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2019年9月12日 (木)

憲法の誕生と回顧録(宗補雑記帳から復活ブログ)

2007年5月1日  憲法の誕生と回顧録

 4月29日は昭和天皇を美化する政治家や官僚、取り巻きが、こっそりと「昭和の日」と休日名を差し替え、昭和天皇の名で言い尽くせない犠牲を強いられた国民を侮辱した日。

 昨日の新聞には、「『昭和の日』をお祝いする実行委員会」(会長は石原慎太郎都知事)が、八王子で式典を開き、天皇・皇后両陛下バンザイを三唱したとあった。外遊中の安倍首相からは祝辞が寄せられたそうだ。

 夜、NHKスペシャルで日本国憲法誕生の経緯を追ったドキュメンタリーをやっていた。
幣原首相の「戦争放棄」の提案や、連合軍代表で構成される極東委員会による注文の部分は、マッカーサー回顧録に書かれた内容と同じだった。当時の日本政府が「戦争放棄」をうたう一方で、天皇の地位と権威を最後まで残そうと占領軍と駆け引きしたことがよくわかるように編集されていた点がわかりやすかった。

 回顧録にもあるが、明治憲法の「天皇は神聖にして侵すべからず」の表現を変えただけで、天皇の地位安泰を当初から目論んでいる日本政府の、敗戦国としての身の程知らずで子供じみた考えの甘さが伝わった。

 番組では、オーストラリア政府による戦犯リストの6番目に「Hirohitoヒロヒト」の名がしっかりタイプされた書類が映し出されたが、当然だと思う一方で、リストの1番目にないことが不思議だった。この点は回顧録によると、ソ連とイギリス政府は昭和天皇を』A級戦犯のトップに上げたようだ。そうした要請を個人的に排除するかたちで、マッカーサーが昭和天皇を免責し、天皇制を維持する体制を守らせ、占領軍統治と戦後日本の改革に利用したことは明白だ。

 連合国には大元帥の昭和天皇も訴追し、謝罪しても謝罪しきれない責任を追究してほしかった。なぜならば、日本国民が昭和天皇や戦争指導者の戦争責任を自ら裁くことをしなかったのだから。「砕かれた神」を書き残した復員兵渡辺清の言うように、沖縄の平和活動家の阿波根昌鴻が「出家してほしかった」というように、天皇が自ら退位することを当たり前と思っていた国民の期待に反し、天皇は皇位に居座った。その結果、戦後何十年たっても、政治家による天皇の政治利用が続き、戦争を美化し玉砕があたかも美しい行為であるかのような表現を蔓延させている。

 番組が明らかにしたように、日本国憲法の誕生に、占領軍や極東委員会、日本政府や民間人がどれだけ関わっていたにせよ、日本による侵略戦争の結果が招いたのが敗戦後の体制だった。そこで生まれたのが天皇制軍国主義を否定した新憲法の制定だった。「戦後レジーム」を見直し、改憲しなければならないという強迫観念にかられている人たちに欠けているのは、戦前から戦中の体制を見つめ直し、過ちを認め素直に反省する態度だと思う。

 「戦争を知らない子どもたち」の世代のカメラマンとして何ができるのか。日本の何が戦後レジームを招いたのか。お年寄りの写真と戦争体験談で、戦争の記憶を若い世代に少しでもつなげたい。

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