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2018年12月 7日 (金)

2005年4月13日:親近感を感じるヨハネ・パウロ2世とネグロス島との深い繋がり(宗補雑記帳よりの復活ブログ)

 84歳で死去したヨハネ・パウロ二世には会ったことはないが、クリスチャンではない私も親近感を感じる。ローマ法王が生まれ育ったポーランドを取材し、アウシュビッツも撮影したことがあるのもひとつの理由だが、私がフォトジャーナリストの仕事を始める大きなきっかけとなったフィリピンと法王とが切り離せないからでもある。

 1981年に被爆地広島を訪問した法王は、その旅の行程で東アジアで最もカトリック教徒の多いフィリピンも訪問している。独裁者のマルコス大統領が権力を握っていた時代のことで、とりわけ注目に値するのが法王のネグロス島訪問だ。島国フィリピンで、よりによって法王は何故ネグロス島を訪問したのか。日本の広島を選んだのと同様に、そこには法王の強い意志があったのだろう。

 フィリピン中部のネグロス島は、別名「砂糖の島」といわれるほど、サトウキビ生産に依存し、少数の大地主が労働者を安い賃金で搾取するという封建主義的な経済構造が強固で、「フィリピンの縮図」ともいわれた島である。私はこの砂糖の島を85年から取材を始め、サトウキビ産業で働く労働者は農奴と感じるほどのショックを受けた。91年にようやく「ネグロス---嘆きの島(フィリピンの縮図)」(第三書館)のタイトルでルポルタージュを出版できたが、取材の中でローマ法王のネグロス島の州都バコロドでのスピーチを本で読み、感動した。会場には10万人が集まったという。その一部を以下に引用しよう。

土地はすべての者への神の賜物です。それがごく少数の利益のためにのみ使われ、残る大多数の人々が大地の生み出す豊かな富から締め出されているのはまことに許しがたいことです。限られた者が富と権力を手中にし、他方、工場やプランテーションで長時間激しい労働に従事している多くの者が家族さえ養いかねているのは、不正義が世を支配しているからです。教会は、力弱く、声をあげてもなお聞かれることのない貧しい人たちの側に立ち、慈善ではなく、正義を求めることをためらってはなりません

 拙著「ネグロス---嘆きの島」で私が引用したヨハネ・パウロ二世の、ネグロス島でのスピーチの一部だ。話し手が法王と知らなければ、搾取される側に身を置こうとする政治家のアジテーションともとれる内容だ。広大なサトウキビのプランテーション経営で富と権力を握り、マルコス政権を支えた地主勢力を鋭く批判している。ローマ法王の影響かどうかはわからないが、マルコス大統領はこの年、戒厳令を解除した。

 「これからは教会とプランター(農園主)は敵同志だ」と、法王のスピーチにネグロスの地方政治を牛耳る大地主が怒ったのも頷ける。ローマ法王に勇気づけられた労働者は、カトリック教会の神父やシスターたちの後押しも受け、労働組合の組織化が急激に進むきっかけともなったはずだ。

 4年後の85年9月、ネグロス島北部では、農園主が雇った民兵と警察らの発砲で、ゼネスト中の無防備の砂糖労働者ら20名が殺され負傷者50名をこえる虐殺事件が発生した。後に「エスカランテ虐殺事件」として知られ、マルコス政権が崩壊する端緒となった。そのニュースを聞き、マニラからネグロス島に入ったのが私にとっては初めてのネグロス取材だった。

 虐殺事件から6日後、不穏な空気が残る現場で行われた追悼ミサには、テレビ局も通信社のカメラマンもいなかった。地主勢力の脅しにも関わらず、カトリックの司教と神父合わせて74名に多数のシスターも出席し厳かに行われたが、著名なアメリカ人のフォトジャーナリストと私の他にカメラマンはいなかった。

 「解放の神学」の存在を知ったのもネグロス島での取材からだ。神父やシスターたちが民衆の側に入って活動する「解放の神学」が生まれた中南米の国々で、アメリカは共産主義に対抗する名目で専制的な政権をあからさまに支えた。フィリピンでも同様でマルコス独裁体制を支えていた。ネグロスでの法王のスピーチを読み返すと、「解放の神学」を奨励しているとしか思えない

 しかし、先日の毎日新聞の中米特派員が書いていた記事では、ヨハネ・パウロ二世は「解放の神学」を否定したため、中南米では80年代末までに解放の神学は影響力を失ったとあった。法王のスピーチと矛盾しているように思えてならないのだが、他紙にはない視点からの記事だったので印象深い。

 ローマ法王の死亡関連記事と写真はどの新聞でも似たり寄ったりで物足りなかったが、東京新聞に掲載された一枚の写真が記憶に残った。横たわる法王に向かって跪くアメリカ政府を代表する面々を撮ったニュース写真だ。左からブッシュ大統領と夫人、パパブッシュ、クリントン前大統領、ライス国務長官の5人が法王の遺体を見つめている。相反する価値観を実践してきた両者が居並ぶ写真だ

 武力を信奉し、イラク攻撃したブッシュ親子とライス国務長官、セックススキャンダルにまみれたクリントン。一方のヨハネ・パウロ二世は、ナチスドイツとソ連によって母国が分割統治され、肥沃な国土が蹂躙されたポーランドの歴史的な悲哀を体現した人だ。戦争や武力を否定し、社会的な不正義に敏感だったのは宗教者となる以前からのポーランドの歴史を背負っているからだと思う

 死に際まで命の尊厳を、自分自身の逝き方で最期まで見せつけた。植物人間を政府が関与してまで延命させようとしたブッシュ大統領とは対極にある。撮影した通信社のカメラマンがどんな思いを込めて撮ったのかはわからない。だが、皮肉が満載したこの写真を選んで掲載した東京新聞の意志に私は深く共感した
 
{注:ヨハネ・パウロ二世のネグロス島でのスピーチの原本は、三好亜矢子著の名著「フィリピン・レポート」(女子パウロ会)からの抜粋です。全文を読むには古本で探すしかないでしょう}

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