« 2016年7月 | トップページ | 2016年10月 »

2016年8月の投稿

2016年8月24日 (水)

夏を満喫する「佐渡へっついの家」保養キャンプの福島のこどもたち

(写真はクリックすると拡大します)
撮影はすべて8月11日から13日。

_n617174jpgsumijpgweb
自分たちで割った薪でお風呂を沸かす小学生たち。

 
 東京電力福島第一原発の過酷事故直後から、福島県に通い、国による強制的な避難を強いられた地域を中心に繰り返し取材してきたが、私の長野県の実家の隣町の小諸市での保養サマーキャンプのボランティアを少し手伝ってきたが、本格的に保養キャンプを取材しないままでいた。

 そこで、お盆の最中、ユニークさで評判の、「佐渡へっついの家」夏の保養キャンプを訪ねた。昨夏日程的に無理だったのでようやく現場を体験し、楽しむ子どもたちの気持ちと継続運営するスタッフのみなさんの大変さを痛感することができた。

_yyy7557jpgsumiweb_2


_n616674jpgjpgweb_2

_n616711jpgsumijpgweb


 「佐渡へっついの家」では、福島県の小学生たちが、思いっきり夏を満喫し、エネルギーが途切れることなく遊びまくっていた。小諸市の上げ膳供え膳のサマーキャンプとは大きく異なり、屋外で遊び、薪で五右衛門風呂を沸かし、へっつい(かまど)でご飯を炊いたり、年の差もものともせずに共同生活を送る知恵を学びながら、毎日を送っていた。

_n616599jpgjpgweb


_n616616jpgjpgweb


_n617136jpgsumijpgweb


_yyy7780jpgsumijpgweb
かまどでご飯を炊く小学生たち。
_yyy7802jpgsumijpgweb


 「佐渡へっついの家」は、詩人でNPOライフケア代表でもあり、原発事故後は福島の今を伝えるスタディツアーも実施する関久雄さん(65)が責任運営をしている。関さんとはこれまでも何度かお会いしているが、現場を訪ねるのは初めてで、ワクワクしながらの取材だった。

_yyy8142jpgsumijpgweb_2水田に囲まれたような古民家が保養所。

_yyy7735jpgsumiweb_2アブラゼミが地中から次々と湧いてくるような木々に囲まれた古民家。

_yyy7120jpgjpgweb_2関久雄さん(65)

 関さんの話っぷりは、肩にまったく力が入っていない。

_yyy7142jpgweb
ツリークライミングをすぐに身に着け、登ってゆく小学生。

                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

_yyy7638jpgsumitorimingujpgweb
ツリーハウスに登った子どもたちとスタッフ。


_n616892jpgsumijpgweb
「ジョニー」の愛称で子どもたちから慕われる関さんは、詩人であり音楽もやる。若い頃はヒマラヤにも登る登山家でもあった。

 関さんたちは原発事故の起きた2011年から、放射能に汚染されてしまった福島県で自然と共に外遊びする機会を奪われた子どもたちが、新潟県佐渡島の放射線量の低い地で子どもらしく外遊びでき、保養し免疫力の向上を図るキャンプを運営してきた。

 「福島県は、『福島安全宣言』を主張する政党まで現れ、反対意見が言いにくい状況に追いつめられている。原発事故による放射能汚染の「不安」に対してとやかくいうスタンスそのものがおかしい。子どもたちの保養だけは守りたい」と関さんは話す。


_n617325jpgsumijpgweb

佐渡で一番大きな加茂湖でのボート乗り体験。まずはオールこぐ練習。

_n617430jpgsumijpgweb

_yyy7971jpgsumiweb加茂湖は朱鷺も住み着いている森に囲まれている。


                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   


 関さんたちは、2015年から保養事業『佐渡へっついの家保養キャンプ』を主催。春と夏の保養キャンプ参加者はのべ400名になるという。

 福島県ではすでに172人が甲状腺がんまたは疑いと診断された。131人は手術を受けた。

 関さんは、単なる参加型ではなく、築100年のリフォームした古民家での、好き勝手ができない共同生活を送りながら、「一緒に創り上げる体験型」のエコロジースクールの役割を目指している。


_yyy7888jpgsumijpgweb
食事の前にはみんなで手をつないで、食事に感謝する独自のお祈りをしてから「いただきます」となる。

「太陽と大地と海のめぐみと私たちを守ってくれるすべての存在に感謝していただきます」

Dsc_3331jpgsumijpgweb

_n616574jpgsumijpgweb


_n616840jpgjpgweb食器洗いは自分たちで。


_yyy7513jpgjpgweb
その日の反省会を兼ねた夜のミーティング。
                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が好きな関久雄さんの詩の紹介

 「たとえれば」

なんで 逃げないのかと 言われ
なんで 帰ってこねえと 言われる
そこで育てるのは 子殺しと同じ と言われ
戻らねえのは 放射能は危険という
迷信に取りつかれてんだよって 言われる
なんて こたえたら いいだべか

チェルノブイリ法みたいに
食う 寝るところに 住むところ
生活の保障なかったら 簡単には出られね
20キロ圏内でも暮らせる
20ミリシーベルトならだいじょうぶだ と おっしゃる おめさんよ
まず あんたがそこさ 住んでみっせ

ミヤコさんがこう言った
たとえれば
わたしは 0度のところさ住んでいて いっつも寒い
おめさんは 26度のところに住んでいて いっつも暖かい
わたしは 10度のところさ行くと あったけえと感じるけんど
おめさんは 10度のところでは 寒い寒いと言う
つまりは そういうこと
そこで暮らさないと わからねえのです

ハローワークのとなり うず高く積まれたフレコンバック
隣の公園で子ども フツーに遊んでっから 驚きやしたか
街を歩くひと マスクもつけず
フツーに暮らしてっから 安心しやしたか

スーパーの壁 「ふくしまっ子復興祈念マラソン大会」のポスター
木枯らしにせつかれ 家路を急ぐ モノ言わぬひと
どこさ向かうのか 
どこさ行きたいのか

(2015年11月18日)
                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

_n617140jpgsumijpgweb虹染でできあがったハンカチが風にたなびく。


_yyy8080jpgsumijpgwebそうめん流しの昼食。


_yyy7858jpgsumijpgweb庭先では子どもたちが飽きることのないかのように、卓球で遊んでいる。


_yyy7664jpgsumiwrb食事作りの責任者がボランティアを終えて新潟県の実家に帰っていくところを、走って跡を追うこどもたち。


                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                   ・・・・・・・・・・・・・・・・
  

 今年7月には、南相馬市小高区と葛尾村の避難指示が政府により解除された。「もう避難生活続けなくても大丈夫だからお帰りください」と住民に促しているわけだが、果たしてどれくらいの住民が帰還するだろうか。

 東電福島第一原発の事故は収束しただろうか。放射性物質が大気中に拡散しないように蓋がされただろうか。汚染水が魚や海産物の宝庫の海に流出することを止められただろうか。原発事故収束現場で働く作業員が被ばくしないで仕事ができる現場になっただろうか。低線量被ばくの不安を一体誰が払しょくすることができただろうか。放射性廃棄物を入れたフレコンバッグのピラミッドが、浜通りや中通りの仮置き場から、大熊町と双葉町の所定の置き場に移動させれらただろうか。

 3・11から5年半が経っても、答えは「NO」ではないか。

 残念ながら自主避難も、親子が遠く離れた生活を続ける母子避難も続いている。子どもたちや大人たちの保養や自主避難はもう必要ないなどという無責任な言説が出てくること自体、寛容さを失った非民主的な社会の始まりだ。クワバラクワバラ。

 
 関さんたちは佐渡の「へっついの家」での保養所を継続させていくため支援を募っている。目標額は100万円の「READYFOR」クラウドファンディングが9月7日まで実施されている。目標額までは後15万円足りない。

 「子供たちを放射能から守り、日常を過ごすための保養の費用として100万円が必要です。皆さま、ご支援よろしくお願いします!」

_yyy7655jpgsumijpgweb


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。

・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729

・銀行振込
城南信用金庫
店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月 4日 (木)

熊本の地震は大震災ではないのか第2弾(7月13~15日取材)

(写真はクリックすると拡大します)

_yyy3065jpgjpgweb益城町中心部、7月14日撮影

 熊本の大地震の被災地を前回(4月29日~5月2日)に続いて歩いた。直下型地震のあまりの破壊力と、広範囲に及んだ被害に圧倒された熊本大震災。前回は大地震から二週間後。今回は雨季となる地震から三ヵ月後に取材しようと決めていた。三ヵ月もすれば、映像的には地震後とは異なる、何か大きな変化が感じられるかもしれないという淡い期待があったからでもある。

 果たしてどうだったろうか?以下の写真で見ていただけば一目瞭然。余計な説明は必要ないだろう。撮影は全て7月13日から15日にかけてである。

◯何が変わったのだろうか?
_yyy2864jpgsumijpgweb
熊本空港に着陸する直前の、飛行機から見たブルーシートが目立つ被災地。


_yyy3019jpgsumijpgweb益城町中心部。


_n614828jpgsumijpgweb二階建アパートの一階部分が倒壊した一角。益城町木山地区。

_yyy3130jpgsumijpgweb

_n614970jpgsumijpgweb6月の豪雨などで被災地は情け容赦なく雨季の長雨にさらされている。例年よりも雨量が多いと住民もいう。倒壊家屋の続く路地を歩くと、カメラを手にした露出部分を情け容赦なく蚊が襲ってくる。ボウフラのわく水たまりがそこら中にできているのだろう。異常発生しているに違いない。

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


_n615020jpgsumijpgweb

_n614903jpgsumijpgweb降りやまない雨の中、つぶれた倉庫の肥料の上にブルーシートをかける農家のご夫婦。益城町寺迫地区。


_yyy3106jpgsumijpgweb

 大地震の被害が集中した益城町の中心部は、住宅が密集していることもあり、全壊、半壊家屋の解体作業がやっと始まったばかりで、歩けど歩けど、昨日や今日、大きな地震に襲われたようで、とても三ヵ月も経過しているとは思えない光景が広がっていた。

 いみじくも、益城町木山地区を拠点に、ボランティア活動を大地震直後から続けている女性が言った。
「ここは時間が止まったようです」

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


_yyy3163jpgsumijpgsumijpgweb益城町の中心部から離れた小谷地区。


_yyy3141jpgsumijpgweb
益城町杉堂地区。解体作業はほとんど始まっていない。西原村とを結ぶ道路はさらなる土砂崩れなどのために通行止めは変わらずだった。

 益城町は解体作業そのものが遅れていた。その原因は6月の豪雨が地震の被害を拡大したこともあるだろうが、建物の損壊状況を調査する第二次調査の進行の遅れにより、住宅解体の公費負担や仮設住宅への入居資格に直接かかわる罹災証明書の発行が滞っているためだった。

ここまで写真を見ていただければわかることですが、全壊した建物にブルーシートはかかっていません。簡単なことですが、倒壊した家の中からまだ貴重品か何かを探し出す予定の場合は別として、解体撤去するので、シートをかけて雨水から守る必要がないためです。


◯南阿曽村
_yyy3470jpgweb_2
テレビが最も報道した阿蘇大橋入口。

_n615338jpgsumijpgweb_2多数の死傷者を出した東海大学の学生寮となる民間のアパートが集中する地区。周辺の二階建アパートは軒並み、一階部分がつぶれていた。完全に崩落した阿蘇大橋からは300mほどしか離れていない。

 大学生たちに多くの死傷者が出たこともあり、倒壊したアパートはほとんどそのままで残されていた。一つの区切りがつかないと、こうした現場の復興はスタート地点に立つことさえも難しいことを感じさせる。

_yyy3391jpgsumijpgweb犠牲者の出たアパートには簡易的な献花台が用意されていた。大震災から三ヵ月後の7月15日。この日は、南阿蘇村でボランティア活動を続ける若者ら10数名が、交代で献花し焼香する姿があった。


_yyy3430jpgjpgweb南阿蘇村内で重機を使ったボランティア作業中の男性が献花に訪れ、犠牲者を追悼していた。男性は益城町の木山地区を拠点に震災後から活動している危険な作業を請け負うベテランボランティアだ。
_yyy3434jpgsumijpgweb

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


_yyy3439jpgjpgwebこのアパートにも小さな献花台が供えられていた


                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◯西原村の変化
 西原村は益城町の中心部とは異なり、全体が農村地帯で集落は離れて点在している。そのためか、全国ネットで報道される機会は益城町と比べると極端に少なかった。しかし被害は甚大だった。
 農家や自営業の被災者は、自宅や農業用倉庫、店舗などが壊れて収入が断たれたため、生活再建のためには一刻も早く農業を再開し、同時に全半壊の建物を解体する必要に迫られていた。公費解体を役場に申し込んで順番を待っていると、いつ解体できるか目途が立たないために、自主的に役場が指定する業者と契約して解体工事を開始していた。
 ちなみに、全壊家屋の解体費用は国が支出することになっている。しかし、「半壊」認定では解体費用は自腹となるために、経済的に苦しい被災者が自主解体をするのは楽ではないし、家の修理費が相当な負担を考えると、全壊認定を受けて、公費解体を待つほかはない。

_n615299jpgjpgweb解体の終了した農家の敷地。西原村風当地区。

_yyy3339jpgsumijpgweb同じく風当地区の解体工事が始まった農家。公費解体は待ちきれないために自主解体だ。


_n615305jpgjpgweb
更地となった風当地区公民館跡。
_n619326jpgsumijpgweb4月30日に撮影した、倒壊した風当公民館。

                          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


西原村役場によると、全半壊は1327戸(棟)。7月14日の時点で解体申請は1250件。(第二次損壊調査の途中のため、増える可能性がある)自主解体は350件が解体中か終わっているとのことだ。全壊家屋の自主解体の場合は解体工事終了後に規定の予算内の費用は公費で支払われることになる。

_yyy3367jpgsumijpgweb
 西原村布田地区の自宅兼店舗を自主解体し、更地にしたばかりの緒方登志一さん(60歳)と奥さん。「味の山一」ののれんを掲げた。奥のブルーシートがかかった料亭の建物も全壊だが、ぐちゃぐちゃに壊れた内装をボランティアの力を借り、家族で一丸となってきれいにした。


_n615309jpgsumijpgweb
 天井板、床板、壁などを全部取り払った料亭。緒方さんは東日本大震災後に数件の商店が一緒になって生活再建事業の補助金を申請するグループ補助金の申請を準備中だった。万が一、補助金が下りないときには、全壊状態の料亭を修理して商売を再開するつもりでいるという。自営業のため、事業を再開しない限り収入は完全に断たれたままだ。

 緒方さんには20代の未婚の娘さんが4人いることもあり、将来を悲観し自殺を考えるところまで追いつめられたと話す。しかし、今は気持ちを切り替え、更地の跡を利用し、7月からビアガーデンを開業するつもりだとも話した。


                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◯前回取材したシイタケ農家
1jpgweb_2シイタケ農家の荒木さん(64歳)。山中奥のゴルフ場に隣接する森の中にあるシイタケ栽培場。地震で数千本あるほだ木が倒れたままで手付かずの状態。


_n615251jpgsumijpgweb前回は空っぽだった風当地区にあるシイタケ用ハウスでは、シイタケ栽培が始まっていた。最盛期には程遠いが、毎朝、シイタケを収穫し、袋詰めして村内の農産物が集積され販売される「萌の里」に配達されていた。
「萌の里」は大切畑ダムの先にあり、道路はまだ復旧していないため、近いうちに村の中心部に臨時ショップが開設かれるとのことだ。

_n615278jpgsumijpgweb

 大きくて立派な自宅が全壊した荒木さん夫婦は、完成したばかりの仮設住宅に入居したばかり。自宅は再建することにしたと話す。「もし今75歳だったら家の再建はしないと思う。年金でアパート生活を選ぶよ」と話していた。
まずは大型のシイタケ乾燥機や冷蔵庫などを地盤が傾いた倉庫から運び出し、地盤の安定した場所に再建する倉庫に移す計画にしていた。

 荒木さんの姿から、農家の生活再建の道は予想以上に早いのかもしれないと感じられたのが、数少ない希望だった。

                          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◯完成したばかりの西原村仮設住宅
 西原村については触れたが、熊本大震災の被害の全体像を記しておきたい。全壊は8299棟。半壊は25932棟。一部損壊が120584棟。この数字だけでも、住まいを失った被災者の多さが想像できるのではないだろうか。

 7月14日の時点で、熊本県内14市町村の避難所で生活する被災者は約4700人。建設が予定されている応急仮設住宅は3631戸だが、完成したのは約4割の1429戸分だ。車中泊を続ける被災者さえもいまだにたくさんいる。西原村の場合は、避難所に292人が残り、車中泊は59人と役場の担当者が言った。


西原村の仮設住宅(300戸プラス)が完成したのは震災から3ヶ月が経過する直前。村の中心部、幹線道路に面した広大な村有地が利用された。村としてはここ一ヵ所のみなので、とにかく広い。

Dsc_3166jpgsumijpgweb
東日本大震災でおなじみとなったプレハブ式仮設住宅。残念なことに、熊本の被災地でもこれから最低2年間は活用される。

2jpgweb


Dsc_3162jpgweb


◯取材後記
 8月2日、安倍自公政権は総額28兆円の経済対策を閣議決定したという。このうち国と地方自治体が直接支出する7.5兆円は、見合った効果が期待されると指摘される。しかし、公共事業は10.7兆円で、不要でルートさえ決まっていない名古屋~大阪間のリニア中央新幹線の全線開通の前倒しなどの「絵に描いた餅」にばらまく内容だ。
 保育士や介護士の給料をアップし待遇改善することや、奨学金返済で苦しむ学生や社員になれない非正規労働者などの社会の弱者のための対策費は、微々たるものだ。

 同時に熊本大震災の被災者や東日本大震災被災者の生活再建に直接資するような予算措置は、「インフラの整備」はあっても疎かにされている。
 まさに安倍自公政権とはどんな政府かということがここからも見えてくる。

 今回の取材の詳細なルポ記事は月刊誌「自然と人間」8月号に書いているので、そちらをお読みください。

・前回の取材ブログ記事はこちらにあります。熊本の地震は大震災ではないのか?熊本大震災フォトルポ(4月29日~5月2日)


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。

・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729

・銀行振込
城南信用金庫
店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年7月 | トップページ | 2016年10月 »