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2013年5月の投稿

2013年5月27日 (月)

原爆資料館(広島平和記念資料館)を見て考える

(写真はクリックすると拡大します)

 被爆者の取材と日本軍性奴隷被害者の取材で久しぶりに広島に行ってきた。68年前の唯一の痕跡ともいえる原爆ドームを久しぶりにながめ、原爆による被害を伝える広島平和記念資料館の展示をじっくり見て、「フラッシュなしの撮影」は自由なので、資料用にたくさん撮った。

 何よりも資料館のネーミングにますます違和感を覚える。なぜ「原爆」の二文字をストレートに使わないのだろうか。人体実験という人類に対する犯罪行為を「薄めたような名前」が、原爆の被害を世界中に伝えようとするための展示館に相応しいのだろうかと思ってしまう。
 原爆による犠牲者、被爆者の心情は、原爆の存在を一刻も早く忘れたい心境になり、不死鳥のように復興して繁栄している印象を伝えたいのもわかるような気がするが。「原爆」の二文字をとった資料館とは何なのか?被害の実態を薄めるつもりではないのだろう。だとすれば、展示内容に即した名前を取り戻すべきではないのかと、やはり思ってしまうのだった。

◯原爆ドーム
_8ds1295広島市電原爆ドーム駅。「原子爆弾」の中国語(たぶん)駅名が強烈。

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_8ds1210原爆ドームの隣で成長する大木(種類はわからない)
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_8ds0818原爆死没者慰霊碑

◯原爆資料館(広島平和記念資料館)
_8ds1237丹下健三デザインの原爆資料館(広島平和記念資料館)。当初は「広島平和会館原爆記念陳列館」とネーミングされていたようだ。

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_aaa1438広島第五師団の派遣先マップ。満州、中国、マレー半島、インドネシア、ニューギニア。
_aaa1457原爆模擬爆弾「パンプキン」の投下場所マップ。北は福島市、郡山市から南は宇部市、宇和島まで。7月20日から8月14日までの間に49発投下され、1800人以上の死傷者を出した。

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(山本注):ちなみに、サイパン島、テニアン島、グアム島を出撃基地としたB29長距離戦略爆撃機による東京大空襲は45年3月9日~10日。一夜にして10万人が焼け死に、約100万戸が焼失した。焼夷弾と通常爆弾による空襲だが、被害の規模は広島や長崎の原爆投下に匹敵するものだ。その後は名古屋大空襲(3月12日、19日)、大阪大空襲(3月14日、死者4700名以上)、神戸大空襲(3月17日、死者8800人以上)(と連続して大都市の人口密集地をターゲットにした無差別爆撃が続く。

 もちろん大都市の空襲は何度も繰り返され、全国の主要都市も軒並み空襲され、夥しい死者を出し、家屋が喪失する。要するに、米軍は大都市空襲を自由自在に実行し、日本はすでお手上げ状態で、敗戦は決定していたも同然。だが、天皇を頂点とする戦争指導者は無謀にも戦争を続行し、国民に「玉砕」を命じたほど愚かだった。付け加えれば、国民が一人もいなくなっても天皇制だけは守ろうと、敗戦の決断を引き延ばしたということだ。

 その結果が、広島と長崎に対する原爆投下の人体実験であり、9日のソ連参戦だ。死者8万人をこえる満蒙開拓団の悲劇はそのために引き起こされたといえる。                    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

_aaa14455月11日時点での原爆投下目標都市

_aaa14465月28日時点での原爆投下目標都市

_aaa14507月25日の原爆投下命令。広島、小倉、新潟、長崎の4都市に絞りこまれた。

_aaa1455広島市内、相生橋を投下目標に示す航空写真。

_aaa1511投下された長さ3mの「リトルボーイ」の模型。ウラニウム爆弾。

_aaa1459テニアン島を飛び立ったB29「エノラ・ゲイ」の航路マップ。

_aaa1493原爆投下時間の8時15分で止まった腕時計とB29から撮影されたキノコ雲。

_8ds1267「リトルボーイ」は上空580mで爆発した。赤いボールはそれを意味する。

_8ds1241爆心地、原爆ドーム近辺から撮影された広島市内。
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_8ds1261「撤去」される可能性のある実物大人形。実態ははるかに悲惨だったという。

_aaa1551地下企画展の市民が描いた絵。防火用水の脇で立ったまま死んでいる母子の図。
_aaa1522衣類と火傷の写真

_8ds1271銀行入口の敷石に残る人の影。熱線により焼かれた敷石。

_8ds1277超高温で溶けたビン。

_8ds1274超高温で溶けた仏像

_8ds1281超高温で溶けた観音像

_aaa1532黒い雨の降ったとされる地域。爆心から北と北西、西方向が広がっている。

_aaa1514ETVに登場する岡野眞治博士が寄贈した、被曝した砂サンプル。

_aaa15468月14日、53体の遺体の火葬図。(地下企画展)

_aaa15392歳の時に被曝し、白血病の発病で12歳で亡くなった佐々木偵子さんが折った折り鶴。

爆心から800mで被曝し、発病したのは60歳からの児玉光雄さん。
_8ds0842市内から歩いて避難しているときに目にした光景は、忘れることはできないという。

 児玉さんは現在は80歳。被爆時は広島一中の一年生、12歳だった。中学校は爆心地教室の中ほどにいた時に原爆が爆発した。気がついたときには木造校舎は全て押しつぶされたり、爆風で飛ばされたりして、児玉さんも下敷きになり身動きが取れない状態だったという。何とか這いだして、回りの同級生などを建物の下敷きから救い出した。児玉さんが幸運だったのは、特に外傷がなかったこと。学校のプールや周辺で、児玉さんはすさまじい光景を目にしている。

 6日の午後には、市内を抜けだし、市内からは7キロ離れた母の実家のあった田舎に移動することができた。しかし、1週間以内に急性原爆症の症状におそわれ、高熱、髪の毛が全て抜け落ち、下痢が続き、紫斑も出始め、医者にも見離されたという。10月頃までには歩くことができるほどに回復した。幸運にも、児玉さんは病気をせずに大学で学び、仕事をこなした。同級生や友人の多くは、若いうちに亡くなっていった。ただ、結婚後に子どもができなかった。

 児玉さんを様々ながんが襲ったのは60歳を過ぎてからだった。直腸がん、胃がん、皮膚がんと続いた。皮膚がんは取り除いても、全く別の場所に発症する。医師の診断で「転移」ではないことがわかっている。皮膚がんはすでに16回発症し、そのたびに削り取る治療をしたという。今後も皮膚がんが続くだろうと見られている。

 専門医の検査で児玉さんの染色体はずたずたに傷ついていることが確認されている。原爆を生き延びた児玉さんの同級生のうち、6人が40代までに白血病などで死亡した。7人は70代はじめまでに亡くなっている。

◯取材後記
 原爆資料館をじっくり見学したのは月曜日だった。課外授業と修学旅行の小中学生が熱心に見て感じようとしていた。季節柄、欧米の観光客も多数見学していた。私にとっては展示が大きく変わった印象があるので、前回からかなり時間が経ったのだろう。しかし、原爆の恐ろしさを改めてつきつけられた気がした。福島第一原発事故の後は尚更という感じだ。

 仏像などの国宝展が東京で度々開催されるように、広島と長崎の原爆展の出張展が開催されてもおかしくないだろう。倉庫には膨大な遺物や遺品が保管されているはずだからだ。最大限に活用して、核武装が必要だなどと平然と言い放つ国会議員や自治体首長が選挙で勝つ時代に、原爆の恐ろしさを国民に広く知らしめる必要があるはずだ。「我が国は唯一の被爆国である」と、政治家は慣用句のように口にするが、果たして原爆が人類にもたらしたものをどの程度認識しているかは怪しいものだといわねばならない。
 原爆出張展が開催の際は、国会議員や官僚、それに政治家志望の若者に見学を義務づける必要がありそうだ。


◯取材活動支援のお願い
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2013年5月 8日 (水)

我が田舎の畑は花盛り(浅間山南麓標高888m)

(写真はクリックすると拡大します)

 連休中に日帰りで帰省し、畑仕事を少しやった。というか、スイカ3本とメロン1本を植え、乾燥がひどかったので用水路の水を汲んで、花盛りの果樹やバラなどにまいただけで終わった。残念ながら写真を撮り忘れた。

 というわけなので、久しぶりに我が田舎の畑の現状を写真で紹介したい。

_8ds0009雪の少ない浅間山(5月4日)

◯果樹
_8ds0018桃の花

Photoサクランボの花

Photo_2アーモンドの花

Photo_3ブルーベリー

Photo_4ラフランス

Photo_5プルーン

Photo_6リンゴ(フジ)

Photo_7カリン

 昨年植えた雌雄のキウイは、かろうじて生きている段階で葉もまだ伸びてこない状態だった。

◯野菜や小花類

_8ds0053成育快調なタマネギたち

_8ds0066畑のまん中を流れる、浅間山の伏流水を源流とする用水路。

_8ds0072ツクシ

_8ds0028花名不詳?

_8ds0084ムスカリ

_8ds0091水仙

_8ds0087チューリップ

_8ds0094雪柳

◯アースデイin佐久の新聞記事(4月21日)
 畑仕事よりも重要だったのが、4月20日に佐久市駒場公園で開催された「第11回アースデイin佐久」でお世話になった主催者スタッフのみなさんとの歓談。私の福島取材の写真展を開催してくれ、拙著「鎮魂と抗い~3・11後の人びと」(彩流社)の販売をやってくれたみなさんだ。写真パネルを送ってお任せしたのだが、地元紙に写真付き記事になってイベントが紹介され、若干お役に立てたのだった。
 主に原発周辺と警戒区域の写真展を会場内に設営されたゲル(モンゴルハウス)で開催していただいた。
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◯蛇足
 我が長野県の田舎町・御代田町の自然環境を全体的に知っていただくには、「標高1000㍍にある苗畑跡地」にゴミ焼却場計画が持ち上がり、その反対運動を後押しするため、私がホームページに書いた写真記事を見ていただくと、浅間山の恩恵で成り立つ自然と観光名物と農業用水などがわかると思います。ゴミ焼却場問題は、もっとも身近な環境問題です。良かったらクリックしてご覧ください。(なお、2007年にゴミ焼却場建設反対派の町長誕生と共に、建設計画は白紙となりました)。以下をクリックしてください。

 写真で見る、「なぜ苗畑跡地にゴミ焼却場を建設してはいけないのか」(2005年10月4日掲載)

 原発事故により福島第一原発周辺の自然、大地、里山の風景が、住民の手から奪われた悲しみや憤りを、都会育ちの人よりも身近に感じることができるのは、ひとえに私自身が浅間山山麓の自然の恵み豊かな田舎で生まれ育ったことが大きいからだ。

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