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2019年9月15日 (日)

雲水牧師・釈弘元師と富士山弘願寺(白頭山聖霊教会)25周年(宗補雑記帳からの復活ブログ)

2004年9月23日(木) 雲水牧師・釈弘元師と富士山弘願寺(白頭山聖霊教会)25周年

 12日(日)に富士山の麓にある富士山弘願寺(富士宮市)に行って来た。最近は白頭山聖霊教会とも呼ばれる。昨年末に、住職管長牧師の釈弘元師と清僧さんたちの托鉢を撮影していらいだから9カ月ぶりになる。4ー5年前から取材をはじめ、6-7回は通ったことになるだろうか。

 この日は創立25周年記念行事と新著「我が魂を三八度線に埋めよ」(同時代社刊)の出版記念が行われたが、今回は管長の釈弘元師のインタビューをすることが主な目的だった。来年中には、朝鮮半島の38度線に弘願寺が移転され、今回が最期の創立記念行事になる可能性もあったからだ。

 弘願寺はいわゆる既成教団に属する仏教寺院ではなく、キリスト教会でもない。おそらく世界に一つしかないユニークなものだ。第一本尊はお釈迦さま、イエス・キリスト、老子の3人、第二本尊は清僧さんとなっている。清僧さんとは、心の清らかな僧侶の意味で、実際は知的障害者の人たちだ。祭壇には三体の仏像があり、十字架が柱の梁にかかり、老子も祀られている。本堂などの敷地を取り巻く垣根には、韓国の国花である真っ白なムクゲ(無窮花)が満開だ。
 
「お釈迦さまだけでも、イエスさまだけでもちょっと寂しい。老子も大好きである。こんな宗教のデパートみたいののは聞いたこともないと言われたが、私の直感できめた」

 著書「韓日求道放浪60年」--両眼具備・本当の牧師になります--(2000年、燦葉出版社刊)でこう言っているのが、富士山弘願寺を創立した釈弘元師。82歳だ。希有の放浪人生を歩んできた癖の強いキャラクターだ。仏教僧侶であり牧師でもある。日本人以上に日本語が巧みで、日本語文字はきれいで、文章表現も秀でている。

 釈師のインタビューやフォトストーリーはいづれ雑誌に掲載できると思うので、ここではごく簡単に釈師のプロフィールを紹介しておこう。師の人生が放浪に継ぐ放浪の人生だということがよくわかる。

 1922年に日本統治下の朝鮮半島の白頭山の麓、今の北朝鮮(本人は共和国と表現する)で生まれた。父親は漢方医だった。中学時代に満州に出てから単身日本に渡り都内の中学校を卒業、東京大空襲を体験する。その後、満州でいろんな仕事につくが、日本の敗戦で一時帰郷する。思想的な対立が深まり、南北分断前に南に渡る。戦後はソウルの大学を卒業し、台湾に留学。東京大学大学院時代には、日本国内の新興宗教を研究した。帰国後に釜山で出家してから再々来日し、駒沢大学仏教学博士コースで学ぶ。1979年に知的障害者のために「精薄寺院弘願寺」を富士山の麓に創立する。89年には渡米し、69歳で牧師の資格をとり帰国。2003年に富士山弘願寺に戻り、住職に還る。

 釈師は、「私は流れる水だ。この80年間荒波にたくさんぶつかった。大海がやっと見えてきた」と話した。来年は38度線に教会を建て、富士山弘願寺・白頭山聖霊教会を移転する計画に取りかかると抱負を語った。清僧さんたちも一緒に移り住むという。

 釈弘元師を知れば知るほど、インドで活躍している佐々井秀嶺師の生き様が重なってみえる。

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