2004年5月1日(土) 「反日的分子」発言、時代はすでに戦前戦中に逆戻りか(宗補雑記帳よりの復活ブログ)
「人質になった日本人は反日的分子」と言った自民党国会議員の発言(4月26日)が、「年金問題」の影でうやむやになろうとしている。時代はすでに戦前戦中と変わらぬほどファッショになっていることを象徴するような事態だ。より深刻なのは民主主義を否定するような発言を国会議員がしているのに、野党もマスメディアが本気で問題視していないことだ。
この国会議員は、「反日的分子のために数十億円もの血税を用いることに強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」。また中国人による犯罪増加を指摘して、「中国なんかはろくな裁判もないし、刑務所の中にも外にも人権なんておそらくないんでしょ」と発言したと報道された。(毎日新聞)
戦後の新憲法も民主主義をも否定するような暴言を吐いたのは、自民党の柏村武昭参議院議員。彼のホームページを見るとヒロシマに人類最初の原爆が落とされた前年に広島県内で生まれた広島市選出の元民放のキャスターという経歴の議員だ。わずか一発の核爆弾によって、太平洋戦争を指揮した軍部と天皇の責任を取らされ、殺された20万人あまりのヒロシマの被爆者とその事実を全く感じないで育った人間なのだろうか。テレビ界出身の議員でここまで右翼的発言をする人間が国会議員をやっている時代なのか。広島の有権者は、被爆者は黙っているのだろうか。
柏村議員によると「国の方針に逆らってイラクに行ったのは『反日的』」だそうだ。
「反日的分子」という言葉は、日本軍の憲兵が太平洋戦争中に日本軍の占領に対して抵抗する抗日ゲリラなどを「反日的分子」として捕まえ、拷問したうえで殺害したり、人体実験の「標本」にした歴史的事実を連想させる。以前読んだ「ある憲兵の記録」(朝日新聞山形支局、朝日文庫)には、満州に送られた山形県出身の憲兵が「反日的分子」をどう日本軍が扱ったのか、自らの体験を元に懺悔の気持ちを込めてつづられている。
柏村発言は、イラクで人質になった日本人は拷問され殺害されるのが相応しいと言っているようにとることもできる。少なくとも柏村発言の真意は、国の方針に逆らうことは全て「反日的」で国家からは許されるものではない、ということだ。民主主義を否定するファシズムそのものだ。
1万人をこえるイラクの人々が、理由もなく殺戮されている「イラク戦争」が間違っている、その戦争に直接加担する日本政府の政策が間違っていると感じる日本人の若者と、柏村議員とを比べるもの変だが、どちらが日本と言う国を本来あるべき平和国家にしようと努力しているかは明白だ。
柏村議員の発言が正しければ、国の方針に従わないテレビ局や新聞社、雑誌は存在理由がない。NHKテレビラジオ、読売新聞と産経新聞、「諸君」のようなメディアだけが報道出版を許可された社会をちょっと想像してみるといい。そのような社会は私が長年取材してきた軍事政権下のビルマ(ミャンマー)の言論も出版の自由もない軍国主義的社会を彷彿とさせる。民主化運動の不屈の闘士であるアウンサンスーチーを自宅軟禁に置き、民主化活動家を投獄し、その家族や友人を不安におののかせる秘密警察網を全国に張り巡らす封建的社会を想像させる。ビルマは、国軍と軍幹部と癒着した民間人らが幅を利かせる社会で、教育システムが破壊され、若者や子どもの将来が台無しにされている社会だ。
柏村議員の「反日的分子」発言はそうした社会を望む国会議員がいることの証明だ。
・私は国家を誇ることも愛することもできない
国が行政がいつも正しいと思う日本人がいるだろうか。なぜ裁判で国が敗訴することもあるのか。国も行政も過ちを犯すから「薬害エイズ」が起き、水俣病が起きたのではないか。ハンセン病者を隔離する政策が「らい予防法」の名のもとに数年前まで継続されていたのではないか。必要のない高速道や公共施設が建設され、膨大な赤字を生み出しているのではないか。
国家が、政府が間違ったことをやるのに黙っているのは正しい民主主義とはいえない。反対の意思表示し、変革しようとするのが民主主義体制で生きる国民の権利であり義務でもあると信じている。仮に5割を越える有権者が小泉政権、与党の政策を支持していても、反対意見を様々なかたちで行動し表現する市民は恥じることは何もない。
私は仕事柄、海外での取材がこれまでは多かった。日本独自の伝統や文化、食生活などを誇りに思うことはあっても、日本という国家とその政治を誇ることはできない。いつも恥ずかしいとさえ思ってきた。3月から4月にかけてインドで日本人僧の佐々井秀嶺師を取材してきたが、振り返ってみると、日本の今の危険度を知るうえで欠かせない人物に出会う取材だったと思う。
インド取材では「不可触民の父」として仏陀と同格に信仰されるアンベードカル博士の存在を実感した。アンベードカル博士とは、カースト・ヒンドゥー社会のインドにおいて、人間扱いされないカースト外のアンタッチャブル(不可触民)として生まれ育ち、ある藩王の支援により米英の大学で法律や経済学をマスター後、生涯を不可触民の解放と向上に賭けたインド近代史の偉人だ。博士はネール首相からの要請で独立インドの初代法務大臣に就任し、インド憲法の創設者となった人物でもある。
1931年、独立運動のリーダーとされていたマハトマ・ガンジーと初対面で対立した時のやり取りが二人の関係を物語り、二人の本質的な立場の異なりを後世に残している。アンベードカルは40歳、ガンジーは63歳だった。若輩者のアンベードカルはガンジーに言った。
「自尊心のある不可触民なら誰一人としてこの国を誇りに思うものはありません。この国が私たちに与える不正、虐待は余りに大きく、意識的、無意識的にこの国に反逆するようなことになったとしても、その罪はこの国にあるのです。裏切り者と罵られても私は構いませんその責任はこの国にあるのですから」(「不可触民の父 アンベードカルの生涯」ダナンジャイ・キール著、山際素男訳、三一書房より)
補足すると、「ガンジーが不可触民の解放に尽くした」というイメージは明らかな間違いだ。カースト・ヒンドゥーの支配者層に生まれ育ったガンジーは、不可触民を「ハリジャン(神の子)」と呼んだだけで、生涯を通じて不可触民制の廃止には消極的な態度を貫いた。
公共井戸の使用やヒンドゥー寺院に立ち入る許可を認めさせる不可触民の大衆運動に対してもガンジーは冷淡で反対さえした。ロンドンの円卓会議で、不可触民階級を代表するアンベードカル博士を無視し、ガンジーは私がインドの全ての国民各層を代表するとイギリス政府に発言し、少数派を軽視した。
アンベードカルが指導した農奴制の廃止、地主制度の廃止、小作農の地代の軽減要求などの労働運動に対してもガンジーと支配者層からなる会議派は非協力的だった。つまりガンジーのハリジャン政策は呼称のみで中身を伴っていなかったのだ。
不可触民を代表するアンベードカル博士の至った結論は、ガンジーに代表されるヒンドゥー・カースト支配者層が、不可触民の社会的平等と経済的平等を手に入れる闘いには絶望的なほど非協力で、ヒンドゥーとは訣別するしか方法が残されていないというものだった。
その結果、アンベードカル博士は30万とも50万ともされる不可触民同胞を伴い、1956年に仏教に集団改宗し、ヒンドゥーの神々に対する信仰を否定することを誓った。永く衰退していたインド仏教はこうして復活し、その後は仏教に帰依する不可触民層、貧民層が急増、今では少なくとも5000万人の仏教徒がいるといわれている。仏教徒に改宗し高等教育の機会を手に入れた人々の躍進は目覚しく、政治家、医師や弁護士、大学教授や会社社長など、幅広い分野に進出している。インドに渡って36年の佐々井秀嶺師は、アンベードカル博士の偉業を引き継いだ外国人僧侶だが、現在は市民権も取り仏教界の押しも押されぬリーダーだ。佐々井師の取材に専念したのだが、個人的には、ガンジーを手放しで偉大な指導者と思い込んでいたことを根底から見直す機会を与えられたことを感謝している。
ガンジーと激しく対立したアンベードカル博士の生き方から私が得たものは当たり前の結論だ。政権与党が間違った方向に国民を向わせている時、例え政府に逆らう行動を国民が取っても、その責任は国家にあるのだ。
日本は太平洋戦争に突入し、アメリカはベトナムに介入し、ソ連はアフガニスタンを占領した。国策に反対した人々は間違っていたと振り返る人はいない。
「反日的分子」と発言して国民を恫喝する国会議員は永田町にいる資格はない、と私は信じる。
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