暴走する戦争を知らない世代の「命を粗末にする政策」(宗補雑記帳から復活ブログ)
2006年12月23日 暴走する戦争を知らない世代の「命を粗末にする政策」
年末の沖縄は東京とあまり変わらぬ肌寒さだった。曇りの日が続き冷たい雨も降った。沖縄の佐喜眞美術館での11月はじめからの長期に渡る写真展が25日で終了する。展示したばかりと今回を比べると、自分でもより冷静に展示空間を見ることができ、何が不足しているのか、どこが弱いのかが何となくわかった。他の人には見えていても、当事者には時間をおかないと気がつかないものがある。
今回の写真展の収穫は、私には計り知れないほど大きかった。何よりも会場が最高だ。丸木位里・俊夫妻による「命どぅ宝 沖縄戦の図」を常設する美術館の、前座をつとめるような場所で、平和教育の一貫で大挙して訪れる修学旅行生に観てもらうことができたことだ。
地元紙による反応も嬉しいものだった。琉球新報は宮城修記者によるインタビュー記事と窪島誠一郎さんによる写真展評を掲載してくれた。沖縄タイムスも写真展を大きく紹介してくれたり、タイムスの11月美術月評でも有り難いコメントをいただいた。
「そこに写る老人たちはさまざまな背景を持ち、人生の最終章を生き抜いている。その姿は自然体で屈託がない。前を向く力を少しおすそわけされたようであった」
加えて、二度の滞在期間中に6人のお年寄りの戦争体験を取材できたことも有り難かった。写真展開始までは、たった一度しか沖縄を取材していないのだから、沖縄を知らない私には、生の歴史教育を受けるチャンスとなった。確かに、沖縄を知らなくして、天皇制軍国主義を掲げた日本の、侵略戦争の本当の姿をわかったことにはならないといえるかもしれない。
幸か不幸か日本の領土になった沖縄の、過去と現在を少しでも知ると、軍隊は決して国民の命を守るために存在しないことがわかるし、人間が戦争により人間性を失い鬼と化すことが想像できる。自由主義史観とか新しい教科書を作る会、さらには侵略戦争の歴史を学校教育で教えないことを善しとするような文科省と政治家のはびこりが信じがたいことだとわかってくる。
教育基本法を改悪することが、子どもたちから学校教育で日本の軍国主義と天皇制に対す疑問を学ぶ機会を奪うことがわかる。新たな「洗脳」教育は、沖縄戦の夥しい戦死者への冒涜だということもわかる。「命を粗末にする政策」だということがわかる。まっとうな大人が政治と行政の中枢では少数派だという悲しい現実が見えてしまう。平和教育の場として佐喜眞美術館に高校生を引率してきた教師は、そうした事態を懸念し、来年度も館に高校生を連れてくることができないかもしれないと心配していた。
戦争を知らない大人、歴史を学ばない大人たちの集まりが安倍政権与党だ。憲法改正について「歴史的な大作業だが、私の在任中に何とか成し遂げたい」と明言した安倍晋三首相は、「戦争を知らない」、戦争の実態を学ばない世代の、暴走する大人の代表格だ。突然切れる子どもと変わらない。
あんなバカが私と同じ年だとは思いたくないが、社会環境が生み出した「切れる子ども」は気の毒で同情の余地がある一方、冷徹な計算づくで教育基本法を改悪した安倍政権与党は、恐ろしい世代に属していると思う。戦前の皇国教育の怖さが想像できないのかもしれない。
憲法は変えなくても、教育の現場から新たな「洗脳」は可能で、思想教育はできる。なぜ大正時代に生まれ育った私の両親の世代が、天皇を崇拝し「聖戦」を疑うことなく侵略戦争に邁進したのか。なぜ昭和の初めに生まれ育った子どもや中学生までもが、天皇のため、お国のために命を投げ出すことが尊いことだと信じ込んでいたのか。なぜ沖縄の住民が日本軍を信じ、最後は裏切られたのか。
答えは難しくはない。明治23年(1890年)に発布された教育勅語が国民を縛り、皇室批判も許さず、軍部や政治家が天皇制を都合良く利用しつつ、学校から国民を統制していったわけだ。30年、40年の教育で国民が完全に洗脳されたのが戦前の歴史だった。廃止された教育基本法は、他国を侵略して植民地化した戦争を深く反省し、洗脳教育の元に使われた教育勅語を廃止して誕生したものだった。そうしたことを私は沖縄を通じて学んだ。
沖縄に出かけるチャンスのない人には太田昌秀編著「写真記録 これが沖縄戦だ」(琉球新報社発行、1978年)がオススメだ。当時のモノクロ写真が大量に掲載され、ものすごい説得力がある。30数年前のベトナム戦争の忌まわしい写真と何ら変わらない。ベトナムではなく、日本で起きた事実だ。沖縄戦を生き延びた体験談を読みながら、写真を見ると、当時の悲劇的状況が具体的に迫ってくる。この本を教科書に、沖縄戦を生き残ったお年寄りが教師となり、安倍政権与党と国会議員全員を再教育する必要がある。いや、われわれ有権者みんなが対象だ。
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