残照館(KAITA EPITAPH)として旧信濃デッサン館が復活
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開館にはもってこいの季節。外出自粛の解除もあり、明るさ、希望を感じる。
2年前に一度死んだというか、役割を終えた旧信濃デッサン館が残照館(KAITA EPITAPH)として6月7日に復活した。
転んでもただでは起きない館長の窪島誠一郎さんの手腕はいろんな意味で流石だ。
旧信濃デッサン館は窪島誠一郎さん(現在78歳)が35歳の時に開館し、村山槐多、関根正二、靉光、松本俊介などの若くして夭折した画家たちの作品を長年にわたって常設していた稀有な美術館だった。しかし、2年前に経営難のためと戦没画学生慰霊の無言館の存続に集中するためにと閉館したことは広く知られている。
今回、窪島さんは手元に残しておいた村山槐多や木下晋、エゴン・シーレ、それに100歳の天寿を全うした浜田知明などの作品を展示し、原発事故で廃材の運命をたどることになっていた板材をテーブルに、館内4ヵ所に椅子とセットで用意するなど、入場者が気安く作品を鑑賞できる雰囲気に変えるなどの仕掛けも施した。
エゴン・シーレの作品も惜し気もなく展示されています。
木下晋作品の前に置かれたテーブルは南相馬市から運んできました。
テーブル材は南相馬市小高区の田中徳雲同慶寺住職が保管していてくれたもので、元は大熊町の檀家さんの倉庫に保管されていたもの。
松本俊一などの作品さえ知っている小学生の男の子の入館に窪島さんビックリ。迷わず自著をプレゼント。
残照館開館についての窪島館長のあいさつ文の一部を紹介したい。
「私は芸術がわかって絵をあつめた人間ではない。「何も誇れるもののない自分」を「画家がのこした絵の魂」のそばに置くことによって、一人前の人間になりたかったというのが動機だ」
「残照館とはいつの間にか日暮れのせまった道を歩く男の感傷から生まれた館名で、KAITA EPITAPHは、私が半生を賭けて愛した大正期の夭折画家村山槐多の「墓碑銘」を意味している」
館内には漆黒の黒塗りされたテーブルが4基、椅子とセットで置かれている。座って鑑賞したり、隣接する喫茶店の飲み物を楽しむこともできるようにと、窪島さんが用意した。実はこれらのテーブルは、福島県大熊町の帰還困難区域の住民の方が倉庫に保管していた板材だ。住民の方は南相馬市小高区同慶寺の檀家さんという経緯から、県内の別の街に移住し、自宅を解体して更地にした際に、田中徳雲住職が檀家さんの許可を得て板材を運び出し保管してくれ、私がそれらを今年2月に南相馬市の倉庫から運びこんだ。当初は喫茶室のテーブルになると聞かされていたが、展示作品の展示台に利用されていたり、残照館の展示物と一体となっていたりで嬉しい驚きとなった。隠された窪島さんのメッセージといえるだろう。
館内には立原道造記念展示室が二ヵ所に設置されている。
残照館開館を祝い、窪島さんの古くからの友人の坂田明さんが前庭でサックスを演奏し、コロナ自粛から解放されたようなタイミングでのイベントが前庭で開催された。演奏前に先立ち、窪島さんの実にタイムリーなあいさつがあった。
「100年前のスペイン風邪で亡くなったのが村山槐多、関根正二、エゴン・シーレ。シーレは28歳。身籠っていた妻も亡くなった。芸術家だけでも数万人が亡くなった。700年前のペストの時代にはブリューゲル、カルバジオ、ボッカチオなどヨーロッパの名だたる芸術家の若い命が奪われた。疫病の時代にこそ素晴らしい絵画、音楽、文学が生まれた。
人間には苦境や自分では動かしがたい運命が来た時に、人に向かって美しいものを作り上げる力がある。芸術という力がある。いま末端で仕事をしているアーティストはみんな生活に困っている。そんな中で世の中を明るくし光を与える芸術が生まれる。残照館の力を通じ、いまの時代こそ若いアーティストに頑張ってほしい」
坂田さんと窪島さんは東京の明大前駅近くに窪島さんが始めた小ライブハウス「キッド・アイラック」の頃からの長い付き合いという。
ガリ版刷りのライブ案内チラシをハチ公前で配ったがお客さんが全く来ないこともあったと坂田さんは話した。
窪島さんが35歳の時に建てた旧信濃デッサン館の建物。開館日は喫茶室も営業。
残照館の前庭で入場者が坂田さんの演奏に聞き入った。
坂田さんの演奏のラストはソフィア・ローレン主演映画「ひまわり」の主題歌。坂田さん曰く、チェルノブイリ原発が爆発する前の映像が映画に出てくるという、ドキッとする話がありました。
残照館開館日は毎週土、日、月。午前11時から午後4時。受付には窪島誠一郎さんができるだけ座ることになるという。
どうか、無言館にお出かけの際は、残照館もご覧ください。
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