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2013年2月24日 (日)

3・11を忘れないために~初動の取材と東電公開写真で振り返る~

(写真はクリックすると拡大します)

 まもなく、あの忌まわしい日から二年が経とうとする。人は忘れることで前に一歩進むことが得意な動物だ。同時に、人の記憶はあいまいなで意思薄弱な生き物でもある。2011年3月11日の大震災と福島原発事故が起きてから、自分の初動を振り返り、何を取材し何を撮影し、何を記録でき、且つ、できていなかったのかを共有したい。

 同時に、東京電力が公開した現場で撮影された写真と重ね合わせ、同時間に福島第一原発はどんな状況だったのかを忘れないでおきたい。(言うまでもないが、東電が公開した写真は事故直後の私たちの想像を絶する高レベルの被曝をしながら撮影された現場の記録だ。勝手に使わせていただいているが、そのことは肝に銘じておきたい)

2011年3月11日(金)午後2時46分以降
(自分のtwilogより時系列で転載)(注:あの瞬間、パソコンで原稿を書いているときだった。ネットにはつないだままだった)

都内東久留米市からの地震に関する報告:長く激しい揺れがゆっくりと続いた。あらゆるものがユラユラだったが本棚食器棚などほとんどそのまま。第一波は東久留米市では大丈夫だったのかもしれない。高層マンションやスーパー、コンビニなどがどうなったかはわからない。(posted at 15:02:06)

・都心の高層ビル、マンションなどがどうなったのか?個人的な身の回りの地震情報をtweetすることが被害状況を知るのに多いに役立つ。テレビラジオのみの情報に頼る時代ではない。協力しあいましょう。だたし、被害を大げさにあおる行為は慎まないと。(posted at 15:04:36)

・大げさな表現が慎みましょう! RT @hotateyasan 仙台駅崩壊!(posted at 15:16:06)

・RT @mizomasahonpo: @accobin NTTの友人からの連絡です。只今災害伝言ダイアル準備を進めています。もうすぐ171伝言ダイアルは通話料無料で使えるようになります。繰り返します。電話は今控えてください。これから地域の安否確認で電話は必要になりますので安全な地域の方は電話しないでください(posted at 15:45:36)

日経ニュース:東電、福島第1原発と福島第2原発で運転自動停止 http://tinyurl.com/4raxeun (posted at 16:00:30)

原発に関するNHKニュースが出てました。 Reading:NHKニュース 東北地方の原発がすべて停止 http://nhk.jp/N3ue67mQ (posted at 16:01:28)

東京電力福島第一原子力発電所のホームページをチェック http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/index-j.html 稼動停止されていると思われるのに、最新情報が全く更新されていない。記録に留めておくためtweet、  (posted at 16:05:28)

・東京電力原子力のホームページトップも地震情報がゼロ。 http://www.tepco.co.jp/nu/index-j.html テレビラジオは原発関連の状況についてほとんど速報なしの印象高い。 原発周辺の方のtweetが望まれる。   (posted at 16:09:45)

東京電力ホームページの原発の現状:福島第一原子力発電所 1~3号機 地震により停止 (4~6号機は定期検査中) 福島第二原子力発電所 1~4号機 地震により停止 http://www.tepco.co.jp/cc/press/11031101-j.html 約405万軒が停電中 (posted at 16:18:21)

・この後、私は東京駅近くで友人と取り残されたという連れ合いを帰宅させようと、無謀にも車で東京駅へ向かった。結局、四谷駅手前でまったく身動き取れずにUターン。往復で8時間近い時間を無駄にしてしまった。

四谷手前でUターン。連れ合いたちには復旧した地下鉄などで帰宅できると指示。家に向かうが 渋滞ものすごいので何時に帰宅できるかわからない。福島原発事故が最も気にかかる。(posted at 23:01:04)

3月12日(土)福島県の取材に出発
午前3時すぎに自宅に戻る。無駄に8時間運転した感じ。早朝、準備を整え現地に向かうことにする。どこまで近づけるかわからないが。やはり福島第一原発ほか、緊急稼動停止した原発関連が最も気になる。宮城までは車では遠すぎるし。(ツイッターでposted at 03:35:48)

・RT @HidekiMorihara: 放射能漏れがほぼ確実になり、施設内で死亡者も出ているのに、今なお東京電力のHP上に言及がないことに憤りを覚える(http://bit.ly/eS2hcQ)。原子力安全・保安院の緊急ページにも、柏崎や六カ所の放射能入り水漏れの記載がない(http://bit.ly/fVMCyK)。(posted at 03:56:30)

・早朝5時に自宅を車で出発。新宿駅前ロータリーで、JVJA仲間の野田雅也くんをピックアップ。午前6時頃、一路郡山市を目指して出発。

_aaa9042東京を離れる前に朝刊を買う。(午前8時16分)

午後3時前ころ、栃木県内の幹線道路のレストランで遅い昼食。二人の先客は福島第一原発から逃げてきた作業員だった。「建屋のひとつやふたつが倒れるくらいの揺れだった」と一人が話してくくれた。会社名は明かさなかったが、水戸市に本社があるので、そこへ向かうという話だった。店の液晶テレビでは、1号機が水素爆発した映像を流していた。

・郡山インターの手前1時間。長沼町の被災地を通過中。相当にヤバイ展開に成りつつある福島第一原発1号機まではまだある。朝6時に新宿を出てやっとここまで来た。10キロ圏内には入れないようだ。(ツイッターでposted at 17:18:52)(注:森住卓さんからの指示で、郡山市に着くまでに野田くんと私は乾燥ワカメを一袋食べていた。安定ヨウ素剤の代わりだ)

_aaa9078田村市役所に着いた。壁がかなり崩落し、役場内は緊張感が漂っていた。(午後6時32分)

_aaa9090田村市スポーツ文化センターに避難した大熊町の住民。(午後7時)

3月13日(日)原発から4㌔の双葉町中心部の取材。
・福島第一原発1号機からの避難指示は半径20キロに変更。第二原発からの避難指示は半径10キロに。今夜たどり着いたのは原発から40キロ離れた田村市。大熊町の避難住民が多数、公民館や小学校などを避難先としていた。不安は隠せない表情で。(ツイッターでposted at 00:03:13)

深夜、郡山市内のホテルで、森住卓、広河隆一、豊田直巳、綿井健陽の4名と合流。翌朝、原発を目指し、車3台に分乗し、6人で双葉町に向かうことにする。

_aaa9132双葉町内。原発から10㌔圏内に入り、最初の放射線量測定。毎時0.23マイクロシーベルト前後。平常値の5倍を示した。測定するのは野田雅也くん。(午前9時36分)

_dsc7764自衛隊の救出ヘリコプターが双葉町中心部へ向かって降りて行った。常磐線の橋が崩壊した場所で撮影。(午前9時58分)

G0011双葉町役場手前の原発推進アーケード:「原子力 郷土の発展 豊かな未来」(午前10時14分)

G0012午後2時47分で止まったままの役場の大時計。(午前10時17分)

_aaa9237無人となった役場正面ドア前で線量測定する広河隆一DAYS JAPAN編集長。針は振り切れ正確な数値は測定できない。(午前10時18分)

_dsc7776双葉厚生病院前。人目でわかる地割れと緊急避難した様子。(午前10時28分)
_aaa9272双葉厚生病院正面(午前10時38分)(原発から約4.5㌔)

G0015病院前で3台の線量計で測定したが、すべて針が振り切れた。毎時1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)以上だっったことは間違いない。(午前10時42分)

_aaa9303この日のJVJA5名、と広河氏の6名による合同取材チーム。JR双葉駅近く(午前11時) この後、福島第一を目指そうとするが、道路陥没などのため、一旦撤退して、放射線量測定結果と現場状況を公表することにする。

_aaa9318双葉町中心部での取材を切り上げ、原発を離れ、田村市都路町古道で線量を測定。毎時1.11マイクロシーベルト。平常時の20倍の線量を測定した。原発の西約20㌔地点。(午前11路42分)

田村市役所駐車場で、JVJA・DAYS JAPAN合同プレスリリースをネットに配信

_aaa9328三春町の旅館のテレビ画面から。(午後7時24分)
_aaa93301号機の水素爆発の映像を流す同テレビ画面から。(午後7時25分)

3月14日(月)福島県の大津波被災地取材、仙台へ移動
・3月14日は午前中に旅館を出発し、川俣町を通過して相馬市と南相馬市の大津波被災現場の取材に入った。ガソリン不足を考慮し、車2台に6人が分乗。

_aaa9437相馬港近くで。(午後1時)

_aaa9485救出活動中の地元消防団。南相馬市渋佐地区。(午後2時20分)

・この後、北上して宮城県に入り、3月14日の夜は仙台市の宮城県庁ロビーに泊まった。

3月15日(火)仙台から南下し、名取市取材後に、福島県に戻る
_aaa96972号機の水素爆発の可能性が高まっていた。宮城県庁ロビーの液晶テレビから。(3月15日午前1時05分)

・3月15日は、取材ルートを分かれた。豊田氏の車で綿井氏と私の3人は、夜までに福島県に戻ることにして、仙台空港周辺と名取市を取材して南下し、夜までに三春町の旅館に戻った。

_aaa9777_2名取市閖上(ゆりあげ)で遺体捜索をする富山市の消防隊。(午前8時44分)

東電公開写真1(「爆発後の3号機と4号機原子炉建屋の外観」、3月15日、午前7時34分02_009
東電公開写真2(3月15日、爆発後の3号機建屋。撮影時間不詳01_001

_aaa9879(福島県内に戻る。3月15日、午後12時29分)

3月16日(水)田村市で避難した大熊町町民取材し、二本松市に移動。深夜帰京する
_aaa9906夜中に降った雪で真っ白になった三春町の旅館の裏山。3月16日午前7時39分。

_aaa9923田村市総合体育館に避難した大熊町の住民。午前9時16分。
_aaa9933同総合体育館。3号機の爆発写真が一面全体に掲載された地元紙と避難した大熊町町民。午前9時47分)

東電公開写真3(3号機。3月16日午前9時51分04_001_2

東電公開写真4(4号機。同9時51分04_002

_dsc8027浪江町住民を避難させた救急車。二本松市男女共同参画センター。3月16日午後1時21分。ちなみに二本松市は原発から60㌔ほど離れている。この時の取材では原発との位置関係や距離感がつかめていないため、全くの安全圏だろうと思いこんで取材していた。しかし、残念ながら、放射性物質は浪江町町民の避難ルートを追うかのごとく深く拡散していた。

_aaa0005敷地内の空間線量は毎時8.5マイクロシーベルトを計測同行の森住卓さん持参の日立アロカ線量計で測定。(午後1時33分)(原発事故の取材を始めていながら、平常値の200倍以上となる放射線量の高さを私は把握できていなかった)

_dsc8061「放射能汚染」と書かれ、袋に入れられ、建物の脇に積まれた廃棄物。(午後1時41分)

_aaa0038白い防護服のグループと話す自衛隊除染部隊。(午後1時50分)

128男女共同参画センターロビーで、放射能スクリーニングを受ける浪江町からバスで避難したばかりの住民。撮影は窓越しにしか許可されなかった。(午後2時17分)(後から思うと、浪江町町民が汚染物質のように扱われているように見える非常に奇妙な光景だ)

二本松市での取材後、綿井氏が同乗し、一旦帰京した。その後、私は3月24日からは宮城県と岩手県の大津波被災地の取材に入り、原発事故周辺の取材は4月10日に再開した。大津波被災地での取材に、森住さんから借用した日立アロカの線量計を持参し、各地で測定してみた。3月13日の双葉町での毎時1000マイクロシーベルト以上の放射線量を体感してしまったために、平常値の5倍、6倍の数値を見ても、危機感を感じないほど感覚が麻痺してしまっていた。

3月17日(木)
東電公開写真5(「乾式貯蔵キャスク保管建屋の状況」を見回ると思われる作業員。3月17日午前7時36分06_010_2

東電公開写真6(「乾式貯蔵キャスク保管建屋の状況」画像から。津波被害がわかりやすい。同午前7時44分06_013

東電公開写真7(3号機もしくは4号機に放水する陸上自衛隊放水車。午後7時58分07_008

3月18日
東電公開写真8(爆発により壁がほとんど吹き飛んだ4号機建屋。3月18日午前10時13分10_003

◯ブログまとめ:
 写真をもう一度見返すと、大震災直後の恐怖を伴った緊張感が鮮明に蘇ってきた。自分で撮影しながら、時間とともに忘れてしまうところだが、原発事故はいまだ収束せず、大津波被災地の生活再建も軌道に乗っていないことを忘れないようにしたい。 

 以下に初動取材のブログ記事のリンクと大津波被災地の平常値の数倍ある放射線量を測定した写真のリンクも貼ります。綿井健陽さんが撮影した動画のリンクも貼ります。まだの方、ぜひごらんください。
「原発事故、放射能、地震、津波という未曾有の複合災害」2011年3月23日 (水)
「写真で見る被災地の放射線量比較」2011年4月19日 (火)
「3・11メルトダウン 福島原発取材の現場から」Part2

◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。

・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729

・銀行振込
城南信用金庫
店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130

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コメント

忘れないよう転載させていただきます。

投稿: そらまめ | 2013年2月25日 (月) 22:31

そらまめさま

コメントありがとうございます。

投稿: 山本 | 2013年3月19日 (火) 12:00

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