« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »

2014年2月の投稿

2014年2月20日 (木)

獄死した尹東柱(ユン・ドンジュ) その詩と治安維持法

(写真はクリックすると拡大します)

 戦前戦中の治安維持法の運用実態と、安倍自公政権下の特定秘密保護法の本質を知るために。 

 東京都下でも30センチの積雪となった記録的な大雪から二日後の2月16日(日)。池袋の立教大チャペルで、尹東柱(ユン・ドンジュ)さんを追悼するイベントがあったので出かけてきた。前日の新聞記事で知り、これは行かなければと思ったからだ。

 戦争中に治安維持法で捕まって獄中死した、韓国では知らない人はいないといわれるほどの詩人。どんな詩を残したのかということ以上に、私が関心をもった理由は「治安維持法」と、「獄中死」だ。
とはいえ、詩の素晴らしさとはどんなものなのかを知るべく、代表作の「序詩」をネットで見つけてプリントアウトして出かけた。

尹東柱(ユン・ドンジュ)
詩集「空と風と星と詩」から  『序詩』

死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹き晒らされる。(伊吹郷訳)

 それに、Twitterで京都在住詩人の河津聖恵さんが、京都で追悼会があるということをつぶやき、代表作の詩の一部の日本語訳に異論があるというようなことをつぶやいていた。そこも気になった。以下は、ネット上で見つけた別の方の訳だ。河津さんが指摘していたのは太字の部分だ。


死ぬ日まで 天を仰ぎ
一点の恥ずることなきを
葉あいを縫いそよぐ風にも
わたしは 心痛めた
星を うたう心で
すべて 死にゆくものたちを愛しまねば
そして わたしに与えられた道を
歩みゆかねば
今宵も 星が風にーーむせび泣く

◯「詩人尹東柱とともに・2014」(主催:詩人尹東柱を記念する立教の会)
_8ds3015池袋駅から近い立教大学

_8ds3019正門入って両脇にある三角形に剪定された杉の種類。

_8ds2984立大チャペルで追悼会が開催されるようになって7回目とのこと。二階席もあり、300人ほどが参加した。中高年が多い印象。

 プログラムは第1部の追悼セレモニーと第二部の講演会で構成され、充実した3時間だった。
追悼セレモニーの中で金大原牧師は、「あまりにも素直なことばで表現したユン・ドンジュさんの詩が、時間の経過とともになぜこれほどまでに愛されているのか、韓国の国民の誰もが詩の一つは知っているほどなのか」、ということに触れ、「戦う詩人というよりも、精神的な指標となった」と話した。

_8ds2996追悼セレモニーの会場となった立大チャペルに置かれた尹東柱(ユン・ドンジュ)氏の遺影

 6編の詩がハングルと日本語で朗読された。特に気に入った3編をネットからコピーした。
1.弟の印象画  (1938年 生まれ故郷の満州、間島)
2.陽の光・風   (1938年推定)

3.自画像    (1939年 専門学校2年) ←←ちょっとストイック。

山の辺を巡り田園のそば 人里離れた井戸を
独り尋ねては そっと覗いて見ます。

井戸の中は 月が明るく 雲が流れ 空が広がり
青い風が吹いて 秋があります。

そして一人の男がいます。
なぜかその男が憎くなり 帰って行きます

帰りながら ふと その男が哀れになります。
引き返して覗くと男はそのままいます。

またその男が憎くなり 帰って行きます
帰りながら ふと その男がなつかしくなります

井戸の中には 月が明るく 雲が流れ 空が広がり
青い風が吹いて 秋があり
追憶のように男がいます

4.愛の殿堂   (1938年)

5.たやすく書かれた詩 (1942年6月3日 立教大在学中) ←←すばらしい!「幼友達をみな失い」というくだりは、朝鮮語の詩を書くことでしか「抵抗」できない自分自身のふがいなさを詩っていると感じられる。

窓辺に夜の雨がささやき
六畳部屋は他人の国、

詩人とは悲しい天命と知りつつも
一行の詩を書きとめてみるか、

汗の匂いと愛の香りふくよかに漂う
送られてきた学費封筒を受け取り

大学ノートを小脇に
老教授の講義を聴きにゆく。

かえりみれば 幼友達を
ひとり、ふたり、とみな失い

わたしはなにを願い
ただひとり思いしずむのか?

人生は生きがたいものなのに
詩がこう たやすく書けるのは
恥ずかしいことだ。

六畳部屋は他人の国
窓辺に夜の雨がささやいているが、

灯火をつけて 暗闇をすこし追いやり、
時代のように 訪れる朝を待つ最後のわたし、

わたしはわたしに小さな手をさしのべ
涙と慰めで握る最初の握手。


6.序詩      (1941年11月20日)

死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹き晒らされる。。(伊吹郷訳)

(注:立大チャペルでの追悼会は当初から伊吹訳が使われてきたと、受付の女性から聞いた。河津さんが指摘した訳詩の違いは、知らなければ見過ごすところだが、別訳を知ってしまった以上は、こちらの方が自然で相応しいと感じてしまう。→→すべて死にゆくものたちを愛しまねば

ユン・ドンジュ略年表(追悼会で配布された小冊子より抜粋し加筆)
1910年 日本の韓国「併合」。朝鮮半島の植民地化
1917年(便宜上付記 大正6年) 12月30日 中国東北部(満州)間島省和龍県明東村に長男として生まれる。(注:現在の中国延辺朝鮮族自治区)
1925年(大正14年) 治安維持法制定(41年に改正され、重罰化)
1931年 満州事変。関東軍による中国東北部(満州)の占領へ。
1932年3月 傀儡国家満州国誕生。
1935年(昭和10年)9月 平壌の崇実中学に編入学
1936年3月 神社参拝拒否で崇実中が自主廃校となり故郷の中学に編入。
1938年 ソウルの延禧専門学校(現・延世大学)に入学。いとこの宋夢奎(ソン・モンギュ)と寄宿舎に入る。
1940年2月11日 朝鮮総督府の制令により「創氏改名」が施行される。創氏改名に抗議し投身自殺した人も出る。
1941年 延禧専門学校卒業。手書きの朝鮮語による詩集「空と風と星と詩」を3部作り、恩師と親友に贈る。日本に渡る前に尹を「平沼」と創氏。平沼東柱を名乗った。いとこは宋村と創氏し、宋村夢奎と名乗る。
1942年2月ごろに渡日。立教大学文学部英文科に選科生として入学。10月には同志社大学文化学科英文学専攻に選科生として編入。いとこの宋村は京大史学科選科に入学。
1943年7月14日 治安維持法違反の嫌疑で逮捕される。いとこの宋村も逮捕
1944年 裁判の結果、2年の刑が確定し福岡刑務所に収攬される。
1945年2月16日 福岡刑務所で獄死。3月6日に故郷に埋葬される。いとこの宋村は3月10日に獄死
1948年 韓国で詩集「空と風と星と詩」が刊行される。
1984年 尹東柱全詩集「空と風と星と詩」(伊吹郷訳、記録社)が刊行される。
1995年 没後50年 延世大学で50周年追悼会開催。同志社大に「序詩」の碑が建立される。韓国KBSとNHKが共同で「空と風と星と詩~尹東柱・日本統治下の青春と死」を制作し、放映する。

第二部水野直樹京大教授講演会「歴史研究者が見た尹東柱」
~~「創氏改名」問題と「独立運動」事件~~

_8ds2991
 
・水野先生の講演は、副題の通りに、日本植民地下の朝鮮半島で強要された創氏改名の問題に尹と宋の二人はどう対処したのかということと、治安維持法で捕まるような活動を二人はやっていたのかどうかという点にポイントが置かれた。もう一つ重要な点は、いとこの宋氏の生き方を抜きには、尹氏の逮捕、獄死となる必然性は理解できないといっているように感じられたことだ

 まず、創氏と改名は区別して考えたほうが良いということ。創氏は義務であり家全体にかかることで、改名は一人一人が下の名を変えるかどうかの問題だったという。実際、1940年2月に施行された朝鮮総督府の制令により、朝鮮人各家が氏を設定することが義務づけられ、創氏設定期間となった8月10日までの創氏率は80%だった。同様に改名率はわずかに10%未満。

 水野先生によると、尹東柱といとこの宋夢奎は、創氏はしたが改名はしなかったと解説した。尹は日本に留学する1年半前には創氏し、姓は「尹」から「平沼」となり、「平沼東柱」の日本名となった。専門学校に通学している時は日本名は名乗らないままだったとのこと。いとこの宋は「宋村」と創氏し、改名はせずに「宋村夢奎」の日本名になった。日本に渡る際の渡航証明書などで日本名を名乗る必要が出たためとのこと。

 創氏改名の狙いは、朝鮮的な家族集団を解体し、日本的な「イエ」制度の導入であり、天皇制国家体制の基礎作りとなり、日本国家への忠誠心を植え付け、戦争への動員だと水野先生は解説した。

_8ds2989

 二人が治安維持法違反の嫌疑で逮捕されたのは、宋が43年7月10日。尹が7月14日。京都の下鴨署で取り調べを受け、分離公判で尹は44年3月31日に懲役2年の判決を受け、福岡刑務所に送られた。宋は4月13日に同じく懲役2年の判決で福岡刑務所に送られた。

 二人ともに治安維持法第五条違反が適用された。
「国体を変革することを目的として その目的遂行のためにする行為をなしたるもの」
(旧カタカナつかいを読みやすくするためにひらがなにしました)  

 略年表にあるように、尹は45年2月16日、福岡刑務所で獄死。宋は3月10日に獄死した。獄死にいたる理由は何も明らかになっていないようだ。ただ明白なのは、二人が相次いで獄中死した不自然さが残る。尹は未決拘留期間の120日(4カ月)を含めると、5カ月後には釈放されてもおかしくなかった。

 水野講演の資料として配布された二人の独立運動の関わりには、判決理由でいとこの宋が中国で独立運動に参加したとは書かれているが、ユン・ドンジュについてはこれといった活動を積極的にやってきた記述はない。二人が朝鮮独立を夢見なかったとしたら嘘になるだろう。独立運動の闘士として重要な役割を担っていたということもなさそうという点からいえば、懲役2年で獄死させられるほど弾圧されたことが、治安維持法違反とのでっち上げでも、いかに恣意的に運用されていたことを証明しているのではないか

 獄死に至る経緯はわかっていないが、取り調べの拷問や、粗末な食事、病気などを無視するような獄中生活を送るうちに、衰弱し精神的に参ってしまって死に至るということが十分に推測できる。それは現代の民主化闘争などの活動家に対する拷問と長期刑により、獄死する若者が後を絶たない軍事政権下のビルマ(ミャンマー)などでは一般的に知られたことだからである。ましてや、戦前戦中にスパイや抗日ゲリラの取り締まり、「不穏分子」を投獄してやりたい放題の特高や憲兵隊が国民から怖れられていた時代はなおさらだ。

講演の結びに、「二人の独立への思いを心に持ち、詩を読んでほしい」と水野先生は強調した。最もだ。他国に植民地下され、母国語での教育や表現活動の自由を奪われ、名前まで強制的に変更させられ、様々な差別を受けておとなしくしている民族があるだろうか。

治安維持法による獄死の事例
 『蟹工船』を1929年に発表し、不敬罪に問われ、30年に治安維持法違反で投獄された小林多喜二はあまりにも有名だ。出所後は地下活動に入り、33年2月20日、特高に捕まり築地署で拷問死した。

 戦時下最大の言論弾圧事件となった横浜事件。当局のでっち上げにより、市民が共産主義者のレッテルを貼られ、治安維持法違反容疑で逮捕され、神奈川県警特高課の激しい拷問で4人が獄死した事件だ。雑誌に掲載された論文がきっかけとなり、42年から45年にかけて、編集者、新聞記者ら約60人が逮捕され、約30人が有罪となり、4人が獄死し、1人が保釈後に亡くなった

 戦後、無実を訴える元被告人やその家族・支援者らが再審請求をし続けた。2005年に再審が開始され、罪の有無を判断せず裁判を打ち切る免訴判決が下された。その後、元被告遺族による刑事補償請求により、横浜地裁は2010年2月、元被告5人に対し、請求通り約4700万円を交付する決定。裁判長は特高警察による拷問を認定。「特高警察による思い込みや暴力的捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した」、「警察、検察、裁判所の故意、過失は重大」と判断した。(この段落はウィキペディアより引用)

◯ブログのまとめ
 2月16日のユン・ドンジュの命日に京都新聞に載った記事の結びにはこうある。
 「治安維持という名のもとに民族の誇りを奪い、自由な言葉による表現活動を封じた時代があった。何が違反なのかは取り締まる側の裁量に委ねられ、弾圧対象が広がった。

 特定の秘密を保護する」という名分の法が成立した今こそ、尹東柱の非業の死を胸に刻みたい。きょう16日は命日にあたる」

 2月19日の東京新聞夕刊には、横浜事件の被害者遺族が秘密保護法を懸念する記事が載っている。
「戦前のドイツでは『経済を良くする』というナチスが国民を熱狂させた。庶民を束縛するものは、始めから恐ろしい顔はしていない。『このくらいならいいでしょう』と優しい顔で、少しずつ自由を奪っていくんです」
(平館道子さんのコメント。経済学者だった父親の平館利雄さんが横浜事件の元被告ででっち上げ事件の被害者となった)

_8ds2944国会正門前で、秘密保護法に反対する市民や学生。2013年12月5日撮影 

 あなたはこれでも特定秘密保護法は、拡大解釈されることも恣意的に運用されることもなく、市民やメディアの知る権利を脅かすことなく、戦前に回帰しようとする法律ではないと信じますか?

◯参考資料
詩人尹東柱を記念する立教の会

「詩人尹東柱 記憶と和解の碑」建立運動の
現状と開示裁判資料の意味(PDF)

延辺が生んだ詩聖・尹東柱

横浜事件

追記:同志社大にある詩碑(5月9日)
 写真展の営業で京都に出かけたついでに、同志社大構内にあるユン・ドンジュ詩碑を見てきた。ひっそりとだが、教会の建物脇に建てられていた。詩碑には、「序詞」がオリジナルのハングルと伊吹郷訳で刻まれていた。
朝鮮半島の統一を願う旗も置かれていた。
_8ds8331web5月8日撮影

_8ds8324web詩碑の説明版

◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。

・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729

・銀行振込
城南信用金庫
店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2014年2月 8日 (土)

宇都宮さんと細川さんの二人をまとめて都庁に送り込めないか!?(2月14日 結果追記)

(写真はクリックすると拡大します)

_8ds26492月7日 官邸前にて、ワンツーフィニッシュを望む投票権のない常連さんのプラカード。

 選挙戦は最終日。一本化はできなかった。その憂鬱さもさることながら、原発問題に無関心をよそおう有権者と、脱原発は争点にしたくない一部大手メディアの大きな障壁を崩すことができなかったのではないだろうか。

 では、脱原発を望み再稼働を何としても止めさせたいと願う有権者は、誰に投票すれば良いのだろうか。もちろん、原発推進派の舛添候補と田母神候補は論外である。宇都宮けんじ候補と細川もりひろ候補の両陣営は、安倍自公政権の暴走を止め、東京から国政を変えることを強く訴えた。

 原発事故が未収束のまま、原発を基幹エネルギー源と位置づけようとする安倍自公政権与党が応援する舛添候補の票や、石原猪瀬都政14年を容認してきた保守層や無党派層の票を勝ち取ることができることを願いつつ、主観的に取材してきた二人の写真を選んでみた。

  (宇都宮さんの写真は選挙告示日の1月23日前からのものも含めている)


宇都宮けんじ候補
_8ds07932月1日 代々木音楽堂

 宇都宮さんの人となりは40年以上の人権派弁護士としての実績で証明されている。困っている人のために活動する宇都宮さんほどの人格者はいないだろう。

_8ds68101月8日 告示前の池袋キックオフ集会後

_8ds88311月26日 京王流山駅前にて

_aaa12681月26日 多摩センターにて。

_8ds80281月25日 練馬区光が丘駅前にて

_8ds72291月16日  告示前の新橋SL広場にて

 代々木の「せんきょCAMP」で宇都宮さんの若者に向けたメッセージ。
「若い人が置かれている状況は永遠に続くものではない。だんだん変わってきている。必ず変えることができる。ただ人任せではダメです。若い人が声を上げるようになれば必ず世の中変えることができます。そのためにも選挙に行きましょう」

_aaa24732月6日 赤羽駅前にて

_aaa2492同 赤羽駅前にて

_8ds2186同 赤羽駅前にて

_8ds06621月31日 国会正門前

 宇都宮さんの強みは、前回の都知事選に出た際の政策をさらにバージョンアップしたものとし、多岐にわたる分野のテーマの細部までを本人が把握し、演説でスラスラと話すことができる点だ。

 要約すると、経済優先や効率優先の時代に取り残された社会的弱者の視点に立ち、「1%のための都政から、99%のための都政に変えてゆく」ことを公約に掲げているということだ.。

 東京都の有権者が脱原発だけでは関心を示さないだろうと読んでの、雇用、少子高齢化対策、福祉などと同列に原発再稼働に反対する政策を掲げたのだろう。宇都宮さんほど都政の実務を任せたら、都庁職員や都議会にとって手ごわい人はいないだろう。

_aaa13551月26日 京王流山駅前にて

(ちなみに、宇都宮さんの告示から2週間前のキックオフ集会についてはこちらを参照してください→「宇都宮けんじとともに東京都を変えていくキックオフ集会」は希望を感じさせてくれた!

選挙後追加写真(2月14日追加3枚)
_aaa2535web2月8日最終日の新宿アルタ前。午後6時。吹雪く大都会の街宣となったが若者の熱気は変わらなかった。

_8ds2719web宇都宮候補も吹雪の中での街頭演説会。

_aaa2652web新宿駅西口小田急ハルク前の宇都宮候補の選挙戦最後の街頭演説会。熱い支援者とボランティアはハイテンションな熱気に包まれた。


細川もりひろ候補
_8ds02842月1日  代々木音楽堂にて

 代々木の「せんきょCAMP 野外フェス」に登壇した細川もりひろさん。
「秘密保護法でも、憲法の話でも、NHK人事でも何でもおかしいじゃないかと思ってますよ。安倍さんの奥さんの方がよほどまともなことを言っている」

 _8ds86621月25日 立川駅前にて

_8ds85181月25日 立川駅前にて

「政府は原発を基幹エネルギーと位置づけようとしている。原発を再稼働する。冗談ではない。垂れ流しが続き被害者が苦しんでいる。とんでもない話だ。これは今立ち上がって政府に異議を申立てなければいけない。世の中の不条理、おかしいと思うことと闘わなければならない」

_8ds85821月25日 立川駅前にて

_aaa12151月25日 立川駅前にて

_8ds01351月31日 細川選挙事務所にて

_8ds02831月31日 細川選挙事務所にて

_8ds9812web1月30日 瀬戸内寂聴さんの応援スピーチ 中野駅前 


_8ds9707同 三軒茶屋にて

 細川候補の強みは、「原発即ゼロでいい」という国民運動を盛り上げようとする自民党の小泉元首相がかつぎあげ、積極的に脱原発の意思をしめさなかった保守層や無党派層に強烈なアピールができる影響力が期待された点だ。各地での街頭演説に集まる聴衆の半端ではない多さはそれを裏付けていた。

 同時に、直前まで出馬準備をまったくしていなかったことが弱みだった。10数年、政治の世界とは離れ、とりわけ都政とは縁遠く、細部を把握するのはこれからというのが弱みといえる。多分野での協力なブレーンが欠かせない。

 安倍政権の暴走をここで何としても食い止めることを念頭に、宇都宮候補の前回の都知事選の結果を踏まえ勝てないと読んだ鎌田慧さん、広瀬隆さん、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さんらが、こぞって細川候補の応援に回る決断をした意味も重かった。

 誰もが原発に長年反対してきた。それだけではない。小泉元首相や自民党政権の政治に反対し、戦争に反対し、改憲に反対し、沖縄の米軍基地に反対する活動を続けてきた著名人だ。そこの熟慮を想像してみたらどうだろうか。細川応援団に吉永小百合、倉本聰、藤原新也さんら、著名な文化人があえて名乗り出たことも大きい。

_aaa18091月28日 三軒茶屋にて

_8ds97441月28日 三軒茶屋にて


_aaa1822同 三軒茶屋にて

_8ds12122月2日 有楽町にて 応援演説をする桜井南相馬市長。東海第2原発の再稼働に反対し続けてきた村上達也元東海村村長と浜岡原発に近い湖西市の三上市長も応援演説に立った。

_8ds24492月7日 新橋SL広場前

_8ds2345同 

_8ds2362同 新橋SL広場前 復興支援「森の長城プロジェクト」活動に感謝する横断幕

_8ds2416同 新橋SL広場前にて

 「福島は徹底的に痛めつけられたのです。山手線管内の二倍の地域がいまだに立入禁止となっている。東京は核のゴミも地方に押しつけ、大消費地として便利さを、良いところだけを受け取ってきました。自分だけ良い思いをして、嫌なところは全部地方に押しつけてきた。それはないでしょう」

 「これは夢ではなく、現実に私たちが手にすることのできる壮大で歴史的な事業です。戦後の価値観を変える試みです。お力を貸してください」

選挙後追加写真(2月14日追加3枚)
_aaa2585web最終日の最後の街頭演説となった新宿アルタ前。吹雪をものともしない支持者が取り囲んだ。

_8ds2839web吹雪の中を訴える細川候補と応援する小泉元首相。

_aaa2608web降りしきる雪で顔を濡らしながら、演説を最後まで聞いている若者。


思い出してほしいための蛇足
G00110原発から4㌔にある福島県大熊町双葉病院。この病院では、避難の遅れにより、高齢者の患者が50人亡くなった。2011年12月撮影

_aaa2541福島県浪江町。餓死して路上に横たわる子猫。2011年4月撮影

_aaa0118原発から40㌔以上離れた福島県飯舘村草野小学校。プールの徐染活動。2012年2月撮影。飯舘村は全村避難となった。

 原発事故の教訓は、災害に強い都市を造ることはできても、放射能に対して強い都市はできないということだ。
 どんなに立派な病院や学校でも、繁栄する街でも、政策が住民に寄り添っていたとしても、原発が再稼働され、原発事故が起きてしまえば、絵に描いた餅に等しくなってしまうということではないのだろうか。

 だからこそ、都民は原発のない東京都政を全国に発信していくチャンスと義務があるといえる。そこからでしか、安倍自公政権の暴走政治に痛撃を与え、立ち止まらせることはできない。両陣営の小異は残し大同団結した力があれば都政から国政を変えることはできるはずだ。

全人口の10分の1を抱える東京都。目の前の弱者を助けようとするリーダーと、子どもや孫の代まで原発事故の恐怖と核のゴミをおしつけまいとし、経済優先から舵を切る発想の転換を促すリーダーの両方が必要なのだ。

_8ds26332月7日 国会正門前。明かりのない場所で、一人熱く「原発いらない」を叫ぶ女性


選挙結果(2月14日追記)
・投票率は46.14%

1:舛添 要一    2112979
2:宇都宮 けんじ   982594
3:細川 護熙     956063
4:田母神 俊雄    610865

家入 かずま     88936
ドクター・中松    64774
マック 赤坂     15070
鈴木 たつお     12684

実に残念な結果となった。投票率があまりにも低すぎた。
原発推進派の舛添氏と田母神氏を合わせて272万票。
原発再稼働反対陣営の宇都宮氏と細川氏を合わせて193万票。
その差は79万票。勝利するにはかなり大きな票差であり、
都民有権者の原発事故に対する当事者意識の薄さを色濃く反映し、
大手メディアが脱原発の争点はずしに半ば成功した結果でもある。


さらに、20代、30代の有権者が、原発事故の影響を軽んじ、軍国主義的な考えの
田母神氏に投票したという事実は深刻だ。誤った歴史認識の持ち主で、
隣国の中国や韓国、北朝鮮との外交関係を損ない、国益を損なう
安倍晋三(首相)の支持率が、50%をこえている大きな要因ではないだろうか。
恐ろしい時代に突入し、下り坂を一気にころげ落ちるようだ。
(希望的観測のないまとめで申し訳ないが)

 


 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014年2月 5日 (水)

原発事故の被災者を置き去りにする都知事選の候補者は誰か?

(写真はクリックすると拡大します)

 来月で原発事故から丸3年が経つ。安倍首相の「汚染水はコントロールされている」というウソで決まったといえる東京五輪招致から5ヶ月。大手メディアのお祭り報道もあり、安倍自公政権が狙いすましたかのように、原発事故、大震災、大津波の被災地の復興最優先から国民の関心が、、オリンピックへの期待感にすり替えられてしまった。

 まるで原発事故などなかったかのような安倍自公政権。そこにふって湧いたような東京都知事選。フクイチの電気を消費してきた東京都民は、いまこそ電力消費者としての責任を自覚し、原発問題の当事者として候補者選びをすることが求められているはず。だが、どうやら多くの有権者は、事故直後の水パニックや被ばくの心配などなかったかのようだ。

 昔ながらの固定電話だけを調査対象とし、若い世代を網羅しているとはとうてい思えない世論調査の信憑性は大いに疑問だが、大手メディアによる都知事選の世論調査では、有権者の関心が高い政策は、 「医療・福祉」、「景気・雇用」、「教育・子育て」などで、なぜか原発政策は3番目程度となっている。主な候補者の中には、原発再稼働で安倍政権と共同歩調を取る候補者もいる。舛添候補にいたっては、「史上最高の五輪にする」と五輪の成功をうたい文句にするほど、有権者の関心のすり替えを狙っているようでもある。

 今さら、「東京五輪は被災地の復興に役立つか?」、と思う人もいるだろう。だが、ちょっと待ってほしい。原発問題は都政の最優先課題として取り組むのが当然ではないのだろうか。福島県の原発事故の被災者に改めて五輪招致や都知事選について聞いてみた。

◯楢葉町
 楢葉町はどこを見ても、徐染で出た汚染土を詰めたフレコンバックの仮置き場だらけとなっている。
_8ds1487


_8ds1548

 大熊町と双葉町に建設が計画されている、一キログラム当たり10万ベクレルを超える高濃度の放射性廃棄物の中間貯蔵施設が、いまだに場所も決まっていないため、汚染土を詰めた黒い袋(あるいは青い袋)は、福島県内各地で野積みされたまま。
Photo毎日新聞からコピー

◯川内村
 原発事故後に「アニマルフォレスト」を立ち上げ、ヤギ11頭、羊11頭を生かし続ける吉田夫妻。
_8ds1644


_8ds1673

 「東京五輪招致は復興に役立ちますか?」と吉田和浩さんに聞いてみた。吉田さんは除染の仕事も請け負う会社を経営している。
「除染の仕事は、工期や必要人員などの不確定要素が大きく、割に合わないので、企業が工期が決まっている太陽光発電の現場に人が流れるようになりつつある。早く発送電分離を実現してくれれば、新規参入の可能性が高まり仕事を取りやすくなると思う」

 「今はまだ関東から福島に仕事に来ているけれど、これからは、福島から東京へ人は映るだろう。これからは人員不足で復興が思った通りに進まなくなる。原発作業員の6割が地元の人。東電の廃炉も人員不足になる。原発事故はなかったことになると思う」

_aaa2332吉田さんの自宅とヤギ羊を飼う川内村下川内の貝ノ坂地区も徐染が完了したが、設置されているモニタリングポストの線量は、0.72マイクロシーベルトを指す。

_8ds1681貝ノ坂地区の奥まった山中には、川内村の汚染土仮置き場がある。グリーンのシートで覆われている。

◯富岡町
_aaa2413町立富岡保育所に設置されたモニタリングポストの数値は0.975マイクロシーベルトと、約1マイクロシーベルトの高い数値を示す。徐染はこれからのようだが。

 _aaa2394松村直登さんの飼うダチョウが、1月に不慮の死をとげたために、1羽だけとなった。

_aaa2372相変わらずマイペースで牛を生かす松村さん。

_8ds1758
 
 松村さんに「東京五輪は復興に役立ちますか?」と聞いた。明快な答えが帰ってきた。

「五輪招致が決まったとき、政府はやりたいことは山々ですが、今回は辞退します。トルコがお先にどうぞ、とでも言えば良かった。原発事故が収束できないでいるのに、片方で大騒ぎするのか。これから原発作業員がいなくなるかもしれない。若い者は、家で一人で酒飲むよりも、給料が高くて遊ぶところがあった方が良いに決まってる。今だったら返上するべきだ」
 
  
_aaa2380保健所で処分される運命の子猫を支援者から押しつけられた松村さん。「シロ」と「さび」と名付けられ、二匹ともに元気で松村さんにまとわりつく。

_8ds1709牛のエサやりに行く松村さんの後をついていくシロとさび。

◯浪江町
 五ヶ月ぶりの希望の牧場・ふくしま。朝から天候が急変し、温度も下がり吹雪いてきた。冬なのにほとんど雪がなかった牧場にも、ようやく白いものが積もりはじめた。
 _8ds2080


_aaa2420

_8ds2046モヤシかす?のエサやりをする吉沢正巳さん。

 前夜に聞いた吉沢節:「浜通りがいけにえとなって東京が成り立っている。化け物のような東京のエゴは、福島の犠牲の上に、浜通りのいけにえの上に成り立っている。オリンピックバブルが起きるでしょう。お祭騒ぎがい起きるでしょう。勝手にやれば」

 「首都高から福島に向かっているときに見る煌々とした夜景を見ると思う。化け物のような東京のエゴはいづれ崩壊するときがくるのではないか。自分が残りの人生のテーマとして、牛を生かしながら、原発社会支配を乗り越えるためにやっていきたい」

 「都知事選で一本化して勝てば、革命的なことになるかもしれない」

_8ds2016牛たちの吐く息と、生暖かいモヤシかすが相乗効果で白いもやとなった。


_8ds2063

◯南相馬市
_8ds2108酪農家の瀧澤昇司さんは、牛舎の屋根を全面的に利用して太陽光発電を昨年4月から始めた。両親の住まいの屋根や母屋の屋根なども、今年度中にソラーパネルを設置する予定でいる。

 牛舎の屋根には115枚のパネルが設置され、発電量は22.3㌔ワット。10ヶ月間の売電収入は80万円弱とのこと。
「脱原発と言っているのに、電力を頼っているままでは説得力がないと思う」という考えに至ったからだ。

_8ds2123

 「東京五輪は復興に役立ちますか?」との質問には、「住民の一人としてはNO。ただし、経営者としては△。首都圏の景気が回り回ってこっちにもくるかもしれないから」。

 瀧澤さんは放射能の被害とは別に、イノシシや猿の実害が半端じゃないと言った。母親が作った野菜などが食い荒らされてしまったからだ。「猿が保存しておいたカボチャを両脇に抱えて歩いていく後ろ姿を見た。タマネギを取って逃げようとする猿が、人間にタマネギを投げて逃げていった」
 田んぼを荒らすイノシシの駆除のためにロールエサの近くに鉄柵のわなを仕掛けておいたら、一頭のメスイノシシがかかったという。原発事故により人気がなくなった双葉町や浪江町で繁殖し、南相馬市の山の方にどんどん移動してきているのだという。

_aaa2467トドメをさされたイノシシ。


◯飯舘村
_8ds2155酪農家の長谷川健一さん(60歳)。

 朝から降った雪が真っ白になった飯舘村。ようやく冬らしい姿となった。

「村長は最初から国の言いなり。今でも国の言いなりだ。徐染は始まったがいい加減。汚染土は仮置き場が決まっていないから、仮仮置き場がそのまま仮置き場になるだろう。村長は『徐染=帰村』のつもりで村民を説得している。帰村宣言は住宅の徐染が完了した段階で出すつもりだという」

 「東京五輪は復興に役立ちますか?」と聞いてみた。

「五輪には関心はまったくない。五輪のプレゼンをテレビで見た。招致が決まったときオレはテレビを消した。復興予算が五輪で削られることになると思う」

_8ds2134

「我々はもう忘れられようとしている。都知事には細川さんが勝ってほしいと思っている。これまで200回以上、各地で講演したが、これからは『飯舘村のその後』のタイトルで講演することにしている。4月には数人の区長でチェルノブイリを見てくる」

◯取材後記
  「史上最高の五輪にする」と公約を掲げる候補者は、原発事故はなかったかのような感性の持ち主であるかは明らかだ。
 
 福島県郡山出身でありながら、原発はばんばん造れば良いとまで言い切り、被ばく労働者の犠牲の上にしか成り立たない原子力発電の再稼動、推進を街頭演説でしまくる田母神候補は論外。責任ある候補者としては失格としかいいようがない。

PS:以下のブログ記事も参考にしてみてください
9月21日  東京五輪は被災地の復興に役立つか?Part1(福島県の原発事故被災者に聞いた)
9月25日  東京五輪は被災地の復興に役立つか?Part2(大津波被災地で聞いた)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »