風化と抗う~年初の福島県取材から~
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歳月に慈悲はないかのように、あれから3年目の日々を迎えることになる2013年。
昨年の正月も大震災と原発事故の被災地を駆け足で巡ったが、その時は1冊の本にまとめようとも思わず、それができるとも考えていなかった。9月に出版できた拙著「鎮魂と抗い~3・11後の人びと~」(彩流社)のあとがきに、「1年6ヶ月が経過しようとする今日までの途中経過である」と書いた。一人のフリーランスのフォトジャーナリストが見た視点でこれまでの取材をまとめることの重要さを形にできたことは幸運だった。
だが、被災地では、大半の被災者にとり、復興も生活再建もほぼ無縁のまま、月日だけが過ぎつつある。大都会や被災地と離れた地では、歴史的な原発震災さえもが風化しはじめている。私は一人の取材者として現場に立ち、発信し続けなければいけない。大晦日と新年の年初は福島県に身を置くことで、自らの風化に抗うことで新しい年をスタートした。
◯吉沢正己と希望の牧場(浪江町&南相馬市)
年越しのカウントダウンを牧場の星空を見上げて迎えた吉沢正己・希望の牧場代表。
牧場からは福島第一原発の排気塔と作業クレーンが肉眼でも見ることができる。正月のせいか、クレーンは静止している。
原発事故以降、牧場で何頭の子牛が生まれ、かつ死んでいったのだろうか。元気そうな子牛はそこらじゅうにいるのだが。
母牛と離れている子牛。冬場用にと乾燥エサのロールが積み上げられている。
牛舎で1頭の子牛が元旦の朝も息絶えていた。撮影しながら、これも日常の一こまと感じてしまう自分がいる。「弱肉強食だ」と吉沢さんは割り切っていう。元気そうに見える子牛の明日は誰もわからない。
牧場最強の種付牛にまたがって調教する?吉沢さん。「重重(シゲシゲ)」は原発事故前の「エム牧場」時代の最初の種付け牛。昨年、去勢されて引退した。
安倍政権の原発政策を厳しく批判する活動を始めることになる吉沢さん。「今年は勝負の年だ。農水と畜産農家との平行線がどこかで交わるような方向が見えてくると思う。原発再稼動のゆり戻しを許すかどうかでもある」
乾燥エサを重機で運ぶ吉沢さん。タンクに殴り書きされたメッセージがなれけば、何気ない牧場の一こまにすぎないのだが。2013年1月1日
(追記:吉沢さんの講演会が都内で1月13日(日)にあります。会場:東京ウィメンズプラザ。 やまゆりファームのメンバーでもある宍戸大裕監督の作品「犬と猫と人間と2 動物たちの大震災」完成記念上映会の会場のようです。)
◯南相馬市小高区
2013年元旦の初日の出の時間帯。地盤沈下は目に見えない。テトラポットが無ければ、海岸線の浸食は止められないのだろう。南相馬市小高区浦尻海岸。
東北電力がまだ白紙撤回していない浪江・小高原子力発電所建設予定地。鉄塔は気象観測塔という。浪江町議会は建設誘致の白紙撤回を決議をし、南相馬市議会は建設中止決議をしている。
◯大柿ダム(浪江町)
大柿ダムは浪江町を流れて請戸港から太平洋に流れ出る請戸川の上流をせき止められた農業用ダム。資料によると、主に水田3,808haの用水不足の解消を図るため1988年に完成した。東京ドームの14杯分の水を貯水できるという。浪江町、双葉町、南相馬市小高区の農業用水に利用されていた。
浪江町大堀地区は線量が高い。人もいない、鳥の姿も少ない地区の柿は色が何とも鮮やかだった。凍みても黒くならないのが不思議だ。空間線量は毎時2.5マイクロシーベルト。
浪江町の水田地帯はセイタカアワダチソウが枯れた荒野と化していた。浪江町の農業用水は大柿ダムに頼っている。
放水されたままで貯水されていない大柿ダム。原発から北西方向に位置し、放射線量の一際高い津島一帯を源流とするのが請戸川。請戸川に沿って渓谷を走るのが幹線道路の国道114号線。福島民報は2012年2月18日の記事で、「大柿ダム周辺の土壌で、最大一キロ当たり34万ベクレルの放射性セシウムを検出した」と伝えている。
大柿ダム入口の看板。
東北電力昼曽根発電所(出力500kwの小水力)の前の橋で空間線量を計ると、毎時11マイクロシーベルトをこえた(2013年1月1日)。国道114号は発電所のところで鍵付きフェンスで閉鎖され、昼曽根トンネルに抜けることができない。
原発事故後の4月下旬、原発から約20㌔北西に位置する昼曽根トンネル入口に検問所があり、神奈川県警の若い機動隊員が花粉症マスクと手袋なしで検問していた。持参した日立アロカ製の線量計は19.99マイクロシーベルトで振り切れ正確な数値は計れなかった。文科省の公表するモニタリングポストの数値は30マイクロシーベルトをはるかに超えていた。
つまり、大柿ダムの水源は浪江町でも最も深く放射能に汚染されている一帯となる。山の除染、森の除染、ダムの湖底や周辺の根本的な除染ができない限り、農業用水を貯めて警戒区域の水田地帯を再び潤すことはできないということだ。
◯復旧した東北電力原町火力発電所(南相馬市原町区)
一日で3000~4000人の作業員を投入し、予定より半年早く昨年11月に復旧。試運転で発電を再開した原町火力発電所。2号機は100万キロワットの発電能力。1号機の復旧は2月の予定。発電所の周囲も含め、大津波で甚大な被害を出した。隣接する海岸は整備された砂浜のビーチ。元旦からサーファーが波を求めて浮かんでいた。
発電所に隣接する住宅は跡形もなく流され、水田地帯は海水に冠水した。
◯飯舘村の避難民が生活する伊達市伏黒の仮設住宅
飯舘村は昨年7月に浪江町津島に隣接する南部の長泥地区が、年間50ミリシーベルト以上の帰還困難区域として封鎖された。飯舘村村長選挙は昨年10月、菅野典雄氏(65歳)が無投票で5期目の当選をした。10月12日の福島民報によると、「菅野氏は当選後、東京電力福島第一原発事故による全村避難について『(5期目の)4年をかけずに住民の帰村を実現させる』と誓った」とある。
原発事故直後、菅野村長が放射線量が異常に高いことを知りながら、村民に知らせず、4月21日に政府による避難指示が出るまで、子どもや女性を自主的に避難させる対応をしなかったことに怒り、著書や全国での講演活動でも村長を批判してきた酪農家の長谷川健一さんを訪ねた。
長谷川さんは今年還暦を迎える。大きな還暦祝が送られ飾られていた。仮設の狭い部屋ながらも、三人の子どもと大勢の孫たちに囲まれ賑やかで明るい新年を送っていた。しかし、村の行く末となると、表情は曇った。
「村民は、『除染イコール帰村』となっていて、具体的な線量低下もそのプロセスも無視して考えている状態だ」
そういえば長谷川健一さんの飯舘村写真展が、新宿全労済スペース・ゼロの展示室で1月11日(金)~14日(月)の間、開催される。50点展示される。無料です。お出かけください。
◯大熊町の避難民が生活する会津若松市松長団地の仮設。
仮設住宅は市内の高台にあるため、積雪も多い。内陸部と大きく異なり、浜通りの大熊町は冬の間もほとんど積雪はないため、大熊町民は雪が苦手だという。そのため、仮設を出ていわき市に越す避難民も多く、仮設の空き部屋が増えているようだ。
木幡仁・ますみ夫妻。最近手術をしたばかりの仁さんの回復は順調という。顔色も良い。
「年内に中間貯蔵施設の場所が特定されることになるだろう。用地買収が進めば、賠償も進展する可能性が高くなる。財物保証も同時進行で進んでほしい」(仁さん)
「大熊町民は人まかせ意識になってきている。国民全体も人まかせ意識になっている」(ますみさん)
◯取材後記
いわき市で原発事故取材初日の3月12日に、田村市の体育館で出会った原発作業員の若者と話した。その時は家族と避難中だった彼も事故からまもなく現場に戻っていった地元出身の一人だ。すでに線量が一杯のために一時現場を離れ、除染関係の仕事を開始したばかりだ。彼のように若くても現場経験豊富で有能な作業員=被ばく労働者は減るばかりなのが収束現場のようだ。地元紙によると、4号機の燃料棒の取り出しが11月から予定されている。果たして、1~3号機のメルトダウン(スルー)した燃料棒の状態が確認されるのがいつになるのだろうか。
水戸市では富岡町から避難している木田節子さんを訪ねた。木田さんはtwitterでもブログでも度々紹介してきたが、福島の原発難民の憤りを自らの言葉にした適格な表現で発信する希有な女性の一人だ。原発事故で目覚め、昨年2月の東海第二原発廃炉集会に参加するところから一気に脱原発の活動をスタートした。原発作業員を息子に持つ母親の視点、女の視点から説得力のある話し方、歯切れの良さで各地での講演にも出かけるようになった抗う福島県民だ。安倍政権となり、経産省前のテント村が危ないから守らないといけないと話していた。上の写真は木田さんからいただいた脱原発スローガンバッジだ。山梨県で木田さんが脱原発活動家の方からたくさん買い求めて利用を拡散している脱原発グッズ。
各地からは話してきてくださいと木田さんに声がかかるが、誰もが経済的な余裕がないために二の足を踏んでいるから、こちらから出かけないといけないと話す。木田さんらの出前講演のサポート組織を立ち上げる段階だという。木田さんの出番は増えるだろう。堂々と原子力村や政権与党を批判する木田さんのような「原発難民」がたくさん増えないと風化の歯止めにならない。
初日の出前の浦尻海岸。南相馬市小高区。
安倍自民公明政権の再登場により、軍事力で中国大陸から東アジアを植民地化した加害の歴史に目をつぶり、新政権はいままた原発推進の謝罪と反省の弁もないまま原発再稼働と新規建設の意思を見せる。戦前戦中戦後の戦争指導者の無責任と、戦後50年も原発推進一辺倒で走ってきた自民党政治の無責任が共通する。
自民党だけでなく、石原や橋下などに代表される右翼的政治家集団と、国民益よりも省益を優先する官僚機構が手を組む。脱原発の流れの風化、原発事故や大津波震災の風化に抗い、戦争体験の風化にも抗っていかないといけない年になる。波は荒く冷たい。
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