忘れがちだが、忘れてはならない警戒区域の惨状(一時帰宅同行記)
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今回の警戒区域の一時帰宅同行取材は、大地震と大津波による大きな被害だけでも生活再建が困難なことを改めて実感し、原発事故という三重の手に負えない災害が起きたのが警戒区域だったことを再認識させられた。地震の被害は場所、地盤の違いによって極めて破壊的で、前回のブログで拘ったセイタカアワダチソウの脅威を、ちょっとピークは過ぎていたがより深く認識できた。
9月の時と異なり、今回は南相馬市から浪江町に入って、浪江町幾世橋の大手スーパーなどに囲まれた大きな駐車場がスクリーニング会場からスタートした。取材は11月21日。
◯双葉町
双葉町内。警戒区域のため、手つかずなので、地震直後のようにさえ見える。
双葉町新山。浄土真宗光善寺の入口。双葉駅の南西。原発から約3.5㌔。
同新山町。木幡さんたちは伯母さんの家の状況を見回った。3・11直後から余震で家屋倒壊状況が悪化しているとのことだった。
大きくて長い平屋の家は崩れていなかったものの、玄関口のコンクリートの土台に大きな亀裂が走っていた。毎時1.9マイクロシーベルト前後。原発に近い割に空間線量は思ったほど高くない。
「原子力 郷土の発展 豊かな未来」 双葉町役場手前の原発推進スローガンが掲げられたアーチ。役場前の水田は、セイタカアワダチソウで完全に覆われた。
◯大熊町
JR常磐線大野駅前の広大な邸宅の石垣。重機を使わないと動かない大きな石が吹き飛んでいる。余震でより崩れたのかもしれない。大熊町。原発の西4㌔。
同じく駅前同然の場所に東京電力の「新大熊独身寮」が建つ。かなり新しい印象だが、裏側はセイタカアワダチソウの生い茂る世界だ。空間線量は10マイクロシーベルト前後。
原発の南約4㌔の熊川地区。海岸から600mくらいの住宅。大津波は大熊町でも大きな被害を出していた。熊川沿いに津波は2㌔以上上流まで押し寄せた。
橋の上から熊川をのぞき込むと、産卵を終えたシャケ多数を確認できた。
熊川の内陸方向を眺めると、放射能に深く汚染された場所とは思えないのどかな景色が広がっていた。放射性物質は見えない。空間線量は土手や宅地周辺で計ると、毎時10マイクロシーベルト~4マイクロシーベルトある。
大熊町野上地区。原発に西7㌔の木幡さんの自宅。地盤が強固のせいか、地震による被害はほとんどない。ただ、何者かによって部屋が荒らされていた。ものが散乱し、9月に同行したときにネズミ駆除で焚いたバルサンの缶が誰かの手によって別の場所に置かれていた。警戒区域の線量が高い地域でも泥棒が自在に動き回っていることが驚きだった。
原発事故前まで木幡さんが米を作っていた水田。水田の空間線量は場所によって毎時9マイクロシーベルト~6マイクロシーベルトある。水田地帯は伸び放題のセイタカアワダチソウの繁殖群生地となっている。
お墓参りでご先祖さまに水をやる。帰還できないとはいえ、墓地はいつになったら修理できるのだろうか?
墓地向かいの野上一区公民館の敷地。昨年のものと思われる肥大化した月見草の茎。右は花盛りの今秋の月見草。通常の大きさにみえる。肥大化した月見草は敷地内だけでも数本ある。空間線量は毎時4マイクロシーベルト。
東電福島第一原発の南側の水田地帯を覆い尽くすセイタカアワダチソウ。排気塔とクレーンがくっきりと見える。
◯浪江町
浪江町請戸川の河口近く。散乱を終えたシャケが自然にかえりつつあった。
原発から8㌔の「命の楽園」。畜産農家が水田放牧で被ばく牛を生かしている。囲い込みの内と外を比べると一目瞭然。被ばく牛を活用すれば、益畜として農地保全に大きな貢献ができるのは明らかなのだが。国はなぜ殺処分を止め、被ばく牛を生かして活用する道を考えないのだろうか。
地震被害、津波被害、そこに原発事故による放射線の目に見えない脅威。まさに三重苦。譲りに譲って、万が一にも警戒区域が解除されたとしても、地震や津波で住居を失った住民は帰るところがない。人が住めるまで何年かかるかもわからない。帰還できるまで待つ期間の無駄と虚しさは見過ごされていいはずがない。圏内でも県外でも、速やかに別の定住先を見つけて生活再建を始めるほかはないのではないだろうか。国策で原子力発電を推進してきたのだから。
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