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2018年12月 4日 (火)

2004年9月2日(木) 浅間山が噴火、大地のエネルギーは人間の予知能力をこえる(宗補雑記帳よりの復活ブログ)

 故郷の浅間山が噴火した。活火山だから当たり前だ。ただ、約21年振りくらいの噴火の規模のようで、しばらくぶりの印象は我が地元の御代田(みよた)町でも強いようだ。浅間山の南麓に広がる御代田町では火山灰は少し降ったという他に被害は報告されていない。

 このホームページのタイトルに「標高888㍍からの浅間山ろく通信」とあるように、私は浅間山麓の御代田町で生まれ育ち、浅間山を誇りに思っている。暗室小屋から外の畑に一歩出れば、浅間山の雄志が目の前に広がり、海外取材中も浅間山のライブ映像をインターネット上で時折チェックする。

 浅間山の噴火で今も忘れない光景は、40年以上も前の夜の噴火だった。すでに寝静まった頃、ドーンという大きな音で目を覚まし外に出て見ると、浅間山が噴火していた。それは壮大な花火を見ているような光景だった。季節がいつなのかも忘れたが、空気が澄み渡っていたのだろう。真っ赤な噴石が次々と空に吹き飛ばされ、花火のように火口周辺の山麓に落下してゆく映像は、いくつになっても私の脳裏から消えることはない。火山灰などによる農作物などへの被害はかなりなものだったと思うが、小さい頃の記憶は、全てをプラスのイメージとしてとらえている。

 不思議な話だが、実は8月21日に「浅間山との共生」をテーマにしたシンポジウムが御代田町の浅間縄文ミュージアムであり、私はパネラーの一人として出席したばかりだ。他のパネラーは荒牧重雄氏(火山学者、東大名誉教授)、関俊明氏(考古学、群馬県埋蔵文化調査事業部)、大浦瑞代氏(歴史地理学、お茶の水女子大大学院)の3名。この組み合わせでは私だけが場違いだが、地元出身ということと、フィリピンのピナトゥボ火山の大噴火とその被害を取材した経験を買われての起用だった。

 シンポジウムの中では、大きな噴火が起きる予想はなかった。昨日の噴火で予知が外れたとも思わない。というのも、浅間山を長年研究しその性格を知る火山学者は、昨日の噴火は規模の大きなものではないと認識していると思うからだ。個人的にも、都会人のように騒ぎ立てるほど驚きはしない。つまり、毎日噴煙を上げる浅間山を見慣れ、噴火を体験してきた地元住民としては、小規模の噴火をときおりやってくれた方が、爆発エネルギーが蓄積されずにすむと素人的にも考えるからだ。日本有数の活火山の麓で生活する以上、火山灰による被害は避けられない。被害が最小限に食い止められることにこしたことはないが、自然の恩恵を受けつつ火山と共生するためには覚悟を決めて生きる必要がある。

  ピナトゥボ火山の噴火を取材し、火山の深呼吸という地球の営みが、人間の想像力を寄せつけないことを体感した者として改めて思う

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