきた。一度は水だけで13日間の断食を続けたことがある。

 特筆すべきなのが、ダンマボディさんの佐々井師の命を守る役割だ。2008年、マンセル近郊の町で行進中、佐々井師は聖火を握っていた右腕を大火傷した。行進中に車がブレーキを突然踏んだため、溶けたろうそくを右腕に浴び衣には火がついたという。その後の皮膚移植が失敗し佐々井師の後遺症は今も残る。ダンマボディさんは佐々井師の衣の火を消そうし、はずみで車から落ち左腕に大火傷した。火傷はアーユルベーダで治療したと話す。

 二年前、佐々井師の死亡説が飛び交ったときには、ナグプールの病院に付きっ切りとなり、ドクタージェット機で佐々井師がムンバイの大病院に転院後も、佐々井師が女性は回し者として看護師を受付ないので、看護師の代わりに下の世話を率先して引き受けた。翌年、この献身的な奉仕に感激したタイの篤志家が、重さ900キロの大きな仏像をダンマボディさんに寄贈し大きな話題となった。その仏像がお寺に到着後は、佐々井師の主導で仏像のお披露目大行進で周辺の路地を練り歩いた。「微笑みかけているような表情がインドのものと違い気に入っている」とダンマボディさんは話す。

8145ムンバイの病室で寝泊まりし、付きっ切りに介護するダンマボディさん(奥、2014年)。

 ダンマボディさんの日課は、毎朝5時起床、拡声器を通してお経を流し、寺の内外を掃除。6時には信者のいない寺で熱心に30分のお勤め。読経の結びは、「南無妙法蓮華経」「オンマニペメドフン」「ナモブッダ、ナモダンマ、ナモサンガ」「ジャイビーム!」で終わる。夜7時のお勤めは信徒さんたちが20人前後集まる。「信徒が来ても来なくてもまったく気にならない。早朝は信徒は仕事もあり起きるのも大変だからだ」。

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_yyy9994jpgsumijpgweb近所の仏教徒も参加する夜のお勤め。

 朝は寺の近くの信徒さんの家でチャイをいただく。朝食の供養は毎日のようにあるので徒歩かオートバイで出かける。食事後には一時間念入りに読経。誕生日祝いや新車の祝福などで毎日が結構忙しい。ある晩、ダンマボディさんを迎え、51歳の誕生日祝いを祝福してもらったのは二人の息子が大学に通う公務員一家だった。食事の供養、1時間の読経が終わると夜10時半を過ぎていた。お布施は500ルピー。日本円で1000円弱。佐々井師にお布施する信徒が100ルピー前後が一般的なことからも高額だ。寝る前には必ず愛読書の「アンベードカルの生涯」を声を上げて読む。ダンマボディさんのすごいところは、独学で学んできたことだ。

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 佐々井師にダンマボディさんについて尋ねると、「指導者になるタイプの僧侶ではないが、インド人の僧侶にしては、私を裏切らずにまじめでよくやってくれる」との評価だった。佐々井師の信頼を、うぬぼれ、お金の問題や女性問題でダメにし、佐々井師に敵対する勢力から担がれているという自覚のない僧侶も多い中、ダンマボディさんは稀有な僧侶だ。佐々井師の多様な大事業を継ぐインド人の弟子はどこにもいないようだ

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 「大菩提寺管理権奪還のための裁判闘争に力を入れるので、みなさん協力してください」と佐々井師は各地で呼びかけていた。全世界の仏教徒の最大聖地が、いまだに仏教徒の手に管理運営する権利がないのだ。

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2016年10月27日 (木)

あなたも行きたくなる、「そうだ!希望の牧場へ行こう!バスツアー」 第一回の報告

(写真はクリックすると拡大します)

Dsc_3701jpgjpgwebシン・ゴジラを宣伝する自衛隊の広報ウィンドーから始まったツアー。
シン・ゴジラと陸海空自衛官募集が合体したポスターと、陸上自衛隊福島駐屯地創立63周年記念行事のポスターが貼り出されていた。(福島駅の地下通路)
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10月1日(土)、新幹線福島駅改札出口で集合した一行16名(参加者は関西圏や首都圏などからで、7割が女性)は、駅前で小型バスに乗り込み、浪江町と南相馬市との境に位置する希望の牧場へと向かった。全村避難となっている飯舘村を通り抜けるルートのため、フレコンバッグの仮置き場(吉澤さん流に表現すると、フレコンバッグの古墳地帯)を右に左に見て、真東の太平洋の方向へと向かった。飯舘村ではトイレ休憩後にバスを降り、ツアー参加者は黒い袋の山をまじかに体感した。

_n619329jpgsumijpgweb神戸から参加したご夫婦は、持参したガイガーカウンターで空間線量を計ってみた。希望の牧場の放射線量が相当に高いことを後で実感することになる。(飯舘村)

_n619337jpgsumijpgweb用意周到の希望の牧場スタッフ。針谷さんと柴田さんのコンビで、移動するバス車内で牧場や吉澤さんについて、参加者の知識を確かめるというか、笑えるクイズを出して、あきさせない努力をしていた。

Q:「吉澤さんはバツ3である?」というクイズもあった。正解は???

Dsc_3709jpgsumijpgweb用意周到な旅のしおりまで配布された。


 昼食は今年7月に避難解除されたばかりの南相馬市小高区で営業再開している「双葉食堂」。てんこ盛りのラーメンなどが特徴。昼食を済ませ、いよいよ「希望の牧場」に到着。入口でバスを降り、歩いて広い牧場の中ほどへ向かう。原発事故を生きのび、放射能汚染されながらも、天命を全うしようとしている300頭をこえる牛たちは、我関せずの態度で、牧草地で午睡を楽しんでいた。
 一見、何の変哲もない高原の、のどかな牧場に観光客の一団が到着したような風景だが。

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 数名の先客もいたため、吉澤節はすでに全開だった。
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_yyy0853jpgjpgweb両手には真っ赤な花火とも爆弾とも見えるものを持ち、道化師のごとくに熱弁をふるう吉沢さん。

「アベマリオといいます。北朝鮮ではありません。次の原発大事故はおそらく2020年。福島事故の次は、原発の無理やりの再稼働によって次の大きな原発事故が起きるでしょう。東京直下の大地震。東南海の大地震。2020年が危ない!」(10月28日、訂正しました)

代々木での吉澤さんのパフォーマンス動画。9月22日撮影

Dsc_3744jpgsumijpgweb吉澤さんがガイド役となり、バスで除染作業たけなわの浪江町の街中を抜け、請戸海岸に向かった。


_n619656jpgjpgweb二度と住むことのできないと判断された住宅などが解体され、除染が終了した更地があちこちに点在する希望の牧場に隣接する集落。


_yyy1223jpgjpgwen地震により傾き、倒壊は免れているものの、解体される運命にある国玉神社。除染は完了しているが、設置されたモニタリングポストは0.6マイクロシーベルト近くを示していた

 除染しても下がったとは言えない町に、住民のみなさんは帰っても大丈夫ですよと言っているかのように、浪江町の一部の避難解除は来年3月に実施されるようだ。
国が国民に示す「安心安全」の基準がこれ。


Dsc_3751jpgjpgweb請戸海岸で吉澤さんの解説を聞く参加者のみなさん。浪江町では津波などにより180名以上が亡くなったいる。津波の被害は請戸海岸一帯に集中した。津波で流された漁船は全て撤去され、住宅の基礎部分の撤去工事が始まっていた。それでも、イチエフの排気塔が目の前に見える請戸海岸は、津波の爪痕はいまでもあちらこちらに残されたままだ


File1009jpgsumijpgweb請戸海岸には、500億円の予算で、除染で出た可燃性の放射性廃棄物を焼却する仮設焼却炉が稼働している。三菱造船系のJVが請け負った、減容化という美名の、実際にはセシウムなどが濃縮された灰を生産する焼却炉だ。(この写真は今年3月に撮影)


101jpgwebツアー初日、夜は夕食と交流会で参加者と吉澤さん+牧場スタッフは親睦を深めた。南相馬市の居酒屋にて。

10月2日(日)ツアー二日目

_n619543jpgjpgweb気性の荒いといわれるホルスタインのガガちゃん。


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原発事故由来の放射能の被ばくにより、経済的価値のなくなった牛たちだが、早朝から日課のエサを食べる仕事が始まっていた。
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参加者の数名がボランティアで早朝からのエサやりに参加。やる気満々の面々だ。
誰もが牛だけでなく、生きとし生けるものの命をいたわる気持ちが強い人たちだ。

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Dsc_3837jpgjpgwebエサやりの途中の休憩タイムは、牧場でしか味わえない吉澤さんとの会話がはずむ。人生経験豊富な女性たち。遠慮なき質問も飛び交う
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 午前中の買い物などを済ませ、エサやりに参加しなかった残りの一行が牧場に到着後は、原発事故後に死んでいった200頭余りの牛たちが葬られている場所で献花と焼香。牧場の奥に建つ吉澤さんのお姉さんの家での昼食と希望ミーティング、そして記念写真などを撮り終え、第一回ツアー一行は福島駅へ向かった。

Dsc_3844jpgsumijpgweb持参した線量計で空間線量を測定して驚く参加者。牧草地の一角だが、平均して1.9マイクロシーベルトある。牧場は原発から北西方向の一角だ。

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原発事故から1~2年の牧場は、犠牲牛が続出。これまでに200頭近い牛が死んだとされる。大雨により、盛り土が流されたようで、牛の骨が露出していた

_yyy1004jpgsumijpgweb焼香し、冥福を祈る参加者。


_yyy1052jpgsumijpgweb空には不思議な雲がたなびいていた

Dsc_3861jpgjpgweb二代目の福ちゃんと記念写真を撮る参加者。

Dsc_3879jpgsumijpgweb昼食後の希望ミーティング。


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Kinenwebバスに乗り込む前のツアー参加者のみなさんと吉澤正巳代表+お姉さん&スタッフのみなさん。晴天にも恵まれた二日間だった。

_yyy1118jpgsumijpgweb普段は仲のよくない???吉澤姉弟が、福島駅へ向かうツアー参加者を仲良く見送った

Dsc_3885jpgsumijpgweb普段の静けさを取り戻した牧場の夕方。一見、平和としか見えない牧場の光景が広がっていた。


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_n619678jpgjpgweb除染が町内各地で進行し、そこらじゅうに汚染土の仮置き場が作られている浪江町。
全町避難で住民の生活する姿のない町は、確かに「フレコンバッグ古墳地帯」と呼ぶのが相応しい状況と化しつつある。
これでも浪江町の一部の避難解除は来年3月に予定されている。

Dsc_3890jpgsumijpgweb東京電力の原発事故から5年半。除染完了した場所に設置されたモニタリングポスト。除染しても、0.4マイクロシーベルトと高い数値

 1泊2日のツアーに参加するだけで、原発事故の深刻さや、故郷に帰りたくても帰ることのできない住民の心の内が、より一層身近に感じられること請け合いだ。次回はあなたも参加してみてはいかがですか。


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2016年8月24日 (水)

夏を満喫する「佐渡へっついの家」保養キャンプの福島のこどもたち

(写真はクリックすると拡大します)
撮影はすべて8月11日から13日。

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自分たちで割った薪でお風呂を沸かす小学生たち。

 
 東京電力福島第一原発の過酷事故直後から、福島県に通い、国による強制的な避難を強いられた地域を中心に繰り返し取材してきたが、私の長野県の実家の隣町の小諸市での保養サマーキャンプのボランティアを少し手伝ってきたが、本格的に保養キャンプを取材しないままでいた。

 そこで、お盆の最中、ユニークさで評判の、「佐渡へっついの家」夏の保養キャンプを訪ねた。昨夏日程的に無理だったのでようやく現場を体験し、楽しむ子どもたちの気持ちと継続運営するスタッフのみなさんの大変さを痛感することができた。

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 「佐渡へっついの家」では、福島県の小学生たちが、思いっきり夏を満喫し、エネルギーが途切れることなく遊びまくっていた。小諸市の上げ膳供え膳のサマーキャンプとは大きく異なり、屋外で遊び、薪で五右衛門風呂を沸かし、へっつい(かまど)でご飯を炊いたり、年の差もものともせずに共同生活を送る知恵を学びながら、毎日を送っていた。

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かまどでご飯を炊く小学生たち。
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 「佐渡へっついの家」は、詩人でNPOライフケア代表でもあり、原発事故後は福島の今を伝えるスタディツアーも実施する関久雄さん(65)が責任運営をしている。関さんとはこれまでも何度かお会いしているが、現場を訪ねるのは初めてで、ワクワクしながらの取材だった。

_yyy8142jpgsumijpgweb_2水田に囲まれたような古民家が保養所。

_yyy7735jpgsumiweb_2アブラゼミが地中から次々と湧いてくるような木々に囲まれた古民家。

_yyy7120jpgjpgweb_2関久雄さん(65)

 関さんの話っぷりは、肩にまったく力が入っていない。

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ツリークライミングをすぐに身に着け、登ってゆく小学生。

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ツリーハウスに登った子どもたちとスタッフ。


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「ジョニー」の愛称で子どもたちから慕われる関さんは、詩人であり音楽もやる。若い頃はヒマラヤにも登る登山家でもあった。

 関さんたちは原発事故の起きた2011年から、放射能に汚染されてしまった福島県で自然と共に外遊びする機会を奪われた子どもたちが、新潟県佐渡島の放射線量の低い地で子どもらしく外遊びでき、保養し免疫力の向上を図るキャンプを運営してきた。

 「福島県は、『福島安全宣言』を主張する政党まで現れ、反対意見が言いにくい状況に追いつめられている。原発事故による放射能汚染の「不安」に対してとやかくいうスタンスそのものがおかしい。子どもたちの保養だけは守りたい」と関さんは話す。


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佐渡で一番大きな加茂湖でのボート乗り体験。まずはオールこぐ練習。

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_yyy7971jpgsumiweb加茂湖は朱鷺も住み着いている森に囲まれている。


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 関さんたちは、2015年から保養事業『佐渡へっついの家保養キャンプ』を主催。春と夏の保養キャンプ参加者はのべ400名になるという。

 福島県ではすでに172人が甲状腺がんまたは疑いと診断された。131人は手術を受けた。

 関さんは、単なる参加型ではなく、築100年のリフォームした古民家での、好き勝手ができない共同生活を送りながら、「一緒に創り上げる体験型」のエコロジースクールの役割を目指している。


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食事の前にはみんなで手をつないで、食事に感謝する独自のお祈りをしてから「いただきます」となる。

「太陽と大地と海のめぐみと私たちを守ってくれるすべての存在に感謝していただきます」

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_n616840jpgjpgweb食器洗いは自分たちで。


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その日の反省会を兼ねた夜のミーティング。
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私が好きな関久雄さんの詩の紹介

 「たとえれば」

なんで 逃げないのかと 言われ
なんで 帰ってこねえと 言われる
そこで育てるのは 子殺しと同じ と言われ
戻らねえのは 放射能は危険という
迷信に取りつかれてんだよって 言われる
なんて こたえたら いいだべか

チェルノブイリ法みたいに
食う 寝るところに 住むところ
生活の保障なかったら 簡単には出られね
20キロ圏内でも暮らせる
20ミリシーベルトならだいじょうぶだ と おっしゃる おめさんよ
まず あんたがそこさ 住んでみっせ

ミヤコさんがこう言った
たとえれば
わたしは 0度のところさ住んでいて いっつも寒い
おめさんは 26度のところに住んでいて いっつも暖かい
わたしは 10度のところさ行くと あったけえと感じるけんど
おめさんは 10度のところでは 寒い寒いと言う
つまりは そういうこと
そこで暮らさないと わからねえのです

ハローワークのとなり うず高く積まれたフレコンバック
隣の公園で子ども フツーに遊んでっから 驚きやしたか
街を歩くひと マスクもつけず
フツーに暮らしてっから 安心しやしたか

スーパーの壁 「ふくしまっ子復興祈念マラソン大会」のポスター
木枯らしにせつかれ 家路を急ぐ モノ言わぬひと
どこさ向かうのか 
どこさ行きたいのか

(2015年11月18日)
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_n617140jpgsumijpgweb虹染でできあがったハンカチが風にたなびく。


_yyy8080jpgsumijpgwebそうめん流しの昼食。


_yyy7858jpgsumijpgweb庭先では子どもたちが飽きることのないかのように、卓球で遊んでいる。


_yyy7664jpgsumiwrb食事作りの責任者がボランティアを終えて新潟県の実家に帰っていくところを、走って跡を追うこどもたち。


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 今年7月には、南相馬市小高区と葛尾村の避難指示が政府により解除された。「もう避難生活続けなくても大丈夫だからお帰りください」と住民に促しているわけだが、果たしてどれくらいの住民が帰還するだろうか。

 東電福島第一原発の事故は収束しただろうか。放射性物質が大気中に拡散しないように蓋がされただろうか。汚染水が魚や海産物の宝庫の海に流出することを止められただろうか。原発事故収束現場で働く作業員が被ばくしないで仕事ができる現場になっただろうか。低線量被ばくの不安を一体誰が払しょくすることができただろうか。放射性廃棄物を入れたフレコンバッグのピラミッドが、浜通りや中通りの仮置き場から、大熊町と双葉町の所定の置き場に移動させれらただろうか。

 3・11から5年半が経っても、答えは「NO」ではないか。

 残念ながら自主避難も、親子が遠く離れた生活を続ける母子避難も続いている。子どもたちや大人たちの保養や自主避難はもう必要ないなどという無責任な言説が出てくること自体、寛容さを失った非民主的な社会の始まりだ。クワバラクワバラ。

 
 関さんたちは佐渡の「へっついの家」での保養所を継続させていくため支援を募っている。目標額は100万円の「READYFOR」クラウドファンディングが9月7日まで実施されている。目標額までは後15万円足りない。

 「子供たちを放射能から守り、日常を過ごすための保養の費用として100万円が必要です。皆さま、ご支援よろしくお願いします!」

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2016年8月 4日 (木)

熊本の地震は大震災ではないのか第2弾(7月13~15日取材)

(写真はクリックすると拡大します)

_yyy3065jpgjpgweb益城町中心部、7月14日撮影

 熊本の大地震の被災地を前回(4月29日~5月2日)に続いて歩いた。直下型地震のあまりの破壊力と、広範囲に及んだ被害に圧倒された熊本大震災。前回は大地震から二週間後。今回は雨季となる地震から三ヵ月後に取材しようと決めていた。三ヵ月もすれば、映像的には地震後とは異なる、何か大きな変化が感じられるかもしれないという淡い期待があったからでもある。

 果たしてどうだったろうか?以下の写真で見ていただけば一目瞭然。余計な説明は必要ないだろう。撮影は全て7月13日から15日にかけてである。

◯何が変わったのだろうか?
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熊本空港に着陸する直前の、飛行機から見たブルーシートが目立つ被災地。


_yyy3019jpgsumijpgweb益城町中心部。


_n614828jpgsumijpgweb二階建アパートの一階部分が倒壊した一角。益城町木山地区。

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_n614970jpgsumijpgweb6月の豪雨などで被災地は情け容赦なく雨季の長雨にさらされている。例年よりも雨量が多いと住民もいう。倒壊家屋の続く路地を歩くと、カメラを手にした露出部分を情け容赦なく蚊が襲ってくる。ボウフラのわく水たまりがそこら中にできているのだろう。異常発生しているに違いない。

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_n614903jpgsumijpgweb降りやまない雨の中、つぶれた倉庫の肥料の上にブルーシートをかける農家のご夫婦。益城町寺迫地区。


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 大地震の被害が集中した益城町の中心部は、住宅が密集していることもあり、全壊、半壊家屋の解体作業がやっと始まったばかりで、歩けど歩けど、昨日や今日、大きな地震に襲われたようで、とても三ヵ月も経過しているとは思えない光景が広がっていた。

 いみじくも、益城町木山地区を拠点に、ボランティア活動を大地震直後から続けている女性が言った。
「ここは時間が止まったようです」

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_yyy3163jpgsumijpgsumijpgweb益城町の中心部から離れた小谷地区。


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益城町杉堂地区。解体作業はほとんど始まっていない。西原村とを結ぶ道路はさらなる土砂崩れなどのために通行止めは変わらずだった。

 益城町は解体作業そのものが遅れていた。その原因は6月の豪雨が地震の被害を拡大したこともあるだろうが、建物の損壊状況を調査する第二次調査の進行の遅れにより、住宅解体の公費負担や仮設住宅への入居資格に直接かかわる罹災証明書の発行が滞っているためだった。

ここまで写真を見ていただければわかることですが、全壊した建物にブルーシートはかかっていません。簡単なことですが、倒壊した家の中からまだ貴重品か何かを探し出す予定の場合は別として、解体撤去するので、シートをかけて雨水から守る必要がないためです。


◯南阿曽村
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テレビが最も報道した阿蘇大橋入口。

_n615338jpgsumijpgweb_2多数の死傷者を出した東海大学の学生寮となる民間のアパートが集中する地区。周辺の二階建アパートは軒並み、一階部分がつぶれていた。完全に崩落した阿蘇大橋からは300mほどしか離れていない。

 大学生たちに多くの死傷者が出たこともあり、倒壊したアパートはほとんどそのままで残されていた。一つの区切りがつかないと、こうした現場の復興はスタート地点に立つことさえも難しいことを感じさせる。

_yyy3391jpgsumijpgweb犠牲者の出たアパートには簡易的な献花台が用意されていた。大震災から三ヵ月後の7月15日。この日は、南阿蘇村でボランティア活動を続ける若者ら10数名が、交代で献花し焼香する姿があった。


_yyy3430jpgjpgweb南阿蘇村内で重機を使ったボランティア作業中の男性が献花に訪れ、犠牲者を追悼していた。男性は益城町の木山地区を拠点に震災後から活動している危険な作業を請け負うベテランボランティアだ。
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_yyy3439jpgjpgwebこのアパートにも小さな献花台が供えられていた


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◯西原村の変化
 西原村は益城町の中心部とは異なり、全体が農村地帯で集落は離れて点在している。そのためか、全国ネットで報道される機会は益城町と比べると極端に少なかった。しかし被害は甚大だった。
 農家や自営業の被災者は、自宅や農業用倉庫、店舗などが壊れて収入が断たれたため、生活再建のためには一刻も早く農業を再開し、同時に全半壊の建物を解体する必要に迫られていた。公費解体を役場に申し込んで順番を待っていると、いつ解体できるか目途が立たないために、自主的に役場が指定する業者と契約して解体工事を開始していた。
 ちなみに、全壊家屋の解体費用は国が支出することになっている。しかし、「半壊」認定では解体費用は自腹となるために、経済的に苦しい被災者が自主解体をするのは楽ではないし、家の修理費が相当な負担を考えると、全壊認定を受けて、公費解体を待つほかはない。

_n615299jpgjpgweb解体の終了した農家の敷地。西原村風当地区。

_yyy3339jpgsumijpgweb同じく風当地区の解体工事が始まった農家。公費解体は待ちきれないために自主解体だ。


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更地となった風当地区公民館跡。
_n619326jpgsumijpgweb4月30日に撮影した、倒壊した風当公民館。

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西原村役場によると、全半壊は1327戸(棟)。7月14日の時点で解体申請は1250件。(第二次損壊調査の途中のため、増える可能性がある)自主解体は350件が解体中か終わっているとのことだ。全壊家屋の自主解体の場合は解体工事終了後に規定の予算内の費用は公費で支払われることになる。

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 西原村布田地区の自宅兼店舗を自主解体し、更地にしたばかりの緒方登志一さん(60歳)と奥さん。「味の山一」ののれんを掲げた。奥のブルーシートがかかった料亭の建物も全壊だが、ぐちゃぐちゃに壊れた内装をボランティアの力を借り、家族で一丸となってきれいにした。


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 天井板、床板、壁などを全部取り払った料亭。緒方さんは東日本大震災後に数件の商店が一緒になって生活再建事業の補助金を申請するグループ補助金の申請を準備中だった。万が一、補助金が下りないときには、全壊状態の料亭を修理して商売を再開するつもりでいるという。自営業のため、事業を再開しない限り収入は完全に断たれたままだ。

 緒方さんには20代の未婚の娘さんが4人いることもあり、将来を悲観し自殺を考えるところまで追いつめられたと話す。しかし、今は気持ちを切り替え、更地の跡を利用し、7月からビアガーデンを開業するつもりだとも話した。


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◯前回取材したシイタケ農家
1jpgweb_2シイタケ農家の荒木さん(64歳)。山中奥のゴルフ場に隣接する森の中にあるシイタケ栽培場。地震で数千本あるほだ木が倒れたままで手付かずの状態。


_n615251jpgsumijpgweb前回は空っぽだった風当地区にあるシイタケ用ハウスでは、シイタケ栽培が始まっていた。最盛期には程遠いが、毎朝、シイタケを収穫し、袋詰めして村内の農産物が集積され販売される「萌の里」に配達されていた。
「萌の里」は大切畑ダムの先にあり、道路はまだ復旧していないため、近いうちに村の中心部に臨時ショップが開設かれるとのことだ。

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 大きくて立派な自宅が全壊した荒木さん夫婦は、完成したばかりの仮設住宅に入居したばかり。自宅は再建することにしたと話す。「もし今75歳だったら家の再建はしないと思う。年金でアパート生活を選ぶよ」と話していた。
まずは大型のシイタケ乾燥機や冷蔵庫などを地盤が傾いた倉庫から運び出し、地盤の安定した場所に再建する倉庫に移す計画にしていた。

 荒木さんの姿から、農家の生活再建の道は予想以上に早いのかもしれないと感じられたのが、数少ない希望だった。

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◯完成したばかりの西原村仮設住宅
 西原村については触れたが、熊本大震災の被害の全体像を記しておきたい。全壊は8299棟。半壊は25932棟。一部損壊が120584棟。この数字だけでも、住まいを失った被災者の多さが想像できるのではないだろうか。

 7月14日の時点で、熊本県内14市町村の避難所で生活する被災者は約4700人。建設が予定されている応急仮設住宅は3631戸だが、完成したのは約4割の1429戸分だ。車中泊を続ける被災者さえもいまだにたくさんいる。西原村の場合は、避難所に292人が残り、車中泊は59人と役場の担当者が言った。


西原村の仮設住宅(300戸プラス)が完成したのは震災から3ヶ月が経過する直前。村の中心部、幹線道路に面した広大な村有地が利用された。村としてはここ一ヵ所のみなので、とにかく広い。

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東日本大震災でおなじみとなったプレハブ式仮設住宅。残念なことに、熊本の被災地でもこれから最低2年間は活用される。

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◯取材後記
 8月2日、安倍自公政権は総額28兆円の経済対策を閣議決定したという。このうち国と地方自治体が直接支出する7.5兆円は、見合った効果が期待されると指摘される。しかし、公共事業は10.7兆円で、不要でルートさえ決まっていない名古屋~大阪間のリニア中央新幹線の全線開通の前倒しなどの「絵に描いた餅」にばらまく内容だ。
 保育士や介護士の給料をアップし待遇改善することや、奨学金返済で苦しむ学生や社員になれない非正規労働者などの社会の弱者のための対策費は、微々たるものだ。

 同時に熊本大震災の被災者や東日本大震災被災者の生活再建に直接資するような予算措置は、「インフラの整備」はあっても疎かにされている。
 まさに安倍自公政権とはどんな政府かということがここからも見えてくる。

 今回の取材の詳細なルポ記事は月刊誌「自然と人間」8月号に書いているので、そちらをお読みください。

・前回の取材ブログ記事はこちらにあります。熊本の地震は大震災ではないのか?熊本大震災フォトルポ(4月29日~5月2日)


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2016年7月30日 (土)

選択肢はひとつ!猪瀬、舛添の流れを断ち切るジャーナリストを!

(写真はクリックすると拡大します)

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 東京都には「聞く耳を持つ」、「政治家上がりではない」人。
日本の人口の10人に一人が住む都市で、戦後民主主義を守るくさびを打つ人を!


「働いてよし」
「住んでよし」
「環境によし」
「学んでよし」

劣勢が伝えられている鳥越俊一郎候補しかいない。
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「鳥越俊太郎でよし」
最新のキャッチフレーズを付け加えると、
「女性によし」
である。
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女性だけの応援弁士による渋谷ハチ公前の街頭宣伝。29日

 宇都宮健児さんが苦渋の決断で、出馬を辞退したときの、都政を変える「千載一遇のチャンス」を逃したら、安倍自公政権の「聞く耳を持たない」政治と同じ都知事に、三度四度苦しめられることになることを想像してから、投票してほしい。

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前回都知事選で野党候補が真っ二つに割れた無残な結果を思い出してほしい。
前回選挙結果を参考に記しておこう。
・投票率は46.14%

1:舛添 要一    2112979
2:宇都宮 けんじ   982594
3:細川 護熙     956063
4:田母神 俊雄    610865

 前回と大きく違うのは、舛添氏を熱烈に応援した安倍自公与党から二人の候補者が出るという二分と、野党が参議院選で11の一人区で接戦を制する結果を出した野党共闘で候補者を鳥越候補に一本化したという点だ。
まさに「千載一遇」のチャンスが到来したのだ。

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鳥越俊太郎候補のWEB
http://shuntorigoe.com/

政策の詳細は以下のwebで。
http://www.shuntorigoe.com/pg_tochiji.html

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 選挙戦最終コーナーを回って、鳥越候補が街頭宣伝会で新たに掲げた「三つのゼロ」。
1:待機児童ゼロ
2:待機高齢者介護ゼロ
3:原発ゼロ

加えて、強調するのが「非核都市宣言をやりたい」という抱負だ。
そのために、東京から250キロ圏内にある原発の廃炉と再稼働をしないことを申し入れると約束している。

_yyy6318jpgsumijpgweb_2山本太郎議員の熱烈な応援スピーチとお願い。
「鳥越さんは汚染水はアンダーコントロールではないと公共放送に乗せてくれた。知事として海産物のストロンチウム検査を実施してほしい。東電社外取締役だった人にも、自民党を除名されず無党派のフリをしている人にもできない」

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奨学金返済問題について筑波大院生でSEALDsの諏訪原さんがリアルな現実について鳥越候補に訴えた。
「1650万円。来年から毎月68791円返済することになっているぼくの奨学金返済総額です。こんな話はみじめなので人前ではしたくなかった」
「都知事選は46億円かかるそうです。153万人分の奨学金がチャラになる金額。そんなことも想像できない今の政治っておかしくないですか。政治家にはもう期待していません。でも鳥越さんだったら1ミリは期待してもいいと思って来ました。私たちのためになる政治に責任をもってほしい。若者を見捨てずリーダーシップを発揮してください」

・「給付型奨学金を都としてやりたい」と宣言。

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 大学を出たら一人暮らしをしたいが、家賃が高すぎる。6万7万円するので家族から自立して暮らすことができない。「まず誰でも普通に住めるようにしてほしい。最低賃金を1,500円にしてほしい」と、応援弁士として訴える大学生。

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武蔵小金井駅前の街頭宣伝。辺りを埋め尽くした聴衆。29日。

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京都の瀬戸内寂聴さんは、作家の澤地久枝さんに鳥越さんを支持するメッセージを託した。29日ハチ公前。

_yyy6720jpgsumijpgweb加藤登紀子さんが鳥越さんを熱烈応援に参上。
自ら歌うと公選法違反になるとのことで、歌のうまい鳥越さんに一曲歌わせることに成功。

山田洋次監督も鳥越さんを応援とのこと。

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渋谷ハチ公前の街宣に集まった人たち。29日


ちなみに対立候補の二人の略歴を簡単に紹介します。
・小池百合子候補(第一次安倍政権防衛大臣。自由民主党広報本部長、党総務会長など歴任。2009年衆議院選では幸福実現党が選挙協力。幸福実現党は幸福の科学の政党部門。2009年の総選挙では核武装論者の田母神俊雄氏を党の広告塔に祀り上げたほどの危険な宗教政党。)。_yyy5832jpgsumijpgweb_2新小岩駅前。28日
小池候補は核武装の必要性にも言及するほどの、核を信奉する自民党議員。無所属を装うが、いまだに除名もされていない。


・増田寛也候補(第一次安倍政権、福田政権の総務大臣。東電社外取締役)。
_yyy5896jpgsumijpgweb_2高円寺駅前。28日
自民党と公明党が組織を挙げての応援。
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誰がどう見ても、二人はズブズブの自民党。
民進党や共産党支持者が、小池候補とか増田候補に支持先を変えるということが、ヘイトスピーチでおなじみのドナルド・トランプ共和党大統領候補に投票するようなものだということを自覚したほうがいいだろう。
最後まであきらめなかったバーニー・サンダース氏が、支持者の反発覚悟の上でクリントン支持を訴えた。
「ヒラリーを支持せよ、でなければ民主党は破滅だ」

「鳥越を支持せよ。さもなくば民主主義は破滅だ」と置き換えたらわかりやすい。それほどに、今回の都知事選挙はある意味で国政選挙以上の影響を様々な分野に及ぼすということだ。

安倍自公政権による戦後政治の暴走を見て見ぬふりをしたくないのならば、今回の都知事選で最悪の結果になることを回避したいのならば、答えは火を見るよりも明らか。

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鳥越俊太郎と「みんなで都政を取り戻そう!」のコールに、拳を突き上げるハチ公前街宣参加者のみなさん。


男は黙ってジャーナリスト名を書く。
女も黙ってジャーナリスト名を書く。
間違っても「トランプ」と書いてはならない日本の命運がかかっている選挙なのだ。

7月30日、選挙戦ラストデイat新宿バスタ前。

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鳥越!鳥越!鳥越!コールが歓声のように続いた。

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深く、長く頭をたれて選挙戦を応援してくれたみなさんに感謝する鳥越俊太郎候補。


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2016年5月10日 (火)

インド・ジャイタプール原発建設に反対する住民:「日印原子力協定締結に反対」

(写真はクリックすると拡大します)

 インド西部、アラビア海に面したジャイタプール原発建設予定地(マハーラシュトラ州)は、三陸海岸のように入り江が幾重にも入り組んだ自然環境が特徴的。

 大小の漁村と農村が重なり合い、この地方の特有の天候と自然環境に適した漁業と、アルフォンソマンゴというマンゴの中でも最高級マンゴが主体の農業が確立されていることを実感した。現地はムンバイから南に直線で約270キロ。東京と福島第一原発の距離よりも若干遠いという位置関係だ。

ジャイタプール原発建設予定地周辺の自然環境 
_yyy9257jpgsumijpgwebアラビア海に面するジャイタプール原発建設予定地に隣り合う入り江からの夕景。


_yyy9335jpgsumijpgwebジャイタプール原発建設予定地周辺は、入り江ごとに漁村や農村折り重なり、風光明媚で自然環境は豊かなままだ。

_n614272jpgsumijpgwebマンゴの最高級品として取引されるアルフォンソマンゴ。


_yyy9342jpgsumijpgweb高台に整備されたアルフォンソマンゴのプランテーション。赤土の大地は乾燥して痩せているような印象を受けるが、マンゴの成育には適しているようだ。

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重量感もあるアルフォンソマンゴ。出荷が近い。


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インドの原発立地地図(取材現場)
Jpgwebインドの原発立地地図。大雑把に手書きしてみた。

 原発事故が生む目に見えない放射能汚染は、地震や津波などの天災とはまったく異なる怖さがあることを、福島第一原発の水素爆発で日本人は経験した。

 原発推進のインドでは、人々は福島のような原発事故は未経験だが、チェルノブイリ原発事故から学び、福島第一原発事故が反対運動を一気に盛り上げた。

_n614432jpgsumijpgwebジャイタプール原発建設予定地に近い中心都市はラトナギリ。4月は酷暑の入り口。昼間の活動を控え、夜になると住民は一気に活動的になる。


ジャイタプール原発建設に一貫して反対してきた漁村、サカリナテ村

 ジャイタプール原発(マハーラシュトラ州コンカーン地方。2008年にインドとフランスの合意が成立。インド原子力公社は2005年から2009年にかけて土地を取得した。仏のアレバ社が一基160万キロワット6基、合計990万キロワットの原発を建設予定。建設費用が高額で問題の多いヨーロッパ加圧水型。アレバ社の原発部門は事実上倒産で、建設計画はストップしている)。建設予定地に最も近い漁村のひとつがサカリナテ村。1500戸、人口は約10000人。歴史の古い大きな漁村で、住民の大半はイスラム教徒。放射能汚染や高温排水の影響を最も受けやすく、住民は一丸となっている。


_yyy9095jpgsumijpgwebjpgwebアラビア海から内陸に少しだけ入った漁村としての適地。ジャイタプール原発の建設が予定されているのは、この入り江を挟んだ反対側の高台となる。

 サカリナテ村は原発建設予定地一帯では大きな漁村。港から入り江を抜け、アラビア海に出る高台にある灯台は、原発建設予定地の先端となる。


_yyy9105jpgsumijpgweb大型の漁船が大量に繋留され、漁業資源が豊かだということも実感できる。


_n614138jpgsumijpgwebモスクを中心とした大きな漁村だ。家も密集している。

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_yyy9199jpgsumijpgwebサカリナテ港から漁に出かける漁船。灯台のある高台が原発建設予定地の一角となっている。どこか福島第一原発に似たような立地条件。原発が建設されれば、入り江の半分が法律上は立ち入り禁止となり、漁船の自由な航行も阻害される。


_yyy9181jpgsumijpgweb原発建設予定地に建てられたばかりの建物が見える。現在のところ、動きはストップしているという。

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_yyy9400jpgsumijpgweb2011年4月18日。原発に反対するデモ隊に対する警察と準軍隊の弾圧により、イスラム教徒の漁民、タブレス・サエカーさん(31歳)が銃弾を胸に受け死亡。負傷者約16人。父親のアブドゥル・サッター・サエカーさん(60歳)は一人息子を失い悲しみにくれる。警察からは何の詫びも補償もなく、発砲について警察は「法と秩序を守るためだった」とコメントしただけだという

_n614349jpgsumijpgweb原発推進する権力側の銃弾に倒れ、殉教者となった息子さんの死を忘れないように現場に建てられた看板。

_yyy9384jpgsumijpgwebサカリナテ村のイスラム教徒のモイド・カドゥさん(45歳)は反対運動活動家で本業は運送業と漁業。2006年から反対運動に参加してきた。

「もし原発が稼働すれば、漁業には完璧なダメージとなる。日本が原発を止め、ドイツが原発を辞めることにしたので、さらに危険だと感じた。補償など要らない。原発を辞めろ!」

_yyy9623jpgsumijpgweb2015年12月の安倍首相のインドを訪問の際に貼られたポスターが村のあちこちに残っていた。ポスターに書かれたスローガンは以下の通り。

「日印原子力協定締結に反対する」「みんなで核は要らないと叫ぼう!」
「ジャイタプール原発建設を辞めろ!」「コンカーン地方を救え!」


真っ赤なラテライトの大地
_yyy9434jpgsumijpgwebラテライトの岩石きり出し場。

 切り出された岩石は、レンガの代わりに建物や家の床や壁材として多用されている。土地の境界線としてのフェンスにも多用されている。

_yyy9208jpgsumijpgweb昔の城の資材もラテライトの岩石だ。
 

原発立地予定地となり、強制的に土地収用されたマドバン村
_yyy9581jpgsumijpgwebバッパル・ガワンカルさん(52歳)。マドバン村の反対運動の闘士。ヒンドゥー教徒の農民。逮捕投獄歴6回。

 原発建設予定地はマドバン村だが、予定地から外れているジャイタプール村の名前が原発名となっている。マドバン村はヒンドゥー教徒の多い村で、原発の南側の入り江に港が面し、高台の牛を放牧する台地700ヘクタールが政府によって強制的に収容されている。30頭ほどの牛を飼うバッパルさんも放牧地を奪われた


「2004年から反対し始めた。ここが最初にデモした村だ。土地収用後に反対運動は高まった。補償金をもらった住民もいるが、私は拒否した。原発は危険だと触れ回ってきて、お金を受け取るということは倫理的に正しくないからだ」


_yyy9585jpgsumijpgweb父親の反対運動を全面的に支えるバッパルさんの家族。

 
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村の家家は、ココナッツの森に囲まれている。

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入り江の干潟では、女性たちが貝をとっていた。
マングロープの生い茂る干潟は牛たちのエサ場にもなっていた。


原発建設に反対する住民組織、「住民権利委員会(ジャナ・ハッカ・セバ・サミティ)」の活動
 住民たちはムンバイの活動家と協力し、住民組織をつくり、地道な反対運動を続けている。(会長はムンバイの活動家サティヤジットさん。一人NGOのような活動。事務局長は地元政治家のディパック・ナグレ氏)。

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 周辺の村から原発建設反対の活動家らが、マドバン村にあるヒンドゥー教寺院に集まり、反対行動の計画を話し合った。インド各地では衝突の多いイスラム教徒とヒンドゥー教徒が、宗教対立やカースト差別もまったく存在しないような雰囲気の中で意見をぶつけあい、計画を練る姿が新鮮だった。特筆すべき光景だった。反対する現場には、保守革新の違いも信仰の違いもないことを強く実感した。

 サティヤジットさんの各集落を回っての根回しの結果、原発事故の怖さを周知する写真展を各村を巡回して実施することに合意した

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殉教者の追悼と、原発反対写真展村落巡回キャンペーンの報告(4月18日)
 帰国後にサカリナテ村のイスラム教徒から最新の動きを写真で送っていただいたので以下に転載します。前述のとおり、5年前の4月18日、銃弾で殺害されたタブレス・サエカーさんを追悼する記念日から、原発事故の怖さを学ぶ写真展が各村を巡回し始めた。これはムンバイの活動家サティヤジットさんの事前の根回しの結果だ。

 原発建設反対の住民運動は10年前から始まり、イスラム教徒の漁民も、ヒンドゥー教徒の農民も、いまでも協力し合い、生計が根こそぎ奪われかねない原発建設に抗議し続けている。住民は原発事故の怖さをしっかりと学んでいる。福島原発事故が、彼らの反対運動をさらに力強くさせたことは確かだ。

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12986951_936637519788430_2161172873タブレス・サエカーさんが銃弾に倒れた現場に建てられた看板が新調されたようだ。


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・アンボルガッド村(砂浜の広い小さな漁村の対岸には立地予定地の高台と灯台が見える。戸数は約200戸、住民数は約1000人。反対運動の中心的役割を果たす40代の男性は言った。
「原発?そんなものはいらない。必要なのは自然と調和した持続可能な開発だけだ」


_yyy9050jpgsumijpgwebもし原発が建設されたら、自然の豊かな中でゆったりしたリズムで生活できる景色は一変する。原発事故による放射能汚染は取り返しのつかない環境破壊を引き起こす。地元の住民たちが拒否するのは当然だが、インドでは原発推進路線の政府による弾圧もまた普通であるかのように実施される。

クーダンクラム原発反対運動
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クーダンクラム原発に隣あう漁村、イディンタカライ村の人口は12000人。カトリック教徒の村だ。一貫して原発に反対している。

 2年前に現地取材したインド最南端のタミルナド州にあるクーダンクラム原発(インド原子力発電公社)の反対運動については、「自然と人間」(2014年8月号)に詳しく報告したのでご覧ください。クーダンクラム原発は、80年代に建設計画が持ち上がり、2011年に完成。ロシア製加圧水型軽水炉原発で、一基の最大出力は100万キロワット。2011年に完成し商業運転を始めることになっていたが、東電福島原発事故により反対運動が盛り上がった。政府権力側の弾圧が激しく、反対派住民の4人がすでに殉教者となっている。

_8ds0707jpgwebクーダンクラム原発反対運動の指導者、ウダヤ・クマールさん。ウダヤさんは根拠のない誹謗中傷により、国に対する反逆罪を含む385件の罪状で告発された。自宅は家宅捜索され、銀行口座は差し押さえられ預金を引き出すこともできなくなった。パスポートは無効にされ、夫婦で経営している私設学校は何者かによる襲撃で壊された。

「核爆弾と原発はつながっています。日本は原発技術も原発も、インドだけでなく世界のどの国にも売らないでください」

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