一月遅れの一時帰宅報告・その2(大熊町)。中間貯蔵施設調査候補地&セイタカアワダチソウ
(写真はクリックすると拡大します)
木田節子さんご夫妻に同行してから一日置いて、大熊町から避難している木幡仁・ますみ夫妻の一時帰宅に同行した。
木幡夫妻は、原発立地していた大熊町が中間貯蔵施設を早く受け入れることと、東電が財物の完全賠償を早期に実施することを要望した緊急要望書の署名集めに取り組んでいる。町民から集めた1700筆をこえる署名は、8月中に政府に提出済みだ。
木幡さん夫妻の一時帰宅に同行するのは今回が二回目。最初は昨年12月。放射線量の変化や、国が提案した中間貯蔵施設調査候補地などを気にかけながらの取材となった。木幡夫妻は会津若松市の仮設住宅で避難生活する。ちなみにお二人のことは拙著「鎮魂と抗い」(彩流社)の中では、「抗う」2として詳しく取り上げている。詳細は本をご覧ください。
地元紙に掲載された中間貯蔵施設調査候補地マップ。大熊町が最も多くて9ヶ所が候補地に上がっている。いづれも国道6号線の東側に位置する。
まず比較してほしいのが以下の二枚の写真。警戒区域に入る検問所の機動隊員らはしっかりマスク着用手袋着用で任務についていることは木田さんの一時帰宅同行で紹介した。その時と変わらないのが、警戒区域内のスクリーニング会場で働く係員のみなさんのノーガードぶり。この日は一日中雨降り。
警戒区域内、スクリーニング会場手前の簡易的検問所の警察官。マスク手袋着用。
スクリーニング会場手前で車を誘導する係員。マスクなし手袋なし。
スクリーニング会場。ホワイトボードには毎時0.75マイクロシーベルトと表示されていた。
◯木幡夫妻の一時帰宅に同行して一時帰宅する赤井さん(70代)の自宅へ
場所は原発から西南に約4㌔、熊地区新町にある。古い木造平屋の一戸建てが並ぶ一角だった。家の外の草むらでの線量は毎時5マイクロシーベルトをこえていた。どこを見ても伸び放題の雑草だらけだ。
木造平屋の家は屋根の一部や壁などが崩れ、居間は片づけようがない状態。
庭先はセイタカアワダチソウなどの雑草ですっかり覆われていた。
赤井家の墓のある墓地。原発から4㌔以内だが、杉の木の下で計ると毎時11マイクロシーベルト。地震で倒壊した墓石はもちろん手つかずだ。
赤井家の墓地と赤井さんの家の近くに位置する双葉病院。避難が遅れたために50人の患者さんが避難先などで死亡したのがこの病院だ。国会事故調の報告書でも指摘されている。締め切られたゲート前の空間線量は4マイクロシーベルトだった。昨年12月は6マイクロシーベルトをこえていた。
◯木幡夫妻の一時帰宅
木幡さんの水田がある野上地区。原発から西に7㌔。水田地帯は背丈2mをこすセイタカアワダチソウの独壇場と化していた。
同野上地区の自宅を背景に立つ木幡夫妻。仁さん(62)、ますみさん(56)。自宅へ通じる道路も雑草が両サイドから伸び放題。
庭もセイタカアワダチソウなどの雑草が伸び放題。空間線量は毎時5マイクロシーベルトに近い。昨年12月は7マイクロシーベルトだった。
繰り返される余震のためだろうか、昨年よりもますます散らかっているような気がする。
木幡さんは中高生向けの学習塾を経営していた。もう二度と使うことのないと思われる教室で。壁には県内や関東関西の大学合格者の名前が出身校と共に大きく張り出されていた。
自宅入口にあるイチジクの実が熟したまま、鳥につつかれたようだった。
原発から西へ約8㌔、野上一区公民館に面する墓地は雑草が伸び放題で、墓石も向きが変わったままだ。警戒区域内の墓地をあちこち見たが、浪江町や南相馬市の墓地の倒壊はひどいものだ。倒れていないだけ良しとしなければならないといえるのかもしれない。
国道6号線長者原交差点方向。原発からほぼ真西に2㌔。国道6号線で最も原発に近い辺り。
国道6号線沿線で最も線量が高いと思われる長者原地区は毎時28マイクロシーベルトをこえる空間線量。この辺りを通過すると車内でも毎時20マイクロシーベルトをこえる。
原発から3㌔以内の国道6号線の夫沢地区中央台交差点。下の昨年12月の写真を比べると、余震によって道路陥没が悪化しているのがよくわかる。(9月23日)繰り返される余震が確実に建物や道路を蝕み、もろくさせている。
こちらが昨年12月21日撮影。
同中央台交差点のコンビニ側の角。空間線量は毎時44マイクロシーベルトをこえる。ほぼ同じ場所で昨年12月は60マイクロシーベルトだった。
セイタカアワダチソウにビッシリと覆われた水田地帯。脇には「福島の米」と書かれたJA大熊町の倉庫が建つ。
◯取材後記
1:レベル7の原発事故を起こした東電の原発を立地していた大熊町ほど平均的に放射線量が高い双葉郡内の自治体はない。土壌汚染のレベルも深刻だろう。原発事故から1年8ヶ月になろうとしているが、県内の除染で出る放射性物質を含んだ大量の汚染土や廃棄物を保管するための中間貯蔵施設が未だに決まらない。福島市などの中通りなどでの除染が遅れている原因の一つになっている。環境省が調査候補地を公表後、自治体は説明不足を理由に反発しただけだった。賠償の不安もあるからだろう。それでも原発を立地してきたことからも、中間貯蔵施設を最も受け入れるほかはないと思われるのだが。
ちなみに毎日新聞10月26日地方版の記事に、渡辺大熊町町長のコメントがあるので以下に引用したい。
「中間貯蔵施設の調査候補地12カ所中9カ所が集中する大熊町の渡辺利綱町長は会議後、『国から偏った方針を示され、説明を求めている。近々回答があるはずなので、内容を精査してから考えたい』と話した」
2:いま、全国の水田地帯の耕作放棄地や土手、河川沿線で黄色い花を咲かせているセイタカアワダチソウ。北米からの外来種で日本中に広まったやっかいな雑草だ。(とりわけアメリカから持ち込まれたと私は思っているが) 大熊町も富岡町同様、セイタカアワダチソウが覆い尽くしつつある。背丈は通常の倍の2~3mもあるほどぐんぐんと伸びている。浪江町も楢葉町も同じだ。住民が帰還できず、住まない以上、数年もすれば、水田も畑も見渡す限りの荒野に変貌するのではないだろうか。それは避難した住民が最も目にしたくない光景だろう。
昨年12月の木幡夫妻一時帰宅同行のブログ記事はこちら→「どこを計っても高い大熊町内(警戒区域)の放射線量」
◯官邸前で初スピーチした木幡ますみさん
10月19日。木幡ますみさんは院内集会に参加後、官邸前抗議に初参加し、避難住民の気持ちをストレートに訴えた。スピーチの後、ますみさんに直接聞くと、「仮設の人は投げやりのような、あきらめムードが高まってきている」と私に話した。左の男性は富岡町から避難する西山さん。
西山さんのスピーチの一部:
「仮設住宅で暮らす人たちは表向きは元気そうに見えるが、精神的に追いつめられている。アパートの借り上げで生活している人はもっと大変で、一人で苦しんでいる人が多い。原発事故で、なくてもいい分断が起きています。お願いです。福島の住民の話をもっと聞いてほしい。とにかく原発止めましょう」
以下が木幡ますみさんのスピーチ起こし:
「お晩です。原発は田舎の何も仕事がないところにお前たちのために持ってきましたという感じで、金で共同体も壊しながらもって来られました。いま大熊町には、被曝しながら原発と闘いながら仕事している若者がたくさんいます。事故が起きたらお前たち、自分たちでやるんだよ、というように差別するようなこうした動き。原発は田舎の何もないところに差別的に持ってくるのが常じゃないでしょうか。こんな原発は許されません。私たちは蟻でもなんでもありません。私たちは人間です。自分たちの生命財産を守るのは当たり前じゃないですか」
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コメント
貴重な情報、ありがとうございました。
大熊町は母の実家がある所で、小さいときからじぃちゃんばぁちゃんに会いによく行ってました。子供ながらに、目の前に広がる田んぼの風景が大好きでした。いまは、他県で農家に嫁ぎ暮らしています。大熊で過ごした日々が、農業に導いてくれました。
漠然とした希望ですが、60歳過ぎたら大熊行って、再生のお手伝いをしよう、と思っています。庭掃除や墓掃除。そんなとこから、やりたいと思っています。いまは何も手助けできていませんが、私はあきらめません。
このようなところにこのようなカキコミ、すみません。少しでも想いが届いたら幸いです 。
投稿: ハナ | 2013年1月10日 (木) 02:20
ハナさま
貴重なコメントありがとうございました。
庭やお墓掃除はできることかもしれません。ですが、収束していない原発がある上に、汚染土などの放射性廃棄物を保管する中間貯蔵施設が予定され、空間線量が高いことに加えて土壌検査などほとんどしていないのが現状です。
線量の低めの地区でさえも、高齢者は別としても子どものいる若い世代が故郷に帰って生活再建を目指す場所となることは近い将来ないと思います。
誰しも故郷を失いたくはないのが心情ですが、原発事故の深刻さは時間と共に実感することになるのではないでしょうか。
投稿: 山本 | 2013年1月10日 (木) 09:22