大盛況だった福島菊次郎さんの講演会写真展(2008年9月と2010年8月、雑記帳から転載)
(菊次郎さんの死を追悼し、ブログ開始前の雑記帳での記事を転載します。内容は、2008年と2010年に府中市で菊次郎さんの講演会と写真展を開催した時の報告です)
・2008年9月18日 大盛況だった福島菊次郎さんの講演会と写真展
敬老の日に87歳になる福島菊次郎さんを「酷使」する講演会と写真展は大成功だった。
私の予想をはるかにこえる大入りで、府中の講演会は400人あまりの参加者があり、広くて天井の高い写真展会場は講演会直後は身動きできない空間となり、まるで近代美術館のゴッホ展のような大混雑ぶりだった。ピークの時間帯は福島さんの写真と写真説明をしっかりと観ていただくことができなかった入場者が多数いたことを想像すると、混雑もプラスばかりとはいえない。主催者の積極的なPR攻勢が実を結び、朝日と毎日に大きく講演会が福島さんの代表作とともに紹介され、ネット上での講演会告知も徹底していた。
展示したのは「写真で見る戦争責任」パネル20数枚、「ある被爆者の記録」10枚、兵器産業など10枚だ。午前10時の開場から夜7時までの一日写真展だったが、入場者は600名を楽にこえてしまった。
この講演会写真展のために製作されたミニ写真集。
今回のために印刷したA4版16ページのモノクロミニ写真集は、200~300部販売できれば上出来と予想していたが、印刷の良さと500円という格安さに、講演参加者数を上回る部数が販売された。何よりも写真の力強さであり、時代を反映する優れたドキュメンタリー写真だからで、全てが絶版となっている福島さんの写真集の中身の濃密さを彷彿とさせるからなのだろう。主催者の判断で印刷を重視したものにした甲斐があった。
同様の印刷で72ページ、定価2000円の本格的写真集を制作し販売することも十分採算が取れると思えるほど良い仕上がりだ。
敬老の日の翌日は、疲労困憊しているはずの福島さんを連れだし、お茶の水にあるJVJAの事務所で私も含めて12名の現役フォトジャーナリスト、ビデオジャーナリスト、映画監督、新聞記者、テレビ番組制作会社経営者などと福島さんとの交流会をもった。
「がらんどう」さん一家のみなさんと。
交流会の前に、神田の古本やアンティーク雑貨店「がらんどう」さんに立ち寄る。オーナーが福島さんの大ファンで、昨年は瀬戸内離島物語の写真パネルを展示したお店だ。福島さんの希望で急遽、友人知人に声をかけた内輪の会だった。私のリード役の不手際で、福島節は出たものの、出席者の遠慮からか活発な質疑応答までにいたらずにお開きの時間となった。体重が35キロに落ちた福島さんの疲労度からしてもそれ以上続けるのは健康的にまずいと判断した。福島さんがあと2~3年若かったら、二次会で議論が盛り上がったはずなのだが。
JVJA事務所での交流会。
「天皇を(そのまま)残したのが諸悪の根源だった」という一言が、福島さんの交流会での総括だった。福島さんが昭和天皇に対する怒り、天皇の戦争責任を追求する私的怨念を抱くきっかけの最たるものが、60年代の天皇の記者会見での回答を聞いた時だったと話された(注:正確には1975年の天皇記者会見)。中国新聞記者の「広島の原爆に対してどう思うか」という質問に対し、「戦争だから仕方がなかった」と答え、英国の通信社記者の「戦争責任についての考えは」との質問に対し、「そのような言葉の文に対する文学方面の研究はしていないのでわからない」と返答した会見をテレビに釘づけになって見ていたそうだ。翌日の新聞は会見の内容を伝えはしたが、全く論評しない扱いに、天皇に対する恨みがこみ上げてきたと話された。
電車を乗り継ぎ、府中のホテルまで送り、駅前のラーメン点で二人で遅い夕食を食べた。さすがに福島さんも空腹だったとみえ、おいしそうにラーメンを食べていた。
翌日、福島さんは親友で、上関原発反対運動の写真集「中電さん、さようなら -山口県祝島原発とたたかう島人の記録」(創史社)を出した那須圭子さんとともに柳井に帰っていった。この本には福島さんが撮影した戦後まもない祝島漁民の生活と、原発反対運動の写真も収録されている合作本でもある。
福島菊次郎さん、たいへんお疲れさまでした。「写らなかった戦後」シリーズ第三弾の執筆が早く校了し、書店に並ぶことを願っています。
・2010年8月24日 『遺言 Part3』 福島菊次郎最終講演会in府中
府中での福島菊次郎最終講演会&写真展は盛況のうちに幕を閉じた。私にとっての今夏のメインイベントは終わった。主催者は私を含め、2年前の講演会と同じ顔ぶれの実行委員会。5ヶ月前に執筆中の「写らなかった戦後3 殺すな、殺されるな」の出版が講演会に間に合うことを確認し、会場を仮押さえしたことで準備正式開始となった。
著書にサインを求める人人。
同じホールでの講演会は前回を下回るがまずまずの入り。客層は予想した中高年よりも若い世代、とりわけ女性層が多かった印象。
鎌仲ひとみ映画監督と。
(中略)
写真展は今回3日間開催した。前回は講演日だけでギュウギュウ詰めとなり、じっくりと写真を観てもらうことができなかった反省を踏まえた。会場の広さと至便さで、胃ガン手術後の福島さんが命を削ってまで制作に没頭した写真パネルを70数枚展示できた。写真点数にして350点をこえる。前回の倍近いパネル数となった。最長1時間程度で見終えるには丁度いい分量だったかもしれない。
「写らなかった戦後」シリーズを刊行する現代人文社の成澤社長と。
・以下はブログ以前の雑記帳の菊次郎さんに関しての記事。
・2003年8月6日 報道写真家、福島菊次郎著「ヒロシマの嘘」のススメ
・2005年7月6日 福島菊次郎さんの緊急講演会が決まる
・2005年7月20日 「戦後60年 戦争が始まる」福島菊次郎講演会が大盛況だった
・2007年6月25日 福島菊次郎講演会の終了、山本宗補写真展の開始
・2008年9月18日 大盛況だった福島菊次郎さんの講演会と写真展
・2010年3月25日 松江、柳井、光、祝島、大久野島
・2010年8月24日 『遺言 Part3』 福島菊次郎最終講演会in府中
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