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2020年3月の投稿

2020年3月30日 (月)

東京五輪の是非を8人と1頭から聞きました(取材は3月7日から16日まで)

(写真はクリックすると拡大します)


東京五輪についての意見を、8人とイノシシ一頭から聞きました。 (3月22日にFacebookに投稿した内容を転載します。なお、安倍政権が五輪開催をあきらめ、来年に延期することを正式に決めたのは3月24日)
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テレビ新聞は「復興五輪」のまやかしをまだ続け、安倍自公政権の悪政の共犯者となり続けるのだろうか!?
まるで「井の中の蛙大海を知らず」かのように、コロナ禍がここまで世界中も問題となっても、まだ五輪を開催しよういう安倍自公政権は、日本人だけが参加する国体を開催すれば良い。新型コロナウイルスが登場する前から、テレビ新聞などの大手メディアは視聴者・読者に伝える義務がある。「五輪には反対だ!」という、被災者の反対意見を。
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_yyy5260sumiweb 「安倍オリンピックが炎上して崩れていくんだ。安倍オリンピックを倒すタイミングが来た。3・11は終わっていない。原発事故はまた起きる。首都圏直下の地震も起きるだろう。そしてコロナがきっかけとなる。このまま行ったら国民もろとも玉砕の道をたどることになる。これまでの大きな筋書きは間違っていなかった。赤いボールは五輪を中止させるための時限爆弾だ(注:手にしているのは請戸海岸で拾った漁業用のブイ)。浪江町は4000棟が解体され更地になる。サヨウナラ浪江町だ。広大な帰還困難区域は荒廃する」(希望の牧場・ふくしまの吉沢正巳代表。浪江町


_yyy3733sumiweb 「アベさんは被災者福島県を利用して、五輪開催の意義があると訴えて招致した。中央の政治家が五輪を政治利用して「復興五輪」と表現するのはわかるが、地元の政治家や県全体までが福島の「復興五輪」だと盛り上げる感覚が解せないし、許せない。
原発事件の前と後。あの頃の故郷と今の故郷が同じだと思っている人は一人もいないだろう」(阿部光裕住職。福島市

_yyy3377sumiweb 「国は五輪開催することで福島の原発事故は解決しましたと世界に発信しているが、それは違う。多くの問題があるにも関わらず、五輪で日本は大丈夫と何事もなかったかのような偏ったイメージが広まる。住民はそうじゃないと思っている。いずれ自分のところに原発事故の被害が及ぶ。手放しで喜べる五輪ではない。五輪のために使う金は原発廃炉などに使うべきだったと思っている」(米野菜専業農家の中村喜代さん。郡山市

_yyy3655web 「首相があれほどウソこき恥こき言って誘致してる。言語道断だ。福島県人を愚弄している。人の命と五輪とどっちが大事だ。五輪はご破算だとIOCに直訴したい」(米野菜専業農家の故中村和夫さん。郡山市。2017年4月に急病により68歳で旅立った。五輪反対の意見は2014年にインタビューした時のもの

_yyy4339sumiweb 「五輪どころではないはずです。日本には真剣に向き合わなければいけない問題が山積みなのに。五輪にかけるお金も労力も時間もかけるどころではないと思っています。エネルギーをかけて大きなことをやった後のダメージは大きく、日本社会は疲弊します。五輪はやらなければ良いとずっと思っています」(田中徳雲住職。南相馬市

_yyy5070sumiweb_20200330221401 「イノシシのオレからも意見を聞きたいってかい!?9年前のあの原発事故による放射能汚染で大熊町は人間が一人もいない街になり、オレたちは食べ放題、荒らし放題の楽園になった。オレたちが獣のなかで一番放射能汚染されていることも知っているが、どうにもならないさ。駅と鉄道が再開されるようだが、常磐線界隈をねぐらとしていたオレだが、住民が戻って来れるわけではないので、あまり心配していないさ。五輪が開催されようとされまいと、オレたちの関心事は食い物が手に入るかどうかだよ」(大野駅前の駐車場を散歩していた雄イノシシ。大熊町

_yyy5727sumiweb 「元々、招致する際に、五輪やりたいのは山々ですが、今は辞退します、他所の国がお先にどうぞと譲るのが筋。オリンピックなんてお祭り騒ぎやっている時じゃないっぺ。「復興」、復興」って大金が動いているが、オリンピック終わったら一気に減速するって」
被ばく牛を生かす、元建設業で養蜂家でもあった松村直登さん。富岡町

_n613012sumiweb 「被災地復興が最優先なのに五輪をやろうとする。被災者や国民の視点ではない。経団連や一部のための政策だ。安倍は物事の道理を理解せず、好き勝手にやっている。その一つが五輪。国民は大きな力になびいていることに気づいてない。立ち止まって考える必要がある」
大津波で自宅1階が壊滅したが、リフォーム中の小野寺雅之さん。宮城県気仙沼市本吉町
(自宅下の線路はJR気仙沼線。まだ手付かずだ)


_yyy3649sumiweb「私がオリンピックに反対する理由は、「復興オリンピックと銘打って、避難者を切り捨てる政策を取っていることです。『福島県民はオリンピックどごでねえ!』」というのが正直な気持ちです。」
(子どもたちの保養キャンプ、佐渡へっついの家を主宰する関久雄さん。写真は郡山駅前にて)


 

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2020年3月29日 (日)

ようやく延期されたとはいえ、いつまで「復興五輪」に騙されているのか。

(クリックすると画像が拡大します)

2020114dsc_2569sumiweb_20200330202001Dsc_2568sumiweb_20200330202501 東京電力福島第一原発事故から丸9年。地元紙の福島民報によると、福島県民の県内外への避難者数は今でも41000を超し、県外への避難者数は31000人を超す。東北以外では、東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県の順で多い。この現実を前にしても、自民党公明党政府は、「復興五輪」を強行しようとした。

 

「復興五輪」がコロナウイルスによって蹴散らされた。当然至極すぎて驚かないが、安倍自公政権による「五輪ありき」政治により、新型コロナウイルス対策が手遅れになっているのではないかという心配が日本社会を覆い始めた。以下に紹介する写真群は、国民の命を軽視しても、今年7月に東京五輪を強行しようとしていた安倍「復興五輪」が、負のイメージを報道しようとしないテレビなど大手メディアを利用して、国民の目から隠そうとした東電原発事故から10年目の本当の姿だ。

誠実のかけらも、倫理感も道徳も持ち合わせず、口から出まかせ的な幼稚話法しか持ち合わせない安倍晋三(首相)が、「アンダーコントロール」と国際社会にウソ八百をついて、おそらく大金をちらつかせながら誘致した東京五輪。その始まりのうさん臭さから、今日の事態が来ることは筋書きができていたのではないだろうか。見えない神の手による懲らしめとして。

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双葉厚生病院の隣に建つ双葉郡医師会と双葉准看護学院の建物玄関。

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双葉町の双葉厚生病院真向かいに建つデイケアセンター裏口の下駄箱。9年前にスタッフが使っていた時のまま空気が止まっているようだ。大熊町にある小学校の教室のように。近くにある双葉町役場とこの厚生病院は、東電福島第一原発の北西約3.5キロの至近距離にある。

 

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9年前の3月13日午前10時半ごろ、緊急脱出の跡が残る双葉厚生病院玄関前に立ったことを思い出す。一度は除染されたと思われるいわくつきの病院だが、空間線量はいまだ高いままだ。何が問題かというと、この病院の敷地も近くの双葉町役場も、避難指示が解除された事実。3月14日に、常磐線が全線開通されるので、そのためだけに双葉駅とその周辺の除染も建物の解体更地化も進行途上の広範囲な一帯が、住民でも私のようなよそ者でも誰でも、歩き回ることが可能となったことだ。

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2011年3月13日午前10時半ごろの双葉厚生病院玄関前。空間線量が1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)を超えた場所だ。平常値の約2万倍を示す放射線量だ。
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安倍晋三率いる自公政権を政権与党に押し上げ、お上のいうことを素直に聞いている多くの愚かしい有権者と、五輪招致以来、短期間のお祭り騒ぎに便乗し、五輪バブルを積み上げることに熱心だったテレビ新聞などの国民への影響力が巨大な大手メディアが共犯し、「復興」の実態のない東京五輪を玄関口までたぐり寄せることに成功したのはまぎれもない事実だ。
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双葉厚生病院の隣にある双葉青年婦人会館の駐車場は、自動車が放置されたまま10年目に入っている。何度ここに立ち寄ってもシュールさを感じてしまう光景。建物から急に誰かが出てきて、止めてある車に乗り込むんじゃないだろうか、という感覚だ。

9年前の東日本大震災と福島原発事故直後から被災地の取材を不定期ながら続けてきたカメラマンとして、五輪開催に反対の旗印を鮮明にして取材を続けてきた。
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希望の牧場・ふくしまの吉澤正巳代表:「福島県の被災地を置き去りにした大都会東京のエゴだ。勝手にやればと思う。五輪の最中に関東大震災と東海の大津波、浜岡原発がどうなるかを現実の問題としてみなさんでシュミレーションをした方がいいのではないかと言いたい」(2013年)
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五輪招致は復興に役立つわけがない。逆に足を引っ張ると話す阿部光裕常円寺住職。(2014年、福島市山口)

現場に何度か出かけて、「復興」ということばの誤魔化しとまやかしに気が付かない取材者はいないのではないか。そんな思いを持ち続けながら、あれから9年後、10年目に入る原発事故被災地、3月に入って早々と避難指示が解除された常磐線双葉駅周辺の現状をお知らせしたい。以下の原稿は3月12日にFacebookに投稿した内容に加筆修正した。

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3月14日、双葉駅ホームで開通を祝う横断幕を掲げる人たち。

加えて、3月14日の常磐線全線開通のお祝い写真も追加した。避難指示の解除の実態にそぐわないにも関わらず、「復興五輪」のイメージアップ策として挙行されたからだ。
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◯「復興五輪」と簡単に騙されていいのか?


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2020年東日本大震災と福島原発事故10年目の取材から。
第一弾は常磐線全線開通のために避難指示解除された双葉町の双葉駅周辺など。撮影は3月9日。

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春になると桜並木が素晴らしいこの場所には、以前、原発推進アーケードが建っていたが、跡形もないので、今では知る人ぞしる場所となっていた。ところが、画面左下には、その原発推進標語を考案した大沼勇治さんが貼ったと思われるポスターが残されていた。

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2015年12月21日。大沼さんが小学生の時に考案し、双葉町に採用された標語看板「原子力 明るい 未来のエネルギー」が報道陣を前に撤去された。大沼さんと奥さんは防護服姿で、「撤去が復興?」「過去は消せず」と記されたプラカードを掲げて抗議した。

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原発推進標語アーケードの裏側は、「原子力 正しい理解で 豊かなくらし」とあった。この日、大沼さんたちの抗議も空しく、双葉町の予算を使って看板は撤去され、役場の倉庫に保管された。

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新しくなった双葉駅。駅前には駐車場スペースもあるが、この駅前広場を使い聖火リレーが予定されていたと思われる。26日には、「聖火」が臨時列車で大野駅から双葉駅に運ばれ、駅前の約500メートルでランナーが聖火リレーすることまで予定されていた。(注:3月24日夜にやっと、やっと五輪開催延期となり、聖火リレーは中止となった)

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駅舎に隣接する「ふたばコミュニティセンター」内は全くの手付かずにも見える。五輪招致が復興事業の足かせになってきたことを物語っているともいえるのではないか?常磐線双葉駅と大熊町の大野駅は3月14日に9年ぶりに営業再開し、全線開通となる。

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駅前商店街や隣接する地区は、住宅の解体更地化の真っ最中。9年経ってやっとここを痛感する。

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加えて、大地震により店内が足の踏み場もないほどに商品などが倒壊し、あの日のままの建物側は、平常値の20~30倍の1~2マイクロシーベルトまで一気に線量が上がる。

 

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地震で崩れたまま廃屋となった建物。

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電気屋さん。

また、今回の避難指示解除と同時に、双葉町役場と双葉厚生病院のある6号線海側も一部が避難指示解除された。役場も病院も9年前にフリーランスの仲間6人で3月13日朝にたどり着いた場所だ。三人が手にする三種類の線量計が振り切れ、1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)を超えたことを初めて知ったいわくつきの場所でもある。

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9年前の3月13日午前10時頃にこの場所に辿りついたが、その時のままに感じられる

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役場や厚生病院の裏手は縄一本で中間貯蔵施設地域と隣り合っていて、除染土を運び込むダンプカーが次々に入ってきていた。線量はなおさら高い。

今回の避難指示解除はインフラ整備はまだなため、住民に帰還してくださいという避難解除ではないというものの、「五輪招致」ありきで、現状を都合よく無視し、常磐線を開通させ、聖火リレーを大々的に実施して復興のイメージ作りというシナリオが出来ていた。あまりにも無責任ではないか。

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双葉海岸に近い一帯は、かさ上げや造成工事の真っただ中。大津波で流された墓地跡には、墓石が並べて置かれている光景も9年後の現実だということしっかりと見つめる必要があるだろう。

これらの写真群は、あなたが、私が生活し、底なしに劣化した国会議員や官僚たちも生活する日本の国土の一部で起きている現在進行形の出来事であることを忘れないでいたい。「復興五輪」の実態である。

 

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3月14日。双葉駅舎で開催された特急列車出迎え式でスピーチする内堀福島県知事。「五輪で常磐線が利用される予定だ」と祝辞を述べた。
原発事故までの利用客や地元住民には嬉しいことかもしれない。だが、線量が高いままの双葉駅周辺は解体更地化を待つ家屋が立ち並び、避難指示が解除されたといってもインフラ未整備のため、2022年3月の住民帰還を目指すのが実情。

 

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富岡町名物の桜並木、夜の森がある夜ノ森駅ホーム。

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3月12日、夜ノ森駅前通りは帰還困難区域のままなので、バリケードで封鎖されていた。

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大熊町の大野駅ホーム。

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3月12日、開通前の常磐線大野駅前駐車場は雄イノシシが一頭、のんびりと散歩していた。

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大野駅前商店街もバリケードで分断されている。

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3月14日、双葉駅に停車し、仙台へ向かう最初の特急列車。写真に写る建物は、ほとんどが解体待ちで誰一人住んでいない無人地帯。

逆説的だが、コロナウイルスにより、安倍「復興五輪」開催は、1年先延ばしされ、被災者の生活再建が軌道にのりはじめたというような本当の復興とは無縁の実態が、海外メディアを通じて国際社会にあぶり出される機会が少しだけ先送りされたということかもしれない。
来年3月は原発事故から丸10年の節目の年。県内外へ避難した住民の動きはさらに小さくなり、ゴーストタウンはより顕著になってるだろう。原発事故による放射能汚染は、住民から「帰還」の選択肢を奪った。

 

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