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2012年11月の投稿

2012年11月26日 (月)

忘れがちだが、忘れてはならない警戒区域の惨状(一時帰宅同行記)

(写真はクリックすると拡大します)

 今回の警戒区域の一時帰宅同行取材は、大地震と大津波による大きな被害だけでも生活再建が困難なことを改めて実感し、原発事故という三重の手に負えない災害が起きたのが警戒区域だったことを再認識させられた。地震の被害は場所、地盤の違いによって極めて破壊的で、前回のブログで拘ったセイタカアワダチソウの脅威を、ちょっとピークは過ぎていたがより深く認識できた。

 9月の時と異なり、今回は南相馬市から浪江町に入って、浪江町幾世橋の大手スーパーなどに囲まれた大きな駐車場がスクリーニング会場からスタートした。取材は11月21日。

◯双葉町
_aaa9917双葉町内。警戒区域のため、手つかずなので、地震直後のようにさえ見える。
_aaa0042双葉町新山。浄土真宗光善寺の入口。双葉駅の南西。原発から約3.5㌔。

_aaa9976同新山町。木幡さんたちは伯母さんの家の状況を見回った。3・11直後から余震で家屋倒壊状況が悪化しているとのことだった。
_aaa9960大きくて長い平屋の家は崩れていなかったものの、玄関口のコンクリートの土台に大きな亀裂が走っていた。毎時1.9マイクロシーベルト前後。原発に近い割に空間線量は思ったほど高くない。

_aaa0483「原子力 郷土の発展 豊かな未来」 双葉町役場手前の原発推進スローガンが掲げられたアーチ。役場前の水田は、セイタカアワダチソウで完全に覆われた。

◯大熊町
_aaa0105JR常磐線大野駅前の広大な邸宅の石垣。重機を使わないと動かない大きな石が吹き飛んでいる。余震でより崩れたのかもしれない。大熊町。原発の西4㌔。

_aaa0083同じく駅前同然の場所に東京電力の「新大熊独身寮」が建つ。かなり新しい印象だが、裏側はセイタカアワダチソウの生い茂る世界だ。空間線量は10マイクロシーベルト前後。

_aaa0096東電独身寮の表玄関。駐車場も完備された広い敷地。

_dsc9564原発の南約4㌔の熊川地区。海岸から600mくらいの住宅。大津波は大熊町でも大きな被害を出していた。熊川沿いに津波は2㌔以上上流まで押し寄せた。

_dsc9592橋の上から熊川をのぞき込むと、産卵を終えたシャケ多数を確認できた。

_dsc9601熊川の内陸方向を眺めると、放射能に深く汚染された場所とは思えないのどかな景色が広がっていた。放射性物質は見えない。空間線量は土手や宅地周辺で計ると、毎時10マイクロシーベルト~4マイクロシーベルトある。

_aaa0201大熊町野上地区。原発に西7㌔の木幡さんの自宅。地盤が強固のせいか、地震による被害はほとんどない。ただ、何者かによって部屋が荒らされていた。ものが散乱し、9月に同行したときにネズミ駆除で焚いたバルサンの缶が誰かの手によって別の場所に置かれていた。警戒区域の線量が高い地域でも泥棒が自在に動き回っていることが驚きだった。

_aaa0249家族アルバムを探し出した。

_aaa0383原発事故前まで木幡さんが米を作っていた水田。水田の空間線量は場所によって毎時9マイクロシーベルト~6マイクロシーベルトある。水田地帯は伸び放題のセイタカアワダチソウの繁殖群生地となっている。

_aaa0310お墓参りでご先祖さまに水をやる。帰還できないとはいえ、墓地はいつになったら修理できるのだろうか?

_aaa0356墓地向かいの野上一区公民館の敷地。昨年のものと思われる肥大化した月見草の茎。右は花盛りの今秋の月見草。通常の大きさにみえる。肥大化した月見草は敷地内だけでも数本ある。空間線量は毎時4マイクロシーベルト。
_dsc9527

_dsc9613東電福島第一原発の南側の水田地帯を覆い尽くすセイタカアワダチソウ。排気塔とクレーンがくっきりと見える。

◯浪江町
_aaa0563浪江町請戸川の河口近く。散乱を終えたシャケが自然にかえりつつあった。

_dsc9678浪江町で見かけた元気そうな放れ牛。

_dsc9650原発から8㌔の「命の楽園」。畜産農家が水田放牧で被ばく牛を生かしている。囲い込みの内と外を比べると一目瞭然。被ばく牛を活用すれば、益畜として農地保全に大きな貢献ができるのは明らかなのだが。国はなぜ殺処分を止め、被ばく牛を生かして活用する道を考えないのだろうか。

 地震被害、津波被害、そこに原発事故による放射線の目に見えない脅威。まさに三重苦。譲りに譲って、万が一にも警戒区域が解除されたとしても、地震や津波で住居を失った住民は帰るところがない。人が住めるまで何年かかるかもわからない。帰還できるまで待つ期間の無駄と虚しさは見過ごされていいはずがない。圏内でも県外でも、速やかに別の定住先を見つけて生活再建を始めるほかはないのではないだろうか。国策で原子力発電を推進してきたのだから。

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2012年11月14日 (水)

「鎮魂と抗い~3・11後の人びと」(彩流社)の書評紹介

 東日本大震災と原発事故による放射能汚染の現場を取材してまとめた「鎮魂と抗い」(彩流社)が刊行されて2ヶ月。これまでに出た書評や感想をまとめて紹介します。(追加更新予定です)

1:共同通信社による書評(10中旬):掲載されたのが確認できているのは岩手日報、信濃毎日新聞、京都新聞、新潟日報、福井新聞など。

東日本大震災と福島第一原発事故の被災地を歩き続け、人々の悲しみと祈り、憤り抗い、戦う日々を写真と文で描いたルポルタージュ。中でも被災地に立つ仏教者の姿が胸に迫る。

がれきを前に深く頭を垂らす若い禅宗の僧侶。檀家のうち約180人を津波で失い、遺族と向き合い続ける住職。2度と戻らないと決めていた故国・日本に戻り、被災地を回るインド滞在47年の僧侶。彼らの姿を通して、いまだに終わらない「鎮魂の現場」を生々しく伝える。原発の警戒区域内の貴重な写真も多数収録されている。

2:鎌田實の一日一冊(150)

東北の大震災を祈りとか、鎮魂という切り口で、写真にうつしとっている。
見事だ。

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悲しみがあふれてくる。
静かな怒りも見えてくる。
全体を通して、それでも負けない、と闘いつづける姿が見えてくる。
すばらしい写真集だ。     「八ヶ岳山麓日記・10月23日 (火)」

:ロフトプラスワンの平野悠さん
 以前フォトガゼット(写真家が集まってできたオンラインマガジン)で見た一人の坊さんの写真が忘れられない。私はその写真を求めて山本さんの展示会(キッドアイラクホール)まで足を運んだ。キャプションには「瓦礫を前にして何かしらないけど、ただ謝るしかない」と書かれている。東北大震災、原発、脱原発デモを精力的に取材し写真を撮り続けている山本宗補さんの写真集だ。そして被災地の苦悩の写真と共に、東北の寡黙なねばり強い人々が「放射能と闘う、東電と闘う、国と闘う。その姿を電気を使っていたみんなに解ってもらいたい。私たちは静かに怒りを燃やす。東北の鬼です。・・・私たちと繋がってください」と強烈なメッセージを残している。この本はただ被災地の情景を撮っただけではなく、抗う被災者をフォーカスした事だ。素晴らしい。今写真集が売れない時代。心を込めた写真はネットでは見ることができない。オススメの本です。(Rooftopレビュー)


2:落合恵子さんの書評:琉球新報掲載(10月28日)

 「鎮魂」と「抗い」。その、どちらをも置き去りにしてはならならない。“と”で結ばれた二つの思想と姿勢が意味する事実。本書に収録されたスティール写真と(写真の「説得力」をあらためて実感)、紡ぎだされた言葉を前に、鎮魂と抗いを深く、さらに深く心に刻む。

 どちらが欠けても、「あの日」と「あの日以降」を丸ごと受け止めることはできない。「ここ」から始め、何度となく「ここ」に戻り、残された私たちは鎮魂と抗いを続けるのだ、せめて。

 本書の前半、「鎮魂」は地震と大津波で壊滅した地で、死者や行方不明者を弔い続ける僧侶の姿を追っている。「五体投地して死者を供養する」(写真キャプションより)。「犠牲となった180人の檀家の塔婆を書く」。

 後半は、震災の翌日から始めた福島各地での取材で出会った、それぞれの「抗う個」を追っている。
 「放射能スクリーニング検査を受ける」住民。信号だけが点滅する無人の町。「原発事故から9か月後のある酪農家の牛舎」と記された写真には、餓死してミイラ化した牛が。

 表紙は、二つの写真で構成される。宮城県女川の仮埋葬場に並ぶ多数の塔婆の写真が鎮魂を。そして、「自らの被曝と引き替えに、牛を生かそうと東電と国に抵抗する道を選んだ」酪農家が抗う個、を象徴する。

 まさに鎮魂と抗いの「かたち」がここに。非情な国の、非情なこの現実を深く刻んだ本書。それを何度目かに開いた連休の午後。母親と共に沖縄から上京した女の子に偶然に会った。「この子、とうきょうには、オスプレイ、とばないの?って聞くんでです」。

 犠牲のシステムの上に胡坐をかいた権力。いのちと人権を脅かすすべてのものへの「抗い」は続く。そして抗いの水底にあるのは、抗えずに、あるいその途上で亡くなり、去っていった人々へ「鎮魂」である。

 後書きの最後で、山本宗補さんご自身、「終末期を迎えた」お母さまと暮らしながら、この取材を重ねてこられたのだ、と知った。 (落合恵子・作家)琉球新報芸能・文化

3:鎌仲ひとみさんのtwitterコメント(10月30日)

山本宗補さんの「鎮魂と抗い―― 3・11後の人びと」読了!なんという丁寧な取材。しかも地震・津波の最初の被害から原発事故に翻弄され抗う人々に寄り添ってこの1年半、読み進むにつれ、福島の人々の声がそばで聞こえるようでした。必読・必見です。

山本宗補さん@asama888 の新著「鎮魂と抗い―― 3・11後の人びと」フォトルポルタージュの傑作。どれだけの犠牲があり、いまだ続いているのか、これを読めば胸に落ちる。そしてこの人たちを見捨ててはいけない、たとえ政府がそうであろうが、私たちはつながらねば!

山本宗補さんasama888「鎮魂と抗い3・11後の人々」の写真すごいです。山本さん、ものすごく被ばくしたね。でもそこに今も住み続けている人たち、特に動物の世話をし続ける松村さん・・命がけの活動。犠牲になった人々はもちろん、そして餓死した子猫や牛の魂にも鎮魂。

4:舞踏家・映画監督岩名雅記さん(在仏)の感想facebook(11月6日)

フォトジャーナリスト山本宗補氏の近作「鎮魂と抗い(彩流社)」を読ませていただいた。前作「3・11メルトダウン(凱風社)」もそうだったが、自分も含めてあの被災(悲災)に直に接していない人間にとって本書は感情と感性が突き動かされるという意味で「感動」の書となっている。万人必読である。

その理由は先ず被写体に向けて祈りと鎮魂の心なくしてはシャッターを切れないという山本さんの想いが強く伝わってくるからである。同時に恐らく200枚はある写真の...どれもが撮り手と被写体相互の共感であり共作である。もっといえば両者に横たわる痛みと苦しみの共有(慈悲)の作品である。

その共感は必ずしも副題にある「3・11後の人びと」に対してだけではない。捨てられ壊され冒され叫んでいるモノや動物たち、つまり無名無明の命に向って映像の祈りが捧げられているのだ。「船に祈る」という写真があったように思う。まさに家族のようにその人は船に向って詫び祈っていた。

祈りといえばこの写真集ほど祈り、または「手を合わせる」という行為が映像化された作品を僕は見たことがない。僧侶の祈りはもとより人々は静かに激しく祈っている。そして祈りの本来的な姿がここにあるということをこの悲惨を通じて僕らは漸くにして、そしてまざまざと看とることが出来たのだ。

大地にひれ伏して詫び祈る高僧。立ったままからだを二つに折って詫び祈る若い僧侶。そして無論のこと失われた命やモノに向ってひたすら祈る無数の人々。この祈りの時間をもう少し早く我々の日常にたぐり寄せることが出来ていたら我らの時代も違っていたのではないかと涙ぐみながらつい思ってしまう。

さて僕は本書を手にする前から「鎮魂と抗い」という異なる二つの辭が山本さんの中で、そして抗う人々それぞれの中でどう拮抗/関連しているのかということに興味があった。本書はそれを実に見事に開示している。命を敬い、祈る心を持つ者はそれを疎外する力に対して徹して闘えるということだ。

「希望の牧場」の吉沢さんや「がんばる福島」の松村さんは言うに及ばず、決死で闘う人々の心底にあるものは掛け値無しの愛情/やさしみにあることが写真と文で見事に切り抜かれている。正直なところ「希望」や「がんばれ」は僕の好きな辭ではない。安直に、しかも国家的に使われている節があるからだ。

けれどこの本を読んでいるとこれらの辭が吉沢さんや松村さんの何処から出てきたのかが良く分かる。まさに「静かな怒りを燃やす東北の鬼が‘苦悩と責任と希望を分かち合いたい’のでつながってください(196頁)」というその叫びから出てきた希望やがんばりを僕らは受け止めないわけにはいかない。

それにしても雪降る飯館村の写真(147頁)を見るにつけ、日本はかくも美しかったのかと今更ながら思う。それはまるで時代を超えた数百年前のまぼろしの日本のようだ。そんな大切な日本を壊してしまった責任の一端が我々にあることも山本さんは写真を通して静かに我々に問いかけてくる。

フォトジャーナリスト山本宗補著「鎮魂と抗いー311後の人びと(彩流社)」は生きていることの意味、生きていることは(ないことではないという意味で)有り難いことだということを再度我々が確認し、誓う為の聖なる書である。山本さんに心から感謝申し上げる次第である。(岩名雅記facebook)

◯書評を書いていただいたり、丁寧な感想を書いていただいたみなさま、本当にありがとうございます。これほど各分野の方から評価していただいたことは初めてです。(山本)

◯取材活動支援のお願い
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