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2014年3月の投稿

2014年3月20日 (木)

原発事故から3年。第3回「原発いらない地球(いのち)のつどい」(「原発いらない福島の女たち」の思いは今) 3 years after 3・11, Women of Fukushima look back their struggle to step forward.

(写真はクリックすると拡大します)

 大震災・原発事故から3年が過ぎた3月11日。昨年は、富岡町に居残って牛たちを生かし続ける松村直登さんに密着したが、今年は福島市で「原発いらない福島の女たち」が主催するデモとイベントを取材した。

 この日、郡山市では、大きな脱原発集会・デモが開催され、希望の牧場・ふくしまの吉沢正巳さんらが参加することは知っていたのだが、元気のいい、あきらめることのない福島の女たちの方にフォーカスすることにした。「福島の女たち」は、特定の党派やセクトとは一切関係がないということも、福島市内で取材しようと思った理由のひとつだ。

デモ(MAXふくしま⇒県庁⇒MAXふくしまのコース)
_8ds4476「原発いらない」デモ。主催の「女たち」約20人がタイベックスを着込んで参加。福島駅近くから福島県庁まで歩き、県庁前で東京から応援に駆け付けた参加者数十名と合流した。原発ゼロを象徴するゆるキャラのゼロノミクマ(緑色の熊さん)も参加。

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_8ds4522武藤類子さん

_aaa4095「除染中」の看板が普通にある福島市。

_aaa4027原発ゼロを象徴するゆるキャラのゼロノミクマと握手する通行人の女の子。

「こんにちは ぼくゼロノミクマです これから県庁に被ばくしない福島にしたいと申し入れにいきます 原発いらないよね 被爆はいらないよね 事故を止めて 命が大事 子どもが大好き 故郷大好き ともだち大事 みんなで仲良く」  

_aaa4129自民党福島県支部の前を通過する

_8ds4591東京は3・11を忘れてる?」のプラカードを手に、東京から駆けつけた参加者。

_aaa4248原発はおとろしか 再稼働はなりませぬ 原発なしでくらしたい 水俣」の垂れ幕をなびかせる、水俣から参加した女性。

_8ds4598ガラスバッジをつけて生活するのはいやだ!安全なところに避難させて!」と、漫画家ちばてつやさんの支援イラストを使ったプラカードを手にする参加者。

・デモ隊とは別行動で、5人が県庁で佐藤雄平知事への要望書を提出した。
要望書のタイトルは「原発事故被害県としてあるべき行動を」。

◯第3回「原発いらない地球(いのち)のつどい」(MAXふくしま4F「アオウゼ」)
 この日のプログラムは以下のとおり。参加者は主催者発表で160人(スタッフ含まれていないか)。
(「原発いらない福島の女たち」ブログを参考にしています。報告内容は私の要約です)
14:00 開会
<第1部>
スライドシヨー 「原発いらない福島の女たち」の歩み
テーマ別報告
健康・避難・移住(木幡ますみさん報告)
_8ds4647大熊町から避難し、会津若松市の仮設で避難生活を送る木幡ますみさん。
 木幡さんから直接聞いている話だが、つい最近、大熊町からいわき市に避難していた夫婦が練炭自殺(心中)したという事例を紹介した。ご主人はがんを患い、奥さんはうつ病で悩み、前途を悲観していたことが理由の一つだと話した。避難民は人生の岐路に立たされていると結んだ。

 大熊町の現状は渡辺町長が、線量の低い大川原地区の除染を進め、復興拠点として帰還したい住民が戻れるように整備中。3月 日には安倍首相が大川原地区で会見し、帰還できますとのイメージを作り上げた。

除染・帰還(武藤類子さんが、急きょ出席できなくなった担当者に代わって報告)
 除染で出た汚染土が青や黒のフレコンバックに詰められ山積みとなった写真を紹介しながら説明。川内村の全村除染のケースと田村市都路地区のケースを報告。除染しても年間1ミリシーベルト以下にはならない。

 精神的賠償は去年の8月で打ちきられ、解除されるので、住民は戻るしかない。子どもたちも元の学校に戻ることになる。解除されても帰る人は多くないため、帰還は多くの問題を孕んでいる

被爆労働(佐藤しょうこさん報告)
 ある溶接工は愛媛県から福島第一の現場に入ったが、4日間だけで親方から首をきられ解雇されたケースを報告。全ての被ばく労働者に対し、国が公的責任を取ることが求められている。除染作業は仕事が確定しない段階で全国から作業員を集めるが、待機期間が長引き、業者が生活保護を強要するケースも。

放射性廃棄物焼却(わだなかこさん報告)
 鮫川村の焼却炉問題と田村市と川内村の境界近くに建設予定の焼却炉問題について報告。焼却炉問題の共通点は、情報を非公開で建設を進める。説明会は村民以外の住民もマスコミも排除。反対派が孤立し、コミュニティが分断される。「減容化が必要」という国のことばに惑わされてはいけない。

 鮫川村の焼却炉は8月に爆発事故を起こし停止。その後111ヶ所の改修工事を行い再稼働するために試験償却をすすめている。郡山市の県中処理センターにも仮設焼却炉が100億円で建設され、市民には知らされないまま起工式が行われた。鮫川村のモデル事業の結果を待たず、なぜ各地域に焼却炉が建設されるのか

・大震災発生時刻の午後2時46分に合わせた黙祷。
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IAEAと環境創造センター(佐々木慶子さんの報告)
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 IAEA(国際原子力機関:米国主導で設立された、原子力の平和利用を促進する国連傘下の機関)がまさかこんな形で現れるとは思わなかった。佐藤知事がIAEA本部まで行って頭を下げてきた。
 100億円から130億円の国の予算で、三春町と南相馬市に建設予定の「環境創造センター」ができる情報が突然公開され、急遽、「フクシマ・アクション・プロジェクト」を立ち上げた

 (「IAEAとは?」「何のための、誰のための研究?」を広報するチラシやブックレット、頭にかぶるIAEA監視キャップなどのグッズを紹介)

 2011年12月に、IAEA加盟国などから700人の外国人が来日して、福島県と国とIAEAの三者で『原子力安全に関する福島閣僚会議』を三日間やりました。その時、IAEAと県と福島県立医大の三者が協定を結びました。

 県の「環境創造センター整備準備室」を作り、IAEAから任された仕事をしていることがわかった。IAEAからは丸投げされている印象だった。建物や活動内容のプランも公開されていず、少しづつ情報を集めた結果がわかってきた。

 センターの交流棟は、原子力についての教育の場とすることを知事が表明。これまで中身が度々変えられ、最新のものが下のスライド。「県外に避難している子どもの帰還を促す」「放射線に対する不安を取り除くためのシンポ」などの言葉が目につく内容。
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 (注:「IAEAに正しく対処するための参考資料集」 300円 フクシマ・アクション・プロジェクト作成 を購入して読んだが、IAEAとWHOの関係など、IAEAの役割が実に分かりやすいブックレットだった。オススメです。ホームページもかわりやすく充実しています)

損害賠償請求訴訟(高橋せいこさんの報告)
 自主避難区域から避難している人を対象に精神的な被害を訴える損害賠償請求をやっていきたい。岩手県一関、宮城県丸森町、栃木県那須塩原町など高いところもあります。そこの人たちにも参加してほしい。

 着手金は1万円で100万円の慰謝料を請求しましょう。事故後からどういう精神的な被害を負ってきたかを陳述書に切々と書いていただきたい。3年の自主的な避難がどれほど精神的に苦痛だったかを訴えてほしい。自分で訴えて解決しようという活動をしたい。
 若い人には大人は何をやったのかということを残したい。そのためにもこの損害請求をやっていきたい。 

再稼働反対・脱原発(黒田節子さんの報告)
 フクイチが世界中の海を汚し続けていることに胸が痛みます。海を汚すことに耐えられません。プランクトンが汚染され、食物連鎖がこれからますます起こるわけです。

 にも関わらず、安全安心キャンペーンを展開し、村に帰ろうというコールが大きくなってきています。あの戦争前はこれと似たようなことではないかと思っています。線量で分断され、補償金で分断され、市民運動でも微妙に分断されています。

 各地の原発立地市町村に行くと、地域経済が原発なしでは成り立たないことも感じます。確かに原発立地地域の自立をみんなで考える必要もあると思います。

 お金より命という当たり前のことを原発事故の後にさらに身をもって感じます。それを訴え続けたいと思います。再稼働の動きがあります。13日にも川内の原発に動きがあるようです。川内が最もやばい

 福島にはあまりにもたくさんの問題があります。一人一人のできることには限界があります。疲労感でつぶれそうになることもあります。だからこそ3年経ち、立ち止まって考える必要がある。私たちの原点は何だったのか。10年20年でわかってくることを私たちはこの1~2年で経験しているのではないか

 来るべく未来はどの方向にあるのか。廃炉の道筋を見つめ、見届けてから死にたいと思っています。私たちは誰をも傷つけたくないし、傷つけられたくもない。あらゆるレベルの犠牲の上に立つ原発を許すことはできません。再稼働反対。歌ったり踊ったりしながら共にみなさんやってきましょう。

・ドイツ人のデボラさん(たんぽぽ舎のバスで参加)のスピーチ
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 チェルノブイリ原発事故前までは、私たちは少数派で過激派とみられていました。事故後は反原発運動が盛んになりました。ドイツはこれまで30年40年の長い歴史がありましたが、合法的方法だけでもなく、テント村を作ったり、警察と激しく対立したりとか、緑の党とか政党活動もして、幅広い活動をやってやっとここまできました。それでもドイツはまだ原発を20何基動いています。日本は原発が全部止まっていますから、今がすごいチャンスだと思います。

_aaa4278デボラさんから主催者にプレゼントされたドイツ語の旗、「原子力はいらない」。

県知事に提出された要望書の読み上げ。要望書はこちらをクリック。(以下は冒頭部分)
 私たちは、311原発事故後、二度とこのような悲惨な体験を繰り返すことのないよう「原発に依存しない社会の実現」を目標に参集した女性たちのネットワークです。

 あの過酷事故から3年が経過しますが、失われた生活は戻ってきておりません。
避難地区の人々も、自主避難を選んだ人々も、福島で暮らす人々も、将来への不安を抱え、生活の再建と家族の分断に苦しめられています。

 また県民健康管理調査では、子どもたちに甲状腺異常が多数見つかり、県民を混乱に陥れています。廃炉作業と除染作業が、多くの労働者に被曝を強いながら進められていますが、作業は困難を極め、汚染水漏れのニュースは日常茶飯事となっています。

 福島原発事故は、何一つ収束しておりません。今後、私たちの身の上に何が起こるのか、重大な健康被害や再臨界、二次被曝の恐れはないのかと、心が休まる日はありません。

<休憩>
<第2部>
♪ みんなで踊ろう アイヌの踊り・ウタリ オプンパレワ
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♪ ミニコンサート
朴保(パクポウ)・李 政美(い・ぢよんみ)
_aaa4316パクポウさん
 
_8ds4772web李政美さん
 一曲目はジョン・レノンの「イマジン」を日本語で歌う。途中から若いパーカッショニストのパク・ヲンさん登場。
二曲目は「空っぽの背負子を背負って私は歩いていく」(ハングルで)。三曲目「ウナイ(女)の力」。四曲目は出来立てほやほやの「ああ福島」(作詞は武藤類子、李政美)。李さんのコンサートを数年前に聞いたことがあるが、透き通った歌声はシャーマン的な言葉では表現しにくい魅力で心に入ってくる

「ああ福島 ああ福島 ああ福島 やまはあおく みずはきよらかな うつしきわがふるさと 
ひがしにうみをのぞみ かじつはたわわにみのる こがねのいなほはゆれ そのむこう やまやまがふちどる 
ああ福島 ああ福島 ああ福島~~~」
  
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_8ds4778涙ぐむ武藤類子さん

 (美しい響きの曲だった)

 ハングルの「アリラン」から日本語のアリランとなり、徐々に踊り始める女たち。
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「会津磐梯山」で会場は踊りで賑やかに盛り上がり、鎌田慧さんも武藤さんに手を引かれ、民謡の起源とされる「かんしょ踊り」的な踊りを始めた。
エイヤー 会津磐梯山は 宝の山よ
笹に黄金が エーマタ なりさがる
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・駆けつけ人スピーチ
鎌田 慧さん
 戦争中の空襲があっても怖くないから立ち向かえという防空演習と教育が行われた事例を引き合いに、低線量被ばくは怖くないという教育が共通していることを指摘。原発は国の政策で電力会社が建設し50数基までできた。国の政策は一貫して国民を犠牲にしていると強調。原発事故後に5人の首相が反省して原発は止めると宣言したが、安倍首相だけは条件が揃ったら稼働しろといっている。
 原発は破たんしている。20年ウソをついてきた青森県の再処理工場は完全停止している。

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山本太郎参議院議員
 このまま既存の政党に頼って行くと未来がないと思います。あえて旗揚げして、身近な地方の選挙に立つ候補者を応援していきたい。そこが保守地盤でも気概を見せていかないといけない。危機感持った人たちでつながりながら不条理と闘っていきたい。権力のある人たちは市民が横につながることを恐れている。選挙という民主的な手続きをして闘うんだったらそれしかない。
(注:3月18日に山本議員は、「新党ひとりひとり」を立ち上げ、鹿児島県の補選に候補者を擁立したいと表明)

・いのちを想うキャンドルナイト・詩の朗読
 京都に避難中の鈴木きぬえさんから届いた詩の朗読があり、「ああ福島」の歌とともにキャンドルがゆっくりと振られた。

「希望の兆しの見えない状況にあっても私たちはあきらめるわけにはいきません。これからも大きな声をあげていきます」(司会の人見やよいさんの結びのことば
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閉 会

◯取材後記:
振り返ると、「原発いらない福島の女たち」が主催した第3回「原発いらない地球(いのち)のつどい」は、3年間の活動を振り返り、抗議するべき相手に声を上げ続け、4年目からの活動の課題を絞り込み、忘れることのできない悲しく辛い思いを癒し、自分たちを前に向かって奮い立たせる役割を果たすためにあったのだと思った。ある意味、東京で度々開催される大きな規模の脱原発集会・デモとは、開催の狙いが若干異なるともいえた。原発事故により様々な影響をもろに受けた被災者だからこそ当然なのだが、県外で脱原発運動する際には、忘れてはならない視点を突きつけられた機会となった。


◯付記:3月14日官邸前議事堂前抗議から
 「川内原発再稼働反対」のプラカードが目立った。
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_8ds4999福岡市で九州電力の原発に反対している高柳英子さんも参加した。
「玄海原発に過酷事故が起きても何もせんとだそうです。150万福岡市民は家ん中閉じこもっていてくださいって。九電もひどかとですたい」

◯付付記: 「フクシマを忘れない!~さようなら原発3・15集会~」から 
 主催者発表で5500人が参加した集会とデモ。
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_8ds5112原発から32㌔でシイタケ栽培などを18年やってきたが、原発事故後に福島県内で農業を再開することをあきらめ、京都に移住した元宇宙飛行士の秋山豊寛さん。

「原木には放射性物質が濃縮されて入っています。セシウムに汚染されたシイタケしかできません。友人の果実農家はオレの身体はまた汚染され、去年よりも今年のWBC測定値が多いといいました。福島では現在進行形なのです。若い人が毎日危険な中で暮らしています。

 川内原発を再稼働させてはいけない。あの永田町にいる国会議員と自称する人たち。福島の問題で誰が責任を取ったのでしょうか。東電の社長だって退職金をもらってのうのうと暮らしている。こんな不条理が許されるのは私たちが認めているからではないですか。こういうのを認めない社会を作ろうじゃないですか。

 私たちが責任を取るということは、未来に対して何ができるかということです。原子力村教は一種の新興宗教です。自分たちが正しいと思いこんでいる人たち。与党幹事長がデモなどで大きな声を上げることがテロだと言いました。彼らが日々政策でやっていることこそがテロじゃないでしょうか。そういう社会を変えましょう。それが私たちの未来への責任です」

_aaa4537手作りの「戦後民主主義の終焉」の幟を手にするおなじみの参加者。

_aaa4576デモの出発。横断幕の右端から秋山さん、大江健三郎さん、武藤類子さん、澤地久枝さん、鎌田慧さん。

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_aaa4764東電本店前。


「安倍さん 美しい国を語る前に 美しい福島を返してくんちえ あなたの言葉には心がないよ」(デモに参加していた、富岡町から茨城県に避難している原発難民の木田節子さんが新しい抗議メッセージを掲げ、東電前を歩いていたていた」(写真は別の方です)

◯取材活動へのカンパはこちらへお願いします。
 「フォトジャーナリスト 山本宗補 プロジェクト支援」


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2014年3月 2日 (日)

東電福島第一原発収束作業現場公開取材写真ルポ(TEPCO's Level 7 Nuclear Accident Site at Fukushima Daichi 3 Years After 3・11)

(写真はクリックすると拡大します)

 レベル7の過酷な原発事故からまもなく3年。
先日の2月26日、収束作業現場がメディアに公開されたので、フリーランス枠で運よくくじ引きに当たった私も取材してきた。私にとっては福島第一原発構内に入るのは初めてだった。今日はその時の写真をできるだけたくさん公開したい。

 取材の主な印象はといえば、原子力発電所というよりも、汚染水タンクが所狭しと立ち並ぶため、石油備蓄基地のような感じもした。作業員も取材陣の私たちも、誰も彼もが白い防護服を着込み、全面マスクにヘルメット姿という、一見異様ないでたちだけが、放射線による被ばくを気にすることのない石油備蓄基地とは大きな違いだった。

 とはいえ、被ばくを気にしながらの原発構内での取材をして、初めて原発作業員の不安定な身分について改めて考えさせられたことは確かだ。たった3年で過酷事故収束現場で働いてくれている人たちを忘れていいのかと。

公開された場所と視察順
1:5号機主蒸気隔離弁(MSIV)室(1階)
2:5号機トーラス室(地下)
3:1・2号機中央制御室(2階)
4:凍土遮水壁実証試験場所
5:Jタンクエリア(溶接型タンク建設中)

福島第一原発の全体像
 個別写真の前に、広大な敷地を持つ福島第一原発の空撮写真で、原子炉建屋と汚染水タンク群の位置関係を頭に入れる。(ネットからコピー)
Photo

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◯入退域管理棟(事故後に正面ゲートの外側に建てられた)
 作業員も取材陣もこの建物で防護服に着替え、個人線量計などを身につけて現場に出る。
_aaa3101web全面マスクをつける取材陣。

_aaa3114web私と同じフリーランス枠で入ったジャーナリストのまさのあつこさん。

_8ds3458web個人線量計の充電マシーン。

_aaa3077web赤ランプ点灯中の線量計が充電中。

 取材陣は二班に別れ、二台のバスで取材ルートの順番を変更し、全面マスクでちょうと二時間あまりの取材となった。移動は全て一台のバスで構内を回った。説明会の時から、「核物質防護上」の理由から、撮影不可の場所は正面ゲート、フェンス(監視カメラなどがある)、建屋出入り口と説明された。取材中は、一人の東電社員が核物質防護担当者として、カメラ一台に付き同行した。つまり、フリーランス枠の二人には一人の東電社員が同行し、撮影できないアングルの指示を出した。(実際は、私がこの方向での撮影はOKですかと逐次確認する流れとなった)

_aaa3141web5・6号機に向かうバスの窓越しに見る6号機原子炉建屋と排気筒。

_8ds3531web3月11日の大地震によって、5・6号機に外部電源を供給していた「夜の森27号鉄塔」が倒壊し、そのままになっている。6号機から数百m山側に位置。

5号機主蒸気隔離弁(MSIV)室(1階)
_8ds3497web今年の1月18日、3号機のMSIV室から水が床のドレンに流れていたと説明する東電担当者。5号機は似たような作りなので、3号機の現場の代わりの視察だった。

_aaa3161webこの階はパイプや配管が隙間もないほどに走っていた。

_aaa3176webMSIV室に入ったところ。

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5号機トーラス室(地下)
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_aaa3233webトーラス室に入る前の通路壁に貼られたヒューマン・エラー撲滅キャンペーンのチラシ。日付は原発事故の前年のものだった。

_aaa3256webベント菅

_aaa3267webベント菅。左側の太り管がサブレッションチャンバ。

_aaa3274web5トーラス室内のキャットウオーク。左下に見える部分がサブレッションチャンバ。キャットウオークには、5号機圧力抑制室マンホール保護治具格納箱と書かれた緑色の箱が置かれている。

1・2号機中央制御室
_aaa33701・2号機タービン建屋の海側から見た光景。大津波の痕跡が残されたまま。

 場所は海側のタービン建屋につながり、2階に位置するという。
原発事故後に初公開され、事故後に電源喪失による真っ暗闇の中、1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)を越える極めて高い放射線量の中、運転員が変化の激しい原子炉水位と時間を制御盤の水位計脇に手書きした痕跡を公開した。運転員は3月16日まで留まり、格納容器から蒸気を放出するベント作業などに当たったという
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_8ds3581web_2手書きされた時間と水位。「16時40分マイナス90センチ」16時50分マイナス120センチ」「16時55分マイナス130センチ」と読みとれる

_8ds3594web別の水位計脇に手書きされた痕跡。「21時40分プラス50㎝」「22時時半プラス59㎝」などと読みとれる。

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_aaa3445web奥が2号機の制御板。

 東電測定の室内の空間線量は最大で93マイクロシーベルトだった。

_8ds3618web中央制御室の取材を終えて、待機するバスに向かう取材陣。

 取材翌日に大手メディアが報道した内容は、公開された中央制御室のことがほとんどだった。

凍土遮水壁実証試験場所(バスの車内から視察するのみ)
 実証試験の場所は、4号機の北側にある共用プールの土手側。車内でも空間線量が33マイクロシーベルトと高い場所。二機の特大クレーンが使われていた。_8ds3669web

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Jタンクエリア(溶接型タンク建設中)
 第一原発構内の南の境界線に近い場所で、空間線量は3.1マイクロシーベルト。構内でも低い線量といえるのだろう。

_aaa3588jweb現場にあったJタンクエリア図面。97基建設予定と読める。

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_8ds3699web溶接型の汚染水タンクの建設作業が続いていた。一基のタンクは鋼鉄の板16枚を合わせてできているという。

_aaa3591webJタンクが建設される土台は鉄筋コンクリートにしていることを取材陣に公開。

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汚染水タンク群いろいろ
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その他いろいろ
_aaa3504web左奥から1号機、2号機、3号機と見えるが、燃料棒取り出し作業中の4号機は、手前の建物に隠れて見えない。外見は何事もなかったかのように見えるだけだ。1、2.3号機のメルトダウンした燃料の取り出し作業など、いつ手をつけられるのかは誰にもわかっていない。

_aaa3342web海側に積まれた石堤。

_aaa33514号機の海側施設。大津波で壊滅したままの状態で放置。

 ちなみに、東電測定による移動中のバス車内での空間線量は、4号機タービン建屋海側で97マイクロシーベルト。3号機タービン建屋海側で825マイクロシーベルト。2号機タービン建屋海側で320マイクロシーベルト。5号機タービン建屋の海側で6マイクロシーベルトだった。

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 取材前夜に久しぶりに会った若い原発作業員の◯◯さんがこういう主旨のことを言っていた。

「誰にも注目されずに縁の下の力持ちで3年がんばったんだから、金メダルか表彰状を上げて、労をねぎらったらどうなのか。プライドとモチベーションが上がるような横断幕や手紙を送ってくれてもいいんじゃないか」

東電福島第一原発所長小野明氏のインタビュー_aaa3633web

_8ds3817web
 取材陣との質疑応答での主なポイント。
・4月には廃炉に特化した社内カンパニーが立ち上がり、1Fが組み入れられることになっている。
・山本のQ:主要なバルブの管理は東電が直接やるべきと作業員の指摘がありますが?
・A:「バルブの管理は東電がやるべきだった。実際、昨年10月までは直接やっていた」
小野所長は管理者責任を認めた回答をしたといえる。

蛇足ついでに「原発作業員の身分を保証しろ!」
_aaa3321web5号機のタービン建屋で撮影した作業員のヘルメット。

 福島第一の原発収束・廃炉作業現場では、雨や雪が降ろうと、暑かろうと寒かろうと、来る日も来る日も、様々な作業に従事している原発作業員が毎日数千人いるといわれる。

 原発事故前からの専門職や熟練工もいれば、事故後に初めて短期間でも働く労働者もごっちゃになっているだろう。しかし、誰も否定出来ない事実は、被ばくが避けられない現場で働く作業員がいるからこそ、過酷事故の現場はこの3年あまり持ちこたえてきたということだ。東電が踏ん張ったということではないだろう

 そこで強く考えさせられたのは、3年の月日と無関係に、原発作業員の長期的な身分保証や医療保証、それに給与などの生活保障がほとんど改善されていないことではないだろうか。

 原発収束作業、廃炉作業現場に従事する作業員は、少なくとも国家公務員に準じた身分保証が法律で守られるべきだ。そうした対策が早急に取られないと、東京五輪招致による土木工事関連の仕事に労働者は流れてゆくことは避けられず、収束作業現場はベテラン作業員も含めていずれ人材不足となり、東電の手に追えなくなることが目に見えている。


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。

・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729

・銀行振込
城南信用金庫
店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130


WebJビレッジ集合場所にて、まさのあつこさん撮影

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