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2024年5月31日 (金)

三度目の能登半島。棄民なのか?!大震災からまもなく5ヵ月なのに・・・

能登半島大震災被災地取材の三回目の報告をかいつまんでしたい。

ちょうど、希望の牧場・よしざわの吉沢正巳さんが、新潟県柏崎市と石川県羽咋市で講演をするというので、吉沢さんに同行し、次いでに吉沢さんを輪島市の被災現場に案内し、そこから南下し、志賀町の志賀原発の前を通り、羽咋市の講演会に向かう形となった。

東電柏崎刈羽原発原発→→→石川輪島市→→→志賀原発→→→羽咋市講演。

その後の三日間を輪島市→→→珠洲市→→→珠洲市寺家の中部電力原発建設予定地という流れで取材することができた。

〇希望の牧場の吉沢正巳さんの講演と被災者の視点から見える大震災被災地

_yyy4190suweb輪島市朝市の大規模火災跡に立つ吉沢正巳さん

_yyy4007suweb _yyy4037suweb東電柏崎刈羽原発と柏崎市で講演

吉沢さんは、講演では必ず、両親が新潟県からの満蒙開拓団だったことに触れる。父親がソ連参戦後に観念し、自ら母親と幼い子供を銃で手をかけたことを話す吉沢さん。「戦争の時代、原発の時代への逆戻りを絶対に許さない」との信念で、ぶれない活動を続ける所以だ。

輪島市朝市大規模火災跡にて(YouTube動画)

_yyy4336suweb_20240531172001 _yyy4327suweb_20240531172001 石川県羽咋市での講演。

_yyy4297suweb_20240531172201 _yyy4313suweb_20240531171901 羽咋市の講演前には、輪島市から志賀町を通り、北陸電力志賀原発のフェンス前で、吉沢さんは街宣車に立ち上ってスピーチした。(YouTube動画) 

〇震災から変わらぬ輪島市

吉沢さんと別れ、21日からの取材現場もどこへ行っても、輪島市も震災後まもないと思えるほど、震災ガレキの片付けや復旧工事が遅々として進んでいないことを強く感じさせた。

_yyy4484suwebDsc_4438suweb Dsc_4362suweb Dsc_4426suweb 4点はいずれも輪島市内。

能登半島で最も漁師の組合員の多い輪島漁港は、大地震により海底が約2m隆起し、液状化に被害も著しく漁業関連設備や漁師の倉庫などの建物も軒並み壊れ、漁師が海に出ることもできないままだった。100隻を軽く超える漁船が隙間もないほどに係留されたまま。

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漁港の浚渫工事の動きだけは確認できた。YouTube動画

〇炊き出しから「居酒屋」形式へ

22日夜は、珠洲市飯塚地区の旧飯塚保育所前で、真宗大谷派奥能登ボランティアセンターによる炊き出し改め「居酒屋」初回が開催された。経験豊富なボランティアの総勢10数名。この日は秋田県からのチーム主体のボランティア僧侶たち。ちなみに、ボラセンを開設した能登町出身の長田浩昭さんによると、能登半島の仏教寺院の約9割が浄土真宗大谷派なのだそうだ。珠洲市だけでも、真宗大谷派の寺は45カ寺か46カ寺あり、全壊した寺も実に多い

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屋台のプロのように手際のよい秋田県チームの提供するジュンサイ汁や焼き鳥は大人気だった(YouTube動画)。
秋田チームは東日本大震災後の三陸で、年20回ほどの炊き出しを定期的に実施してきたプロのようなチーム。笑顔、笑い声、ビールを積極的に注文する声、和やかな、楽しそうな一体感があふれる場となり、年配者も若者も隣り合って食事とアルコールと会話を楽しむ様子が、避難生活の辛抱の裏返しともいえた。当初の予想は20人ほど。開始予定は午後6時だったが前倒しとなり、若い世代や仕事現役世代もたくさん参加し、結局、参加者は約40人ほどに。避難所で寝泊まりするのは10数人となったが、仮設に当たることを希望しつつ、避難所を出て半壊や一部損壊の自宅に戻って生活する住民が多く、「居酒屋」は避難住民の再会の場の役割を果たしたようだ。

〇地震と津波による壊滅的被害が手つかずの珠洲市宝立町鵜飼地区

取材最終日の23日は地震と津波の両方の被害で壊滅的なままの珠洲市宝立町鵜飼地区を中心に歩いた。発災からまもなく5ヵ月経とうというのに、災害ガレキの片付けも復旧工事の作業者の姿もなく、もちろん住民の姿もない。思い出すのは東日本大震災の大津波被災地。発災から三ヵ月後には、岩手県宮古市から福島県南相馬市まで南下しながら、主要な津波被災地を撮影して回ったが、大半の場所では災害がれきの分別山積みなどが忙しく行われ、復興への意気込みを実感できた気がする。

しかし、残念なことに、能登半島大震災の現場はそうではなかった。1月と3月の取材でも同じことを痛感していた。今回はそれが確信に変わった。「棄民」。国や県の国民に対する裏切り行為が如実にあると

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定置網漁がメインの会社を持つ漁師の寺山一男さん(54)。津波で定置網は全部流され、一隻の漁船は新潟県まで流されたために解体。一隻はかろうじて助かったが、多額の借金は残り、自宅は全壊で、鵜飼漁港の修理再開の目途は全く立たず、引きこもり状態になると話す。自宅は地震で壊れ津波で浸水し、漁船が完成したときの大漁旗が一枚だけ残ったといった。隣近所の犠牲者は多いという。元旦の大震災の時は、二度目の揺れで道路の両側に住宅が倒れ込んでつぶれるのを目にし、咄嗟に家族と近くの緊急避難先となっている老人施設まで走って逃げたという。鵜飼漁港は小さいので、修理復旧は後回しになるしかないだろうという。「何も変わっとらんでしょう」


鵜飼地区を通り抜ける幹線道路を車で走って撮影した動画だけでも見てほしい。(YouTube動画)

ぜひ見てほしいもう一つの動画は海に面した家並みが津波の威力で壊滅した特徴だ。
津波による被害が顕著の珠洲市鵜飼地区の海に面した家々。(YouTube動画)

〇今回の取材のラストは奥能登最東北端の珠洲市三崎町寺家。

珠洲市三崎町寺家にある一泊10万円の「ランプの宿」と周辺地域は、中部電力の原発建設予定地だった場所。隆起は少なくとも1.4mとのこと。震災で電気水などのインフラは断たれた。「ランプの宿」のある駐車場から湾はいずれも方向も、隆起ぶりがわかりやすい。中部電力はこの地での原発立地計画をあきらめて「正しかった」ということだ。

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珠洲市三崎町寺家の寺家漁港のある集落には津波が被害をもたらしていた。

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〇破壊と再生

公費解体による災害ガレキの撤去は「破壊」のイメージと重なる。震災で遅れている田植えは「再生」のイメージだ。(写真は共に珠洲市)

しかし、震災後、災害後はどこでも災害ガレキの撤去(YouTube動画)がなければ、「再生」に向けての第一歩さえ踏み出せない

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