母の新盆と農的生活
(写真はクリックすると拡大しますょ
◯92歳で亡くなった母親の新盆
昨年以来、久しぶりに我が田舎に1週間滞在した。12年11月末に母が92歳で永眠して以来だ。
ちょうど、昨年のお盆に病院での治療をあきらめ、最期の日々を自宅で送ってもらうために母を病院から引き取ったことを思い出す。母は8月15日に退院し、1週間もつかどうかのギリギリの状況だったことも。昨年9月に出版できた「鎮魂と抗い~3・11後の人びと」(彩流社)のあとがきは8月15日に書いたものだった。早いもので、あれから1年が過ぎた。田舎も日中は暑かったが、滞在の前半は母の新盆、後半は田舎の農的生活と小諸エコビレッジ祭で、毎日が忙しかった。
新刊写真集「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」(彩流社)の出版のために、今年の2月からはずっと突っ走ってきたので、久しぶりにのんびりした気分を味わった。というわけで、新盆と暗室小屋の回りの畑の写真を紹介したい。
しなの鉄道の線路脇で刈った葦でお盆のお供え用に、ゴザを編んだ。太い葦だったので、例年よりも大きなゴザができた。8月12日。
母とご先祖様の位牌をまつったお盆用の祭壇。母の写真は昨年の最期の日々に飾った一部を、妹が残したままつかった。写真を見ると母がまだ健在のような錯覚もする。
8月13日の新盆の初日。不思議な偶然だが、この日の信濃毎日新聞朝刊に、新刊写真集「戦後はまだ・・・」(彩流社)のインタビュー記事が大きく掲載された。写真集のあとがきには、「昨年末に92歳で旅だった母親にこの本を献上したい」と私は書いていた。
新盆は近所の人、親戚や同級生がお焼香に来てくれるので、縁側に焼香用のテーブルをセットし、待機する。葬儀で使った母の遺影をそのまま飾った。手ぬぐいを頭にまき、サツマイモの収穫をしている時の一枚だ。毎日のように畑に通った母をよく知る近所の人は、「あたさんがいる」と嬉しそうに思い出してくれた。母の名前が「山本あた」。13日と14日で50人をこえるお焼香があった。
8月14日の朝、真楽寺の副住職が新盆の回向のためのお経を上げた。若いが読経の声はいい。短い法話もわかり易い。家は御代田町塩野にある真楽寺(真言宗智山派)の檀家。この日、副住職は10数件の檀家を回るという。
近くの山にお供えを置き、線香を焚き、お供えを自然に返す。田舎ならではの風習。
◯我が暗室小屋の回りの畑
妹が取り残したジャガイモを掘った。写真はアンデス系の皮が赤ピンクのイモ。収穫時期は一月以上も遅れたが腐りもなかった。8月15日。
暑さのせいか、実になる途中で落ちたザクロの花や実。
順調に大きくなるザクロの実。
ちなみに、ザクロのつぼみはこんな形。7月12日撮影。花はたくさん咲いたが、実になるのは数少ない。
毎年びっしりと成るナツメの実。晩秋には焦げ茶色になり、収穫はそれから。
養分も日光も不足しているせいか、桃が小ぶりのまま色づき始めた。8月19日。
道路端のアンズの枝に作られていた鳥の巣と卵。7月12日撮影。残念ながら、卵は孵化しなかったようで、そのまま残っていた。ネットで検索しても鳥の種類は特定できない。
畑の中を流れる用水路の脇にある房スグリの葉に見つけたオニヤンマのヤゴ。7月12日撮影。これも不思議なことだが、8月14日の朝、祭壇を置いた部屋で待機していると、外から一匹のオニヤンマが室内に入ってきた。ぐるりと一回りしてすぐに庭に出ていった。母が熱心に畑仕事をした脇の用水路は、オニヤンマのヤゴの抜け殻を毎年必ず見つけることができた。畑に母の姿がないので、オニヤンマが探してきたのかもしれないと、勝手に思いこんだ。
順調に伸びるキウイのメスの木に、小さなカエルを見つけた。ただそれだけなのだが。
浅間山の南麓にある私の田舎の自然は、福島第一原発から250㌔は離れていて、原発事故による放射性物質が確実に降り注いだが、おそらくその分量は通常の生活を脅かすほどではないために、幸運にも、原発事故以前の自然環境や景色を満喫することができる。福島県の自然も里山も美しいことを私は取材で体感してきた。しかし、福島県は広範囲にわたって汚染され、除染しても事故の前の自然を取り戻すことはできないことが明らかとなっている。放射性物質の脅威は目に見えない。そのため、人は汚染を忘れようと無意識の努力をしてしまう。
原発事故はほんとうに残酷だ。
PS:母の旅立ちについてのブログはこちらをどうぞ→→「我が母の旅立ちと母の回想」
| 固定リンク
« !祝!山本太郎さん当選!祝!吉良よし子さん当選!(旧タイトル:私が投票したい候補者!投票したい政党は!) | トップページ | 小諸エコビレッジ祭:「生涯つきあえる ひととの出合い ものとの出合い」 »
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 東電福島第一原発事故による核燃料デブリ汚染水海洋放出反対の声(2023.09.07)
- 佐々井秀嶺師についての執筆記事一覧(2004年~2018年)(2023.06.06)
- 残照館(KAITA EPITAPH)として旧信濃デッサン館が復活(2020.06.16)
- 「命の行進2020 2020年3月10日」 南相馬市小高区から浪江町請戸海岸まで雨中15キロ 犠牲者追悼行進(2020.04.01)
- 東京五輪の是非を8人と1頭から聞きました(取材は3月7日から16日まで)(2020.03.30)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 東電福島第一原発事故による核燃料デブリ汚染水海洋放出反対の声(2023.09.07)
- 佐々井秀嶺師についての執筆記事一覧(2004年~2018年)(2023.06.06)
- 残照館(KAITA EPITAPH)として旧信濃デッサン館が復活(2020.06.16)
- 「命の行進2020 2020年3月10日」 南相馬市小高区から浪江町請戸海岸まで雨中15キロ 犠牲者追悼行進(2020.04.01)
- 東京五輪の是非を8人と1頭から聞きました(取材は3月7日から16日まで)(2020.03.30)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 李元栄(イ・ウオニョン)さんの浜松スピーチ。汚染水放出抗議する!(2023.10.04)
- 東電福島第一原発事故による核燃料デブリ汚染水海洋放出反対の声(2023.09.07)
- 佐々井秀嶺師についての執筆記事一覧(2004年~2018年)(2023.06.06)
- 残照館(KAITA EPITAPH)として旧信濃デッサン館が復活(2020.06.16)
- 「命の行進2020 2020年3月10日」 南相馬市小高区から浪江町請戸海岸まで雨中15キロ 犠牲者追悼行進(2020.04.01)
「田舎(標高888mの畑)」カテゴリの記事
- 残照館(KAITA EPITAPH)として旧信濃デッサン館が復活(2020.06.16)
- 渡辺清著「砕かれた神」は、戦争を知らない世代の必読書(宗補雑記帳から復活ブログ)(2019.09.10)
- 広河隆一氏の性暴力問題についての個人的見解(2019.01.08)
- 「老いや死を直視する術を見失った日本社会」(神奈川大評論掲載、宗補ホームペーよりの復活ブログ)(2018.12.16)
- 2002年4月:説得力不足でしたので、生の声を~宮内勝典海亀通信掲示板書き込み(宗補雑記帳よりの復活ブログ)(2018.12.11)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
志葉 玲の紹介で知りました。先週、軽井沢に旅をして来ました。空気な違います。浅間山の山麓は、歴史が一杯ですね。今回は、海野宿に水村喜一郎さんの美術館を訪問出来ました。10/27、何とか訪問したいです。静岡 遠藤。
投稿: 遠藤正雄 | 2013年10月18日 (金) 10:25