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2016年11月の投稿

2016年11月20日 (日)

「日韓『合意』は解決ではない!~アジアの被害者たちは訴える~」

(写真はクリックすると拡大します)

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 11月5日に開催された、「日韓『合意』は解決ではない!~アジアの被害者たちは訴える~」について、重要なメモとして報告し、シェアしておきたい。

 2日の大阪での集会に引き続いての集会で、250席ほどのホールは、立ち見のスペースがないほどに参加者が多かった。

主催者を代表して開会あいさつした坪川宏子さんによる集会趣旨説明
 「日韓合意は解決ではない」ことが集会趣旨。「合意」は被害者が25年求めてきた要求に応答する解決ではなく、日米韓の軍事的政治的な戦略のためになされたものだと断言。 

 加えて、「政府はこの合意で全ての慰安婦問題に終止符を打とうとしている。日韓合意後、台湾の要求を一蹴し、アジア女性基金対象外の中国、東ティモールの元「慰安婦」に対して補償を考える意思はないと政府は国際的に公言した

 戦時中の重大な人権侵害の被害者に対する補償に国籍や地域別の差別があってはならない。今回はそのことを被害者とともに外務省に訴えることになっている」と説明した。


そもそも「日韓合意」とは
 日韓合意とは何だったのか、合意後の経過をおさらいしておこう。
昨年12月28日、日韓両政府は、旧日本軍「慰安婦」問題で「最終的かつ不可逆的」と喧伝する「合意」が成立したと発表した。岸田外相は声明でこう述べている。

「安倍内閣総理大臣は日本の内閣総理大臣として、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒やし難い傷を負われた全ての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちをお伝えします」。「韓国政府が元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、これを日本政府の予算で一括で供出し、日韓政府が協力し、全ての元慰安婦の方の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行うこととします」

 直接の当事者にも歓迎できる内容に思えるが、しかし、「財団は日韓が協力して行う事業だが、賠償ではありません」と岸田外相は記者会見で断言した。ということは、支給される現金は政府からの公式賠償金ではないことを意味する

 肝心なのは当事者の元「慰安婦」の女性たちが当初から相談されて同意した「日韓合意」だったのかどうかという点だ。
この点、元慰安婦支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」や、元慰安婦が共同生活する「ナヌムの家」関係者は、「被害者不在」の日韓合意の受け入れを拒否
した。

 さらに、10月3日の衆議院予算委員会で、元「慰安婦」被害者への「おわびの手紙」を出すかを問われた安倍首相は、「毛頭考えていない」と答弁した。日韓合意の声明内容はウソだったのかと思わせるほどのお詫びの意思のなさを内外に発信する内容だ

 今回の集会開催の背景として、「日韓合意」とは当事者の元慰安婦にとっては何かを理解しておく必要がある。

インドネシアの元兵補・慰安婦中央協議会のムハマド・ダルマウィ・ラジャマさん
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 インドネシア元兵補・慰安婦中央協議会代表、南スラウェシ元従軍慰安婦協会代表。
ダルマウィさんの父親は元兵補だった。兵補とは旧日本軍の軍政時代に兵力不足を補うためにリクルートされた現地兵のことで、連合軍と戦うために武器を使った訓練を受けた。3万~4万人の若者が兵補となったという
 1995年にインドネシアの元慰安婦の実態調査をし、2万人の名簿がリストアップされたという。ダルマウィさんは元兵補の未払い給与の支払いを求める運動をしながら、2001年からは元慰安婦に対する支援や補償を求める運動も開始。元兵補のネットワークを通じて、元慰安婦の探し出しや聞き取り、リストアップ作業がはかどったと、インドネシア語の通訳を務めた鈴木武史さん(桃山学院大兼任講師)が紹介した。

 鈴木さんは、5年前から南スラウェシを中心に元慰安婦の調査聞き取りを始めたが、鈴木さんの調査では、39人の被害者が判明し、うち8人が亡くなったという。チンダさんは鈴木さんの調査で見つかった被害者の一人。名乗りを挙げた人だけでも259人存在するとした
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 チンダさんが勇気を持って発言したことで名乗り出てきた人がたくさんいるとのこと。
「いまやらないと生きた人たちがいなくなってしまう。遅きに失するということではない」と鈴木さんは話す。


インドネシアのチンダ・レンゲさんの証言
_yyy4090jpgsumijpgwebチンダさんは85歳。

 「日本軍による被害者の一人です。真実を求めるためにやってきました。日本政府は私たちに注目しきっちりと賠償してほしいです。すでに年老いています。仕事のために動くこtができなくなりました。たった一人で他人の家に間借りして生きてきました。お菓子を売りながら一人で暮らして来ました。家族もいません。夫もいません。父母は亡くなっています。
 日本軍に強姦された女と結婚したいという男はいませんでした。「お前は日本軍の残りかす」と周囲の人に言われました。

 12歳の時に強制的に仕事をさせられました。綿から糸をつむぐ作業です。給料を約束された糸をつむぐ仕事でした。1年働いていました。日本兵がやってきてオケダの前に連れ出されました。14歳の時にオケダという将校に強姦されました。給料を渡すといわれたら強姦された。別の兵隊の前に連れ出されました

 以下は配布資料からの引用。
オケダは彼女に服を脱ぐように命じ、それに従った。初潮もまだだった。拒否すると軍刀をちらつかせて首を落とすぞと脅した。毎日のように敷地内の建物にあった部屋で何人もの日本兵に強姦され続けた。生理のときも日本兵はやってきて彼女を犯した。性器は破れ、今でもそのままだという。医者はいなかったために兵補が持ってきてくれた薬草などで治療した」という。


 「政府に求めます。年を取り働けません。正式な謝罪と真実の究明を求めます。何ももっていない私にこれ以上どうしろというのですか。働くこともできません。私は賠償を求めたいと思っています


東ティモールのイネス・マガリャンイス・ゴンサルベスさんの証言
 東ティモールは2002年にインドネシアの占領下から独立。イネスさんの証言の前に、東ティモール人権協会(HAK)のマリアさんが全体状況について説明。日本軍占領中に多くいの人が処刑されたり病死し、強制労働があり、女性は慰安婦とにさせられ、日本軍兵士の性奴隷とさせられたと解説。
 2005年から日本のグループと東ティモールで元慰安婦の調査開始。各地に元慰安婦が生存することを確認。20人の被害者を特定し、現在10人が存命と話す。インドネシアが受け入れたアジア女性基金については、東ティモールの場合は対象とされなかった。

「たった10人に対する支援がどうしてできないのか。これは正義を求める闘い。個人として若い世代の一人の人間として、正義と真実を勝ち取るために闘ってゆく」と誓った。

_yyy4209jpgsumijpgwebイネスさんは80代後半。

はるばる日本に来たのは、飛行機に乗りたいためでもなく、見物したいためでもなく、一人の被害者として来ました。日本軍占領時代はいろいろとひどいことをさせられました。牛や馬やブタなどを飼う家畜の小屋の脇に住まわせられました。昼間は労働させられ、夜は家に閉じ込められ、一晩に4人5人の相手をさせられ暴行されました。逃げたら殺されると脅されていました

 私の住むアッツアベではもう一人の被害者が存命です。私たち以外にたくさんの被害者がいると思いますが、ほとんとの人が亡くなってしまいました。犠牲者は二人だけでなく他の場所でも同胞が被害にあっています。私は妊娠し、女の子の赤ちゃんを産み、カイブティと名付けました。この赤ちゃんは家に帰る途中で日本軍に取り上げられてしまいました」

 当時私は慰安所で死んでしまってもおかしくなかったのですが何とか逃げ出しました。いま80歳をこえています。私の話をこうして聞いていただきたいと思って来ました。日本政府には正式に誤ってもらいたい補償してほしい。真実を正義を求めるために来たのです」

以下は、配布資料から要約し転載。
私は慰安所に約6ヶ月いました。妊娠し、慰安所で子どもを出産しました。女の子で「カイブティ」と名付けました。その子が生後3ヶ月になったころ、その子を連れて家に帰ろうとしたが、途中で日本軍に抱いていた子を取り上げられました。その後にその子がどうなったのかわかりません。
 兵士たちは傍若無人に私たちに乗り降りし、ひどく野蛮で、動物でさえ私たちよりましな扱いを受けていたと思います。私の経験を知るのは両親だけで、亡くなった夫にも話せませんでした


フィリピンのエステリータ・ディさんの証言
_yyy4283jpgsumijpgwebエステリータさんは86歳。
 
エステリータさんは、私が30年前に取材に通い始めたネグロス島の出身だ。日本軍に占領される前は、砂糖農園の労働者だったようだ。

_8ds7836jpgsumijpgweb2013年に来日して証言した時の写真。比べると、この3年で「老い」が一気に進行している印象を受ける。

「1943年~44年、山中で疎開生活していた頃、飛行場の整備工事についた。バコロド近くのバゴに日本軍は飛行場を整備していた。川の石を拾って運び上げる力仕事でした。男たちが穴だらけの飛行場を石で埋めていました。この作業に対し、日本軍はお金の代わりに500グラムほどの米をくれました。44年のある日、上空の飛行機から紙がまかれ、飛行場で働いてはいけない、何kがが起きるという警告でした。手伝うのは危ないと疎開先に帰り、米や作物を畑で作る生活に戻った。父親の判断でやめました。

 11月になって 家で作った野菜や卵を市場に売りにいくようになり、ある日、突然に日本軍のトラックがフィリピン人男性らを載せて市場に来ました。広場で男たちを井戸の近くに並ば、日本軍は一人一人首を斬った。ゲリラ容疑で男性たちが一人一人殺されていくところを柱の陰で観ていました。私に気づいた日本兵が私に近づいてきたので逃げたが転んでしまい、日本兵は私の髪の毛をつかんで引っ張りあげ、トラックに載せられ日本軍駐屯地に連れていかれました。
 駐屯地内にある建物の部屋に連れていかれ、部屋に入ってきた日本兵はいきなり抱きつきキスをしてきた。嫌がってもレイプされ、その後には別の日本兵がやってきてレイプされ、また別の日本兵がやってきたので抵抗したら、私の両耳を手でつかみ頭をテーブルに打ち付けられ、私は気を失いました
私は駐屯地で毎日、日本兵によりレイプされつづけ、3週間ほど続きました

「米軍が近づいているということで日本軍は狂暴になっていました。ゲリラにより日本兵が襲撃だれ殺される事件も起きていたので。日本兵は物を運び出し山へ逃げ出しました」

「戦後、小学校6年の教育を受け終わると、日本兵により私の身に起きたことが忘れられず、故郷に残っていることが辛くなりマニラに出稼ぎに出ることにしました」。

「私は日本政府に伝えたい。最近、韓国政府と合意したといいますが私たちは認められません。きちんと戦争犯罪の責任を取るべきです。被害国は11か国に及んでいます。全ての被害者に対して日韓合意は破棄してほしいと思っています。

 被害者が日本政府に求めているのは、正式な国会による謝罪。手紙によるおわびの文章では十分ではありまえん。二つ目は歴史教科書にきちんと慰安婦問題を載せること。三つ目はきちんと補償を支払うべきです」

韓国の李容洙(イ・ヨンス)さんの証言
_yyy4365jpgsumijpgwebイ・ヨンスさんは87歳。

(何度も来日して証言してきたイ・ヨンスさんの略歴は2008年の集会資料から:
1928年12月生まれ。1944年秋に日本軍人に連行されて汽車に乗せられテグから慶州、慶州から平城・安州へ、安州から大連へ。大連からは日本軍がたくさん乗船した船で台湾へ。船上で日本兵に強姦された。台湾の慰安所に入れられた。45年春、16歳の時、慰安所が爆撃に遭い、建物の下敷きに。二人の姉さんが死亡。8月の敗戦で解放され、収容所へ。46年春に帰還船で故郷に帰国。92年に被害者を名乗り出た。95年、国民基金は拒否した。2007年、米下院会議公聴会で証言

 イ・ヨンスさんは、2008年に今回と同ホールで開催された、「第9回 日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議~世界と連帯し、日本政府に即時解決を要求する!~」集会でも証言。翌日、国会議員会館前で実施されたスタンディング・デモにも、もう一人のハルモニの吉元玉(キル・ウオノク)さん、それに中国人元慰安婦の郭喜翠さんと共に参加した。8年前ともなるとずっと若く感じる。
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このスタンディング・デモの最中、100名以上が抗議活動をするすぐ隣で、在特会の桜井誠が、日本軍の性奴隷とさせられた元「慰安婦」3名が聞こえるほどの拡声器の大音量で、元「慰安婦」を売春婦呼ばわりするヘイトスピーチをまき散らしていたことを私は録音している。その一部は以下の通りだ。

「慰安婦稼業を強姦だ、強制連行だと言ってますが、完全に商売です。従軍慰安婦はただの売春婦です」

 桜井誠とは、都知事選の候補者として立候補したあの桜井誠のことだ。新大久保界隈を、「朝鮮人は出ていけ」「朝鮮人は殺せ」と人種差別そのもののヘイトスピーチをした当人だ。立候補者としての資格が都の選管から与えられること自体が過ちだ

 元「慰安婦」の女性たちが、拡声器での桜井誠のヘイトスピーチをその場で聞き取ることになったら、腸が煮えくりかえるだけでなく、正気を保てないほどの口惜しさだったと思う。2008年の国会前で平然と「売春婦」呼ばわりする桜井誠が、今年7月の都知事選の候補者として街宣したことは、日本社会そのものが安倍自公政権下で、坂道を転げ落ちるように右傾化している象徴のようなものだ。


歴史の生き証人・イヨンスです。25年間、日本大使館の前でハルモニが求めてきたものがあります。日本は公式に謝罪し法的に賠償しなさいと言い続けてきました。この要求は千年万年変わることはありません。みなさん聞いてください。悔しくてやりきれなくて辛い話です。合意は仮ににするならば本人としなければなりません。しかし本人の私は知らされていませんでした合意はしたことも判を押したことも聞いたことありませんでした

 「私たちはひたすら公式謝罪と法的賠償を求めていただけです。10億円は汚らしいと思います。7月28日に和解癒し財団を作ったそうです。ここに来る前に議員とともにナヌムの家で記者会見をしました。10億円は日本に帰し、財団は中断しろとはっきりいいました」

 「被害者が初めて申告したときはまだ60代でした。日本に謝罪と賠償を求めることを明確にしました。私は日韓の取り決め「合意」は無視します

「歴史の生き証人のイ・ヨンスは平和を願う女性人権活動家として世界中を飛び回っています。必ず日本から謝罪と賠償を勝ち取って見せます。私に力をください。いま89歳です。この年は活動するのに運動するのにピッタリの年です

WAM(女たちの戦争と平和資料館」館長池田さんから脅迫状が届いた報告
 集会の終わりに、WAM館長の池田さんから、先月に届いた脅迫状についての報告があった。

10月5日、爆破予告の脅迫状が届きました。「爆破する、戦争展示を撤去せよ。朝日赤報隊」と書いてありました。WAMがオープンする前後からいやがらせとか、脅迫めいたメールとか、右翼団体が来たことかありましたが、このような爆破予告の脅迫状は初めてだったので緊張しました。警察に被害届を出したのですが、はがきの指紋鑑定もしたがまだ犯人は誰なのかわかっていません

 今年6月に、日本含め8ヵ国でリストを作ってユネスコの世界記憶遺産に被害者の声を登録申請し、その後に事務局的役割もしているWAMに対する攻撃が、事務局長を名指しで攻撃してくるとか目につくようになったという。
元議員の杉田水脈(みお。日本維新の会から次世代の党に党名変更)が変装して偵察に来たり、桜井よしこ氏がWAMを中傷する記事を産経新聞や正論に度々書いてきたことも指摘。

 「いまの安倍政権のように慰安婦問題をなきものにしようとしている政治の元で、メディアが率先してある種の攻撃目標を特定のところに書くということは、集中的な攻撃対象になりやすい。身の安全を守るために最大限警戒しながら仕事を続けていきたい。今日の被害者声を聞いても、このような声や資料をさらにもっと集めて保存公開していくことは日本人の責務だと改めて感じた。決してひるむことはない。励ましの声が届いたことはありがたい

梁澄子(全国行動共同代表ヤンチンジャ)さんの閉会あいさつと外務省への要請行動について
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 「サバイバー、家族、支援のみなさん全員そろって外務省に行くことになっていました。が、外務省が10人にしろと昨日言ってきたのです。日韓合意前は、私たちが要請書をもっていくとどうぞどうぞ、何人でも記者でも何時間でもどうぞと手厚い対応でした。これが本当に外務省かと驚いていたのですが、日韓合意後、被害者と家族が行くことに対し、10人にしろと手の平を返した態度です。サバイバーと通訳がいくとそれだけで10人です。間をとっていくれている議員さんが何を言ってもだめなんですね。受け入れる気がないことを示しています」

 「日韓合意の中では「責任を痛感しお詫びと反省を申し上げる」と言っているのですが、韓国国籍を持ち、「和解・癒やし財団」のお金、日韓合意を受け入れる被害者の人にだけ責任を感じてお詫びを申し上げ反省をするということでしょうか。

 子どもが考えても、誰が考えてもおかしい。常識ですよねということを去年12月いらいからずっと言ってきた。日本国内には、子どもが考えても非常識なことを受け入れ、何とかこれで政治的に外交的にこの問題を終わらせたい、二度と聞きたくないという人が意外に多い。メディアがまずそうでしょう

「日本のメディアが政府に対する批判精神を失っています。官僚が記事書いているように思えます。彼らからは私たちはいなくなってほしい存在なんでしょう。しかし、みなさんは被害者の声を聞きました。真実の究明と正義の回復を求める。公式謝罪と法的賠償を求める。歴史教科書に記述される記録されることを求めるとエステリータさんは言いました。
 日本政府がするべきことは、責任を負うべき対象に対し、何らの差別なくすべての被害者が受け入れられる案を提示すること。事実をありのままに認め、被害者が許すまで何度でも謝罪し、再発防止のための取り組みを続けていくことが日本政府に求められています
」。

市民がこの立場に立ち返らないといけません。市民が官僚でもないのに国と一緒になって被害者に対し政府との間で決着つけたんだから黙れよなどという情けない姿をさらさないように、隣の人に語りかけていくことが必要です。また一から始めましょう。それが日本の市民の使命だと改めて思いました。全国行動は今後も取り組みを続けていきますので一緒に続けていきましょう」


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