インド「カーランジー村仏教徒一家殺害事件」について(2006年、宗補ホームページよりの復活ブログ)
今年9月末にインド中部の村で起きた仏教徒一家4人殺害事件がきっかけで、インド中の仏教徒が抗議デモを各地で展開し、それに対抗したカースト差別事件が頻発し深刻な社会問題が起きている。
この殺害事件は、たまたま私が佐々井秀嶺師を密着取材期間中に起きた。ムンバイ(ボンベイ)でカースト差別の具体例を取材中だった私は、仏教徒の人権活動家からこの殺害事件を知らされ、夜行列車でナグプールに戻り、10月中旬に事件が起きた村とただ一人の生存者である父親を取材した。明らかなカースト差別により起きた殺害事件は、インド仏教徒の聖地であるナグプールとその周辺一帯では珍しく、事態は深刻だったが抗議デモがその後にインド各地で暴動にまで発展するとは誰も想像していなかった。
私は10月12日に現地取材と生存者取材をしたが、事件のあらましは次の通りだ。
仏教徒一家4人が殺害されたのは2006年9月29日の夕方、ナグプールから車で2時間のバンダーラからさらに車で30分の田舎町、カーランジー村で起きた。一家4人が多数の村人にリンチされ殺害された。遺体は村の外にある用水路に捨てられているところを発見された。取材当日に町中でクリニックを開業する仏教徒の医師から入手した遺体の記録写真を見ると、母のスーレカ(35歳)は赤いサリーを身につけていた。娘のプリヤンカ(17歳の高校生)は全裸だった。二人の息子、21歳のスディール(身体に障害を持つ)と18歳のローシャン(大学生)は下着のみの状態だった。いづれも、激しい殴打を物語る紫色に変色した痕跡が顔だけでなく体中に見られた。
幸運にも父親のバヤ・スダム・ボッツマンゲ(41歳)だけが一人生き残った。彼はたまたま家を留守だったために、村人に捕まることなく助かったのだった。おぞましい事件は一見静かで平和に見える村の入り口にある広場で起きた。ポンプ付きの井戸、小学校の建物や村のコミュニティセンターもある広場だった。私が村を訪れた時には、村人の姿はほとんど見当たらずに静まり返り、小学生が井戸に集まって水を飲んだり水を汲んでいる状態だった。
村の中に警察がテントを張り駐留し、被害者のボッツマンゲ一家の家の前にも警察のテントが張られていた。ある種の無言の圧力がかかっているようだった。被害者の家は村の中でも明らかに粗末な作りで、入り口はカギがかけられ、誰もいなかった。生存者のバヤ・ボッツマンゲさんは、身柄の安全のため町にある政府の宿舎に保護されていた。
その宿舎で仏教徒の人権活動家と地元のメディア関係者を前に、バヤ・ボッツマンゲさんが現れた。彼は数日間一睡もできず、食事も喉をと通らずに憔悴しきっていた。家族全員を失い生きる気力はないようだった。「求めるのは正義だけだ」と、何とか証言してくれた。
バヤさんの証言によると、出先から村に戻った彼は、村で起きている事態を知ると、隣村の警察まで走って報告し助けを求めた。しかし、警察官が村に到着するまで3-4時間が経過し、村人によるリンチ殺害事件は終わっていた。状況からして、子供らを含む大勢の村人が取り囲む中で、仏教徒一家の4人は棒やチェーンや鉈などで激しく殴打されたようだ。リンチによる惨殺だ。村人は息子たちに妹をその場で犯すように命令したが、息子たちが拒否したために性器を叩きつぶしたともいう。バヤさんは、警察がすぐに村に向かってくれれば、家族4人も殺されずに済んだに違いないと嘆いた。
カーランジー村は農村地帯にある約180家族500名ほどの村で、そのうち160家族がクンディ(クンビ)・カースト(4番目のカースト階級、シュードラに属す)。つまりヒンドゥー教徒だ。仏教徒は3家族だけだった。残りは指定カーストに属する少数民族だという。事件の背景には、不可触民から改宗した仏教徒を、ヒンドゥー教徒がいまでも不可触民扱いするカースト差別感情が明白だった。事件の直接の動機は、村人が仏教徒のボッツマンゲ一家の土地の所有を妬んだことにあるようだった。土地の所有権問題で訴訟があり、別の仏教徒(シッダルダ・ガジビエ一家)の証言により村人15人が逮捕され(実際は一時的に身柄を拘束されただけのようだ)、釈放されたその日に、村人が報復した結果が一家4人殺害事件だった。当初は村人に不利な証言をしたガジビエ一家が報復対象だったらしく、たまたま留守だったのでボッツマンゲ一家が血祭りにあげられたようだ。
ボッツマンゲ家のはす向かいに住む少数民族の一家は、事件の一部始終を知っていると言ったが、恐怖心からそれ以上話すのを拒否した。殺害事件に関与した村人が自分に不利な証言をするはずもない。警察の存在は殺害を実行した村の多数派に味方しているかのような存在に思えた。実行犯が特定しにくい惨殺事件で、解決が困難に思われた。また、仏教徒に限定しなければ、下層民衆がカースト差別により殺されたり不利な立場に置かれているのは、他の州では頻繁に起きていると思われるため、この仏教徒一家殺害事件が格別に大きな社会問題になるとは想像できなかった。
しかし、カーランジー村仏教徒一家殺害事件は、アンベードカル博士による集団改宗50周年を祝うタイミングに起きたため、新聞で初めて報道されるまで10日間ほど経過していた。ナグプールやマハーラシュートラ州のメディアで詳細が報道されると、ふだんからカースト差別に耐えている仏教徒の積もり積もった怒りに火をつけた。犯人がなかなか逮捕されず、明白なカースト差別による虐殺事件に対し、共産主義を掲げる反政府武装勢力ナクサライトが関与しているなどというデマがメディアや政治家によって広まり、そうしたことが相乗効果となって各地での抗議デモが暴動に発展したようだ。加えて警察による鎮圧で死傷者が続出したりで、大きな社会問題となっている。イギリスのBBC放送も、この事件を取材し11月中旬に報道した。
佐々井師に電話すると、仏教徒に落ち着くようにメディアを通じて呼びかけているそうだ。しかし、仏教徒の抗議デモに対抗するかのようなアンベードカル像の首を切り取るような事件も起き、沈静化には時間がかかる印象を受けた。佐々井師はシン首相に面会し、殺害事件の早期解決を求めるためにデリーで待機していた。
カーランジー村仏教徒一家殺害事件は、アンベードカルによる集団改宗50周年に起きた、仏教徒に改宗してもカースト差別や下層民衆に対する人権弾圧の根が深いことを証明する、歴史的に象徴的な事件となっていることを物語っている。
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