新刊(反核)、コラボ(反戦)、沖縄(反米軍基地・反原発)をまとめて紹介
(写真はクリックすると拡大します)
◯新刊共著「父・水上勉をあるく」
作家で「無言館・信濃デッサン館」館長の窪島さんとの共著が発売された。
「父・水上勉をあるく」(彩流社)は、窪島さんが30歳を過ぎ、自らの出生の秘密を捜し求めた結果、本当の父親は著名作家の水上勉であることを探し当てたことが、読者の共通認識であることから始まるといって良いだろう。実際のところ、窪島さんと水上さんは親子だと知らない人は、文学好きでも多いようだから。
この写真集は、父の水上さんが文学で表現した故郷や全国各地を、窪島さんがめぐり歩き、父親についての複雑な思いを記したもので、海や田畑などの風景写真も入っている。本の装丁は渡辺将史さん、編集は出口綾子さん。私が彩流社から出版した二冊の本「鎮魂と抗い~3・11後の人びと」、「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」と同じ顔ぶれなので、この写真集で三冊連続となる。
窪島さんの撮影を始めたのは2007年ころから。2010年8月10日の雑記帳にはこう記している。
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作家の窪島誠一郎さんに同行し、先週の23日と24日の二日間、京都を回ってきた。その時の写真を少し紹介したい。
窪島さんといえば、作家としての顔よりも、おそらく、長野県上田市郊外の信濃デッサン館と無言館の館主として、より広く知られているのではないだろうか。近年では、戦没画学生らの絵画や彫刻などを常設展示する無言館の知名度は全国的なものとなっている。とりわけ、夏の間は、全国各地から自動車でかけつける訪問者がとても多いのだ。また、都内では、京王線明大前の駅近くに、キッド・アイラック・アート・ホールという5階建ての小劇場とギャラリー、カフェを運営してもいる。
通称「キッド」は、JVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)が、毎年の秋に写真展やビデオ上映、トークショーを開催させてもらっている会場で、JVJAにとっては我々の活動をサポートしてくれるパトロンのような存在でもある。
窪島さんは68歳。実父は故水上勉さん。戦争中に結核を患っていたために、幼い窪島さんを、知人に託して養子に出してしまう。窪島さんが自らの出生の秘密を捜し求めて、親子が再会したのは1977年。窪島さんの父親探しは、『父への手紙』として刊行されている。二人は邂逅し、窪島さんは水上さんを信州で看取っている。水上さんが亡くなってから出した本が『雁と雁の子 - 父・水上勉との日々』(2005年)。
京都といえば、若狭湾の寒村で生まれ育った水上さんが、9歳で相国寺の瑞春院に入り、得度して青春時代を過ごした街。かくいう私は、窪島さんにお会いする前に、水上さんの「般若心経」を読むとか、「濁世の仏教中村元対談」とか、「一休を歩く」とか「良寛を歩く」などの仏教関係の本を好んで読んでいた。窪島さんも、仕事柄、京都と古くからのつながりがあり、今では、立命館大国際平和ミュージアムには無言館別館がどんとある。立命館大での講演の機会も多いという。窪島さんとは、2002年から始まった「キッド」とのご縁で、また、私自身が信州の出身ということもあり、このような同行する機会につながったのだと思っている。縁というものは不思議だ。
(つづきはクリックしてください。2007年、2008年の窪島さん撮影に関する雑記もごらんになれます)
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実はこの写真集には隠されたメッセージがある。それは、生まれ故郷が原発銀座となってしまったことを嘆き、チェルノブイリ原発事故後に、日本でも同じような人災が起きることを憂いた水上さんの原発に反対する思いと、窪島さんの核や原発に反対する共通の思いを、二人の連名で石碑として建立することを広く知ってもらうことだ。
その石碑に刻まれる予定の文言は決まっている。建立場所は本書を手にしてみてください。
「核」を絵筆で塗りつぶせ ペンで書きあらためよ
◯「われ問う」:沢知恵さんとのコラボがYoutubeに
とにかく一度聴いてもらえばわかる。沢さんのピアノ弾き語り。現代の治安維持法となる「秘密保護法」が国会を通過してしまうことに危機感を抱いた沢さんが作った歌に、私の写真集「戦後はまだ・・・」に収録した70人の戦争体験者の肖像写真から30人を組み合わせた5分30秒の動画。映像編集は菅井康博さん。
沢 知恵 アルバム〈われ問う〉(コスモスレコーズ、2015年)
うたとピアノ 沢 知恵
公式サイト
http://www.comoesta.co.jp/index.html
われ問う
沢 知恵:詞/曲
大好きなおじいちゃん どうしてこの国は戦争したの?
おじいちゃんほどの人が どうして戦争を止められなかったの?
大好きなおじいちゃん ほんとうのこと教えてよ
どうすれば同じあやまちを くり返さなくてすむの
ここまでなら大丈夫と だまって見ているうちに
気づいたら 何ひとつ自由に ものを言えなくなっていた
大好きなお父さん どうしてあの人たちを見捨てたの?
お父さんほどの人が どうして見て見ぬふりをしたの?
大好きなお父さん ほんとうのこと教えてよ
もしかしたら私いま だれかのことを 見て見ぬふりしているの
私なりにかかわり せいいっぱいやったつもりでも
時代の重さとはやさに 押しつぶされて流された
愛する子どもたち 私はあなたを守りたい
はじける笑顔 いついつまでも消えないでほしいから
愛する子どもたち おろかなおとなに語っておくれ
正義と愛とまことと 夢と希望と未来を
いまどうしてだまっているの?
いま何を迷っているの?
だれと生きていきたいの?
沢さんと知り合ったのは、ビルマ市民フォーラム(PFB)が2008年のスーパーサイクロン「ナルギス」被災者を支援するためのチャリティー・コンサートを開催した際だ。PFBの運営委員をしていた私が、アウンサンスーチーさんの写真を、沢さんといとうせいこうさんの即興演奏と詩の朗読による、「ミャンマー軍事政権に抗議するポエトリー・リーディング」CD用のジャケットに提供した。
沢さんといとうせいこうさんの即興コラボ。2008年
「ミャンマー軍事政権に抗議するポエトリー・リーディング QUIET」CDジャケット。写真のアウンサンスーチーさんは1995年に撮影したもの。6年間の自宅軟禁解除直後だった。20年も前だから、スーチーさんも若かった。
◯吉沢正巳さんの反原発沖縄行脚に同行(6月22日~25日)
福島県浪江町の「希望の牧場」代表である吉沢正巳さんの沖縄行脚に同行し、吉沢さんの辺野古新基地反対闘争への連帯と、彫刻家・金城実さんとの「反米軍基地・反原発」コラボの現場を共有してきた。琉球新報には、二回に分けてルポ記事(7月15日と16日)を書かせていただいた。「自然と人間」誌8月号にも長文の寄稿をしたが、せっかくなので写真で少し紹介しておきたい。
街宣車とベコトラで沖縄上陸後、さっそく米軍キャンプ・シュワブゲート前に駆けつけ、「原発も米軍基地もいらない」と連帯のスピーチ。
希少サンゴが群生し、ジュゴンのエサ場ともなっている大浦湾埋立のためのボーリング調査が始まっている。
米海兵隊キャンプ・シュワブゲート前で、基地建設反対の抗議行動を行う座り込み参加者。
昨年8月から那覇市から座り込みに駆けつけている70代の女性の言葉を紹介したい。
「参加者が増えるきっかけは翁長知事が誕生してからと思いますよ」。
「沖縄ではアベノミークスといっているんですよ。ミークスって意味わかりますか。安倍の目くそなんかに負けられるか、という意味ですよ」。
ゲート前の座り込み行動は今日までに380日を超えた。
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「慰霊の日」の、安倍首相訪沖に抗議する人々。(県主催の追悼式典が開催される平和祈念公園入り口)
読谷村にある金城実さんのアトリエを訪ね、庭に雑然と置かれている彫刻作品に圧倒された吉沢さん。
金城さんは、「慰霊の日」に「魂魄の塔」の脇で開催された反戦集会に、安倍首相に対する抗議行動として、二体の塑像と、辺野古反対闘争の道半ばで亡くなった同志10数名の頭像を持ち込み展示した。
高さ2mをこえる二体の塑像作品は、辺野古の神を意味する「漁夫マカリー」と、怒りで太鼓を叩き死者を呼び覚ます妊娠中の女性を具象化し鬼の面をつけた「鬼神」。金城さんの真骨頂が鬼気迫る気迫となっている。
二体の塑像と、「望郷の牛」を背景に、この時しか撮れない金城実さんと吉沢さんとのツーショット。
「絶望は、抵抗することでしか希望が見えてこないと魯迅は言ったが、あんたがそうだ」と金城さんは、吉沢さんの抵抗を高く評価した。
「(原発事故で)避難しながら、沖縄のみなさんの長い苦しみについて理解できるようになりました。だからぼくは沖縄に宣伝カーできた。つながりましょう、福島の苦しみ。沖縄の苦しみ。根っこはつながっています。深い僕たちの連帯と国民の実力で、どうしようもない安倍政権の政治をぶち壊し乗り越えていくしかないでしょう。みんなの人生テーマとして死ぬまで闘おう」(吉沢さんの反戦集会でのスピーチから)
◯雑記帳後記
京都での長期写真展、佐々井秀嶺師一時帰国、戦争法案反対集会デモなどで、5月からは今までにないくらいあわただしかった。ブログの更新ができなかったのはそのためだ。そこで、新刊紹介と、タイムリーな沢知恵さんとのコラボの紹介を兼ね、吉沢さんの沖縄行脚もまとめてみた。一見、毛色の違った印象があるかもしれないが、実はそんなこともないとわかっていただけると思う。
◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補 プロジェクト支援
ジャーナリストの活動を支えてください←←支援方法など詳細があります。よろしくお願いします。
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コメント
こんにちは。昨日は、電車の中で失礼にも思わず声をかけてしまった大森です。山本さんの事は沢さんのブログやTwitterで存じ上げておりましたが、もっとお年を召した方だと思っておりました。先日ネットで検索しましたら、なんと私よりもお若い方だったので驚いておりました。その本人にお会いできるなんてもうびっくりです。私は日本基督教団の教会に所属するキリスト者です。キリスト者にとって礼拝や祈祷会での祈りは大切なものです。ですが、私はまだまだ信仰薄いせいか祈りに合わせて行動せずにはいられないのです。70年前の戦時下にあってキリスト教会は時の政府に加担協力したという深い罪を負いました。もう二度と過ちを犯してはならないのです。今の様な右傾化した歴史修正主義者の為政者が、集団的自衛権などと言う悍ましい事のために、憲法を閣議決定で解釈改憲できるなんていう事を認める訳にはいきません。今こそ9条の重みをかみしめる時だと思っています。この夏は長く熱くて暑い夏になりそうです。また、いつか何処かでお会い出来るのを楽しみにしております。どうかお身体をご自愛下さいませ。ご活躍をお祈りしております。大森
投稿: 大森 | 2015年7月25日 (土) 11:46
大森さま
こちらこそ声をかけていただきありがとうございました。
まさか、沢さんでつながるとは思いませんでした。
これからもよろしくお願いします。
国会前などでまたお会いしましょう。
投稿: 山本 | 2015年7月27日 (月) 09:17
反核、反戦、反原発、反米軍基地・・この主張に賛成する人々は決して少なくないと思います。それなのに、その主張通りに社会が進まないのは、その主張が政治に反映されていないから。
民主主義のもとで普通選挙が実施されているのですが、その選挙結果に反映されていない。デモをして声を上げても、その声を政権政党が、政治家が具体的な施策に反映しないと・・。
主張を政治に反映するには、自分たちの主張を政治の場で活かせる人や政党を選挙で通すこと。その目的のもとに人々が結集すれば、主張が実現します。
政権与党を支持する人々、私達とは異なる主張を持つ人達はそれがよくわかっており、そのための人や資金を準備し、自らの主張を反映する人を国会に送り込んでいます。
声をあげることや声を広げるための活動の重要性は疑問の余地がありませんが、主張を実現させるためには、それを政治に繋げることが不可欠です。現在の反核、反戦、反原発、反米軍基地を主張する側の人々には、この点の認識と行動が、異なる主張の人々に比べて弱い。その結果、現状があります。そこを変えたいですね。
投稿: | 2015年8月20日 (木) 16:53