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2018年12月 7日 (金)

2005年11月10日:火葬場で焼身自殺した福井の老夫婦に思う(宗補雑記帳よりの復活ブログ)

 夕食後、近くの店でビギンの中古CDを買い、「涙そうそう」を聴いたら涙があふれてきた。ラジオで聴いてもなぜだか条件反射のように目頭が熱くなってしまう素晴らしい曲だが、今日は2-3日前の老夫婦の自殺のことが思い浮かんで仕方がなかった。7日の午後、福井県大野市の火葬場で焼身自殺した80歳と82歳の老夫婦のことだ。

 テレビのニュースでショッキングな内容に息もつまりそうだった。「老老介護」の果ての無理心中に、あまりのやるせなさと悲しみに、連れ合いと線香を焚いて老夫婦の冥福を祈った。しかし、すこし心が落ち着いてみると、単なる自殺では片づけられない、夫の逝き方への強い意志が感じられ気になりはじめた。

 今朝の日刊スポーツによる続報では、子どもも身寄りもない夫婦で、夫が妻を近くの病院によく連れていったり、オムツの取り替え、掃除洗濯を全部やっていたようだ。妻は数年前から痴呆の症状が出ていて、夫も体調をくずし病院通いだったという。地元の警察は、妻の介護生活に疲れた夫が、将来を悲観して覚悟の心中だったと見ているとあった。

 「遺産は全て市に寄付します」と夫が署名した遺言状は、8日に大野市役所に届いたが、約1年前に作成されていたという。用意周到な準備と夫婦そろっての死に方を選んだ決意が、最初から揺るぎないものだったことがうかがわれる。

 それにしても、火葬場の焼却炉を内側から閉めて焼身自殺を実行するとは、そのための準備をする夫の一連の行動を想像するだけでも、胸が詰まってくる。意識がしっかりしたままの二人が、熱い炎で身体が焼かれ意識がなくなるまで耐えることができたのだろうか。まるで葬送曲を流して心を静めるかのように、車からはクラシック音楽が大音量で聞こえるようにしてあったという。 

 優れた小説家でも思いつかない方法で老夫婦は向こうの世界に渡る方法を実行してしまった。
 子どもも身寄りもない老夫婦には、頼れる友人もいない「孤立した」ような生活を送っていたのかもしれない。それにしても、最期の時の迎え方の潔さには、何か強い信念のようなものさえ感じることができる。自分の最期は自分でコントロールし、誰にも迷惑をかけないぞというような

 今朝、ヨルダンでは自爆テロで60名近くの人が殺された。一週間前のイスラエルでは、12歳のパレスチナ人の少年がイスラエル兵に頭を撃たれて殺害された。先月のパキスタンの大地震では8万人が亡くなった。どれも自分の意志で選び取った死に方ではない。

 福井の老夫婦の焼身自殺は、追いつめられた結果として選んだ死槐に方とは思えないのだ。強い意志で決断し、潔く実行しているところにすさまじいものを感じてしまう。

 二人は60年前の戦争を生き残ってきた、最も苦労してきた世代だ。青春時代を戦地にかりだされたかもしれない夫は、どんな体験をくぐり抜けてきたのだろうか・・・

 大野市のホームページを見たら、二人が彼岸に渡った日は、大野市と和泉村が合併して新大野市が誕生した日だった。

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2005年4月13日:親近感を感じるヨハネ・パウロ2世とネグロス島との深い繋がり(宗補雑記帳よりの復活ブログ)

 84歳で死去したヨハネ・パウロ二世には会ったことはないが、クリスチャンではない私も親近感を感じる。ローマ法王が生まれ育ったポーランドを取材し、アウシュビッツも撮影したことがあるのもひとつの理由だが、私がフォトジャーナリストの仕事を始める大きなきっかけとなったフィリピンと法王とが切り離せないからでもある。

 1981年に被爆地広島を訪問した法王は、その旅の行程で東アジアで最もカトリック教徒の多いフィリピンも訪問している。独裁者のマルコス大統領が権力を握っていた時代のことで、とりわけ注目に値するのが法王のネグロス島訪問だ。島国フィリピンで、よりによって法王は何故ネグロス島を訪問したのか。日本の広島を選んだのと同様に、そこには法王の強い意志があったのだろう。

 フィリピン中部のネグロス島は、別名「砂糖の島」といわれるほど、サトウキビ生産に依存し、少数の大地主が労働者を安い賃金で搾取するという封建主義的な経済構造が強固で、「フィリピンの縮図」ともいわれた島である。私はこの砂糖の島を85年から取材を始め、サトウキビ産業で働く労働者は農奴と感じるほどのショックを受けた。91年にようやく「ネグロス---嘆きの島(フィリピンの縮図)」(第三書館)のタイトルでルポルタージュを出版できたが、取材の中でローマ法王のネグロス島の州都バコロドでのスピーチを本で読み、感動した。会場には10万人が集まったという。その一部を以下に引用しよう。

土地はすべての者への神の賜物です。それがごく少数の利益のためにのみ使われ、残る大多数の人々が大地の生み出す豊かな富から締め出されているのはまことに許しがたいことです。限られた者が富と権力を手中にし、他方、工場やプランテーションで長時間激しい労働に従事している多くの者が家族さえ養いかねているのは、不正義が世を支配しているからです。教会は、力弱く、声をあげてもなお聞かれることのない貧しい人たちの側に立ち、慈善ではなく、正義を求めることをためらってはなりません

 拙著「ネグロス---嘆きの島」で私が引用したヨハネ・パウロ二世の、ネグロス島でのスピーチの一部だ。話し手が法王と知らなければ、搾取される側に身を置こうとする政治家のアジテーションともとれる内容だ。広大なサトウキビのプランテーション経営で富と権力を握り、マルコス政権を支えた地主勢力を鋭く批判している。ローマ法王の影響かどうかはわからないが、マルコス大統領はこの年、戒厳令を解除した。

 「これからは教会とプランター(農園主)は敵同志だ」と、法王のスピーチにネグロスの地方政治を牛耳る大地主が怒ったのも頷ける。ローマ法王に勇気づけられた労働者は、カトリック教会の神父やシスターたちの後押しも受け、労働組合の組織化が急激に進むきっかけともなったはずだ。

 4年後の85年9月、ネグロス島北部では、農園主が雇った民兵と警察らの発砲で、ゼネスト中の無防備の砂糖労働者ら20名が殺され負傷者50名をこえる虐殺事件が発生した。後に「エスカランテ虐殺事件」として知られ、マルコス政権が崩壊する端緒となった。そのニュースを聞き、マニラからネグロス島に入ったのが私にとっては初めてのネグロス取材だった。

 虐殺事件から6日後、不穏な空気が残る現場で行われた追悼ミサには、テレビ局も通信社のカメラマンもいなかった。地主勢力の脅しにも関わらず、カトリックの司教と神父合わせて74名に多数のシスターも出席し厳かに行われたが、著名なアメリカ人のフォトジャーナリストと私の他にカメラマンはいなかった。

 「解放の神学」の存在を知ったのもネグロス島での取材からだ。神父やシスターたちが民衆の側に入って活動する「解放の神学」が生まれた中南米の国々で、アメリカは共産主義に対抗する名目で専制的な政権をあからさまに支えた。フィリピンでも同様でマルコス独裁体制を支えていた。ネグロスでの法王のスピーチを読み返すと、「解放の神学」を奨励しているとしか思えない

 しかし、先日の毎日新聞の中米特派員が書いていた記事では、ヨハネ・パウロ二世は「解放の神学」を否定したため、中南米では80年代末までに解放の神学は影響力を失ったとあった。法王のスピーチと矛盾しているように思えてならないのだが、他紙にはない視点からの記事だったので印象深い。

 ローマ法王の死亡関連記事と写真はどの新聞でも似たり寄ったりで物足りなかったが、東京新聞に掲載された一枚の写真が記憶に残った。横たわる法王に向かって跪くアメリカ政府を代表する面々を撮ったニュース写真だ。左からブッシュ大統領と夫人、パパブッシュ、クリントン前大統領、ライス国務長官の5人が法王の遺体を見つめている。相反する価値観を実践してきた両者が居並ぶ写真だ

 武力を信奉し、イラク攻撃したブッシュ親子とライス国務長官、セックススキャンダルにまみれたクリントン。一方のヨハネ・パウロ二世は、ナチスドイツとソ連によって母国が分割統治され、肥沃な国土が蹂躙されたポーランドの歴史的な悲哀を体現した人だ。戦争や武力を否定し、社会的な不正義に敏感だったのは宗教者となる以前からのポーランドの歴史を背負っているからだと思う

 死に際まで命の尊厳を、自分自身の逝き方で最期まで見せつけた。植物人間を政府が関与してまで延命させようとしたブッシュ大統領とは対極にある。撮影した通信社のカメラマンがどんな思いを込めて撮ったのかはわからない。だが、皮肉が満載したこの写真を選んで掲載した東京新聞の意志に私は深く共感した
 
{注:ヨハネ・パウロ二世のネグロス島でのスピーチの原本は、三好亜矢子著の名著「フィリピン・レポート」(女子パウロ会)からの抜粋です。全文を読むには古本で探すしかないでしょう}

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2018年12月 4日 (火)

2004年7月1日 一匹の蛍を見た(宗補雑記帳よりの復活ブログ)

 一匹の蛍が飛んでいた。6月半ば、年老いたオフクロが、急に入院したため、田舎に帰った日だった。暗室小屋と畑の間を一匹の蛍が舞っていた。驚いた。心がなごむ驚きだった。田舎で蛍を目にした記憶が最近はなかったからだ。川がきれいになってきたのだろうか。

 浅間山の中腹あたりを水源とする小川が、畑の間の幅50センチほどの用水路を流れている。水量は昔から変わらない。小さい頃は赤カエルを食用に捕まえたものだが、最近は生活用水なども流されているのでカエルさえも見かけない。裏山の水田がある谷間を流れる川とその周辺が少しは浄化されてきたのかもしれない。

 蛍といえば、ビルマ山中のカレン民族の生活圏や、フィリピン先住民のピナトゥボ・アエタの住む山中ではたくさんお目にかかった。インドネシアのジャワ島東端の粗放エビの養殖場が集中する河川では、ものすごい数の蛍が川岸の木々に止まっている光景も忘れがたい。

 そんな光景を思い出していた矢先、数日前の朝日新聞に、ニューギニアの蛍の集まる木が忘れられないとの読者投稿があった。福岡に住む80歳をすぎた元日本兵の方だった。太平洋戦争中のニューギニア戦線では、10数万人の日本兵が玉砕し、その多くは餓死や病死だったといわれ、奇跡的に生き残った日本兵は1割に満たないようだ

 福岡の方は、敗戦後にニューギニアから復員する際に、おびただしい数の蛍が一本の木に集まる光景が忘れられず、二度と帰国できなくなった日本兵が集まってきているようだったと書いていた。この投稿を読んで数年前に見たテレビのドキュメンタリー番組を即座に思い出した。奇跡的に生還した元日本兵たちの忘れられない光景を、地方局が映像化した番組で、ギャラクシー賞受賞作だったと思う。

 ニューギニアのジャングルにある一本の背の高い木に、ランプを灯したようにおびただしい数の蛍が止まるシーンをブラウン管の向こうに見た時に、涙が溢れて止まらなかったことをよく覚えている。無念の死を遂げたおびただしい数の日本兵の魂が、蛍となって点滅していると思えて仕方がないからだ。戦争が作り出す言葉では言い尽くせない悲しみを映像化した、素晴らしいドキュメンタリー番組だった。

 中東世界のイスラーム教徒は、死後、魂が地上を彷徨うことがあるのかどうかは知らない。もし仮に、蛍が生息する環境があるとすれば、イラク戦争で不条理にも命を奪われた人々は、万をこえる蛍に姿を変え、チグリス・ユーフラテス河流域の木々の集まり、光を放ち、蛍の数は増える一方だと我々に警告しているのではないだろうか。 

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2004年5月18日(火) 須田治追悼集「まなざしの向こう側へ」が刊行された(宗補雑記帳よりの復活ブログ

 軍事政権下のビルマ(ミャンマー)では、憲法制定のための「国民会議」が17日開始された。アウンサンスーチー書記長とティンウー副議長が自宅軟禁とされたままの野党NLD(国民民主連盟)は、会議をボイコットした。選択肢のない結論だろう。あらかじめ軍政による結論が出ている会議は「茶番」でしかないからだ。

 ビルマ情勢のことはこの次雑記することにして、今日は友人のジャーナリストで昨年3月に急逝した須田治さんの「須田治追悼集」が刊行されたことをお知らせしたい。今年2月20日の雑記ですでにお知らせした文集が16日に長野市の出版社オフィスエムから刊行された。

 タイトルは「まなざしの向こう側へーー須田治追悼集」。須田さんの視点に相応しい実に良いタイトルだ。本はB5版270ページ、定価1500円。私が撮影した須田さんが取材中の写真を表紙のほかに10点使われています。ご家族を含め友人知人の追悼文が50点以上収録され、須田さんの主な著作を網羅した年表もあります。

 圧巻は二点の未発表原稿。ひとつは「ジャーナリストの仕事とは」と題された原稿用紙130枚をこえる長文です。須田さんが13年前に東京の出版社を退職してフリーランスのジャーナリストになる決意を込めて書かれたもので、彼のジャーナリズム論と日本のジャーナリズムに関する危機意識がひしひしと伝わってくるものに仕上がっている。

 もう一点は、満州の引揚者である母親のソ連軍から逃げる際の残酷な戦争体験を聞き書きした「母と戦争体験」だが、こちらは読むだけで痛ましい。ジャーナリストとしての須田さんが何を大切にしたきたか、その原点に巡り会ったような文章だ。この二点の原稿を読んだだけでも須田さんの力量が伝わってくるはず。追悼集の詳細はタイトルをクリックし、出版社のホームページで確認できます。 また、以下に本書に収録されている私の追悼文をコピーしました。

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2004年9月2日(木) 浅間山が噴火、大地のエネルギーは人間の予知能力をこえる(宗補雑記帳よりの復活ブログ)

 故郷の浅間山が噴火した。活火山だから当たり前だ。ただ、約21年振りくらいの噴火の規模のようで、しばらくぶりの印象は我が地元の御代田(みよた)町でも強いようだ。浅間山の南麓に広がる御代田町では火山灰は少し降ったという他に被害は報告されていない。

 このホームページのタイトルに「標高888㍍からの浅間山ろく通信」とあるように、私は浅間山麓の御代田町で生まれ育ち、浅間山を誇りに思っている。暗室小屋から外の畑に一歩出れば、浅間山の雄志が目の前に広がり、海外取材中も浅間山のライブ映像をインターネット上で時折チェックする。

 浅間山の噴火で今も忘れない光景は、40年以上も前の夜の噴火だった。すでに寝静まった頃、ドーンという大きな音で目を覚まし外に出て見ると、浅間山が噴火していた。それは壮大な花火を見ているような光景だった。季節がいつなのかも忘れたが、空気が澄み渡っていたのだろう。真っ赤な噴石が次々と空に吹き飛ばされ、花火のように火口周辺の山麓に落下してゆく映像は、いくつになっても私の脳裏から消えることはない。火山灰などによる農作物などへの被害はかなりなものだったと思うが、小さい頃の記憶は、全てをプラスのイメージとしてとらえている。

 不思議な話だが、実は8月21日に「浅間山との共生」をテーマにしたシンポジウムが御代田町の浅間縄文ミュージアムであり、私はパネラーの一人として出席したばかりだ。他のパネラーは荒牧重雄氏(火山学者、東大名誉教授)、関俊明氏(考古学、群馬県埋蔵文化調査事業部)、大浦瑞代氏(歴史地理学、お茶の水女子大大学院)の3名。この組み合わせでは私だけが場違いだが、地元出身ということと、フィリピンのピナトゥボ火山の大噴火とその被害を取材した経験を買われての起用だった。

 シンポジウムの中では、大きな噴火が起きる予想はなかった。昨日の噴火で予知が外れたとも思わない。というのも、浅間山を長年研究しその性格を知る火山学者は、昨日の噴火は規模の大きなものではないと認識していると思うからだ。個人的にも、都会人のように騒ぎ立てるほど驚きはしない。つまり、毎日噴煙を上げる浅間山を見慣れ、噴火を体験してきた地元住民としては、小規模の噴火をときおりやってくれた方が、爆発エネルギーが蓄積されずにすむと素人的にも考えるからだ。日本有数の活火山の麓で生活する以上、火山灰による被害は避けられない。被害が最小限に食い止められることにこしたことはないが、自然の恩恵を受けつつ火山と共生するためには覚悟を決めて生きる必要がある。

  ピナトゥボ火山の噴火を取材し、火山の深呼吸という地球の営みが、人間の想像力を寄せつけないことを体感した者として改めて思う

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2004年5月28日(金) 二人のジャーナリストの殺害、気が重い悲しくなる日だった(宗補雑記帳よりの復活ブログ

 ベテランの橋田さんと若い小川さんがイラクで殺害された。

 長年バンコクをベースに取材活動をしてきた橋田さんとは、東南アジアのどこかの現場でお会いし挨拶はしているが、きちんと話したことはない。二人ともフリーランスで危険を覚悟の上での取材だったとはいえ、同業者の一人としては、やりきれない気持ちだ。ニュースで見る燃え尽きた車体と生き残ったドライバーの証言を見ると、ますます胸が締め付けられる。もし自分が犠牲者だとしたらと、置き換えて想像しやすいからだ。避けようがなかった襲撃なのかもしれないが、占領軍を狙う代わりに、無防備で攻撃しやすいジャーナリスト、民間人を標的にする卑怯な連中には怒りを覚える。

 TBSラジオに橋田さんが出演した時の音声がTBSニュース23で流された。イラク取材で最も怒りを覚えることは何ですか、と問われた橋田さんは答えていた。「わかりやすく言えば、アメリカのブッシュですね」

昨日発表されたばかりのアムネスティ・インターナショナルによるアメリカ政府を厳しく批判した報告書を思い出す。「他国での虐待から目をつぶり、場所と時期を選んで先制攻撃をしかけることで、米国は正義と自由に打撃を与
え、世界をより危険な場所にした

 ベテラン戦場ジャーナリストの一言には本質を捕らえた重みがある

 先日は友人でコンビを組んで仕事をしたジャーナリスト、須田治さんの一周忌と追悼集出版を記念した集まりが長野市であったばかりだ。追悼集「まなざしの向こう側へ」に収録された須田さんの未発表原稿を読み、改めて彼のジャーナリストとしての秀でた感性と、力量に圧倒され、失われた才能の大きさと貴重さに気づかされた。人は時間がたってようやく失われたものに気づくのか、それとも私が鈍感なのか

 個人的には、今日は嬉しい一日になるはずだった。10日前に開腹手術をした連れ合いが、術後の経過も良好で退院する日で、車で病院まで迎えに行って来たからだ。個人的には明るい一日のはずだったが。

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2004年5月1日(土) 「反日的分子」発言、時代はすでに戦前戦中に逆戻りか(宗補雑記帳よりの復活ブログ)

人質になった日本人は反日的分子」と言った自民党国会議員の発言(4月26日)が、「年金問題」の影でうやむやになろうとしている。時代はすでに戦前戦中と変わらぬほどファッショになっていることを象徴するような事態だ。より深刻なのは民主主義を否定するような発言を国会議員がしているのに、野党もマスメディアが本気で問題視していないことだ

 この国会議員は、「反日的分子のために数十億円もの血税を用いることに強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」。また中国人による犯罪増加を指摘して、「中国なんかはろくな裁判もないし、刑務所の中にも外にも人権なんておそらくないんでしょ」と発言したと報道された。(毎日新聞)

 戦後の新憲法も民主主義をも否定するような暴言を吐いたのは、自民党の柏村武昭参議院議員。彼のホームページを見るとヒロシマに人類最初の原爆が落とされた前年に広島県内で生まれた広島市選出の元民放のキャスターという経歴の議員だ。わずか一発の核爆弾によって、太平洋戦争を指揮した軍部と天皇の責任を取らされ、殺された20万人あまりのヒロシマの被爆者とその事実を全く感じないで育った人間なのだろうか。テレビ界出身の議員でここまで右翼的発言をする人間が国会議員をやっている時代なのか。広島の有権者は、被爆者は黙っているのだろうか

 柏村議員によると「国の方針に逆らってイラクに行ったのは『反日的』」だそうだ。
「反日的分子」という言葉は、日本軍の憲兵が太平洋戦争中に日本軍の占領に対して抵抗する抗日ゲリラなどを「反日的分子」として捕まえ、拷問したうえで殺害したり、人体実験の「標本」にした歴史的事実を連想させる。以前読んだ「ある憲兵の記録」(朝日新聞山形支局、朝日文庫)には、満州に送られた山形県出身の憲兵が「反日的分子」をどう日本軍が扱ったのか、自らの体験を元に懺悔の気持ちを込めてつづられている。

 柏村発言は、イラクで人質になった日本人は拷問され殺害されるのが相応しいと言っているようにとることもできる。少なくとも柏村発言の真意は、国の方針に逆らうことは全て「反日的」で国家からは許されるものではない、ということだ。民主主義を否定するファシズムそのものだ

 1万人をこえるイラクの人々が、理由もなく殺戮されている「イラク戦争」が間違っている、その戦争に直接加担する日本政府の政策が間違っていると感じる日本人の若者と、柏村議員とを比べるもの変だが、どちらが日本と言う国を本来あるべき平和国家にしようと努力しているかは明白だ。

 柏村議員の発言が正しければ、国の方針に従わないテレビ局や新聞社、雑誌は存在理由がない。NHKテレビラジオ、読売新聞と産経新聞、「諸君」のようなメディアだけが報道出版を許可された社会をちょっと想像してみるといい。そのような社会は私が長年取材してきた軍事政権下のビルマ(ミャンマー)の言論も出版の自由もない軍国主義的社会を彷彿とさせる。民主化運動の不屈の闘士であるアウンサンスーチーを自宅軟禁に置き、民主化活動家を投獄し、その家族や友人を不安におののかせる秘密警察網を全国に張り巡らす封建的社会を想像させる。ビルマは、国軍と軍幹部と癒着した民間人らが幅を利かせる社会で、教育システムが破壊され、若者や子どもの将来が台無しにされている社会だ。
 柏村議員の「反日的分子」発言はそうした社会を望む国会議員がいることの証明だ。

私は国家を誇ることも愛することもできない
 国が行政がいつも正しいと思う日本人がいるだろうか。なぜ裁判で国が敗訴することもあるのか。国も行政も過ちを犯すから「薬害エイズ」が起き、水俣病が起きたのではないか。ハンセン病者を隔離する政策が「らい予防法」の名のもとに数年前まで継続されていたのではないか。必要のない高速道や公共施設が建設され、膨大な赤字を生み出しているのではないか。

国家が、政府が間違ったことをやるのに黙っているのは正しい民主主義とはいえない。反対の意思表示し、変革しようとするのが民主主義体制で生きる国民の権利であり義務でもあると信じている。仮に5割を越える有権者が小泉政権、与党の政策を支持していても、反対意見を様々なかたちで行動し表現する市民は恥じることは何もない。

 私は仕事柄、海外での取材がこれまでは多かった。日本独自の伝統や文化、食生活などを誇りに思うことはあっても、日本という国家とその政治を誇ることはできない。いつも恥ずかしいとさえ思ってきた。3月から4月にかけてインドで日本人僧の佐々井秀嶺師を取材してきたが、振り返ってみると、日本の今の危険度を知るうえで欠かせない人物に出会う取材だったと思う。

 インド取材では「不可触民の父」として仏陀と同格に信仰されるアンベードカル博士の存在を実感した。アンベードカル博士とは、カースト・ヒンドゥー社会のインドにおいて、人間扱いされないカースト外のアンタッチャブル(不可触民)として生まれ育ち、ある藩王の支援により米英の大学で法律や経済学をマスター後、生涯を不可触民の解放と向上に賭けたインド近代史の偉人だ。博士はネール首相からの要請で独立インドの初代法務大臣に就任し、インド憲法の創設者となった人物でもある。

 1931年、独立運動のリーダーとされていたマハトマ・ガンジーと初対面で対立した時のやり取りが二人の関係を物語り、二人の本質的な立場の異なりを後世に残している。アンベードカルは40歳、ガンジーは63歳だった。若輩者のアンベードカルはガンジーに言った

 「自尊心のある不可触民なら誰一人としてこの国を誇りに思うものはありません。この国が私たちに与える不正、虐待は余りに大きく、意識的、無意識的にこの国に反逆するようなことになったとしても、その罪はこの国にあるのです。裏切り者と罵られても私は構いませんその責任はこの国にあるのですから」(「不可触民の父 アンベードカルの生涯」ダナンジャイ・キール著、山際素男訳、三一書房より)

補足すると、「ガンジーが不可触民の解放に尽くした」というイメージは明らかな間違いだ。カースト・ヒンドゥーの支配者層に生まれ育ったガンジーは、不可触民を「ハリジャン(神の子)」と呼んだだけで、生涯を通じて不可触民制の廃止には消極的な態度を貫いた

 公共井戸の使用やヒンドゥー寺院に立ち入る許可を認めさせる不可触民の大衆運動に対してもガンジーは冷淡で反対さえした。ロンドンの円卓会議で、不可触民階級を代表するアンベードカル博士を無視し、ガンジーは私がインドの全ての国民各層を代表するとイギリス政府に発言し、少数派を軽視した。

 アンベードカルが指導した農奴制の廃止、地主制度の廃止、小作農の地代の軽減要求などの労働運動に対してもガンジーと支配者層からなる会議派は非協力的だった。つまりガンジーのハリジャン政策は呼称のみで中身を伴っていなかったのだ。

 不可触民を代表するアンベードカル博士の至った結論は、ガンジーに代表されるヒンドゥー・カースト支配者層が、不可触民の社会的平等と経済的平等を手に入れる闘いには絶望的なほど非協力で、ヒンドゥーとは訣別するしか方法が残されていないというものだった。

 その結果、アンベードカル博士は30万とも50万ともされる不可触民同胞を伴い、1956年に仏教に集団改宗し、ヒンドゥーの神々に対する信仰を否定することを誓った。永く衰退していたインド仏教はこうして復活し、その後は仏教に帰依する不可触民層、貧民層が急増、今では少なくとも5000万人の仏教徒がいるといわれている。仏教徒に改宗し高等教育の機会を手に入れた人々の躍進は目覚しく、政治家、医師や弁護士、大学教授や会社社長など、幅広い分野に進出している。インドに渡って36年の佐々井秀嶺師は、アンベードカル博士の偉業を引き継いだ外国人僧侶だが、現在は市民権も取り仏教界の押しも押されぬリーダーだ。佐々井師の取材に専念したのだが、個人的には、ガンジーを手放しで偉大な指導者と思い込んでいたことを根底から見直す機会を与えられたことを感謝している。

 ガンジーと激しく対立したアンベードカル博士の生き方から私が得たものは当たり前の結論だ。政権与党が間違った方向に国民を向わせている時、例え政府に逆らう行動を国民が取っても、その責任は国家にあるのだ。
 日本は太平洋戦争に突入し、アメリカはベトナムに介入し、ソ連はアフガニスタンを占領した。国策に反対した人々は間違っていたと振り返る人はいない。
「反日的分子」と発言して国民を恫喝する国会議員は永田町にいる資格はない、と私は信じる

 

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2004年4月20日(火) 「自己責任」論という名の情報操作・ゴマカシ・検閲(宗補雑記帳よりの復活ブログ)

 イラクの武装グループにより拘束された5人の日本人が解放され喜んでいたら、彼らが帰国する前から問題のすり替えが政府とマスメディアによって始まった。その結果、「自己責任」論(岡本行夫前首相補佐官)や「自業自得」なる言い方(石原慎太郎都知事)が強調され、解放された5人や彼らの家族に対するバッシングは当然のような論調がまかり通っている。在外公館の最も重要な役割は邦人の保護だということを忘れたのだろうか。

拘束された5人とその家族は「みなさんにご迷惑をおかけして申し訳ありません」と何度も謝罪させられている。しかし、彼らはそんな謝り方をする必要はさらさらない。私自身は彼らによって迷惑させられたとは全く感じていないからだ。イラクの人々が自衛隊の撤退を望んでいるということを改めて実感できたことからしても、彼らに感謝する方が筋だと思っている。

 彼らをバッシングする日本人に聞いてみたい。あなたは一体どんな迷惑を具体的に被ったというのか。人質救出のために奔走しなければならなかった政府首脳、外務官僚、国会議員、政府職員、関係者で迷惑したと感じている人が一体どのくらいいるのだろう。フジサンケイ・グループの新聞は数億円の税金がかかったと、人質や家族を暗に非難する記事を書くことに熱を上げている。しかし、よく考えてみよう。小学生にもよくわかる物事の順番があり、こうした「自己責任」論が本質のすり替えでありゴマカシだとわかる。

 日本人5人が身柄を拘束され、生命に危害が及ぶ可能性があったのは、小泉首相が自衛隊をイラクに派兵した事実によって引き起こされた誘拐事件ではないのか。自衛隊という名の武装した軍隊(武装した相手を武力によって倒す軍事訓練を受けた兵力)が、イラクという外国の領土に派兵され、駐屯することで日本人のNGO活動家、報道陣、外交官などの生命が不必要に危険にさらされることになった結果なのは明らかではないか。

 マスメディアが批判するべき相手は、危機管理能力の無さから、昨年二人の日本人外交官を殺されても何の責任も取らない政府首脳と外務省の方ではないのか。奥参事官と井ノ上書記官の死は、小泉首相のアメリカ追髄外交が生んだ避けることのできた死ではなかったのか。

 さらに言えば、真の友人としてアメリカ政府の国際法を無視した身勝手な他国の侵略を諭し、米英軍によるイラク人の無差別殺戮に日本が直接間接に加担するために最大の努力を払い、 1万人をこえるといわれるイラク国民の無駄死にを避ける努力をしなかったためではないのだろうか。

 日本政府の外交で迷惑千万、本質的な損害を被ったのは日本国民であり、これから大人になる子どもたちの方だろう。誤った外交政策は、金額に換算不能なほど将来的に致命的で取り返しのつかない禍根を残しつつある。例えば、自衛隊を中東に派兵したことで、「ヒロシマ」「ナガサキ」の原爆被爆国日本に対して同情し、友好的だったイスラム教徒の反感を買い、いままでの中東外交を台無しにしたことではないのだろうか。10億人をこえるイスラム教徒を敵に回すようなアメリカ追随外交に終始し、「反テロ戦争」に協力した結果、世界は以前よりも安全になったのかを自問するといい

 9・11以降のアフガニスタン、パレスチナ、イラクの人々に対する米英やイスラエルによる「国家テロ」が、ブッシュやブレア、シャロンに似た狭くて過激な考えを持つ大勢のムスリムの若者を世界各地で生み出している。市民を巻き込んでも平気な第二第三のビン・ラーディンを育てる土壌を作り出しているだけではないのか。小泉政権のアメリカ追随無策外交が、「国家テロ」に積極的に協力し、その結果日本も含めた世界全体がより不安定でテロの不安におののく日常に陥いっている。それが世界の現実だ。

 自衛隊派兵についてもう一度見直してみよう。日本政府がイラクの人々に対し、「復興支援」「人道支援」のために自衛隊が駐留しているなどと説明しても信用するイラク人がいると思うのが不思議だ。例えば、太平洋戦争による敗戦後の日本に置き換えてみればわかりやすい。米軍主導の進駐軍が日本各地に展開し戦後数年を統治した。その間に、例えばイギリス軍500名(ソ連軍と仮定してもよい)が九州の熊本に「復興支援」「人道支援」の目的で駐屯地を作ったと仮定しよう。このイギリス軍が進駐軍の一部隊だと思わない日本人が一人でもいるだろうか。

 自衛隊がイラクのどこで展開しようと、自衛隊はイラクの人々にとっては占領軍の一部にしか受け取れないのが現実だろう。自衛隊はイラクの米英占領当局(CPA)で地方に展開する占領軍の一部隊であり、占領を受け入れないイラク人が占領軍に対してレジスタンス活動の対象となっても自然だ。民間人を無差別に狙った攻撃をレジスタンスではなくテロ行為として非難されるべきだ。しかし、占領軍を派遣する国の民間人による取材活動もボランティア活動も結果として危険にさらされてしまう。

 ちょっと考えて見るがいい。イラクの場合は日本と違い敗戦国となる理由が最初から存在しない。イラク軍がアメリカやイギリスを直接攻撃したこともなく、米英の市民を大量に殺戮したこともないからだ。つまり、米英軍から最新兵器によって無差別に攻撃され、何千人という市民を殺戮される理由も、外国軍によって国土を蹂躙される理由もない。イラク攻撃の大義とされた大量破壊兵器さえ見つかっていない。今はっきりしているのは、80年代末から米の言うなりになることを拒否したサダム・フセインをブッシュ(ジュニア)政権が理由もなく潰したかったということだ。イラクをクウェートから撤退させるという国際的大義名分のあった湾岸戦争で、サダム・フセイン政権を弱体化したが温存したのはパパブッシュだ。チェイニー副大統領は当時は国防長官だった。チェイニーはサダムを余程嫌悪したか、イラクの利権を手に入れたかったのだろう。
 
 話を人質救出に戻そう。米軍や日本政府の方針とは反対の意志を持つ人質と実行犯との意志疎通が、短期間での解放の要因でもあるだろう。邦人救出の義務と責任を負う日本政府・外務省が、市民やNGOなどのネットワークによる人質解放を求める活動ほど緊急に効果を上げる救出活動ができたかは疑問だ。外務省は情報の入手もできなかったのはほぼ間違いない。その結果、「外務省は3人の人質家族に全く情報を提供せず(できなかった)、情報操作までした」と、JVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)仲間の豊田直巳氏は言っていた。

 そうした政府・外務省の対応を批判することなく、新聞社、テレビ局、通信社などのマスメディアは、NGO活動家やフリーのジャーナリストの「自己責任」論を叫びはじめている。そのあげくに外務省によるイラクからの退避勧告に「素直」に従い、自衛隊輸送機で記者をサマワからクウェートに退避させたと(朝日新聞)恥ずかしくもなく書いている。それが国民の知る権利を代表する報道機関の取るべき姿勢なのだろうか。

 広大なイラクの中のひとつの町であるサマワに何のために大勢の記者を派遣しているのか。自衛隊が莫大な予算を使いイラク人からの攻撃に身構えながら、NGOが低予算で短期間に地元住民に提供できる支援活動さえ自衛隊にできていないだろう。今後は自衛隊広報の提供する情報と映像に頼ることに異議はないのだろうか。大本営発表の時代に逆戻りすることに大手報道機関が自ら手を貸していることと同じ行為ではないのかと国民の一人として憂慮する。バグダッドに記者を置き、サマワから記者を退避させることは、サマワの方が危険度が高いということを意味していないのか。

 ほんの一年前、米英軍による空爆が続くバグダッドに留まり、日本のテレビ、新聞、通信社に現場からレポートし映像や写真を送ったのは全てフリーランスのフォトジャーナリストやビデオジャーナリストだった。(私自身は日本という安全圏にいたものの、バグダッドではJVJAの仲間が5人取材していた。その後も4人は繰り返しイラクに入って取材を続けてきている)大手マスコミは自社の記者はイラク隣国に退避させ、バグダッドからの情報をフリーランスや海外メディアの報道に全面的に頼ったことを忘れたのだろうか。

 マスメディアの社員記者カメラマンがバグダッドに入ったのはサダム・フセイン政権が崩壊してからだ。現場から報道する責任を回避したマスメディアが、今回のようにフリーランスのジャーナリストが捕まったことで「自己責任」を強調する政府・外務省に一転して同調している姿からは、政府や行政を監視し、弱者の側から報道する独立した報道機関の責任を放棄し、日本国憲法さえも軽んじる意志を強く感じる。

 首相が何と言おうと外務省が何と言おうと、国会議員が何といおうと、憲法に準じていなければ無視すればいいだけだ。無責任な連中の言い分に耳を傾けるより、憲法に保障された権利を行使することが国民の知る権利を守ることにつながる。そうしたマスメディアの使命を自ら放棄することは、自己検閲であり、政府の情報操作に積極的に加担していることになる。

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2018年12月 3日 (月)

沖縄タイムスか琉球新報を全国紙の代わりに月一回配達してみたら!?(2005年8月20日 山本宗補雑記帳より復活ブログ)

 初めての沖縄取材から帰ってきて、琉球新報の8月16日の朝刊に福島菊次郎さんの、「靖国神社は軍国主義の『大量殺人装置』だった」という表現が誇張ではないことを沖縄取材で実感したと書いた。

 沖縄取材での強い印象は、国民が天皇の赤子であり、命は天皇のためにあり、天皇のために死んで靖国神社に祀られることが最高の名誉であると信じ込まされた、いわゆる「皇民化教育」が浸透していたことが、沖縄県民の4人に1人にあたる12万人以上の死者が出る沖縄戦の悲劇に結びついたという、深い反省の声を戦争体験者のお年寄りたちから聞いたことだった。(本土出身軍人の死者は約6万6千人、米軍死者は1万2千人以上)

 わずか60年前、本土の日本人同様に沖縄の男も女も、誰もがそう信じて疑わず、日本軍(皇軍=天皇の軍隊)と共に戦い、共に避難し、あげくは日本軍に騙され、切り捨てられ、食糧を横取りされたり無惨に殺され、圧倒的な米軍の前に放り出されたりした。

 本土決戦前の沖縄戦のそうした状況は、新聞、本、インターネットなどの情報からわかっているつもりだったが、想像力の欠ける自分には現地での実感体感作業が必要だった。実際、自分は沖縄戦の悲惨さをあまりにも知らなすぎたことを実感した。

 私が八重山諸島で取材した「戦争マラリア」では、軍命によるマラリア蔓延地域への強制疎開で、16884人の住民がマラリアを発病、少なくとも3647人がマラリアで病死した事実が好例だろう。戦争マラリアの生き残り取材については後日に雑記したい。
 
 もうひとつは、沖縄の地方紙(沖縄タイムスと琉球新報)の視点が力強く新鮮で、健全だなと感じた点だ。私は東京都内に住むいまは毎日新聞を購読。暗室のある田舎の信州では、地方紙では滅多にない国際面を2ページ持つ信濃毎日新聞を読む。

 実際、読者の声は沖縄県民の声をストレートに伝えていて、全国紙のようにオブラートにくるんだようなものと異なる。いくつかの例を引こう。(注:引用文は全文ではなく全体の一部)

 「鉄の暴風が去って六十年の歳月が流れましたが、今なお沖縄の土地の大半は米軍基地が占め、基地がある故に発生するさまざまな事件が起こっています。東洋一とか極東一といわれている沖縄の基地は、出撃、通信、訓練、偵察と分けられ沖縄全体を完全に要塞化しているような感じがします。」(7月24日付け沖縄タイムス、嘉手納町の女性) 

 「私立青山学院高等部の英語の入試問題に、元ひめゆり学徒が体験した沖縄戦の証言を「退屈」したと英文を記述し、出題したことは言語道断で、甚だ軽率な発言であり、元ひめゆり学徒隊員に対するぶしつけな態度でモラルに欠けていて無礼である。」(同沖縄タイムス、那覇市の75歳男性)

 「小泉内閣の大臣や幹部には、南京大虐殺、「慰安婦」問題などはでっちあげであり、先の戦争は侵略戦争ではなかった、と主張する人物がいる。前述の中山文科相、町村信孝外相、安部晋三氏ら。彼らは例の「つくる会」と全面的に提携して、歴史的事実を書く教科書を偏向教科書として攻撃しているのである。このような政治家がいる限り、韓国、中国、近隣諸国との友好平和は進展しない。」(6月22日の沖縄タイムス、那覇市の76歳男性)

 そこで提案したいのが、全国紙(朝日、毎日、読売、日経、産経)と沖縄の新聞を差し替えて読者に配達するシステムだ。毎月一回でも、全国紙の読者宅に沖縄タイムスか琉球新報が代わりに配達されることを考えてみてはどうだろうか。そうすれば、正常な住民生活の邪魔となる米軍基地問題の記事から、平和憲法改悪の怖さまで、本土生活者でも気づくことになると思われるからだ。沖縄独自の文化伝統に関する記事から、遺族が何十人と名前を連ねた死亡・葬儀告知欄も新鮮に感じられること請け合いだ。

 沖縄県民の視点と自分の視点の大きなズレに気づくことが貴重だと信じる

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2018年5月13日 (日)

【記録】414国会前大行動 安倍政権は退陣を!

(写真はクリックすると拡大します)

 国会前が久しぶりに決壊した抗議行動は5万人大集会。
昨年9月に我が田舎に引っ越してから私にとっても久しぶりの国会前での撮影だった。
早くも一月が経過しようとしているが、多くの人にこの日の記録を記憶に刻んでいただくため、アップが遅くなりましたがご覧ください。

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動画:バリケード決壊前

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動画(バリケード決壊前):元シールズわかこさん


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動画:「お前が膿だ!」~「総辞職!総辞職!総辞職!」


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2動画:国会前中央元シールズ&未来の公共

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動画元シールズ奥田くん

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澤地久枝さんが呼びかけたキャンドルデモ(午後6時前~)


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参考までに3年前の国会前の大抗議行動を思い出してください。
2015年9月 1日 (火):「戦争法案廃案!」「安倍政権退陣!」のコールが渦巻いた、小雨の中の10万人超国会前抗議フォトルポ


2015年9月29日 (火):SASPL(サスプル)からSEALDs(シールズ)へ。反安倍政権の協力な磁石!


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