« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月の投稿

2012年8月23日 (木)

被曝した牛を生かす水田放牧、「命の楽園」(浪江町)プロジェクトとは?

(写真はクリックすると拡大します)
(8月28日、写真4点追加と追記)

 取材から日が経ってしまい、間延びしたが、6月末の警戒区域での取材をもう一本ブログにすると書いておきながら、諸事情から遅れてしまった。今回は、「希望の牧場」の吉沢さん、富岡町で牛を生かす松村さんに続く、警戒区域での被曝牛を生かす取り組みの第三弾。

_aaa0197jpg浪江町の殺処分を拒否した畜産農家、原田良一さんの牛舎前で、放し飼いのままたくましく生き延びる牛。(浪江町、2012年2月)

_aaa0853jpg原田さんの飼っていた牛たちは、一群として自宅前の牛舎周辺に留まって生きていた。定期的にエサと水を与えに通っていたために放れ牛になることはなかった。(2012年2月)

 今日紹介する浪江町の畜産農家による「命の楽園」プロジェクトは、経済的価値がゼロになった被曝牛を、警戒区域で生かし続ける意味や目的が最もわかりやすく、行政の協力を取り付ける可能性の高い事例となる。単純明快、水田放牧が「命の楽園」がやっていることだ。元気で色艶の良い牛たちが、人の手が入らずに荒地と化した水田の、伸び放題の雑草をきれいに食べつくした現場を目の当たりにすると、警戒区域に残る牛たちの大いなる役割を初めて具体的に認識できた。場所は原発の北北西に9㌔弱。国道6号線に面する水田地帯の一角。

_aaa0849

_aaa0845jpg「命の楽園」は原田良一さんの水田を使って今年の3月に開始した。手前は電柵を設置中の雑草が生い茂るままの水田。向こうが30頭をこえる牛たちを囲い込んだ水田。約1週間で数枚の田圃を牛たちはペロリときれいに除草してしまう。つまり、囲い込みの場所を変えてをいくことで、相当に広い範囲の水田地帯や畑地の荒地化を、牛の力を借りて防ぐことが可能なのだ。(2012年7月1日)

_aaa0604jpg 「浪江町和牛改良友の会(会長は山本幸男さん)」は殺処分に反対して会員10人が協力し、今年3月に「命の楽園」を立ち上げた。ちなみに山本さんも、自分の牧場の周辺を電柵で囲って放牧を始めている。(2012年4月)

_aaa0715ロールの乾燥エサも時折与える。
_aaa0731出荷はできないが、「福島牛」のタテゴがつけられた牛。

_dsc2790jpg囲い込む水田を広げるために土手の雑草を刈り、電柵を設置する原田さんと渡部典一さん。小柄なのが渡部さん。
_dsc2812jpg

_aaa0855jpg水田の畔を草刈り機でしっかりと刈ってからでないと、電柵はショートしてしまうので、準備作業は面倒だ。だが、畜産のプロの動きは無駄が少ない。
 この日、久しぶりに一時帰宅して電柵設置の手伝いをした原田さんの80歳になる父親は感慨深げだった。

「農家は畑や田んぼに出てくるのが楽しみでなあ。毎晩夢にまで見っと。荒れたままになっていると辛いなあ。ここはいい米がとれたんだが、果たして5年後に米作れっかな」

 原田さんの自宅は水田の近くにある。幸運なことに、原発から9キロ北北西にありながら、自宅も水田も線量は低めだ。
_dsc2779空間線量は毎時0.6マイクロシーベルト以下の水田地帯。(線量計は0.58を指す)原発に近い割に不思議と低めの線量地帯だ。

_dsc2826jpg

 「命の楽園」プロジェクトを原田さんと共に取り組む渡部さんは50代はじめ。仮設住宅で暮らしながら、自分の集落で牛たちを放し飼いにして生かしている。冬の間は定期的にエサやりに通い、30頭余りの牛たちは渡部さんの水田地帯にとどまっている。渡部さんは繁殖和牛にこだわってきた農家で、牛に対する思いは人一倍強いと感じた。

 「稲作の時代から牛は農家に必要な存在だった。何の説明もなく、町からの指示で殺処分って。生まれ落ちたばかりの時から世話してきた牛たちを、簡単に一言で殺せますか?牛を水田放牧すると、牛が益畜の役割を果たすことになります」

 渡部さんの集落は放射線量が高すぎて、原田さんの水田で実践する「命の楽園」プロジェクトには向かない。それを踏まえて、渡部さんは、地区ごとにその地区の牛を利用して水田や畑地で放牧することが除草になり、防犯対策にもなると考えている。
609647644jpg渡部さんの集落にある公民館敷地に設置された文科省のモニタリングポスト。毎時26マイクロシーベルトをこえる、帰還は絶望的な空間線量を示す。渡部さんの集落は、おそらく浪江町で最も線量が高い。(2012年7月1日)
 その意味で、原田さんの水田放牧のように、人が管理するために度々立ち入っても、畜産家にとっての被曝をそれほど心配しなくても良いといえる地域とは同一視できない。とはいえ、畜産家が自らの被曝は覚悟の上で、ここまで生かしてきて、今になって行政が殺処分できる理由づけはないだろう。行政は畜産家と共に、牛はしっかりと囲い込んで生かす道のために予算づけをすべきではないのだろうか。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月12日 (日)

楢葉町、警戒区域は解除された。この流れで良いのか? No entry rule is lifted on Narahamachi. And yet, is this right thing for residents ?

(写真はクリックすると拡大します)

 警戒区域に指定されていた楢葉町の警戒区域が8月10日に解除された。「避難指示解除準備区域」に扱いが変わった。4月に南相馬市原町区の警戒区域が解除されたことに続く避難区域再編の流れだ。空間線量を元にした再編が一気に加速している。それで良いのだろうか?

 解除に伴い、検問所が移動されて富岡町と楢葉町との境に設置された。Jビレッジ入口となる交差点にあった検問所は撤去されていた。旧検問所の空間線量は0.5~0.6マイクロシーベルト/時だったが、新しい検問所は1.2~1.3マイクロシーベルト/時と、倍以上高くなった。そうした違いを検問所を担当する県警は把握し対処しているのだろうか?

 _aaa6713警戒区域の解除に反対する警戒区域から避難中の住民。前日まで検問所が置かれていた場所。

_dsc4441楢葉町道の駅にある地図。不思議なことに原発がないことになっている。

_aaa6866富岡町との境に移動した検問所。
_aaa6886

_aaa7120第二原発に近い津波被災地。

_dsc4572壊れた防潮堤の向こうに第二原発が見える。この辺りの線量は0.4~0.5マイクロシーベルト/時。

_aaa6914第二原発の敷地に近い海側の通行止め地点。山ゆりが満開だった。道路端の空間線量は2.5マイクロシーベルト/時。道路上は1.4マイクロシーベルト/時。

_aaa7265山側を走る国道35号線沿いの民家。咲き誇るノウゼンカズラ。空間線量は1マイクロシーベルト/時。

_aaa7245国道35号線の通行止め地点。

_dsc4649山側の上繁岡地区にある溜池と「白鳥の館」。冬季は白鳥が飛来することで知られているという。
_aaa7174空間線量は1.5マイクロシーベルト/時。

_aaa7226「白鳥の館」の隣はイチゴ積みのハウスだった。枯れ果てたイチゴの苗が残る中に一本だけ枯れない苗があった。

_dsc4629水田はどこもセイタカアワダチソウの荒野となっている。
_aaa7153地震による被害はとこも手つかず。真言宗豊山派地福院の墓地。

_dsc4749楢葉町役場の隣の高台に建つお城のような民家?地震により倒壊寸前。

_dsc4720地震により屋根瓦が落ちた家は目立つが、前提的に南相馬市小高区のような地震による大きな被害や液状化は見えない。楢葉中学に近い新興住宅は瓦屋根ではないためか、無傷。

_aaa7269雑草に隠れるJR常磐線竜田駅の看板。
_dsc4708JR常磐線駅構内の線路。
_dsc4706竜田駅舎内の運賃表。隣は富岡駅だが、この駅から先の運行が再開されるとは思えない。

_aaa7296駅前にあるタバコの自動販売機。盗難の後が残る。

_dsc4699JR竜田駅に向かう道路の標識。

_aaa6994封印された郵便ポスト。

_aaa7369保育園と幼稚園が一つになった「楢葉町立あおぞらこども園」の送迎バス。電源立地地域対策交付金事業と書かれている。こども園の収容園児数200人。2006年完成。敷地広大。
_aaa7357正面玄関から見たこども園。

_dsc4760こども園に通じる道路。海側にある天神岬キャンプ場へと続く真っ赤な街灯。

_aaa6948空っぽの牛舎で出産予定帳を見つけだした和牛繁殖農家(第二原発から1㌔ちょっとの下繁岡地区)。出産したばかりの子牛や妊娠中の母牛も含め、15頭の殺処分に応じる他はなかったと話す。本業は福島第一と第二の原発労働者30年。

◯取材後記:
 楢葉町よりも全体的に空間線量が高いが、計画的避難区域に指定されていた飯舘村も、7月17日に三区分された。年間被ばく線量が50ミリシーベルトをこえる長泥地区のみが帰還困難区域に再編され、大半の地域は年間20~50ミリシーベルト未満で「居住制限区域」と再編された。残る飯舘村の一部が「避難指示解除準備区域」に再編され、楢葉町全域も同様の扱いだ。

 飯舘村に続いて、お盆前に楢葉町全体が再編された。 しかし、住民の一部が反対のアピールをしたように、効果的な除染方法が確立されない中で(飯舘村の除染はいまだに実証実験の段階で、山の除染はせず、水田の除染方法の効果さえも確立されていない)、除染さえも始まっていない楢葉町に、線量が低めだからといって区域再編を急ぐのは住民の心に寄り添っているからではない。現実には帰宅して生活が可能となっても、生活再建などできる見通しはない。自宅を生活のよりどころとする年寄り世代が帰宅を望むのは自然で、反対のしようもないが、若い世代が放射能の心配をしながら、生活しようとするだろうか。事故が未収束の原発に近いところで生活してくださいと、東電も国もすすめるのだろうか?

 国と東電は、将来の展望が見えず、仮設住宅で今まさに心が折れようとしている住民の、自宅に帰りたい願望につけ込み、賠償金の大幅減額を狙っているとしか言いようがない。放射能の被害を小さく小さく見せようと躍起だ。再編は何よりも原発事故が収束していますよ、というイメージ作りにも役立つ。

 「避難指示解除準備区域」で近い将来、若い世代が本当に放射能を心配しないで生活再編ができるというならば、東電の家族は戻ってくるはずだろう。何よりも官僚も含めて、国会議員は老いも若きも全員、国会を楢葉町に移転して安心ですよとデモンストレーションするべきだろう。それこそが、警戒区域から避難している住民の怒りの声に応えることになるからだ。

 南相馬市原町区の警戒区域解除後のルポはこちらでご覧ください。→「止まった時間」・解除された南相馬市の警戒区域(Former No Entry Zone in Minamisouma city.)


| | コメント (3) | トラックバック (0)

2012年8月 9日 (木)

牛を生かし続ける意味を考えることは哲学の世界(「希望の牧場」の吉沢正己さん) Yoshizawa Masami 's deep thought about why I am saving lives of cattle.

(写真はクリックすると拡大します)

 吉沢正己さん(58歳)は、精神の強じんで柔軟で繊細な人だと思う。

 浪江町の牧場で会うよりも、このところ二度続けて都内で会う機会ができて不思議な気もするが、吉沢さんが原発事故後からこれまでに歩んだ一日一日の大変さを改めて思った。いま、吉沢さんの一言一言がよどみなく出てくるように聞こえるが、そのどれもが、300頭をこす牛たちを生かすためにクリアしなければならなかった日々の連続から生み出されたことばだ。

 日々、自らが被ばくし続けることを前提に続いてきた、牛飼いとしての意地と誇りにかけた、東電と国に対する怒りと抵抗のシンボルとして牛たちを生かし続ける意味。人間を棄民することに抵抗するように、動物を棄畜することに抵抗する生き様。見えない答えを追い求める、吉沢さんがいう、日々哲学するような営みなのかもしれない。それは言葉による意味づけよりも、行動で始めて理解される世界なのかもしれない。
 
 理屈はここまでにして、前回取材の写真と、先日、都内で行われた「希望の牧場」関係のイベントの写真を読者と共有したい。

 _aaa8401
 実は牧場の全ての牛が下を向いてエサを食っている光景に驚いてしまった。というのも、昨年末から見慣れた光景は、牛がロール状の乾燥エサやモヤシかすをぱくつく姿ばかりだったので、放牧された牛が牧草をはむ本来の光景が新鮮だったからだ。
_aaa8423

_aaa8626こちらは見慣れた光景。身体の大きく強い牛が、エサを好きなだけ食べてしまう、増えすぎた牛たちの「自然淘汰」に近い現状。

_aaa00836月末に牧場の入口まで案内した佐々井秀嶺師一行による、原発事故で死んでいった多くの牛に対する供養の読経。佐々井師は大津波被災地での供養のために、昨年に引き続きインドから帰国した。インド在住47年。インドでは、ヒンドゥー社会におけるカースト制によって続く人間差別に抵抗し、下層民衆の仏教への集団改宗を導く活動を続ける。世界中の仏教徒の聖地である、お釈迦様が悟りを開いたブッダガヤに建つ世界遺産・マハボディ寺院(大菩提寺)の管理権をヒンドゥー組織から仏教徒の手に取り戻す闘争も長年続けてきた人物だ。_aaa0111

_aaa8551M牧場の種牛第一号、最強で最長老の「繁重」(シゲシゲ)。去勢される数日前。

_aaa8646
_aaa8609希望の牧場のブログやTwitterへの書き込みが気になる吉沢さん。
_aaa86584㌧トラックの燃料タンクの交換品を専門店で購入。
_aaa8659タイヤのパンク修理に修理工場へ。
_aaa8763運搬車に取りつける鉄枠の調整作業。
_aaa8681ガタがきたトラックの修理には根気と時間がいる。畜産家は何でも屋でなければならないのかもしれない。

_aaa4901都内の希望の牧場討論会では哲学者の顔?も見せる。運命の北西方向への風によって大量に拡散し雨雪で放射性物質が降下した浪江町の線量マップを見せる。(7月28日)

_aaa4848原発事故により日本中に運ばれ土壌汚染したセシウムの濃度を表す地図。この日解説した岡田啓司准教授によるプレゼンから。
_aaa4907希望の牧場公開討論会(7月28日、渋谷のセミナー会場)

_aaa4821エム(M)牧場社長の村田淳氏。村田社長の話しで、原発事故時に浪江農場は、福島県内に7ヶ所ある牧場の一つだと初めて知った。ただし、頭数は最大規模。

_aaa4932「希望の牧場」サポーターのみなさんと吉沢さんにスタッフさんたち。
_aaa4921いわゆるKMG(希望の牧場見守りガールズ?)のみなさん。ほんとうに動物好きの熱いサポーターさんたち。
_aaa8711_2

 ちょうど8月4日から畏敬する報道写真家福島菊次郎さん(91歳)のドキュメンタリー映画「ニッポンの嘘」が封切りされたばかりだ。予告編で大きな話題になり、封切り後の反響もスゴイが、菊次郎さんのぶれない生き方と、吉沢さんの闘いがダブって見える。
 菊次郎さんは広島原爆を6日間の違いで免れ、戦後は広島の被爆者の無念を極限まで取材して写真集にして伝えた。全共闘運動、三里塚闘争、自衛隊と兵器産業など、余すところなく取材し報道した伝説的なジャーナリストだ。自らの体験もふまえ、昭和天皇の戦争責任を問う姿勢を貫いた。いわゆる「下血報道」が過熱する時に、自らは胃ガン摘出手術で入院中の身でありながら、「このままトンズラされてたまるか」と、膨大な写真パネルを制作して全国に巡回する写真展を実施した人だ。

 畜産家・吉沢正己さんは、原発事故を招いた東電と国が、故郷の浪江町、福島県の一部をチェルノブイリのように、二度と帰ることのできない大地にした責任を、今もって問われることのない不条理に対し、黙って泣き寝入りはしない、せめてもの抵抗はするぞという意思で生きて来たといえる。言い方を変えると、「このままトンズラされてたまるか」にほかならない

 逆境で人の真価が問われている。同時に「3・11後」の私たち自身の生き方も問われている。


 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »