熊本の地震は大震災ではないのか?熊本大震災フォトルポ(4月29日~5月2日)
(写真はクリックすると拡大します)
最大震度7の地震は二度とも夜に起きた。14日の前震で倒壊の兆候さえなかった住宅が、16日未明の本震により完全に倒壊したと多くの住民は話した。前震が警告の役割を果たし、多くの住民は本震の際は車の中や屋外に避難していて、命を拾ったといえる。被害の規模の割に死傷者が多くはないのはそのためだろう。
熊本県と大分県で大きな被害を出し、いまだに収束の兆しが見えない熊本「大震災」。熊本県内だけでも、大きな被害は50キロ以上の幅で生じている。
震度7の前震と本震が発生した14日と16日は、インドで取材中だったので、現地入りしたのは、発生から2週間後の4月29日から5月2日まで。写真による現地報告はTwitterとfaceboookに載せたが、ブログにして主な被害状況をいつでも振り返ることができるようにします。
死者行方不明者は50人と多くはないが、大地震による被害はきわめて深刻で、大分県まで及ぶなど広範囲だ。取材したのは一部に過ぎないが、被害状況の一端をしっかりと認識してください。
・文科省地震調査研究推進本部のホームページによると、東日本大震災と原発事故後の2012年に、九州地方での地震や津波発生の可能性についての報告が掲載されています。その報告書によると、今回の大きな地震は想定していたことがうかがわれます。以下の部分が重要です。
「最大値をとると、布田川区間は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中ではやや高いグループに属する」
「布田川区間では、マグニチュード(M)が7.0程度の地震が発生すると推定され、その際に右横ずれを主体として2m程度のずれを生じる可能性」
実に正確な予想ではないか。「右横ずれ」「2m程度のずれ」。いづれも当たっている。。
古くからの農家の家は、長く大きくて瓦屋根が大半で、のきなみ倒壊していた。
一階部分がつぶれたアパート。同じような二階建アパートが三棟あり、同じようにつぶれていた。駐車場だった場所には、裂け目が幾筋もできていた。
住民のスマホ写真は、4月14日の前震後に撮影したもので、二度目の本震により、玄関部分が完全に倒壊したことを示している。
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倒壊した家の辺りから、ネコが出てきて、遊んでほしがっていた。痩せてはいなかったので、飼い主が定期的にエサやりをしていると思われた。
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専業農家の鎌田さん(80歳)。前震でタンスの隙間にはさまれたのを助け出された。本震で住居部分は完全倒壊した。犬なども飼っているので、避難所には行かずに自宅の庭で息子一家らと避難生活。トラックの荷台が寝室代わりとなっている。
「もう涙もでませんよ。一軒だけじゃないから、笑わんといられないです。ここから木山地区の方まで、被害がひどいようですから」
◯益城町木山地区
木山地区は惣領地区の東側。益城町役場や益城町文化会館があり、より壊滅的な被害を被っている。国道28号線の南側一帯がとりわけ目を覆うばかりの状況だ。
建物そのものの大きな被害は免れたように見える益城町文化会館の駐車場が、ボランティアのベテランが集う「木山サテライト」となり、社会福祉協議会とは指揮系統が別のボランティア活動をしている。朝はラジオ体操ではじまる。個人、グループ、日本に在住する外国人ボランティア部隊などが集まっている。
屋根にかけるブルーシートが静岡県のボランティアから届けられた。
その日の活動の分担表が書き込まれて、午前8時前後から活動開始となる。
5月1日、終わってみれば、30件あまりの依頼が完了したことがわかる。この日、私が取材した外国人ボランティア部隊は、東隣の寺迫地区で、ペシャンコとなった住宅から貴重品を持ち出し、瓦などの瓦礫撤去の活動をした。写真は寺迫地区で紹介しています。
益城町文化会館はバブル時代の箱物とのことだが、建物自体の損傷は少ないというものの、外壁の崩れ方は無残だ。
木山サテライトのボランティアの手をかり、一階がつぶれた家から貴重品を持ち出した女性が二階の窓から出てきた。
◯益城町寺迫地区
木山地区の東隣になる寺迫地区も壊滅的なダメージを受けている印象だ。
外国人ボランティアチームが請け負った依頼は、ペシャンコになった二階建ての徳永邸の外回りの片付け。瓦などの撤去に取り掛かったチーム。
徳永邸は玄関の屋根が二階部分の完全倒壊を防いでいるように見える。60代の徳永夫妻は、本震の際は庭先の車に避難していて、倒壊を免れたという。徳永邸は木山城跡公園の脇にあり、周囲の被害も甚大だ。
徳永さんは、つぶれた家から大切にしている着物だけは持ち出したかったようで、救出できると判断した外国人ボランティアさんたちにより、着物ダンスや仏壇などが手際よく運びだされた。
「日本人のボランティアさんたちよりも機敏ですばらしい」と徳永さんのご主人はべたぼめだった。
東京在住30年のシーラさんは連休を利用して5日間のボランティア活動中。東日本大震災後の石巻でもボランティア活動をした。
「着物は一枚一枚心がこもっていて、人とのつながりが深い。今日は着物を救出できてとても嬉しかった」と話した。
つぶれた玄関の隙間から靴類を運び出すマークさんとクエンティンさん。マークさんはイギリス人。大阪在住10年以上。(マークさんは、ボランティア活動初体験と思えないほど機敏に動いていた)クエンティンさんはアメリカ人で京都在住30年以上。クエンティンさんは東日本大震災後、石巻でボランティア活動を長期間やった経験がある。
外国人ボランティア部隊として活動している彼らの多くが、東日本大震災後の津波被災地でのボランティア活動の経験を積んでいた。彼らは個人的なネットワークと二つのグループのネットワークで駆けつけていた。
「IDRO」(イドロ・ジャパン/国際災害支援機構日本。ロバートさんが代表。クエンティンさんは理事)と、「INJM」(It's Not Just Mud、泥だけじゃないよ)。facebookで二つのグループの活動をフォローできる。
IDRO代表の京都在住のロバートさんのfacebookはこちら。
「重いね。神戸と変わらないほどヒドイ。人と人との心のつながりは目に見えないものですね。捨ててしまうことがわかっていても、わざわざ救出した。持ち主の心が落ち着くんじゃないかな。日本人じゃないからこそ、勇気を与えることができるのかも。結果として自分が元気になる」(阪神淡路大震災で奥さんの母親を失った体験もあるクエンティンさんの話)(5月13日追記)
外国人チームに混ざって活動する地元の高校生、山田響己くん(16歳)。「地元のために役立つなら」と活動を始めた。瓦礫の撤去などできれいになると、「心身ともにすがすがしい気持ちになる」とも話した。
高1の夏にアイルランドに3週間、語学を学びに行ったという山田くんは英語が達者だ。
◯益城町杉堂地区
杉堂地区は益城町中心部からは離れ、東端にあり、西原村に隣接している集落。西原村とを結ぶ道路は土砂崩れなどのために通行止めになっていた。
家の土台とともに崩れ落ちそうな住宅には、柱の間から恵比寿様の掛け物が見えた。
・NHKの災害報道によると、熊本県内の自治体が地震で壊れた建物の危険性を調べた結果、4月29日までに1万2000棟を超える建物が倒壊のおそれがある「危険」と判定された。
つまり、12000棟をこえる住宅で生活していた住民は、安全に寝泊りし日常生活を送る住まいを失い、生活再建できるまで、当面の間の住居が緊急に必要だということを意味する。。
◯西原村風当地区
風当(かざて)地区は西原村と南阿蘇村とを結ぶ幹線道路の国道28号線に面していて、大切畑ダムの手前にある小さな集落。国道の陥没が尋常ではなく、通行止めとなっている。大切畑橋と道路の段差は1mはあり、さらに横に1mほどずれている。
大きな民家。倒壊したに等しく、家財道具を運び出すのが危険な住宅には、ブルーシートはかけられていない。背景に見えるのが小森集落。
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シイタケ専業農家、Bさんの大きな住宅。阪神淡路大震災前に建てたという住宅は、柱や梁に太い材木を使い、屋根瓦は高級で重い焼き物瓦を使っていたが、二度の地震で中二階部分がつぶれ、ペシャンコになる寸前だ。
キッチン、居間、広間など、どの部屋も大きな揺れで家具などがひっくりかえっている。
瓦は剥げ落ちた。
「家を見てもガッカリ。山ん中の(シイタケの)ほだ木がバラバラに倒れているのを見てもガッカリ。もう涙も出ない。あきらめて笑うほかない」と、Bさんは自嘲気味に話した。
Bさん宅の外観。土台もかなりずれてしまった。家の裏手の壁は土手とともに崩落した。
Bさんの奥さんは、断層についての古くからの言い伝えがあったと思い出したように話した。
自宅裏にあるシイタケ用ハウス。ホダ木はあちこちの方向に倒れている。地震の刺激で成長したシイタケが腐ったり、収穫されずに伸び放題だったりしていた。(5月13日写真追加)
ゴールデンウィークはシイタケ出荷のピークで稼ぎ時というが、今回の地震により春先の収入は途絶えた。夏場のシイタケの原木は水につけてから使う必要があるというが、上流のダムからの潤沢な農業用水は、用水路がずたずたで、復旧は時間がかかるだろうと話す。
・「熊本市周辺ではこれ以外に、1625年、1723年、1848年、1907年にもM5〜6程度の被害地震」(冒頭で紹介した文科省の地震調査研究推進本部が公開している資料にも、過去の大きな地震の記述がある)
◯西原村星田地区
星田地区は西原村役場の南方の集落。集落入口に自宅のある酪農家、大川充洋さん(60代)の牛舎は、地震による地割れと陥没で使い物にならなくなっていた。
酪農一筋で48年という大川さん。国や県からの全面的な支援抜きには廃業せざるを得ないところまで追いつめられるほどに被害は甚大。
地震後に牛の一部は処分し、残りは熊本市内の施設に預け、朝晩と搾乳に通っているが、このまま続けるのは困難と話す。未経産牛も近いうちに手放し、北海道に預けることにしたとも話す。
「西原村の酪農家は9軒。6件がダメになった。5軒は私の被害よりひどい。一人の牛舎はペシャンコ。牛10頭が死んだ酪農家もいる。一人は移転することを決めた。好きではじめた酪農だから続けたいのだが・・・」。
◯阿蘇市狩尾地区、的石地区
噴煙をいつもあげる雄大な阿蘇山の眺めがすばらしい阿蘇市の狩尾、的石地区は今回の地震で甚大な被害が生じた。地震による壊滅的な被害が集中した益城町木山地区からは、直線で25キロ以上も東に離れている一帯だ。
阿蘇山北側の外輪山の麓という立地条件は、畜産業を含めた農業にうってつけの自然環境でもある。盆地部分は農業用水路も含めて区画整備され40年以上が経っている。
しかし、活断層が走っているためなのかは定かではないが、帯上の陥没が他よりも顕著で著しい。言葉で説明するよりも写真が雄弁に物語っている。
阿蘇市狩尾1区の本田博文さんの自宅前が、二度目の本震により垂直に1.5m~2mほど陥没した。本田さん宅は、地震による大きなひび割れはなく、生活は可能だと話す。もちろん、余震が続くので夜は近くの駐車場を使っての寝泊りが続くという。
本田さん宅の前が、50m幅でストンと陥没したために、玄関の前に建つ隣家は倒壊を免れている。
本田さん宅の玄関の土台がストンと陥没していることがよくわかる。「笑うしかない」と本田さん。
本田さんの家の裏手の路地も、1.5mほど垂直に陥没している。
本田さん宅から帯状の陥没帯が伸びている。300mほど離れた水田地帯にある畜産農家、中川利美さん(60代後半)の広い倉庫用敷地の真ん中を、陥没した割れ目が続いている。コンクリート製の倉庫の壁は割れ、端の方が30センチほど傾いている。整備された用水路も50m前後の幅で陥没し、水が淀んでいる。陥没帯は南の方向に長く続いているのが手に取るようにわかった。
中川さんと話していて、若いころにアメリカで畜産牧場のあり方を学んだことがあるということだった。福島の原発事故後に警戒区域で多数の牛などの家畜が餓死したり殺処分された話題にもなった。中川さんは餓死した牛の写真を見たことがあるようだった。
「生き物だから助けてあげないといけない。オレだったら鎌持っていって自由にしてあげる」
狩尾地区では、地震で牛舎がつぶれて牛が何頭か死んだ農家も、救出した農家もあると話した。
「起きてしまったことは仕方がない。肝心なのはその後にどう行動するかだ。助けられる可能性があるなら、何としても助けないといけない」(5月12日追記)
陥没帯をたどっていいくと、2~3年前に敷設されたばかりの橋と道路の段差も著しい。
・狩尾地区から的石地区まで続く陥没帯
狩尾地区の本田さん宅前の陥没帯は、さらに南へ2~3キロ延び、的石地区でも陥没が確認できる。
阿蘇市的石地区の酪農家、山本清澄さんの畑に積まれていたエサのロールが、地震によりひっくりかえっていた。
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山本さんの牛舎。鉄骨の牛舎は「危険」認定されたが、すぐに倒壊する危険性はなく牛たちは元気だ。ただ、5ヘクタールの水田で米作りもやっている山本さんは、用水路やポンプが使えるかどうかを心配していた。(5月12日、写真追加と追記)
◯震災ゴミの仮置場(益城町)
津波や地震は、一瞬にして人々の暮らしと共にあった家も身の回り品でも何でも、「災害ごみ」に変えてしまう。
一言で「ゴミ」「瓦礫」というのは簡単だが。
仮置場の近くを散歩していた吉村陸太郎さん(75歳)。自宅の損壊は免れたが、8軒隣の民家が地震でつぶれ、女性が亡くなったという。
吉村さんは震災前から断層に関心があり、壊滅的な被害を出した益城町の下を走る断層は、正確には「布田川断層」ではなく、「木山断層」と呼ぶと話した。全国からの寄付金やボランティアに深く感謝し、その気持ちをメッセージにしていた。
「全国の皆さん ご支援ありがとう」
「くじけるな熊本 へこたれるな益城 安永」
◯取材後記
原発事故後の福島県の被災地に通っている。人災と地震や津波などの天災による被災地の復興の大きなギャップを実感してきた。熊本県から大分県にかけての大地震による被害が広範囲で、地割れを伴う被害が尋常ではないことは一目瞭然だ。住まいを失った住民が多く、当面は仮設住宅などで日常生活を取り戻すしかないことや、農業再開にも時間がかかることもよくわかる。「大震災」と表現したほうがより正確だ。それでも地震や津波被災者の生活再建は、多少の時間がかかっても元の場所で可能だ。
今回の取材で、阿蘇山のもたらす豊かな自然の恵みを受けて生きてきた住民は、自宅がペシャンコになりながらも、くじけない気持ちを持っていることを強く実感した。国が本気で被災者支援をすれば生活再建の道は開けるだろう。
原発事故から5年。福島県の国による強制的避難指示が出された区域は、収束作業中の福島第一原発に近くても、30キロ以上離れていたとしても、自宅が壊れていなくとも、目に見えない放射能汚染のため、10万人近い住民はまだ自分の故郷に帰ることができない。原発事故という人災の怖ろしさと、地震という目に見える人の力では防ぎようのない災害の違いはそこにある。
熊本県では震度4クラスの余震が止む気配はまだない。5月4日までに震度4以上の地震が103回も起きている。地下に張り巡らされた活断層が、熊本大震災による活断層の動きで、いつどこでどの程度の断層のズレを生じさせるかは専門家でさえも予測できないという。
熊本大震災の被害の原因となっている断層帯から90キロ~100キロ程度しか離れていない九州電力の川内原発。電力会社、原子力規制(本質は推進か?)委員会、安倍自公政権によって、稼働が続けられたままだ。川内原発近くの断層が突然悪さをしたらどうなるのだろうかという防災意識はないのだろうか?ここは最悪の事態を想定し、福島第一原発事故が再び起きないような賢明な判断を下すのが最大の防災ではないのだろうか。
◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。
・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729
・銀行振込
城南信用金庫
店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
このサイトの熊本地震の写真を地震の状況を多くの人に知らせる為に使わせて頂いてもよいでしょうか。商業利用は致しません。
投稿: | 2016年5月11日 (水) 10:58
一部の転載はかまいませんが、そっくり全部転載はルール違反です。
出典を明記し、リンクを貼ってもらうのはまったく構いません。
「引用元:山本宗補の雑記帳」からなどのように。
ネット上のエチケットを基本にしていただけばいいですよ。
何が現実に起きているのかを、取材したものとしては、現地にゆくことのできない多くの人に知ってもらうことが肝心ですから。
投稿: 山本 | 2016年5月11日 (水) 16:49
今回の震災の具体的な状況を多くの写真を用いて示していただいたことは、きわめて有意義であり、今後の復興の基礎的かつ重要な資料になると思います。この記事が今後活用されることを切に望みます。
ただ、タイトルの「熊本の地震は大震災ではないのか?」には表現上の違和感がありました。これは、例えば「熊本の震災は大震災ではないのか?」とすべきでしょう。いうまでもなく、地震は自然現象であり、一方、震災は地震による災害ですから社会現象です。つまり、タイトルには自然現象と社会現象が混同して使われており、表現として不適切です。じつは各種の報道でも、地震と表現すべきところを震災としたり、震災と表現すべきところを地震とする例が多く見られます。両者を峻別することは重要で、地震は自然現象だから防げないけれども、震災は社会現象だからこそ社会体制の整備や種々の努力で防いだりなくしたりすることが可能なわけです。両者を混同することは、結局「地震は防げない、その地震による災害だから仕方ない」という震災宿命論につながりかねません(というか、日本人の宿命論的な考え方が、両者を混同する背景にあるのでは、と思います)。「震災は、地震がたしかに誘因になっているが、地震に適切に対応できなかった社会の体制=防災体制の不備にこそ根本的な原因がある」という災害観をもつことは、防災を進める上で重要でしょう。水害や土砂災害など他の様々な災害についても同様だと思います。
だいぶ大げさな話になってしまいました。山本さんは、もちろん両者をきちんと区別しておられると思います。タイトルをつける際に、ついうっかりこのように表現してしまったのでは、と推測しますが、一言コメントさせていただきました。ご検討いただければ幸いです。暴言お許しください。
投稿: 小川 肇 | 2016年5月16日 (月) 21:46
小川肇さま
重要なコメントありがとうございます。
私の地震による被害についての基本的認識は、「地震は自然現象だから防げない。だが、社会体制の整備や種々の努力である程度までは防ぐことが可能」
「震災」と「大震災」の違いは、やはり地震の規模と被害の広がりと大きさだと思っています。益城町の一部だけに壊滅的な被害が集中しているわけではなく、震度7の大きな地震が離れた大分県の活断層の地震を誘発しているという後になってわかった事実からもいえることだと思います。
投稿: 山本 | 2016年5月17日 (火) 00:15
熊本地震、自分は益城在住です。
罹災証明判定は全壊でした。ボランティアで全国から来て頂いた家屋被害調査士の方々の現地案内をしていました。約300件ほどの家屋に案内しました。取り分け被害が大きいのは立派な日本家屋。
やはり熊本は地震より台風対策。それと基礎が貧弱です。それにすましいのが地盤沈下です。これは益城町全域に渡っておきています。
ある人の見解はお隣の熊本市の地下水利用が原因かも!?熊本の水道事業はほぼ地下水 専門家の調査をして欲しいですね。今後の為にも。
投稿: | 2016年6月30日 (木) 20:48
益城町の被災者の方へ
貴重な情報をありがとうございました。
熊本大震災から3か月後の7月13日から15日に再取材に現地にうかがいます。
もしお会いしてお話しをうかがうことができれば幸いです。
メールアドレスを教えていただければご連絡します。
投稿: 山本 | 2016年7月 1日 (金) 17:49