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2018年12月11日 (火)

2001年11月:内なる凶暴な遺伝子~宮内勝典海亀通信掲示板書き込み(宗補雑記帳よりの復活ブログ)

(注:この文章は尊敬しその作品が好きな作家宮内勝典さんのホームページ掲示板に2001年に書き込んだものです)

 10月下旬の宮内さんの海亀日記、「内なる凶暴な(もしくは利己的な)遺伝子」、という表現へのこだわりが気になっていました。

 同時テロのように一気に多数の犠牲者が出る事件や戦争が続くと、死者の数を数字で表すことが空虚になり、実感が希薄になってきていることがかえって心配です。それは犠牲者一人一人の存在感がゼロのごとく扱われているためかもしれない。国政、県政レベルの議員連中も、多くの日本人も同じように現実感に乏しい世界に閉じこもっている。アメリカの同時テロの犠牲者6000人。6年前の阪神淡路大震災の犠牲者約6000人。日本に住んでいる者さえ、あの未曾有の大地震による無数の悲しみと都市の破壊を自分のこととできなかったのではとさえ思ったりもする

 私自身は想像力が鈍い。それゆえ、仕事に選んだ写真を撮る行為で、現場を踏むことで実態を伴わない数字が初めて現実味を帯びてくる。アフリカ内陸部の小国、ルワンダには4年前に取材に行ったことがある。国連の推計では少なくとも80万人が虐殺された。多数派のフツ族が少数派のツチ族隣人を襲い、わずか3ヶ月ほどの間のジェノサイドの結果だった。7年前の出来事である。政権を握るフツ族に影響力のあったフランス軍も、国連も虐殺のエスカレートを止めることのできた立場にあったはずだ。だが・・・・。

 聖域だった教会や、各地の学校に集められたり逃げ込んだツチ族やフツ族穏健派がフツ族政権の操る民兵らにより、銃殺されたり撲殺され、大量殺戮の場と化した。中部の技術学校の立ち並ぶ教室には、掘り出された白骨化したりミイラ化したおびただしい数の遺体が並べられていた。頭髪や衣服が部分的に残っている女性の遺体ものもあった。兄弟とさえ思える子どもの白骨もいくつも置かれていた。おぞましい光景以外の何者でもない。80万人の死者とはそうした遺体が80人分並び、生存者が80万人分の遺骨を処理しなければならないのだということを想像してほしい

 しかし、ルワンダはそんなジェノサイドが似合うような殺伐とした環境の大地では決してない。ルワンダとは「千の丘の国」を意味する国名で、亜熱帯の見渡す限りの斜面が耕された農業国だった。乾燥した砂漠、飢餓の蔓延する飢えたアフリカのイメージとはほど遠い。国名のごとくどこか中国雲南省からビルマのシャン高原に連なる丘陵地帯が続く東南アジア的世界を彷彿とさせる国。南東部は茶のプランテーション地域で、隣国ザイール(現コンゴ共和国)との国境となる湖は、スイスのレマン湖を思わせる自然の美しい一帯、さらに北西部にはマウンテンゴリラの生息するジャングルもある。そうした自然を思い浮かべれば、少しはルワンダに暮らす人々の生活を想像できると思うが。

 中部の町にある民俗博物館には様々な形のスキやクワ、ナタなどの農耕具類が数多く展示されていたのには驚いた。歴史のある農耕文化が存在していたことを証明していたからだ。想像するに、現代的改良を加えられた亜熱帯農業による食糧増産が、狭い国ルワンダの人口増加につながり、返って耕作面積の減少、貧富の格差拡大、土地なし、職なし、教育なしの若者を増産。多数派のフツ族の若者の不満のはけ口が、権力者たちにより操られ、政敵ツチ族にし向けられてきた。

 ただ、その不満の根源は持たざる者が多少は羽振りの良い隣人を羨むという、極めて人間的なねたみの感情が源泉となっているものと思えるのです。経済的な格差の歴然とした国の持たざる者の感情は、日本人には想像できにくいほど根が深く、経済的にしか解消できないものかもしれません。「内なる凶暴な遺伝子」がなせる殺戮とは、どこか違うような気がするのです。もっともっと、指導者層、権力を行使する立場にあるリーダーたちの資質が問われるべきだとも感じているからです。

 ルワンダで歴史的なジェノサイドが起きたとはいっても、アフリカ大陸にヨーロッパ列強が押し掛け、分断し植民地化する以前の部族社会の共同体は、フツ族とツチ族でもおそらく何らかの共存と、ブレーキが働いていたはず。ルワンダの場合は西隣のザイール(現在のコンゴ共和国)ともどもベルギーに統治され、ベルギーは少数派のツチ族を重用し、フツ族をコントロールした。しかも、富の象徴だった牛の所有数でツチ族とフツ族のIDの基準としたという。ある研究者は、ベルギー時代に、牛10頭以上持つ者をツチ族とみなしたという破廉恥な統治政策があったと指摘している。遺伝子とは異なる、ある人為的なすり込みが、世代を経て暴発する引き金となったという側面を見逃してはならないと思います。もっとリーダーの資質、責任を糾す見方もできるのではないでしょうか。

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