佐々井秀嶺師による原発周辺での人・動物供養
(写真はクリックすると拡大します)
インドから一時帰国中で、一億人をこえるインド仏教徒の最高指導者、最長老の佐々井秀嶺師をご案内し、原発周辺を二日間回った。写真で報告したい。
実は佐々井師を福島県にご案内するのは、今回が三度目だ。東日本大震災と原発事故に居ても立ってもいられなくなった佐々井師が、2009年の44年ぶりの一時帰国日本行脚後、もう二度と日本には帰ってこないといいながら再帰国したのは大震災から3ヶ月後の2011年6月。その時は、岩手県宮古市から三日間、鎮魂の読経を主な被災地各地でしていただいた。三日目のラストの場所が、原発から20数㌔離れた南相馬市鹿島区だった。
以来、6月に一時帰国されるようになり、昨年は警戒区域が解除となった南相馬市小高区の村上地区(大津波の犠牲者が60名をこえた)で鎮魂の読経をしていただいた。
今年はまる二日間をフルに使い、楢葉町、富岡町、南相馬市、浪江町の要所要所をご案内し、松村直登さんと吉沢正己さんのところで動物供養をしていただいた。撮影は全て6月26日と27日の両日。
楢葉町の除染後の汚染土仮置き場をあちこちで見て圧倒される佐々井師。
福島第二原発脇の楢葉町波倉地区。主なガレキの撤去はされていたが、二度と住みようのない全壊家屋はまだまだ手つかずで残っていた。これが大震災から2年以上が経過しても、変わることのない原発周辺の現実。
どこへ行っても除染作業員が固まって作業している姿と、家がしっかり残っていても住民のいない楢葉町を見た佐々井師の驚きと悲しみは大きかったようだ。
JR富岡駅前商店街の美容室。大地震が襲った時間で時計は止まったまま。家屋は津波で全壊している。
死んだ子牛などが数頭埋められた場所で動物供養する佐々井師と懇ろな読経に手を合わせる松村直登さん。富岡町全体に響き渡るような低く訴求力のある声で、実に懇ろな読経をしていただいた。
松村さんの囲い込みを見学する。
松村さんと佐々井師とポニーのヤマ。
松村さんがサポーターさんから押しつけられたというネコの「シロ」には逃げられる佐々井師。
浪江町請戸海岸から見える福島第一の排気塔。原発からは4㌔弱。
頑丈な作りだが壊滅的な被害を請けた請戸小学校。卒業式が行われたことを物語る体育館の惨状に驚く佐々井師。
請戸小の駐車場で目にした給食で使われたと思われるスプーン類。
川の向こうは双葉町となる浪江町との境で手を合わせる佐々井師。長さ50mほどの橋は流失している。
浪江町の「希望の牧場」の牛舎を見学する佐々井師。
吉沢正己さんの原発事故後の体験に耳を傾ける佐々井師。
動物諸霊の追悼法要をあげる佐々井師。野太い声で懇ろに懇ろに読経した。
実は昨年6月にも佐々井師を希望の牧場まで案内したのだが、どうしても時間がないので、牧場入口で同行の僧侶4人のみなさんと読経していただいていた。
吉沢さんの街宣車をバックに佐々井師の本領発揮。「仏教は原発に反対だ!仏教は原発に反対だ!仏教は原発に反対だ!」と一人叫んだ佐々井師。
南相馬市小高区にある相馬藩歴代藩主の菩提寺となっている曹洞宗同慶寺(田中徳雲住職)を訪ねた佐々井師。原発から17㌔に位置。現在は避難指示解除準備区域。日中の滞在だけが許可されている。
本堂に一時保管されている津波や震災後の関連死で亡くなった檀家さんの遺骨を供養する佐々井師。
同慶寺を訪ねたのは、29日に横浜市で開催された講演会で田中徳雲同慶寺住職と顔合わせすることになっていたからだ。名所旧跡の大好きな佐々井師にとっては、良い刺激になったようだ。
二日間の最後に案内したのが南相馬市小高区から避難して仮設住宅で暮らす木幡敬弘さんと葉倉さん。前から取材していたので、佐々井師に仮設住宅の実情を実感してもいたいので立ち寄らせていただいた。
不思議なご縁で、壁には同慶寺のカレンダーがかかっていた。木幡さんも葉倉さん(右端)も同慶寺の檀家さんだった。
木幡さんが自宅前に張り出した看板。「帰りたい 帰りたくない どうする」。(2013年3月撮影)
木幡さんの奥さんが作った毛糸の手芸ふくろう。避難生活でもてあます時間を奥さんたちは競いあうように手芸作品作りに入れ込んでいる。壁飾りのふくろうをいただいた。
木幡さん夫妻と葉倉さん(右端)に頭を下げて失礼する佐々井師。
帰京の途上、立ち寄った二本松市西勝田の浪江町住民用の大型仮設住宅。まるで放射線量が低くはない山中に「棄てられた」ような、市内からは遠い山中にある。
◯番外:横浜市での講演会(6月29日、主催はメイクアワウェイ)
講演する田中徳雲住職。田中住職は原発事故前から原発問題を憂慮し、福島老朽原発を考える会 (フクロウの会)で活動していたことを初めて知った。田中住職が大地震と大津波後にいち早く原発が最悪の事態に至る可能性を先読みしたことは自然で、家族を遠方に避難させなければという思考も当然だったとわかった。結果的に田中住職はご家族と共に福井県に避難した。現在はいわき市に仮住まいして、毎日同慶寺に通っているというお話だった。国道6号線をいわき市から南相馬市に抜ける時は、シートと袈裟に鉛のプレートを入れ、被ばくから身を守っているというお話だった。
ちなみに、私は佐々井師とはどんな僧侶なのか、また福島県の原発周辺での動物供養などの報告も兼ね、佐々井師の講演前にスライドトークをさせていただいた。そのラストメッセージが次の写真。これは、2011年6月に佐々井師を案内して南相馬市鹿島区で読経していただいた時の佐々井師独特の口上だ。
佐々井秀嶺師は明日の3日にインドに帰国する。
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