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2014年3月 2日 (日)

東電福島第一原発収束作業現場公開取材写真ルポ(TEPCO's Level 7 Nuclear Accident Site at Fukushima Daichi 3 Years After 3・11)

(写真はクリックすると拡大します)

 レベル7の過酷な原発事故からまもなく3年。
先日の2月26日、収束作業現場がメディアに公開されたので、フリーランス枠で運よくくじ引きに当たった私も取材してきた。私にとっては福島第一原発構内に入るのは初めてだった。今日はその時の写真をできるだけたくさん公開したい。

 取材の主な印象はといえば、原子力発電所というよりも、汚染水タンクが所狭しと立ち並ぶため、石油備蓄基地のような感じもした。作業員も取材陣の私たちも、誰も彼もが白い防護服を着込み、全面マスクにヘルメット姿という、一見異様ないでたちだけが、放射線による被ばくを気にすることのない石油備蓄基地とは大きな違いだった。

 とはいえ、被ばくを気にしながらの原発構内での取材をして、初めて原発作業員の不安定な身分について改めて考えさせられたことは確かだ。たった3年で過酷事故収束現場で働いてくれている人たちを忘れていいのかと。

公開された場所と視察順
1:5号機主蒸気隔離弁(MSIV)室(1階)
2:5号機トーラス室(地下)
3:1・2号機中央制御室(2階)
4:凍土遮水壁実証試験場所
5:Jタンクエリア(溶接型タンク建設中)

福島第一原発の全体像
 個別写真の前に、広大な敷地を持つ福島第一原発の空撮写真で、原子炉建屋と汚染水タンク群の位置関係を頭に入れる。(ネットからコピー)
Photo

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◯入退域管理棟(事故後に正面ゲートの外側に建てられた)
 作業員も取材陣もこの建物で防護服に着替え、個人線量計などを身につけて現場に出る。
_aaa3101web全面マスクをつける取材陣。

_aaa3114web私と同じフリーランス枠で入ったジャーナリストのまさのあつこさん。

_8ds3458web個人線量計の充電マシーン。

_aaa3077web赤ランプ点灯中の線量計が充電中。

 取材陣は二班に別れ、二台のバスで取材ルートの順番を変更し、全面マスクでちょうと二時間あまりの取材となった。移動は全て一台のバスで構内を回った。説明会の時から、「核物質防護上」の理由から、撮影不可の場所は正面ゲート、フェンス(監視カメラなどがある)、建屋出入り口と説明された。取材中は、一人の東電社員が核物質防護担当者として、カメラ一台に付き同行した。つまり、フリーランス枠の二人には一人の東電社員が同行し、撮影できないアングルの指示を出した。(実際は、私がこの方向での撮影はOKですかと逐次確認する流れとなった)

_aaa3141web5・6号機に向かうバスの窓越しに見る6号機原子炉建屋と排気筒。

_8ds3531web3月11日の大地震によって、5・6号機に外部電源を供給していた「夜の森27号鉄塔」が倒壊し、そのままになっている。6号機から数百m山側に位置。

5号機主蒸気隔離弁(MSIV)室(1階)
_8ds3497web今年の1月18日、3号機のMSIV室から水が床のドレンに流れていたと説明する東電担当者。5号機は似たような作りなので、3号機の現場の代わりの視察だった。

_aaa3161webこの階はパイプや配管が隙間もないほどに走っていた。

_aaa3176webMSIV室に入ったところ。

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5号機トーラス室(地下)
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_aaa3233webトーラス室に入る前の通路壁に貼られたヒューマン・エラー撲滅キャンペーンのチラシ。日付は原発事故の前年のものだった。

_aaa3256webベント菅

_aaa3267webベント菅。左側の太り管がサブレッションチャンバ。

_aaa3274web5トーラス室内のキャットウオーク。左下に見える部分がサブレッションチャンバ。キャットウオークには、5号機圧力抑制室マンホール保護治具格納箱と書かれた緑色の箱が置かれている。

1・2号機中央制御室
_aaa33701・2号機タービン建屋の海側から見た光景。大津波の痕跡が残されたまま。

 場所は海側のタービン建屋につながり、2階に位置するという。
原発事故後に初公開され、事故後に電源喪失による真っ暗闇の中、1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)を越える極めて高い放射線量の中、運転員が変化の激しい原子炉水位と時間を制御盤の水位計脇に手書きした痕跡を公開した。運転員は3月16日まで留まり、格納容器から蒸気を放出するベント作業などに当たったという
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_8ds3581web_2手書きされた時間と水位。「16時40分マイナス90センチ」16時50分マイナス120センチ」「16時55分マイナス130センチ」と読みとれる

_8ds3594web別の水位計脇に手書きされた痕跡。「21時40分プラス50㎝」「22時時半プラス59㎝」などと読みとれる。

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_aaa3445web奥が2号機の制御板。

 東電測定の室内の空間線量は最大で93マイクロシーベルトだった。

_8ds3618web中央制御室の取材を終えて、待機するバスに向かう取材陣。

 取材翌日に大手メディアが報道した内容は、公開された中央制御室のことがほとんどだった。

凍土遮水壁実証試験場所(バスの車内から視察するのみ)
 実証試験の場所は、4号機の北側にある共用プールの土手側。車内でも空間線量が33マイクロシーベルトと高い場所。二機の特大クレーンが使われていた。_8ds3669web

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Jタンクエリア(溶接型タンク建設中)
 第一原発構内の南の境界線に近い場所で、空間線量は3.1マイクロシーベルト。構内でも低い線量といえるのだろう。

_aaa3588jweb現場にあったJタンクエリア図面。97基建設予定と読める。

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_8ds3699web溶接型の汚染水タンクの建設作業が続いていた。一基のタンクは鋼鉄の板16枚を合わせてできているという。

_aaa3591webJタンクが建設される土台は鉄筋コンクリートにしていることを取材陣に公開。

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汚染水タンク群いろいろ
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その他いろいろ
_aaa3504web左奥から1号機、2号機、3号機と見えるが、燃料棒取り出し作業中の4号機は、手前の建物に隠れて見えない。外見は何事もなかったかのように見えるだけだ。1、2.3号機のメルトダウンした燃料の取り出し作業など、いつ手をつけられるのかは誰にもわかっていない。

_aaa3342web海側に積まれた石堤。

_aaa33514号機の海側施設。大津波で壊滅したままの状態で放置。

 ちなみに、東電測定による移動中のバス車内での空間線量は、4号機タービン建屋海側で97マイクロシーベルト。3号機タービン建屋海側で825マイクロシーベルト。2号機タービン建屋海側で320マイクロシーベルト。5号機タービン建屋の海側で6マイクロシーベルトだった。

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 取材前夜に久しぶりに会った若い原発作業員の◯◯さんがこういう主旨のことを言っていた。

「誰にも注目されずに縁の下の力持ちで3年がんばったんだから、金メダルか表彰状を上げて、労をねぎらったらどうなのか。プライドとモチベーションが上がるような横断幕や手紙を送ってくれてもいいんじゃないか」

東電福島第一原発所長小野明氏のインタビュー_aaa3633web

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 取材陣との質疑応答での主なポイント。
・4月には廃炉に特化した社内カンパニーが立ち上がり、1Fが組み入れられることになっている。
・山本のQ:主要なバルブの管理は東電が直接やるべきと作業員の指摘がありますが?
・A:「バルブの管理は東電がやるべきだった。実際、昨年10月までは直接やっていた」
小野所長は管理者責任を認めた回答をしたといえる。

蛇足ついでに「原発作業員の身分を保証しろ!」
_aaa3321web5号機のタービン建屋で撮影した作業員のヘルメット。

 福島第一の原発収束・廃炉作業現場では、雨や雪が降ろうと、暑かろうと寒かろうと、来る日も来る日も、様々な作業に従事している原発作業員が毎日数千人いるといわれる。

 原発事故前からの専門職や熟練工もいれば、事故後に初めて短期間でも働く労働者もごっちゃになっているだろう。しかし、誰も否定出来ない事実は、被ばくが避けられない現場で働く作業員がいるからこそ、過酷事故の現場はこの3年あまり持ちこたえてきたということだ。東電が踏ん張ったということではないだろう

 そこで強く考えさせられたのは、3年の月日と無関係に、原発作業員の長期的な身分保証や医療保証、それに給与などの生活保障がほとんど改善されていないことではないだろうか。

 原発収束作業、廃炉作業現場に従事する作業員は、少なくとも国家公務員に準じた身分保証が法律で守られるべきだ。そうした対策が早急に取られないと、東京五輪招致による土木工事関連の仕事に労働者は流れてゆくことは避けられず、収束作業現場はベテラン作業員も含めていずれ人材不足となり、東電の手に追えなくなることが目に見えている。


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。

・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729

・銀行振込
城南信用金庫
店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130


WebJビレッジ集合場所にて、まさのあつこさん撮影

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