東京五輪は被災地の復興に役立つか?Part2(大津波被災地で聞いた)
(写真はクリックすると拡大します)
岩手県、宮城県の大津波被災地を一年ぶりに回った。昨年9月にフォトルポルタージュ「鎮魂と抗い~3・11後の人びと」(彩流社)出版後に、拙著で紹介した被災者のみなさんを訪ねて回って以来となってしまった。
そのこともあって、現場から1年も離れてしまうと、自分自身は、もう旅人のような目線しか持っていないような気にもなった。このブログ記事は、駆け足で取材したこともあり、私がこれまで何度か取材したことのある大津波被災者などの声に限られ(もちろん、偶然の出会いで取材できた被災者も含まれる)るので、全体の一部を反映したものであることを、前もってお断りしておきたい。
とはいえ、大津波の被災者は、東京五輪招致を祝うことは、自分たちの生活再建の日々とは無縁で、被災地の復興を遅らせるだろうと漠然とした不安と心配を抱いていることは確認できたと思っている。
◯岩手県釜石市、大槌町
2011年3月26日。釜石市鵜住居の4棟のアパート。
同、2013年9月17日。
2011年4月25日 大槌町吉里吉里
同、2013年9月17日
2011年8月16日 大槌町の江岸寺墓地から大槌町役場の方向をみる。
同、2013年9月17日
2011年3月25日。釜石市魚市場跡。
同、2012年9月27日。
同、2013年9月17日。
大震災直後の写真と今回の写真を並べて見た。大津波から二年半でガレキはキレイに片づけられ、一見、復興が着実に進んでいるように見える。しかし、被災者の生活再建も、住居の高台移転もままならない目に見えない厳しい現実があることを心して置く必要がある。。
東京オリンピック招致と関連施設建設工事は、津波で住むところを全て失った避難民の高台移転が始まる頃と時期が重なる。
◯釜石市の19歳
岩崎翔さん(19歳)。
「五輪が来ても来なくても、どうせ東京の人たちは俺たちのことなんか忘れちまっているさ。だったら自分たちで復興すればいいさ」。2013年9月17日
釜石市鵜住居の自宅は流され祖母が死亡。当時は高校生。小学校からの同級生二人が流された。女の子の遺体は見つかったが、男の子の友人で中学まで部活で野球を一緒にやっていた同級生のメールアドレスはいまだに消せないでいると話した。「どこからともなく帰ってくる気がすることもあるから」
工業高校を卒業後は地元の復興に関わる仕事についているが、もしも大震災がなければ、今ごろは仕事を求めて東京に出ていたと思う、ともいった。
☆釜石市片岸町の被災者、中村イヨ子さんの話(海に近い自宅は土台を残して流され、ご主人の遺骨も見つからないまま)
中村さんはいち早く仮設を出て、昨年12月から釜石市の内陸部の求めた土地に平屋を建てて移り住んだ。
「7年後に被災者が仮設を出て、家で暮らし、生活再建ができているならば歓迎するわ。オリンピックは話題にもならない。年金暮らしの私たちには何の得にもならない」
◯大槌町吉里吉里の漁民
今年8月の盆明けにようやくかさ上げされた岸壁が出来上がった。吉里吉里の港。殺菌設備がまだ完成していないため、養殖カキは収穫後に広島県に送ってから処理され、大槌産として市場に出荷される流だという。
山崎由紀子さん(真ん中、45歳)。祖母が流されて死亡した。
「日々の生活を考えるので精一杯で五輪のことなど話題にもならないわ。他所の国で起きている騒ぎみたい。予算も人もどんどん減っていくでしょう。そうでなくとも復興が遅れているのに」
年代の異なる三人共に、同じ気持ちだった。
ちなみに、山崎さんのご主人の漁師、朋洋さんは自分たちの置かれた状況よりも原発事故被災者を心配していた。
「テレビで見たが、目に見えない放射能で、福島の人は家があっても帰れないのは辛いだろうな。漁をしても、汚染水の問題で、宮城県の魚は値が下がっているという話だし、俺たちも燃料の値上がりで、大きい船での出漁は割に合わないから止めた」
(三人ともに大槌町吉里吉里の漁師の奥さんたち。
手にするのは吉里吉里特産の養殖ワカメ。注文したい方はこちらへご連絡ください。
新おおつち漁業協同組合吉里吉里養殖組合(tel:0193-44-2321まで)
吉里吉里に完成したマンション型の五階建災害公営住宅。希望者が予想を下回り定員割れしているそうだ。将来、一戸建てを建てる時に補助を受けることができないので、高台移転後に一戸建てを建てたい被災者は敬遠しているのが理由だと聞いた。
☆高橋英悟吉祥寺住職の話(約180人をこす檀家が亡くなった大槌町吉里吉里の高台にあるお寺)
「五輪に関しては、私は現実的です。ただダメだというのではなく、それに乗り遅れないように、忘れられないように決意して、未来の子どもに何を残してやれるのかも考えて取り組んでゆくことが大切ではないかと
大槌町は行政も含めて努力している。被災地が何を求めているかを官僚に伝えていく努力が不足しているのかなあとも思う
◯岩手県大船渡市、陸前高田市
2011年4月25日。大船渡市
同、2013年9月18日。線路が全て撤去されていた。
2011年3月27日。大船渡市中心部の惨状。
2013年9月18日。撤去された線路は舗装され、バス道路となっていた。
9月18日。線路がガードレールに囲まれたバス道路となった。
2011年3月27日。陸前高田市市街地の惨状。
2013年9月18日。陸前高田市はどこよりも早くガレキは撤去され、一部はかさ上げされた盛土が始まっていた。そんな市街地のど真ん中で、不思議な光景を見つけた。雑草の覆われた畳10畳ほどの広さの区画の真ん中に、小さな家庭菜園を見つけたのだ。もしかしたら昨年から始まっていたのかもしれない。所有者の「ここは私の家があった土地ですよ」という意思表示なのかもしれない。
キュウリ、ナス、ミニトマト、サツマイモ、菜っぱ類など、10種類ほどの野菜が丹精込めて作られている光景だった。背景は、高さ7~8mはあると思われるかさ上げした盛土。
フレコンバッグ製の仮堤防。津波にも、台風による大潮にも耐えられるものではないのは明らか。
◯宮城県気仙沼市、南三陸町
2011年3月28日。気仙沼市鹿折地区。火災も発生して丸焼けともなった惨状。
同、2013年9月18日。第18共徳丸の解体工事が始まっていた。
同、9月18日。解体される貨物船の隣の敷地に建てられた慰霊碑。地元の人によると、派出所の警察官が避難誘導の途中で津波に飲み込まれたという。
2011年3月28日。南三陸町の惨状。
2013年9月18日。南三陸町防災庁舎。
変わりゆく街を見つめながら散歩する70歳と73歳の被災者。
二人の話:二人共に自宅が高台にあったので津波の被害は免れた。一人は実家が流され、もう一人は親戚5軒が流されたという。お金のある人や若い人たちは、高台移転を待たないで、内陸部の登米市や仙台市に家を建てて移り住んだとのこと。盛土を8m~10mかさ上げし、移転が済むころには、南三陸町の元の人口は16000人から1万人くらいに減るといわれている、と被災時は68歳の女性は言った。
「何が今、オリンピックだって。こっちの復興がそっちのけになってしまうのでねえか。トルコでもどこでも、あっちの方へ行った方がよかった。福島の人は怒ってるだろうに。私だって怒るもの。私らはまだましだから」
◯宮城県石巻市
2011年3月30日。石巻市門脇地区。後方で火災に見舞われたのが門脇小学校。
同、2013年9月18日
2011年3月30日。門脇地区のお寺。
同、2013年9月18日。
同、9月18日。
☆気仙沼市のジーンズ工場経営者の及川秀子さんの話:
「五輪は楽しみです。でも、被災地の復興がたちおくれることもとても心配です」
☆都内で居酒屋を営む大槌町出身者、芳賀吉見さんの話(吉里吉里の自宅が父親と共に流され、遺体はまだ見つからない。兄と妹も亡くなった)
「オレは五輪に反対だ。喜ぶことはできない。とくに福島県の被災者が気の毒だ。収束も何もしてないし、できそうにないのにオリンピックで騒いでいる。腹が立つよ」
◯取材のまとめ
復興予算の被災地外での流用は繰り返し報道されている。被災地と遠い地方での公共工事により、被災地での資材不足による高騰についても報道されている。被災地の復興事業に関わってきたゼネコン関係の経験豊かな人材や職人が、五輪施設の現場や、地元の公共事業の現場へ戻ってゆくだろうと、被災者は不安がる。その不安はテレビや新聞などの大手メディアが、五輪による経済効果などの皮算用を伝えれば伝えるほど、増幅されることだろう。。
| 固定リンク
「ニュース」カテゴリの記事
- 李元栄(イ・ウオニョン)さんの浜松スピーチ。汚染水放出抗議する!(2023.10.04)
- 東電福島第一原発事故による核燃料デブリ汚染水海洋放出反対の声(2023.09.07)
- 佐々井秀嶺師についての執筆記事一覧(2004年~2018年)(2023.06.06)
- 我が御代田町の、小園拓志町長による深刻極まる町政私物化問題(2022.11.19)
- 残照館(KAITA EPITAPH)として旧信濃デッサン館が復活(2020.06.16)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 東電福島第一原発事故による核燃料デブリ汚染水海洋放出反対の声(2023.09.07)
- 佐々井秀嶺師についての執筆記事一覧(2004年~2018年)(2023.06.06)
- 残照館(KAITA EPITAPH)として旧信濃デッサン館が復活(2020.06.16)
- 「命の行進2020 2020年3月10日」 南相馬市小高区から浪江町請戸海岸まで雨中15キロ 犠牲者追悼行進(2020.04.01)
- 東京五輪の是非を8人と1頭から聞きました(取材は3月7日から16日まで)(2020.03.30)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 李元栄(イ・ウオニョン)さんの浜松スピーチ。汚染水放出抗議する!(2023.10.04)
- 東電福島第一原発事故による核燃料デブリ汚染水海洋放出反対の声(2023.09.07)
- 佐々井秀嶺師についての執筆記事一覧(2004年~2018年)(2023.06.06)
- 残照館(KAITA EPITAPH)として旧信濃デッサン館が復活(2020.06.16)
- 「命の行進2020 2020年3月10日」 南相馬市小高区から浪江町請戸海岸まで雨中15キロ 犠牲者追悼行進(2020.04.01)
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 東電福島第一原発事故による核燃料デブリ汚染水海洋放出反対の声(2023.09.07)
- 佐々井秀嶺師についての執筆記事一覧(2004年~2018年)(2023.06.06)
- 「命の行進2020 2020年3月10日」 南相馬市小高区から浪江町請戸海岸まで雨中15キロ 犠牲者追悼行進(2020.04.01)
- 東京五輪の是非を8人と1頭から聞きました(取材は3月7日から16日まで)(2020.03.30)
- ようやく延期されたとはいえ、いつまで「復興五輪」に騙されているのか。(2020.03.29)
「東日本大震災(津波被災地)」カテゴリの記事
- 佐々井秀嶺師についての執筆記事一覧(2004年~2018年)(2023.06.06)
- 「命の行進2020 2020年3月10日」 南相馬市小高区から浪江町請戸海岸まで雨中15キロ 犠牲者追悼行進(2020.04.01)
- 東京五輪の是非を8人と1頭から聞きました(取材は3月7日から16日まで)(2020.03.30)
- 「痛みを分かつこころ」とは。9年目の東日本大震災と原発事故(福島、宮城、岩手3県巡りからPart2。大津波被災地巡り)(2019.03.23)
- 「痛みを分かつこころ」とは。9年目の東日本大震災と原発事故(福島、宮城、岩手3県巡りからPart1)(2019.03.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
初コメントです。
記事と写真拝見致しました。
真面目な意見
我欲五輪はもういらない。
五輪に投じる資材とか資金があるならば、まずは東北の被災地とか被災者の為に向けていただきたい。
アスリートの育成とか強化の為に国の予算を投じる事自体は否定しないが今は津波被害や原発事故の後処理の方が先決であります。
東北の復興なくして日本の復興は無し
「お・も・て・な・し」よりも「うつくしま・ふくしま」よ再び!
投稿: 我欲国民 | 2014年1月18日 (土) 18:42
我欲国民さま
コメントありがとうございます。
まさしく東北の被災地、被災者に資材や資金を
振り向けるべきとこです。
投稿: 山本 | 2014年1月19日 (日) 11:41
私は被災地(岩手)の住民ですが、オリンピック大賛成です!
周りの人も、賛成が多数です。
反対と言う人はほとんどいません。
「被災地=五輪反対」という安易で身勝手な決めつけは止めてください。
迷惑です。
投稿: あさがお | 2014年10月 2日 (木) 11:05
あさがおさま
コメントありがとうございます。
返答をするとすれば、気仙沼の被災者の方の以下の気持ちが被災者の心からの思いではないかと思っています。
「五輪は楽しみです。でも、被災地の復興がたちおくれることもとても心配です」
投稿: 山本 | 2014年10月 2日 (木) 15:59
うえのほうに、岩手にオリンピック反対の人がいないという書き込みがありますが嘘です。
岩手に賛成の人はほとんどいません。一部スポーツ関係者が喜んでいるだけ。
勝手にきめつけるなと書いていますが、おそらく県民ですら無いでしょう。自民支持者は狡猾ですから。
投稿: 岩手県民 | 2015年9月29日 (火) 11:35