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2013年4月の投稿

2013年4月28日 (日)

歴史を学ぶ意思のない首相と自民党は国民益を損なう

 今日、安倍政権は、「主権回復の日」を政府主催で祝う式典を実施した。サンフランシスコ講和条約発効61周年にあわせて開催されたとされるが、沖縄が米軍統治下に入り本土から切り離された、沖縄県民にとっては「屈辱の日」でもある。「主権回復、国際社会復帰」と良いながら、主権行使よりも、対米追従路線を選ぶ方向を「良し」とするのが、安倍自民党政権に他ならない。
 米軍基地問題、オスプレイ配備問題、原発再稼働、TPP交渉参加問題と、どれを取っても、主権を主張することよりも、米国の言いなりというのが、安倍政権の実態だ。

安倍晋三(首相)の何か問題か?

・「戦後50年の1995年の終戦記念日に村山富市首相(当時)が、日本の植民地支配と侵略を謝罪した「村山談話」について、安倍首相は「侵略という定義は、学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係において、どちらから見るかにおいて違う」と国会で答弁した
(毎日新聞社説:村山談話の評価 首相の歴史認識を疑う 2013年4月26日)

・「Asked in parliament whether he would reconsider an official apology that Japan issued in 1995 for its colonization of Korea in the past century, Mr. Abe replied: “The definition of what constitutes aggression has yet to be established in academia or in the international community. Things that happened between nations will look differently depending on which side you view them from.”

there are such things as facts. Japan occupied Korea. It occupied Manchuria and then the rest of China. It invaded Malaya. It committed aggression.」(日本が韓国を占領し、満州と中国を占領したことは事実だ。マレー半島を占領したのも事実だ。日本が侵攻したのである)
(ワシントンポストweb社説:Shinzo Abe’s inability to face history 4月27日)

 ワシントンポスト紙は、「he appears to entertain nostalgia for prewar empire.」(「戦前の帝国主義の郷愁に浸っているようにみえる」とまで指摘した。

・「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由を確保している」(4月24日の衆議院予算委員会での安倍首相答弁。閣僚の靖国参拝が中国、韓国の反発を招いていることに対して)

・「安倍首相は、陸海空自と在日米陸軍のブースを訪れ、陸上幕僚監部の広報室長から「戦車がありますが、乗られますか」と水を向けられると「乗ろうか」と応じ、展示中の陸自の最新型戦車「10式戦車」に乗った。迷彩服の上着とヘルメットを着けて戦車の砲手席に立ち、カメラや携帯電話を構えるコスプレ姿の客らに笑顔で手を挙げて応えた。 首相は自衛隊最高指揮官だが、戦車に乗るのは異例」(毎日新聞:ネット世代向けイベント:各党がアピール 首相は戦車に 4月27日) 
下の写真は産経新聞webから
 Plc13042720530012p1幕張メッセで開かれた「ニコニコ超会議2」。「自衛隊、在日米陸軍」を訪れ戦車に乗る安倍晋三首相=27日午後、千葉市美浜区(松本健吾撮影)

 単なるイベント会場で、一国の首相が、自衛隊基地公開で武器に触ったりして喜ぶ子どものような、幼稚な感性をさらけ出している。この写真が一人歩きする意味が想像できないとしたら、大きな問題だ。

・安倍(首相)は、第一次安倍政権時(2006年9月26日~2007年8月27日)に、従軍慰安婦の「強制連行を示す証拠はなかった」と、93年の河野談話を否定すると受け取られる発言をした。そのため、アメリカ下院の謝罪要求決議をを皮切りに、オランダ議会、カナダ議会、EU議会で謝罪要求決議がつぎつぎと出された

 決議では、当時の安倍政権の従軍慰安婦問題に対する姿勢と、旧日本軍が現地の女性たちを強姦したり、駐屯地に長期監禁して性奴隷にした事実を否定しようとする態度を厳しく批判した。当たり前の対応といえるが、要するに、安部政権の思考が、国際社会の人権感覚からしたら見過ごすせないほど事実を無視し、女性を冒涜するものだと受け止めたわけだ。

「公的なあいまいさのない謝罪」を日本政府に求めたアメリカ下院決議の前文は以下のとおりだ。
 「日本の公共・民間の関係者は、慰安婦の苦しみに対する政府の真剣な謝罪を盛り込んだ一九九三年の河野洋平官房長官の慰安婦関連談話を希釈したり撤回しようとしている」

安部政権の誕生を待っていたかのように急増しているのが在特会(在日特権を許さない市民の会)主催に参加する若者たちだ。在特会はかねてから、「従軍慰安婦はねつ造だ、朝鮮人慰安婦は売春婦」と、聞く耳に耐えない人種差別・蔑視発言を繰り返してきた。戦前回帰思考が明らかない安部(首相)と価値観を共有するからだろう。実際、日の丸、日章旗を掲げる一団は、原発問題やオスプレイ配備問題でも登場し、「再稼働バンザイ」を叫び、「オスプレイ歓迎」を叫ぶ。安倍自民党と路線が瓜二つな点も指摘しておきたい。
_aaa9680 「在特会(桜井誠会長)」が主催する、在日排斥デモ。日の丸や日章旗を掲げ、参加者は「韓国人は殺せ」「日本から叩き出せ」とヘイトスピーチを繰り返した。(2013年3月31日、新大久保 山本宗補撮影)

・中国人性暴力被害者の、日本政府に対する謝罪と賠償を要求する裁判闘争を長年闘ってきた大森典子弁護士は、その著書「歴史の事実と向き合って」で、当時の安倍政権の歴史認識をこう批判している。

「慰安所に女性たちが集められた経緯の『強制』性が問題なのではない。『慰安所』で彼女たちは自由にそうした行為を拒否出来なかった、ということが本質的な問題である」「圧倒的な数の女性たちは。慰安所から逃げることも性的サービスを拒否することも出来なかったのであって、こうした制度の本質や被害の中心に率直に眼を向け、かつ、その被害を受けた女性たちの苦痛に思いをいたすことがすべての出発点である」

以下はブログ形式にする前の私のホームページに掲載した雑記帳からの転載です。安倍晋三(首相)の本質がはっきりと見えてくると思うので、6年前の記事ですが読んでみてください。
                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宗補雑記帳から:2007年5月26日 「安倍晋三首相は『ご破算で願いましては』男

 ご破算で願いましては・・・。安倍首相はそろばんが得意だ。ここでいうそろばんというのは、歴史の事実を一言でいとも簡単に洗い流してしまう、人として首相としてあってはならない姿勢を意味している。本当の算盤の熟練者とは異なることは断っておきたい。

 彼がオウムのように繰り返す「戦後レジームの見直し」キャンペーンは、まさしく「ご破算で願いましては」のやり方だ。その結果が教育基本法改正、日本国憲法改正、その後に続く自衛隊自衛軍化、9条の破棄、自衛隊米軍下請化、天皇元首化、報道規制化などの「戦前忘却路線」だ。よっぽど自分が生まれ育ってきた戦後の体制が気に入らないのだろう。

 戦後レジームの見直しだけを声高に繰り返すことで、安倍が抹殺し歴史から消し去ろうとしているのが、「敗戦」が戦後レジームを産み落とした事実であり、敗戦を自らの意志で招き寄せ日本の崩壊を招いた戦前戦中レジームの責任のありかだ。戦後も責任を取らないままで生き延びた天皇を担いだ戦争指導者であり、軍部と仲良く歩んだ政治家であり、戦争と植民地化で行われた日本軍将兵の罪状も含む。

 安倍政権誕生後、教育基本法改悪から、国民投票法を成立させ、憲法が禁じる集団的自衛権の見直し指示などと矢継ぎ早だが、首相ひとりの考えと間違った歴史認識からだけで実現するわけはない。先日の朝日新聞月曜コラム(5月14日)の早野透氏の記事で知ったのが、安倍政権の政策の中枢を固めるのが「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の顔ぶれだという記事だ。会の代表は中川昭一、幹事長は衛藤晨一、事務局長を安倍晋三が務めるという。

 中川も安倍も二世のボンボン議員で靖国参拝派だというところが共通する。記事によると、歴史認識を共有する戦後生まれの戦争を知らない世代の若手議員たちが、ある時、戦争中に子ども時代を送った長老格の河野洋平議員を事務所に呼びつけ、従軍慰安婦問題で謝罪した「河野談話」をやり玉にあげ、河野氏をつるし上げた。文中には「つるしあげ」とはもちろん書かれていないが、安倍氏らとのやりとりが記録に残されているらしく、発言が正確に引用されている印象を受けた。

 「この程度のことを外国に向けてそんなに謝らなきゃいかんのか。兵隊にも何も楽しみがなくて死ねとはいえない。楽しみもある代わりに死んでくれと言っているわけでしょう」(K議員発言)
 ものすごい恥さらし発言だ。こういうメンタリティーの男が議員を務める資格があるのかと思わざるをえない。自民党、公明党の与党女性議員はこの発言を黙っていていいのか。
 「慰安婦の証言の裏づけをとっていないではないか」(安倍発言)
その後にも安倍氏と思われる発言が続くが、誰の発言かはあいまいにされている。

 実は、このつるし上げの一件は、以前にある人から聞いたことがあったので、このことかと思い至ったのだが、議員の名前を伏せたり安倍氏自身の発言の引用をあいまいにした点が残念だった。隠さずにストレートに出してほしかった。

 それにしても、この一連のやりとりから伝わってくるのは、安倍首相らの戦争を知らない子どもたち世代(中川と安倍の二人とほとんど同世代の自分も含まれることが嫌になる)の怖さと同時に、歴史認識以前に日本人は中国人や朝鮮半島の人たちよりも優秀であると思いこんでいるらしい傲慢さだ。この点は石原都知事にも共通する。

 日本を近隣諸国から信頼され尊敬される国にしたいと安倍政権が本気で考えているのならば、過去の歴史的事実に対して開き直ることではなく、玉砕や特攻を美化することでもなく、おごることなく、謙虚な姿勢で歴史と向き合うことではないのか。戦争という自他を傷つける殺戮行為の繰り返しとなる要素を、日本政府が積極的に地球上からできる限り取り除く努力をするのが国の政治家の責任ではないのか。

 三週間後、安倍政権とは真っ向から対立する生き方をしてきた福島菊次郎さん(86歳)の講演会が明大リバティタワーで開催される。「写らなかった戦後 菊次郎の海」刊行直後の講演以来だから2年ぶりとなる。年齢的にも最期の機会となるかもしれないので、勝手に「遺言」講演会と名付けさせてもらった。定員250人の会場だが、立ち見になるくらいに盛り上げたい。

 今回も進行役をやることになるが、二等兵としての戦争体験が原点として、日本の戦後体制と格闘してきた福島さんの、取材者としての体験に裏打ちされた生の声を、若者やジャーナリズムの仕事をしている記者たちに聞いてほしいと願っている。会場入り口では福島さんが自ら制作した写真パネルも展示する。報道カメラマンとして一世を風靡した福島さんの代表作もスライド上映で紹介する予定だ。福島さんの生き方について私がこれまでに書いた記事はほんの一部を紹介しているにすぎない。どうか本人の表情を見ながら、戦争を軍隊を嫌う福島さんの肉声を聞いてほしい。必ず心に来るものがあるはずだから。(転載了)
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◯ブログ後記
 映画「ニッポンの嘘」上映開始から話題になっている福島菊次郎さんだが、このときの明大での講演会は、教室が満杯となり、立ち見が出るほどで、入場できない人たちをお断りしたほど大盛況だった。講演会の感想などについては6月25日の雑記帳でどうぞ。

 その福島菊次郎さんを昨年末の衆議院総選挙前に、柳井市のアパートに1年振りに訪ねた時のことは、2012年12月23日のブログ、「福島菊次郎と愛犬ロク」に書いたが、菊次郎さんの安倍政権誕生の憂慮をここに転載しておきたい。

 「自民党は長いこと平和憲法を変えたいと思っていた。だが国民を怖れていた。石破はコワイね。戦争をやりたいやつばかりだ。朝鮮半島(韓国と北朝鮮)や中国が日本に持っている怨念を僕らは知っている。安倍らの世代は違う。やっぱり戦争を全く反省していない。日本はまだ戦後を迎えていない。僕もそうだが、アジア蔑視感はまだある。経済が行き詰まった時に戦争が始まる」

 中国、韓国との領土問題、外交関係の険悪化、北朝鮮の脅威と未解決の「拉致被害者」問題などを目の前にしながら、迷彩服姿で自衛隊の戦車に乗り込みご満悦の安倍晋三(首相)。
 米紙に指摘されるまでもないが、国民益に反するだけだ。参加するべきではないTPP交渉に置いても、安倍発言の行き過ぎの火消しを計る米政府に借りをつくったり、アジア諸国との交渉のプラスになるはずもない。
 安倍自民党と維新の会などが企む憲法改悪が現実のものになったら、いかに恐ろしいことになるのかが想像しやすいのではないか。憲法96条を改正したら、憲法9条の国際紛争を解決する手段としての武力行使を禁じた縛りを取り除き、自衛隊を国防軍の名で・・・・・・・・・・。<strong>かつての侵略戦争の事実さえも誤魔化そうとする政府が誕生したら・・・・、そんな日本社会にしてしまっていいのだろうか。

 ちなみに、福島菊次郎さんは靖国神社をこう断罪している。戦後世代の私だが、戦争体験者の聞き取りをやってきたこともあり、まさしくその通りだと思う。

「いまだに116万兵士の遺骨を異郷に野晒しにして、『靖国参拝』が嗤わせる。靖国神社こそは若者を死地に駆り立て、ボロ布のように使い捨てた『軍国主義の大量殺人装置』以外の何ものでもなかったのだ。僕も何度か靖国の「生贄」にされそうになった」


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。

・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729

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店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130


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2013年4月12日 (金)

原発事故から2年。旧警戒区域と区域再編前後の人動物模様。Part 5・浪江町編

(写真はクリックすると拡大します)

◯原発作業員ハッピー( ‏@Happy11311)さんの最近のつぶやき:
  「今日は、東日本大震災25回目の月命日。東北被災地復興も、まだまだ問題山積みでなかなか進まなず、福島第一原子力発電所もとても収束とは言えず、警戒区域はじめ福島の際限なき除染も続けられ、半ば無理やり解除し住民を帰還を促す警戒区域。そんな現状が今も続いている」(2013年4月11日) ちなみに、ハッピーさんは、2年以上従事した事故現場の仕事から3月31日で撤退した。会社の被ばく線量基準上限に近づいたためと想像するが、理由は明らかにしていない。

◯浪江町の人口と避難人口。および再編後の三分割人口。
 浪江町の人口は21168名(4月1日現在)。このうち県外避難者は6606名。町人口の31%以上が県外避難者だ。
 原発を立地していないにも関わらず。富岡町や双葉町などよりも地域によっては広く深く放射能汚染されてしまった浪江町。全町警戒区域だったはずの浪江町が、避難区域の再編で3区分に分けられたのがさる4月1日。当日の取材も含め、3月に取材したものと合わせて紹介します。

 避難区域再編により三分割される人口は、福島民報によると、以下のとおりだ。
「政府の原子力災害現地対策本部によると、区域別の推計人口は帰還困難区域が1210世帯・約3400人、居住制限区域が3080世帯・約8420人、避難指示解除準備区域が3030世帯・約8050人」(3月31日)

◯三分割マップ。
 取材した区域は右のマップの避難指示解除準備区域と居住制限区域の一部。
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◯移動した国道6号線検問所
 _aaa9813検問所は再編により双葉町境手前に移動した。(4月1日)しばらく見ていると、仕事慣れしてしまった一人の機動隊員は、マスクなしで車から出て、他の隊員に連絡事項を伝えていた。大阪府警の機動隊員が担当だった。空間線量は0.6マイクロシーベルト。
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◯命の楽園(高瀬地区・避難指示解除準備区域)
 殺処分を拒否した牛を生かし、囲い込んだ水田の荒廃を牛によって防ぎ、農地保全を計り、具体的な成果を行政に見せつけているのが「命の楽園」。被ばくして経済的な価値がなくなった牛たちは、まさしく益畜となって力強く生きている。空間線量は元々低めのところ。0.3マイクロシーベルト前後。
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毎日のように通って餌やりをしているのが原田登さん(81歳)と奥さんの良子さん(73歳)。
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「原発事故前は8頭くらいだった。今は子牛入れると30頭くらいいる。エサはロール一つを午前と午後に分けてやる。草がはえてきても、草だけでは足りない。牛には困った時に助けてもらったから恩返しだ。品評会で優勝したりと楽しませてもらった」
 ちなみに、事故前は原田さんの育てた子牛の売値は、一頭50~60万円くらいの値がついたという。

 原田さんは専業農家だった。米農家で、200俵販売し、ハウスでほうれんそうやかぶなどの野菜も作った。長男の良一さんは農協に務めているが、避難先は福島市内だ。平日は老夫婦が牛の面倒を見てきた。
 _8ds8422奥さんは、明治時代にハワイに移民し、成功して帰国した「移民」のお孫さんにあたる。

_aaa9865元気そうだが、皮膚病の深刻な子牛。

_8ds8446自宅は近いので、昼休みは隠居部屋で過ごす。再編にあたって、町からはガラスバッジが一人一人に支給されている。
_8ds4454町から貸与されている線量計は福島県内で作られたもの。

 原発事故後は新潟県や東京都内など、落ち着くまで6回も避難して歩いたという。
「避難生活のストレスでみんな参っている。明日もわからない年だから、一刻も早く自宅に帰って生活したいのが本音。線量の低いところから帰したらどうか」と原田老夫婦は話した。登さんの実家は大熊町で、もう帰ることができない故郷になったとのことだ。

◯高瀬地区(避難指示解除準備区域)
 国道6号線の海側一部から、6号線をはさんだ、西側の住宅街が高瀬地区。しかし、空間線量は0.2マイクロシーベルト前後から、4マイクロシーベルトまでと幅広い。西側が帰還困難区域の酒井地区と居住制限区域に隣り合っているためか。住民も線量の大きなばらつきを把握していた。居住困難区域に相当する線量下にある住宅であっても、賠償基準が同じという不合理が生じる。
 
_8ds8454「貸葬儀場 つばさホール」
_aaa9894ガラス戸越しに見ると、天井板が崩れるなど、地震による被害が甚大なことがうかがえた。

_aaa9911空間線量が1.6マイクロシーベルトある墓地。原田保久さん(79歳)が息子さんの墓参りに来ていた。福島第二原発で20年働いたそうだ。息子さんも同じく原発作業員となったが、20代で亡くなったという。息子さんの好きなビールを備えてあげたと話した。

「自宅を修理するには新築するくらいお金がかかる。隠居所を修理して帰ってくるつもりはないよ。息子には、余所で焼いても、ここに入れてくれと話してある」
_aaa9926警戒区域となった地域はどこも同じだが、地震による被害は激しく、墓地は手つかず。お墓の修理はこれからだ。

 墓地のとなりの自動車修理工場で、70代と60代の二組の夫婦がにぎやかに話していた。
「ここは姥捨山だ。若い者は誰も帰るわけねえっぺ」
 空間線量は墓地と同じで1.6マイクロシーベルト前後ある。二組は除染に何の期待もしていなかった。
「一軒につき200万も300万も除染にお金をかけるんだったら、除染などしないで、そっくり俺たちにくれる方が無駄がない」

 この修理工場から200mも離れていないところにある丈六公園。入口のトイレのある敷地の空間線量は4マイクロシーベルトをこえた。_aaa9934

 公園向かいの丘の上には雇用促進事業団の大型保養施設「福島いこいの村 なみえ」がある。本格的な除染は終わっているというが、入口の看板手前で計ると3マイクロシーベルトをこえた。
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_aaa9942

◯酒井地区(帰還困難区域)
 高瀬地区を西に進み、「いこいの村なみえ」、丈六湖を過ぎると酒井地区に入る。ここは飛び地のような帰還困難区域となっていて、南隣が双葉町。さらに西側には居住困難区域があって帰還困難区域となるため、不思議なホットエリア
_aaa9962酒井地区入口のバリケードは開いている。その奥に居住困難区域があるためと思われる。
_8ds8481幹線道路だけは通行可能だが、脇道の入口は鉄骨バリケードで封鎖されている。
_aaa0087

_aaa9970不思議な光景だが、果樹園を経営する古農さんの自宅と倉庫が開閉式フェンスで封鎖されていた。古農さんの家族だけは出入りができることになっているようだ。
_8ds8510

_aaa9999酒井集会所。地震によるものだけなのかはわからないが、壊れかたがひどい。大震災前年の、「平成二十二年度 酒井防災訓練災害対策本部」の立看が虚しく倒れていた。庭のモニタリングポストは3.08マイクロシーベルトを示していたが、5m離れて空間線量を測定すると、4.4マイクロシーベルトだった。

_aaa0020集会所から500mも離れていない西沢区の民家は地震で完全に倒壊していた。不思議だが、線量は0.6~0.7マイクロシーベルトを指した。こうした家を見る度に思うのだが、地震で倒壊した自宅を立て直して、放射線量を気にしながら誰が帰還して生活再建する気になるというのだろうか。

_aaa0043酒井地区の荒れ果てた水田地帯。立ち枯れたセイタカアワダチソウが畳のように折り重なっている。

_aaa0069酒井地区を通りすぎ、建設中の常磐自動車道辺りの帰還困難区域入口。フェンス式の検問所で警備会社の従業員が警備を担当していた。埼玉県から来たという60代の男性に積算線量計を見せてもらった。19マイクロシーベルトを示した。仕事初めの初日は朝7時から、撮影した午後3時半までの積算線量だ。交代勤務とはいえ、一日平均20マイクロシーベルトの被ばくをする計算。一月やったら、600マイクロシーベルト。二月で1.2ミリシーベルトの被ばくとなる。男性はマスクなしで任務についていたので、マスクは息苦しくても付けた方が健康のためですよとしつこく話した。その場を離れる頃に、男性はマスクを取り出した。

◯希望の牧場(居住制限区域)
 ご存知、吉沢正己さんが場長を務める希望の牧場である。警戒区域にも関わらず、400何十頭の牛が生かされてきた、実に不思議なスポットだ。驚いたのは幹線道路のバリケードが開閉式フェンスに変わっていた。
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 言わずもがな、希望の牧場は、被ばく牛が原発事故後のエサの枯渇する環境でも弱肉強食で生き抜いてきた、「ワイルド」な空間だ。これまで度々伝えてきたので説明はとくにいらないだろう。
_aaa7536種付けできないのにがんばるメス牛。(3月1日)
_aaa7580去勢されていてもがんばる種牛の重重。

_aaa7449
_8ds4454_2二代目フクちゃんが足を切断される前、吉沢さんたちが何とか自力で立たせようと試みていた。(3月1日)

_8ds4653やまゆりファームの岡田さんが、太り過ぎて自力で立てなくなり、エサを食べなくなった成牛にバナナをやっていた。(3月1日)

_8ds4642同じく、太り過ぎのため、自力で体位を変えられない牛を力づくで回転させる針谷さん。(3月1日)

_aaa0237牧草が出始めたので、ロールえさから離れて牧草を食べる牛もたくさん見かけた。(4月1日)

_8ds8676悩み多き吉沢さん。(4月1日)


(3月1日撮影)

「原発の時代を本気で終わらせるんだ。参院選でも自民党が勝かもしれない。でも、事故を起こした以上、どうしても原発の時代を終わらせるんだという、気持ちのこめた話をいろんなところでしないといけないと思う。広く深くいろんな人、大勢の人と連帯し、国民の抵抗する実力が問われる。推進派だって実はびくびくしている。この牛たちを生かしながら、ぼくは残りの人生をかけようと思う」

◯請戸海岸(避難指示解除準備区域)
_8ds8566大きな牛のぬいぐるみがガードレールに立てかけられていた。

_aaa0114
_aaa0125水田に取り残された浪江町消防署の消防車。車体の内側に、「平成18年度 電源立地地域対策交付金事業」とペイントされていた。

_aaa0140大津波の犠牲者を弔う仮の慰霊碑がてきていた。

_aaa0145

_8ds8645

_aaa0164コンクリートの土台だけが残る民家の跡に、供花やお線香の束が備えられたばかりだった。

_8ds8641請戸港に残されたままの漁船。

_aaa9970_2福島第一原発の排気筒や大型クレーンが見える請戸海岸。流された自動車が手つかずに残され、時間が止まったままだ。

◯午後5時で閉じられた開閉式フェンス(国道6号線沿い・避難指示解除準備区域)
_8ds8664
いわき市の警備会社に雇われた、飯舘村出身の25歳の若者が警備に立っていた。彼の実家は牛も飼う兼業農家。彼自身も家に帰ることはできない避難民。もちろん家族も避難生活を続けている。生活のためとはいえ、何ともやるせない構図が、原発事故により誰が何を奪われたのかを静かに物語っていた。

 

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2013年4月 4日 (木)

原発事故から2年。旧警戒区域と区域再編前の警戒区域の人動物模様。Part4・南相馬市編

(写真はクリックすると拡大します)
_aaa7988「相双ファーム」の野馬追で使われる馬。南相馬市原町区江井地区。原発の北16㌔。

 「原発事故から2年。旧警戒区域と区域再編前の警戒区域の人動物模様」のPart・4は、一年前の4月半ばに警戒区域解除により、避難指示解除準備区域と居住制限区域に分けられた南相馬市小高区と原町区。3月中にアップしたかったが諸事情により息切れして遅れてしまった。取材は一月前になるが、帰還の可能性を知る重要なポイントが詰まっているので公開しておきたい。

_8ds4872小高小学校の隣にある小高商業高校の広大なグランド。2年経って荒野と化している。空間線量は0.5マイクロシーベルト。

_8ds4860小高小学校。JR常磐線小高駅から約1㌔西寄り。

 南相馬市は海岸線が長いこともあり、福島県では大津波による犠牲者が最も多い自治体だ。小高区の場合も同様で、大津波により壊滅的な被害を受けた国道6号線(海から約1.5㌔前後)から海側一帯は、2年経った今でも、流された自動車さえもそのままで、全半壊家屋の解体も手つかずだ。水田地帯は主なガレキは片づいたが、細かなガレキを毎日手作業で拾い出している段階にすぎない。

_aaa7696全半壊した住宅の解体が全く手つかずの地区。

◯原町区堤谷地区
_8ds4794復興事業で続けられる水田のガレキ撤去作業。原町区堤谷地区。海から1.5㌔。

ガレキ拾い作業のリーダーは区長の綱川定さん(64歳)。堤谷地区では6件が津波でやられたという。
「ゴミ一つでも拾わないと、一歩前へ進まない」
鹿島区の仮設での生活が続く。
「狭くて寒くて言い訳ねえべ。酒量は増え、体重は増え、ストレスが増え、血圧は上がる」

_aaa7724避難生活を続ける地元の住民の失業対策。45名の班。この日作業していたのは10名。日当は1万円。月曜日から金曜日までの作業。

_aaa7743トラクターの荷台にゴミを集める佐藤公一さん(73歳)。自宅は地震で屋根が抜けたがまだ修理できていないという。米作りと養蚕をやっていた。塩害の除去も必要なため、米作りの再開はまだまだ先のことだという。佐藤さんは浪江町請戸に嫁いだ娘さんを津波で失っていた。

_aaa7735

「何もしないでただ生活しているわけにもいかない。仮設でのこうした生活が10年続いても、家直したりして、現実と向き合っていかないと。先々のことは誰も言えない。日銭稼がないと生活できない」(綱川定さん)

◯相馬野馬追馬を飼育する相双ファーム。
 田中信一郎さん(54歳)の経営する相双ファームは、津波にやられた原町区江井(えねい)地区の国道6号線脇にある。昨年4月の再編で、避難指示解除準備区域となった、原発から20㌔圏内の地域だ。一段高いところにある自宅などは難を逃れたが、エサを保管していたコンテナトラック二台は流されたまま。厩舎は冠水。田中さんは、原発の爆発音を聞き、煙が上がるのを見たので一時避難した。
 3月末に戻ると、厩舎につながれていた9頭が餓死していたという。津波で被災した厩舎に戻ったのは昨年12月末とのこと。野馬追に使われる馬たちは地元選出の国会議員の働きかけなどにより、国の家畜安楽死を免れ、事故後の5月に救出されて馬事公苑でボランティアなどの手により丁寧に管理されてきたという。今は、生き残った15頭の馬が大切に育てられていた。

 _aaa8050自宅のある広い敷地にある馬の運動場。空間線量は0.3~0.5マイクロシーベルト。

_aaa7956
_aaa8044

_8ds4916田中さんは厩舎の掃除とエサやりに毎日追われる。

「ここは線量が低いから除染しないといっていたが、除染しないと誰も戻ってこないよ。前に測定したら、天井裏で4マイクロシーベルトあった。津波で壊れたり冠水した厩舎の解体は、2年後といわれた」。
「原発なんてものはここにはいらない。原発が必要なら、東京に作りなさい」

◯鹿島区千倉の仮設住宅で避難生活を送る小高区の葉倉さんと木幡さん
_8ds4989拙著「鎮魂と抗い」107ページに登場する葉倉しげ子さんと雑種のマロン。犬を飼うことができる仮設住宅で、犬だらけの印象があるほど。一年ぶりに再会して、仮設で話しを聞いた。事故前はほえない犬だったマロンは、仮設に移ってからは吠える犬になってしまったという。

 葉倉さんは60代の夫婦と、娘さんと、80代後半の母の4人で仮設生活。「狭いのが何よりもキツイ」という。夜は眠れなくなり、ストレスで胃が痛くなった。血圧は高くなり、薬が欠かせなくなったとのことだ。夫の育雄さんは、仮設に入ってから2ヶ月後に軽い脳梗塞を患い、片手が麻痺したという。この日、ご主人は、大震災前に退職した会社に昨年から復帰し不在だった。

_aaa0034警戒区域解除となった日に、葉倉夫妻が自宅に一時帰宅した時にお会いして撮った写真。(南相馬市小高区羽倉、2012年4月17日撮影)
 この時、育雄さんは、帰還の思いをこう言っていた。
「水が使えない。米は作れない。作っても売れない。米作りはもうダメかもしれない」
「水道も使えない。浄化槽も使えない。電気は復旧してもここでは生活できない。仮設が本宅みたいなもので、ここは別荘みたいなもんだ」。

 この時の取材で、農業用水の水源が最も高濃度に汚染された浪江町の山間部にある大柿ダムだということを知った。つまり、育雄さんが自宅前の水田で米作りを復活したいと思っても、ダムが除染されなければ水が使いものにならないということだ。もちろん、水源となる山の除染などありえない話。大柿ダムに水源を頼る以上、小高区の米作りはやりたくてもできないということだ。
  
 しげ子さんは、狭い仮設にいるよりも、早く自宅に帰りたい気持ちが募ると話したが、ご主人は「オレは帰らない」というそうだ。自宅と周辺の除染はまだ先の話だ。
 
_aaa8068しげ子さんは、自宅で何もやらないわけにはいかないので、編物や折り紙などを集会所で習って、作ってはほしい人にあげるのだという。男たちの多くがパチンコや酒で気分転換を計ろうとする代わりに、川内村の取材でも同じだったが、仮設に引きこもりがちになる女性は暇な時間を手芸にうちこんで、かろうじて崩れがちな心の安定を保とうとしているような印象を受けた。
 しげ子さんに勧められるままいただいた毛糸の人形二体。左はトイレ用のロール紙を入れ、右はスナック缶を入れる実用的なもの。
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 鹿島区の仮設住宅に着き、葉倉さんの部屋番号をたまたま訊ねた男性が木幡敬弘さん(79歳)だった。不思議なことだが、木幡さんにお会いしたことがないのに、「葉倉さんとこで見させてもらった本に、俺の家が載っていた」といわれてビックリした。話を聞いて、拙著の99ページに掲載した民家の立看板を写した写真のことだとわかり、納得した。「帰りたい 帰りたくない どうする」とベニヤ板の看板が民家の庭先にかけられているもので、実は浪江町と間違えて写真説明を書いていたものだ。

 木幡さんが看板をとりつけたのは、警戒区域が解除された昨年4月16日。看板の文字は自分自身の揺れ動く心境を、他の住民に問い掛けたつもりだったと話した。 そこで、木幡さんに同行して、一緒にご自宅へ行った。

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 木幡さんは専業農家として20年。主に梨などの果樹栽培、トルコキキョウなどの花卉栽培、イチゴやトウモロコシなどの野菜を生産していたという。畑入口の直売所に立てた、宣伝看板はどれも手作りという。実にうまい出来だと感心した。木幡さんが、自分自身の心境を看板に書いてまで出したことが、自然な動きに感じられて納得した。

 自宅は一見、被害がないように見えるが、裏ヤブ側の屋根が崩れて雨漏りがしているという。畳まで取り替えないと住めないとのことだ。庭先の線量は0.3マイクロシーベルトと高くはない。竹やぶとなった家の裏手は6マイクロシーベルトあるという。
 「除染がどこまでできるか。近くにあるモデル除染した幼稚園の線量は変わっていない。農地は全部生活圏だから除染しないとダメだ。東電は元のままに戻してくれればいい。販売用の農業は、生きているうちはダメだろう」
_aaa8073ペットボトルの風車も手作りだという。誰もいない味気ない空間を、花の代わりに色塗りの風車で飾ってあった。

「人間は一人ではいられない。隣近所が帰ってこないと、生活は成り立っていかない」

◯原町区馬場の酪農家・瀧澤昇司さん
_8ds5062瀧澤昇司さんは拙著の「抗う人」6番目に登場する酪農家。現在40頭弱で酪農が完全復活。3・11前よりも出荷量が増えているという。毎週月曜日が綱引きチーム「大仁田」の牛舎での練習日。チームは6年前に結成し、牛舎を使っての練習は4年前に開始。夕方の搾乳が終わってから掃除が始まった。練習時間は夜7時から10時まで。

_8ds5172職業は様々というメンバー。この日の最年少は18歳。綱の反対側には、引く人数分に見合う重しをワイヤーで吊ってバランスをとっている。男たちの本気とは無縁のごとく、ホルスタインの牛たちは、我関せずの様子。
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 瀧澤さんは、4月から太陽光発電を開始すると言った。「原発に電気を頼らないようにしないと」。自宅の屋根が強度が足りないので、それならと牛舎の広い屋根を使い、22㌔ワットの事業用発電をして、東北電力に売電することにしたと。
「酪農家は毎日絞ってあげないといけないので、家を開けることができない。官邸前に抗議に行けないし、吉沢正己さんのように街宣もできない。せめてもの、俺なりの抗いですよ」

◯遠藤信之さん
 東北電力原町火力発電所で働く遠藤さん。自宅は発電所前(原発の北25㌔)で、海が目の前にあったため、跡形もなく流され、奥さんと母親を失った。拙著でも取り上げた被災者の一人。久しぶりに近況を聞きに仮設を訊ねた。(鹿島区の山側にある仮設住宅)
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 自宅のあった場所は災害指定区域となり、立ち退き対象で家の再建はできない。市が土地を買い取ることになっているが、進んでいない。高台移転を考えているが、震災から2年経っても仮設の暮らしがしばらくは続くことになると覚悟していた。

 「生命保険を担保にお金を借りて建てるしかないだろうな。ハウスメーカーは、いま黙っていてもお客さんが来るので営業しない。大工さんも含め、1年先まで予約で埋まっているそうだよ」

 3月10日にお墓参りをして、菩提寺で3回忌を終えたという。長男は仮設から市内に引っ越し、埼玉県の高校に通う二男は4月からは高校2年制に進級し、長女は千葉市で生活。残った家族4人はバラバラに暮らしている。普段はあまり思い出すことはないという遠藤さんだが、毎晩、晩酌しながら、話相手がいない時に家族を失った寂しさを実感するのだと話す。

◯取材後記
 小高区の場合は他の地区よりも地震による被害が甚大な点も特徴だ。住民の立入が自由になって1年、家の解体も修理もすすんでいない。電気が使えても、本格的除染はまだこれから。線量が低くても帰還の見通しは立ちにくい。避難生活を続ける住民の望郷心と、実際には帰りたくても帰れないと判断する心境が、実のところ、最も分かりやすい避難対象地域と実感した。

 見通しが立たないでけでなく、近所の住民が一人も帰っていない場所に、高齢者が帰って生活を始めること自体が考えにくい。50代、60代ならまだしも、70代以上の体に不安を抱える高齢者が、仮設よりは自宅が何よりといって、孤独な生活を再会するだろうか。

 自宅があれば、誰しもそこに帰って元の生活に一日も早く戻りたいと願う。そこに暮らす住民の感覚で、現実の生活環境を考えたとき、「原発難民」となった避難民が、いま帰還する選択ができるだろうか。帰還する選択ができないこと自体が、原発事故による実害だ。ましてや、原発事故は未収束ではないか。

_8ds5031立看のメッセージを張り出して1年。木幡さんは、もう少し希望の感じられるものに書き換えたいと言った。しかし、現状の本心は、やはり「帰りたい 帰りたくない どうする」のままなのだと。

PS:1年前の警戒区域解除の日の現地ルポは以下のブログをクリックしてご覧下さい。
「止まった時間」・解除された南相馬市の警戒区域(Former No Entry Zone in Minamisouma city.)


 

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