原発事故から2年。旧警戒区域と区域再編前の警戒区域の人動物模様。Part3・大熊町編(脱原発政党「みどりの風」議員同行取材)
(写真はクリックすると拡大します)
◯田村市の旧警戒区域。
まず、以下の写真を見てほしい。今年3月8日と2月8日の放射線量で見ると、線量が上昇していることがわかる。左側の測定値は一年前の同時期のもので、3月26日の方が、3月9日よりも上昇している。線量が上がった原因は明らかに雪解けによるものだ。別の言い方をすると、雪が積もっているあいだは、雪による放射線の遮蔽効果があるということだ。もう一つのポイントは、この測定地点の一年間の減少率は低いということだ。しかも、このポストの周辺にある民家の除染は終了していると思われるにも関わらず。この事実が意味することは重要ではないか。 田村市道ノ内集会所。3月13日。
実は、同じ上昇傾向は、田村市役所の玄関を入ったところに設置された大型液晶テレビの画面でも確認できる。一月のグラフになっているので、雪解け開始から少しづつ線量が上がっていくことが、田村市内各地のモニタリングポストの数値から誰にも読みとれる。
民家の庭に仮置きされたままの、大型土嚢に入れられた除染後の汚染土など。
警戒区域に入る直前の、防護服に着替える前の写真。立っているのは、「みどりの風」代表の参議院議員・谷岡くに子氏。田村市道ノ内集会所にて。
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◯大熊町の避難区域再編
大熊町は福島第一原発を立地し、全域が警戒区域となっていたが、昨年12月10日にすでに再編されている。
町の西南端にあたる中屋敷行政区が「避難指示解除準備区域」、大川原1・2区行政区が「@居住制限区域」となり、残る全域が「帰還困難区域」に再編された。といっても、帰還困難区域の人口が約96%を占める。
この日は帰還困難区域となった野上地区に自宅があり、学習塾を経営していた木幡ますみさんの公益事業帰宅に同行した。愛知県選出の参議院議員で、大学学長も務め、高等教育や脱原発に熱心な谷岡くに子「みどりの風」代表も同行された。年末の総選挙で敗れた山崎誠前衆議院議員(民主党→みどりの風→日本未来の党)も同行されていた。よって同行記のような形で報告してみたい。谷岡議員は、民主党政権時から、木幡さんが代表を務める「大熊町の明日を考える女性の会」の陳情などに耳を傾けてきた。木幡さんは、夫の前町議の仁さんとともに、中間貯蔵施設を大熊町が引き受けるべきだと、細野環境相(当時)に直接働きかけてきた。
(twitterでの発信も心がける谷岡議員の当日のつぶやきも、ところどころ引用させてもらいました)
田村市から国道288号線を東進するルートで大熊町に入った。開閉式の検問所となっていた。検問事業は民間の業者に委託されているようだった。オフサイトセンター(OFC)の車が止まっていた。
野上地区の入口にある木幡家の墓地で、地震による墓石倒壊状況を目の当たりにする谷岡議員。
肥大した月見草(枯れ枝の状態)の写真を撮る谷岡議員。奥が山崎前議員。
建物は大丈夫だが、地震で積み上げられていた肥料などが倒れたままの農機具置き場から塾のある建物へ向かう。
塾の窓側の線量を計る谷岡議員。1.8マイクロシーベルトをこえる。
机の上に残る落書きと線量計の相合い傘。
「谷岡郁子 @kunivoice 3月13日 大熊町にいます。線量計で、いろいろな場所を測っています。お墓の石や、屋根の上も。塾の機材運び出しに飛び入りさせてもらった次第」(谷岡議員のtwitterから転載)
屋根が近い二階が線量が高いと読んで、二階の窓際で測定。まん中が山崎前議員。
脚立で屋根に登って雨の通り道を測定する谷岡議員。ユズの黄色い実が見える。
広い平屋の屋根の雨樋の下で200マイクロシーベルトをこえた。
「谷岡郁子 @kunivoice 3月13日 大熊町の友人宅は、屋根の上で4マイクロ、家の中でも2マイクロ、雨樋の下は、200を超えていました。もう1つは、100くらい。大熊の目抜き通りは10から場所によっては50くらい。福一から1キロの所では空間線量が30マイクロ超えも」(谷岡議員のtwitterから転載)
◯木幡ますみさんの動画。(2月28日の一時帰宅に同行した際に収録)
「建物はこわれていないけど、中はねずみに荒らされていて。地震だけだったらすぐに直すことができ、片づけることができたはず。原発事故のために、線量が高く帰ることができない。もうここに二度と帰れないと思うと、悔しい思いでいっぱいです。一時帰宅の度につよく思います。
家は3軒あるんですが、昔の古い建物ですが、母屋はひとつもこわれているところはない。このままだったら住めるのに、いくら古い家だとしても、最低のお金を出されては家など建てられません。ましてや帰れないんですから、きちんと家と土地が求められるような財物補償をしてほしい」
時間が止まったままのJR大野駅前商店街。
手前が谷岡議員。奥が山崎前議員。山崎さんはビデオを撮るのに忙しく動いていた。
舗装された商店街の路上でも、6マイクロシーベルト近い空間線量を示す谷岡議員。
道路側の窓が地震で倒壊し、がら空きとなった「パンとケーキの店カムラ」。谷岡議員は、3・11前の店とお客さんのやりとりが今にも聞こえて来そうだと、感慨深げだった。
「谷岡郁子 @kunivoice 3月13日 大熊町の目抜き通りのパン屋さんの店先、傾いたままの墓石。あの日から変わっていない断ち切られたささやかな、日常の幸せ。原発事故は終わっていない。復興は、スタートすらしていない。今日、このことを確認しました」(谷岡議員のtwitterから転載)
大熊町役場掲示板
閉ざされた役場の玄関に見える案内板は、「第一回定例議会3月7~17日」が架かったままで、確定申告の時期だったことを思い出させる案内もある。
大熊町役場は2011年12月に除染実証実験が実施された。それから1年以上が経過した。駐車場の角の、枯葉の吹き溜まりで測定すると、26マイクロシーベルトを示した。つまり、元々放射線量の高い帰還困難区域は、除染しても再び三度線量が上がることを見せつけているようだった。
原発の南西2㌔の夫沢地区から見える事故現場の排気筒と建屋上部。
繰り返される余震で道路の陥没が拡大している。
大津波で壊滅した(財)福島県栽培漁業協会のカマボコ型の建物。
この大型施設では、アワビ、ウニ、ヒラメなどを育てて放流していた。「東京電力福島第一原子力発電所の温海水(自然海水より7~8℃高い)を利用しているので、産卵時期を早めたり、稚魚・稚貝の成長を促進することができるところです」と、ホームページに記載されている。
隣接して「福島県水産種苗研究所」もあったが壊滅した。(ホームページによると、所長、専門研究員1名が亡くなっている)。こちらも、原発の温排水を利用した研究をしていた。
この時は海からの東風が強かった。防波堤と舗装された駐車場スペースの空間線量は15マイクロシーベルトを示した。通常の海沿いは、双葉町でも浪江町でも富岡町でも1マイクロシーベルト以下と低いところがほとんどだ。しかし、原発に近いためか、極めて高い線量だ。
さらに驚いたのは、津波で舗装が剥がされ土が露出する場所での空間線量が24マイクロシーベルト前後と、極めて高いことだった。土の上に直置きすると15マイクロシーベルトのところが、高さ1m程度の空間線量で測定すると25マイクロシーベルトになった。これには、どこで何を見ても動じない印象を受ける谷岡議員も首をかしげていた。
公益事業帰宅で同行した一行。写真は左から木幡さん、運転手高橋さん(大熊町からの避難民)、山崎誠前議員、谷岡議員、大野記者(東京新聞)。木幡さんは、当初は塾のコピー機を持ちだせないかと思案していたようだが諦めた。
◯公益事業帰宅同行後に訊ねた谷岡くに子議員の感想
「放射線量はものすごくムラがあることを強く実感した。除染といっても細かい汚染マップを作る必要がある。除染に頼っても再び高くなってしまうところはわかって来ているわけなので、繰り返しをしないことと、拡散を防止すること。汚染土や草木類や葉を早く生活の場から線量の高い場所へ移してあげないとダメですね。
大熊町は福島第一を視察したときに通りましたが、降りて町中を歩いてみたのは初めてです。一人の人間としての目線で、身体感覚で把握したのは今日が初めて。たとえば、大熊町の商店街のパン屋さんの道具やお盆などを見たときに、お客さんの主婦やお店のおねえさんの笑い声や応対の態度が見えたような気がした。ある日突然断ち切られた人々の息使いが聞こえるような気がして、胸が痛い思いでした。直したばかりのお店の場合は、ここで借金返して、家族養ってと期待に胸を膨らませていた家族の情景として浮かんでしまった。そんなささやかな幸せや日常の奪われた異常事態のまま2年も経ってしまったことを痛感した。
宮城県も視察したが、地震後の一応の片づけは見えるわけですが、今日は地震の日のままの姿をさらす、全く手つかずの建物を多く見たわけです。原発事故の跡だけが、復興のスタートラインにたどりつけないことを深く感じました。
一軒の家の回りでも、高いところ低いところがある。放射能の濃い低いはものすごく細かい状況だとわかった。国がやっている今のモニタリングのメッシュは、あまりにも荒っぽい。とくに生活範囲は、徹底的に細かいメッシュでやらなければいけないと強く感じました」
高濃度の放射能に生活環境が汚染されたことも知らず空に舞うトビもしくはタカ。巣作りのためだろうか、セシウムが吸着しやすい杉の枝を運んでいた。(排気筒が間近に見える夫沢の高台で)
◯取材後メモ
富岡町の第二原発敷地内に設置されたスクリーニング会場に向かう車内で、谷岡議員がつぶやいた一言が重々しく感じられた。「共感能力のなさが倫理的な最大の問題点だ」。簡単にいえば、国会議員にも、官僚にも、学校教育や家庭教育の場でも欠如する、「他者の痛みに共感する感情」のことだ。経済効率や金もうけばかりを優先する社会から、ますます薄れていく価値観のことにほかならない。
また、除染後の汚染物質のための中間貯蔵施設は、汚染度の濃度からいっても、大熊町の置くことが自然だ、というのが谷岡議員の意見だった。
ちなみに、昨年11月と9月に木幡さんの一次帰宅に同行した時のルポはこちらです。ごらんください。
・「忘れがちだが、忘れてはならない警戒区域の惨状(一時帰宅同行記)」(2012年11月26日 )
・「一月遅れの一時帰宅報告・その2(大熊町)。中間貯蔵施設調査候補地&セイタカアワダチソウ」(2012年10月30日)
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