佐々井秀嶺師の「闘う仏教」・大菩提寺解放大行進(宗補雑記帳からの復活ブログ)
2009年12月15日 佐々井秀嶺師の「闘う仏教」・大菩提寺解放大行進
佐々井秀嶺師が主導する大菩提寺解放を訴える大行進・集会を取材し、13日にインドから帰国した。今回はデリーに1週間滞在しただけだが収穫は大きかった。
6日はアンベードカル博士の入滅した日。インド政府による準公式行事があり、国会議事堂敷地内に建つアンベードカル博士の銅像での献花、偉業の顕彰が大統領、マンモハン・シン首相、ソニア・ガンジー与党総裁などが参列して行われた模様だ。撮影したかったのだが、厳重な検問と、式典には招待客しか参列が許されていないため、中に入ることすらできなかった。とはいえ、公式行事後は、市民にも開放され、外国人の私も警察の厳戒チェックを通過して、アンベードカルの銅像の前に立つことができた。ただし、カメラも携帯もメモ帳も、サイフも全て預け、靴を脱いでの入場が可能だった。
国会議事堂に対面するアンベードカル像は、左手で自らが起草したインド憲法を小脇に抱え、右手人差し指を前方へ高く掲げ、威厳に満ちていた。銅像の足元には深紅のバラの花びらが山盛りに手向けられていた。私も思わず跪いて三度額ずき、アンベードカル博士という巨人の偉業にひれ伏した。インド仏教徒からは菩薩としてブッダと並列して深く崇拝される人物が53年前に入滅した日にインドに身を置いていることに感動していた。これも2004年3月に佐々井秀嶺師の活動をスタートしたことで実感してきた近代史の巨人の存在であり、この間、多くを学ぶ機会を得てきたことに感謝した。
また、市内中心部から北に位置する住宅街にあるアンベードカル博士の住居となっていた跡地には、前政権のインド人民党(BJP)時代にオープンしたアンベードカル記念館があり、展示内容の誤魔化しが目に付いた。例えば、「アンベードカル22の誓い」で肝心の「ヒンドゥーの神々を信じません」「ブッダがビシュヌの化身などとは信じません」という内容がすっぽりと抜けているのだ。これは佐々井師流にいうと、ヒンドゥー至上主義勢力による陰謀だと言い切ってもおかしくはない意図的な誤魔化しだ。ここでは、旧知の佐々井反対派幹部の僧侶とバッタリ出会い、「佐々井師は我々を騙した」という内容の非難を聞いた。10日の大行進に参加する仏教徒も僧侶も多くないだろうと彼は冷めた見方をしていた。
10日のデリー市内大行進は壮観だった。3年前のナグプール市内を練り歩いた集団改宗式50周年の黄金祭を彷彿とさせるものだった。再び佐々井秀嶺師(アーリア・ナーガルジュナ・シュウレイ・ササイ)の神通力が発揮された。全てがインド社会と政治を知り尽くした佐々井秀嶺師的発想と実力行使の賜だろう。全インド法兵隊会長としての佐々井師の呼びかけに応じ、インド中から仏教徒や僧侶ら約8000人がデリーに集結した。下層階級の面々が大多数を占める仏教徒の、誰も彼もが無賃乗車でインド大陸を駆け抜けてきたのだ。ニューデリー駅近くの広大な運動場に用意された特設大テント二基ではとても収容できない参加者が行進日の早朝まで後から後からやってきた。
午前10時、佐々井師を先頭にした大群衆は、ニューデリー駅近くの大集会場から、国会議事堂近くの抗議集会場までの目抜き通りを2時間に渡って大行進した。このデモ行進の要求はただ一つ。「ブッダガヤの大菩提寺(マハボディ・マハビハーラ)の管理権を仏教徒の手に戻せ!」。日本的にいうと大菩提寺管理権奪還闘争だ。
ただし、今回の要求内容は憲法違反のビハール州法の「1949年ブッダガヤ寺院法」を廃棄せよというものだ。正確に記すと、この寺院法によって定められた現行の9人メンバーの大菩提寺管理委員会が、現実にはヒンドゥー教徒が必ず多数派を占め、仏教徒が少数派となる制度であるためだ。要するに世界遺産に認定されている大菩提寺と大仏塔が、仏教徒の根本聖地と認定されているにも関わらず、仏教徒が管理運勢する権利がないというとんでもない現実が半世紀続いているということだ。
ビハール州のこの寺院法は、インド憲法が施行される前年に制定されたもので、今回のの示威行動では、憲法違反に相当するビハール州の1949年寺院法の破棄を国会議員に要求し、新しい「ブッダガヤ・大菩提寺・大仏塔法」の制定を要請する大行進だった。
佐々井師の呼びかけで、大菩提寺解放闘争が再び活気づいてきたことは誰の目にも明らかだった。大菩提寺の解放を求めるという同じ目標を持ちながら、佐々井反対派の僧侶たちが結束しても、民衆に信頼されていないという事実も確認できる取材となった。
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