原発事故から2年。旧警戒区域と区域再編前の警戒区域の人動物模様。Part2・富岡町編
(写真はクリックすると拡大します)
◯原発作業員のハッピーさん(@Happy11311)の懸念(3月9日と3月16日)
ハッピーさんはフォロアー数7万人の現役原発作業員の方だ。毎日現場の状況を具体的につぶやいてくれる。富岡町と浪江町の警戒区域再編を前に、とても重要なつぶやきをしているので引用したい。
「そこで今回の富岡町や浪江町の警戒区域解除なんだけど、これは楢葉町の場合と比べて、かなり危険だと思う。楢葉町も確かに汚染してるけど、富岡町や浪江町は汚染レベルの桁が違うんだ。今までの警戒区域解除と全然違うという事なんだ。
0.2mSv/hって4号機下の作業場所とあまり変わらない線量だし。そんな除染もしてない、3.11から時間の止まった手付かずの場所に、今月3月25日からいきなり「自由に入っていいですよ」、なんて有り得ない。国や自治体やゼネコン元請けは、人の命なんてこれっぽっちも考えてないよね」
「警戒区域はいまでも線量が高いし汚染も高い。国が決めた20mSv/年なんて有り得ない。まして線量で住民帰還の判断する事自体が間違ってる。本当に危険なのは線量ではなく、その線源である汚染なんだ。
線量より汚染、外部被曝より内部被曝の方が大きな問題である事を、みんなに知って欲しい。マイクロシーベルトよりべクレルやカウントなんだ。小さな空間線量でも、その線源である汚染は高いし、核種にも問題がある。決して線量に惑わされたらダメだという事を」
◯富岡町の区域再編
福島第二原発を立地する富岡町は、3月25日(月)午前0時より、「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」の3つの避難指示区域に再編される。富岡町役場のホームページには、避難指示解除見込み時期について、住民へは以下のとおり、お知らせがある。
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インフラ復旧や除染の見通し等を検討した結果、以下のようになります。
(1) 「帰還困難区域」は平成23年3月11日から6年
(2) 「居住制限区域」及び「避難指示解除準備区域」は平成23年3月11日から5年
※避難指示解除見込み時期は、財物賠償の早期支払い等のために、ひとまずの”見込み”時期を定めたものであり、実際の避難指示解除時期は、今後のインフラ復旧や除染、生活環境整備等の進捗状況を踏まえたうえで、あらためて関係機関と協議した上で決定します。
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立入禁止状態が解除される直前の、私にとっては最後の取材を、2月27日と3月11日にした。原発から8㌔のところに自宅がある木田節子さんの一時帰宅に同行し、「3・11」から2周年の日は松村直登さんを取材した。
◯木田節子さんの一時帰宅から見る、時間が止まったJR富岡駅周辺と夜の森桜並木の除染(2月27日)
木田さんは、大震災の約1週間前に、JR富岡駅からスーパーひたちに乗り、千葉県にいる長女のところへ出かけた。駅前には夫が使う自家用車が津波で流されたまま残されている。
駅前商店街の美容室の時計が、午後2時46分で止まったまま。
駅前の民家。津波で壊されたままなのか、大切なものだけは持ち出された後なのかはわからないが、地元の富岡町消防団のハッピがかかっていた。
駅の南側で海と福島第二原発に近い場所に建つ「ホテル海遊館」の地階部分。2年前で時間が止まっている。
木田さんに原発事故から2年の心境を聞いた。3分少々の動画です。木田さんの声を直接聞いてみてください。
「私が1年前に声をあげはじめたように、私だけではなくて、いづれみんな本気になる時が来る。いつまでもバカにするなよ。国はたかをくくっているかもしれないけど、いつまでもお前たちの思う通りにはいかないぞと思います」。
「線量だけなら確かに低いですが、この状況みて、駅直して、津波のがれき片づけて、そこに帰ってきて家を建てて住めといっているようなもの。何を考えて帰還してくださいと言っているのだろう」
「赤字路線の常磐線をシェルター化して南相馬市まで再開してくれという要請がJRに来ている」、というくだりには、耳を疑った。木田さんのご主人はJRに務めている。
福島第二原発の排気筒も建屋も間近に見える大津波で流された一帯。JR富岡駅の眼前に広がる光景。
木田さんの自宅。地震による被害はほとんどない。再編後は居住制限区域となるが、庭の空間線量は4マイクロシーベルト前後ある。
「去年秋来たときと全く代わらない。側溝に近づけたら10マイクロシーベルト。何十憶何百憶円出しても変わらないのよと、私たちが言っても、ゼネコンにお金出して、除染作業させる。原発が爆発してもおいしい思いする人はいつも同じではないの、全然何も変わっていない」
木田さんは、東電による財物賠償の試算をした。その結果、自宅のローンが20年で3200万円払ってきたけれど、賠償金で残りのローンを払ったら、手元には700万円くらいしか残らないだろうという。これで余所の土地へ移ってゼロから生活再建できるだろうか?自宅の裏手も道路の向かいも雑草で荒れ放題の水田が広がる。住宅と敷地の除染時期は未定で、財物賠償交渉もこれからだ。
鹿島建設による夜の森の桜並木の除染が進む。町が4月に町民を対象にした花見ツアーを企画しているために、除染が行われている。桜並木の根本はホットスポットが潜んでいるようだ。地面に直接置くと、高いところで44マイクロシーベルトを測定した(下の写真)。
公共下水道の調査中の男性。働き始めたばかりで、危険手当は付いていると話した。
◯松村直登さんの2013年3月11日
原発の南西約12㌔にある自宅で保護するダチョウは健在。(注:松村さんは防護服もマスクもまったく着用しない生き方を貫いている。浪江町の吉沢正己さんと一緒だ。決して放射線量が低いわけではない)。
冬の間、牛は毎日のエサやりがかかせない。二ヶ所に囲い込んで生かしているが、再編後に、自宅近くの水田は避難解除準備区域となり、出入りが自由となるが、国道6号線脇に確保した囲い込みは、線量が高いために帰還困難区域となり、検問所を通過しないとエサやりに通えなくなるという。
自宅近くの水田囲い込み。ポニーのヤマが元気だ。
ヤマのたてがみが伸びすぎて目を覆ってしまうため、たてがみをヒモで縛ろうとする松村さん。
大玉村の仮設住宅で避難生活を送る、ヤマの持ち主の半谷さんが、2010年秋に収穫した米を積んで、久しぶりに会いにきていた。嬉しそうな顔だった。
松村さんが震災前から飼うイノシシの小屋に、エサを求めて毎日出没するイノブタ。イノシシの倍の大きさがある。
日本列島各地を襲った前日の強風の影響で、あちこちで倒木が道路をふさいだりしていた。富岡町内に留まっているため、役場の職員よりも一足先にチェーンソーで倒木を切断し、道路脇に寄せる松村さん。
国道6号線富岡町消防署近くの囲い込み。富岡町役場に近い場所の囲い込みから、昨年夏に移動した。広くなり、エサの奪い合いによる弱い者イジメがなくなったのだろうか、がりがりにやせた牛がいなくなった。生活環境が良くなったことは確かだ。ただし、空間線量は6マイクロシーベルト前後ある。
建築業が本業の松村さんは、ペットのエサやり、救出から、とうとう放れ牛を国の殺処分から守ろうと生かしてきた。霞が関の官僚の理不尽な指示にうち勝ったといえる。囲い込んだ牛たちを守りきった松村さんに振り返ってもらった。1分ほどの動画です。生の声を聞いてみてください。
「これだけ生かしてきたけど、この後もどうなるかわからない。世の中の半分の人は、所詮家畜じゃないか、何やってんだお前という人もいるだろう。牛たちを助けてくれてありがとうと感謝している人もいるだろう。支援されているうちは生かし続けていかなければならないと思うし。これは長い問題で、いつ終わりがくるかわからない」
松村さんは、最終的には、「放れ牛のような生活に戻してやりたい」という言葉が胸にしみた。
JR富岡駅方向に向かって、原発震災の犠牲者に対し手を合わせる松村さん。
◯松村直登さんと木田節子さんのこれまでのルポは以下でご覧になれます。
・2012年4月30日 :警戒区域で生きる松村直登さんと子牛の石松の誕生Part1
・2012年5月 1日 :警戒区域で生きる松村直登さんと子牛の石松の誕生Part2
・2012年7月11日 :警戒区域に生きる・part1~富岡町の松村直登さんのその後
・2012年10月27日 :一月遅れの一時帰宅報告・警戒区域の実情(富岡町)
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コメント
こんにちは。この記事もふくめ、これから掲載されるブログの記事もFacebookにてシェアさせていただいてもよろしいですか?
投稿: 米光祥子 | 2013年3月24日 (日) 15:09
米光さま
facebookでもブログ更新記事はその都度書いていますので、facebookのシェアをお願いします。
投稿: 山本 | 2013年3月24日 (日) 20:38
YouTubeの取材拝見し落ち込みました。富岡駅の映像みて無力さと現実を突き付けられ個人個人の支援だけでは限界があると悲しくなりました。
賠償金が出て周りの自治体が仕事をバックアップすることはそんなに難しい事のでしょうか?
被災地の人が一番頑張ってるんだから、めげていたらダメですね。いつも情報有り難うございます。
投稿: Juamwezi | 2013年4月 4日 (木) 00:55
Juamweziさま
コメントありがとうございます。
原発事故により警戒区域となった津波被災地は
どこの自治体でも同じなのです。
2年経とうが片づけることもできない。
原発事故による放射能汚染とは、かくも
残酷なものです。
投稿: 山本 | 2013年4月 4日 (木) 17:00