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2013年3月の投稿

2013年3月27日 (水)

原発事故から2年。旧警戒区域と区域再編前の警戒区域の人動物模様。Part3・大熊町編(脱原発政党「みどりの風」議員同行取材)

(写真はクリックすると拡大します)

◯田村市の旧警戒区域。
 まず、以下の写真を見てほしい。今年3月8日と2月8日の放射線量で見ると、線量が上昇していることがわかる。左側の測定値は一年前の同時期のもので、3月26日の方が、3月9日よりも上昇している。線量が上がった原因は明らかに雪解けによるものだ。別の言い方をすると、雪が積もっているあいだは、雪による放射線の遮蔽効果があるということだ。もう一つのポイントは、この測定地点の一年間の減少率は低いということだ。しかも、このポストの周辺にある民家の除染は終了していると思われるにも関わらず。この事実が意味することは重要ではないか。 _8ds7620田村市道ノ内集会所。3月13日。
 実は、同じ上昇傾向は、田村市役所の玄関を入ったところに設置された大型液晶テレビの画面でも確認できる。一月のグラフになっているので、雪解け開始から少しづつ線量が上がっていくことが、田村市内各地のモニタリングポストの数値から誰にも読みとれる。

_aaa9302民家の庭に仮置きされたままの、大型土嚢に入れられた除染後の汚染土など。

_8ds7592警戒区域に入る直前の、防護服に着替える前の写真。立っているのは、「みどりの風」代表の参議院議員・谷岡くに子氏。田村市道ノ内集会所にて。
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大熊町の避難区域再編
 大熊町は福島第一原発を立地し、全域が警戒区域となっていたが、昨年12月10日にすでに再編されている。
町の西南端にあたる中屋敷行政区が「避難指示解除準備区域」、大川原1・2区行政区が「@居住制限区域」となり、残る全域が「帰還困難区域」に再編された。といっても、帰還困難区域の人口が約96%を占める。
 この日は帰還困難区域となった野上地区に自宅があり、学習塾を経営していた木幡ますみさんの公益事業帰宅に同行した。愛知県選出の参議院議員で、大学学長も務め、高等教育や脱原発に熱心な谷岡くに子「みどりの風」代表も同行された。年末の総選挙で敗れた山崎誠前衆議院議員(民主党→みどりの風→日本未来の党)も同行されていた。よって同行記のような形で報告してみたい。谷岡議員は、民主党政権時から、木幡さんが代表を務める「大熊町の明日を考える女性の会」の陳情などに耳を傾けてきた。木幡さんは、夫の前町議の仁さんとともに、中間貯蔵施設を大熊町が引き受けるべきだと、細野環境相(当時)に直接働きかけてきた。
(twitterでの発信も心がける谷岡議員の当日のつぶやきも、ところどころ引用させてもらいました)

_8ds7599田村市から国道288号線を東進するルートで大熊町に入った。開閉式の検問所となっていた。検問事業は民間の業者に委託されているようだった。オフサイトセンター(OFC)の車が止まっていた。

_aaa9316野上地区の入口にある木幡家の墓地で、地震による墓石倒壊状況を目の当たりにする谷岡議員。

_aaa9324肥大した月見草(枯れ枝の状態)の写真を撮る谷岡議員。奥が山崎前議員。

_aaa9329建物は大丈夫だが、地震で積み上げられていた肥料などが倒れたままの農機具置き場から塾のある建物へ向かう。

_8ds7620_2塾の壁に張り出されたままの大学合格速報に見入る谷岡議員。

_8ds7639天井近くには「平成17年東大合格」のマジック書きが残る。

_8ds7627塾の窓側の線量を計る谷岡議員。1.8マイクロシーベルトをこえる。
_8ds7631机の上に残る落書きと線量計の相合い傘。

「谷岡郁子 ‏@kunivoice 3月13日 大熊町にいます。線量計で、いろいろな場所を測っています。お墓の石や、屋根の上も。塾の機材運び出しに飛び入りさせてもらった次第」(谷岡議員のtwitterから転載)

_8ds7649浜通りの冬でも暖かい気候で梅が咲いていた。

_aaa9368屋根が近い二階が線量が高いと読んで、二階の窓際で測定。まん中が山崎前議員。

_aaa9343脚立で屋根に登って雨の通り道を測定する谷岡議員。ユズの黄色い実が見える。

_8ds7669広い平屋の屋根の雨樋の下で200マイクロシーベルトをこえた。

「谷岡郁子 ‏@kunivoice 3月13日 大熊町の友人宅は、屋根の上で4マイクロ、家の中でも2マイクロ、雨樋の下は、200を超えていました。もう1つは、100くらい。大熊の目抜き通りは10から場所によっては50くらい。福一から1キロの所では空間線量が30マイクロ超えも」(谷岡議員のtwitterから転載)

木幡ますみさんの動画。(2月28日の一時帰宅に同行した際に収録)

 「建物はこわれていないけど、中はねずみに荒らされていて。地震だけだったらすぐに直すことができ、片づけることができたはず。原発事故のために、線量が高く帰ることができない。もうここに二度と帰れないと思うと、悔しい思いでいっぱいです。一時帰宅の度につよく思います。
 家は3軒あるんですが、昔の古い建物ですが、母屋はひとつもこわれているところはない。このままだったら住めるのに、いくら古い家だとしても、最低のお金を出されては家など建てられません。ましてや帰れないんですから、きちんと家と土地が求められるような財物補償をしてほしい」

_aaa9404時間が止まったままのJR大野駅前商店街。
_8ds7714手前が谷岡議員。奥が山崎前議員。山崎さんはビデオを撮るのに忙しく動いていた。

_8ds7692舗装された商店街の路上でも、6マイクロシーベルト近い空間線量を示す谷岡議員。
_aaa9395道路側の窓が地震で倒壊し、がら空きとなった「パンとケーキの店カムラ」。谷岡議員は、3・11前の店とお客さんのやりとりが今にも聞こえて来そうだと、感慨深げだった。

「谷岡郁子 ‏@kunivoice 3月13日 大熊町の目抜き通りのパン屋さんの店先、傾いたままの墓石。あの日から変わっていない断ち切られたささやかな、日常の幸せ。原発事故は終わっていない。復興は、スタートすらしていない。今日、このことを確認しました」(谷岡議員のtwitterから転載)

_8ds7731大熊町役場掲示板
_8ds7739閉ざされた役場の玄関に見える案内板は、「第一回定例議会3月7~17日」が架かったままで、確定申告の時期だったことを思い出させる案内もある。

 大熊町役場は2011年12月に除染実証実験が実施された。それから1年以上が経過した。駐車場の角の、枯葉の吹き溜まりで測定すると、26マイクロシーベルトを示した。つまり、元々放射線量の高い帰還困難区域は、除染しても再び三度線量が上がることを見せつけているようだった。

_8ds7768原発の南西2㌔の夫沢地区から見える事故現場の排気筒と建屋上部。
_aaa9470繰り返される余震で道路の陥没が拡大している。

_8ds7781原発の真南1.5㌔辺りから見える原発方向の太平洋。

_aaa9518大津波で壊滅した(財)福島県栽培漁業協会のカマボコ型の建物。

 この大型施設では、アワビ、ウニ、ヒラメなどを育てて放流していた。「東京電力福島第一原子力発電所の温海水(自然海水より7~8℃高い)を利用しているので、産卵時期を早めたり、稚魚・稚貝の成長を促進することができるところです」と、ホームページに記載されている。
 隣接して「福島県水産種苗研究所」もあったが壊滅した。(ホームページによると、所長、専門研究員1名が亡くなっている)。こちらも、原発の温排水を利用した研究をしていた。

_aaa9533奥が木幡ますみさん。

 この時は海からの東風が強かった。防波堤と舗装された駐車場スペースの空間線量は15マイクロシーベルトを示した。通常の海沿いは、双葉町でも浪江町でも富岡町でも1マイクロシーベルト以下と低いところがほとんどだ。しかし、原発に近いためか、極めて高い線量だ。
 さらに驚いたのは、津波で舗装が剥がされ土が露出する場所での空間線量が24マイクロシーベルト前後と、極めて高いことだった。土の上に直置きすると15マイクロシーベルトのところが、高さ1m程度の空間線量で測定すると25マイクロシーベルトになった。これには、どこで何を見ても動じない印象を受ける谷岡議員も首をかしげていた。

_aaa9477公益事業帰宅で同行した一行。写真は左から木幡さん、運転手高橋さん(大熊町からの避難民)、山崎誠前議員、谷岡議員、大野記者(東京新聞)。木幡さんは、当初は塾のコピー機を持ちだせないかと思案していたようだが諦めた。

◯公益事業帰宅同行後に訊ねた谷岡くに子議員の感想
 「放射線量はものすごくムラがあることを強く実感した。除染といっても細かい汚染マップを作る必要がある。除染に頼っても再び高くなってしまうところはわかって来ているわけなので、繰り返しをしないことと、拡散を防止すること。汚染土や草木類や葉を早く生活の場から線量の高い場所へ移してあげないとダメですね。

 大熊町は福島第一を視察したときに通りましたが、降りて町中を歩いてみたのは初めてです。一人の人間としての目線で、身体感覚で把握したのは今日が初めて。たとえば、大熊町の商店街のパン屋さんの道具やお盆などを見たときに、お客さんの主婦やお店のおねえさんの笑い声や応対の態度が見えたような気がした。ある日突然断ち切られた人々の息使いが聞こえるような気がして、胸が痛い思いでした。直したばかりのお店の場合は、ここで借金返して、家族養ってと期待に胸を膨らませていた家族の情景として浮かんでしまった。そんなささやかな幸せや日常の奪われた異常事態のまま2年も経ってしまったことを痛感した。
 宮城県も視察したが、地震後の一応の片づけは見えるわけですが、今日は地震の日のままの姿をさらす、全く手つかずの建物を多く見たわけです。原発事故の跡だけが、復興のスタートラインにたどりつけないことを深く感じました。

 一軒の家の回りでも、高いところ低いところがある。放射能の濃い低いはものすごく細かい状況だとわかった。国がやっている今のモニタリングのメッシュは、あまりにも荒っぽい。とくに生活範囲は、徹底的に細かいメッシュでやらなければいけないと強く感じました」

_8ds7771高濃度の放射能に生活環境が汚染されたことも知らず空に舞うトビもしくはタカ。巣作りのためだろうか、セシウムが吸着しやすい杉の枝を運んでいた。(排気筒が間近に見える夫沢の高台で)

◯取材後メモ
 富岡町の第二原発敷地内に設置されたスクリーニング会場に向かう車内で、谷岡議員がつぶやいた一言が重々しく感じられた。「共感能力のなさが倫理的な最大の問題点だ」。簡単にいえば、国会議員にも、官僚にも、学校教育や家庭教育の場でも欠如する、「他者の痛みに共感する感情」のことだ。経済効率や金もうけばかりを優先する社会から、ますます薄れていく価値観のことにほかならない。

 また、除染後の汚染物質のための中間貯蔵施設は、汚染度の濃度からいっても、大熊町の置くことが自然だ、というのが谷岡議員の意見だった。

 ちなみに、昨年11月と9月に木幡さんの一次帰宅に同行した時のルポはこちらです。ごらんください。
・「忘れがちだが、忘れてはならない警戒区域の惨状(一時帰宅同行記)」(2012年11月26日 )

「一月遅れの一時帰宅報告・その2(大熊町)。中間貯蔵施設調査候補地&セイタカアワダチソウ」(2012年10月30日)


 


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2013年3月21日 (木)

原発事故から2年。旧警戒区域と区域再編前の警戒区域の人動物模様。Part2・富岡町編

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原発作業員のハッピーさん(@Happy11311)の懸念(3月9日と3月16日)
 ハッピーさんはフォロアー数7万人の現役原発作業員の方だ。毎日現場の状況を具体的につぶやいてくれる。富岡町と浪江町の警戒区域再編を前に、とても重要なつぶやきをしているので引用したい。

 「そこで今回の富岡町や浪江町の警戒区域解除なんだけど、これは楢葉町の場合と比べて、かなり危険だと思う。楢葉町も確かに汚染してるけど、富岡町や浪江町は汚染レベルの桁が違うんだ。今までの警戒区域解除と全然違うという事なんだ。
 0.2mSv/hって4号機下の作業場所とあまり変わらない線量だし。そんな除染もしてない、3.11から時間の止まった手付かずの場所に、今月3月25日からいきなり「自由に入っていいですよ」、なんて有り得ない。国や自治体やゼネコン元請けは、人の命なんてこれっぽっちも考えてないよね」

 「警戒区域はいまでも線量が高いし汚染も高い。国が決めた20mSv/年なんて有り得ない。まして線量で住民帰還の判断する事自体が間違ってる。本当に危険なのは線量ではなく、その線源である汚染なんだ。
 線量より汚染、外部被曝より内部被曝の方が大きな問題である事を、みんなに知って欲しい。マイクロシーベルトよりべクレルやカウントなんだ。小さな空間線量でも、その線源である汚染は高いし、核種にも問題がある。決して線量に惑わされたらダメだという事を」

富岡町の区域再編
 福島第二原発を立地する富岡町は、3月25日(月)午前0時より、「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」の3つの避難指示区域に再編
される。富岡町役場のホームページには、避難指示解除見込み時期について、住民へは以下のとおり、お知らせがある。
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インフラ復旧や除染の見通し等を検討した結果、以下のようになります。
(1) 「帰還困難区域」は平成23年3月11日から6年
(2) 「居住制限区域」及び「避難指示解除準備区域」は平成23年3月11日から5年

※避難指示解除見込み時期は、財物賠償の早期支払い等のために、ひとまずの”見込み”時期を定めたものであり、実際の避難指示解除時期は、今後のインフラ復旧や除染、生活環境整備等の進捗状況を踏まえたうえで、あらためて関係機関と協議した上で決定します。
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 立入禁止状態が解除される直前の、私にとっては最後の取材を、2月27日と3月11日にした。原発から8㌔のところに自宅がある木田節子さんの一時帰宅に同行し、「3・11」から2周年の日は松村直登さんを取材した

木田節子さんの一時帰宅から見る、時間が止まったJR富岡駅周辺と夜の森桜並木の除染(2月27日)
 _8ds3961木田さんは、大震災の約1週間前に、JR富岡駅からスーパーひたちに乗り、千葉県にいる長女のところへ出かけた。駅前には夫が使う自家用車が津波で流されたまま残されている。
_8ds3980駅前商店街の美容室の時計が、午後2時46分で止まったまま。

_aaa7069駅前の民家。津波で壊されたままなのか、大切なものだけは持ち出された後なのかはわからないが、地元の富岡町消防団のハッピがかかっていた。

_8ds3931駅の南側で海と福島第二原発に近い場所に建つ「ホテル海遊館」の地階部分。2年前で時間が止まっている。


 木田さんに原発事故から2年の心境を聞いた。3分少々の動画です。木田さんの声を直接聞いてみてください。

 「私が1年前に声をあげはじめたように、私だけではなくて、いづれみんな本気になる時が来る。いつまでもバカにするなよ。国はたかをくくっているかもしれないけど、いつまでもお前たちの思う通りにはいかないぞと思います」。
 「線量だけなら確かに低いですが、この状況みて、駅直して、津波のがれき片づけて、そこに帰ってきて家を建てて住めといっているようなもの。何を考えて帰還してくださいと言っているのだろう」

 「赤字路線の常磐線をシェルター化して南相馬市まで再開してくれという要請がJRに来ている」、というくだりには、耳を疑った。木田さんのご主人はJRに務めている。

_8ds4071福島第二原発の排気筒も建屋も間近に見える大津波で流された一帯。JR富岡駅の眼前に広がる光景。

_8ds4016木田さんの自宅。地震による被害はほとんどない。再編後は居住制限区域となるが、庭の空間線量は4マイクロシーベルト前後ある。
 「去年秋来たときと全く代わらない。側溝に近づけたら10マイクロシーベルト。何十憶何百憶円出しても変わらないのよと、私たちが言っても、ゼネコンにお金出して、除染作業させる。原発が爆発してもおいしい思いする人はいつも同じではないの、全然何も変わっていない」

 木田さんは、東電による財物賠償の試算をした。その結果、自宅のローンが20年で3200万円払ってきたけれど、賠償金で残りのローンを払ったら、手元には700万円くらいしか残らないだろうという。これで余所の土地へ移ってゼロから生活再建できるだろうか?自宅の裏手も道路の向かいも雑草で荒れ放題の水田が広がる。住宅と敷地の除染時期は未定で、財物賠償交渉もこれからだ。

_8ds4059除染の看板(富岡スポーツセンター)

_aaa7141除染作業中。同スポーツセンター。

_aaa7109鹿島建設による夜の森の桜並木の除染が進む。町が4月に町民を対象にした花見ツアーを企画しているために、除染が行われている。桜並木の根本はホットスポットが潜んでいるようだ。地面に直接置くと、高いところで44マイクロシーベルトを測定した(下の写真)。_aaa7102

_8ds4046公共下水道の調査中の男性。働き始めたばかりで、危険手当は付いていると話した。

松村直登さんの2013年3月11日
_8ds7359原発の南西約12㌔にある自宅で保護するダチョウは健在。(注:松村さんは防護服もマスクもまったく着用しない生き方を貫いている。浪江町の吉沢正己さんと一緒だ。決して放射線量が低いわけではない)。

_8ds7141冬の間、牛は毎日のエサやりがかかせない。二ヶ所に囲い込んで生かしているが、再編後に、自宅近くの水田は避難解除準備区域となり、出入りが自由となるが、国道6号線脇に確保した囲い込みは、線量が高いために帰還困難区域となり、検問所を通過しないとエサやりに通えなくなるという。

_aaa9199自宅近くの水田囲い込み。ポニーのヤマが元気だ。
_aaa9023ヤマのたてがみが伸びすぎて目を覆ってしまうため、たてがみをヒモで縛ろうとする松村さん。
_aaa9049大玉村の仮設住宅で避難生活を送る、ヤマの持ち主の半谷さんが、2010年秋に収穫した米を積んで、久しぶりに会いにきていた。嬉しそうな顔だった。

_8ds7319松村さんが震災前から飼うイノシシの小屋に、エサを求めて毎日出没するイノブタ。イノシシの倍の大きさがある。

_aaa9077日本列島各地を襲った前日の強風の影響で、あちこちで倒木が道路をふさいだりしていた。富岡町内に留まっているため、役場の職員よりも一足先にチェーンソーで倒木を切断し、道路脇に寄せる松村さん。

_8ds7227国道6号線富岡町消防署近くの囲い込み。富岡町役場に近い場所の囲い込みから、昨年夏に移動した。広くなり、エサの奪い合いによる弱い者イジメがなくなったのだろうか、がりがりにやせた牛がいなくなった。生活環境が良くなったことは確かだ。ただし、空間線量は6マイクロシーベルト前後ある。

_8ds7485牛にはポンプ汲み上げた井戸水を与える。


 建築業が本業の松村さんは、ペットのエサやり、救出から、とうとう放れ牛を国の殺処分から守ろうと生かしてきた。霞が関の官僚の理不尽な指示にうち勝ったといえる。囲い込んだ牛たちを守りきった松村さんに振り返ってもらった。1分ほどの動画です。生の声を聞いてみてください。

「これだけ生かしてきたけど、この後もどうなるかわからない。世の中の半分の人は、所詮家畜じゃないか、何やってんだお前という人もいるだろう。牛たちを助けてくれてありがとうと感謝している人もいるだろう。支援されているうちは生かし続けていかなければならないと思うし。これは長い問題で、いつ終わりがくるかわからない」

 松村さんは、最終的には、「放れ牛のような生活に戻してやりたい」という言葉が胸にしみた。

_8ds7468_2JR富岡駅方向に向かって、原発震災の犠牲者に対し手を合わせる松村さん。

_aaa9236どこで撮っても絵になる人物だ。

松村直登さんと木田節子さんのこれまでのルポは以下でご覧になれます
・2012年4月30日 :警戒区域で生きる松村直登さんと子牛の石松の誕生Part1
2012年5月 1日 :警戒区域で生きる松村直登さんと子牛の石松の誕生Part2
・2012年7月11日 :警戒区域に生きる・part1~富岡町の松村直登さんのその後
・2012年10月27日 :一月遅れの一時帰宅報告・警戒区域の実情(富岡町)


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2013年3月17日 (日)

フォトルポ!3・9正しい報道ヘリの会空撮&3・10原発ゼロ大行動

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 3月9日は「正しい報道ヘリの会」の空撮を初めて担当し、10日は「0310原発ゼロ大行動」を地上で撮影。11日の「3・11」2周年の日は、警戒区域の富岡町に居残って動物たちを生かし続ける松村直登さんの取材とつづき、ブログで紹介できなかった。よって、空撮写真と、久々の幅広い世代の老若男女が首都圏各地から結集した観のある、脱原発長ロングパレードの写真を紹介します。なお、空撮はfotgazetニュースで当日に公開しました。脱原発パレードはtwitter上でも公開しましたが、参加者の熱い思いが伝わってくる大漁写真は共有しないともったいないので、多目に掲載しました。ごらんください。

正しい報道ヘリの会3・9空撮(「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」
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_aaa8440リポーターは山本太郎さん、動画撮影は白石草さん(アワプラネットTV)。

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_aaa8478東京電力本店上空

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_aaa8586撮影者は重症の花粉症

_aaa8600フライト終了後、パイロットに感想を求める太郎さんと白石さん。

主催者発表では参加者15000人。ちなみに、地上では、広瀬隆さんが、「山本宗輔(そうすけ)さんが撮影しています」とアナウンスしてくれたようだが、正確には「宗補(むねすけ)」なのだ。漢字の間違いは仕方ないのだが。いまだに認知されない私の名前

「0310原発ゼロ大行動」(日比谷野音~霞が関官庁街~首相官邸前~国会議事堂)
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_8ds6719脱原発を求める日の丸派(手前)と、ヘイトスピーチを繰り返す原発推進日の丸派(道路反対側)。

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主催者発表では、デモに2万人以上、全日の行動で延べ約4万人が参加0310原発ゼロ大行動を主催した首都圏反原発連合の開催後報告

 二日間連続の脱原発大行動に参加されたみなさま、お疲れさまでした。


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2013年3月14日 (木)

原発事故から2年。旧警戒区域と区域再編前の警戒区域の人動物模様。Part1・川内村編

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 大震災・原発事故から2年が経過。被災者は避難生活3年目に入った。2月26日~3月4日と3月11日~14日まで、警戒区域となっている富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、そして1年前に警戒区域解除となった川内村、南相馬市小高区などで取材した。今月末から来月にかけ、警戒区域再編が加速する。立入禁止だった一部地域が「避難指示解除準備区域」や「居住制限区域」となり、日中の出入りが可能となる。
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 河北新報3月8日の記事から:原発事故で全域が警戒区域や計画的避難区域になっている福島県葛尾村、富岡町、浪江町をそれぞれ「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の3区域に再編すると決めた。再編日は葛尾村が3月22日、富岡町が3月25日、浪江町が4月1日
 4月以降、警戒区域として残るのは双葉町の全域だけになる。川俣町も一部に計画的避難区域が残る。政府はいずれも今春の再編を目指すとしている。Photo
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 政府の方向性は大いなる疑問だ。除染もしないうちからの区域再編は、避難区域再編は避難住民の故郷に帰りたい心情につけ込み。賠償額を低く低く算定し、原発事故の深刻さを小さくしたい東電と政府の都合に他ならない。きめ細かい土壌検査などしないまま、空間線量だけで区域再編をすることの危険性も残されているのではないだろうか。 

 旧警戒区域と区域再編前の警戒区域の人動物模様は、放射能汚染の濃度の大きな違いもだけでなく、自治体の立地条件などの違いもあり、実に様々だ。まずは2012年1月31日に遠藤雄幸村長が「帰村宣言」をし、4月に村内の警戒区域が解除された川内村を取り上げる。
 地元紙の福島民報は、「村は独自の指針として週に4日以上村内で暮らす村民を「帰村者」としている。昨年10月末現在の帰村者は全村民2835人の約4割に当たる1163人。そのうち完全に村に戻った人は400人余だ。~~帰村者のうち6割超が50代以上の中高年層が占める。遠藤村長は「過疎化の村が抱える少子高齢化が一気に進んだ」と重く受け止める。(1月31日)                               
アニマルフォレスト
 アニマルフォレストは原発事故後に警戒区域となった川内村で、それまで飼育していたヤギや羊を救うために立ち上げられた。代表は浪江町出身の吉田睦美さん(25歳)。川内村住民の夫の和浩さんが役員。

_8ds3699吉田さんが殺処分に同意せず、生かしてきた「アニマルフォレスト」のヤギたち。現在ヤギ12頭、羊12頭が元気に生きている。川内村東部の貝ノ坂地区。

_8ds3764立入禁止となっていた時期に生まれた子ヤギ「ペコポコ」。ヤギと羊を飼育するのは生き物好きな代表の吉田睦美さん。

_aaa6849羊へのエサやり。

_8ds3802あごひげが長いのが特徴のヤギ。

 川内村は大ざっぱに分けると、役場のある中央から西半分は線量が低めで、貝ノ坂地区のある富岡町と隣り合う東側の一部の線量が高い。

◯原発事故から1年後の3月に撮影した「かわうち保育園」
 2012年3月、かわうち保育園では除染が進行し、汚染土が敷地外に一時保管されていた。おそらくこれらの汚染土が、富岡町との境に近い山中の仮置き場に保管されたと思われる。_aaa0299
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_aaa8156川内村役場。線量を計りに初めてここに来たのは2011年4月。確かに当初から低めだったが。2012年6月撮影

貝ノ坂地区と汚染土仮置き場
吉田さんの自宅とヤギや羊を飼育する「貝ノ坂」集落は富岡町に近い山中にある。浜通りに近いが積雪は多く、冷え込みは厳しい。戸数12戸で、原発から約17㌔。2012年4月に警戒区域から居住制限区域に再編された。自宅敷地と道路はモデル除染と本格的除染の二度、除染されたという。しかし、空間線量は独自に計ると今でも0.8~3マイクロシーベルトあるという。農地の除染は4月からの話だ。事故前からヤギと羊を飼育してきた吉田さんの自宅からさらに奥に進むと、広い丘陵が整地され村の汚染土の仮置き場となっていた。原発事故前は牧草地だったという。

_8ds3839川内村の除染後の汚染土仮置き場は旧警戒区域内二ヶ所に設置された。もう一ヶ所の鍋倉地区の仮置き場は、緑色の絨毯のような素材で覆われ、すでに満杯状態に見えた。
_8ds3880

孫の世代のために帰還しない大和田さん(64歳)
_8ds3901自宅は貝ノ坂地区にあり、宮渡地区に建てられた応急仮設に入居した大和田一さん。いわゆる仮設住宅とは異なる作りで、いづれ村営住宅になるとのこと。

 大和田さんの息子さんは東電社員。3・11日の夜遅くに自宅に歩いて帰った息子さんと、12日の1号機の水素爆発を、第一と第二原発が見渡せる大倉山に登って数分後に見たと話した。ピンク色のものが空中を舞い、浪江町方向に流されていくのを見たと話した。原発から200㌔は離れないと危ないと息子さんは言ったそうだ。

 孫の世代の教育の問題を見越し、大和田さんは自宅に帰って生活するつもりはないと話す。村内で小中学校に通うことができても、高校生になったら高校のある町に住まわせる他はないのが川内村の教育環境。「高校がないから若い人は戻ってこない。みんな俺と同じことをいう」。ならば、生活再建は余所でと言う判断で、息子さんが定住予定のいわき市に引っ越すとのことだ。

 「裏山は腰の高さで13マイクロシーベルト、地べたで57マイクロシーベルトある。家の中でも1.7マイクロシーベルトある。とても孫が帰ってきて生活するどころではない」。遠藤村長の娘さん一家は沖縄に避難したままだとも話した。
 ちなみに、事故後に避難した息子さんには東電から頻繁に現場に戻ってくれとの要請が来たという。大和田さんは父親として「危ないから行くな」と注意したが、息子さんは3月末に現場に戻った。現場に戻るのが決まってからは、大和田さんは東電上層部に交渉し、第一原発5~6号機の現場での仕事にしてもらうように頼み込んだという。

 大和田さんの実家は宮城県境の新地町。大津波で親戚の家が4件流され、4人が死亡した

_aaa7011長引く避難生活のために、女性の多くが手芸に持て余す時間を費やしているようだ。大和田さんの奥さんは仮設の部屋を自分で作った作品で飾っている。左は吉田睦美さん。_8ds5344いただいた、フワフワのフクロウの置物。

◯吉田和浩さん(MKSテクノ)
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 吉田さん(49歳)は仙台で設計会社を22年間やっていたが、川内村に戻って2009年にMKSテクノを設立。大震災の時は、父ががんで入院中だった。避難生活中に浪江町出身の睦美さんと結婚。父は震災後の11月に病院で死亡。奥さんの祖母は新潟へ避難する予定にしていたが病死した。会社の仕事が忙しくなってきたので、交通の弁の良い三春町に事務所を構えた。

  「原発事故が転機になった。人に恵まれていた。事故当時は栃木県で送電関係の仕事中だった。避難生活の苦労は少しだけで、仕事は順調に来ている。送電関係や地中線の仕事、除染やスクリーニングの仕事がくるようになった。以前は3次、4次の下請けだったが、今は1次や2次の下請けになった。事故前の3倍の規模の会社になった。亡くなった父は羊が好きで、生かしてくれといわれた。イヌ、ネコ、ヤギ、羊のつながりで、いろんな人とつながりができたのも大きい」
 
 「若い人が川内村に戻らない理由は不便だから」と吉田さんは指摘する。村の外で長年仕事をしてきたこともあり、役場による住民説明会などで、吉田さんは自分の疑問を普通にぶつけるという。村長にも直接問いただすという。ところが、村民は言いたいことがあっても発言せずに、吉田さんに代わりにこう言ってくれと頼むのだという。川内村の将来を見越し、吉田さんはこう話す。
「双葉郡を南、中、北双葉郡の三つに分け、南双葉郡は広野町、楢葉町、川内村、富岡町の町村で線量の低いところに住民を集めて再編したら良いのではないか」

 いま、アニマルフォレストの囲い込みを広くし、二重のフェンスで逃げ出すことのないように作業が始まったばかりだ。「ふれあい観光牧場」にしたい」と吉田さんは構想する。だが、放射線量が目立って減少していないことからも、居住制限区域の指定は延長されるだろうと、吉田さんは見ている。吉田さんのMKSテクノブログ(カズ社長の言いっ放しブログ)はこちら。

◯山本注:
 富岡町編、大熊町編、浪江町編、双葉町編、南相馬市編と順次公開予定です。

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