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2018年12月11日 (火)

2000年10月:20歳の頃の体験談~宮内勝典海亀通信掲示板書き込み(宗補雑記帳よりの復活ブログ)

(注:この文章は尊敬しその作品が好きな作家宮内勝典さんのホームページ掲示板に2000年に書き込んだものです)

 衆議院選挙の結果に対する海亀の宮内さんの怒り(日記)に全く同感です。
20歳以上の有権者の約38パーセントの大人が、投票しなかったという事実が
日本人とは全体的にはどんな国民かを反映している点が残念です

国政がとんでもない政治家たちによって、うさんくさい方向へ突き進んでいる時に、
投票しなければどのような選挙結果になっても、国民はそれを受け入れざるをえない
わけですから。

 選挙結果はいつもそうですが、我々が無責任であり、また国会議事堂で眠りこけるために
選ばれた国会議員の顔の総体が、かなり平均的日本人の体質やメンタリティーをかなり
正確に反映していることを認めざるをえないもので、いつもやりきれません。

 大人社会がいかにいい加減にできているのか、大人が無責任な連中だと見限ったのは
私の場合は高校生の頃だったと思います。もう30年も前のことです。多感な年頃の
中高校生は昔も今も、大人社会のうさんくささやいい加減さを早くから見通したような
気になるものです。くだらない大人にはなりたくないと、大人になるのを拒否
したかったものです。

 たくさんの若者が、悩み、心の苦しみなどをストレートに書き込んでいますが、
生きる限りそれも当たり前のこと。すれてしまった昔は若者の大人も、人生に
悩みながら、怒りながら生活しているし、若者はそれ相応の人生の悩みを抱えて
生きている。つまり、生きている限り悩み、迷いはつきもの。不安を抱えていて
当たり前だといいたい。

 20歳前後の自分自身を振り返ってみても、とりたてて何になりたい、こうしたい
という夢も希望も、目的もないまま生きていました。将来を考えるとそれはそれは
不安でした。考えれば考えるほど自己嫌悪に陥るわけです。さりとて勉強が嫌い。
田舎の3流高校を出て、受験勉強という言葉さえ身近ではなかったため、昼間の
大学など合格できるはずもなく、運良く3流大学の夜間学部にひっかかったのです。

 しかし、元来勉強に身が入らないために大学は半年も持たずに、止めました。
その後の精神状態は不安定で、私がしたことは自殺しようと言う決断。遺書を
書いて田舎の自宅を抜け出し、まず考えたのは貨物船に乗り込み、海に身を投げ
る方法。横浜港に行き、貨物船を探したもの実行できず、捨てられているコンテナに
入り込み、寒い夜を何とも心細く過ごしたことを覚えています。貨物船の汽笛が
不安をかき立てるのにうってつけでした。

 その後は上野駅に向かい、九州にするか北海道にするかを切符を買い求めるとき、
ほんの一瞬だけ迷ったような気がします。しかし、自殺をするのだから暖かな南ではなく
北を選ぶべきと思い直し、北海道にむかいました
。途中、仙台で降りて、薬局を2-3件
回り、睡眠薬をくださいといったものの、どの店でも断られました。

 北海道に入ると、時期は11月末だったのですでに、雪がちらつきはじめ、結局は日本の
最北端の稚内までたどりつき、そこから島へフェリーで渡ったのです。
余りの寒さとそびえる雪山の吹雪いている山頂を眺め、結局怖じ気づいてしまって
自殺を実行することはしませんでした。それだけの強い意志が無かったからでしょう。
泊まった民宿で飲んだ冷たい水のうまさが、民宿のおばさんたちの心優しさと
ともに今でも忘れられません。

 ただ、その後の数年間は心の中には常にいつかきっと自殺することでこの世と
おさらばしたいと思い続けていたのは確かです。いつから自殺という言葉が意識の
片隅から消えていったのかは、今となっては覚えていませんが
、それで良かったの
でしょう。私も大人として一人前にすれていったということもあるでしょう。
私が家出をしてから両親に連絡をしたのは約1年後でした。父親はあきらめかけて
いたようでしたが、母親は必ず生きていると信じていました。

 息子が家出をして1年間、両親の悲しみや気苦労、嘆きなどを私が理解するのには
随分と長い年月がかかったように思います。今思えば、自殺を実行できるほどの強い
意志が無かったことに感謝しています。仮に、自ら産んで大きく育てた我が子が自殺
したとしたら、母親の嘆きは尋常ではすまないでしょう。自分自身の責任ととらえ、
拷問を受けるような悲しみを引きずることになったかもしれません。我が子がどれほど
できが悪くてもです。

 いつの間にか、50歳が間近に迫るこの年齢になって、私もようやく親心のようなものを
理解できるようになったようです

 若者が生きる目的や夢が見つけられない、生きている価値がないなどと深刻に
悩み、心の苦しみに時には押しつぶされそうになっているのは、極めて自然であり、
私からすれば健全とさえ思える。

 今回もだいぶ長くなってしまいましたね。ただ、30年ほど前に似たような心の
迷いをやりすごした者の体験談として読んでもらえれば結構です。
フィリピンの先住民取材での赤ちゃん誕生撮影に関する話を書くつもりでいた
のですが、この次にしますよ。

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