「痛みを分かつこころ」とは。9年目の東日本大震災と原発事故(福島、宮城、岩手3県巡りからPart2。大津波被災地巡り)
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今回は約3年ぶりの岩手県と宮城県の大津波被災地取材だったが、何よりも強く感じたのは、「9年目に入ってやっとここまで来たか」、もしくは、「まだここまでなのか」というある意味、愕然とした思いだ。
大津波被災地は原発事故被災地のように腰の据わった取材ができていない。そのため駆け足取材となりがちだ。とはいえ、震災後からの変化は、現場に立つ機会のない人にとっては、写真などで比較しないとわかりにくい。なので、変貌ぶりの一端を知る目安にはなる。
3月14日、宮城県東松島市、石巻市
宮城県で石巻市、気仙沼市に次いで犠牲者が多かったのが東松島市。犠牲者数は1132人。
・石巻市門脇地区
全被災地のなかでも、最も犠牲者の多かったのが石巻市犠牲者数は3552人。
大津波と火災の両方で全損した門脇小学校。2011年3月撮影。
3月15日、盛岡市、岩手県大槌町、陸前高田市
1286人が犠牲となった岩手県大槌町は旧役場のあった町中心部も吉里吉里も大規模なかさ上げ土木工事の成果とはいえ、8年間の変貌が強烈だ。大槌町役場は解体され更地化されていた。震災遺構として残すかどうかが住民の間でも問われたが、町長と議長が解体に賛成したということだ。
私たちはあれほどの犠牲と被害の教訓を、これから生まれてくる子どもたちに残すことができるのだろうか?
・大槌町吉里吉里
中心部とは異なる湾に面したすり鉢状の吉里吉里も変貌ぶりが激しい。大津波による壊滅ぶりを知らないと、どこがどうなったのかが全く見えない。大津波で浸水し家屋が壊滅した地域のかさ上げはかなり進み、すでに新しい住宅街が形成されつつあった。新築の家屋群を見ていると、どうしても頭の中で比較してしまうのが、原発事故被災地の家屋が解体され、更地化されても、住民が戻ってこない福島県浜通りの光景だ。どちらも残酷な点は変わらないのだが、将来的な展望を考えると、大津波被災地の新築家屋の光景がまぶしく見えてしまうところがある。
震災後の4月から不定期だが取材してきている吉里吉里吉祥寺の高橋英悟住職はこう話された。
「被災者の多くがまだ区切りがついていない。住民の命を守る防災に対する備えを考える時期に来ているのに、防潮堤ができてから考えることを止めてしまっている状態です。旧庁舎解体をめぐる感情の対立。20年30年後の子や孫たちに何を残せるか。どう生きるべきかという大人としての背中を見せられない」。
こうも指摘した。
「生きるための希望が見えない時代。お金も物もあるのに人の心は満足しない。自分のためだけに生きることではなく、人を大切と思うことで生きる力や希望が湧いてくる」
高橋住職も「他者の痛みを知り共感する心」の重要性を説いていた。
原発事故被災地にも大槌町吉里吉里と似たような光景が広がるが、その意味は正反対だということを想像してほしい。大震災と原発事故から8年。福島県浪江町では地震で壊れた家屋や住民が帰還を諦めた住宅や店舗などが解体工事の真っ最中。常磐線浪江駅前商店街に面した一帯も家屋が次々に解体され、あちらこちらに空地ができていた。元の人口は22000人だった浪江町。避難解除された地域に帰還した住民は約900人。何とも残酷な現実ではないだろうか。
福島県浪江町。2017年12月撮影。
2017年12月撮影。
・陸前高田市(犠牲者数は1757人)
2011年3月撮影。震災後の陸前高田市に初めて足を踏み入れた時の見渡す限り破壊され尽くした光景を忘れることはできない。どこをどう撮ればいいのかも見当がつかなった。
壊滅した広大な陸前高田市の復興を想像してみると、瓦礫を徹底して片付け、ゼロから街全体のかさ上げをし、そこからようやく生活に欠かせない建物、商店街、住宅街などなどの再建ということになる。国がオリンピックにかける予算の何倍も必要なのは容易に想像できるのではないだろうか。
被災地の一部を駆け足で見ただけだが、あの大震災から9年目に入っても、「復興」は途上中の途上に過ぎないと感じるのは私だけだろうか。厳しすぎる現実の背景には、大津波被災地が太平洋岸450キロというあまりにも広範囲に及んでいるためだ。大津波で壊滅した街の復旧復興再建は、どこもかしこも前代未聞の超大土木工事の現場となったわけだから、予算も、重機も、作業員も、どれだけつぎ込んでも足りることはない。追い打ちをかけるように原発事故の収束廃炉作業も同時進行という、まさに国難に立ち向かわざるを得なかったはずだ。
しかしだ、大手メディアは諸手を揚げて東京五輪に熱を上げている。安倍晋三(首相)が国際社会にウソをついて五輪を招致したためだ。安倍自公政権に頭を垂れて忖度することに熱心な公共放送のNHKでさえも、東日本大震災から8年の被災者アンケートの結果、「復興五輪」は「誘致名目にすぎず」(約54%)、「被災地での経済効果」は期待できず(60%)、被災地の「復興を後押しする」とは思わない(約58%)との回答を公表している。アンケートの詳細は以下をご覧ください。
NHKによる東日本大震災8年、被災者アンケートの結果から、「東京オリンピック・パラリンピックで、以下の項目についてどう思いますか?」との設問に対する回答が注目に値する。被災者にとり、「復興五輪」は「誘致名目にすぎず」(約54%)、「被災地での経済効果」は期待できない(60%)、被災地の「復興を後押しする」とは思わない(約58%)と回答し、否定的回答者の51%が「復興のための工事が遅れる」とし、47%が「五輪の開催費用を被災地に使うべきだ」とまで言い切っている。
NHKの調査とはいえ、被災者の心情が色濃く反映されているではないか。大津波被災地の復興の遅れは、膨大な被災者に対する政府の犯罪に等しいとさえ言えるのではないだろうか?というのが私の個人的な見解だ。
3月17日、神奈川県茅ケ崎市「萩園いこいの里」にて講演と写真展
東北三県の被災地を取材し、信州に帰る前の締めくくりが茅ケ崎市での講演会と写真展だった。
講演タイトルは「いのちと痛みを分かつこころ~東日本大震災と原発事故から9年目に考える」とした。
福島市、二本松市などの福島県出身者も多かった。今回の全取材を通じ、私が改めて実感し、被災地を取材し続ける者として繰り返し伝えてゆかなければいけないと考えたのは、関さんの代表的な詩「なじょすべ」の結びで表現されていた。
「悩むこころに 沿うてくれ
オレたちに 欲しいのは
痛みを 分かつ こころだよ」
・蛇足として
私たちはどうしたらいいのか、何をしてはならないのか。関さんの詩を基準にすることで自然とわかるのではないだろうか。
2019年3月21日 (木)
「痛みを分かつこころ」とは。9年目の東日本大震災と原発事故(福島、宮城、岩手3県巡りからPart1)
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イチエフの排気塔やクレーンが見える浪江町請戸海岸で、深々と首を垂れる田中徳雲さん。
3月9日から17日にかけ、東日本大震災と東電福島第一原発事故から8年が経ち9年目に入る福島、宮城、岩手の被災3県を一気に取材し、神奈川県茅ケ崎市で講演と写真展をしてきました。写真は移動順です。写真40点超、動画一本をアップしてあります。動画はスウィング・マサさんの、南相馬市の大津波被災海岸での失われた命への演奏動画です。
私たち1人1人に、被災者に対する「痛みを分かつこころ」があれば、大地震、大津波、原発事故被災者の悲しみや苦悩も緩和され、生活再建が一歩前進する希望となることを改めて強く実感した取材行でした。
それは、社会に蔓延する自分さえ良ければ構わない、自分の会社さえもうかれば良い、自分の国さえ経済が好調であれば良いという現代社会を立て直す処方箋ともいえる生き方だと感じます。
「痛みを分かつこころ」とは、関さんの詩「なじょすべ」の結びの表現です。
「オレたちに欲しいのは 痛みを分かつ こころだよ」 何年経っても、2万人以上の犠牲者を生んだ東日本大震災と原発事故を忘れないことであり、教訓を必ず生かし繰り返しの愚を引き起こさないための生き方を選択する意思の現れだと言い換えることができるといえます。
「オレたちに欲しいのは 痛みを分かつ こころだよ」 何年経っても、2万人以上の犠牲者を生んだ東日本大震災と原発事故を忘れないことであり、教訓を必ず生かし繰り返しの愚を引き起こさないための生き方を選択する意思の現れだと言い換えることができるといえます。
「痛みを分かつこころ」は表現は多少の違いがありますが、私が取材し発言を書き出したみなさん(南相馬市小高区同慶寺田中徳雲住職、浪江町希望の牧場・ふくしま代表の吉沢正巳さん、飯舘村の元酪農家長谷川健一さん、岩手県大槌町吉里吉里吉祥寺高橋英悟住職)は、それぞれの表現で話していますが、つまるところは同じ意味合いのことを伝えようとしていることがわかります。
3月9日、福島県二本松市。
写真詩集「なじょすべ」が刊行されて初となる関さん主催のイベント「3・11を忘れない、いのちが大事の集い」が二本松市男女共生センターで開かれた。この建物には深い因縁がある。

関久雄さんと私の写真詩集「なじょすべ」共著者二人組。「なじょすべ」からの初めての写真を10点ほど展示。





関久雄さんを真ん中に、「3・11を忘れない、いのちが大事の集い」の参加者とスタッフのみなさん。2019年3月9日、二本松市男女共生センター。
8年前の3月16日、私は田村市の総合体育館に避難した大熊町町民の取材の過程で自衛隊からの情報を得て、フォトジャーナリストの森住卓さんとこの場所に駆け付けた。駐車場では自衛隊が除染テントを開設し、浪江町の住民がバスや車で避難移動してきた。住民は建物に入ると3列に並ばされ、完全な防護服姿の者たちにより、ガイガーカウンターで頭からつま先まで放射能検査を受けていた。あたかも放射能に汚染された迷惑物質扱いだった。中に入って撮影したいと交渉したがダメだったので、森住さんと窓越しに撮影したいろんなことを思い出す建物だった。建物の壁には「放射能ゴミ」と書かれたビニール袋があり、住民の物とも思われる衣類がパンパンに入っていた。駐車場の空間線量は9マイクロシーベルトあった。
3月10日、南相馬市小高区同慶寺から海岸沿いの防潮堤の上や下を歩き、浪江町請戸海岸までの「慰霊の行進」が実施された。
「(原発事故後はみんなの意識が変わりそうに思えたのに)なぜ私たちは変われないのか?そこで気づいたのが、便利な生活を少なくとも享受してきている私たちの世代はみなそうだと思いますが、自分自身の中に東京電力があるという心の問題です」
(南相馬市小高区同慶寺田中徳雲住職)



















イチエフの排気塔やクレーンが見える浪江町請戸海岸で、深々と首を垂れる田中徳雲さん。
スウィング・マサさんの大津波や原発事故で失われた諸霊へのオマージュ。南相馬市小高区。2019年3月10日。
3月11日、福島市。「第8回原発いらない地球のつどい」に参加し、「なじょすべ」写真展示。有志による反原発歩きデモ。県庁前で独り街宣する吉沢正巳さんに合流。氷雨降る中、吉沢さんはカウゴジラと化していた。




「200万人県民みんなで後始末の苦しみを連帯責任を負うしかありません。県知事も悪かった。県議も県選出の国会議員も悪かった。県庁も県民も原発を止めることがなかった。みんなで原発事故のこの汚染の苦しみを負っていきましょう。オリンピックはいりません。3・11は終わっていません」

「いつまでも福島差別が続くんだったら福島県民はいうべきだと思います。東京湾で火力発電や原発で東京湾で関東の電気を作るんだよと。福井県民、新潟県民のみなさん、再稼働するんだったら、死んでも町がなくなっても家に帰れなくなってもいいんだね。そういう覚悟がなければ再稼働はなりません」
(県庁前で雨の中、独りでスピーチする吉沢正巳希望の牧場・ふくしま代表)
3月12日、浪江町希望の牧場、南相馬市
「ふくしま・考える人の駅」町に帰還する住民が少なすぎるための観光客呼び込み作戦か?希望の牧場に実に怪しげな駅名看板が登場していた。意味深なセリフも書かれていた。「取り返しのつかないものだとわかった原発とサヨナラをする」 原発事故から9年目の朝。



「オレたちには力がなかった。プルサーマルを止めることができなかった。言うべきは言ったが止められなかった。実力を持たないと話しにならない。力不足だった」と、原発事故が起きる前のことを振り返る吉沢さん。

「なじょすべ」でネコ二匹が登場する南相馬市原町区の滝沢昇司さんの牛舎。北海道の畜産大学を卒業した長男・一生くんが手伝っていた。原発事故当時は中学生だった。彼は4月から四国の酪農家で一年修行してくるという。



3月13日、浪江町、南相馬市、飯舘村
「帰村した住民は1300人。100パーセント65歳以上の高齢者だ」
「生き甲斐はない。夢も希望もない。ただ生きているだけだ」
飯舘村の自宅に帰還した元酪農家の長谷川健一さん。自宅前の田畑がフレコンバッグの仮?置き場になっている。
酪農には未練はないと、牛舎跡にはそばの脱穀、製粉関連の一連の機械を補助金を活用して設置した。広大な畑地にはソバに、かつての水田は荒野にしないための除草の仕事は毎年しっかりと取り組んでいるという長谷川さんだが・・・。
長谷川さんは菅野村長のなりふり構わぬ独裁にあきれ返っているとのことだった。まだ60代半ばで、あれほどに元気だった長谷川さんの本音の背景を知ろうとすることが、「痛みを分かつこころ」ということに、遅すぎるかもしれないが私たちは気づく必要がある。
長谷川さんは菅野村長のなりふり構わぬ独裁にあきれ返っているとのことだった。まだ60代半ばで、あれほどに元気だった長谷川さんの本音の背景を知ろうとすることが、「痛みを分かつこころ」ということに、遅すぎるかもしれないが私たちは気づく必要がある。



環境「汚染」省による同様の仮設焼却炉で目につきやすく代表的なものは浪江町請戸海岸に500億円の予算で建設され稼働している仮設焼却炉がある。同様の仮設焼却炉は主に避難指示区域に建設され、28ヵ所で総額は2800億円を超すと指摘されている。富岡駅隣のものはその一例に過ぎないが、先進国といわれる日本の環境保護?の実態だとすればわかり易い。政府にも官僚にも大半の国会議員にも、被災者の痛み悲しみを思いやり、それを政治に行政に反映することができていない。ましてや、復興五輪の美名で1兆円とか2兆円をオリンピックに浪費することは、「犯罪的」と表現しても不十分だといえるのではないか。
PS:東京五輪は被災地の復興に役立つか?Part1(福島県の原発事故被災者に聞いた)2013年9月21日