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2016年8月 4日 (木)

熊本の地震は大震災ではないのか第2弾(7月13~15日取材)

(写真はクリックすると拡大します)

_yyy3065jpgjpgweb益城町中心部、7月14日撮影

 熊本の大地震の被災地を前回(4月29日~5月2日)に続いて歩いた。直下型地震のあまりの破壊力と、広範囲に及んだ被害に圧倒された熊本大震災。前回は大地震から二週間後。今回は雨季となる地震から三ヵ月後に取材しようと決めていた。三ヵ月もすれば、映像的には地震後とは異なる、何か大きな変化が感じられるかもしれないという淡い期待があったからでもある。

 果たしてどうだったろうか?以下の写真で見ていただけば一目瞭然。余計な説明は必要ないだろう。撮影は全て7月13日から15日にかけてである。

◯何が変わったのだろうか?
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熊本空港に着陸する直前の、飛行機から見たブルーシートが目立つ被災地。


_yyy3019jpgsumijpgweb益城町中心部。


_n614828jpgsumijpgweb二階建アパートの一階部分が倒壊した一角。益城町木山地区。

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_n614970jpgsumijpgweb6月の豪雨などで被災地は情け容赦なく雨季の長雨にさらされている。例年よりも雨量が多いと住民もいう。倒壊家屋の続く路地を歩くと、カメラを手にした露出部分を情け容赦なく蚊が襲ってくる。ボウフラのわく水たまりがそこら中にできているのだろう。異常発生しているに違いない。

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_n614903jpgsumijpgweb降りやまない雨の中、つぶれた倉庫の肥料の上にブルーシートをかける農家のご夫婦。益城町寺迫地区。


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 大地震の被害が集中した益城町の中心部は、住宅が密集していることもあり、全壊、半壊家屋の解体作業がやっと始まったばかりで、歩けど歩けど、昨日や今日、大きな地震に襲われたようで、とても三ヵ月も経過しているとは思えない光景が広がっていた。

 いみじくも、益城町木山地区を拠点に、ボランティア活動を大地震直後から続けている女性が言った。
「ここは時間が止まったようです」

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_yyy3163jpgsumijpgsumijpgweb益城町の中心部から離れた小谷地区。


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益城町杉堂地区。解体作業はほとんど始まっていない。西原村とを結ぶ道路はさらなる土砂崩れなどのために通行止めは変わらずだった。

 益城町は解体作業そのものが遅れていた。その原因は6月の豪雨が地震の被害を拡大したこともあるだろうが、建物の損壊状況を調査する第二次調査の進行の遅れにより、住宅解体の公費負担や仮設住宅への入居資格に直接かかわる罹災証明書の発行が滞っているためだった。

ここまで写真を見ていただければわかることですが、全壊した建物にブルーシートはかかっていません。簡単なことですが、倒壊した家の中からまだ貴重品か何かを探し出す予定の場合は別として、解体撤去するので、シートをかけて雨水から守る必要がないためです。


◯南阿曽村
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テレビが最も報道した阿蘇大橋入口。

_n615338jpgsumijpgweb_2多数の死傷者を出した東海大学の学生寮となる民間のアパートが集中する地区。周辺の二階建アパートは軒並み、一階部分がつぶれていた。完全に崩落した阿蘇大橋からは300mほどしか離れていない。

 大学生たちに多くの死傷者が出たこともあり、倒壊したアパートはほとんどそのままで残されていた。一つの区切りがつかないと、こうした現場の復興はスタート地点に立つことさえも難しいことを感じさせる。

_yyy3391jpgsumijpgweb犠牲者の出たアパートには簡易的な献花台が用意されていた。大震災から三ヵ月後の7月15日。この日は、南阿蘇村でボランティア活動を続ける若者ら10数名が、交代で献花し焼香する姿があった。


_yyy3430jpgjpgweb南阿蘇村内で重機を使ったボランティア作業中の男性が献花に訪れ、犠牲者を追悼していた。男性は益城町の木山地区を拠点に震災後から活動している危険な作業を請け負うベテランボランティアだ。
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_yyy3439jpgjpgwebこのアパートにも小さな献花台が供えられていた


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◯西原村の変化
 西原村は益城町の中心部とは異なり、全体が農村地帯で集落は離れて点在している。そのためか、全国ネットで報道される機会は益城町と比べると極端に少なかった。しかし被害は甚大だった。
 農家や自営業の被災者は、自宅や農業用倉庫、店舗などが壊れて収入が断たれたため、生活再建のためには一刻も早く農業を再開し、同時に全半壊の建物を解体する必要に迫られていた。公費解体を役場に申し込んで順番を待っていると、いつ解体できるか目途が立たないために、自主的に役場が指定する業者と契約して解体工事を開始していた。
 ちなみに、全壊家屋の解体費用は国が支出することになっている。しかし、「半壊」認定では解体費用は自腹となるために、経済的に苦しい被災者が自主解体をするのは楽ではないし、家の修理費が相当な負担を考えると、全壊認定を受けて、公費解体を待つほかはない。

_n615299jpgjpgweb解体の終了した農家の敷地。西原村風当地区。

_yyy3339jpgsumijpgweb同じく風当地区の解体工事が始まった農家。公費解体は待ちきれないために自主解体だ。


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更地となった風当地区公民館跡。
_n619326jpgsumijpgweb4月30日に撮影した、倒壊した風当公民館。

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西原村役場によると、全半壊は1327戸(棟)。7月14日の時点で解体申請は1250件。(第二次損壊調査の途中のため、増える可能性がある)自主解体は350件が解体中か終わっているとのことだ。全壊家屋の自主解体の場合は解体工事終了後に規定の予算内の費用は公費で支払われることになる。

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 西原村布田地区の自宅兼店舗を自主解体し、更地にしたばかりの緒方登志一さん(60歳)と奥さん。「味の山一」ののれんを掲げた。奥のブルーシートがかかった料亭の建物も全壊だが、ぐちゃぐちゃに壊れた内装をボランティアの力を借り、家族で一丸となってきれいにした。


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 天井板、床板、壁などを全部取り払った料亭。緒方さんは東日本大震災後に数件の商店が一緒になって生活再建事業の補助金を申請するグループ補助金の申請を準備中だった。万が一、補助金が下りないときには、全壊状態の料亭を修理して商売を再開するつもりでいるという。自営業のため、事業を再開しない限り収入は完全に断たれたままだ。

 緒方さんには20代の未婚の娘さんが4人いることもあり、将来を悲観し自殺を考えるところまで追いつめられたと話す。しかし、今は気持ちを切り替え、更地の跡を利用し、7月からビアガーデンを開業するつもりだとも話した。


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◯前回取材したシイタケ農家
1jpgweb_2シイタケ農家の荒木さん(64歳)。山中奥のゴルフ場に隣接する森の中にあるシイタケ栽培場。地震で数千本あるほだ木が倒れたままで手付かずの状態。


_n615251jpgsumijpgweb前回は空っぽだった風当地区にあるシイタケ用ハウスでは、シイタケ栽培が始まっていた。最盛期には程遠いが、毎朝、シイタケを収穫し、袋詰めして村内の農産物が集積され販売される「萌の里」に配達されていた。
「萌の里」は大切畑ダムの先にあり、道路はまだ復旧していないため、近いうちに村の中心部に臨時ショップが開設かれるとのことだ。

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 大きくて立派な自宅が全壊した荒木さん夫婦は、完成したばかりの仮設住宅に入居したばかり。自宅は再建することにしたと話す。「もし今75歳だったら家の再建はしないと思う。年金でアパート生活を選ぶよ」と話していた。
まずは大型のシイタケ乾燥機や冷蔵庫などを地盤が傾いた倉庫から運び出し、地盤の安定した場所に再建する倉庫に移す計画にしていた。

 荒木さんの姿から、農家の生活再建の道は予想以上に早いのかもしれないと感じられたのが、数少ない希望だった。

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◯完成したばかりの西原村仮設住宅
 西原村については触れたが、熊本大震災の被害の全体像を記しておきたい。全壊は8299棟。半壊は25932棟。一部損壊が120584棟。この数字だけでも、住まいを失った被災者の多さが想像できるのではないだろうか。

 7月14日の時点で、熊本県内14市町村の避難所で生活する被災者は約4700人。建設が予定されている応急仮設住宅は3631戸だが、完成したのは約4割の1429戸分だ。車中泊を続ける被災者さえもいまだにたくさんいる。西原村の場合は、避難所に292人が残り、車中泊は59人と役場の担当者が言った。


西原村の仮設住宅(300戸プラス)が完成したのは震災から3ヶ月が経過する直前。村の中心部、幹線道路に面した広大な村有地が利用された。村としてはここ一ヵ所のみなので、とにかく広い。

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東日本大震災でおなじみとなったプレハブ式仮設住宅。残念なことに、熊本の被災地でもこれから最低2年間は活用される。

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◯取材後記
 8月2日、安倍自公政権は総額28兆円の経済対策を閣議決定したという。このうち国と地方自治体が直接支出する7.5兆円は、見合った効果が期待されると指摘される。しかし、公共事業は10.7兆円で、不要でルートさえ決まっていない名古屋~大阪間のリニア中央新幹線の全線開通の前倒しなどの「絵に描いた餅」にばらまく内容だ。
 保育士や介護士の給料をアップし待遇改善することや、奨学金返済で苦しむ学生や社員になれない非正規労働者などの社会の弱者のための対策費は、微々たるものだ。

 同時に熊本大震災の被災者や東日本大震災被災者の生活再建に直接資するような予算措置は、「インフラの整備」はあっても疎かにされている。
 まさに安倍自公政権とはどんな政府かということがここからも見えてくる。

 今回の取材の詳細なルポ記事は月刊誌「自然と人間」8月号に書いているので、そちらをお読みください。

・前回の取材ブログ記事はこちらにあります。熊本の地震は大震災ではないのか?熊本大震災フォトルポ(4月29日~5月2日)


◯取材活動支援のお願い
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・銀行振込
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