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2013年3月14日 (木)

原発事故から2年。旧警戒区域と区域再編前の警戒区域の人動物模様。Part1・川内村編

(写真はクリックすると拡大します)

 大震災・原発事故から2年が経過。被災者は避難生活3年目に入った。2月26日~3月4日と3月11日~14日まで、警戒区域となっている富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、そして1年前に警戒区域解除となった川内村、南相馬市小高区などで取材した。今月末から来月にかけ、警戒区域再編が加速する。立入禁止だった一部地域が「避難指示解除準備区域」や「居住制限区域」となり、日中の出入りが可能となる。
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 河北新報3月8日の記事から:原発事故で全域が警戒区域や計画的避難区域になっている福島県葛尾村、富岡町、浪江町をそれぞれ「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の3区域に再編すると決めた。再編日は葛尾村が3月22日、富岡町が3月25日、浪江町が4月1日
 4月以降、警戒区域として残るのは双葉町の全域だけになる。川俣町も一部に計画的避難区域が残る。政府はいずれも今春の再編を目指すとしている。Photo
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 政府の方向性は大いなる疑問だ。除染もしないうちからの区域再編は、避難区域再編は避難住民の故郷に帰りたい心情につけ込み。賠償額を低く低く算定し、原発事故の深刻さを小さくしたい東電と政府の都合に他ならない。きめ細かい土壌検査などしないまま、空間線量だけで区域再編をすることの危険性も残されているのではないだろうか。 

 旧警戒区域と区域再編前の警戒区域の人動物模様は、放射能汚染の濃度の大きな違いもだけでなく、自治体の立地条件などの違いもあり、実に様々だ。まずは2012年1月31日に遠藤雄幸村長が「帰村宣言」をし、4月に村内の警戒区域が解除された川内村を取り上げる。
 地元紙の福島民報は、「村は独自の指針として週に4日以上村内で暮らす村民を「帰村者」としている。昨年10月末現在の帰村者は全村民2835人の約4割に当たる1163人。そのうち完全に村に戻った人は400人余だ。~~帰村者のうち6割超が50代以上の中高年層が占める。遠藤村長は「過疎化の村が抱える少子高齢化が一気に進んだ」と重く受け止める。(1月31日)                               
アニマルフォレスト
 アニマルフォレストは原発事故後に警戒区域となった川内村で、それまで飼育していたヤギや羊を救うために立ち上げられた。代表は浪江町出身の吉田睦美さん(25歳)。川内村住民の夫の和浩さんが役員。

_8ds3699吉田さんが殺処分に同意せず、生かしてきた「アニマルフォレスト」のヤギたち。現在ヤギ12頭、羊12頭が元気に生きている。川内村東部の貝ノ坂地区。

_8ds3764立入禁止となっていた時期に生まれた子ヤギ「ペコポコ」。ヤギと羊を飼育するのは生き物好きな代表の吉田睦美さん。

_aaa6849羊へのエサやり。

_8ds3802あごひげが長いのが特徴のヤギ。

 川内村は大ざっぱに分けると、役場のある中央から西半分は線量が低めで、貝ノ坂地区のある富岡町と隣り合う東側の一部の線量が高い。

◯原発事故から1年後の3月に撮影した「かわうち保育園」
 2012年3月、かわうち保育園では除染が進行し、汚染土が敷地外に一時保管されていた。おそらくこれらの汚染土が、富岡町との境に近い山中の仮置き場に保管されたと思われる。_aaa0299
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_aaa8156川内村役場。線量を計りに初めてここに来たのは2011年4月。確かに当初から低めだったが。2012年6月撮影

貝ノ坂地区と汚染土仮置き場
吉田さんの自宅とヤギや羊を飼育する「貝ノ坂」集落は富岡町に近い山中にある。浜通りに近いが積雪は多く、冷え込みは厳しい。戸数12戸で、原発から約17㌔。2012年4月に警戒区域から居住制限区域に再編された。自宅敷地と道路はモデル除染と本格的除染の二度、除染されたという。しかし、空間線量は独自に計ると今でも0.8~3マイクロシーベルトあるという。農地の除染は4月からの話だ。事故前からヤギと羊を飼育してきた吉田さんの自宅からさらに奥に進むと、広い丘陵が整地され村の汚染土の仮置き場となっていた。原発事故前は牧草地だったという。

_8ds3839川内村の除染後の汚染土仮置き場は旧警戒区域内二ヶ所に設置された。もう一ヶ所の鍋倉地区の仮置き場は、緑色の絨毯のような素材で覆われ、すでに満杯状態に見えた。
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孫の世代のために帰還しない大和田さん(64歳)
_8ds3901自宅は貝ノ坂地区にあり、宮渡地区に建てられた応急仮設に入居した大和田一さん。いわゆる仮設住宅とは異なる作りで、いづれ村営住宅になるとのこと。

 大和田さんの息子さんは東電社員。3・11日の夜遅くに自宅に歩いて帰った息子さんと、12日の1号機の水素爆発を、第一と第二原発が見渡せる大倉山に登って数分後に見たと話した。ピンク色のものが空中を舞い、浪江町方向に流されていくのを見たと話した。原発から200㌔は離れないと危ないと息子さんは言ったそうだ。

 孫の世代の教育の問題を見越し、大和田さんは自宅に帰って生活するつもりはないと話す。村内で小中学校に通うことができても、高校生になったら高校のある町に住まわせる他はないのが川内村の教育環境。「高校がないから若い人は戻ってこない。みんな俺と同じことをいう」。ならば、生活再建は余所でと言う判断で、息子さんが定住予定のいわき市に引っ越すとのことだ。

 「裏山は腰の高さで13マイクロシーベルト、地べたで57マイクロシーベルトある。家の中でも1.7マイクロシーベルトある。とても孫が帰ってきて生活するどころではない」。遠藤村長の娘さん一家は沖縄に避難したままだとも話した。
 ちなみに、事故後に避難した息子さんには東電から頻繁に現場に戻ってくれとの要請が来たという。大和田さんは父親として「危ないから行くな」と注意したが、息子さんは3月末に現場に戻った。現場に戻るのが決まってからは、大和田さんは東電上層部に交渉し、第一原発5~6号機の現場での仕事にしてもらうように頼み込んだという。

 大和田さんの実家は宮城県境の新地町。大津波で親戚の家が4件流され、4人が死亡した

_aaa7011長引く避難生活のために、女性の多くが手芸に持て余す時間を費やしているようだ。大和田さんの奥さんは仮設の部屋を自分で作った作品で飾っている。左は吉田睦美さん。_8ds5344いただいた、フワフワのフクロウの置物。

◯吉田和浩さん(MKSテクノ)
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 吉田さん(49歳)は仙台で設計会社を22年間やっていたが、川内村に戻って2009年にMKSテクノを設立。大震災の時は、父ががんで入院中だった。避難生活中に浪江町出身の睦美さんと結婚。父は震災後の11月に病院で死亡。奥さんの祖母は新潟へ避難する予定にしていたが病死した。会社の仕事が忙しくなってきたので、交通の弁の良い三春町に事務所を構えた。

  「原発事故が転機になった。人に恵まれていた。事故当時は栃木県で送電関係の仕事中だった。避難生活の苦労は少しだけで、仕事は順調に来ている。送電関係や地中線の仕事、除染やスクリーニングの仕事がくるようになった。以前は3次、4次の下請けだったが、今は1次や2次の下請けになった。事故前の3倍の規模の会社になった。亡くなった父は羊が好きで、生かしてくれといわれた。イヌ、ネコ、ヤギ、羊のつながりで、いろんな人とつながりができたのも大きい」
 
 「若い人が川内村に戻らない理由は不便だから」と吉田さんは指摘する。村の外で長年仕事をしてきたこともあり、役場による住民説明会などで、吉田さんは自分の疑問を普通にぶつけるという。村長にも直接問いただすという。ところが、村民は言いたいことがあっても発言せずに、吉田さんに代わりにこう言ってくれと頼むのだという。川内村の将来を見越し、吉田さんはこう話す。
「双葉郡を南、中、北双葉郡の三つに分け、南双葉郡は広野町、楢葉町、川内村、富岡町の町村で線量の低いところに住民を集めて再編したら良いのではないか」

 いま、アニマルフォレストの囲い込みを広くし、二重のフェンスで逃げ出すことのないように作業が始まったばかりだ。「ふれあい観光牧場」にしたい」と吉田さんは構想する。だが、放射線量が目立って減少していないことからも、居住制限区域の指定は延長されるだろうと、吉田さんは見ている。吉田さんのMKSテクノブログ(カズ社長の言いっ放しブログ)はこちら。

◯山本注:
 富岡町編、大熊町編、浪江町編、双葉町編、南相馬市編と順次公開予定です。

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コメント

初めまして。山口県山口市の米光祥子と申します。アニマルフォレストの吉田さんご夫婦を、一昨年秋からわずかばかりですが応援しています。Facebookをやっているのですが、もしさしつかえなければ山本様のこの記事をシェアさせていただいてもよろしいでしょうか?
山口県は原発推進の安倍首相就任以来、上関原発建設問題が再燃しています。
福島第一原発事故は未だ収束していないこと。避難民の方々のご苦労は未だ続き、いつ普通の生活に戻れるのか目処さえ立たないこと.。
それを踏まえて、使用済み核燃料の処理問題などを鑑みても、原発の再稼働はありえない話で、ましてや上関原発など建設の必要性がまったくない、ということを、わずかではありますが私の友人や知り合いにも知って欲しいと思います。
ご検討をよろしくお願い致します。

投稿: 米光祥子 | 2013年3月19日 (火) 18:41

米光さま

コメントありがとうございます。
どうぞシャアしていただきて構いません。
原発事故の実害を広く知ってもらうためにもブログで取材したものを発信していますから。
上関原発建設計画は言語道断なことはいうまでもありません。
ちなみに、福島菊次郎さんの近況もブログで紹介していますのでそちらも共有していただいても構いません。

山本宗補

投稿: 山本 | 2013年3月19日 (火) 19:56

Excellent, what a weblog it is! This weblog provides helpful facts to us, keep it up.

投稿: beats by dr dre | 2013年3月20日 (水) 09:01

dear beats by dr dre;

many thanks for your comment on my blog.
I wish to provide English translation so that
non-Japanese-speaking readers could understand
the real situation in Japan after 3・11 without misunderstanding.

yamamoto munesuke

投稿: 山本(yamamoto) | 2013年3月20日 (水) 11:58

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