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2018年12月 4日 (火)

2004年7月1日 一匹の蛍を見た(宗補雑記帳よりの復活ブログ)

 一匹の蛍が飛んでいた。6月半ば、年老いたオフクロが、急に入院したため、田舎に帰った日だった。暗室小屋と畑の間を一匹の蛍が舞っていた。驚いた。心がなごむ驚きだった。田舎で蛍を目にした記憶が最近はなかったからだ。川がきれいになってきたのだろうか。

 浅間山の中腹あたりを水源とする小川が、畑の間の幅50センチほどの用水路を流れている。水量は昔から変わらない。小さい頃は赤カエルを食用に捕まえたものだが、最近は生活用水なども流されているのでカエルさえも見かけない。裏山の水田がある谷間を流れる川とその周辺が少しは浄化されてきたのかもしれない。

 蛍といえば、ビルマ山中のカレン民族の生活圏や、フィリピン先住民のピナトゥボ・アエタの住む山中ではたくさんお目にかかった。インドネシアのジャワ島東端の粗放エビの養殖場が集中する河川では、ものすごい数の蛍が川岸の木々に止まっている光景も忘れがたい。

 そんな光景を思い出していた矢先、数日前の朝日新聞に、ニューギニアの蛍の集まる木が忘れられないとの読者投稿があった。福岡に住む80歳をすぎた元日本兵の方だった。太平洋戦争中のニューギニア戦線では、10数万人の日本兵が玉砕し、その多くは餓死や病死だったといわれ、奇跡的に生き残った日本兵は1割に満たないようだ

 福岡の方は、敗戦後にニューギニアから復員する際に、おびただしい数の蛍が一本の木に集まる光景が忘れられず、二度と帰国できなくなった日本兵が集まってきているようだったと書いていた。この投稿を読んで数年前に見たテレビのドキュメンタリー番組を即座に思い出した。奇跡的に生還した元日本兵たちの忘れられない光景を、地方局が映像化した番組で、ギャラクシー賞受賞作だったと思う。

 ニューギニアのジャングルにある一本の背の高い木に、ランプを灯したようにおびただしい数の蛍が止まるシーンをブラウン管の向こうに見た時に、涙が溢れて止まらなかったことをよく覚えている。無念の死を遂げたおびただしい数の日本兵の魂が、蛍となって点滅していると思えて仕方がないからだ。戦争が作り出す言葉では言い尽くせない悲しみを映像化した、素晴らしいドキュメンタリー番組だった。

 中東世界のイスラーム教徒は、死後、魂が地上を彷徨うことがあるのかどうかは知らない。もし仮に、蛍が生息する環境があるとすれば、イラク戦争で不条理にも命を奪われた人々は、万をこえる蛍に姿を変え、チグリス・ユーフラテス河流域の木々の集まり、光を放ち、蛍の数は増える一方だと我々に警告しているのではないだろうか。 

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