大熊町・双葉町・浪江町 帰還困難区域の現状とは?
(写真はクリックすると拡大します)
◯大熊町(10月31日撮影)
原発から西に7キロの野上地区(帰還困難区域)に自宅のある木幡仁・ますみ夫妻の一時帰宅に同行した。事故年12月に同行していらい恒例となった。
大熊町復興拠点として除染した大川原地区。渡辺利綱町長の自宅もある地区だが、「かえろう」と「はばたけ新大熊町開幕」のどでかいメッセージボードが建っていた。
一時帰宅に同行した木幡仁さんのいとこの自宅が大川原地区にあり、柿の実を放射線量測定のために採集した。大川原地区全体が徹底した除染がされたはずだが、いとこの自宅の裏手で空間線量を図ると、1マイクロシーベルトを軽くこえた。道路上で測定すると0.20マイクロシーベルトと、大熊町とは思えないほど低い数値を示したのは事実だが、木幡さんのいとこの自宅裏手は除染した形跡はなかった。
事故原発から西7キロの地点にある自宅(野上地区)は、網戸が壊され窓が開いたままの状態だった。前回の一時帰宅は8月中とのことなので、その後にどろぼうが侵入したままだった。
居間は足の踏み場もないほどに、物が散乱していた。(下の写真)
木幡さんは自宅裏手の柿を放射能測定のために採集した。原発事故のあった年の12月に初めて一時帰宅に同行した際、柿を採集して測定に出したことがあるので、線量の変化を知ることができるので、測定データは貴重だ。
・野上地区の自宅裏手にある柿の木の柿を専門機関に測定してもらった結果:
セシウム137が739ベクレル。セシウム134が189ベクレル検出。合計928ベクレル。
2011年12月の測定値は、セシウム137は666ベクレル。セシウム134が902ベクレルだった。
比較していえるのは、セシウム134は減少したが、137は逆に増えたことだ。
事故後も放射性物質が拡散し、柿に取り込まれていることを意味するのか、土壌からセシウムを吸い上げ続けているのかのどちらか、もしくは両方ではないかという推測が成り立つ。
毎回、一時帰宅に同行した時に、自宅を背景に木幡夫妻の写真を撮る。定点観測のようなもので、雑草や雑木の繁茂ぶりが比較できる。
文科省が大熊町に設置してあるモニタリングポストの中で常に最大値を示す夫沢第三集会所。昨年12月の時は、18.59マイクロシーベルトだった。今回は14、44マイクロシーベルト。どこのモニタリングポストも同じことだが、2~3m離れて測定すると数値は必ずといっていいくらいに跳ね上がる。3m離れた道路上で測定すると19マイクロシーベルト前後を示した。
イチエフの南側に隣接する場所には、温排水を利用したヒラメなどの養魚場(正式名称は福島県栽培漁業センター)がある。大津波で壊滅したが、ここで亡くなった知人の冥福を祈って手を合わせる木幡ますみさん。
熊川の河口近くには、津波で壊れたままの住宅が手つかずで残されていた。3・11からは4年半が経過しているものの、住民が帰ることもできない土地にそのまま建っている姿こそが、原発事故の深刻さを象徴しているのではないか。
海側に近い高台には大熊町の工業団地があるが、現在は中間貯蔵施設として利用されはじめている。
この敷地の外側の道路上で測定すると、15マイクロシーベルトと高いままだ。
国道6号線の海側の大半が中間貯蔵施設となる予定だが、地権者の同意がほとんど得られていない現状では、手つかずのままだ。予定地には、工場団地、学校、児童館、新興住宅街、水田地帯などがある。秋はセイタカアワダチソウとススキが繁茂する原野のような光景が広がっている。
熊町小学校。駐車場に設置されたモニタリングポストは約7.5マイクロシーベルトを示している。
ゴーストタウンと化した帰還困難区域で、天敵のいないイノシシが繁殖し続けている。ふんはなぜか舗装道路上のあちらこちらで散見する。
電車の走ることのない常磐線。大きなイノシシが一頭、線路上に突然現れ、辺りをうかがって走りさった。
・木幡ますみさんは、11月15日に投開票された大熊町の町議選で二位で当選した。議員12人中、たった一人の女性議員である。原発事故が起きたとき、夫の仁さんは町議を務めていた。2011年秋の町長選に夫の仁さんが脱原発で集団移住を公約に掲げて立候補したが、現職で「除染して早く帰ろう」をスローガンにした渡辺利綱町長に敗れた経緯もある。
全国各地の原発反対運動に駆けつけ、避難民の現状や原発周辺の実情を話してきた木幡ますみさんのスタンスははっきりしている。
「除染に復興予算を使わず、大熊町民の新天地での生活再建の為に使うべきです」
◯双葉町(11月13日撮影)
南相馬市小高区の同慶寺住職・田中徳雲師に同行し、徳雲さんが住職を兼ねる双葉町寺沢地区にある仲禅寺の現状を見に行った。
国道6号線から山側に入るとすぐに、双葉町中心部の地震による被害が手つかずなのが目に飛び込んできた。中心部を離れても、地割れがそのままな光景からも、復興とは無縁なことを実感する。
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中心部から離れると、双葉町の里山風景は浪江町とよく似ている。水田地帯はどこもセイタカアワダチソウで覆われている。
仲禅寺は奥山の中という感じ。紅葉の季節だが、寺の本堂の前庭が4年半で森に戻りつつある。
3・11後の余震の繰り返しにより、地震による被害は拡大しているという。
井戸川克隆元町長は仲禅寺の檀家の一人だという。徳雲さんは、原発事故前から環境問題や原発に反対する生き方を模索していたので、井戸川町長(当時)とは原発の問題、とりわけ問題になっていたプルサーマルの導入は止めたほうが良いと町長には何度も話したという。
残念ながら、井戸川町長は双葉町の財政上、原発は欠かせないとの立場からプルサーマル導入を容認し、佐藤雄平知事(当時)が、過酷事故を起こした東京電力福島第一原発3号機のプルサーマル運転に最終的なゴーサインを出した(2010年)。
(追記:今年、徳雲さんと井戸川元町長はネパールを訪ねる旅を共にし、その際、二人はいろんな話ができ、事故前のわだかまりはだいぶ解消されたと徳雲さんは話していた)
徳雲さんは、ディーゼル車に変えてからは、燃料を天ぷら油の廃油をフィルターでろ過したものにしたほどに、省エネとエコロジーに拘った生き方を実践しているお坊さん。反原発の意思は固い。
寺から遠くない地区にある墓地での檀家さんの納骨に立ち会う徳雲さん。
70歳で病死し、震災関連死として認定された男性の家族のみによる納骨式。
原発事故から5年近くが経過しても、帰還困難区域のお墓参りは防護服を着用しないといけないほど、原発の周辺は政府のいう「復興」の二文字とは無縁なことがわかるだろう。
震災前は家族が同居していたが、震災後に母、息子、娘の生活はバラバラになったことも原発事故による目に見えない深刻な問題となっている。
ちなみに、徳雲さんが住職を務める南相馬市小高区は、震災後は警戒区域となり、現在は「避難指示解除準備区域」となり、日中の立入は自由だが、いまだに泊まることは許可されていない地域だ。とはいえ、地震の被害は残り、放射線量は低くなり、日常の一こまが戻ってきたかのような風景は、双葉町の仲禅寺とは対極にある。
ただ、住民の心は、「帰りたい 帰りたくない どうする」の間を行ったりきたりして、決断できない心情のようだ。
◯浪江町(10月23、24日、31日撮影)
3ヶ月ぶりの希望の牧場。牧場と吉沢正巳さんにとっての大きな変化は、何といっても県外の自治体が無償で汚染牧草を提供するようになった事実だろう。(牧場のある一帯は帰還困難区域ではないが、実質的には準帰還困難区域といえるだろう)
10月末から11月半ばにかけ、牧場から90キロ離れた宮城県白石市が、市の予算1400万円で農家が処理に困っている汚染牧草(国の基準値の1キログラム当たり100ベクレルを超え飼料として使えない)を「希望の牧場」に無償提供した。大型トラックで業者が牧場に運び込んだロールは約1100個。
白石市から運び込まれた牧草ロールを矢継ぎ早に荷下ろしする吉沢さん。
白石市幹部「われわれは困っている畜産農家の代弁者。互いの課題も一気に解決できる」(河北新報10月30日)
国、環境省、農水省にとっては都合の悪い動き。河北新報やNHK東北が取材しきっちりと報道した。朝日新聞も記事にした。意気軒昂な吉沢さん。
「これが330頭の牛を生かしてきた俺たち流の復興スタイルだ。
第二第三の白石市が出てくるかもしれない。他の自治体がいまじっと様子見をしている」
白石市のこの動きに対し、11月15日の町長選挙で再選された馬場有浪江町長は、20日、「町民の帰還意欲の低下を招き、町や福島県全体への風評など深刻な影響が懸念される」(河北新報21日)などの理由で、白石市に抗議に乗り込んだ。この正式な抗議に対応した佐々木徹副市長のコメントに、国や県から放置されてきた汚染牧草の処理に困り果てた自治体の、抗議の思いが感じられる。結果的に希望の牧場の闘いに協力する英断だ。
「われわれの行動は違法ではない。人道的、動物愛護の観点から決断した」(河北新報21日)
いわき市から毎朝トラック一台分の野菜くずが届けられる。牛たちは大喜びだ。
原発事故前も事故後も牛たちの仕事はひたすら食べることだ。300頭をこえる牛のエサの量は半端ではない。相馬市の工場で仕入れるモヤシかすにも助けられきた。
常に枯渇気味の牛の牧草を入手するために、希望の牧場の裏方さんたちの実行力には頭が下がる。針谷さんや木野村さんは遠方に出かけ、農家や自治体をくどいてまわってきた。宮城県や栃木県の農家から汚染牧草を無償に提供してもらってきた。自らの肉体を酷使して、トラックを走らせ、牧場に運んできた実績はすごい。以下は宮城県北部の栗原市で、畜産農家から汚染牧草ロールをもらい受け、トラックに積み込んでいる光景だ。
「俺たちのように実力闘争で切り開いてゆく。沖縄のみなさんがあれだけ踏ん張っているんだ。もっと見習わないといけない」(吉沢正巳)
◯富岡町・楢葉町(10月、11月)
楢葉町のフレコンバッグの仮置き場。雑草がバッグを突き破って伸びている。
放射性廃棄物の減容化のため、原発周辺の各自治体に一ヶ所づつ建設されている仮設焼却炉。すでに20数ヶ所で建設され稼働中。総額は2000億円を軽くこす。写真は富岡駅の海側の広大な敷地を使った仮設焼却炉。三菱重工系のJVが600億円以上で受注。2~3年焼却し、解体撤去の予定。
・注:なお、各仮設焼却場で焼却された可燃性の放射性廃棄物は、濃縮した焼却灰となり、「10万Bq/kg以下の放射能濃度の焼却灰等は、富岡町の民間管理型処分場(フクシマエコテッククリーンセンター)において最終処分」し、10万ベクレルを超えるものは中間貯蔵施設で保管することになっている。(環境省の資料による)
地権者の理解を得られず、中間貯蔵施設の建設の目処がまったく立たない中、3000万袋といわれるフレコンバッグの行き場はあるのだろうか。
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・追記(極めて重要):11月25日の河北新報によると、福島県は富岡町と楢葉町の2町に対し、それぞれ100億円を交付するという内堀県知事の決定を伝えた。これは中間貯蔵施設建設の目処が立たないことを見越した、代替施設を受け入れてもらうことを意味するのではないだろうか。(以下は河北新報の記事と地図)
(福島県富岡町に計画されている東京電力福島第1原発事故に伴う指定廃棄物などの最終処分場をめぐり、内堀雅雄知事は24日の定例記者会見で、富岡町と廃棄物の搬入路がある楢葉町に対し、県が計100億円の交付金を拠出すると発表した。両町との協議を経て施設受け入れを正式決定する。
計画では富岡町にある既存の産廃処分場「フクシマエコテッククリーンセンター」を国有化し、県内で出た放射性セシウム濃度が1キログラム当たり10万ベクレル以下の指定廃棄物などを最終処分する。楢葉町には搬入路を新たに整備し、関連施設の汚染焼却灰のセメント固形化施設を設置する。)
◯鎌倉市での写真展案内(12月12日と13日)
・会場:鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉)地下ギャラリー
・12日:午前11時~午後19時。対談:午後15時~。吉沢正巳希望の牧場代表と対談、スライド上映あり。
・13日:午前10時~午後17時。
・入場無料 写真点数約90点。希望の牧場の吉沢正巳さんの活動密着を中心に、原発難民となった旧警戒区域出身者の抗う人生模様を紹介したい。
◯参考ブログ記事:
・福島県浪江町津島~原発から20キロ以遠の帰還困難区域と開拓入植者~Part1(2015年4月 5日)
・福島県浪江町津島~原発から20キロ以遠の帰還困難区域と開拓入植者~Part2(2015年4月23日)
・どこを計っても高い大熊町内(警戒区域)の放射線量(2011年12月29日)
◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。
・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729
・銀行振込
城南信用金庫
店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
不躾ながら、リンクを貼って、一部引用させて頂きました。
不都合があれば削除いたします。
投稿: | 2016年4月25日 (月) 09:50
一部の引用は構いませんが、出典は明記してリンクを貼ってください。
「引用元:山本宗補の雑記帳」から、などのように
投稿: 山本 | 2016年5月11日 (水) 16:55