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2015年1月の投稿

2015年1月26日 (月)

辺野古新基地反対国会ヒューマン・チェーンと増殖する「I am not Abe !」の意思表示

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 後藤健二さんと湯川遥菜さん人質事件で憂鬱になるニュースが報道される中、1月25日(日)の国会は、沖縄の圧倒的民意を無視し、辺野古に新基地建設を強行しようとしている安倍政権(自民プラス公明党)に「NO!」の意思表示をする7000人の参加者で包囲された。

 沖縄の空の「青」で包囲され、「I am not Abe !」を手にする参加者が一気に増えた。安倍首相の中東歴訪がきっかけとなった、IS(イスラム国)による身代金要求事件の緊急事態に対し、安倍首相の政策には反対する意思表示としてのスローガン、「I am not Abe !」が拡散し始めたことにも注目してほしい。

(ちなみに、私も会員の一人として活動するフリーランスの仲間でつくるJVJA・日本ビジュアル・ジャーナリスト協会は、1月20日と25日に、ISと日本政府に向けた、人質の解放を求める日本語、アラビア語、英語の声明を公開しました。20日の声明はイラクのアラビア語放送でも放映されました)

 写真とコール内容だけのフォトルポです。

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_aaa1095jpg問題になっている海上保安庁によるカメラを持つ女性に対する暴行写真も展示された。下の写真が琉球新報1月21日に掲載された写真。(ネットで拡散されている)。記事はクリックしてください。
Photo

辺野古に基地をつくるな!
埋め立てをするな!
辺野古の海をつぶすな!
海上保安庁は暴力をやめろ!
沖縄の民意にしたがえ!

_8ds9816jpg沖縄選出の議員のみなさんも勢ぞろい。話しているのは照屋寛徳さん。

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高江にオスプレイの着陸帯をつくるな!
住民を排除しての工事強行を許さないぞ!
オスプレイの配備を撤回しろ!
普天間基地を即時閉鎖しろ!


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日本政府は沖縄をいじめるな!
日本政府は沖縄の声を聴け!

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_aaa1307jpg「原発いらない福島の女たちの会」の3人も福島から駆けつけた。

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基地をつくるな!辺野古にくるな!
埋め立てやめろ!ボーリング調査やめろ!
海をまもろう!ジュゴンをまもろう!
機動隊は暴力やめろ!海上保安庁は暴力やめろ!
オスプレイ帰れ!アメリカに帰れ!

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安倍政権はいじめをやめろ!
安倍政権は声を聴け!
沖縄の人々の声を聴け!

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・おススメ動画:UPLAN 国会包囲ヒューマンチェーン「沖縄の民意を無視するな!辺野古に基地はつくらせない!」
アワプラTV:」「辺野古に基地つくるな」青い人波で国会包囲

◯取材後記
 安倍自民公明連立政権が、民意無視で推し進める政策に反対の意思表示したい市民は、これからは基地問題だろうと、原発再稼動問題だろうと、集団的自衛権行使の問題だろうと、機会あるたびに、「I am not Abe !」を堂々と掲げるだろう。


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2015年1月18日 (日)

安倍政権にレッドカードを!さまざまな「赤」で7000人が国会大包囲!

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 安倍第二次政権が誕生していらい、秘密法、集団的自衛権行使容認、武器輸出解禁と矢継ぎ早で、改憲をしたも同然のところまでつきすすんでいる。読者に安倍自民公明連立政権の愚かさをこれ以上指摘する必要もないだろう。

 女たちは、集団的自衛権の行使を認めません!
 女たちは、人を殺しあうのは嫌です!
 よその国の戦いに加わりません!
 だれ1人戦争に行かせません!
 憎しみと戦いを拡大させません!
 差別をなくし自由を守りそだてます!
 この国の主権者は私たちです!
 安倍政権にレッドカードを突きつけます!
 

 1月17日、安倍自民公明連立政権に「女たちからのレッドカードを!」との呼びかけで、さまざまな「赤」で7000人が国会を二重三重に大包囲した。
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 Twitter、facebookでガンガンと掲載し、拡散したものの、どうしても拾い出しておきたいスピーチ(一部はインタビュー)を中心に、ブログにまとめておきたい。やはり戦争体験世代の声と、原発事故被災地からの声をしっかりと書き留めておきたい

_8ds9405jpgsumi実行委員代表の横湯園子さん。

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渡辺一枝さん(作家)
 「1月で古希を迎えたのに、一度も使ったことがないことばがあります。「おとうさん」という言葉です。1945年1月に私が生まれ、生後6ヶ月の時、父は根こそぎ召集により兵隊に取られ、どこでどう死んだのかもわかりません。「おとうさん」ということばを使ったことがありません。「おとうさん」という言葉が私の体の中で欠けたままです。戦後70年といいますが、私の中で戦争はまだ終わっていません。これからの子どもたちには、同じ思いは絶対に味合わせたくないのです。今日は、「女は戦争を望まない」というプラカードを作ってきました
_aaa0118jpgsumi渡辺一枝さんは右から3人目。生まれは満州のハルピンだという。右端は上原公子元国立市長。隣は上原さんの娘さんとのこと。

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湯川れい子さん(音楽評論家、作詞家)
 「戦争を知る生き残りの一人として参加しようと来ました。18歳上の兄はジャズが好きでしたが、赤紙一枚で戦争に行き、フィリピンで戦死しました。母は軍人の妻で、作戦本部にいた夫が薬もなく亡くなった翌年に長男が死にました。次兄は特攻に行ったまま行方不明でした。母は涙一つ見せずに育ててくれました。私は死んだ兄が好きだった音楽で54年間、幸せに生きてきました。9条に象徴されるように、戦争はしないといって、日本がこの平和を守り抜いてきたからです

 今、本当に危険な臭いがします。ツイッターやフェイスブックで、「じゃあ湯川さん、目の前で女房や子どもが殺されたらどうするんだ。男は闘わなければいけないだろう」と言ってきます。私はそう思いません。そうなる前に、友達をつくりましょう、そうなる前に外交をしましょう。戦争は一瞬にして、始まったら取り返しがつかないことを見てきました。子供心に傷痍軍人の姿をたくさん見てきました。国はぜったいに何の責任も取らないことを見てきました

 人が人を殺してはいけない。このままいけば男性原理で、オーバーに聞こえるかもしれないけど、イスラム国のようになってしまうかもしれません。女の子の体に爆弾くっつけて殺されています。そのくらい、お前の子どもを出せ、お前の自由を出せ、お前の平和をということになってしまうのです。そんなことになってしまったら終わりなんです。どんな小さなことにでも、日本が戦争に巻き込まれることに、心から反対して死んでいきたいと思っています
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吉田由美子さん(東京大空襲訴訟元原告)
 「東京大空襲で家族全員が亡くなり、3歳で孤児となりました。全国では12万人が孤児となり、国から見離されゴミのように扱われ、飢えと寒さで死んでいきました。空襲で家族を失い、ケガをした人たち、私のように孤児になった人たち、国からは何の援助もなくここまできました。

 東京大空襲は一晩で10万人が焼け死にました。しかし東京には独立した納骨堂も慰霊碑も資料館もありません。私たちはなぜ放置されたままなのでしょう。軍人や軍属の方たちは大切に祀られ、さらに補償が続いている状態です。命の差別に憤り裁判所に訴えましたが、負けてしまいました。民間の空襲被害者にはまだ戦後は来ていません

 戦争は人災です。人災は止めることができると思います。国の宝である子どもたちを再び戦場に送ることがないように、がんばって行きたいと思います
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高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)
 「沖縄は70年間、基地を抱え、爆音に苦しみ、土地は汚染され、オスプレイの配備に反対する県民の声を無視して配備されました。米軍基地からは朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争とあらゆる戦争に米軍は沖縄から出て行って、実は日本もつながっているのです。思いやり予算で保障している形で、日本も米軍が関わる全ての戦争を支援していることになるのです

 このままでいいのでしょうか。これまで続いているこの状況に、NOをしっかりださなければなりません。辺野古でも今日の集まりに期待をしています。何が辺野古で起こっているのか、みなさんの関心と目が向きますように、そして確実に基地建設が止められることを願います」(注:残念ながら写真はありません)

・人間の鎖で国会を取り囲み、何度も元気なコールが叫ばれた。 
 集団的自衛権反対!
 戦争する国絶対反対!
 特定秘密保護法反対!
 日米ガイドライン改定反対!
 憲法破壊絶対反対!
 戦争法制絶対反対!
 戦争反対 命をまもろう!
 改憲やめろ 平和が一番!
 女性の人権 平和で実現!
 レッドカード レッドカード! 安倍政権

_8ds9503jpgsumi左から澤地久枝さん、落合恵子さん、渡辺一枝さん。

澤地久枝さん(作家)
 「こんなに政治がひどくなってきたのは生まれて初めての経験です。いま憲法を勝手に変えられる寸前のところにいます。越すことも殺されることもあってはならないのです。戦争が起きたとき、最後の最後まで抵抗しなければならなくなり、最後に犠牲を背負わされたのは、私たちの母や祖母の世代です。女たちの歴史が繰り返されないために、女たちが中心になってここに集まった意義は大きいのです。このようなギリギリのところで負けられません
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武藤類子さん(福島原発告訴団団長)
「まるで女たちの怒りの炎が、国会を取り囲んでいるようです。福島原発事故の被災地と戦場は同じです。ミサイルや機関銃はありませんが、ばらまかれた放射能によって、じわじわと命と健康が脅かされます。事故前にはなかった放射能があるところへ、大丈夫だから帰って住めといわれます。動物たちや山の木々も犠牲になります。心も暮らしも環境も人生も壊されていきます」

 「国をあげての安全プロパガンダが真実を見えなくさせます。本当のことをいう口が封じられます。逃げる者は裏切り者といわれ、残って抗うものは叩かれます。事故で職を失った被害者、ホームレスの人々、自分が何とかしなければという使命感を利用された若者たちが、被ばく労働に駆り出されていきます」

 「原発や兵器を作る企業が、放射能の除染やゴミ焼却場で再び利権を得、被害者が餌食となります。事故を起こした者たちの責任は問われません。原発事故の被災地は戦場と同じです。福島を観察すれば、この国のあり方がよく見えます。私たち市民は国家のコマではありません。私の命は私のものです。馬鹿にするなと声を上げましょう。殺すのは嫌だ、殺されるのは嫌だと声を上げましょう」

 「私たち女性は、戦争も差別も、基地も原発も要りません。飢えも暴力も、レイプも要りません。ほしいのは一人ひとりが大切にされ、あらゆる命が大切にされる世界です。何度でも赤く燃える炎となって、国会を取り囲みましょう。日本中にこの炎を広げていきましょう」

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◯取材後記
 国会前ではたくさんの女性がスピーチしたが、ここに抜きだしたの人たちと70年前の戦争とは、切っても切り離せない関係にある。渡辺さんは日本軍が占領し、かいらい国「満州国」に仕事のためか、移住した家庭に生まれた。「根こそぎ召集」とは、関東軍が兵力を南方戦線へ送り出して弱体化を補うため、敗戦直前の1945年になって18歳から40歳程度の男性を根こそぎ現地召集したことを意味する。

 湯川さんの次兄は特攻隊で帰らぬ人となったようだ。吉田さんは1945年3月10日の東京大空襲により孤児となった。高里さんは米軍が上陸した沖縄戦で、20万人以上の島民と日本軍が死亡した沖縄の出身だ。4人はいづれも戦争末期と個人史が切り離せない戦後を送ってきた。

 武藤さんは戦後生まれだが、広島と長崎に投下された人体実験としての原爆による被爆と、福島第一原発事故による低線量被ばくという目に見えない怖さとがつながっている。米軍が広島で設置したABCC(被爆者の健康調査はすれど治療は一切しなかった原爆傷害調査委員会)は、戦後30年経って改組され、放射線影響研究所となり、原発事故後の福島で活動している。 

 拙著写真集「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」に掲載した70人のうちの一人、益永スミコさんの娘さんの陽子さんが、ご本人がこうした抗議行動ができないので、ある意味、代役として小学校4年生のお孫さんを連れて参加していた。益永スミコさんは、戦争中に産婆として国の「産めよ増やせよ」政策に積極的に協力し、侵略戦争に加担したことを、戦後に深く意識し、贖罪の念から、護憲一徹の活動家として知る人ぞ知る存在だった。大震災後に体調を崩し、もう以前のようなお元気な姿を見ることができなくなっていた。

 陽子さんは手作りの大きなプラカードを手にしていた。そこには「憲法9条 (を)殺すな」と大書されていた。益永スミコさんが立っているようだった

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2015年1月16日 (金)

戦後70年、大本営の狂気を物語る戦争遺跡:松代地下壕大本営跡

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松代大本営とは?
 松代大本営地下壕跡は、70年前に敗戦となったアジア太平洋戦争を遂行する最高決定機関の大本営(大元帥である天皇を頂点とする最高統帥機関)の狂気を、静かに後世に物語る戦争遺跡で、その貴重さは他に類がない。
 なぜ、「狂気」と表現するかといえば、それは大本営が、日本本土をくまなく空襲する米軍相手に、勝敗は決したにも関わらず、自分たちの延命だけを図っていたことをわかりやすく示しているからだ。

 戦争末期に本土決戦を想定した大本営は、国民も国土も壊滅しようとも、天皇制だけは死守する「国体護持」を狙い、広島と長崎に原爆投下され、降伏するまでの時間稼ぎをした結果の巨大な地下壕群である

 場所は本州の真ん中。長野市松代の地質の安定した岩盤が強固な一帯。壕は碁盤の目のように張り巡らされ、総延長は10数キロ。掘削開始は1944年11月。敗戦の45年8月までの9ヶ月間に、突貫工事で全体の75%が完成したとされる。

 私的に解説を加えると、44年8月にマリアナ諸島(サイパン、テニアン、グアム島)が米軍に陥落した時点で、日本の絶対国防圏は失われ、対極的には勝負がついた。米軍はこれら3つの島をB29出撃拠点として整備し、日本本土の大空襲は、44年11月から本格的に開始された。松代大本営地下壕の建造が始まったのはこの時期だ。その後の敗戦までの流れを思い出してほしい。45年3月の東京大空襲を皮切りに、本州の主要都市は敗戦までにことごとく焦土と化す。米軍による本土上陸の時間稼ぎのために沖縄戦が戦われ、6月末に終結。そして広島と長崎に原爆が投下され、その段階でやっと大本営は連合軍に降伏したという流れだ。

 マリアナ諸島の陥落から敗戦までの1年間、大本営は松代に地下壕を掘らせて大本営を移動し、地上ではどんな事態が起きようとも徹底抗戦しようとした、戦争の狂気が地下壕跡となっているということだ。

 壕を管理保存する長野市や、保存運動を続ける市民団体などの解説によると、労働者の中心は6500人はいたとされる朝鮮人で、朝鮮半島から強制連行された者や全国から集められた者などが大半を占める。最盛期には、周辺の大人、勤労報国隊や学童などの日本人を含め、一日1万人が働いていたとされる。

 現在、一般に公開されているのは、イ号(象山)、ロ号(舞鶴山)、ハ号(皆神山)と三ヶ所で掘られたうちの、象山(イ号)地下壕。象山地下壕は総延長5.9キロあり、そのうちの500mが公開されている。写真の壕は、全て象山壕のものだ。広い区間は、幅4m、高さ2.7mもある。

 イ号は政府機関、NHKと中央電話局が移転予定で、ロ号が天皇御座所と大本営の移転先、ハ号は食糧倉庫の予定だったとのことだ。

 松代大本営地下壕は、70年前とまったく変わらずにそのまま残されている。物言わぬ侵略戦争の生き証人そのものだといえる。

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ボランティアで見学ガイドを務める「松代大本営の保存をすすめる会」の小林さん。象山壕に入る前に、松代大本営が掘られる戦争の経緯なども含め、概要を説明してくれる。

_aaa9965jpg象山壕の入口


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_8ds8908jpg削岩機の先端のロッドが岩にめり込んだままの場所で説明する小林さん。

見学できるのは500mの区間だけだが、岩盤の固さ、広いこと、横穴が縦横に掘られていることが十分に実感できる。

 いったい、どうやって、たった9ヶ月で5.9キロも掘ることができたのかと思うと、とても人間業とは思えないほど説得力を感じることだろう。戦争末期の食糧難のとき、国民の命も財産も、将兵の命もまったく顧みることのなかった大本営が、逃げ出すこともできない朝鮮人や、勤労動員を拒否できない日本人にどれほど苛酷な使役労働を強いていたのかは、想像にかたくないと感じるほかはなかった。

 松代大本営地下壕は、大本営の狂気が産み落とした負の戦争遺跡そのものだ。

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使役労働の主体となった朝鮮人労働者
_8ds8978jpg_2壕内には、朝鮮人労働者が残した文字や写真があり、非公開部分にある文字が、そのままの大きさで展示されている。崔小岩(チェ・ソアム)という朝鮮人労働者の顔写真を見せながら、朝鮮人労働者の置かれた労働環境について説明する小林さん。

 ちなみに、「大邱」(テグ)は崔さんの出身地に最も近い都市名。

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朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑は、象山壕入口の右脇に建つ。
_aaa9981jpg石碑の裏側には建立の理由が日本語とハングルで刻まれている。

「戦後五十年を期して、松代大本営の建設のために強制連行され、苛酷な労働を強いられて亡くなられた多くの朝鮮人犠牲者を追悼し、過去の戦争・侵略・加害を深く反省し、友好親善と恒久平和を祈念してこの碑を建立する  1995年8月10日 
松代大本営朝鮮人犠牲者慰霊碑建立実行委員会」

ちなみに、「碑銘 半田孝淳謹書」とある半田師は、現在は天台宗の最高地位である座主となっている。当時は上田市近郊にある別所温泉の天台宗寺院住職にあったと思われる。

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石碑の説明文は英語、日本語、ハングルで書かれている。下の写真は、日本語部分のみを抜き出し、読みやすく画像調整した。
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 地下壕掘削などの中心的役割を果たしたのは、当時植民地化の朝鮮(大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国)からの多くの強制連行者を含む約六千人の人々であった。

 その工事は、厳しい監督下での昼夜兼行の強制労働で食料も乏しく、発破や落盤の事故、栄養失調で死亡したり、逃亡した者も少なくない。さらに自殺したり待遇改善を要求して射殺された者もおり、犠牲者は三百人とも推定されているが千人という説もある」

_aaa9972jpgjpg20102010年8月10日に追加設置された解説板。

「この工事での死者数は少なくとも100人から200人前後ではなかったかと推定されるに至った」と、犠牲者数に若干の訂正がされている。
「住民にも強制的な立退き、土地収用、病気蔓延の被害があった事も明らかになった」とも補説されている。

_aaa0004jpgsumi恵明寺の墓地にある通名中野次郎さんの供養塔。中野さんの遺骨は2005年に韓国の「望郷の丘」に移葬されたことは、上の補説板に記されている。

たった一人の証言者、崔小岩(チェ・ソアム)さん
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 戦後も松代に住み続けた崔小岩(チェ・ソアム)さんのお墓は、清水寺(せいすいじ)の墓地にある。奥さんの「田辺」性の墓石が建っている。松代大本営地下壕に労働者の一人として従事した崔さんは、1991年3月17日に亡くなった。71歳だった。
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Photo「松代大本営の保存をすすめる会」が編集発行した、崔さんの聞き取りを丁寧にまとめた貴重な本。発行は1991年11月。
 
・本から崔さんの体験をかいつまんで紹介する。

 崔さんは、慶尚南道の小さな集落で生まれ、家は貧しい小作農だった。創氏改名による通名は催本を名乗った。昭和13年(1938年)ごろ、16歳のとき、日本で土木工事現場で働く兄を頼って日本に来た後、長崎県の炭鉱労働から始まって、大阪、名古屋、静岡、北海道、青森、松島、塩釜、仙台などの飯場や炭鉱労働をしてわたり歩いたのち、昭和19年(1944年)10月、飯場頭にすすめられるままにたどり着いたのが松代での地下壕掘りだった。崔さんの場合は、強制連行ではなかった。若干の賃金も受け取っていた。しかし、労働の実態は半ば強制労働と変わらない

 崔さんは、松代の現場が気に入らなければ、逃げ出して他に移っていけば良いと、楽観的に考えていたが、松代はそれまでと異なった。逃げ出そうにも逃げることができなかったという。最も切なかったこととして、食事のことをあげている。食事はこうりゃんが7割米3割で大豆が少し入ったご飯。おかずは塩だけという内容で、年取った労働者が栄養失調で50~60人くらい死んだと語っている

 朝鮮語の私語も禁じられ、崔さんは口から血を出すほどにこてんぱんに棒で叩かれ、地下壕掘削を請け負った西松組みの現場監督官らによって制裁を加えられ、二度目のリンチで痛めた腰が持病となっで戦後に苦しんだと話す。逃げて捕まった朝鮮人は、見せしめで拷問され、姿が見えなくなった者もいたという。宿舎は雪が吹き込み、布団はボロボロのワラ布団で、寒さがこたえ、自由を奪われた状態は、「豚箱に入れられたようなもの」「カゴに入った鳥」だったと回想している。

 崔さんは発破の仕事もかなりやったと話している。発破は岩に穴を開けてダイナマイトを仕込むため、事故がつきものだった。発破で朝鮮人労働者4人が粉々に吹き飛んだ現場も見たという。一人の首が飛んで岩に刺さっていたと述懐もする。

 朝鮮人と日本人の労働の差別もはっきりしていたという。日本人がサボってタバコを吸っていても、問題にならないが、朝鮮人の場合は、現場監督の手がすぐに飛んでくるか、後でしたたかに痛めつけられるのが普通だったという。

 崔さんは、西松組の監督や用心棒が利用する朝鮮人「慰安婦」を置く慰安所があったことも話している。

 敗戦となって、西松組の所長は責任を逃れるために逃げ出し、倉庫には米が腐るほど備蓄され、地下足袋も、手ぬぐいもタバコも積み上げられていたと話す。本来は労働者に配給されなければならないものが隠匿されていたということだ。

 戦後、強制連行されてきた朝鮮人の多くや、崔さんのような自主渡航者も多くが故郷へ帰還する中、崔さんは松代に留まった。日本人女性と結婚しtげ家庭を持ち、4人の子どもに恵まれた。発破や掘削作業で塵が充満して5~6m先が見えない労働環境特有の病気になっていた。戦後に信大病院で検査してもらったら、「塵肺」だと診断されている

 地元の高校生たちの質問に答えて証言を何度もした崔さんは、こう話していた。 
「戦争なんて、勝っても負けてもいいことなんか全然ないんだ。若い人はそういうことが二度と起こらないように勉強してもらって、やってもらわなければ辛いです」

 崔さんが地元の中学生に向かってこう話したことも記録されている。
 「私ひとつ、みなさんに言いたいのは、朝鮮人にしろ、日本人にしろ、アメリカ人にしろ、ただ顔かたち、言葉、それだけで、みんな変わらないですよ。ただ、もう少しね、そういうのを考えてくれればよかったと。これは、ずっと考えていたね」

長野市による説明板の「強制的に」書き換え問題
・信濃毎日新聞社説(2014年10月22日からの引用)
                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 説明板は、市が1990年に壕の一部の一般公開を始めた時に設置した。建設の実態について「延べ三百万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され」と書かれていた。
 その「強制的に」の部分がテープで隠されているのが今夏、発覚。市が、外部から「朝鮮人の労働は強制ではなかったのではないか」との指摘を受けて、テープを貼っていたことが分かった。深い議論のない安易な対応だった。
                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Photo_2説明文書き換え前の看板。(ネットから借用)

Photo_3説明文の「強制的に」を隠した看板(昨年11月に上田市の方が撮影)

 (ちなみに、この説明文書き換え問題を、慰安婦問題はなかったことにしたい産経新聞は、見直しに賛成する視点の記事を書いている)

◯取材後記
 松代大本営地下壕建設に関わる朝鮮人労働者の問題の本質はどこにあるのか。それは、「強制的に」連行されたという記述を改ざんしたとしても揺るがない、半強制的で奴隷状態に等しい苛酷な労働実態にある。長野市が管理保存する地下壕は、昼夜を問わない突貫工事を朝鮮人と日本人に強要した結果を如実に物語る。朝鮮半島からの自主渡航者であったか、強制連行による者であったかを問うこと自体が無意味だということだ。

 戦中に勤労動員され軍需工場などで働いたことのある戦中派の体験談で、誰一人として動員先での労働のを楽しいものだったとして記憶している日本人に会ったことがない。ましてや、日本の植民地下に置かれ、表向きは「日本国民」として扱われたとしても、「朝鮮人」と蔑視された朝鮮半島の働き手には、北海道や全国の炭鉱労働などのさらに厳しい強制労働の現場が待ち受けていた時代だ。


 「慰安婦」問題も同じだが、「強制的に」連行されたかどうかを問う前に、朝鮮半島は日本の侵略戦争の結果、植民地下に置かれていた史実を無視して戦争中の史実を語る、大いなる間違いに気づく必要があるのではないか。

 象山壕入口脇に建つ「朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」に刻まれた、建立の目的は、その点に曇りのない素晴らしい石碑だといえる。長野市による説明文の「改ざん」などがあっても、まったく動じないという意味で、ほっとする慰霊碑でもある。まだ現地を見ていない方、ぜひ一度お出かけください。

_8ds9081jpg今回の取材で同行した韓国の映像ジャーナリスト、安海龍(アン・ヘリョン)さん。ハングルの説明文が彼にはありがたかったようだ。

◯追記(1月19日)
 長野市の友人が市に情報公開請求し、市から友人に届いた公開資料を見せてもらった。
今回の説明文改ざん問題は、8月8日の信毎で報道されたことがきっかけだが、
①「強制的に」を問題視する苦情が2年前に寄せられていた。
②信毎の記事後、長野市に50件弱の意見がメール、電話、はがきなどで届いたこと。
③このうちの10件は、「強制的」の改ざんに明確に反対意見。また、「強制的に」を削除する意見の人は、「他の軍需工場・炭鉱と何ら変わらず、国の存亡の危機に国民全体でがんばったに過ぎない」との意見を送っている。

 私の視点から、強く同感する方の意見の一部を紹介しておきたい。
 「国民も朝鮮の人々も、否応なしに戦争に駆立てられたものであり、動員は日本国民および朝鮮の人々にとっても強制的なものであったのは、動かしがたい歴史的事実であったと判断できる。長野市が世界平和を声高に唱えるのであれば、目先のことに動ぜず、先の大戦の日本の過ちの責任を自らのものとして背負い、「松代大本営地下壕」を戦争遺産として後世に伝え平和を希求する自治体であってほしい」

 「強制的」の表現を削除させたい人たちの動きは、「はだしのゲン」の閲覧を禁止させる運動や、「慰安婦」問題をなかったことにしたい動きと連動していることも見逃してはいけない。


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2015年1月 8日 (木)

「経産省前テントひろば」仕事始め脱原発記者会見から

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 2015年最初の仕事初め?として取材した、経産省前テント広場での広瀬隆さんらの呼びかけによる脱原発記者会見要旨を写真と共に残しておきたいと思います。

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◯出席者は発言順に、渕上太郎、大口昭彦、河合弘之、亀屋幸子、広瀬隆、青木秀樹、人見やよいの各氏。
_8ds8600jpg渕上太郎さん(経産省から1100万円の請求というスラップ訴訟を起こされたテントひろば代表)

テントは今日で1212日目です。なぜここにテントが建っているのか。原発事故があったのに、東電も経産省も責任を取らない。私は何ができるかと考え、半年後にこのテントが建った。たまたまここが国有地だった」

「経産省が管理する国有地を明け渡せとの訴訟が起こされた。昨年12月3日の第9回口頭弁論で村上裁判長がボソボソと聞き取れない声で何かをしゃべった。証拠調べの却下、口頭弁論はこれにて終結といったらしい。私には聞こえなかった。まさにだまし討ちで暴挙だ。2月26日に判決が出るといううわさまで出てくる。証拠調べも証人の発言のないままにこの裁判が終わっていいわけがない。この裁判は土地明け渡し訴訟ではない。わが国の原発政策をめぐって争っている。原発事故の責任をめぐって争っている

世論の6~7割が支持している脱原発運動は、簡単にへこたれることはない。運動が上下する波はありますが、ここを退くことはありえない。昨年9月に始まった川内テントを含めて、断固として戦っていく」

_8ds8622jpg大口昭彦弁護士(脱原発テントといのちを守る裁判弁護団)

裁判長が抜き打ち的に弁論を終結し、年度内にこの問題を決着しようと暴挙に出た。13人の証人、テントの現場検証、経産省による映像での監視記録の提出という我々の当然の要求をすべて却下した。そこで三人の裁判官を忌避しようとしたが却下された。即時抗告をしたので、この裁判はいま止まっている。2月26日に判決を出そうとする気配が濃厚だ。アンフェアな攻撃を跳ね除け、このテントの正当性を満天下に明らかにしていきたい」

「このテントは被告とされている二人だけがやっているだけではない。脱・反原発に心を寄せる全国のみなさんの気持ちで運営されているという立場だ。この場所は小公園として開放されていたにも関わらず、経産省は不当占拠だとして1100万円、今では2000万円に達すると思うが、不当なスラップ訴訟で国民を黙らせようとしている。断固として戦ってきました」

経産省はこのテントに感謝しなければいけない。104人の子どもたちが甲状腺がんを発症している。放射能は収束した、原発再稼働、原発輸出、馬鹿なことをいうな、が世界の世論だ。暑さ寒さをものともせず、テントで戦って、考えて行動している人たちが日本にもいるんだと世界の人もわかる。それを権力を使って出て行けということは許せない」

_8ds8635jpg河合弘之監督・弁護士(映画「日本と原発」を製作監督)

「映画監督の河合です。前滋賀県知事の嘉田さんから電話がありました。佐賀県の知事選で、島谷ゆきひろさんの応援に入っているそうです。脱原発・環境問題で実績ある島谷さんが闘っています。11日が投票日。メディアの人は、島谷さんが大健闘していると報道してくださいと要請がありました。玄海原発のあるところですから重要な闘いです」

「高浜原発については、大津地裁に頼んでもダメなので、もう一度、樋口裁判長のいる福井地裁に、大飯原発もまとめて仮処分申請をしました。裁判長は暮も正月も返上して我々が提出した証拠を読んでいるでしょう。仮処分を却下する理由はないだろうと。期待してください」

「テントひろばは日本の脱原発運動の象徴的存在だ。東京も自分たちの気持ちを代弁してくれている、戦ってくれている。日本全国の市民に電波を送っている発信地ですから、ここは死守しなければいけない。破綻した原子力政策の震源地である経産省ののど元で、市民による反対運動の発信地があることが重要です。私たちはその援護に回ることをお約束します」

_8ds8674jpg亀屋幸子さん(双葉町からの避難民。自宅は原発から1.2キロ)

「避難して港区に来てからもう4年目です。報道の人にお願いです。放射能の怖さがわからずに福島県に住んでいる人がたくさんいます。正しいことを報道してください。安倍総理、国会の先生のみなさん、解除する前に一軒家、新しい家貸します。1~2ヶ月住んでみてください。国会の先生も住んで大丈夫だと思いますよね。先生方は口先だけですよ。子どもたちとか私たちのことをもう少し考えてほしいです。あたしと同じ苦しみは二度と味わってもらいたくないから再稼働には絶対反対です」

埼玉の娘が、双葉町は私にも故郷だよと言われました。そこで生まれて育ったんだよ。住んでた人だけが故郷じゃない。県外に出ている人にとっても故郷なんだよと娘が言いました。抱き合って涙流しました。あたしは故郷に帰りたいです

双葉町は中間貯蔵庫になります。環境省のやり方が汚くて私は反対しています。9月に地権者に初めて会ったときに、図面ができて値段も書いた説明です。どこかに造らないといけないから協力しようねと話し合っていたけど、あなたたちのやり方が汚いから反対しますと言いました。地権者と話し合ってから、順序踏んでやったら私たちも賛成しました。30年後に返されても子どもも孫も戻りません。持って行く場所は決まっているんですか」

「これ以上政府と東電には騙されないようにお願いします。テントひろばは情報の発信地です。最後まで守ってください」

_8ds8726jpg広瀬隆さん
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原発が止まってから今日で477日です。今月中に500日になります。今日ここで話している人は7~8人ですけど、これを成し遂げてきたのは、日本全国のみなさん力です。私たちの背後に数千万人の人が私たちの声を聞いて、賛同してくれているんです

「経産省はひどい。クリスマスイブの報道です。再稼働で交付金を増やすというじゃないですか。これは逆じゃないですか。原発立地の現地を交付金付けにしてしまった。原発止めたら交付金を増やすならわかる。ところが逆ですよ。我々は交付金を出します、原発止めて新しい町に変えましょうといっている。このビルに入っている官僚は頭がおかしくなっている」

来年から電力が自由化されますが、その後も、自然エネをやっている事業者にも原発廃炉の費用を負担させる。こんな不条理がありますか。これは資本主義の論理に反します。電気は安定供給することが大事と言っている。これまでにいろんな企業の人たちにも呼ばれて講演してきましたが、そうした企業が原発ゼロ社会を達成してくれている。感謝したい。しかも核燃サイクルも延命するという。もんじゅと六ヶ所村で5兆円をドブに棄ててきている」

「揚水ダムは蓄電器。余ったらここに溜めればいい。いま揚水ダムには2672万キロワット分ある。無駄な金をダムに使ってきたんだから、いま利用しなさい」

「原発ゼロになったから3兆6千億円が国外に出ていると安倍はウソを言ってます。原発が60%稼働していた2008年。その時は28兆円の化石燃料の輸入額。ところが2013年の輸入額は27兆円です。原発動いていたときの方が化石燃料の輸入額が多い。ウソをつくな。さらに、全部止まっていても、原発維持に1兆2千億円も食っている

「12月の日経新聞によると、2兆4千億円を原発再稼働のために使っている。でたらめの規制基準でこれだけですから、これだけで済むわけがない。九電だけで3000数百億円です。日本の経済と産業をつぶそうというのが経済産業省」

「来年、電力は自由化されますが、すでに4分の1の電力は電力会社からじゃない。大企業が自家発電でやっている。電力会社はこれからはボロボロになります。この話は原発必要だと思っている人たちに伝えている」

_aaa9749jpg司会進行の木内みどりさん。
テントひろばの存在を海外にもっとアピールできるように、英語表記の看板を半分にしたらどうでしょうか。英語で今日の話も伝えられるように」ともっともな提案。海外からの訪問者が、一目見て、原発はいらない社会を求める場をアピールできることは重要だ。


_8ds8813jpg青木秀樹弁護士(映画「日本と原発」にも登場)

「事故前には、原発推進のためにシビアアクシデントは絶対に起きないと言っていた。原発の敷地境界から放射能が年間1ミリシーベルト以上出ることはないと言っていた。安全性を大前提とした上で推進してきたはず。それが、事故後は事故は起きることを前提にして安全をできるだけ確保すればいいと安全性の質を下げて原発推進しようとしている。まるで火事場泥棒だ。それが経済産業省

「経産省が安全性の基準をゆだねたのが規制委員会。その規制委員会の新たな安全基準の作成は、安全性を確保するものではなく規制基準だと言い方になった。規制基準は安全を保つものではないと田中委員長もいっている。規制委員会は責任を放棄している。安全性の責任を自らは負わないといっているのが経済産業省

「テントひろばは責任を取れ、安全性を確保できるのかを問い続ける。自らのふがいない原発推進行動を批判されつづけるわけですから、経産省は何としても追い出そうとしているわけです。それは断固として許されない。一弁護士としてテントひろばを支えていきます」


_8ds8830jpg人見やよいさん(郡山市から参加した、「原発いらない福島の女たち」コアメンバー)

大晦日にとんでもないニュースが駆け回ってました。福島第一の収束現場で、飛散防止剤を規定の10倍でなく100倍に薄めて撒いていた。しかも回数を減らして撒いた。東電がそれを作業員に命じたならば、現場でいちばん被ばくしている作業員の命を軽視することにつながる、ひどい犯罪だと思う。こんなことをしているのが東電だと何度も報道してほしい。これは犯罪ですよね

「復興本社で汚染水の説明を求めました。40人受け入れるとのことで、行ってきました。原発に高レベルの汚染水を貯めておくのが嫌だなので、地下水に薄めて流させてください、と言いたいのだとわかりました。放射能除去する機械を通してますが、トリチウムは除去できない。1500ベクレル以下はまるごと海に流しますという結論なんだと。薄めたら放出させてください、お願いしますといわれた。薄めても総量は変わらないですよね。何兆ベクレル元々あったかもしれませんが、とんでもないことです

「海は汚染されている。住民はどんどん帰還させられている。命の軽さを感じてしまう。県民の命をどう考えているのか。川内原発もそうです。命の軽さをどう考えているのか。悔しくて仕方がない。亀屋さんもいってましたが、この同じ苦しみを味わってほしくないから原発止めようと話しています。気が変になっている安倍政権に、私たちはまた政権を与えてしまった。大して支持されてもいないのに」

テントひろばは、アメリカに対するキューバみたいなもの。巨大なアメリカののど元に赤いナイフが突きつけられているみたいな。ここは政府に対する脱原発のナイフだと思う。年末にオバマさんが間違いを認めてキューバに国交回復を求めたじゃないですか。このテントの意義を認めて、政府がやっぱり脱原発しかないという日がきっとくるのではないか。その日まで手をつなぎ合わせてNOを言い続けたいと思います。福島を忘れず、よろしくお願いします」


_aaa9755jpgテントの入り口

経産省テントひろばのカンパ振込先
・郵便番号100-0013 千代田区霞ヶ関1-3-1
・郵便振替口座:00160-3-267170
・口座名義:経済産業省前テントひろば

◯蛇足
B6kqh56ceaaqzbv早川由美子監督が撮影してくれた、動画撮影でお馴染みの三輪祐児さん(@uplan_miwa)とのツーショット。三輪さんはほぼ一年中、どこでも同じスタイル。省エネスタイルが徹底されている。

 私は、冬は20年近く前にカトマンズで購入した暖かい毛糸の帽子がお気に入りです。今年もできるだけ発信していきます。よろしくお願いします。

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2015年1月 3日 (土)

2014年の最も読まれた拙ブログ記事リツイート順位

2014年の最も読まれた拙ブログ記事リツイート順位

 私たちは忘れやすい生き物だ。それをいちばん待ち望んでいるのが、民主主義を否定するかのように民意を無視する政策を強引に推進する安倍自民・山口公明連立政権と、政権に擦り寄る政党や政治家だ

 ↑↑↑上記は、1年前のブログの冒頭部分だが、残念ながら、今年もまったく同じことをあえて記してブログを開始したい。付け加えるならば、安倍政権は、「悪巧みの狂い咲き政権」と評した方が相応しい。

 昨年もいろいろな出来事があった。いろいろと取材した。例年同様に、何があったのかを忘れないため、自分自身が何を取材したのかを忘れないため、昨年のブログ記事30本をRTの多い順番に並べてみた。拙ブログ読者の関心のあるテーマとか、注目される写真と記事がどれだったのかを知る参考になるので以下のように整理しました。

 みなさま、今年も拙ブログをよろしくお願いします。 

◯RTの多い記事トップ10本
1:439RT :6月16日 9条をなきものにする「安倍政権即時退場」を求める市民の叫び
             (Abe Fascist Get Out !)

2:389RT :4月10日 武器も自衛隊も「輸出」するアベノ積極的戦前回帰主義

3:320RT :12月13日 もう忘れたのか。国土の一部喪失し、それでも再稼動するのか

4:285RT :6月2日 写真ルポ「6・1官邸・国会前大抗議・川内原発再稼動やめろ」

5:268RT :3月2日 東電福島第一原発収束作業現場公開取材写真ルポ

6:261RT :10月26日 "特定秘密保護法に反対する学生デモ FINAL@SHIBUYA"(2014年10月25日)

7:208RT :10月17日 シンポ「朝日バッシングとジャーナリズムの危機」(深まるファシズム化)

8:200RT :7月3日 憲法9条の死文化を狙う安倍首相による解釈改憲に反対する(閣議決定当日)
             The Day Of NO RETURN.(Near Death of Article 9)

9:186RT :1月9日 「宇都宮けんじとともに東京都を変えていくキックオフ集会」は希望を感じさせてくれた!

10:156RT :7月2日 憲法9条の死文化を狙う安倍首相による解釈改憲に反対する(閣議決定前夜)
              Abe's attempt to kill the antiwar Constitution

・ちなみに10位以下の3本はRTがほとんど一緒
11:152RT :2月20日 獄死した尹東柱(ユン・ドンジュ) その詩と治安維持法

12:151RT :2月5日  原発事故の被災者を置き去りにする都知事選の候補者は誰か?

13:149RT :9月25日 9・23さようなら原発!全国大集会~川内原発再稼働するな!フクシマを忘れない!

◯以下は2013年のRTの多い記事トップ10本

1:217RT:4月28日 歴史を学ぶ意思のない首相と自民党は国民益を損なう 

2:208RT:11月20日 現代の治安維持法となる「秘密保護法案」は廃案すべき! The state secret bills is the modern times' Internal public order act of war time should be abondoned.

3:190RT:10月18日 山本宗補写真展「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」会場写真と対談日程詳細 

4:166RT:2月24日 3・11を忘れないために~初動の取材と東電公開写真で振り返る~ 

5:143RT:4月12日 原発事故から2年。旧警戒区域と区域再編前後の人動物模様。Part 5・浪江町編 

6:136RT:10月14日 「10・13原発ゼロ・統一行動」写真ルポ 

7:129RT:6月14日 近刊写真集のお知らせ「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」(彩流社) 

8:119RT:2月 4日 吉祥寺界隈「パパママぼくの脱原発ウォーク」で考えた、写真に表れる参加者の熱意  

8:119RT:5月27日 原爆資料館(広島平和記念資料館)を見て考える 

9:101RT:3月27日 原発事故から2年。旧警戒区域と区域再編前の警戒区域の人動物模様。Part3・大熊町編(脱原発政党「みどりの風」議員同行取材) 

10:99RT:1月15日 安倍(右派純粋培養)公明連立政権官邸前脱原発行動と「国防軍」反対デモ取材で考える

◯ちなみに、これまでに300RTごえの良く読まれているブログ記事は以下の3本
・370RT:2011年9月25日  反骨の報道写真家・福島菊次郎さん(90歳)のこと

・365RT:2012年12月23日  福島菊次郎と愛犬ロク

・326RT:2012年2月19日  「希望の牧場」Part2:警戒区域内の「生と死の狭間」。警戒区域の現実3


◯2015年もブログやTwitterで最大限に発信していきます。どうかよろしくおつきあいください。
筆者の取材活動のサポートはこちらをごらんください→フォトジャーナリスト山本宗補プロジェクト支援

「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」写真展巡回展 開催希望者 募集Webです。
 「あなたの手で、「終わらない記憶」を伝えてゆきませんか」
 昨年、全国10ヶ所以上で巡回写真展を開催した報告ブログはこちらをクリックしてください。

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