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2013年1月の投稿

2013年1月15日 (火)

安倍(右派純粋培養)公明連立政権に抗う・官邸前脱原発行動と「国防軍」反対デモ取材で考える

(写真はクリックすると拡大します)
_dsc03447月の参議院選後、原発推進路線をひた走る自民党・公明党・「維新」が3分の2以上の議席を占めることになるかもしれない国会議事堂。2013年1月11日、今年最初の官邸前原発反対抗議の日。

 「主権在民」とは、憲法第一条で規定されている国民に主権があることを意味する。敗戦後の日本社会が民主主義国家として再生し、国民ひとりひとりの日々の生活で最も大切な権利だといえる。3・11の大震災と原発事故後、最も危機に瀕しているのがこの「主権在民」の価値観であり思考であり権利だ。安倍自民党政権の復活で「主権在民」の思想は風前の灯火といっても言い過ぎではないのが現実だと思う。

 言い方を変えた方がいいかもしれない。国民の7割を超える民意が脱原発を望むにも関わらず、核のゴミを処理する能力もないのに、原発は日本経済再生に不可欠だとか、原発の再稼働も新規原発も必要だと持論を述べる政治家や政党や安倍政権の動きは「主権在民」の思考に反している。
 原発が一部の国民の犠牲の上に成り立つことなどにお構いなく、政界に影響力を行使する大企業や、電力会社に巨額融資する都市銀行が儲かるシステムの温存を計るため、再稼働や原発輸出に熱心な政策は「主権在民」に反している。
 原発を止めたくない、あきらめたくない理由には、独自の核兵器開発と保持がある本音が隠されてもいる。

 まるで原発震災からの復興と原発事故の収束という最優先課題から国民の視点をそらそうとするかのように、安倍自民党政権は、憲法改正と国防を優先課題に持ち出したことも「主権在民」に反する。原発推進路線の反省と謝罪を置き去りにするには都合の良い課題であり、急ぐ優先順位でもないのに、自衛隊を正規軍として防衛予算を増やし、憲法改正して「国防軍」と変えようと狙っているとしか思えない。明日にでも海外派兵して米軍に従属する軍隊として展開したいのではないか。

 写真は今年最初の官邸前の原発反対抗議行動(1月11日)と、自民党が衆議院選で公約した自衛隊を「国防軍」とすることに反対する若者のデモ(1月13日)から。
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 その前にまず紹介したいのは、2000年に88歳で亡くなった「日本の原子力の生き字引といわれた物理学者の武谷(たけたに)三男さん(1911年生まれ)だ。武谷さんのインタビュー記事を読んだが、原子力の本質をわかっている人の明快な表現が誰にも分かりやすい。以下の引用は、アヒンサー発行「私、子ども生んでも大丈夫ですか」(2006年10月第3刷。編集:PKO法『雑則』を求める会)から

 「陸軍航空本部から理化学研究所の仁科研究室に、『ウラニウム爆弾を作れ』という命令がきて、僕もやることになりましてね。でも、日本は何もないからできないと分かっていましたから引き受けたのです」
 武谷さんは戦争中に原爆の研究をしていたという科学者。。「原爆と原発は双子なんですよ」とか、「原発が危険だというのも人権問題です」と言い切ることができる辺りを注目してください。

 「直径わずか1センチの燃料棒は表面は300度ですが、核分裂している中は2000度をこえているのです。あまりにも温度の差がありすぎるし、圧力も70気圧で。~~まー、とんでもないものなのです、原発といいうのは。電気を原発で作るなんて狂気の沙汰だと僕は思っています

 「核のゴミを無害にすることはできないのです。ごく少量の実験室の中でできたとしてもあれだけの大量のものは無理ですね。コストが合いませんから~~どうしても原発をやらなくちゃいけないというなら、最低限、廃棄物を処理できる程度にすべきで、それ以上は絶対にやっちゃいけないのです

 「戦争の技術というのはものすごく乱暴な技術なのです。原爆と原発は双子なんですよ。だから、はじめから原発が安全なものであるはずがないのです。死の灰の処理だって、廃炉のことだって、何も考えちゃいないのですから、まったく。原発も、後は野となれ山となれなのです~

 「原発が危険だというのも人権問題です。それも、普通は今生きている人間の人権のことで、未来に続く生命の人権までは考えていないのです。しかし、放射能をばらまいたら、未来の生命を直撃するのですから、原発の問題は未来の生命にとっての人権問題でもあるのですよ

 1974年、原子力船むつは、航行中に放射能漏れ事故を起こした。「その責任をまったく取っていないのです。「むつ」の責任を取らせていたら、もう少し、日本の原子力も慎重になったと思うのですが。そういうふうに責任を取ろうとしない体質が直らない限り、日本で原発の大事故は必ず起きるだろうと僕は思います

 「JCOの臨界事故は、要するに、原発と原爆は同一のものだということを忘れて、いいかげんなことをやったからなのです。臨界というのは、まさに中性子爆弾なのです。~中性子爆弾というのはいわゆる原爆のように爆発して爆風や熱線が出なくてもいいわけです。~だから、いつも原子力を扱う時は原爆と双子のようなモノを扱っているという意識がないといけないのです

◯2013年最初の官邸前・議事堂前原発反対抗議行動(1月11日)
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_dsc0220首相官邸前交差点の警備が昨年にも増して厚くなっている。
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(追記)「私たち福島の人間は、明けましての後のおめでとうがまだいえないんです。福島みずほさんも鎌田慧さんも良いことをいいますが、放射線量の高いところで暮らせとか強制的に家を出ろとか体験してません。ですから、訴える力は福島の人間が持っていると思います。年明けから福島の女たちは省庁巡りをし、行動を起こしています。
 昨年もらったトイレで考えるというカレンダーの7月分を読みますよう。『他国のものを奪うためにこの国は戦争をしました。できない相談だったんです。地震列島に原発。できない相談だったんです。命よりも経済を優先する。できない相談だったんです』。できない無理ばっかりやったからこんな国になったんでしょう。その責任を取ってください、54基の原発造った安倍晋三さん」(富岡町から避難している木田節子さん

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_dsc0286_2「日本は米国の倉庫ではない 米倉NO! 人命より金儲け命経団連」

_dsc0320「拝啓 安倍首相殿 ・国民の7割は原発ゼロ ・日本列島は地震の巣 ・核ゴミ処理は未解決 ・人知は核を制御できない 裏に続く」

_aaa5301美輪明宏、ビートたけし、タモリなどの著名人風刺画が展示されている。たけしの顔には「結局お前はどっちなんだ」と書かれている。

_dsc0348「民意は廃炉! ヤベーあべ 今年も官邸前から全国へ」

_aaa5315議事堂正門前

_dsc0350議事堂正門前警備の機動隊指揮官の車輌と思われる。

_dsc0375川崎市からの参加者。「我が輩は原発に反対である」と家で飼うネコの写真を大伸ばししたプラカードを掲げる。

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_dsc0291「民意は脱原発 原発即刻廃炉!」 「NUKE IS OVER!」

 先に紹介した武谷三男氏は、原爆の研究をしていたにも関わらず、中国大陸の侵略戦争に反対したことで戦争中に特高に二度捕まったことがあるという。
 「原爆を落とされて負けたために、原爆で戦争の責任を言い逃れることができたのです。しかし、僕は、日本人は原爆を非難する前に、あの中国や朝鮮でやったことを反省しなくてはいけないといっているのです。だって、中国や朝鮮でどれだけのことをしたと思いますか。ありとあらゆる残虐なことをやったのですよ。勝手に人の国に押し入って、因縁をつけてやくざと同じです

 「アジアの国々へ謝罪をしなかったというのは、日本人にとって非常に大きい意味を持っているのです。つまり、日本が戦争の反省をしっかりしなかったために、戦後の社会が戦争の仕組みのまま続いてしまったのです。戦争は勝ちさえすればいいと。それと同じ考えで戦後もやってきたのです。~~後始末を考えない社会です。戦争と同じで、後は野となれ山となれで

(1月16日追記:日本軍が中国やフィリピンなどでどんなことをしたかの具体例を知りたい方に)中国で村人を殺害し強姦し家々を焼き払うなどの証言をした金子安次さんの聞き取り記事。
陸軍軍医として中国人捕虜を生体解剖したことを証言した湯浅謙さんの聞き取り記事。
日本兵に強姦され、長期間性奴隷として監禁されたフィリピン人のナルシサ・クラベリアさんの聞き取り記事。
          
◯「第2回・国防軍反対!デモ」(1月13日)
 年末に第1回のデモがあり、二回目のこの日の参加者は約100人。小規模だったが、参加者は官邸前の反原発で少なくなった若い世代が大半だった。デモコースはNHK前の代々木公園入口からスタートし、渋谷駅前交差点、宮益坂を上がり、表参道交差点を曲がり、明治通りを渡って原宿駅前から代々木公園に戻るルートだ。年明け早々の三連休の夜、若者が街頭を埋める繁華街を歩く姿が対照的だった。

(追記:こういう集まりに協力な助っ人。「火炎瓶テツ」さんだ。デモの前に一言)
 「ふだん反原発の活動してますが、憲法を改めるといいますが、大いに改めるといったら大改悪でしょうが。9条改悪にも大反対しますが、いま9条以外の問題が非常にきなくさい。自民党案でいくと9条の改悪と並行して言論弾圧もしようとしている。これは「普通の国」以下の国になろうとしている姿だ。市民社会と呼べない社会を造ろうとしているんですよ、みなさん。反対することだらけで忙しいと思いますが、憲法大改悪の問題、みんなで手を合わせて阻止しましょう」

_aaa5380「若者に銃ではなく仕事を! 憲法9条を活かそう! 改憲ダンコ阻止!」

_aaa5374「自民党の国防軍案に反対します」

_dsc0519「非戦 NO ARMY」

_dsc0526「殺すな」

_dsc0532「みんなでとめよう 国防軍」 (渋谷駅ハチ公前交差点)

 広島原爆で被ばくした肥田舜太郎医師も、日本人の戦争体験談には反省が欠けていると話す。(アヒンサー発行「私、子ども生んでも大丈夫ですか」2006年10月第3刷から)

 「戦争でやられるまでどこかで賛成してきたわけでしょと。警察が怖くて黙っていたから戦争になった。だから黙っていてはダメなんだということを教えないから伝わらないんです。南京陥落でちょうちん行列して、バンザイバンザイやってきたわけですよ。その人が今になって戦争は辛かったななんて言ったって、そのことを反省しない限りだめですよ」

 「あの戦争が起こる前は、みんないやだと思ったことは間違いないんです。自分が兵隊にとられるのも、自分の子どもがとられるのもいやだって思っていたんじゃないですか。そういう気持ちがあったのに、反対できなかったの。あの時、反対すると連れていかれて殺されると、それで私は勇気がなくて言えなかったと、いまから思うとそれが残念だ、といえば、今の子どもにもわかりますよ」

_aaa5441「愛の反対は無視・無関心」 「I Love 福島」「無知は恥ずかしくない 無視・無関心は恥である」

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「渋谷のみなさん、一緒に歩こう。声をあげよう。国防軍反対。声を上げよう、大きな声で。改憲反対、国防軍反対。話し合いが大事だ。軍事費増やすな。被災地に回せ。国防軍反対。戦場に送るな、若者送るな、戦争するな、命が大事。命を守ろう。改憲反対、貧困なくせ。いま日本は大変でしょう。憲法改悪しなくちゃいけないなんて緊急のことなんですか。まず原発事故は収束してますか。原因究明もないまま、憲法改悪がそれよりも優先事項だなんてありえない。国防軍反対。みんなの声で、国防軍反対。改憲ストップ、みんなの力で9条守れ。国防軍反対~~!」(火炎瓶テツさん

_dsc0598「国防軍いらな~い!」「政府は憲法まもって平和 人権 民主主義 活かしなさいっ!!」

_aaa5466表参道の坂を降りる、今回はまだ小規模なデモ参加者。それでも、若い世代の参加者が多いことが、今後の広がりを期待させてくれる。

_aaa5450「PEACE 脱原発・生命を守れ!」

_dsc0595見事に表現された安倍首相風刺プラカード。「放射能溢れる美しい国~~」「子どもを殺すな!若者殺すな!憲法改悪反対!」
 
 肥田先生はドイツと日本の戦後の反省と謝罪の中身の大違いを指摘する。
 「戦後のドイツは、もう死に物狂いでナチスを反省したんです。~~(注:ナチスの警官をやっていた人が)考えてみるとやっぱり俺もヒトラーに使われていたと。心ならずも手伝っていたんだと。申し訳なかったというふうになって、はじめてドイツが変わったんです。そういうことをやらない限り、日本の国はどこまでいったって同じ。また戦争をやりますよ」

◯「主権在民」から「天皇が元首」の国へ
 指摘したように、安倍政権は戦後民主主義の柱となっているはずの「主権在民」の価値観を、平然と損なうことに熱心だ。また、310万人の国民の命を奪い、敗戦となったアジア太平洋戦争が、日本による侵略戦争の結末であったという歴史的な事実さえも認めようとしない態度も露骨だ。以下に紹介する安倍首相の持論は加害者としての認識が欠如する。

「A級戦犯は、東京裁判において戦争犯罪人として裁かれたが、国内法的には戦争犯罪人ではない」(第一次安倍内閣当時の国会答弁)と公言。従軍慰安婦問題では、「狭義の強制性を裏付ける証拠はなかった」などと発言。昨年末に首相に復帰後、「慰安婦」問題で政府として「おわびと反省」を表明した河野官房長官談話(1993年)を見直すことを示唆してもいる。
 12月の衆議院選挙に先立つ11月には、屋山太郎(政治評論家)、櫻井よしこ(ジャーナリスト)らがつくる「歴史事実委員会」名で米紙に掲載された、日本軍「慰安婦」問題を否定する意見広告の賛同人として下村博文(現文科相)議員とともに名前を連ねた。

 7月には参議院選挙がある。原発推進の反省も謝罪もない自民党が、石原・橋下の「維新」と組んで、3分の2議席を確保したらどうなるだろうか。石原慎太郎は核兵器開発が持論だ。橋下大阪市長・維新の会代表代行は、大阪空襲死没者名簿を保管展示し、侵略戦争の歴史の一旦も展示する「ピースおおさか」の補助金をカットし存続を危ぶませている。安倍政権と維新の会が手を組むのは時間の問題だ。そんな怖ろしい年に新年をしてしまっていいのだろうか。

(1月16日追記:大阪空襲死没者名簿の収集に奔走した空襲による負傷者の伊賀孝子さんの聞き取り記事

 要するに、憲法が保証する「主権在民」を、自民党憲法改正案にあるような、「天皇は元首」=「国の第一人者」にまつり上げ、国民の上に存在するような地位に置き、「国防軍の保持」を明記し、国民主権があいまいな、民主主義国家とは別物に変貌させてしまっていいのかどうかが問われている。

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2013年1月 7日 (月)

2012年のブログ記事のRT頻度から見る読者の期待と反応?

◯RTの多い記事トップ10本
 2012年は43本のブログ記事を書いた。毎月3~4本平均で更新したことになるが、自分でも気になるのは、一体どの記事が最も読まれたのか(見られたのか)ということだ。目安となるのはRT頻度ということになるが、読者はどんな記事写真により強く反応したのかということだといえる。てなわけで、RT頻度でトップ10本の記事と100RTをこえた記事を書き出しておきたい。もちろん過去記事を見逃した読者に見てほしいからでもある。

1:225RT。2月19日:「希望の牧場」Part2:警戒区域内の「生と死の狭間」。警戒区域の現実3

2:202RT。3月31日:若狭原発銀座で元原発作業員(下請け労働者)・斉藤征二さんの話を聞いた

3:195RT。7月17日:「7・16『17万人』さようなら原発」大集会&デモ

4:191RT。6月19日:首相官邸前で、野田政権に奪われた「主権在民」を実践する市民

5:183RT。2月8日:毎時275マイクロシーベルトの双葉厚生病院玄関口。警戒区域の現実1(双葉町)

6:149RT。11月26日:忘れがちだが、忘れてはならない警戒区域の惨状(一時帰宅同行記)

7:135RT。8月23日:被曝した牛を生かす水田放牧、「命の楽園」(浪江町)プロジェクトとは?

8:132RT。12月23日:福島菊次郎と愛犬ロク

9:130RT。2月20日:写真で見る「脱原発杉並有象無象デモ」

10:120RT。10月17日:「経団連解体!米倉ヤメロ!原発いらない!」コールが続く経団連前抗議

11:104RT。9月30日:福島原発告訴団全国集会~福島原発事故の責任をただす!~

◯読者の反応から見る傾向
 並べて見ると、原発に反対する内容の記事と写真だけだ。原発事故による福島県の警戒区域の現場に関してのブログ記事が4本、官邸前での再稼働反対行動を含めた「脱原発」デモの記事が4本。読者が何を期待し、どんな内容の記事を求め、強く反応してくれているのかがよくわかる。ちなみに、ブログ形式にした2011年3月以降、最もRTされた記事など、100RT以上の記事を並べてみます。

・342RT。2011年9月25日:反骨の報道写真家・福島菊次郎さん(90歳)のこと

・179RT。2011年6月30日:大震災被災地で読経し、原発廃止が死者の真の回向と実感した日本人僧

・145RT。2011年11月6日:「もんじゅ」「ふげん」命名の経緯と永平寺シンポ

・117RT。2011年12月13日:警戒区域内「希望の牧場」と代表の吉沢正己さん

・108RT。2011年5月10日:南相馬市と浪江町津島:ちょっと遅れた20㌔圏外取材ルポ

◯まとめ
 福島菊次郎さんに関する記事は二本だけで、474RTされているほど関心が高いことは特筆しておきたい。逆に、我が田舎に関する記事写真に対する反応が低いことが残念ではある。仏教に関する記事が二本あることは、今後の記事のヒントになりそうだ。
 
 というわけで、山本宗補のブログ「山本宗補の雑記帳 標高888mからの浅間山ろく通信~多様な価値観を伝えたい~」をどうか今年も宜しくご活用ください。

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2013年1月 6日 (日)

風化と抗う~年初の福島県取材から~

(写真はクリックすると拡大します)
 
 歳月に慈悲はないかのように、あれから3年目の日々を迎えることになる2013年。
 昨年の正月も大震災と原発事故の被災地を駆け足で巡ったが、その時は1冊の本にまとめようとも思わず、それができるとも考えていなかった。9月に出版できた拙著「鎮魂と抗い~3・11後の人びと~」(彩流社)のあとがきに、「1年6ヶ月が経過しようとする今日までの途中経過である」と書いた。一人のフリーランスのフォトジャーナリストが見た視点でこれまでの取材をまとめることの重要さを形にできたことは幸運だった。
 だが、被災地では、大半の被災者にとり、復興も生活再建もほぼ無縁のまま、月日だけが過ぎつつある。大都会や被災地と離れた地では、歴史的な原発震災さえもが風化しはじめている。私は一人の取材者として現場に立ち、発信し続けなければいけない。大晦日と新年の年初は福島県に身を置くことで、自らの風化に抗うことで新しい年をスタートした。

◯吉沢正己と希望の牧場(浪江町&南相馬市)
 _aaa4404年越しのカウントダウンを牧場の星空を見上げて迎えた吉沢正己・希望の牧場代表。

_dsc1196牧場からは福島第一原発の排気塔と作業クレーンが肉眼でも見ることができる。正月のせいか、クレーンは静止している。

_dsc1223原発事故以降、牧場で何頭の子牛が生まれ、かつ死んでいったのだろうか。元気そうな子牛はそこらじゅうにいるのだが。

_aaa4740母牛と離れている子牛。冬場用にと乾燥エサのロールが積み上げられている。

_aaa4636牛舎で1頭の子牛が元旦の朝も息絶えていた。撮影しながら、これも日常の一こまと感じてしまう自分がいる。「弱肉強食だ」と吉沢さんは割り切っていう。元気そうに見える子牛の明日は誰もわからない。
_dsc1350

_aaa4835牧場最強の種付牛にまたがって調教する?吉沢さん。「重重(シゲシゲ)」は原発事故前の「エム牧場」時代の最初の種付け牛。昨年、去勢されて引退した。

_aaa4784安倍政権の原発政策を厳しく批判する活動を始めることになる吉沢さん。「今年は勝負の年だ。農水と畜産農家との平行線がどこかで交わるような方向が見えてくると思う。原発再稼動のゆり戻しを許すかどうかでもある」

_aaa4684乾燥エサを重機で運ぶ吉沢さん。タンクに殴り書きされたメッセージがなれけば、何気ない牧場の一こまにすぎないのだが。2013年1月1日

(追記:吉沢さんの講演会が都内で1月13日(日)にあります。会場:東京ウィメンズプラザ。 やまゆりファームのメンバーでもある宍戸大裕監督の作品「犬と猫と人間と2 動物たちの大震災」完成記念上映会の会場のようです。)

◯南相馬市小高区
_dsc11382013年元旦の初日の出の時間帯。地盤沈下は目に見えない。テトラポットが無ければ、海岸線の浸食は止められないのだろう。南相馬市小高区浦尻海岸。

_dsc11342013年1月1日の初日の出。浦尻海岸から。

_aaa4576東北電力がまだ白紙撤回していない浪江・小高原子力発電所建設予定地。鉄塔は気象観測塔という。浪江町議会は建設誘致の白紙撤回を決議をし、南相馬市議会は建設中止決議をしている。

◯大柿ダム(浪江町)
 大柿ダムは浪江町を流れて請戸港から太平洋に流れ出る請戸川の上流をせき止められた農業用ダム。資料によると、主に水田3,808haの用水不足の解消を図るため1988年に完成した。東京ドームの14杯分の水を貯水できるという。浪江町、双葉町、南相馬市小高区の農業用水に利用されていた。

_aaa4897浪江町大堀地区は線量が高い。人もいない、鳥の姿も少ない地区の柿は色が何とも鮮やかだった。凍みても黒くならないのが不思議だ。空間線量は毎時2.5マイクロシーベルト。

_aaa4916浪江町の水田地帯はセイタカアワダチソウが枯れた荒野と化していた。浪江町の農業用水は大柿ダムに頼っている。
_aaa4846放水されたままで貯水されていない大柿ダム。原発から北西方向に位置し、放射線量の一際高い津島一帯を源流とするのが請戸川。請戸川に沿って渓谷を走るのが幹線道路の国道114号線。福島民報は2012年2月18日の記事で、「大柿ダム周辺の土壌で、最大一キロ当たり34万ベクレルの放射性セシウムを検出した」と伝えている。
_dsc1447大柿ダム入口の看板。
_aaa4871東北電力昼曽根発電所(出力500kwの小水力)の前の橋で空間線量を計ると、毎時11マイクロシーベルトをこえた(2013年1月1日)。国道114号は発電所のところで鍵付きフェンスで閉鎖され、昼曽根トンネルに抜けることができない。

 原発事故後の4月下旬、原発から約20㌔北西に位置する昼曽根トンネル入口に検問所があり、神奈川県警の若い機動隊員が花粉症マスクと手袋なしで検問していた。持参した日立アロカ製の線量計は19.99マイクロシーベルトで振り切れ正確な数値は計れなかった。文科省の公表するモニタリングポストの数値は30マイクロシーベルトをはるかに超えていた。

 つまり、大柿ダムの水源は浪江町でも最も深く放射能に汚染されている一帯となる。山の除染、森の除染、ダムの湖底や周辺の根本的な除染ができない限り、農業用水を貯めて警戒区域の水田地帯を再び潤すことはできないということだ。

◯復旧した東北電力原町火力発電所(南相馬市原町区)
_aaa4932一日で3000~4000人の作業員を投入し、予定より半年早く昨年11月に復旧。試運転で発電を再開した原町火力発電所。2号機は100万キロワットの発電能力。1号機の復旧は2月の予定。発電所の周囲も含め、大津波で甚大な被害を出した。隣接する海岸は整備された砂浜のビーチ。元旦からサーファーが波を求めて浮かんでいた。
_dsc1574発電所に隣接する住宅は跡形もなく流され、水田地帯は海水に冠水した。

◯飯舘村の避難民が生活する伊達市伏黒の仮設住宅
 飯舘村は昨年7月に浪江町津島に隣接する南部の長泥地区が、年間50ミリシーベルト以上の帰還困難区域として封鎖された。飯舘村村長選挙は昨年10月、菅野典雄氏(65歳)が無投票で5期目の当選をした。10月12日の福島民報によると、「菅野氏は当選後、東京電力福島第一原発事故による全村避難について『(5期目の)4年をかけずに住民の帰村を実現させる』と誓った」とある。

 原発事故直後、菅野村長が放射線量が異常に高いことを知りながら、村民に知らせず、4月21日に政府による避難指示が出るまで、子どもや女性を自主的に避難させる対応をしなかったことに怒り、著書や全国での講演活動でも村長を批判してきた酪農家の長谷川健一さんを訪ねた。
_aaa4966長谷川さんは今年還暦を迎える。大きな還暦祝が送られ飾られていた。仮設の狭い部屋ながらも、三人の子どもと大勢の孫たちに囲まれ賑やかで明るい新年を送っていた。しかし、村の行く末となると、表情は曇った。
「村民は、『除染イコール帰村』となっていて、具体的な線量低下もそのプロセスも無視して考えている状態だ」
 そういえば長谷川健一さんの飯舘村写真展が、新宿全労済スペース・ゼロの展示室で1月11日(金)~14日(月)の間、開催される。50点展示される。無料です。お出かけください。

◯大熊町の避難民が生活する会津若松市松長団地の仮設。
_dsc1590仮設住宅は市内の高台にあるため、積雪も多い。内陸部と大きく異なり、浜通りの大熊町は冬の間もほとんど積雪はないため、大熊町民は雪が苦手だという。そのため、仮設を出ていわき市に越す避難民も多く、仮設の空き部屋が増えているようだ。

_aaa4985木幡仁・ますみ夫妻。最近手術をしたばかりの仁さんの回復は順調という。顔色も良い。
「年内に中間貯蔵施設の場所が特定されることになるだろう。用地買収が進めば、賠償も進展する可能性が高くなる。財物保証も同時進行で進んでほしい」(仁さん)
「大熊町民は人まかせ意識になってきている。国民全体も人まかせ意識になっている」(ますみさん)

◯取材後記
 いわき市で原発事故取材初日の3月12日に、田村市の体育館で出会った原発作業員の若者と話した。その時は家族と避難中だった彼も事故からまもなく現場に戻っていった地元出身の一人だ。すでに線量が一杯のために一時現場を離れ、除染関係の仕事を開始したばかりだ。彼のように若くても現場経験豊富で有能な作業員=被ばく労働者は減るばかりなのが収束現場のようだ。地元紙によると、4号機の燃料棒の取り出しが11月から予定されている。果たして、1~3号機のメルトダウン(スルー)した燃料棒の状態が確認されるのがいつになるのだろうか。

_dsc0048
 水戸市では富岡町から避難している木田節子さんを訪ねた。木田さんはtwitterでもブログでも度々紹介してきたが、福島の原発難民の憤りを自らの言葉にした適格な表現で発信する希有な女性の一人だ。原発事故で目覚め、昨年2月の東海第二原発廃炉集会に参加するところから一気に脱原発の活動をスタートした。原発作業員を息子に持つ母親の視点、女の視点から説得力のある話し方、歯切れの良さで各地での講演にも出かけるようになった抗う福島県民だ。安倍政権となり、経産省前のテント村が危ないから守らないといけないと話していた。上の写真は木田さんからいただいた脱原発スローガンバッジだ。山梨県で木田さんが脱原発活動家の方からたくさん買い求めて利用を拡散している脱原発グッズ。
各地からは話してきてくださいと木田さんに声がかかるが、誰もが経済的な余裕がないために二の足を踏んでいるから、こちらから出かけないといけないと話す。木田さんらの出前講演のサポート組織を立ち上げる段階だという。木田さんの出番は増えるだろう。堂々と原子力村や政権与党を批判する木田さんのような「原発難民」がたくさん増えないと風化の歯止めにならない。

_dsc1084初日の出前の浦尻海岸。南相馬市小高区。
 安倍自民公明政権の再登場により、軍事力で中国大陸から東アジアを植民地化した加害の歴史に目をつぶり、新政権はいままた原発推進の謝罪と反省の弁もないまま原発再稼働と新規建設の意思を見せる。戦前戦中戦後の戦争指導者の無責任と、戦後50年も原発推進一辺倒で走ってきた自民党政治の無責任が共通する。
 自民党だけでなく、石原や橋下などに代表される右翼的政治家集団と、国民益よりも省益を優先する官僚機構が手を組む。脱原発の流れの風化、原発事故や大津波震災の風化に抗い、戦争体験の風化にも抗っていかないといけない年になる。波は荒く冷たい。


 

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