ガイドブック「行ってはいけないアジア」掲載コラムから「マラリアの基礎知識」
2005年「行ってはいけないアジア」に掲載したコラムの「マラリアの基礎知識」を以下に再掲します。
戦争中の沖縄もマラリアの猛威が振るった地域です。急激な温暖化とともに、日本本土も20年以内には亜熱帯気候となり、マラリアを心配しなければいけないような時代が到来するかもしれません。今から読んでみても損はないですよ。
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カレン民族を詳しく知りたい人は、マラリアの発病を覚悟する必要があるだろう。私はジャングルに三日間滞在しただけで、発病した経験がある。毎年、100~200万人近い人がマラリアのために世界中で命を落としている。アフリカのサハラ以南が最も危険だが、東南アジアではビルマ・タイ国境地帯でもマラリアが猛威を振るう。
熱帯や亜熱帯のハマダラカの媒介でのみ感染するマラリアは、空気感染も血液や体液による感染も起きない。こうしたマラリアに関する基礎知識は、インターネット上でも十分な情報が手に入る時代だが、情報提供者の研究者たちは患者の体験がないようだ。実際、日本の医療現場で働く医師や看護婦はそうした知識もないので、マラリアと聞いただけで後ずさりする。
ここでは個人的な体験を知ってもらうことが近道だろう。ただし、マラリアによる感染と発病は個人差があるので、一例として知っておき、現地入りする前の心構えとしてほしい。私の場合は、これまでにビルマ取材では四回マラリアが発病した。フィリピンの取材では、取材中にアメーバ赤痢にやられ、帰国後に一度マラリアが発病し、一度は結核で入院した。感染地帯での取材は避けられないので、職業病と割り切るようになったが、マラリアの発病は嫌である。
・なぜかマンダレーで発病したマラリア
初めての発病は1989年8月。ビルマの北の都マンダレーで発病し、タイのバンコクの総合病院で診察した結果、マラリアと判明。治療薬を服用して症状が快復してから帰国した。二回目は95年5月。カレン民族同盟のドゥープラヤ管区(メーソットから西南方向のカレン領)を取材中に発病。運良く四輪駆動車で一時間ちょっとのところにKNUが運営する病院があり、そこにかつぎ込まれ、点滴と治療薬で快復した。三回目は長期国内取材を終えて帰国後の95年の年末、田舎に帰省中に発病した。日本での発病は初めてだったので、少々慌てた。すぐに帰京し、正月で閑散とした都内の道路を救急車で都立駒込病院の感染症科に入院。点滴で症状は快復した。四回目はいつだったかはっきり覚えていないが、自己判断で治療薬のキニーネを服用し軽症で済んだ。
中でも、初めての時が何の病気か全くわからなかったので怖かった。89年8月、私は初めてのビルマ都市部の取材中だった。取材の狙いは、民主化デモが全国的に実施された88年の8月8日から一周年後の首都ラングーンにあった。この頃のビルマのビザ取得は、今では想像できないほど困難だった。団体パッケージツアーが普通で、日程は決まっている。ちょうど個人ツアー用のビザが出始めたばかりで、二週間以内のパッケージ・ツアーを、ビザの唯一の窓口であるバンコクの旅行会社に申請。入国後、ラングーンの観光省ツーリスト・ビルマで、滞在中の全日程を提出し、ホテル代、飛行機代、列車代を米ドルで支払うことが義務づけられていた。結局、二週間のビルマ観光旅行代(バンコクからの往復チケット代・ビザ代も含む)として、私は一〇〇〇ドル(日本円にして約一五万円)支払った。
発病したのはビルマ入りして九日目。私は外人観光客のおきまりのコースである、ラングーンーパガン遺跡ーマンダレーと回っていた。ホテルで朝起きると、身体が異常にだるく上半身に力が入らない。頭は重く、腰や足首も痛い。起きあがるのがやっとだ。顔が黄色に変色していた。薬を買うために這うように外出し、サイドカーで市場に行き、薬屋でマラリア用薬を買い求めた。期限切れの薬が大手を振って歩いているビルマで、どんな薬を飲んだのか覚えていないが、四種類の薬を服用した。翌朝は、Tシャツ、ベッドのシーツに毛布カバーがびしょびしょで塗れ雑巾を絞るほどだった。初めての経験に不安にかられた。
思いついたのはマラリアだった。実は、ラングーンに入る直前、ビルマ国境のジャングルで、ビルマ学生キャンプに泊まり込んで取材をしていた。この時は三泊だけだ。7月末はまだ雨季の最中、マラリア対策でジャングル内の作られた小屋の簡易ベッドは蚊帳で覆われていた。夜行列車で8月8日にラングーンに戻った時にはフラフラ状態だった。注射を受け、数日間我慢し、市内の要所で銃剣を着けて市民を威圧する兵士たちの写真を少しだけ撮った。帰国前にバンゴクの総合病院の血液検査を受けた。すぐにPF型マラリアと判明し、治療薬の服用を開始したが、マンダレーで発病してから10日間、大量の寝汗は毎日で、ほぼ一日置きにだるささと熱っぽさがぶり返した。昼間は眠れても、夜は意識がもうろうとして眠れず、朝になると疲れ切ってしまう繰り返したった。10日間で7~8㌔痩せた。帰国したものの、体力が10歳ほど衰えてしまったと感じた。マラリアの発病は基礎体力を奪うことを学んだ。
二回目と三回目の症状は共通していた。激しい下痢とはきけ、悪寒に激痛で頭がズキズキし、高熱と体中の間接の痛みが特徴の症状だった。エビのように身体を曲げ、歯を食いしばって痛みに耐えるしかない感じだ。
・二度目はKNU解放区の病院に入院
二回目の発病で車でかつぎ込まれたKNUの病院は、患者が私を含めて10人入院していた。5人がマラリア患者で、内二人は一歳前後の赤ちゃんだった。地元の住民も全く発病せず「免疫」ができていると思われる人もいるし、発病し死亡する人もいる。ちなみに、タイのメーソットにあるメータオ・クリニックを取材中に、マラリアダンシングと呼ばれ、錯乱状態でものすごい形相で暴れる若者を見た。マラリア治療が手遅れで目の前で息を引き取った28歳の男性もいた。四種類あるマラリアによっては、手遅れとなれば死ぬケースも多々あるのだ。
私がこの解放区にある病院で安心できたのは、看護士たちはよく訓練され慣れていたことだ。わずか1~2滴の血液で、約30分後には顕微鏡を覗きマラリア原虫の種類でどのタイプかを見極め、治療薬を投与するからだ。病院といっても備えられている機器は顕微鏡一台の病院だ。皮肉なことに、近代的高価な医療機器が設備されている日本の総合病院はかえって危ない。一例をあげると、10年ほど前、義勇兵としてKNUの部隊と行軍したことのある日本人の若者が、帰国後の大阪で手遅れとなって病死した。彼の友人だった別の義勇兵からマラリアの発病だったと聞いた。体力が落ちている時にマラリアは発病しやすいが、性別も年齢も選ばないので注意が必要だ。
私の住む東京都内で、熱帯病で安心してかかれるのは都立駒込病院の感染症科だ。三回目の発病でお世話になった都立駒込病院には、様々な熱帯病を扱う感染症科があり、最も多くに症例を持つ病院だ。血液検査でマラリアと診断されれば即入院治療開始となる。治療には点滴が欠かせない。下痢とはきけが続き、食欲が出ないことと、固形食を受け付けないからだ。通常は3~4日の入院で退院となる。感染地帯に出かけない限り、再発を心配する必要はあまりない。
最後に治療薬について。現地で購入できるマラリア治療薬は数種類ある。クロロキン、メフロキン、ドキシサイクリン、ファンシダー、キニーネ、そして最新の中国で開発されたアルテスネイト(ARTESNATE )もある。全て錠剤で、予防と治療のための服用の仕方が異なるので、お店の薬剤師に聞く必要がある。これらの治療薬はビルマ・タイ国境のタイ側の町ではほとんど市販されているので便利だ。ところが、日本国内では治検薬扱いだ。副作用があるので同意書にサインしないと治療薬が渡されないのだ。
私はキニーネと中国製のアルテスネイト(一箱一二錠入り)を持ち歩くようにしている。どこで発病しても、症状を緩和することが最悪の事態の回避になるからだ。
(脚注: 誰でも準備できる対策:一:蚊よけローションか蚊よけスプレー(現地で購入する)、二:蚊帳、三:寝袋(顔だけ出していても蚊よけローションが有効)、四:雨季を避ける(乾季に蚊の発生はかなり減る)
これでもあなたはカレン民族を知るために、現地に行きますか?
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