マッカーサー回想記を読んでみた(宗補雑記帳からの復活ブログ)
2007年4月17日 マッカーサー回想記を読んでみた
敗戦後の日本の方向性を良くも悪くも形づくったのが、連合軍総司令官マッカーサー元帥なのだという印象を強く受けた。読んだのは「マッカーサー回想記」(1964年朝日新聞社発行)を抜粋した「マッカーサー大戦回顧録 上・下」(2003年中公文庫)だ。満州に関する本を物色していて、石原莞爾著の「最終戦争論」(中公文庫)を見つけ、近くにあったので買ったものだった。
マッカーサーとフィリピン、中でもコレヒドール島は切り離せない。これは拙著などですでに書いたことだが、我が母親の最初の結婚相手が再召集され、戦死したのは敗戦の年のコレヒドール島攻防戦だった。そんなこともあり、フィリピンを長年取材してきたのにも関わらず、まだ読んでいなかった本だった。
マッカーサー司令官は、真珠湾攻撃とほぼ同時にフィリピンに攻め入った日本軍にフィリピンから追い出され、体制を立て直してフィリピンを解放することを自分の責任と任じ、日本本土攻撃までの最大目標として米軍(陸軍)を指揮した。1942年3月、日本軍の攻撃で追い詰められていたマニラ湾入り口の要塞であるコレヒドール島を、マッカーサー司令官は小さな高速魚雷艇で脱出した。ミンダナオ島北部のカガヤン港に到着後、飛行機で一旦オーストラリアへ脱出。その後、オーストラリア軍の協力も得て体制を整え、ニューギニア西部、ラバウル(ニューブリテン島)まで南下した日本軍に対する反撃を開始した。マッカーサー司令官はこのとき、60歳をこえていた。
1942年7月のニューギニア東部での地上戦を皮切りに、フィリピンに向かって北上する「かえる飛び作戦」をとり、強大な日本軍に対する正面攻撃を避け、分断し挾間撃ちにしたり、制空権と制海権を奪ってから、物資や兵員の補給路を断ち、日本軍を孤立させる戦術を取ることで、米軍側の損害を最小限に留めようとしたことを強調している。例えば、ラバウルやニューギニアの日本軍の脅威に対し、物資も兵員も食料の補給も断たれた状態に持ち込み、日本軍にトドメは刺さず、戦略的に重要でない日本軍の拠点は素通りし、44年10月までにフィリピンに到達している。
マッカーサーの陸軍部隊が南西太平洋を北上する一方で、中部太平洋上を日本に向かってまっすぐに縦断したのが、ニミッツ提督が指揮する米海軍だ。マリアナ諸島のグアム、サイパン、テニアン、そして硫黄島と沖縄を攻略したのはニミッツ指揮下の米軍だ。これらの島々が他よりも本土防衛に重要な戦略拠点だったためか、日本軍の徹底抗戦もあり、玉砕と自決のイメージがどこよりもつきまとう。
「硫黄島も沖縄もけっきょく陥落したが、そのために払った犠牲は膨大なものだった。推定死傷者数は、沖縄では7万5千人以上、硫黄島でも2万2千人近くに達している。沖縄では、大部分が特攻隊から成る日本空軍の攻撃で、米側は、艦船の沈没36隻、破壊368隻、飛行機の喪失8百機の損害を出した。これらの数字は、南西太平洋部隊がメルボルンから東京までの間に出した米側の損害の総計を越えるものである。この戦いで第10軍司令官バックナー将軍は戦死し、スチルウェル将軍が後任司令官となった。」
マッカーサーはこのように回想し、要はニミッツ提督の戦法は米兵に必要以上の犠牲者を生み出したことを指摘したいことが読み取れる。この回想記は、84歳で亡くなったマッカーサー元帥が、大戦終了後15年が経過し、80歳を過ぎて執筆したものだ。全てを自分に都合良く解釈しているような我田引水、自画自賛の印象を受ける。とはいえ、読後の印象は、戦後日本の廃墟からの再建は、政治家的豪腕を発揮したマッカーサー元帥が、時にはアメリカ政府とは異なる連合国の要求を排除して占領政策を強引に押し進めた結果だと実感できる。彼は、戦争犯罪者に昭和天皇を含めるべきとの英とソ連の要求を押しとどめ、ソ連軍の進駐を断固拒否したと記している。
マッカーサーは占領下の改革の原則の上げている。1:婦人の参政権、2:労働者の組合組織化、3:学校教育の自由化、4:思想、言論、宗教の自由、5:経済機構の民主化などだ。
自由な教育を奨励する上で、マッカーサーは文部大臣に次のような指示を出している。
「学生、生徒、教職者、教育関係官吏が政治的、公民的、宗教的自由にかかわる問題を何の拘束も受けずに討論することを奨励する」
彼は極東国際軍事裁判(東京裁判)についてはこう書いている。
「戦犯は裁判の結果、妥当な刑罰を受けた。A級戦犯は28人だけで、これは政府その他の地位にあって実際に日本を開戦に導いた責任を負う人々であった。」「この軍事裁判ほどその誠実さを信頼するものは他にないと信じる。」「すべての善意の人が人類の最も残酷な苦しみであり最大の罪である戦争がいかに徹底して無益であるかを知り、やがてはすべての国が戦争を放棄することを祈る」
戦後62年、安倍首相は、占領軍下で作られた憲法改正を含む、「戦後レジーム」の見直しが何よりも優先する。
「憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組みの多くが、21世紀の時代の大きな変化についていけなくなっていることは、もはや明らかです。(中略)今こそ、これらの戦後レジームを、原点にさかのぼって大胆に見直し、新たな船出をすべきときが来ています」と安倍首相は、得意気に言う。
しかし、私には不思議に思えるのが物事の順番だ。「戦後レジーム」は、あくまでも日本の侵略戦争の結末だ。大東亜共栄圏というウソ八百の侵略思想で、昭和天皇を大元帥とする軍国主義指導者が突き進んだ結果が呼び込んだものだ。安倍首相が変えようとする「戦後レジーム」を生み落とした張本人は、じつは戦前の天皇制軍国主義の日本社会そのものだといえる。そうした歴史的事実の因果関係を都合良く忘れ、戦前の歴史的過ちを素直に反省し、謝罪し、謙虚になる姿勢がないまま戦後の体制を見直すのだという。
安倍首相が見直して、復活したい価値観の具体例のヒントがこの本の下巻にある解説にあった。ノンフィクション作家の工藤美代子氏によって2003年に書かれたものだ。以下に一部を引用する。
「問題なのは、平成の世になってもまだマッカーサーの創作した日本は、その残影を引きずったまま、時間が推移しているところである。簡単にいうと、マッカーサーは戦後の日本に民主主義という巨大な卵を生みつけて去っていった。卵は孵化し、無気味な変容をとげた。政治、経済、教育、文化、あらゆるジャンルで、マッカーサーの刻印が押された怪獣が動きまわっている。(中略)ポスト・マッカーサーの日本を私たちが自分たちの手で作り上げる時が、もう到来しているのではないだろうか」
ネットで検索すると、工藤氏は今年の2月11日に日本会議大阪・府民の集いという集会で記念講演し、以下のように紹介されている。
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国歌斉唱などの式典の後、ノンフィクション作家の工藤美代子氏(56)を迎え「皇室と日本の伝統」をテーマに記念講演を行った。工藤氏は現在興味深く調査し、国民思いであったとされる大正天皇の正室、貞明皇后のエピソードを中心に語り「皇室は日本が世界に誇れる文明。日本の精神的支えとなるこの文化を今後も守るべき」と語気を強めた。
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