2006年3月10日(宗補雑記帳から復活ブログ):東京大空襲の恐怖は井上有一の書で実感
広島、長崎の原爆投下と同様に、アメリカ政府の人種差別を感じる東京大空襲から61年。
戦後に信州で生まれた私が、この日の恐怖を身近に想像できたのは、井上有一という前衛的書家の作品展を見た時だった。井上は20年ほど前に70歳くらいで没しているが、「貧」や「花」などの一字だけをまったく型にはまらない書で現したことで知られ、書道界の枠ではおさまらない独立独歩の人だったようだ。
10年以上前に作品展を見る機会があったが、書に圧倒され、ビデオ映像に圧倒され、彼の生き方にもしびれた。
とりわけ気に入ったのは、「貧」の一字シリーズだった。いま思うと彼の書の世界には、禅の修行者がたどり着いたような無駄をまったくそぎ落とした世界が感じられた。生き方も清貧だったと想像する。
その時の展示で見たのか、別の展示で知ったのか覚えていないが、井上有一は61年前の大空襲でほとんど焼け死ぬ寸前の状況を生き延びた。本当に紙一重だったようだ。彼は下町の小学校の校長先生か何かで、学校も焼け尽くされ、壁一枚で猛火から身を守った。その時の体験も日記風に書にしていたと記憶する。彼の本が手元にないので確かめられないが、戦後の井上有一の書での表現は、東京大空襲の原体験が底流にあるのは間違いない。
私には一人の書家の体験記で、東京大空襲が身近に感じられるようになった。井上の晩年の頃の写真で記憶に強く残ったものがある。繰上和美という著名な広告写真家が撮影したモノクロ写真で、書道半紙を小脇に抱える頭を剃った井上有一の後ろ姿をとらえたものだ。ハッセルブラッドで撮影したと思われるが、存在感、気迫、強靱な意志がこれほど伝わってくる写真は他にない。見えない井上の引き締まった表情を見る者に想像させる写真にもしびれた。
フィリピンとタイで腐敗した強権体質の政権を打倒しようとする市民の動きが同時進行で続いている。同じアセアン加盟国のビルマでは、まったく起きる余地のないデモや集会が連日続き、テレビや新聞などでの自由な報道もされている。ビルマの軍政の崩壊と民主的政権の誕生を望む者からすれば、マニラもバンコクともに多少の危なっかしさはあっても、羨ましい限りだ。どちらも目を離せないほど盛り上がり、今年が政治の熱い年になることを予感させてくれる。
わが国の政治の変化を諦めているような民主主義からすれば、より健全な民主主義が機能しつつあると思えるほどで、政治家も国民も半ば命がけの本気度モードだ。(了)
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